2008年6月11日水曜日

八戸市職員・市議会議員のあきれかえった不実3


市民の税金を投入している職員互助会、その金で市長は罰金を支払った。この互助会が運営しているのが、市役所旧館の地下職員生協。
この地下避難路(通路)まで一杯に商品をはみだし販売。これは消防法違反だからヨセと再三申し入れしたが、聞く耳もたない。
総務課で聞かないなら告発するぞと伝達。それから物を置かなくなった。
四十年前、十勝沖地震があった。その時、避難しようとした市役所の女史職員が屋外に出たとき、落下物で絶命。今度は避難路を塞いで八百屋お七を出すのかと苦情。
見て見ぬふりするのが大人だとすれば、それは共犯者。他がどう言おうと、落命するおそれを見れば注意喚起が肝要。この精神がこども家庭課に向けられた。
こども家庭課はかてが抜けた課だ。
女子供の言葉があるように、保護、扶助すべき弱い立場。これに手助けするのがこども家庭課。ここがボケでかてが抜け、こどもいか、子供以下だよ。
児童館に毎年一億五千万円ほど金が出ている。少子化の現在、のんびり児童館まで歩かせるか?
その間に久慈の元校長に狙われるぞ。七十五になっても、性の呪縛から離れられず、子供にまで手を伸ばす淫乱爺イがいる。
つまり小学校で学内保育をするのが一番。これが実際なされている学校を見た。八戸の教育委員会は小学校に空き部屋はないと間抜けた寝言を言う。寝言は起きている内は言わない。寝言は寝て から言え。起きて言うのはうわごとと言う。うわごと、たわごとは腑抜けが言う。
筆者が訪問した課で、嫌な奴が来たと思って愛想良くとニヤニヤした男がいた。
男はヘラヘラするな、諸君は侍だぞ、と注意したことがあった。陰間(かげま・おかまのこと)ならヘラヘラしなければ生きていけない。自分の能力で渡世するのが城勤めだ。侍は媚びないものだ。
さて、このこどもいかだが、ここは新館の奥、俗に言う吹き溜まりだ。ここは風通しが悪いのが決まり。ここが児童館の管理場。児童館は不要だ、学校保育を充実させろ。これが筆者の言い分だが、そうなると寝ぼけ教育委員会に管理をゆだねることになり痛し痒しだ。
まあ、教育委員会が目覚めればの話だが、すぐには改変しない課だ。名前は早く改変できそうだが、今日行くってぐらいだから、ところがボケだ。
そこでこどもいか課長から資料を貰った。存続が必要と言う児童館の利用状況を示すもの、その時、通路を塞ぐ書類の入ったダンボールの山。
「課長、あれは何たるザマだ。役所は自分の家じゃない、通路、廊下は避難路だ、確保する必要がある」
「ハイハイ、片付けます」
その足で総務課に行き、また担当課のルーズを指摘。大館市議のフラワーポットは総務課が実施。こうした担当課には注意喚起はできるが実施はできない。
そこで次の日出向くと、それが写真のザマだ。だからこども家庭課はこどもいかだよ。言われたことはその場限りのヘラヘラだ。台風だと思っているのだ筆者を。去れば忘れるサヨウナラじゃ、歌の文句じゃありません。
「はちのへ今昔」は忘れない。それにつけても情報公開開示の日を忘れるようになった。筆者も爺イになったもんだ。今年六十五のお爺さん、村の渡しの船頭さんは、でギッチラ、ヨッチラ、ヨタヨタよで、今日も役所にご出勤、ヨタヨタ。
それにつけても、後ろの孔雀の絵、これは寄贈されたものではなかったか、一票差で落ちた議員の票の再計算の時、中に入れず、この絵をしげしげと見たことがあった。あの時は玉田選管事務局長もピンピンしていた。ところが死んだ。人間一寸先は闇。
市役所に絵なんか寄付しても、この体たらく。つくづく役所って所は……と思うなア、ご同輩。
美術館に絵を寄付することを生涯の仕事にされた方を見たが、……
その志を無にするなヨとだけ言いたいもんだぞ。
さて、時代は変わり、変わらないのが市役所、昨日と同じことを今日も繰返すから、見えるものも見えない。児童館の時代は終わった。一億五千万、もっと困窮する人のために有効に使え。
困窮する人を見た。八戸市内の五三八人。これを救わず誰を救う。次回からは「はちのへ今昔」が本腰を入れて救済する困窮民、日本困民党の旗印をいよいよ掲げる。