千分の四
千分の三
その差わずかに千分の一
ところが、それがたまりにたまって十五億円
もらえる金を貰わない、市役所職員は業者と癒着し十五億円の利益を供与したのか。
さて、本当に懈慢(けまん・なまけて事をなおざりにすること)か怠慢(たいまん・なまけおこたること。おろそかにすること。なおざり)かを調査した。
八戸市中央卸売市場は八食センター前にある。ここは青果市場、ここを設置したのは八戸市、設立には三十億円かかったという。
ここには青果卸会社が二社、花卉(かき)卸会社が一社と条例で規定されている。自由競争の資本主義社会に二社、一社と規定しているのは独占禁止法違反ではないのか、まあ、それは今回の狙いではないので問わないが、青果二社の売り上げは百九十三億円、花卉は十六億円、その各々の手数料収入は売り上げの八・五%で十七億七千万円。
八戸市は場所を貸しているため、条例で卸会社、仲卸、出店者たちから平米あたりで賃料を徴収。さらに、この売り上げの千分の四を上限として徴収するようにこれも規定。
実際には千分の三を徴収している。この額で市場が運営できないのは、設立当時から一般会計から毎年五千万円を投入している。
市場運営者であるところの市役所職員はこれを当然として、三十年間で十五億円を無駄に消費した。八戸市役所は私企業のために毎年五千万円を使わなければならなかったのか、もっと有効に五千万円を使うべきなのだ。
担当課の意識が薄いとこうした事態は必ず生ずる。総体に役人とはこうした根性の持ち主。だから平然と役人を勤められる。その原因は配置転換。今居る席も二年もすれば変わる。その間に改革、変革を起してはならないと心得る。それは先輩から押し付け、植え付けられるのだ。
役所に勤めて能力を発揮しようと若き情熱をもっていても、周りがそれに水をぶっかける。三年もたつと無気力な役人に作りあげられる。これが現実。さて、中央卸売市場だが、バブル期には売り上げは二百億を超えていた。この時期に千分の四を徴収していれば、かなりの収入となり、財源不足の八戸市の財政は潤っていたはず。
規則による徴収で一億六千万円の使用料を得た。これを千分の四とすると更に五千万円の収入増となる。
ところが、この使用料アップの相談を卸会社と会合を開いていない。市場が開かれてから三十年を経過した。その間、一度も相談をしたことがないというのは、条例を無視した行為だ。
景気は良かったり悪かったりを繰り返すものだが、八戸市は卸会社と相談もしない。良いときは良いなりに、悪いときもそれなりに、相談に応じるのが大家としての立場だ。
それをいいも悪いも同じ額を徴収するは、役人根性以外のなにものでもない。
バブルが弾けて景気後退、それも二十年の長期に渡る。八戸の中心商店街も閑古鳥が鳴いて、ビルを貸して渡世する者は苦労と困難、家賃も下がった。このように、景気が良い時は高く貸す、悪いときは安くするのが道理。
人間も建物も古くなると金がかかる。施設設置者は建物の維持管理に金を投入しなければならなくなる。老朽化に備えるための資金確保は当然のことだ。確実に経年し、市場はあちらが悪い、こちらが不具合と支障に故障と続々。
新品で誰もが入居したいときに高値をつけ、誰も見向きもしなくなれば安くする。これが原理原則。民間であれば適当に安くしたり高くできるが、役所はそうはいかない。
行政の目付け役は議員、その協議の場が議会。議会の承認なくして事は一歩たりとても進まない。大阪府知事が力んで泣いて、大騒ぎをしても情で動かないのが議会。
ここで条例を作り、実行は担当課がする。担当課が規則をつくり市長の決済を得る。そこで初めて規則が動き出す。すると、規則と条例はどちらが上に位置するか、それは無論、条例。
この八戸卸売市場が条例に違反しているわけではない。条例で千分の四を上限としていると規定したいるので、千分の三はその内でそれはそれで良い。しかし、者も物も古くなる。古くなれば金がかかるは自明の理。女性だって若いうちは誰しもちやほやされるが、婆になれば洟もひっかけない。花も洟にも値しないのだ。
すると、上限を制限しているが、その上限までを使用料として徴収する時期はいつが適当かとなるが、それは市場が機能し売り上げが上昇している時期を指す。
さて、条例で定めた上限以上に使用料を徴収した場合はどうなるか、これは違反でその定め以上は返金しなければならない。
さて、その逆はどうなるのだろ。つまり、条例で規定した内で使用料を徴収する。それは規則で決まっているからだが、その規則で定めた額以下に使用料を弾力運用した場合を問うている。
これは規則の運用違反となる。これを探したら、とうとう出た。業者に利便を与えた分を八戸市職員、中央卸市場担当者は返金せよ。この具体的事実は明日記載。
千分の三
その差わずかに千分の一
ところが、それがたまりにたまって十五億円
もらえる金を貰わない、市役所職員は業者と癒着し十五億円の利益を供与したのか。
さて、本当に懈慢(けまん・なまけて事をなおざりにすること)か怠慢(たいまん・なまけおこたること。おろそかにすること。なおざり)かを調査した。
八戸市中央卸売市場は八食センター前にある。ここは青果市場、ここを設置したのは八戸市、設立には三十億円かかったという。
ここには青果卸会社が二社、花卉(かき)卸会社が一社と条例で規定されている。自由競争の資本主義社会に二社、一社と規定しているのは独占禁止法違反ではないのか、まあ、それは今回の狙いではないので問わないが、青果二社の売り上げは百九十三億円、花卉は十六億円、その各々の手数料収入は売り上げの八・五%で十七億七千万円。
八戸市は場所を貸しているため、条例で卸会社、仲卸、出店者たちから平米あたりで賃料を徴収。さらに、この売り上げの千分の四を上限として徴収するようにこれも規定。
実際には千分の三を徴収している。この額で市場が運営できないのは、設立当時から一般会計から毎年五千万円を投入している。
市場運営者であるところの市役所職員はこれを当然として、三十年間で十五億円を無駄に消費した。八戸市役所は私企業のために毎年五千万円を使わなければならなかったのか、もっと有効に五千万円を使うべきなのだ。
担当課の意識が薄いとこうした事態は必ず生ずる。総体に役人とはこうした根性の持ち主。だから平然と役人を勤められる。その原因は配置転換。今居る席も二年もすれば変わる。その間に改革、変革を起してはならないと心得る。それは先輩から押し付け、植え付けられるのだ。
役所に勤めて能力を発揮しようと若き情熱をもっていても、周りがそれに水をぶっかける。三年もたつと無気力な役人に作りあげられる。これが現実。さて、中央卸売市場だが、バブル期には売り上げは二百億を超えていた。この時期に千分の四を徴収していれば、かなりの収入となり、財源不足の八戸市の財政は潤っていたはず。
規則による徴収で一億六千万円の使用料を得た。これを千分の四とすると更に五千万円の収入増となる。
ところが、この使用料アップの相談を卸会社と会合を開いていない。市場が開かれてから三十年を経過した。その間、一度も相談をしたことがないというのは、条例を無視した行為だ。
景気は良かったり悪かったりを繰り返すものだが、八戸市は卸会社と相談もしない。良いときは良いなりに、悪いときもそれなりに、相談に応じるのが大家としての立場だ。
それをいいも悪いも同じ額を徴収するは、役人根性以外のなにものでもない。
バブルが弾けて景気後退、それも二十年の長期に渡る。八戸の中心商店街も閑古鳥が鳴いて、ビルを貸して渡世する者は苦労と困難、家賃も下がった。このように、景気が良い時は高く貸す、悪いときは安くするのが道理。
人間も建物も古くなると金がかかる。施設設置者は建物の維持管理に金を投入しなければならなくなる。老朽化に備えるための資金確保は当然のことだ。確実に経年し、市場はあちらが悪い、こちらが不具合と支障に故障と続々。
新品で誰もが入居したいときに高値をつけ、誰も見向きもしなくなれば安くする。これが原理原則。民間であれば適当に安くしたり高くできるが、役所はそうはいかない。
行政の目付け役は議員、その協議の場が議会。議会の承認なくして事は一歩たりとても進まない。大阪府知事が力んで泣いて、大騒ぎをしても情で動かないのが議会。
ここで条例を作り、実行は担当課がする。担当課が規則をつくり市長の決済を得る。そこで初めて規則が動き出す。すると、規則と条例はどちらが上に位置するか、それは無論、条例。
この八戸卸売市場が条例に違反しているわけではない。条例で千分の四を上限としていると規定したいるので、千分の三はその内でそれはそれで良い。しかし、者も物も古くなる。古くなれば金がかかるは自明の理。女性だって若いうちは誰しもちやほやされるが、婆になれば洟もひっかけない。花も洟にも値しないのだ。
すると、上限を制限しているが、その上限までを使用料として徴収する時期はいつが適当かとなるが、それは市場が機能し売り上げが上昇している時期を指す。
さて、条例で定めた上限以上に使用料を徴収した場合はどうなるか、これは違反でその定め以上は返金しなければならない。
さて、その逆はどうなるのだろ。つまり、条例で規定した内で使用料を徴収する。それは規則で決まっているからだが、その規則で定めた額以下に使用料を弾力運用した場合を問うている。
これは規則の運用違反となる。これを探したら、とうとう出た。業者に利便を与えた分を八戸市職員、中央卸市場担当者は返金せよ。この具体的事実は明日記載。