浅草のロック座が次第に脱いで見せた、有楽町の日劇ミュージックホールにも紳士がズラリと首を並べた。偉い偉くないは関係ない、下半身に直接訴える手法は時代を超えて金に成る。(湊映劇券売嬢・高清水トシ子さん)
ストリップの話でついでに言うが、日本一のストリッパーと称されたのがジプシーローズ。この娘のベリーダンスは語り草。若い女も次第に歳をとり、このローズも体の線が崩れ、若くして酒に身を持ち崩し、便所で倒れて一巻の終わり。人間誰しも一度は死ぬが、若くして名声を手に入れると晩年が惨め、しかし、我々庶民は関係ない、のんびりダラリンと今日もまだ生きてる。
千里さんはこのローズも呼んだことがある。ストリップも儲かったが、一番は島倉千代子の歌謡ショウ、これは昭和三十二年九月十五日、この歳の正月元旦のデーリーには平凡十大歌手の一番、三橋美智也は上り調子、二番手島倉千代子は下り坂と書かれている。共同通信かなんかの買い原稿だろうが、昭和三十年のこの世の花のデヴィユー以来、あの世の花じゃないけどヒットがなかった。かすかに東京の人よさようならを三十一年に出すもサヨウナラで正月元旦に下りと書かれた。世の中どうなるかわからない。三十二年の逢いたいなァあの人に、東京だよおっ母さんで大人気。それを八戸に千里さんが呼んだ。映画館が小さいからと長横町の日活を借りた。ここは城前栄太郎が 館主、この人は八戸の成功と失敗とで指を折られる大経営者。このゴミ捨て場だった所が今の割烹「銀波」、城前栄太郎の親戚が経営中。
この日活めがけて三日町から長横町の出口まで人が並んだ。前売りもしたが当日売りを目指して人々集合。騒ぎを聞いて警察は来る、消防も集まるで大騒ぎ。おまけに当時の市長の岩岡徳兵衛は島倉千代子に逢わせろと秘書を通じて談判、前に奈良光枝を連れて行った時は忙しいので会えないと蹴った、今度は逢わせろと強談判、千里さ んも若いからハァ駄目、それを根にもって千里さんをケシカランと新聞社に言ったとか言わなかったとか、意外と岩徳もミイハアだったのかしら。
入場できない客が入れろ入れないで大騒ぎ、銀映の入り口の扉が曲がる程の大騒ぎ。千里さんは当日の切符の売上が床に山、それを事務員にズック袋に入れさせるが足りずに山、また山。あんなに金が集まったのはあのときが一番と往時を懐かしむ。急遽三回の入れ替えをしてその場をようよう凌(しの)いだ。千里さんは入れ替えなしで前売りしたと大弱り、そこは島倉と共に来八した 東京の興行師、うまいこと言ってさっさと入れ替え。ぶつぶつ不平を言う度胸のある客もいたが、所詮素人、金になる入れ替えに頭が回る興行師の敵じゃない。
この実演で有名な歌手が全国を回っていたもんだ。今のようにTVの画面で見るのはつまらない、昔の方が味わいがあった、本物の凄さにTVはかなわない。我々はTVに毒されて、大事なものを無くしたんだ。このような実演は毎日ない、毎日上映する映画がつまらなければ客足は絶える。いかに面白い映画を手にいれるかが勝負。ここで外国映画のセールスとのかけ引きが出てくる。いくら親密になっても相手が持ってくる映画が毎回ヒットとは限らない。値段も安くないといけない、ここに狸と狐の化かしあいがある。映画館側はセールスを柏木旅館に無料宿泊のサービス。第二中央劇場は千里さんが抜けた跡を兄貴の昭一さんが継いだ。(その後、長横町の大映地下映画劇場に移り、映画が力を失った頃、鮫の特別 養護老人ホーム光養園の事務長に就任し定年を迎えたが昨年無くなった)
兄弟で柏木旅館を利用、柏木旅館に客あしらいの良い美人の中居さん、皆、この人が目当て、ところが、この女性がある日突然姿を消した。弱ったおかみさんが千里さんにあの娘を探してくれたら今月の飲食・宿泊代大映地下劇場と湊映劇の二軒分タダにすると持ちかけた。今の金額なら三十万円にもなろうか、それをタダにするというの だからえらいこと。そこで千里さんは小中野に見当をつけて、一軒一軒ビールを飲みながら探したと思いなヨ。(前列左から出貝・手塚・中山・小萩沢・高清水・後ろ中道・左秋山・○○静子・中山かみさん・鬼沢・工藤・後列右釜石・左梶谷)
好きでフラフラ飲み屋に入るなら楽しいけど、仕事でビールを飲み続けるのはチョット辛い。当時の小中野の浦町にゃ掃いて捨てるほどの飲み屋がありまして、軒並み歩いても一週間以上はかかる。それでも元気を出して回りに回ったら酔いも回った。そりゃそうだ、千里探偵はとうとう見つけました。さりげなくビールを飲んで、勘定払って柏木旅館に電話を入れた。思わず「おかみさん。タダが見つかった、……じゃない、あの娘がいた」
長く生きてると面白い話があるもんだ。ある映画会社のセールスで妙なのがいて、岩泉町に純情というバーがあり、そこによく出入りする、更にハシゴで紫苑というキャバレーに足運び、今度は映画館側を接待。お互いにおごりっこしてる訳。その紫苑が来た客にクジを出した。二十八日町の富士電気商会のテレビが当たる仕掛け、クジなんて当たる筈もありませんなんていいかげんにそこらに放りっぱなしにした。紫苑の女の子からクジが当たったと告げられる。島倉千代子の後に中山さんは市会議員(後県会議員)の吉田秀雄の次女央子(なかこ)さんをかみさんにした。この人がミス八戸、千里さんは何処の誰だか知らない人に因縁をふっかけられたそうだ。「吉田の娘をか っぱらいやがって、俺はどうするの?」「ええ?」どうするってどうするの、美人を貰うといろいろあるもんだ。
千里さんはこのローズも呼んだことがある。ストリップも儲かったが、一番は島倉千代子の歌謡ショウ、これは昭和三十二年九月十五日、この歳の正月元旦のデーリーには平凡十大歌手の一番、三橋美智也は上り調子、二番手島倉千代子は下り坂と書かれている。共同通信かなんかの買い原稿だろうが、昭和三十年のこの世の花のデヴィユー以来、あの世の花じゃないけどヒットがなかった。かすかに東京の人よさようならを三十一年に出すもサヨウナラで正月元旦に下りと書かれた。世の中どうなるかわからない。三十二年の逢いたいなァあの人に、東京だよおっ母さんで大人気。それを八戸に千里さんが呼んだ。映画館が小さいからと長横町の日活を借りた。ここは城前栄太郎が 館主、この人は八戸の成功と失敗とで指を折られる大経営者。このゴミ捨て場だった所が今の割烹「銀波」、城前栄太郎の親戚が経営中。
この日活めがけて三日町から長横町の出口まで人が並んだ。前売りもしたが当日売りを目指して人々集合。騒ぎを聞いて警察は来る、消防も集まるで大騒ぎ。おまけに当時の市長の岩岡徳兵衛は島倉千代子に逢わせろと秘書を通じて談判、前に奈良光枝を連れて行った時は忙しいので会えないと蹴った、今度は逢わせろと強談判、千里さ んも若いからハァ駄目、それを根にもって千里さんをケシカランと新聞社に言ったとか言わなかったとか、意外と岩徳もミイハアだったのかしら。
入場できない客が入れろ入れないで大騒ぎ、銀映の入り口の扉が曲がる程の大騒ぎ。千里さんは当日の切符の売上が床に山、それを事務員にズック袋に入れさせるが足りずに山、また山。あんなに金が集まったのはあのときが一番と往時を懐かしむ。急遽三回の入れ替えをしてその場をようよう凌(しの)いだ。千里さんは入れ替えなしで前売りしたと大弱り、そこは島倉と共に来八した 東京の興行師、うまいこと言ってさっさと入れ替え。ぶつぶつ不平を言う度胸のある客もいたが、所詮素人、金になる入れ替えに頭が回る興行師の敵じゃない。
この実演で有名な歌手が全国を回っていたもんだ。今のようにTVの画面で見るのはつまらない、昔の方が味わいがあった、本物の凄さにTVはかなわない。我々はTVに毒されて、大事なものを無くしたんだ。このような実演は毎日ない、毎日上映する映画がつまらなければ客足は絶える。いかに面白い映画を手にいれるかが勝負。ここで外国映画のセールスとのかけ引きが出てくる。いくら親密になっても相手が持ってくる映画が毎回ヒットとは限らない。値段も安くないといけない、ここに狸と狐の化かしあいがある。映画館側はセールスを柏木旅館に無料宿泊のサービス。第二中央劇場は千里さんが抜けた跡を兄貴の昭一さんが継いだ。(その後、長横町の大映地下映画劇場に移り、映画が力を失った頃、鮫の特別 養護老人ホーム光養園の事務長に就任し定年を迎えたが昨年無くなった)
兄弟で柏木旅館を利用、柏木旅館に客あしらいの良い美人の中居さん、皆、この人が目当て、ところが、この女性がある日突然姿を消した。弱ったおかみさんが千里さんにあの娘を探してくれたら今月の飲食・宿泊代大映地下劇場と湊映劇の二軒分タダにすると持ちかけた。今の金額なら三十万円にもなろうか、それをタダにするというの だからえらいこと。そこで千里さんは小中野に見当をつけて、一軒一軒ビールを飲みながら探したと思いなヨ。(前列左から出貝・手塚・中山・小萩沢・高清水・後ろ中道・左秋山・○○静子・中山かみさん・鬼沢・工藤・後列右釜石・左梶谷)
好きでフラフラ飲み屋に入るなら楽しいけど、仕事でビールを飲み続けるのはチョット辛い。当時の小中野の浦町にゃ掃いて捨てるほどの飲み屋がありまして、軒並み歩いても一週間以上はかかる。それでも元気を出して回りに回ったら酔いも回った。そりゃそうだ、千里探偵はとうとう見つけました。さりげなくビールを飲んで、勘定払って柏木旅館に電話を入れた。思わず「おかみさん。タダが見つかった、……じゃない、あの娘がいた」
長く生きてると面白い話があるもんだ。ある映画会社のセールスで妙なのがいて、岩泉町に純情というバーがあり、そこによく出入りする、更にハシゴで紫苑というキャバレーに足運び、今度は映画館側を接待。お互いにおごりっこしてる訳。その紫苑が来た客にクジを出した。二十八日町の富士電気商会のテレビが当たる仕掛け、クジなんて当たる筈もありませんなんていいかげんにそこらに放りっぱなしにした。紫苑の女の子からクジが当たったと告げられる。島倉千代子の後に中山さんは市会議員(後県会議員)の吉田秀雄の次女央子(なかこ)さんをかみさんにした。この人がミス八戸、千里さんは何処の誰だか知らない人に因縁をふっかけられたそうだ。「吉田の娘をか っぱらいやがって、俺はどうするの?」「ええ?」どうするってどうするの、美人を貰うといろいろあるもんだ。