2008年6月27日金曜日

中心商店街に壊疽伝染


八戸は後発地区から壊疽が始まり、とうとう八 戸の中心商店街の三日町までやられた。八戸は十三日町が中心だったこともある。三日町が中心と呼ばれたのは戦後。
写真のビニールシートで覆われた一階部分、八戸に巨大なホームレス小屋が出来たのは、旧長崎屋。ここがラピア(郊外型店)として街中から一番先に逃げ出した。逃げ出したラピアは商工会議所会頭が開発。この時は行くな、行くなの連呼はなかった。ところがイトーヨーカドーの時は行くな、行くなとの大合唱。
だが、イトーヨーカドーが八戸に来る時は来るな、来るなと商工会議所が主導で猛反対。ここで再考しよう。今、八戸市が税金で建てる三日町の交流センターは、昔は三浦哲郎に関係する三万百貨店があった。ここを買ったのがジャスコ。八戸中心商店街に出店しようとしたのを、猛反対したのも商工会議所だ。八戸の商工会議所は八戸をダメにした張本人。それに嫌気をさしたジャスコがこれを転売。結句、八戸にこなかった。官営で中心商店街にビルを建設。これでは市税の七割を占める固定資産税が入らない。官営は社会主義、これで中心商店街の地価の歯止めになるのか疑問。
壊疽は除去しなければならない。ビニールシートの建物は地権者と行政は話し合い、代執行をして更地にせよ。更地にすれば進出する企業もあろう。代執行費用は固定資産税に上乗せして、長期で回収をはかれ。今こそダイナミックな発想をもて。それが出来るのは行政以外にはないのだ。