2008年6月30日月曜日

八戸博物館の労働基準法無視

八戸博物館をさんざん捜した。結句、博物館は観光課にいいように利用されただけ。その証拠はしたくもない根城の広場の管理委託、それと連動するとして、博物館の窓口業務委託を受けた。どうして、連動するのか理解に苦しむが、彼等の発想がそうなのだから仕方ない。
 その時、いままでは博物館の受付は市が雇用したバイト。料金が日当6730円
同じ人物が観光協会の随意契約では日当6062円だ。同じ人物が同じ職場で3月末まで高く、雇用先が変えられて700円ほど下がった。日当だから月では2万円近くになる。これを噛んでやったら、委託とはそういうことですだと。委託の名前で人権無視だ。労働基準局に言えばいいのだが、面倒なのでここに記す。人権を市役所は無視するな。かわいそうな女性を救済せよ。

2008年6月29日日曜日

貝新のつくだに


名古屋駅内売店にもある貝新は元禄年間の創業だそうだ。そうだの伝聞推定の語を使うのは、調査をしたことがないから。筆者が言い切るのは、それなりに証拠を摑んでいるから。藤川優里市議についても決定的証拠を握っているから掲載。佐々木泌尿器科の佐々木氏がアアだのこうだのと、意見を述べるのは自由。税金も罰金もかからない。
 しかし天に唾を吐けば自分にかえるは自明の理。ご用心、ご用心。
 さて、この貝新はその手は食わぬの桑名。焼きハマグリで有名なところ。ここに大型開発のイオンのような郊外型店舗がある。ここの工夫が秀逸。写真を沢山撮ったのでいずれ掲載。貝新も幾つもの分かれがあり、今日紹介するのは貝新フーズの「生あみ」これが美味い。関西方面の人間は佃煮として魚を保存する術をもつ。江戸時代、家康が大阪(摂州佃村)の漁師をこの佃島に呼び寄せ、優先的に漁を許し、将軍家の食前をまかなわせたのは有名な話。その保存食がつくだ煮だ。
この値段は安く、なおかつ美味いこれは、ユニバースで218円で販売中。四ヶ月の旅行中で発見した食べ物一番の折り紙を付ける。 食べ物は地方の文化を告げる。天下には美味いものが沢山ある。毎土曜、日曜はそれの紹介。糖尿病患者はそれを知る。なに、蟻のようなものだ? 蟻は巣に運び仲間と分けるが、こちとら意地汚いだけで、一人でこっそり食ってる。そして何食わぬ顔、えっ、口元にあんこが付いてる? 仏様の代わりにお供えを頂いただけだ。チーン。

2008年6月28日土曜日

綾小路きみまろ八戸市公会堂二千席一日で埋める


九月七日(日)一時開演の「爆笑スーパーライブ」 中高年に愛をこめて…マンネリ夫婦にときめきを、有効期限の切れた亭主、賞味期限の切れた女房…など、知らない人を笑わせつづけるきみまろが来る。
 この切符が27日に市内三ケ所、三春屋、さくら野、ラピアで前売り販売。これに長蛇の列。いずれも中高年が整理券を手にして販売開始の一時間も前からワイワイ、ガヤガヤ。
 景気後退など何処吹く風。人々は笑いを求めている。きみまろはアイドルなのだ。毎日、物騒な話、無能な政府、悪徳官僚のズルに飽き飽き。そんな中にきみまろが八戸に来る。二ヶ月も先だが、楽しみにする人々がいる。それにしてもきみまろも時代を画した。客を悪くいいながら人気がある。昔、4代目鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)ってのが、毒舌落語で有名だった。昭和三十年頃の人。高座にあがるなり、イカツイ顔で、「良く来たね、よっぽど家にいられねえ理由があるんだね」と銭払って寄席に来た客に毒舌を浴びせる。
 刑務所に慰問に行くと、「良く来たね、(高座での口癖だが、刑務所に慰問に来たのに気付いて)おめえら、お揃いの着物着てるんだから仲良くしろ」、これが愛嬌で人々に愛された。ヒロポン(覚せい剤)愛用者で脳溢血で倒れる。三年後にリハビリで復帰。59歳で没。江戸っ子の切れのいい味のある言葉を駆使した人だった。
 それから比べると、きみまろの話には毒が少ない分、多くの支持を得る。そのきみまろが公会堂二千席、一枚五千円で一千万円、一日で完売だ。凄い!

2008年6月27日金曜日

中心商店街に壊疽伝染


八戸は後発地区から壊疽が始まり、とうとう八 戸の中心商店街の三日町までやられた。八戸は十三日町が中心だったこともある。三日町が中心と呼ばれたのは戦後。
写真のビニールシートで覆われた一階部分、八戸に巨大なホームレス小屋が出来たのは、旧長崎屋。ここがラピア(郊外型店)として街中から一番先に逃げ出した。逃げ出したラピアは商工会議所会頭が開発。この時は行くな、行くなの連呼はなかった。ところがイトーヨーカドーの時は行くな、行くなとの大合唱。
だが、イトーヨーカドーが八戸に来る時は来るな、来るなと商工会議所が主導で猛反対。ここで再考しよう。今、八戸市が税金で建てる三日町の交流センターは、昔は三浦哲郎に関係する三万百貨店があった。ここを買ったのがジャスコ。八戸中心商店街に出店しようとしたのを、猛反対したのも商工会議所だ。八戸の商工会議所は八戸をダメにした張本人。それに嫌気をさしたジャスコがこれを転売。結句、八戸にこなかった。官営で中心商店街にビルを建設。これでは市税の七割を占める固定資産税が入らない。官営は社会主義、これで中心商店街の地価の歯止めになるのか疑問。
壊疽は除去しなければならない。ビニールシートの建物は地権者と行政は話し合い、代執行をして更地にせよ。更地にすれば進出する企業もあろう。代執行費用は固定資産税に上乗せして、長期で回収をはかれ。今こそダイナミックな発想をもて。それが出来るのは行政以外にはないのだ。

2008年6月26日木曜日

スクープ これが癒着の構造 中央卸売市場






「はちのへ今昔」が精力を注ぎ二ヵ月に渡り、中央卸売市場(青果)の市職員と業者との癒着(ゆちゃく・本来関係あるべきでない者同士が深く手を結び合うこと)を調査してきたが、とうとうその証拠書類を入手。
 業者との癒着がどのように展開されてきたかを一挙掲載。
ことの発端は平成13年に市役所が建てた冷蔵庫が経年し古くなり、それを取り壊したことから始まる。
規則で昭和52年から冷蔵庫使用料月額百万(昭和58年月額75万円に下げる)を市側は徴収してきたが、天井が高く冷蔵能力も低く、使い勝手が悪くこれを使用しないと卸業者等から申し出でがあり、これを業者側で撤去し、新たに業者側が冷蔵庫を建てるので土地を貸すように申し出でた。
この当時の市場長は川村隆氏、歴代の市場長を記載。
平成13~14年川村隆
  15~16年漆戸修
  17年   野坂哲
  18~19年高橋昇士
  そして今年度は中野氏となる。
冷蔵庫の建設費用はおよそ2億円とのこと。(松橋次長の弁)これを卸業者2社と中卸5社、計7社で協同組合を設立し、その組合冷蔵庫とし名称を「八戸市場冷蔵庫事業協同組合」所在地は市場内であるので河原木神才。代表理事には赤坂保信氏が就任。
ここで問題になるのは協同組合が建設した工場・事務所は固定資産税がかからない。これを活用し組合組織とした。建物は組合名義としても、土地は市側から借りなければならない。従来の建物を撤去し更地としたので、当然空地使用料を課される。それは1㎡当たり80円。冷蔵庫は1200㎡のため、年額112万円。これを免れるためにこんな手口を考えた。
それは行政側が建てたものではないから、行政目的外使用だと言い出す。この智慧は行政側がもち掛けたものだろう。
と、言うのは行政側が建てた、市場の目的にそった冷蔵庫を取り壊し、同じ冷蔵庫を新設した。どうして、それが行政目的外になるのだ。
なんでもいいから、1㎡当たりの単価を下げるために、行政目的外とすれば、新たな使用料計算となる。そこで「関係課と相談の上、56円」とした。つまり、80円の7割。
行政目的外使用料として、従来規則で定まった80円を改定することなく、新たな計算式を策定。これで年額34・5万円下げた。6年で207万でしかない。
こんなケチ臭い額より、固定資産税を合法的に免れた額の方が大きい。ところが出す銭は1円だって安い方がいいとなると、こうした手口を捻りだすもの。これがどうして市側がこれに加担したかというと、それは平成20年2月13日に八戸プラザホテル、クリスタルホールで午後4時から開催された「八戸中央卸売市場運営協議会」の議事録を入手したことで判明。
出席者は委員14名、川崎委員欠席、山田委員途中出席。市側から副市長菅原、部長印鑑よめず、市場長高橋、次長東舘、清水主査、藤谷主査、音喜多主査、石木田主事、大高主事。
案件2に八戸市中央卸売市場条例及び施行規則一部改正について
質問赤坂委員 (前略)、平成13年度に業界主導で建設した冷蔵倉庫棟の使用料について、今後どうなるのか
回答次長東舘 平成13年度にさかのぼることはできないが、施行予定である平成20年5月1日より「1㎡当たり月額80円」から「1㎡当たり月額30円」に減額となる空地使用料を適用する。
東舘の発言は明確に事実に反する。平成13年から目的外使用料として1㎡当たり56円を徴収していたのを隠し、あたかも施行規則通り80円を課していたような発言だ。これは市側としては、明確な56円徴収の根拠がないためこれに触れない。この発言のように80円を課していたなら、役人は逋脱(ほだつ・まぬがれること)させた分の207万円を弁償せよ。
市民は役人は正しい法の執行をしていると信じて疑わない。しかし、次長東舘の物言いは業者と結託し、さらにさかのぼってまで下げてやりたいと業者に迎合(げいごう・他人の意向を迎えてこれに合うようにすること。他人の機嫌をとること)している。役人はこうしたことはしてはいけない。
とってもいない料金を徴収したかのように装い、さらに下げるは言語道断。共に天を仰ぎたくない。汚らわしい存在でしかない。
業者と癒着するな。してはいけない便宜を供与するな。供与したものは役人が返却せよ。それとも、その見返りを貰っていたのか? すると収賄罪にあたる。市役所の外にいるから、目が届かない。おかしなことも誰の目にもつかないと思い込んでいないのか? 
すべてのことは数字が物語る。過去の事実は闇から闇へ葬れると思うな。市民は監視しているぞ。
 

2008年6月25日水曜日

市民に十五億円損をさせ手口汚い八戸市中央卸売市場 1


千分の四
千分の三
その差わずかに千分の一
ところが、それがたまりにたまって十五億円
もらえる金を貰わない、市役所職員は業者と癒着し十五億円の利益を供与したのか。
さて、本当に懈慢(けまん・なまけて事をなおざりにすること)か怠慢(たいまん・なまけおこたること。おろそかにすること。なおざり)かを調査した。
八戸市中央卸売市場は八食センター前にある。ここは青果市場、ここを設置したのは八戸市、設立には三十億円かかったという。
ここには青果卸会社が二社、花卉(かき)卸会社が一社と条例で規定されている。自由競争の資本主義社会に二社、一社と規定しているのは独占禁止法違反ではないのか、まあ、それは今回の狙いではないので問わないが、青果二社の売り上げは百九十三億円、花卉は十六億円、その各々の手数料収入は売り上げの八・五%で十七億七千万円。
八戸市は場所を貸しているため、条例で卸会社、仲卸、出店者たちから平米あたりで賃料を徴収。さらに、この売り上げの千分の四を上限として徴収するようにこれも規定。
実際には千分の三を徴収している。この額で市場が運営できないのは、設立当時から一般会計から毎年五千万円を投入している。
市場運営者であるところの市役所職員はこれを当然として、三十年間で十五億円を無駄に消費した。八戸市役所は私企業のために毎年五千万円を使わなければならなかったのか、もっと有効に五千万円を使うべきなのだ。
担当課の意識が薄いとこうした事態は必ず生ずる。総体に役人とはこうした根性の持ち主。だから平然と役人を勤められる。その原因は配置転換。今居る席も二年もすれば変わる。その間に改革、変革を起してはならないと心得る。それは先輩から押し付け、植え付けられるのだ。
役所に勤めて能力を発揮しようと若き情熱をもっていても、周りがそれに水をぶっかける。三年もたつと無気力な役人に作りあげられる。これが現実。さて、中央卸売市場だが、バブル期には売り上げは二百億を超えていた。この時期に千分の四を徴収していれば、かなりの収入となり、財源不足の八戸市の財政は潤っていたはず。
規則による徴収で一億六千万円の使用料を得た。これを千分の四とすると更に五千万円の収入増となる。
ところが、この使用料アップの相談を卸会社と会合を開いていない。市場が開かれてから三十年を経過した。その間、一度も相談をしたことがないというのは、条例を無視した行為だ。
景気は良かったり悪かったりを繰り返すものだが、八戸市は卸会社と相談もしない。良いときは良いなりに、悪いときもそれなりに、相談に応じるのが大家としての立場だ。
それをいいも悪いも同じ額を徴収するは、役人根性以外のなにものでもない。
バブルが弾けて景気後退、それも二十年の長期に渡る。八戸の中心商店街も閑古鳥が鳴いて、ビルを貸して渡世する者は苦労と困難、家賃も下がった。このように、景気が良い時は高く貸す、悪いときは安くするのが道理。
人間も建物も古くなると金がかかる。施設設置者は建物の維持管理に金を投入しなければならなくなる。老朽化に備えるための資金確保は当然のことだ。確実に経年し、市場はあちらが悪い、こちらが不具合と支障に故障と続々。
新品で誰もが入居したいときに高値をつけ、誰も見向きもしなくなれば安くする。これが原理原則。民間であれば適当に安くしたり高くできるが、役所はそうはいかない。
行政の目付け役は議員、その協議の場が議会。議会の承認なくして事は一歩たりとても進まない。大阪府知事が力んで泣いて、大騒ぎをしても情で動かないのが議会。
ここで条例を作り、実行は担当課がする。担当課が規則をつくり市長の決済を得る。そこで初めて規則が動き出す。すると、規則と条例はどちらが上に位置するか、それは無論、条例。
この八戸卸売市場が条例に違反しているわけではない。条例で千分の四を上限としていると規定したいるので、千分の三はその内でそれはそれで良い。しかし、者も物も古くなる。古くなれば金がかかるは自明の理。女性だって若いうちは誰しもちやほやされるが、婆になれば洟もひっかけない。花も洟にも値しないのだ。
すると、上限を制限しているが、その上限までを使用料として徴収する時期はいつが適当かとなるが、それは市場が機能し売り上げが上昇している時期を指す。
さて、条例で定めた上限以上に使用料を徴収した場合はどうなるか、これは違反でその定め以上は返金しなければならない。
さて、その逆はどうなるのだろ。つまり、条例で規定した内で使用料を徴収する。それは規則で決まっているからだが、その規則で定めた額以下に使用料を弾力運用した場合を問うている。
これは規則の運用違反となる。これを探したら、とうとう出た。業者に利便を与えた分を八戸市職員、中央卸市場担当者は返金せよ。この具体的事実は明日記載。

2008年6月24日火曜日

八戸図書館と八戸市図書情報センターとの関連



八戸図書館と八戸市図書情報センターとの関連
図書館の構成は職員9名、バイト6名
情報センターは職員1名、バイト3名
南郷図書館は職員2名、バイト3名
入館者数比較
図書館41万人
情報センター8万人
南郷図書館6万千人
南郷は住民6359人だから一人当たり9・6回来ている。八戸は24万市民で一人当たり1・7回と南郷は文化レベル高い。南郷は外に楽しみがないのか、素晴らしい数字だ。この原因は何かと南郷区の所長に問うたが不明。教育委員会に訊けとのことで調べてもらった。
すると、こども連れが日・祭日に来館、そこで児童書を借りる。南郷図書館は新しいので蔵書も手垢によごれていない。それが主婦層に人気の模様。その図書貸し出しは一般書14に対して17の貸し出し比率。その借りた本を八戸図書館で返却できる。八戸図書館で借りた本も南郷図書館に返すことができる。ところが、八戸図書館と情報センターでは、それができない。これまた、どういうわけだ。情報センターは離れ小島か? 
片方が出来てもう一方とは手を結ばない。それが八戸図書館のする事か? 住民の期待に応えてこその図書館、だから、利用が伸びない。伸びないのは職員の態度、改革する自意識の低下による。病巣は自己の中にあることを認識せよ。
さて、八戸駅、ホテルメッツの建物をうみねこプラザと呼ぶそうだ。そこに八戸市情報センターがある。一階部分で坪数は95坪。ここに年間八万人が来るというが、一日あたりだと220人ほど。西高校の生徒が勉強している。その利便を図るために机も増設したそうだが、利用人数的には寂しい。職員の話では行楽客の利用もシーズンにはあるそうだが、特色は映像資料の数四千本、なかには岩手銀行が寄贈したNHKの「私の秘密」高橋圭三が最初に担当し、番組の冒頭の挨拶では「事実は小説より奇なりと申しまして世の中には変わっためずらしい経験をお持ちのかたがたくさんいらっしゃいます」がきまり文句。高橋は知名度で参議院議員となった。岩手県花巻の出身、訛りをなおすためNHKの便所で必死に発声練習、どうも、どうも、高橋圭三です、で茶の間の人気者となった。中国人、それも広東などの人々が、日本人観光客がどうも、どうもと言うのを聞くとニヤリ、はい、どうもと言うと大笑い。それはどうもは毛が多い、はいは女性のあそこを指すから、はいどうもと言うと大笑いするわけ。
ここにはその他、「事件記者」などの貴重な映像がある。当時はビデオは一台三百万円もした。家庭にビデオが普及するのは昭和五十年代に入ってから。私の秘密は昭和三十年の開始。だから貴重映像はビデオに残らなかった。それがたまたまあったのだから凄いわけだ。当時を解説しなければならないのも、筆者も爺様になったと思わせるに充分。
さて、この情報センターを八戸市はJRから借 りている。二階部分の観光プラザ、市役所出張所の市民サービスセンターとを合わせて年間四千三百万円だ。管理費がどうなっているかを調べた。
情報センターは水道光熱費で八十三万、観光プラザは117万、市民サービスが十万で都合210万、更に清掃で280万円。これら合計で年間およそ五千万円が出ている。さて、この契約は当然、中里市制時代の遺物。いつまでこうした契約を実行しなければならないのか、調査の必要あり。
新幹線が青森に通ずれば、八戸は終着駅の名を外される。イカの町八戸を全国版にするにはイカなる手段方法がある? 考えさせられる残り二年余、奇策、秘策を捻り出せなければ八戸は記憶の底に埋没。更に、情報センターも存続の必要性も考え再考すべき、また新たに、いつまで借りる必要があるのかも論議すべき。それにつけても、八戸図書館と情報センターは離れ小島でなく、連携を考えるべき。

2008年6月23日月曜日

八戸図書館職員は意地糞悪い姑婆ァか小姑か

俗に木っ端役人のことばがある。木っ端はとるにたらないということで、正にそれがぴったりなのが図書館職員。これらは八戸市条例にも規定されない、規則をもって糞意地の悪いことをして、それを喜びと感じている。
これに対して教育部長、総務部長に整合性がないから改めるように申し入れたが、担当課からお答えをすると蹴られた。担当課の図書館がどう処理するかを興味深く待ったが、こいつらは無能を証明しただけ。
それは図書館にはコピー機があり、図書をコピーできる。今はどこのコンビニへ行ってもコピーできる。そもそもコピー機を購入しても一枚幾らで機械メーカーに使用料を支払う仕組み自体が妙で、これは違法ではないかと国会で問われたことがある。わが国は電子立国と呼ばれるくらい、世界でも突出した技術力をもつ。昭和四十六年、相撲の大鵬が引退、岩手県雫石上空で全日空機が自衛隊機と衝突、自衛隊員は生還するも乗客・乗員162名全員が死亡。当時は大騒ぎだった。また、この年は北原ミレイが「ざんげのねうちもない」で大ヒットを飛ばす。この頃だから、コピー機の希少性も認識いただけると思う。この頃のコピー機は今のような乾式ではなく湿式で濡れた状態で印字されて出たもんだ。(時代だなあ)
その年に八戸図書館規則が制定され、次の文言に無能図書館職員が縛られている。
第14条 館長は、適当と認める者に対し、図書資料の複写をさせることができる。
2 前項の規定により、複写利用をしようとする者は、資料複写申込書を館長に提出しなければならない。
そもそも、適当と認める者に対してとは何だ? 誰が適当と判断できる。また、適当とは適当だろう。筆者が問題にしているのは、コンビニでも八戸市役所内に設置するコピー機利用は資料複写申込書を必要としない。このことを楯に無能図書館員に市役所内と図書館では同じコピー機利用に違いがあるが、どうかと問うと、市役所内のコピー機は図書資料じゃないと言う。
それなら、図書館職員が中学生の女の子が友人のノートをコピーしようとしたとき、なんで断ったのかと問うた。木っ端役人はこうした糞意地の悪いことをして快感を感じている。所詮行政職員、司法職員ではないから、規則を楯にとるべきではない。
ここで読者諸兄にお知らせするが、法律・条令に違反すると処罰の対象となるが、規則に規定されるのは職員だけで、一般市民が違反しても何も咎められない。
ところがこれだ。まだ世間も知らない中学生にコピーできませんと断る。コピー機は金さえ払えばコピーできると思うのは当然だ。ところがダメ。ダメなのは無能職員の頭だ。
彼等が何でダメと言うか。それは友人のノートは図書館の図書資料ではないからだと、大ボケをかます。こんな大時代の規則は廃止しろ。三十七年も前の当時最先端だった電子立国日本の技術の結晶とて、いまでは誰でも便利にコンビニでも使える。ところが無能の頭は固くてどうにもならん。市民の利便を考え、時代に合わない規則を変えろ。規則変更は議会にかける必要もない。誰でも便利で親切な図書館の利用を願うものだ。
それに申し込み書を書いたら、それがどう利用されるのかを問うた。ただ積んでいるだけ。著作権問題が発生しないように積んでいるんだと。個人情報の塊だ。十和田税務署のように紛失するなよ、次の問題をもはらむ不要な文書を集めることより、簡素化し職員の数を減らせ。もっとも、こんなのしか居ないから図書館も指定管理になる。それも時代だ。

2008年6月20日金曜日

八戸に銘菓あり、その名を焼酎菓子と呼ぶ



八戸で一番古い菓子屋は嘉永三(1850)年創業の柏崎小学校近く立熊の立花、二番が湊柳町、武尾万寿堂の武尾で安政二年、三番が二十三日町の柴幸の柴田でこれも安政二年。それじゃ十六日町のたけやはとの疑問の出るところ、武尾徳兵衛は安政五年創業だ。つまり四番。
湊の長作堂は昭和七年、港村福は大正十五年、十三日町の清馨堂村福は慶応元年。この慶応元年に江戸で大火があり、浅草に住んでいた高村光雲が焼け出された。その時、雷門が焼けた。その後再建されずに昭和三十五年まで建たない。ところがこれを建立寄進したのが、経営の神様松下幸之助だ。大病を患ったが、浅草寺の管主の祈祷で一命をとりとめ、それで寄進だ。さすが大人物、やることがでかい。
さて、「はちのへ今昔」の推奨する八戸銘菓の焼酎菓子は、ウイスキーボンボンってのを、諸君はご存知だが、それの焼酎版よ。それを作っているのは朔日町、一松堂種市病院前のくらやだ。
開業は大正八年。先代が開業、今は二代目だが、後期高齢者の七十五歳、お名前は小湊秀男さん。この人が焼酎ボンボンの名人。弟さんは定年まで市役所に勤めたそうだ。
諸君はこの味を知るまい。これを知らずに八戸を語ることなかれだ。実に絶妙、言うことなし。冬の寒い日には歩きながら食べるだけで、遠い道も近く感ずる。夏の暑い日には少し味わうだけで、暑さ忘れて居眠りできる。
その功徳満点の焼酎ボンボン一箱250円。いやあ、こりゃうまい。食べてない人が気の毒に思える。この銘菓を教えてくださったのが八十八歳の筆者の彼女だよ。有難い、会いがたいだ。この世にどれだけはびこれるって…。年寄は滅びるように出来ている。後に残るのはで、若い人の働きやすい環境を少しでも整えるのが役目だ。
部下を殺して出世しようなんて根性の悪い市役所のなかの方にいる課長とか、意地くその悪いやっとこ部長などはどんどん潰して、若い衆に道を開ける。それが年寄りのおっせっかいな仕事で、小さな親切、大きなお世話だ。
まあ、色々あるけど、世の中美味いもの食って、風呂入って寝るのが楽しみなもの。ついでに教えるが、幸せは家族揃って三度食う飯ってのもある。喜びなんてのは何時でも足元にあるものさ。
この焼酎ボンボン車を運転して食うなよ、「はちのへ今昔」に唆(そそのか)されたと言われるのが嫌だから明記する。飲むなら食うな焼酎ボンボン。
八戸にはこうした隠れた名店がある。折にふれながら紹介する。もっとも、独断と偏見に満ちているのだが、それでいい、外に方法とてない。
世の中はそうしたもんせ。

2008年6月19日木曜日

はちのへ情報マップを有志で作成


(地域活性化のためのモバイルマップ)
 
「コンパクトメディア」という言葉があるようだ。A4用紙の約1.4倍の情報スペースで、折りたためば名刺サイズ、胸のポケットに収まる紙媒体。これが好評。
その理由はサラ金のティッシュペーパーと同じで、なんとなく捨てられない。これが携帯電話と連動してるんだと。八戸市内の若手経営者と八戸市職員有志が、地域活性化のため「絵図面研究会」を結成し、地域情報マップを作成。
この財源獲得に血の巡りのいい若い衆がむつ小川原地域・産業振興財団から、産業振興支援金200万円を引っ張り込み、自分たちの金を50万円、都合250万円で作成。
八戸屋台村「みろく横丁」情報を取り上げた。各屋台の連絡先、営業時間、定休日、お勧めメニューを掲載し、屋台村がよく分かる仕組み。なんでもかんでも良くわかるが、屋台にいる綺麗な姉さんの携帯電話の番号はわからない。
世の中どんなに便利になっても、色恋の道は誰も教えぬ迷路に小道だ。仲良くなりたい向きは古来より伝わる方法しかない。
それは足しげく通うことだよ。
そのマップの裏、ここには八戸の観光情報満載で、QRコードがついていて、携帯電話で読み取れば、アッと言う間に、マップにはない情報がさらに取得できるんだと。
Qで知ってるのはおばけのQちゃんだけ。こまかいことは分からない。詳しくは手に取ってごらん。
この手のマップは、黒石の「やきそばマップ」。五所川原では「津軽鉄道沿線散策マップ」。八戸市観光課は「横丁マップ」。弘前もなにやらした模様。今、話題の種がこの手のものだと…。イマイチ、年寄りには分かりにくいが…。

2008年6月18日水曜日

増加するのは死人、携帯電話にワーキングプアー

携帯電話基地アンテナに課税せよ
 税金は増える所から取るのが鉄則。今、八戸で増えているのはワーキングプアーに死人と携帯電話基地アンテナ。これは高さが十五㍍を超えると建築確認が必要となる。市役所に届けを出して所定の金額を納めれば建築できる。
 さて、出来たアンテナに固定資産税がかけられるが、これが消却資産で定率か定額で納税できる。これは企業が申告しなければ分からない。つまりしらばっくれて届けを出さないことがある。
ところが、八戸の税収の七割を占めるのが固定資産税の建築物。これは皆さんの住宅。こいつの税がきつい。
 このきつさを携帯電話会社にも味あわせろ。つまり、いいかげんな、企業任せの消却資産じゃなく、建築物として課税しろ。
その理由は皆さんは知らないだろうが、携帯電話に加入するとき契約書を作成。その中に一台あたり月額30円を払うというのがある。
 ことわれば使えないと思うのでイヤイヤ応諾するが、ここに落とし穴だ。携帯電話は今や一億台だ。つまり、毎月三十億円入る。一年で三百六十億円。
 この金に手を伸ばせ、八戸のアンテナは建築確認をとった物は百十基、資産税課では百三十基あるという、まあ、面倒だから百基として一基あたり月額十万円を課す。年額で百二十万円、それの百基だから一億二千万円。これが市税として入る。
 現状は、こうした考えがないから、固定資産税課は漫然と業者の申告書を見ている。その申告書たるや、八戸の何処に建っているかが分からない仕組み。八戸市だけで町名番地がなくても通る。これはおかしい、税法では所在地を書けとあるので、八戸市役所は規定通りの処理を怠っていると、資産税課に噛み付いた。税制では所在地と書いているのに、それを八戸市だけで済ませているが、これは職務に忠実な処理ではない。正しく執行し、所在地を確認し、アンテナがどのような状況下にあるか確認せよ。
 石油タンクは工作物といって、消却資産になっている。工場も同様だそうだ。人が住むかどうかで建築物と判断が分かれるという。筆者は企業が申告するのを鵜呑みにせず、八戸は条例でアンテナに課税しろと主張。だが、固定資産税課はああだ、こうだとはっきりしない。大体、固定資産税課は税法違反を犯す危ない課なのだ。と、言うのは固定資産税課は、税法にも書いてある、毎年一月には住居、建物を実地調査せよと規定しているのを実施しない。汗をかくのは嫌、楽して税をむしる精神が間違いだ。これが法律違反で固定資産税を返せと強烈に噛み付いた。これが行政を監視するきっかけとなった。彼等の言い分は年に一度、飛行機を飛ばして写真で確認しているとぬかした。実地調査ではないと色々噛み付いてくれた。その結果、航空写真を紛失しているのが発見など、八戸市役所は揺れに揺れた。
 アンテナは空調部屋を有し、電気も使用している。これらが石油タンクとは基本的に構造が違う。時代は変化している。徴税方法も従来の執行方法では時代に合わないのだ。
臨機応変で条例をもって徴税すればいい。業者の申告書を鵜呑みにせず、アンテナを精査しろ。業者は三本を一本と記載しているのかも知れない。つまり消却資産とするから、こうした間違いが出る。
英知を絞り、積極的に金持ちから高額な税をむしり、貧困者を救済せよ。富の再分配、これが税の基本。消費税は日本人にはなじまない。弱者も強者も一律は税の徴収精神の根源に反するからだ。

2008年6月17日火曜日

何を狙うのか、八戸市会議員定数削減案自民党内で急浮上

議員定数削減案急浮上
議員の報酬引き上げをお手盛りだと、議会を傍聴して垂れ幕を下げてやったのが、三十年も前になろうか。その当時の議員の数は四○名、報酬額は議長は二十八万円、それが六十八万になって二・四倍。議員は二十三万円が五十九万の二・六倍だった。
あまり貰いすぎて申し訳ないと二%下げた。消費税より悪い。それは平成十六年。議員の数も四人削減。そもそも議員は無報酬で汗水垂らして市民の為に議会で意見を述べるもの。昔八戸の助役は無給だった。
意見も異見も述べずに、議場で居眠りこいて報酬だけしっかり取るはこりゃイケン。遺憾の間違いだろ? そうとも言う。歳とってくると自分の知ってることだけが頼り、ところが婆さん、孫の機嫌をとろうと「このあもろなえみって可愛いね」「おばあちゃん、あもろなえみじゃないの、安室 奈美恵よ」言い負かされて悔しいそんな時、反撃するのが「そうとも言う」だ。
これは役に立つ、生意気な眼の周りが狸かパンダの厚化粧の孫もタジタジ。年寄りになると足腰弱くなる分、口だけは達者だ。負けるな老人、ご同輩。日曜日に東京に出かけた、電車でつり革に摑まっていると、若い衆が「どうぞ」と席を譲ってくれた。そういう歳になったダヨ。
さて、八戸市議会自民党の派閥内では、来年十月の市長選に市議会議員の補欠選挙がある。これは市議の長老、谷地さんが亡くなったことによる。ところが、この補欠選挙に出て当選するだろうと考えられるのが吉田じゅんいち氏。ご存知一票差で落馬。それに不服で八戸選管に投票用紙の見直しを願ったところ、用紙の数え直しをした。
投票用紙に何が書かれているか、他事記載ではないか、吉田姓が二人いるので、票がまぎれていないかと、再点検を願うも、票の数え直しをした。
ズレている。後から気付いたが、これは八戸選管では当然。何故? それは選管委員長はもと水産課長、魚をひと、ひと、ふた、ふたと数え直すのを得意とする。積年のクセはそう簡単には取れません。納得。
ズレ、天然ボケを不満として仙台高裁、そして最高裁で門前払いだ。気の毒を絵にかいたようなもの。ところが市民も是に同情。今度の補選では吉田じゅんいち氏の当選間違いなし。
ところが自民党はこれに不満だ。先日、坂本みちのぶ議員が自民党の会派から除名になって、放り出された。本人は除名ではない、任意で出されたと言っているが、何でも噛み付く悪いクセを会派からなじられ、それが直せないようなら、与党としてはふさわしくないと、ねじこまれ無理やり出されたと筆者は推測。
推測、憶測は実体と離れる部分も確かにあるが、色々ウロウロしてみると、これは間違いないように見える。そこに、気質、体質の似た吉田じゅんいち氏が来れば、当然自民党としては入ってもらいたくない。まして、追い出した坂本は一人ポッチ、気質が似てれば二人で新会派を作る可能性もあると、それなら、補選の前に定数削減を狙おうという意図が見え見え。
つまり、吉田氏に当選されるのが嫌な訳だ。それで定数二名の削減案。これを、上条幸哉氏が、言い出して、それに同調したのが大館恒夫氏、坂本よしひろ氏。
このままでは議員提案がなされようが、議会は自民党だけではない。当然、民主は自分の見識を持つ。すんなり通るかは疑問だが、市民としては定数削減は望むところ。
景気後退で、リストラ、倒産の冷たい風、議員や市職員だけが倒産、不況もどこ吹く風では腹立たしい。もっとも、こうした状況下では定数は二名削減なんてケチなことを言わず、どう? 半数で。半分に残るには、相当努力をしなければならない。
議員提案ばかりではなく、市側からの提案もありうる。八戸市民は見ている。本当に働く議員なのか、居眠りこいてる議員かは、議会傍聴すればすぐ分かる。あいつもこいつも、次の選挙じゃいらないヨ。

2008年6月16日月曜日

八戸で繁盛店のあるのは固定資産税の安い所だけ


八戸中心商店街は市役所に智慧のない連中のため衰亡した。付近の民営駐車場を税金で借り上げ、市民は無料で使用する。これをしなかった。しない理由は他都市にそのような例がない。ここは青森市か鹿児島市か。ここは八戸だ。人のことより自分を救え。その器量がないから他都市を引き合いに出す。
自分の町を守れず何処を守ると言うのか。ただでさえ、ヤマセだ地震だと災害の多い所。千葉学園あたりは道路が波を打っている。それでも平気で税金むしる。そんな税金をのがれる、少なく払う方法がある。それはバッラクを立てる。バラックとは掘っ立て小屋、若い人はそれでも分からないの。それならホームレスが住むビニールハウス。玉川、隅田川、荒川などに多く建つ。これらは床暖房。ビニールハウスに床暖房を敷く。
チョッと間違え、床にダンボール敷いたから床ダンボールだった。これらのホームレスのホームは、言ってる意味は正しいのだろうか、マアいい、しらばっくれて進もう、これらには税金がかからない。だから居住? 不法占拠できるわけだ。
マア、それと同じようなのが八戸にもある。戦後間もなく出来た焼け跡のバラック。板とトタンで出来ている。どうしてトタンと言うか? それは雨が降るのが良く分かる。降った途端に音がするから、トタン。
それは言わずと知れたみろく横丁。固定資産税が安いから家賃も安い、安けりゃ出る出る雨後のタケノコってなもんで、空きが出るとすぐ入る。今日はその店の中から、美人呼び込み娘のいる店を紹介。さくらこって店。キンキン入りのすいとんが名物だと。呼び込み娘はユーちゃんとアイちゃん。YOU&Iだ。本当はIちゃんは違う名前を言ったが、まあいいか、こちとら年寄りだ、いたわれ。
ここは昔、ツキウ洋品店のあった所、そこが閉店し、バブルの絶頂期に朝鮮人の宮本って男が買った。ところがこの男は金貸しもする不動産転がしもするで、バブルが弾けて自分が追い込まれた。船に乗せられて沖合いで沈められた、米軍の船に乗せられたなど色々の説があり、とうとう行方知れず。いまだに八戸七不思議のひとつ。
そこを取り壊し、いまの屋台部落が出来た。筆者が洟垂らしていたころはこんな店が多かった。路地で立小便、人も犬も同じ頃だ。芥川龍之介も立小便してて、塀だと思った所が木戸で、開いたので仕方なく立小便しながら歩いたってのを読んだことがある。ここも便所は一箇所、所詮八戸、気取っても木戸が開いて歩きながら…サ。

2008年6月15日日曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達


藤川優里市議を襲った悩み
美人市議として名を馳せ、ブログもパンクする勢いの藤川優里市議を突然、八戸市民オンブズが襲撃。その構成は代表山日誠一(五三)、副代表佐々木聡(三九)その他三名。
何故、藤川優里市議が襲われたというのか? それは副代表の佐々木聡氏は、藤川の後援会長。藤川の父は県議選に出馬し落馬、それではと、短い期間で市議選に出馬したのが藤川優里さん。ご存知トップ当選。この親子は売市の佐々木泌尿器科の職員だか役員に入り、積極支援を受けている関係。佐々木氏は藤川優里さんが当選し市議活動するのを当然支援するも、どこかで歯車が噛みあわないのか、二、三ヶ月前から方々で、同市議の活動に批判的発言を繰返す。
後援会長の意向にそぐわない言動、行動を不満に思っていたのだろう、何とか藤川優里市議を牽制(けんせい)する人物を探ろうと画策するも、適任者を見つけられず、今回のオンブズの動きとなった。
オンブズが狙うのは八戸市議会の政調費と行政調査費の情報開示。つまり市議がどのように政調費を食ったかを探ろうとするのだが、こんなことをすれば市議会議員全体を敵に廻すは必定。すると、市会議員の仲間から。もっとも、仲間って何? (由紀恵だろ、それは違う)の部分もあるが、とりあえず仲間は同業者と解していただき、それらからは総スカンを食うだろう。
藤川優里市議の立場を悪くする佐々木氏の狙いは何だろう。政治家を育てるのは長い眼でみな ければいけない。まして小娘だ。皆で庇(かば)い守る立場にいる。それに石を投げつける、議会全体に弓を弾(ひ)くじゃ、気の毒なのは藤川優里さん。
そもそも後援会長は議員になる、議席を維持するに全力を傾けるが仕事。議員に何を発言させる、議員を手足のように使うことは越権行為と言うより、刑事事件に属する。議員に我が方に利ありの発言をさせると請託にあたる。請託とは「政治家を含む公務員が、業者から、他の公務員に対し一定の職務行為を行うことを「あっせん」するよう依頼を受けること」、まさか、そんな意図はなかろうが、厄介なことに巻き込まず、立派な政治家になれるよう尽力してやれ。
ともかく、彼女の登場で八戸市議会も女性議員が三人、ひとりは滑りおちるのを爪立てて、かろうじて止めた。八戸を変えるには女性議員の登場からを標榜する「はちのへ今昔」には、佐々木氏の行動、言動は不可解千万、理解に苦しむ。

2008年6月13日金曜日

小林市長の抱える双子の悩み


行政の長はいつも睨まなければならない方角がある。それは市民? ちがう旦那の方だ。市町村はいつも二人の旦那を持つ二股めかけ。その旦那にいつも色目をつかう。めかけという語も差別語か死語になったか。エンコウと言えば若い人には理解されるか。
 まあ、それはどちらでも分かりやすい方でお願いするが、その、旦那の懐を狙う。つまり市長が狙う三日町の交流センターも、基本設計は終わったが、詳細は色々調整しながらという。この調整の語が役所は大好き。この調整金も旦那の懐の金の一つ。その外に県・国からの補助金、交付金がある。国の補助金目当てに建物を建てる。半額補助で、残りは自前か、県が四分の一を出すか出さぬかが悩ましい。
 役所は国の補助金を色目を使って捜しに捜す。そして首尾よくその金が手に入りそうになると、問題は県が足りない分を出すか出さぬかで悶着。
 それが、六十五億円をかけるハッサップ漁港整備。この県負担を渋られて市長は頭が痛い。それも水産課長の六月十一日の弁では解消したらしいが、全部ではなくマイナス四十度の冷蔵庫建設部分だけのようにも聞こえた。
 確認すれば良かったが、何しろ顔の大きい人で、布団でくるむ喋りをするので、こちらも疲れる。そこで議論がすれちがい、そこの確認を怠ったが、うまく行ったようだ。鼻の穴が広がっていたから。市議会の五戸議員が心配していた水揚げされた魚は市場でセリにかけられた後、搬出されない魚だけを超低温冷蔵庫に一時保管するそうだ。
 だから市場の売り上げになる。この国からの補助金も、なにしろ全国第一号だけに、理路整然と進行するのではなく、やれ、あの資料をだせ、この資料を見せろとややこしい。そこで水産課職員は農水省や県に走る。あまり忙しいと県だけに見当違いになりそう…。
 それをなんとかこなしながら。ここまで来た。最初に船を作り、こんどはそれが接岸する岸壁、漁獲した魚を受け入れる塔屋を立てる。魚をポンプで押し出し、それに人手が触れないで氷漬けにする。冷蔵庫に入れる、搬出車に乗せると、おおがかり。これらにそれぞれ予算がある。つまり補助金だ。それに前記の資料とくりゃ、それはもう大変。
 それなのに「はちのへ今昔」が訳の分からない事を言い出すのでボクちゃん、もう混乱の極み。議会は時間制限があり整然と進行するが、「はちのへ今昔」の追及は爺で暇を持て余しているので、無制限の予算特別委員会なみ。だから気をつかいます。それに高圧的なので血圧まで上がりそう…。
 と、踏んだり蹴ったり、だから情報公開の係りにお願い、「ウチの課には来ないようにして…」その気持ち分かります。筆者も爺になったので丸くなった。え? 
 そんな悩みがもう一つの交流センター、これも補助が、まだ固まらない。溶けそうなアイスクリームのようなもの。この表現にみたいだ、というのがある。昭和の初めは見たようだと表現した。馬鹿を見たようだ、が馬鹿みたいだと変化。何の関連もない。ただの薀蓄(うんちく・知識)。
 ともかく小林市長はめかけで色目、その挙句困っているのサ。本当に市民の為になるの? 交流センター。家賃とらないで税金投入するの? あの規模だと毎年二億二千万円は必要になるよ。前言撤回で家賃収入視野に入れることを進言。お前にだけは言われたくない? ハイ。

2008年6月12日木曜日

中央卸売市場と地方卸売市場の抱える根源的問題 1


中央卸売市場というのは農水省の許可を得て行政が設置できる。
地方卸売市場は県の認可を得て行政以外でも設置できる。
八戸にはこの二つがあり、中央は青果市場の八食の傍、地方は魚市場のこと。大雑把に言えば共に売上高は二百億。市場は常に出口と入り口を考えなければいけない。つまり生産者と購入者だ。窓際のトットちゃんの黒柳徹子は戦時中に八戸の近く東北線の諏訪平にいた。自然発生的に出来た青物市場をその眼でみた。三戸の青物市場の勃興期だった。八戸では大塚横町に八戸青物市場ができた。そこが手狭になり現在地に移転。この間にも小規模な青物市場が方々に出来てはつぶれ、中央卸売市場の整備となった。
行政が設置者となり、八戸青果市場は卸売業者となった。つまり地主の負担がなくなった。生産者から荷を集める、せり売りをし販売高に応じて家賃を八戸市に納める制度が確立した。その家賃が売上高の千分の三・五が魚市場。青物市場は千分の三。
双方とも会計が合わず魚市場は一億六千万円を八戸市におんぶしてもらっている。青物市場は五千万円足らずに抱っこしてもらう。おんぶに抱っこだ。観光協会は肩車までしてもらう存続意義の問われる場。
さて、市場は出口と入り口の問題と言ったが、魚市場は赤字の出方に問題があるのは水産課の問題意識ゼロでも取り上げたが、ここに十年以上も課長を務める者の意識の低さにある。世の中は人が動かす、だから担当課長は真摯に取り組まなければならない。
と、言うのも水産課長は出口の問題意識が薄い。八戸に準大手スーパーユニバースがあるのは知っておられた。そのUが買参人として魚市場に参入できない今の仕組みは江戸時代だと、昨十一日に水産事務所に出向いて噛み付いた。条例で七年待たなければならないと規定しているなら仕方がないが、魚市場条例を三回読み返したが、そのような記載はない。
新規参入者を認めろ、代金決済を仲卸に願っているので…、Uは現金決済ができよう、信用不安は皆無だ。
問題は魚の形状選別機を導入し、Uにも充分買える状態を作りだし、ハマ値を高くすることこそ、入り口の漁業家(生産者)にも良いことになろう。漁価が高いことを知れば県外船も寄るだろう。
すると、課長は選別機を導入すれば、魚に傷がついて加工屋は買わないと問題をすりかえる。
この課長は顔が大きい。デカイ面と言うのではないが、筆者は馬面、この課長のはやたら大きい。それが筆者に負けず、相手の言葉を布団でくるんでくる。相手が言葉を差し挟もうと、関係なしにくるんでくる。その押しの強いこと。元相撲か?
布団にくるまって寝るのを柏餅で寝るというが、課長も柏餅をつくらせりゃ上手だろう。
 こうした喋りは筆者も不得手ではないが、高圧的喋りは墓穴を掘る。散々喋らすと必ず齟齬(そご・くいちがい)をきたす。
 案の定、出た。出ればそこを丹念に突けばいい。ケンカには仕方がある。横柄に出ると、凹む者、横柄を気に入らず押さえつける者、これが水産課長、泣きをいれてその場を取り繕う者、これは小者によくある手合い。しょっちゅうこんなことばかりしている筆者は、手口を考えながら方々を歩いている訳ではない。ともかくデカイ相手を見ると噛みたくなる。年寄り女子供は親切にする。弱い人には助力、協力を惜しまない。
 まして、担当課の長が吐いた言葉は戻らない。手下がしでかした間違いを課長は取り繕うことができるが、課長がでかした間違いを拭うは部長の仕事だ。昨日の水産課長の間違いをここでは指摘しない。相手に自分の手の内を晒すは愚かだ。
 さて、この課長はUは仲卸と話し合いをしたのですかと筆者に問うた。ここがポイントだ。課長は仲卸業者からUの問題を聴取していた。つまりUからの申し入れを受けていないのに、筆者が余計なことを言って横車を押していると暗に示しているのだ。
 こんな程度の押しで凹むくらいなら堂々と論陣を張って出向いてこない。相手が何を言うかは、その場にならなければ分からない。分からないから怖い面倒だろ思えば、わざわざケンカに出向くこともない。家で布団にくるまって寝てればいい。そんなことで世の中は変わらない。ついでに教えるが電通には鬼十則ってのがある。世の中を変えるにはと思って、この鬼十則を読んでくれ。
仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
常にこうした心構えを持てばあせりも不安も全く無い。相手にどう合わせるかだけを考えて、言葉の端々を気をつける。言葉の尻に意図がある。更に繰返してくれば、これを押し付けたいと悟ればいい。当方も凡人、相手も同様だが、攻めると守るでは同じ力量でも守る方が難しい。これが兵法の極意。力量が等しければ守る方は必ず負ける。行政やでかい奴バラは必ずご理解くださいとくる。これは行政用語で黙れの意味。前向きに検討します。は前を向いていますので、言葉は理解できましたがやりません。言葉は丁寧だが俗に言う慇懃無礼だ。
さて、水産課長にはこう言った。
「午前中は中央卸売市場の開示だった。そこで分かったのは市場側はUの社長と定期的に会合を持っている。市場を利用してもらうにはどうしたらいいかを相談している。U側からは一時冷蔵保管場が欲しいと言ったそうだ。それについてどうできるかを検討中だと、しかるに魚市場はUとの話し合いを持ったのか、持たないは行政側からの働きかけがないということで、現状を放任するという態度でしかない。だから、水産課長を十年も務めておられるが、一向に事態の改善をみない。
 こういうと、言葉尻を捕らえて、だから今、岸壁を整備して攻めの漁業を考えて、どうのこうの。
なるほど、そうかも知れぬが、問題は出口を改良し、三十余年前はDDSCの看板を掲げてヨチヨチ歩きで、ニチイの地下に出店し、スーパーとして維持、持続できるかと心配しながら青年三浦社長が、老舗三万の看板を背負い、本拠地(今八戸市が交流センターを建てる場)をスーパージャスコに売却し、相続税を払って頑張っていた。小中野店、ニチイ店では収益は期待できない折、郊外型第一号店、根城が当たり、スーパーとして存続の基盤を築いた。これは我々爺と婆が、この眼で見た。
中央卸売市場開設にUも参加し買参人の理事長に三浦社長が就任したこともあった。ところが地方卸売市場は紹介したような大時代。零細な仲卸依存をやめられず、市場自体が崩壊の危機。このUに課長が足を運んでどうしたら魚市場の改革が出来るかと、中央卸売市場がしたような意見交換が何故できないと問うた。
すると又、切り返しだ。サンマは八戸では二十万トンしか処理できない。水揚げをしてもらっても捌ききれずに他の市場に陸送した。水揚げが出来る施設の整備が先だと。
我が論理に強制的に誘導するために、自分に問われた問題をすり代える。これもよくある手口で、抜本的問題解決ではない。そうした小手先細工ではなく、Uとの係わり合い、地元小スーパーなどの買手の厚みを増し、大量に出回った時、どの程度の冷蔵、冷凍で処理できるかを探ることも肝要だろう。
その大漁水揚げで処理できないサンマを、市民参加型でどうするかの問題提起もせず、ただ、市役所の水産課だけに秘匿せず、天日干しにするなどの加工業者の発掘も必要だろう。
三日町のさくら野デパートの地下食品売り場にも壊疽が忍び寄り、使用されていない面積が次第に拡大、そこの魚売り場のサンマの天日干の干物は一枚二百四十円、Uのサンマの干物は冷蔵庫干しで三枚二百九十円。いわずと知れたさくら野に軍配。八戸はかつてイカのカーテンといわれたほど天日干しの盛んなところだった。前沖にイカが押し寄せた。それらを武輪水産あたりが必死に加工し、零細な業者も追随。
雨が降れば天日干しは取り込みに忙しい、連日の雨天ではイカも腐ると機械で干すようになった。便利と引き換えに勤労意欲を捨てた。同時に味も地に落ちた。天日と機械じゃ天地の差。八戸と東京では日照時間は同じ。お天道様は等しく機会を与えている。これに再着目し冷蔵、冷凍したサンマなどを定期的に天日干しとし販売。しかし、これも静岡沼津の業者は廃業が続出。
儲からなければ業者はやめる。水揚げも減れば丁度いいのだが、自転車と同じで行政は一度開始した魚市場は中止できない。
利益追求業者と行政は違う。行政は十年先を見ることができる。その十年の間で起業し地域の特産物と化すことができる。ここが行政のダイナミックな力だ。ところが、中里、中村市長は港改革は口先倒れ、何もできずに降板。軸になる水産課長を得ることが出来なかった。「はちのへ今昔」が追求している八戸選管のいいかげん、この代表者が駒場賢一氏、これも水産課長だった。いいかげんな開票結果を呈したにもかかわらず降板し責任をとろうともしない。落選議員が不服とし最高裁まで持ちあがった事案だ。それに決着をつけることもなく、ノウノウと選管委員長を続けるは、何もせずに水産界の凋落を見過ごす人物だけに当然と言えば当然。
Uは必死の努力を三十年続け、県内屈指の優良企業、八戸水産界は二十年継続転落。企業の智慧、努力を貰い前進するべき、官民上げてやれ、机上の空論を戦わせる学者の出番は終わった。
行政が偉いのじゃない、一歩前進し困難を打開する姿勢を示せ。同じ市場で、中央と地方はこれほど違う。これが地方と中央の格差と言う。何?
それは違う? そうとも言う。

2008年6月11日水曜日

八戸市職員・市議会議員のあきれかえった不実3


市民の税金を投入している職員互助会、その金で市長は罰金を支払った。この互助会が運営しているのが、市役所旧館の地下職員生協。
この地下避難路(通路)まで一杯に商品をはみだし販売。これは消防法違反だからヨセと再三申し入れしたが、聞く耳もたない。
総務課で聞かないなら告発するぞと伝達。それから物を置かなくなった。
四十年前、十勝沖地震があった。その時、避難しようとした市役所の女史職員が屋外に出たとき、落下物で絶命。今度は避難路を塞いで八百屋お七を出すのかと苦情。
見て見ぬふりするのが大人だとすれば、それは共犯者。他がどう言おうと、落命するおそれを見れば注意喚起が肝要。この精神がこども家庭課に向けられた。
こども家庭課はかてが抜けた課だ。
女子供の言葉があるように、保護、扶助すべき弱い立場。これに手助けするのがこども家庭課。ここがボケでかてが抜け、こどもいか、子供以下だよ。
児童館に毎年一億五千万円ほど金が出ている。少子化の現在、のんびり児童館まで歩かせるか?
その間に久慈の元校長に狙われるぞ。七十五になっても、性の呪縛から離れられず、子供にまで手を伸ばす淫乱爺イがいる。
つまり小学校で学内保育をするのが一番。これが実際なされている学校を見た。八戸の教育委員会は小学校に空き部屋はないと間抜けた寝言を言う。寝言は起きている内は言わない。寝言は寝て から言え。起きて言うのはうわごとと言う。うわごと、たわごとは腑抜けが言う。
筆者が訪問した課で、嫌な奴が来たと思って愛想良くとニヤニヤした男がいた。
男はヘラヘラするな、諸君は侍だぞ、と注意したことがあった。陰間(かげま・おかまのこと)ならヘラヘラしなければ生きていけない。自分の能力で渡世するのが城勤めだ。侍は媚びないものだ。
さて、このこどもいかだが、ここは新館の奥、俗に言う吹き溜まりだ。ここは風通しが悪いのが決まり。ここが児童館の管理場。児童館は不要だ、学校保育を充実させろ。これが筆者の言い分だが、そうなると寝ぼけ教育委員会に管理をゆだねることになり痛し痒しだ。
まあ、教育委員会が目覚めればの話だが、すぐには改変しない課だ。名前は早く改変できそうだが、今日行くってぐらいだから、ところがボケだ。
そこでこどもいか課長から資料を貰った。存続が必要と言う児童館の利用状況を示すもの、その時、通路を塞ぐ書類の入ったダンボールの山。
「課長、あれは何たるザマだ。役所は自分の家じゃない、通路、廊下は避難路だ、確保する必要がある」
「ハイハイ、片付けます」
その足で総務課に行き、また担当課のルーズを指摘。大館市議のフラワーポットは総務課が実施。こうした担当課には注意喚起はできるが実施はできない。
そこで次の日出向くと、それが写真のザマだ。だからこども家庭課はこどもいかだよ。言われたことはその場限りのヘラヘラだ。台風だと思っているのだ筆者を。去れば忘れるサヨウナラじゃ、歌の文句じゃありません。
「はちのへ今昔」は忘れない。それにつけても情報公開開示の日を忘れるようになった。筆者も爺イになったもんだ。今年六十五のお爺さん、村の渡しの船頭さんは、でギッチラ、ヨッチラ、ヨタヨタよで、今日も役所にご出勤、ヨタヨタ。
それにつけても、後ろの孔雀の絵、これは寄贈されたものではなかったか、一票差で落ちた議員の票の再計算の時、中に入れず、この絵をしげしげと見たことがあった。あの時は玉田選管事務局長もピンピンしていた。ところが死んだ。人間一寸先は闇。
市役所に絵なんか寄付しても、この体たらく。つくづく役所って所は……と思うなア、ご同輩。
美術館に絵を寄付することを生涯の仕事にされた方を見たが、……
その志を無にするなヨとだけ言いたいもんだぞ。
さて、時代は変わり、変わらないのが市役所、昨日と同じことを今日も繰返すから、見えるものも見えない。児童館の時代は終わった。一億五千万、もっと困窮する人のために有効に使え。
困窮する人を見た。八戸市内の五三八人。これを救わず誰を救う。次回からは「はちのへ今昔」が本腰を入れて救済する困窮民、日本困民党の旗印をいよいよ掲げる。

2008年6月10日火曜日

八戸市職員・市議会議員のあきれかえった不実2


市民と一体、「はちのへ今昔」
昨日のブログを見た市民から通報、知らせを受けた「はちのへ今昔」は直ちに現場に自転車で急行。省エネで車に乗らないのではない、ガソリンが高くなって金がないので自転車になっただけ。
現場に到着して大笑い。
ナント、フラワーポットで武装し、スプリンクラーの前に車が置けないような措置がなされた。これを執行したのは市役所総務課、昨日、現場の写真を見せ、大館市議が違反行為をしたことを確認させた。
何故、総務課がすぐ動いたか、それは消防法違反のおそれあり。消防法は次のように規定している。
第18条 何人も、みだりに火災報知機、消火栓、消防の用に供する貯水施設又は消防の用に供する望楼若しくは警鐘台を使用し、損壊し、撤去し、又はその正当な使用を妨げてはならない
罰則
第39条 第十八条第1項の規定に違反して、みだりに火災報知機、消火栓又は消防の用に供する貯水施設を損壊し、又は撤去した者は、これを5年以下の懲役に処する
大館市議は破壊や撤去をしたわけだはないが、第5条の2 消防長又は消防署長は、防火対象物の位置、構造、設備又は管理の状況について次のいずれかに該当する場合には、権原を有する関係者に対し、当該防火対象物の使用の禁止、停止又は制限を命ずることができる。中略…
火災の予防に危険であると認める場合、消火、避難その他の消防の活動に支障になると認める場合又は火災が発生したならば人命に危険であると認める場合
これに違反すると懲役三年罰金五百万、つまり、消防はいかに人名を救う為の法を整備しているかだ。
それを大館市議は消防団の副団長の立場にありながら、消防法を犯していたわけだ。これは罪が重い。知らなかったから罰を受けないということはない。罰則を知ろうが知るまいが罪を免れることはできない。知りながら便利だから、他が停めないから消防設備の前に、消火活動を妨げるように車を置くは不届き千万。
消火に命をかけた消防署員を見た。武輪水産工場の火災の時、ここを消さないと延焼すると、一命を差し出しても現場を死守した根性のある八戸人がいた。
今でもそのことを思うと涙を禁じえない。その場にいれば危険を察知する。人間の本能だ。それを自制心で押し殺し、我が消さずに誰が消す、との意地と度胸が消火作業を続行させるのだ。
これが火消しの魂なのだ。今年の三月号にもそれを記した。
それら消防にたずさわる人間が、しかも要職にありながら、我さえ良ければ消火、消防はどうでもいいでは、消防団員は情けない思いをするだろう。長とも親分と慕う人間が、我さえよければ他はどうでもいいは思い上がっているのだ。
津軽の人殺し、南部の火付け、よく言われる言葉だ。高校野球の監督問題で火付けをした奴もいた。逃げた女房を忘れられず、白銀で小屋に火をつけて大火を引き起こした馬鹿もいた。
皆、自分のことしか考えられない病気人間だ。現代は神経を侵されている人間が多い。病の時代が到来したのだ。
市議会議員に、その病が伝染したとは思えないが、人の上に立つとの意識と心構えは必要だろう。自らが率先して悪さをするは改めるべき。こうしたことを助長しないために、総務課はフラワーポットを設置した。いいことだ。すぐやる課が総務課だ。

2008年6月9日月曜日

八戸市職員・市議会議員のあきれかえった不実


八戸市民の代表である市会議員には色々な人間がいる。誠実なのもいれば、酒色にふけって議員資格を失した者もいた。
市民の実情がどうなっているかを真剣に探り、困窮、困民の状態を知ろうとしないと、民意からは自然と離れる。
市議の基本は八戸をどう良くできるかだ。それを自分だけがいいでは、どうにもならない。というのは八戸市は市議会議員用に市役所裏の立体駐車場、三十六人分を毎月確保していた。この金が無駄だと噛み付いた。これは解消され議員は自前で駐車料を支払うようになった。これで物事は解決したと思っていたが、どっこいそうは簡単じゃない。
と、言うのも市役所新館の裏に水道企業団が貸す水道料金徴収会社と消防本部が入るビルがある。そこに私企業の水道料金徴収会社が無料で、車を十台ほど停めている。有料か無料かを水道企業団に聞いた。無料だというので八戸市は財政逼迫のおり、料金を徴収しろと水道企業団に申し入れた。
タダで停めようは不届き。我々市民が市役所の駐車場を利用する際に有料、一部企業の無料は聞こえません。
その新館よりに駐車場がある。市議会とアスファルトに書かれている。普段は停める車もないが、議会が開催されると車が停まる。誰が止めるのかを見ると荒川重雄市議を確認。自分の銭が惜しくてここに停めるのだなと確認している所に車が来た。すでに三台が占有している。スプリンクラー注水口のため、駐車ができないように車止めが置かれているが、それを無視して、はみだした格好で車が置かれた。ここは市議会の駐車場ではない、停めるなの車どめのある場所だと、車の下 を確認すると、車から降りてきた男が「何か用か」「ここは市議会の駐車場ではない」「迷惑がかかるか」「市議は有料で停めるようになったはずだ、ここに置かずに有料駐車場を利用しろ、そんな常識もないのか」
男は無視して歩いていった。平成二十年六月九日十時前のこと。早速総務課に出向き、その場は駐車できないことを確認。
その足で議会事務局に証拠の写真を提示して、議員に伝えろと言ってインターネットで市議の顔写真で男を確認。
それは大館恒夫市議だ。この男は消防団の重鎮、副団長、それがスプリンクラーの送水口を塞ぐのか。開いた口がふさがらない。
消防に発言力を持つ人間が消防活動を妨げるは愚の骨頂。
元来、常識のある人間はここに車を置かない。置かないように車止めがある。大きな移動式花壇だ。
この男は、ここは誰もそれを知って停めないのを悪用し、議会開催時間ぎりぎりを狙って車で侵入。秋葉原の車殺人事件が昨日あったが、あれも歩行者天国で車止めを無視して侵入。さらに刃物で殺人までしたが、あの犯人は青森市で小中高をすごした模様。それが大館恒夫市議とは何の関係もないが、そうした人をくった態度が問題なのだ。この市議は六期、荒川市議は七期だ。古くなれば水も澱む。新しい人の登場を強く望む。
また議会事務局も議員にここを利用しないように伝えよ、利用者負担の原則の有料駐車場を使うべきなのだ。議員は特権階級ではない。人に頭を下げられると思いあがるんだろう。それも長く議員をやっていると。
市民感情から離れてはダメ。議会開催中はバス利用をし、待ち時間の長いこと、市民は迷惑するのか楽しんでいるのかを確認せよ、市営バスを監視する立場でバスにも乗らずに何が分かるのか。
議会事務局は公用車を必要としない。すみやかにここを返却せよ。さもないと、こうした古狸たちにいいようにされる。茶坊主の議会事務局員が耳打ちしたんだろう。あそこにタダで置けますと。ところが、「はちのへ今昔」は巡視している。

2008年6月6日金曜日

時代錯誤・八戸水産課は江戸時代・問題意識ゼロ2

そもそも水産は特別会計となっている。特別会計の主旨は各個の事業や資金の状況を区分経理することで受益と負担の関係を明確化することで、一般会計から切り離し単独の事業とみなすことにある。
つまり、特別会計は役所の別会社の意味があり、ここは違う財布となる。ここに利益が出れば親会社の市役所に金を戻すべきだが、不肖の倅で金ばかり無心するようじゃ、別会社にした意味がない。市場長に任命されたものは少なくも、ドラ息子の名を返上するべく努力する、任命された期間内で会計の健全化に尽力する。これが役人の仕事だが、彼等にはその意識がない。
自分の在任期間はことなかれ主義で改革も改善もしようとしない。それが、役人根性の極みなのだ。
かつては水産は花形だった。昭和61年には七百五十億もの水揚げがあった。当然市場使用料も二千二百万も上がった。しかし、これを頂上として降下していく訳だが、その時に、このままでは使用料の確保が難しくなるとの判断がなされない。
ここに問題がある。変化していく状況は誰も止めることができない。それは年々老化する施設と人間の肉体との関係に似て誰もこれに抗することはできない。
だが、衰えを察知して次の手を打つことは可能なのだ。世界は今病んでいて、炭酸ガスの排出量を売買する時代、そんな見えないものにまで価格をつける発想が間違いといえば間違いだが、とてつもない発想の転換との認識もある。
魚市場の問題も、水揚げ金額にのみ目をやらず、特別会計の責任者としては、施設の老朽化に対する費用捻出を考慮すれば、青果市場の面積割り収入を当然考えるべきだった。
ところが、これを看過し今日に至った。ここまで来るとどうにもならない。魚市場の卸業者が二社いるが、これを一社体制にし、人員削減をし困難をしのぐ。そして時期の回復を待つ以外に方法はない。
解決方法は漁獲高を向上させる。しかし、八戸船籍の数は激減、まき網船もいなくなった。外来県の船を当てにする以外に水揚げ向上の方法はない。
新井田川にひしめきあった船は夢のまた夢。外来船の水揚げ比率は最大で半分程度に伸びることもあるが、でっこみひっこみが激しい。平成十八年度は半分だが金額にすると三割程度と、魚種による変化も見れる。
さて、魚市場の運営効率化を睨むのは必ずしも市場長の責任ばかりではない。運営審議会があり、このメンバーは市側から金を貰って色々と意見と智慧を出す。これが機能していないことも付け加えなければならない。
これが業者側にとって有利に作用したのが平成七年の条例改定で使用料率の下げ。円滑な市場運営を願うわけだから、必ずしも市側に有利な条件ばかりを審議する必要もないが、卸業者の人員削減などの組織再編、経費削減を促しての使用料率下げは理解できるが、それもなくして何の審議会か。構成員は次の通り。
学歴経験者
畑中哲郎、ご存知事なかれ主義者の集団、八戸商工会議所専務理事
浦山昭二、八戸港湾社長
服部昭、八戸大学教授、この人物が審議会会長
加藤純三郎、八戸市前経済部長
生産者団体
柳谷栄次郎、八戸漁協理事
川村嘉造、八戸機船底引き理事
熊谷拓治、八戸市イカ釣り理事
流通団体
大矢直、魚市場仲買人理事
三浦源次、魚市場加工仲買理事
酒井義男、新仲買人理事
卸業者
江渡代次郎、漁協理事
秋山光雄、八戸魚市場常務
市議会
越田巌、谷地先次郎、上田善四郎
これらの人間がどのような審議をしたかを知らぬが、卸業者の経営が苦しいからと手数料を引き下げた。審議会には毎年二十万余の報酬が出されている。審議会は青果市場の実情を知らないのか。そんな程度の認識しかない審議会が毎年開催されること事態が恐ろしい。
もっと問題意識を持ち、どうしたら八戸市の健全財政となるかを考えるべきだ。なかよし会ではないのだ。市民の税金をわずかとは言え頂戴する以上、市民のことを第一義に考えよ。こうした屁にもならない会が方々にある。青果市場の協議会がそれだ。これらも全くもってなかよし会で、手拍子で終わる。こんなことで一般会計からの持ち出しを容認できない。
前にも記したが、特別会計はそれなりの意味と意義がある。
総体に八戸はもたれあい主義で、明確、明瞭な物言いをする人間の足をひっぱる。それの最たる者が八戸商工会議所会頭の橋本氏、何もしないで勲章を貰った。何かするより何もしないほうがいいは、質屋の主人によくあるタイプ。
この橋本氏が何を八戸市にしたというか、何もしないで八戸中心商店街を崩壊に導いた。この男の最大の欠点は中心商店街を考えずに郊外型の店、ラピア出現に尽力したこと。商工会議所としては大型店の出現には来るな、来るな、それが町から出て沼館に行くと決まると、行くな行くなだ。
節操もなにもない。それは橋本氏が会頭にある立場でいながら、八戸の中心商店街崩壊の引き金を引いたことにある。
商工会議所がすべきことは、ラピアでも分かった通り、駐車場の無料化だった。八戸中心商店街付近の民間駐車場の役所による借り上げ、その金は税金で担うのだ。こうした発想の転換をせず我が利ばかりを狙った橋本氏は中心商店街を捨てて、郊外型に走り、それも思わしくなくなり、中心商店街の先祖代々の土地に靴屋部分を縮小し、コンビニが出現。貸したのか自営かは分からぬが、本業が盛業ならこうしたこともあるまい。
困窮したときに出るのが本当の智慧。その必死の智慧が八戸を支える。もたれあいでは生きた智慧はでない。橋本氏は影に回り「はちのへ今昔」を読まないように説得し、批判的言葉をいうと「はちのへ今昔」に毒されていると評した。そんなことは言論の自由だが、人の足を引っ張る暇があれば、八戸興隆の智慧を出せ。長く留まればゴミも澱みもでる。後続の若者が自滅して、なんとなく橋本体制が続いたが、勲章を期に引退も考慮すべきだ。
そこで、魚市場の手数料収入増加には方法があることを披瀝する。
入り口、つまり漁獲高の増、これは魚が寄ってこない限りにはどうにもならない。県外船の水揚げが多いが、売り上げ高は低い。金額ベースで低いのは、八戸の魚市場の仕組みのまずさに起因。
まず、出口の問題に着目しなければならない。
仲買人制度で八戸ではユニバースのような県内きっての優良企業が仲買人になれない不合理がある。
買参入をさせない仕組みが八戸魚市場には厳然としてあるのだ。新規参入者は7年待たなければならないでは、新規参入はさせないと等しい。象はお産に十年かかるというが、八戸魚市場は象か?
憲法でも職業の自由を言うが市側はこれを黙認している。市側は三者(卸業者・仲買・市側)でこれを決めているというが、金の支払いを新規参入者が出来るかどうかを見極めるために必要な期間だという。(六月六日水産課に電話確認)年商1千億円も上げるユニバースの何処に信用不安があろう。まして、彼には現金でのその場決済とて可能だ。貸す必要などないのだ。
その彼は東京や仙台から魚を買い付ける。八戸魚市場は閉鎖的で、新規買い付け人を拒むからだ。
流通の業界に大波が来た。
水産業会の本から抜粋する。
昭和四十年代の頃の話
魚市場にたまにやってくるスーパーマーケットのバイヤーは上客だった。いくら〈安いことはいいことだ〉のスーパーマーケットといえども、相場感は毎日サカナをみたり、触ったりして、㌔5円、10円の単位で値段を戦わせている、魚市場の人間にはかなわない。たかが5円、10円とはいえ、それだけの値差があれば、サカナがどっとその方向に流れていくのが相場の世界だ。
それだけシビアな世界に慣れた築地の業界人にとって、売る数量が桁違いで、しかも5円、10円程度の仕入れの違いは値入れ(利益率)の調整で簡単に吸収してしまうスーパーマーケットのバイヤーという者は今までみたことのない、特殊な人種だったのだ。バイヤーたちが気にするのは値段ではなく、サカナの数量が確保出来るかということだった。スーパーマーケットの特売のチラシに載った商品の欠品は絶対に避けなければならない事態だった。欠品すると、末端の店舗の鮮魚担当者たちが、わざわざ足を伸ばして買いにきた、主婦たちの突き上げに会うからである
一九七0年代の、〈初めにメーカーの原価ありき〉という流通の常識が、〈初めにスーパーマーケットの売価ありき〉となったのである。 このことにより、水産業界も大きく変わった。さらに、メーカーとスーパーマーケットとの立場の逆転は「価格決定権」にとどまらず、それまでメーカーが独占していたメーカーの「商品開発」の機能にまで及んだのだった。スーパーマーケットは消費者にもっとも近い段階の情報により、 「これならば、かならず売れる」という商品の規格・販売戦略などをメーカーに対して提案したのだ。水産加工業者にしても、こういった提案は無視出来なかった。
八戸魚市場は世の中の流れに逆行している。
新規買受人は巨大な財布を持ち、消費者を背中にして、型の揃った魚を買い集める。
それは広告に掲載した物は欠品できないのだ。これだけの値段でこれだけの量を売りますと保障しているから。
賭博場を考えよう。競馬を見ろ。馬券を買う人間が多ければ多いほど利益がある。売り上げの25%をピンハネするから。新規参入者が減り岩手公営競馬はダメになった。
絶えず新規で金を持ったオダン(旦那)が狙い目。八戸魚市場とて零細な青息吐息の業者の言い分だけを聞いて市場を閉鎖しユニバースのような大型な業者を入れないは、公営競馬岩手同様倒産の一途だ。
こうした大型業者は魚の型を一様にした物しか買わない。それには魚の選別機械を導入することだ。仲買は古いやりかたで、混入した魚に安い値段をつけ、選別して高く売りつける。こすからい商法で、現代的なものではない。
これは仲買だけが儲かる方法で、漁師は安く買い叩かれるだけでしかない。
仲買は漁師が選別しないから安いというだろうが、狭い船内でそんな作業はできない。これは八戸市側が魚の選別機を導入し、漁師に少しでも多くの利益を与える、また、卸業者にとっても、少ない資源が高値で取引されることにより手数料収入も増大する。
利益を上げられなくなるのは、いままで甘い汁を吸っていた仲買だけ。卸業者もいい。市側もいい、さらにユニバースなどの大手業者も直接浜から買い付けることができ、新鮮な魚を消費者に届けられる。
新潟漁港はこれをして高く魚を売っている。こんな簡単な図式が水産課に分からないはすもない。業者との癒着があればこそ、決断が出来ない。水産課は八戸市民のためになることをしろ。
日本の将来を見据えろ。そこにしか、水産業界の存続の道はない。
全国的な流れに背を向けて、八戸の水産も、水産課もないのだ。その根源となる、どの大きさの魚が何匹入っているかの、選別機の導入を拒む中卸の言い分を聞く時代は過ぎた。
明瞭、簡潔な時代に突入している。ましてユニバースは東北でも屈指の企業。これの参入を拒む八戸市条例はない。誰しも金払いのいい人なら、どうぞ参入して欲しいと要請、要望するのが道。
それを忘れて業者の言いなりになるな。もっと骨を持て、条例どおりに新規参入者を認めろ、江戸時代ではない。十組問屋は元禄の頃、今から三百年も前の話だ。それが本州最果ての青森県八戸にはまだあるのだから仰天。
長生きはするものだ。
脱線したが、水産王国八戸を取り戻すには奇策が必要となる。それに着目したのが小林市長。さて、その企みは上手く行くのか。次回は稿を改めて小林市長のたくらみを解剖。

2008年6月5日木曜日

お荷物・八戸観光協会自立できずおんぶに抱っこに肩車2

観光協会
補助金返納百七十二万、使いきれない金を補助してもらうな
八戸市は観光協会に補助金を出している。
総額で七千二百万円、
運営費1120万
内訳は家賃220万
給料655万
専務報酬216万
事業費1641万
内訳えんぶりキャンペーン72万
観光と物産キャンペーン270万
種差海岸野草群生地維持活用事業500万
旅行商品造成300万
観光事業ホームページ作成50万
コンベンション事業250万
年中行催事4500万
内訳三社大祭3800万
お庭えんぶり・かがり火390万
民俗行事具補修100万
なんだか分かったような分からない金が流れている。民俗行事具補修100万は神社にくれている。何を補修したのかも分からない。こんな金は不要だ。修理したなら修理代の領収書をとるべき。何も出さないのは行政は宗教に介入しない大前提に反する。
斎場の骨灰供養に一円も出さない八戸市としての整合性がとれない。亡くなった人の肉体の一部がゴミとして扱われていいのか、供養もしていないと噛み付いたときに市民課長が言った。行政は宗教行為には金は一円も出さないと。
ここで百万が出ているのはどういうことだ。神明宮30万、オガミ神社30万、新羅神社40万。この金は補助の対象外。支給の必要なし。
これらを観光協会経由で出しているから訳がわからなくなる。八戸市として補助するものは補助、観光協会がしなければならないものと色分けが必要だ。なんでもかんでも五名程度の組織に投げるから分からなくなる。簡素が一番。観光課で補助するものと観光協会で出すものと二分すべき。観光協会で断れないことは観光課で断ればいい。市民のためになる金は出すべき。それ以外は断固断るのが正しい。なぜ、観光協会と観光課と分離せよというと、五人の職員で扱うには仕事量が多い。前号でも述べたように600万のピンハネが欲しくて指定管理を受けているが、もともと少ない人員で大きなことをするから間違いがでる。それが、この補助金の返還だ。
補助金は必要だから補助してくれだ。いわば生活保護。それが不要な金まで出せじゃ役所は怒る。ならやらないとなる。
三社大祭の補助金を一律で山車にくれているが、これも考えもの。山車どおしで飾り物を融通している。なら莫大に出す必要があろうか、なければ無いなりに智慧が出る。後夜祭にも金が出ているが、必要な後夜祭なら山車組も自発的にやるもんだ。先鞭をつけるための金は有効だが、それをだらだら出すのも疑問。この後夜祭山車費用は26山車に40万で1040万の支出。
考えながら出すべき。つまり祭りが伝統的に三日が短ければ四日に延ばせばいい。神社が出ないと言えば、そこから切ればいい。自発的に出ないは当人の意思。尊重尊重。
いつまでも神社があぐらをかいていてはいけない。そんな江戸時代はとうに過ぎた。神明に祈っても殺されるときは殺される。寝てて殺される八戸市民が何人も出た。家族といえ安心して寝てられない時代なのだ。
信仰心が薄くなってきているから神社も金に困る。前近代的な祟りばかり言っててもラチは開かない。人が来てくれる仕掛けが大事だ。それを祭り見物の人垣開けて勝手に帰る愚行。こんな公徳心のない輩は参加させないのが正しい。神として敬われるような態度こそ大事だ。それでこそ神なのだ。それを担ぐ連中の心が悪い。本来の大衆から支持を得る方法を考えるべき。
さて、観光協会の話に戻る。平成18年度の決算書から判明するのは680万円の繰越になっている。補助金は全額使えきれないほど潤沢にある。決算で利益が出ているじゃ、補助金を800万は削減できる計算。
ギリギリで、更に市民の為に活躍するには補助が必要なら分かる。努力も尽力もせずに安易に頂戴、頂戴じゃ、金遣いのあらい孫を持っているようなもの。困る。
困ることには手を出さない。補助金カット!
自主努力をせよ。行政はいい加減な者を救済する場ではない。本当に必要とする者を助ける所が役所だ。観光協会にはまだオカシナ所があるが、面倒なのでこれでやめる。史跡根城の広場と博物館の受付業務は連動するべきと随意契約がなされた。これも妙だが、このところヤマセの風が吹いて筆者の風邪が治らないので中止だ。観光協会以外が史跡根城の広場を管理するべき。
観光協会にやらせて、マリエントも閑古鳥、それが指定管理が変わり利用者が増加。やる気と根気があるものが世の中を動かす。観光協会は優遇されすぎて、その有難みを失念した。これも会長が長く居続けたとがめ。
人に感謝し自分が仕事を出来る喜びを味わえ。市長もそうだ、市役所職員諸君も同様。「はちのへ今昔」も同じだ。行政に噛み付けるあり難さを感じつつ毎日をすごさせていただいている。有難くない? そういう人もいていい。だから世の中は面白い。面白くない? だからこそ世の中は味わいがある。

2008年6月4日水曜日

時代錯誤・八戸水産課は江戸時代・問題意識ゼロ1


八戸水産事務所の怪
八戸には中央卸売市場(青果・花卉)と地方卸売市場(魚介)の二つがある。いずれも赤字で青果は毎年五千万円、魚介は一億六千万円ほどが一般会計から補填されている。
どうしてこうなったかを見てみると、魚市場は昭和三年小中野町立湊川魚市場が嚆矢(こうし・はじめ)夏堀源三郎が昭和七年に八戸魚市場を設立し、湊川魚市場組合の業務を継承。
ここで解説すると八戸魚市場(岸壁に建設される建物は八戸市有。土地は青森県)八戸魚市場は株式会社で営利企業、八戸市はどうして魚市場を維持する金を得るかというと、営利企業の魚市場で水揚げされた魚をセリにかける。この取引金額を営利会社から提出させ、それの0・四%を八戸市に収めさせる。
脱線するが収める文字には予定していたものが入るという意味あり。
ところが漁獲高は最大から十七%に激減し、漁業家、加工家、市場、八戸市も困った。
八戸は港から拓けたと言った市長も滅び、八戸の漁業を考える頭脳を持った市長はその後登場しなかった。
ところが、総務省上がりの市長が登場し、水産振興を推進するべく港の老朽化に対し岸壁整備案を提出。この問題は後回しにする。
漁獲量の減少により、市側が取る0・四%が払えなくなったのだろう。条例を変えて0・三五%とした。これは平成七年一月一日。手数料減少を願うより営利企業の合理化を叫ぶべきだが、この点はどうだったのか。
さて、青果市場の手数料は0・三%と魚市場より低いが赤字の幅は魚市場より少ない。なぜ赤字幅が減少できているかというと、担当課の意識に違いがある。市場は広大な敷地を有するが、その使用料を青果市場は請求し、魚市場は請求していない。
青物市場の敷地使用料は九千万円。この差がモロに一般会計からの補填額となって出ている。
ものごとにはすべからく潮時があり、それを巧みに利用するからこそ、未来への資金を溜め込むことができる。それを見逃せば、困難な時を解消する智慧も軍資金もないという惨状に陥る。
これがまさに水産課のそれだ。
税は富の再分配、これが原則、だが納めたから苦しいときに手助けしてくれるとは限らない。だが、保険だと思えば腹もたたない。保険会社だって、保険金を支払わない時代だ。役所が手伝わなくとも文句も言えないが、払える時代に手数料を支払っておけば、払えない時に払えといわれるよりは楽。
今、「はちのへ今昔」が問題にしているのは、手数料条例に定められた徴収を市側がしなかったことを責めている。条例どおりに執行しないは市側の怠慢なのだ。
条例で市場の使用料を定めている。卸売場一時使用料、魚市場用地使用料などだ。どうして、同じ八戸の市場で青果と魚市場に大きな物の考え方に差がでたのか。
青果市場は三十年前に誕生した比較的新しい設備で、経済に対する考え方が明白で、魚市場は原始的な開業にあまんじていた所が在る。
市場が担う社会性より自分たちだけが生き残ればいい程度の問題意識が、いまだに尾をひいている。
担当課が作成しなければならない諸表も水産課はその責を果たしていない。岸壁を市側は青森県から年間千六百万円で借りている。借りている以上、どのように使うも自由。
青物市場は業者の車両駐車料を一台あたり千円を徴収。水産課はそれをしていない。水産課の職員も駐車料を納めていない。青果市場は担当課員も千円を納めているそうだ。
意識のありようが薄い。水産課は水辺にあるだけに水っぽいのだろう、脳内が。
問題意識の無い所には、どのように改革、改変を求めてもムリ。叫ぶだけ空しい。
青果市場の付属施設使用料等の内訳(業種別・施設別)表には真摯に条例を守り、それを執行しようとの努力が見えるが、水産課はそれすら作成せず、昭和七年当時のなんとかなるべ、程度の認識しかなく、諸表を作成し、使用料徴収こそ担当課の使命であるの認識すらない。
かかる状態は、漁業家と苦楽を共にする決意の欠如なのだ。良いときは良いなりに支払っていただく、悪い時は考慮する、これが行政の根源で、味噌も糞も一緒にする業者との馴れ合いもたれあいが事態を一層悪くするのだ。

2008年6月1日日曜日

小林八戸市長対応に不手際、選管の罰金を税金で払った?

選管から小林市長に飛び火
選管の所得税法違反を書くと告げたのが昨年十二月号。十二月一日から日本半周の旅行に出た。四月に返るべく原稿を四ヶ月分書いた。選管の所得税法違反が決定していたため、それをどのように処理するかを見極めたかった。そのため今日まで待ったが、八戸市会議員はロクなのがいないのが判明しただけだった。
それは何か、事態を追って解明してみる。
選挙の投票は市内の中学校などを使用して行なわれる。選挙管理委員会が最も存在感を発揮できる場。この投票所、開票所にアルバイトを配置。それに八戸市役所職員が当たる。当然、アルバイト料が支払われる。所得税法では(源泉徴収義務)
第百八十三条  居住者に対し国内において第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等(以下この章において「給与等」という。)の支払をする者は、その支払の際、その給与等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
第二百三十九条  偽りその他不正の行為により、第百八十一条(利子所得及び配当所得に係る源泉徴収義務)、第百八十三条(給与所得に係る源泉徴収義務)、…中略…の規定により徴収されるべき所得税を免れた者は、三年以下の懲役若しくは五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
と規定しているが、八戸市選管はこれをしなかった。人事課は年末調整をしたと寝言。源泉と年末調整に何の関係もない。選管がこれをしないと、首長の責任となる。つまり市長が源泉徴収義務者だから。
罰金総額百十八万余、正確な金額は忘れた。この罰金は歴代選挙管理委員会のズサンな対応による。また、更にそれを年末調整しているので間違いがないと盲信していた人事課の責任でもある。
選管の代表者は委員長の駒場氏、この人物は責任をとろうともしない。
気の毒な落選議員の吉田氏は裁判所に解決の糸口を求めた。最高裁まで行ったが、結果的には負け。勝利の一瞬はあった。が、紳士な吉田氏はそれをされなかった。それで、負けだ。
小林八戸市長は罰金を市役所職員互助会に支払わせた。互助会の金の半分以上は市民の税金。その金から罰金を支払ったのだ。
自分たちの措置が間違いで、それが積年繰返されていた。それを「はちのへ今昔」にあばかれて、罰金を支払うハメに陥った。
悪いことをすれば罰金を支払うは当然。それを市民の税金で支払うは何事か。選管委員長、市長、副市長、幹部職員の分担で支払うのが当然。それを互助会に支払わせたは首長の資格がない。
それを互助会の金を所管する人事課に問うと、互助会には財布が二つあり、一つは税金分、もうひとつが自分たちの財布。そこから出しましたという。その証拠は?
見せられません。
これでは回答になってなかろう。
つまり、税金で支払ったからだ。
それを知ってて、互助会に支払わせた小林市長は市民を愚弄している。市民は愚かでそんなことは気づかないと思っているのだろう。
八戸市がこの体たらく、青森、弘前も同様。きちんと処理していたのはむつ市、十和田市だけだそうだ。
この程度の認識の小林市長では、次の選挙は勝てない。役人根性が抜けないのだ。自分の金は出したくない。市民の金なら使うでは、首長としての資格に欠ける。しがらみがないだけ、しっかりした仕事を期待していたが、やはり誰がなっても同じなのだろう。下手な期待を持った方が悪いのだ。
この支払いを決定したのは小林市長。
だが、これを画策したのは選管事務局長の玉田氏と人事課長のようだ。これら二人で決めて支出したようだが、決済は市長がした。なぜならば市長は互助会長だから。
この図式がまずいと気づいたのだろう。十一月の互助会総会で会長を副市長の西氏にしたそうだ。追求の手を逃げようとしたのだろうが、そうはいかない。
互助会長を誰にしようと、しでかしたことは黒板拭きでも消すことはできない。
たかが、百万の罰金、職員の不始末は私の責任ですと、小林市長は何故言えない。自分も役人をしてきたのだから、そうした呼吸は知っているはず。
それを他人の懐を当てにするような情けない根性で何を前進できる。
当選したときもマニフェストしか言えなかった、言えない子の小林市長は、言えないどころか情けない、金に汚いずるい子悪い子、せこさもせこしのさもしい子なのだ。
こうした人間に二十五万市民の頭にいてほしくない。市民の範になる、朝から酒飲んで庁内を酒臭い息で歩いていたボンクラ市長よりよかろうと思ったが、金に汚いじゃ願い下げだ。
市役所二千七百人職員、その全部が優秀ではない。だが、確かに優れたのも数人いる。職員とて人間、間違い聞き違いは誰にもある。これは責めるな。肝心なのは過ちを改めることをはばかるなかれなのだ。過ちて改めざる、これを過ちという。
景気後退で国民の気持ちは萎縮している。後期高齢者医療体制で、年金から天引きの愚行で、国民の気持ちは自民党から離れた。
民主党の時代が必ず来る。来てもどれだけやれるかは疑問だが、自民よりはマシだろう。 
行政の目付け役の八戸市会議員もロクなのがいない。前からそう思っていたがつくづくそう思い知らされた。
行政は支出をする時、予算を組む、今回のような罰金は補正を組む。
補正には委員会での承認を必要とする。その委員会は十二月に開かれた。総務常任委員会で市側から提案された。
平成一九年一二月一三日(木)午前一○時一分~午前一○時五三分 
第1委員会室
質疑内容は
4項1目選挙管理委員会費は705万5000円、二七節公課費は一一五万二千円の増額補正で、選挙事務従事者手当に係る源泉徴収の処理誤りに伴う過去5年間分の不納付加算税と延滞税である所得税附帯税を計上するものでございます。
○立花委員長 これより質疑を行います。御質疑ありませんか。 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○立花委員長 御質疑なしと認めます。
「はちのへ今昔」はこの一一五万は罰金であることをご存知でしたか、同封のはがきに記載してご返送いただければ幸いですと出席委員(9名)に問うたが一人も回答しない。
その不届きな議員は委員長立花敬之、副委員長古舘傳之助、島脇一男、夏坂修、三浦博司、大島一男、山口広道、大館恒夫、荒川重雄。「はちのへ今昔」の返答しなければならないと法律に規定していないから好きなようにされるといい。市民の代表の意識が欠如している。今回の選管調査も駒場、玉田両氏の対応に立腹し徹底調査。市長が互助会費から罰金払って結末迎え、玉田選管事務局長は急死。定年目前で気の毒。さてマニフェストで停滞か前進かと言った小林市長、貴方のされることを見ると、停滞どころか後退で交代も間近だ。