2008年11月3日月曜日

八戸商工会議所の大きな曲がり角

二千年「はちのへ今昔」十二月号から
 八戸商工会議所が窓口となり、募集をしているのが『えんぶり共済』。いかにも八戸の人々だけを集めるような名前付けであるが、これは八戸単独の共済などではない。郷土の芸能の名前を冠してはいるが、これは八戸での募集を容易にするためのネーミングで、八戸だけのものでもなく、八戸の人々のためだけを考えたものでは全くないのだ。
 何故、そんな紛らわしいことをするのだろうと疑問に思う人は道理のわかる人で、筆者はそれに気づかず、八戸でえんぶりの名前を冠しているのだから、これは八戸商工会議所が独自で運営しているのだと、勝手に思い込んでしまい、この退職金共済に入った訳だ。そして、従業員全員の退職金の積立を実施した訳で、高い配当と、積立金が全額損金になるとの触れ込みで、何のためらいもなく掛け金をしていた。
 ところが世の中は様々で、且つ複雑なもので、余り公言できないのではあるが、一寸したことを従業員が引起し、退職金で穴埋めをさせようとした。
 当然、八戸商工会議所に電話をして、解約を申入れた訳だが、係の電話をお知らせしますので、そちらに電話をしろと言う、少々ならず変だなと思いつつ、その番号に電話をすると、『商工会議所の共済です』と応答する。当然、商工会議所の別室か何かだと一人合点した訳だ。
 かくかくの事なので解約したいと言うと、係を廻しますというので、それを待つと、眼鏡を掛けた小男が来て、名刺を出す。それを見ると、商工会議所共済、日本団体生命と書いてあるので驚いた。
 何も驚くことはないのだが、筆者の頭にはえんぶり共済の文字が深く焼きついているので、アレレとなった訳だ。
 団体生命に入るのなら、筆者は絶対に加入しなかった。保険会社は外にも沢山あり、選択肢は山ほどあるのだ。何も団体生命をあてにしなければならない理由は一つもない。
 商工会議所が経営するえんぶり共済だと信じて入った筆者に落ち度がある。マア、仕方ないかと自分を納得させたが、次なる疑問が生じてきた。従業員の名前で掛けている共済のため、従業員の銀行口座に振り込むとの由、かくかくしかじかの訳で、会社がそれを不足分に充当すると説明しても、規則ですので、の一点張り。
 なる程、それも一理あると、それを承諾し本人から印鑑証明を受け取り、必要な手続きをして、その退職金共済の積立金は無事に、筆者の経営する会社に入った。
 こんな厄介なものなら、全員の契約を解約すると、全員脱会の手続きを取った。一度、各従業員の口座にその金が振り込まれ、それを会社が集め、退職時に支払うことにしたのだが、ここで、大問題が発生した。
 それは、一人の従業員の掛け金だけが振り込まれなかった。他の従業員は次々に、その返金になった掛け金を持参したが、一人だけ持って来ない。何かの都合で一人だけ遅れたのかと思っていたが、何時になっても持参しない。
 これは、その従業員が何かの都合で銀行に行かないのだろうと思っていたが、一向に音沙汰がない。事は金に絡む話なので、『あんただけ持って来ないけど、どうなってるの、銀行にお金が入っていないの?』とは、心臓に毛の生えている筆者でも言いづらいものだ。その人を疑うことになるからで、これは口が裂けても問えない。
 暫く待っているうちに、こんなことに気づいた。従業員としては、自分だけに筆者が掛け金を戻させないようにしたと、逆に疑っているのではないだろうかと。
 こうなってくると、双方が疑心暗鬼になる。仕事は経営者と従業員の心が一つになってこそ、良いものが出来るもので、それなしには、成り立たないものだ。
 そこで、日本団体生命に電話をしたところ、係がいないなど言いだしたので、所長に出てもらい、事を伝えると、顧客から解約の申入れがあれば、必ず、その通りに実施してきたし、その通りにしているとの由。
 さすれば、この事態やいかにと、筆者は斬りこんだ。筆者が腹を立てると、自分でも我が身が恐ろしくなる程に、頭の回転が良くなり、声は大きくなる。なにしろ明治大学の応援団にいたことがあるので、少々ならず声は大きい。
 この声の大きいのに辟易したのが青森県税事務所の八戸の支所だ。これは尻内の合同庁舎にあるが、いい加減な処理をして、本来取るべき筋合いのない税金を筆者からむしり取った。筆者に言わせると盗ったになる訳だが、その金を返せと怒った時だ。担当の係は前は福祉関係の仕事で、最近、税務事務所に来たばかりでよく判らず返答したとか、勝手な屁理屈を言っていたが、そんなことは納税義務者には何の関係もない。
事の始まりは納税義務もないのに納付書が来て、変だなと思って、相談に行くと、納税しろとの事。どう考えても腑に落ちないので、翌日、県税事務所長に電話すると、不在だとか何とか言うので、責任者とおぼしき人にその旨を伝えた。
 大阪の漫才師で『責任者出てこい』というのを得意の演目にしているのがいたが、悶着が起きた時には、八戸市役所なら課長の首根っこを掴むために、課長出てこいと言うのが良い。担当の人だと言った言わないの水掛け論に必ずなる。以前も、このことで、八戸市役所の税金の係と、やりあったことがあった。
 読者諸兄、ゆめゆめお忘れなきよう。八戸市役所とても油断がなりませんゾ。
 渡る世間は鬼ばかりだと、心に強く銘記していただきたい。親切な親戚の叔母さんのような人ばかりじゃない。知らなければ尻の毛まで抜かれるご時世だ。
 県税事務所で散々に怒鳴って、金は返して貰うことになったが、その時も可笑しかった。県が振りだした小切手を持参して来た。この小切手は青森銀行が支払うことになっているが、俗に言う横線で、その日のうちには現金化できない。自分の取引銀行に入れ、交換所を経由して現金になるので、二三日かかる。
 が、思い出して欲しいのは、税金は現金で支払っていることだ。現金は日本銀行券と呼ばれ、悪党だろうが泥棒だろうと、盗んだ金でも、拾った金でも、その額面には使えるのだ。が、この小切手は、その日に使えない代物で、ここで筆者は又も怒った。
 『税金は日銀券で取っているのに、その日に使えない不渡りするかも知れない小切手で支払うな』と、ここが、交渉事の面白い所で、相手の欠点は徹底的に追求することだ。中国の諺に『水に落ちた犬は叩け』で、相手が我が掌中に落ちた時は、いい加減な手心を加えてはいけない。
 八戸ワシントンホテルの『囁きブラザーズ』の時は、通産省まで足を運ばなかったので、囁いて歩かれたが、これを徹底的に叩いていたら、恐ろしくて、兄弟揃って囁いて歩くことはできなかったろう。返す返すも残念に思っている。八戸商工会議所の会頭だから、まさか、そんな囁いて歩くなどとは夢にも思わなかった筆者に甘さがあった。
 相手が誰だろうと、噛む時は徹底して、蝮かハブかと言われる程にひどく噛みつかなければいけないことを、囁きブラザーズの兄の橋本昭一氏から学んだ。今度噛む時は手心しないゾ。
 県税事務所には、小切手を現金に取り替えて貰った。相手が嫌な奴だナと思うようにしむけるのが交渉術の第一歩だ。印象にも残らない喧嘩はしないことだ。県税事務所の、その後の対応は迅速になったゾ。これを喜びと思うべきだ。相手は嫌な奴だから、何とか事を荒立てたくないので、腫れ物に触るようにする。そこが面白い。
 保健所にも窓口に横柄な女がいるそうで、何時かこの女もとっちめてやろうと手ぐすね引いているが、好機到来せずで、保健所に行く用事がなく残念無念、口惜しい話だ。自分のことを言われていると思ったら態度を改めヨ。さもないと、暇な時に行ってとっちめる。どの道、この号で『八戸今昔』は廃刊になるので、時間がたっぷり出来る。餌食になるのは間違いないゾ。転勤するなヨ。
 役人は転勤があるんで残念だ。所がオウナー社長は転勤がない。だから、ハシブンには絶えず眼を光らせている。これが楽しいんダ。
 ある男が筆者を蛇のように執念深いと言ったが、蛇は蛇でも青大将じゃない。口に毒があるので蝮かハブだ。ハブは蝮より毒性が強いので、事によると筆者はハブかも知れない。知れない?じゃなく、間違いなくハブだ? 有難うございます。
 てな訳で、筆者は日本団体生命に図らずも噛みつくことになった。何故一人分だけ、解約した金が払い込まれないのかと。
 所長が、その担当者の机を開けた所、一人分の解約の書類が入っていたとの由。つまり担当者は、解約を自分の意思でしなかったのだ。掛け金を払い込んだ人間の意思とは別に、自分の思惑で解約の手続きを放棄し、机の中に隠していたのだ。
 これには、思わず筆者もカッとした。何故、そのようなことをしたのかと、逃げて歩く担当者を捕まえて尋ねると、「私も営業でして……」
 つまり、全員の解約になると営業成績に響くというのだろう。顧客の利便を考えずに我が身の保身を優先するは拙い。
 解約すれば顧客じゃなくなるので、顧客でもない者の便宜を図ることはないと考えたのだろう。愚かな行為だ。これでは、商工会議所がすすめる共済の加入の足を引っ張る以外の何物でもない。何で、商工会議所はこんな愚かなことをする団体生命の肩を持って、商工会議所の会員に執拗に加入を呼びかけなければいけないのか。これには、それ相応の理由がある。徐々に教えるので、じっくり最後まで読むといい。
 さて、この団体生命の不手際と、馬鹿さ加減に呆れて、青森市から責任者を呼び出した。平身低頭して土産の菓子をくれたが貰わなかった。菓子が欲しくて言うのじゃない。団体生命から菓子を貰うのじゃなく、こっちが貸しを作っただけだ。
 この時も東京まで出かけて団体生命の本社に文句を言おうと考えたが、歳のせいか、出かけるのが億劫になり、やめてしまった。
 そこで、八戸商工会議所には斡旋した責任がないのかと、専務理事の畑中氏に面談を求めたが、言う言葉が素晴らしい。八戸商工会議所の会頭の橋本氏は、ホテルの不手際事件の際に筆者の顔を見ずに、壁に向かってシカトウ(鹿の十・花札の絵札)したが、同じように、専務理事の口から出た言葉はこれだ。
 『不手際があった事は認識している』
 国会の答弁じゃない。認識とは恐れ入った。言葉を継いでやろうかと思ったが、馬鹿らしくなってそのまま帰ってきた。
 詫びの一言もなかった。会頭が会頭なら専務理事もこれだ。自分の立場を認識できないのだろう。何故、八戸商工会議所はこんな体質になってしまったのか。その理由は簡単だ。
 ここに、八戸商工会議所の平成十一年度の収支総括表がある。
 これによると、商工会議所の会員からの会費の収入は一億九百万円。事業収入が二億一千万円となっている。交付金が一億五千万円。事業収入は退職会計、共済事業会計の合計が一億三千万円で、つまり団体生命からの割戻というか、手数料の収入が会費収入を上回る巨額を占めているのだ。交付金の中の相談所会計が一億四千九百万円で、これは国などからの援助なのだろう。つまり、会員の方に眼が行っているのではなく、日本団体生命と国の方に眼が行っているのだ。
 商工会議所に相談に行くと、それが実に良く判る。NHKが報道した、釧路の市役所が航空路の確保のため、冬場に観光客が減ると航空便の本数が減り、釧路市の先行きに不安が出るので、冬季の観光客誘致に市役所の金を使い、市内のホテルで観光客にカニ料理を提供する金を支弁した。さらに、飛行機代の一部も負担したと言うニュースだった。この内容を深く知りたい、八戸に新幹線が来る時に、この発想が生かせないものかと、筆者は八戸商工会議所に電話をして、釧路市がこのようなことをしているので、釧路の商工会議所に誰が主導権を握って推進しているのか調べて欲しいと電話に出た女性に告げた所、釧路市の商工会議所の電話番号をお知らせしますと言われて、電話番号が知りたいなら、電話局に電話をする、八戸の一市民からの電話に釧路の商工会議所が親切に教えるとは思えないので、八戸の商工会議所にそれをお願いしているのだが、間違っているか、と、問うた所、お待ち下さいと言ったなり電話に出てこない。この時も怒って、商工会議所に出かけた。不親切だったことを詫びると上司は言ったが、万事がこの調子だ。
 八戸市役所にも観光課はある。商工課もある。一体全体、商工会議所と市役所のそれらの課の違いは何処にあるのか。電話番号を知らせるだけなら、商工会議所は不必要だろう。
 今夏の小中野の太鼓フェスティバルに和太鼓の奏者を探す役が筆者に廻り、八戸商工会議所に相談に行った。それが記憶では七月の十日過ぎだったと思う。係の人に和太鼓を演奏するグループが軽米と天間林にあるそうだが、町おこしで、それらの演奏者が祭り等で演奏するが、該当の商工会に問い合わせて、責任者を知らせて欲しいと願った。わかりましたというので待つと、八戸観光協会が詳しいことを知っているそうで、八戸三社大祭が忙しので暫く待てとのこと。弱ったナと思っているうちに、顔の広い人が二、三人で手分けして探してくれ、無事に演奏者たちが判明。
 三社大祭が終われば、教えてくれるだろうと、商工会議所の回答を待ったが、その連絡が来たのが八月三十日。小中野の太鼓フェスティバルはとうに終わっていた。有難かった。
 昔の商工会議所は違っていたようだ。八戸の街は我々が動かすの気概があった。八戸商工会議所五十年史をみるとそれが良く判る。
 どこで、曲がったのか。それは昭和四十七年の四月からだ。共済制度がこの年に発足し日本団体生命を委託先とした。ここから、団体生命との二人三脚が始まった。
 ところが昭和五十六年に大蔵省から加入率が低いので制度を廃止するとの通達が出て、これを回避するために二人三脚に一層拍車がかかった。つまり、日本団体生命から割戻の手数料が入らなくなるのだ。その当時の金額がどの程度なのかは判らないが、かなりの額になっていたため、その資金源を断たれるのが恐ろしく、商工会議所は全面的に会員の獲得と共済制度の加入を促進した。
 この結果、それは達成され現在まで続いている訳だ。
 そして、他の生命保険会社にはない特殊なサービスが日本団体生命と八戸の商工会議所の間でなされている。が、これは単に八戸だけではなく全国的に日本団体生命と商工会議所が強く結びついて、その輪の中に八戸もあると言うべきなのだろうが、商工会議所の事業所データベースをオンラインで団体生命が利用できるようにした。
 つまり、商工会議所の会員の資料を日本団体生命はいとも簡単に手に入れることができる。これは特定の生保会社に対しての利便供与ではないか。
 その何処が悪いと言われると、社会通念上、企業の秘密に属することを、商工会議所は洩らしていると考えられる。この問題で、事を争うには弁護士との相談が必要になるが、その時間的余裕が今はないので、利便供与ではないかと言うだけに留める。
 その日本団体生命はアクサニチダンと名前を変えた。これもどうして、こうなったのかがよく判らないが、利益が上がらずにどこかと合併したのだろうか。最近の商工会議所のニュースはアクサニチダンと加入者の懇談会が開催され、経営的には何等問題はないと、アクサ側が言ったと掲載されていた。問題がないなら、とりわけ強調する程でもなく、名前を変える必要もなかったのではと思えるが、筆者はその席にいた訳ではないので、何とも判らない。
 この大不況で日本団体生命の運用成績も悪くなり、新規加入で一年未満に共済から脱退する場合は元本を割ると、その解約した金を払い込まない事件の当時、説明があった。これは、この大不況だけに仕方がないような部分もある。それは認める。それ以前に、商工会議所へのリベートが多額で、それをやめれば、共済加入者はもっと効率の良い待遇も得られたのではないだろうか。
 二人三脚の商工会議所と日本団体生命の蜜月も、この大不況で、少々、歩調が乱れているのではないだろうか。団体生命は商工会議所に新規加入者を紹介し、その見返りとして商工会議所の会員の共済を一手に受け、商工会議所のデータベースを自由に見ることを得る。巧い図式だが、割を食っているのは共済加入者ではないのか。中間搾取が大きくて、本来得られるだけの配当が減額されてはいないか。
 この日本中の商工会議所と団体生命のもたれ合いをどの新聞社もマスコミも報道しない。これはタブーにでもなっているのだろうか。筆者はそんなことは知らないが、狭隘な八戸だけを見ていてもそう思う。全国には賢い人達も多い筈だが、誰も言わないと言うことは、言ってはいけないことだったのかしら……。急にオカマ言葉になるのも可笑しい。
 更に驚嘆するのは先程示した商工会議所の平成十一年度の収支決算総括表で、下段の人件費の欄をご注目。二億六百万円になっているが、商工会議所の人員は三十八人、それで割ると一人当たり五百四十二万円だ。こんなに年収がある企業が八戸市内に何社ある?
 商工会議所の職員になろう。絶対に倒産はない。何しろ、交付金と団体生命の割戻などの事業収入で三億六千万円にもなるのだ。全体の六十五%が、これらで占める。絶対に倒産がない理由がこれだ。商工会議所に所属する企業は倒産の危機はあるが、商工会議所自体は倒産しない。これも妙。
 この八戸商工会議所の決算書類の明細を見れば、もっと細かな金の流れが見えるだろうが、商工会議所では、その冊子をくれなかった。この総括表だけをコピーしてくれただけだ。会員にも見せないのは、何かあるのだろうか。あるいは、『八戸今昔』に書かれたくない部分があるのかも知れない。これはあくまで推測の領域。
 この後、調べた所で判明したのはアクサはフランスの会社で、外債で損を出した団体生命を支援した。それでアクサニチダンとなった。商工会議所という公的機関が一、私企業だけにオンラインで会員情報を提供するのは、どう考えてもまともじゃない。他の生保・損保にも同様に開放してこそ、公的機関の意味がある。なかなか、そうはさせないだろうが、このままの状態では癒着以外の何物でもなかろう。
 会員の獲得に奔走するのは『商工会議所から参りました』と言う団体生命の職員で、その恩義が商工会議所にはあるのだろうが、会員を獲得しても、会員からの相談にのらないような体質では、折角、獲得した会員も脱会するのは間違いない。商工会議所は親会議所などの呼称をされ、実際の意見の掌握は青年部などに任されるが、人をタダで使い、自分は方向づけだけするのが商工会議所の役目なら、こんなものは必要ない。自ら会員のために汗水垂らすの努力なしに、今回の大事業である新幹線の八戸延伸を軸に、街を活性化し、観光都市に変貌を迫られる、この百年に一度の好機も、みすみす逸する。それは、とにもかくにも、商工会議所の我が身忘れての努力がないからだ。場当たりの観光案内冊子を発刊するのが精々だろう。