2008年11月25日火曜日

羽仁もと子、西有穆山を訪ね取材12

九月十六日付
穆山和尚の教え(二)
世の中に立て仕事を仕様とすれば、其仕事が大きければ大きい丈関係が広くなるから思はぬ好都合が湧いて来ることも有る、代りに叉なかなか故障も起るものだ、思ふ事が外れたというて其度に失望したり自暴になったりする様なことでは一生何事も出来るものでない、大きな事業に限らず日々の些細な事でも十二分にいつたら斯う、中位ならば斯う、悉とく外れたら斯うと先づ其一番下等な所に度胸を定めて事に当ると心の中に充分の余裕が出来て、我ながら甘くヤつたと思う事もあるものだ、古しえの武士でいうと命を棄ててかかる所だ、兎角世人はそうでない初めから出来そうに思はれぬ事までドーカ旨く行って呉れればいいと曖昧な所に一生懸命に望を繋いでゐるから狼狽へて仕損じが多い、運も果報も心一つと云って宜しい、一生の間の一部分の僅かな月日を費やして為る仕事ですら決心というものは斯程に大切なのに、一生を人間らしく送らうとするに一つの確乎たる信念がなかった日には立派な生涯は到底送られるものでない、私の為めには母は菩薩善知識であった、母があれだけの気性を持て呉れなければ私は人間になれなかつたかも知れぬ、子供というものは母親の教一つで立身の礎を据ゑるのだから、呉々も女の人は常日頃確乎とした気性を持て、決して子供を緩く扱ってはなりません、女はただ温柔しくありさへすればいいいと云うことはドーモ受取れん話だ、わがまま勝手は男にも女にも禁物だが、女だからと云ふて毒にも薬にもならん様では決して頼母しくない 終