2008年11月15日土曜日

三日町の話2

ビル街への変貌
田名部 昭和三十年に、八戸にはじめて信号機がつけられました。今の丸光さんのあたりですね。その後、四十三年に「丸光」「緑屋」さんが進出してきまして、ともに現在にいたっているわけです。
鈴木 ツキウさんが昭和四十三年に唱えはじめた防災街区、これをうかがいたいですね。
月館 大型店がまだないころでした。建物も古くなったし町内で協同でやれば建築費用も少なくてすむ、魅力も増すと思いました。駐車場もつけられる等の利点もあります。それで都市の大きな建物などを見学して、五年くらい運動をつづけました。結局、空中分解
に終わりましたが、その後、一号として岩徳ビルができました。私は以前、洋服専門店で失敗していますので、考えあぐねた末、かって見学に行った自由が丘を思い出しました。今の協同建築のようなバラックに闇市が二、三十軒入って大変繁盛していました。どうせかまど返しするなら、三日町から裏通りへつきとおすということで味の名店街をつくりました。そうしたら岩徳ビルも儲かるし、魚町の方も繁盛するようになりました。
鈴木 それが八戸の三日町に不燃の大きなビルを建てるきっかけになったんです。当初の計画通りの理想的なものではなかったんですが、そういうものを作ろうという、大きな原動力になったことは確かです。それをさらに拡張しようと、ロー丁、十三日町の方も、最近では熱を入れてきています。その意味ではやはり三日町が先鞭をつけたことになるでしょう。
八戸の商売
月館 ジャスコの問題ですが、皆は悪い影響を及ぼすとお考えになっています。決してそうではないんですよ。出た方が三栄会としても活気づくし新しい客も呼べる。いいのではないかと思っています。三日町を二万坪の大デパートとして、それこそ共存共栄でやれば、プラスになるんじゃないですか。たとえば、歩道を越えて向こうへ渡るときでも、地下を通してとか、ビルに陸橋をつけるなどの条件でもっていけばいいんじゃないかと思います。(後略)
この月館さんの話に驚嘆、中村市長はジャスコ(イオンの前身)に来るなと宣言したが、なんと昭和四十九年にこの問題があったのだ。
 その場とは三萬の跡地。デーリー東北を図書館で見ると、昭和四十九年三月三日号に次の一文あり。
 大型店進出めぐり攻防
これ以上は絶対阻止
小売業界七日、ジャスコから説明
八戸市の小売業界は昨年来大型店進出阻止が大きな課題となっている。四日には大型店進出阻止対策実行委、続いて七日には商業調整懇話会が開かれ、進出を計画しているジャスコ側から進出に関する説明を聞くが、地元小売業界ではこれ以上の大型店が進出すると営業がなりたたないと、あくまで阻止の構えを見せており、大型店問題は進出の攻防で活発な論議を呼びそうだ。
 市商工会議所がまとめた八戸市の小売り、卸業の販売高は昭和四十七年で千六百七十五億八千万円、内訳は小売業は六百九十一億四千万円。
 進出が予定されているジャスコの建設、営業構想を見ると敷地面積約三千九百六十平米の中に地下一階、地上七階の店舗を建設、ジャスコが約一万平米を使用、営業することになっている。
 テナントの使用売り場面積は約八千平米、年間売り上げ見込みはジャスコ三十五億円、テナント二十五億円の合わせて六十億円が予想されている。計画通り売上があったとすると、市内小売業五千五百店の総売上の約一割を占めることになり、それだけ地元小売業者は市場を奪われることになると、大型店進出阻止実行委関係者は見ている。こうしたことから同実行委では商調懇でのジャスコ関係者の説明を受ける前に、大型店阻止に対する小売業界の意思の統一をはかり、商調懇では現状を訴え進出阻止を期待したい考えだが、進出阻止を訴えている関係者の中には系統上部関係団体のバックアップでジャスコ進出予定地を買い取り、八戸市都市再開発事業と関連させ、小売り業界が結束して「市民のためのショッピングビル」建設を進めるべきだ…との意見も出始めている。
 しかし、ジャスコではすでに建設申請を市当局に提出、建設認可も下りており、通産省の総需要抑制策、指導に協力、また資材の値上げなど客観情勢の変化から着工が延び延びになっているものの、四十九年度には建設に着手したい意向であるとも言われており、阻止に立つ地元小売業界と進出を目指すジャスコの両者、調整機関の三者がガップリ組み合うことになり、大型店進出問題は本格的議題となりそうだ。
 論議の商店は地元業界との摩擦をいかにしたら避けられるか、さらに用地買取など進出を食い止めるための具体的策をどれだけ打ち出し合意を得られるかで、近く開始される一連の話し合いが注目されている。
このジャスコがどうして進出しなかったのか? ここが不思議。