2008年6月20日金曜日

八戸に銘菓あり、その名を焼酎菓子と呼ぶ



八戸で一番古い菓子屋は嘉永三(1850)年創業の柏崎小学校近く立熊の立花、二番が湊柳町、武尾万寿堂の武尾で安政二年、三番が二十三日町の柴幸の柴田でこれも安政二年。それじゃ十六日町のたけやはとの疑問の出るところ、武尾徳兵衛は安政五年創業だ。つまり四番。
湊の長作堂は昭和七年、港村福は大正十五年、十三日町の清馨堂村福は慶応元年。この慶応元年に江戸で大火があり、浅草に住んでいた高村光雲が焼け出された。その時、雷門が焼けた。その後再建されずに昭和三十五年まで建たない。ところがこれを建立寄進したのが、経営の神様松下幸之助だ。大病を患ったが、浅草寺の管主の祈祷で一命をとりとめ、それで寄進だ。さすが大人物、やることがでかい。
さて、「はちのへ今昔」の推奨する八戸銘菓の焼酎菓子は、ウイスキーボンボンってのを、諸君はご存知だが、それの焼酎版よ。それを作っているのは朔日町、一松堂種市病院前のくらやだ。
開業は大正八年。先代が開業、今は二代目だが、後期高齢者の七十五歳、お名前は小湊秀男さん。この人が焼酎ボンボンの名人。弟さんは定年まで市役所に勤めたそうだ。
諸君はこの味を知るまい。これを知らずに八戸を語ることなかれだ。実に絶妙、言うことなし。冬の寒い日には歩きながら食べるだけで、遠い道も近く感ずる。夏の暑い日には少し味わうだけで、暑さ忘れて居眠りできる。
その功徳満点の焼酎ボンボン一箱250円。いやあ、こりゃうまい。食べてない人が気の毒に思える。この銘菓を教えてくださったのが八十八歳の筆者の彼女だよ。有難い、会いがたいだ。この世にどれだけはびこれるって…。年寄は滅びるように出来ている。後に残るのはで、若い人の働きやすい環境を少しでも整えるのが役目だ。
部下を殺して出世しようなんて根性の悪い市役所のなかの方にいる課長とか、意地くその悪いやっとこ部長などはどんどん潰して、若い衆に道を開ける。それが年寄りのおっせっかいな仕事で、小さな親切、大きなお世話だ。
まあ、色々あるけど、世の中美味いもの食って、風呂入って寝るのが楽しみなもの。ついでに教えるが、幸せは家族揃って三度食う飯ってのもある。喜びなんてのは何時でも足元にあるものさ。
この焼酎ボンボン車を運転して食うなよ、「はちのへ今昔」に唆(そそのか)されたと言われるのが嫌だから明記する。飲むなら食うな焼酎ボンボン。
八戸にはこうした隠れた名店がある。折にふれながら紹介する。もっとも、独断と偏見に満ちているのだが、それでいい、外に方法とてない。
世の中はそうしたもんせ。