2008年6月12日木曜日

中央卸売市場と地方卸売市場の抱える根源的問題 1


中央卸売市場というのは農水省の許可を得て行政が設置できる。
地方卸売市場は県の認可を得て行政以外でも設置できる。
八戸にはこの二つがあり、中央は青果市場の八食の傍、地方は魚市場のこと。大雑把に言えば共に売上高は二百億。市場は常に出口と入り口を考えなければいけない。つまり生産者と購入者だ。窓際のトットちゃんの黒柳徹子は戦時中に八戸の近く東北線の諏訪平にいた。自然発生的に出来た青物市場をその眼でみた。三戸の青物市場の勃興期だった。八戸では大塚横町に八戸青物市場ができた。そこが手狭になり現在地に移転。この間にも小規模な青物市場が方々に出来てはつぶれ、中央卸売市場の整備となった。
行政が設置者となり、八戸青果市場は卸売業者となった。つまり地主の負担がなくなった。生産者から荷を集める、せり売りをし販売高に応じて家賃を八戸市に納める制度が確立した。その家賃が売上高の千分の三・五が魚市場。青物市場は千分の三。
双方とも会計が合わず魚市場は一億六千万円を八戸市におんぶしてもらっている。青物市場は五千万円足らずに抱っこしてもらう。おんぶに抱っこだ。観光協会は肩車までしてもらう存続意義の問われる場。
さて、市場は出口と入り口の問題と言ったが、魚市場は赤字の出方に問題があるのは水産課の問題意識ゼロでも取り上げたが、ここに十年以上も課長を務める者の意識の低さにある。世の中は人が動かす、だから担当課長は真摯に取り組まなければならない。
と、言うのも水産課長は出口の問題意識が薄い。八戸に準大手スーパーユニバースがあるのは知っておられた。そのUが買参人として魚市場に参入できない今の仕組みは江戸時代だと、昨十一日に水産事務所に出向いて噛み付いた。条例で七年待たなければならないと規定しているなら仕方がないが、魚市場条例を三回読み返したが、そのような記載はない。
新規参入者を認めろ、代金決済を仲卸に願っているので…、Uは現金決済ができよう、信用不安は皆無だ。
問題は魚の形状選別機を導入し、Uにも充分買える状態を作りだし、ハマ値を高くすることこそ、入り口の漁業家(生産者)にも良いことになろう。漁価が高いことを知れば県外船も寄るだろう。
すると、課長は選別機を導入すれば、魚に傷がついて加工屋は買わないと問題をすりかえる。
この課長は顔が大きい。デカイ面と言うのではないが、筆者は馬面、この課長のはやたら大きい。それが筆者に負けず、相手の言葉を布団でくるんでくる。相手が言葉を差し挟もうと、関係なしにくるんでくる。その押しの強いこと。元相撲か?
布団にくるまって寝るのを柏餅で寝るというが、課長も柏餅をつくらせりゃ上手だろう。
 こうした喋りは筆者も不得手ではないが、高圧的喋りは墓穴を掘る。散々喋らすと必ず齟齬(そご・くいちがい)をきたす。
 案の定、出た。出ればそこを丹念に突けばいい。ケンカには仕方がある。横柄に出ると、凹む者、横柄を気に入らず押さえつける者、これが水産課長、泣きをいれてその場を取り繕う者、これは小者によくある手合い。しょっちゅうこんなことばかりしている筆者は、手口を考えながら方々を歩いている訳ではない。ともかくデカイ相手を見ると噛みたくなる。年寄り女子供は親切にする。弱い人には助力、協力を惜しまない。
 まして、担当課の長が吐いた言葉は戻らない。手下がしでかした間違いを課長は取り繕うことができるが、課長がでかした間違いを拭うは部長の仕事だ。昨日の水産課長の間違いをここでは指摘しない。相手に自分の手の内を晒すは愚かだ。
 さて、この課長はUは仲卸と話し合いをしたのですかと筆者に問うた。ここがポイントだ。課長は仲卸業者からUの問題を聴取していた。つまりUからの申し入れを受けていないのに、筆者が余計なことを言って横車を押していると暗に示しているのだ。
 こんな程度の押しで凹むくらいなら堂々と論陣を張って出向いてこない。相手が何を言うかは、その場にならなければ分からない。分からないから怖い面倒だろ思えば、わざわざケンカに出向くこともない。家で布団にくるまって寝てればいい。そんなことで世の中は変わらない。ついでに教えるが電通には鬼十則ってのがある。世の中を変えるにはと思って、この鬼十則を読んでくれ。
仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
常にこうした心構えを持てばあせりも不安も全く無い。相手にどう合わせるかだけを考えて、言葉の端々を気をつける。言葉の尻に意図がある。更に繰返してくれば、これを押し付けたいと悟ればいい。当方も凡人、相手も同様だが、攻めると守るでは同じ力量でも守る方が難しい。これが兵法の極意。力量が等しければ守る方は必ず負ける。行政やでかい奴バラは必ずご理解くださいとくる。これは行政用語で黙れの意味。前向きに検討します。は前を向いていますので、言葉は理解できましたがやりません。言葉は丁寧だが俗に言う慇懃無礼だ。
さて、水産課長にはこう言った。
「午前中は中央卸売市場の開示だった。そこで分かったのは市場側はUの社長と定期的に会合を持っている。市場を利用してもらうにはどうしたらいいかを相談している。U側からは一時冷蔵保管場が欲しいと言ったそうだ。それについてどうできるかを検討中だと、しかるに魚市場はUとの話し合いを持ったのか、持たないは行政側からの働きかけがないということで、現状を放任するという態度でしかない。だから、水産課長を十年も務めておられるが、一向に事態の改善をみない。
 こういうと、言葉尻を捕らえて、だから今、岸壁を整備して攻めの漁業を考えて、どうのこうの。
なるほど、そうかも知れぬが、問題は出口を改良し、三十余年前はDDSCの看板を掲げてヨチヨチ歩きで、ニチイの地下に出店し、スーパーとして維持、持続できるかと心配しながら青年三浦社長が、老舗三万の看板を背負い、本拠地(今八戸市が交流センターを建てる場)をスーパージャスコに売却し、相続税を払って頑張っていた。小中野店、ニチイ店では収益は期待できない折、郊外型第一号店、根城が当たり、スーパーとして存続の基盤を築いた。これは我々爺と婆が、この眼で見た。
中央卸売市場開設にUも参加し買参人の理事長に三浦社長が就任したこともあった。ところが地方卸売市場は紹介したような大時代。零細な仲卸依存をやめられず、市場自体が崩壊の危機。このUに課長が足を運んでどうしたら魚市場の改革が出来るかと、中央卸売市場がしたような意見交換が何故できないと問うた。
すると又、切り返しだ。サンマは八戸では二十万トンしか処理できない。水揚げをしてもらっても捌ききれずに他の市場に陸送した。水揚げが出来る施設の整備が先だと。
我が論理に強制的に誘導するために、自分に問われた問題をすり代える。これもよくある手口で、抜本的問題解決ではない。そうした小手先細工ではなく、Uとの係わり合い、地元小スーパーなどの買手の厚みを増し、大量に出回った時、どの程度の冷蔵、冷凍で処理できるかを探ることも肝要だろう。
その大漁水揚げで処理できないサンマを、市民参加型でどうするかの問題提起もせず、ただ、市役所の水産課だけに秘匿せず、天日干しにするなどの加工業者の発掘も必要だろう。
三日町のさくら野デパートの地下食品売り場にも壊疽が忍び寄り、使用されていない面積が次第に拡大、そこの魚売り場のサンマの天日干の干物は一枚二百四十円、Uのサンマの干物は冷蔵庫干しで三枚二百九十円。いわずと知れたさくら野に軍配。八戸はかつてイカのカーテンといわれたほど天日干しの盛んなところだった。前沖にイカが押し寄せた。それらを武輪水産あたりが必死に加工し、零細な業者も追随。
雨が降れば天日干しは取り込みに忙しい、連日の雨天ではイカも腐ると機械で干すようになった。便利と引き換えに勤労意欲を捨てた。同時に味も地に落ちた。天日と機械じゃ天地の差。八戸と東京では日照時間は同じ。お天道様は等しく機会を与えている。これに再着目し冷蔵、冷凍したサンマなどを定期的に天日干しとし販売。しかし、これも静岡沼津の業者は廃業が続出。
儲からなければ業者はやめる。水揚げも減れば丁度いいのだが、自転車と同じで行政は一度開始した魚市場は中止できない。
利益追求業者と行政は違う。行政は十年先を見ることができる。その十年の間で起業し地域の特産物と化すことができる。ここが行政のダイナミックな力だ。ところが、中里、中村市長は港改革は口先倒れ、何もできずに降板。軸になる水産課長を得ることが出来なかった。「はちのへ今昔」が追求している八戸選管のいいかげん、この代表者が駒場賢一氏、これも水産課長だった。いいかげんな開票結果を呈したにもかかわらず降板し責任をとろうともしない。落選議員が不服とし最高裁まで持ちあがった事案だ。それに決着をつけることもなく、ノウノウと選管委員長を続けるは、何もせずに水産界の凋落を見過ごす人物だけに当然と言えば当然。
Uは必死の努力を三十年続け、県内屈指の優良企業、八戸水産界は二十年継続転落。企業の智慧、努力を貰い前進するべき、官民上げてやれ、机上の空論を戦わせる学者の出番は終わった。
行政が偉いのじゃない、一歩前進し困難を打開する姿勢を示せ。同じ市場で、中央と地方はこれほど違う。これが地方と中央の格差と言う。何?
それは違う? そうとも言う。