2008年11月16日日曜日

三日町の話3

 ここで総ざらいをしてみる。「はちのへ今昔」は昭和三十年から八戸を見直して、今、六月号は昭和三十一年、しかし中心商店街にとっては、大事な年は昭和二十六年十二月十三日、この日、南部トラック跡地に八戸初の百貨店が誕生。
昭和二十六年十二月十一日 デーリー東北新聞
 しのぎを削る商戦 デパート出現に狼狽
資本金二千万円、地元投資家の中島石蔵氏を社長とし岩手殖産という大バックに恵まれて十三日開店の運びとなった丸美屋デパートの出現はさしあたって八戸商人にとっては一大脅威である。盛岡の川徳デパート直系で仕入れるため、高い八戸商品の売れ行きに影響することは当然でしかも歳末を控えての開店とあってはなおさらのことであろう。
 しかしこのデパートの出現は地方民待望のものであり、これに刺激され呉服、洋品類を始め地元業者が中央直仕入れなどデパートに負けないサービス本位に転換されていくこともまた必至で、丸美屋デパートの開店は八戸商品の価格表示に画期的な改革をもたらすものとして購買層はこれを心から歓迎している。
 商工会議所の「大歳の市」は参加店二百店を突破するものとみられるが、専門店会では本年掉尾(とうびまたはちょうび・最後)の大サービス「甘辛づくし景品付き大売出し」を今十一日から二十一日まで二十日間にわたって行う、これは買い上げ百円毎に福引補助券一枚を進呈し、補助券五枚で福引抽選券一枚となる仕組み特賞に砂糖二十六貫入り五本呈上とあるから甘党にとってはすばらしい魅力となるわけ。地域的には二十三日町、小中野、鮫あたりがすでに連合大売出しの計画を明らかにしており、湊は本町と柳町がしのぎを削る競争を展開する。また陸奥湊駅の「暁市場」も大館村のそ采類を主力としてかつぎ込まれ、山の幸、海の幸の激しい交流がミナト八戸の歳末風景に特徴ある彩りを添えている。
十三日町に登場した八戸初のデパート丸美屋は南部トラック会社跡に建った。
デパート名を公募し、丸美屋に決定。
公募入選者名は一等賞金五千円 八戸市小中野北横町中村義勝殿
二等賞金千円 山伏小路 大里征夫殿
小中野新丁 澤上政吉殿
三等五百円 八幡町 鳥畑鴻次殿
          木村みどり殿
      大工町 古川ノリ子殿
昭和二十六年十二月十四日
 デーリー東北新聞
丸美屋デパートきのう華々しく開店
 八戸十三日町中央に新築中だった丸美屋デパートは十三日華々しく開店した。この日デパート前には色とりどりの花輪が飾られ、十三日町角まで開店を待つ人々がワンサと詰め掛け時ならぬ賑わいを呈した。
 店内は一階に化粧品、ネクタイ、食料品、菓子、家庭雑貨、家具、二階は衣料、呉服、服地、玩具、和装雑貨で六万五千円の振袖や一万五、六千円のお召しなどがご婦人の人気をよんだ。三階は文具と大食堂、売り子さんもグリーンに白線の入った制服で愛嬌たっぷりのサービスぶり、クリスマス年末年始を控えて店内は老幼男女の人波に埋まった。 デーリー東北新聞
昭和43年6月27日デーリー東北
風雲急!八戸商戦夏の陣
あす二デパート開店
地元イメージアップで対抗
新産都市・八戸の商業地図を大きく塗り替えるとみられる県外資本の大型二店があす二十八日そろって開店する。仙台に本店を持つ「八戸丸光」と全国四十チェーンの月賦販売「緑屋」で、ともに中心街に大型のデラックス店舗をかまえ、商品の陳列も終わってオープンを待つばかり。地元の小売り業界にとっては脅威だが、商業界が近代化へ脱皮するための試練ともいわれる。一般消費者にとっては「東京センスの買い物ができる」と大歓迎。大型店の進出で八戸商業界はどうなるのか。夏の商戦のスタートに合わせた大型店の開店と夏の商戦を展望すると…
割引セールも花盛り
「えらいことになりそうだ」というのが商業関係者の受け取り方だ。新産業都市としては発展を続ける八戸市の商業界が、いつかはくぐらなければならない関門であり、きたるべきものがきたともいう。とにかく既設のデパートはもちろん、小売店の規模をはるかにしのぐ大型店が、競って二店同時に開店することで、業界はとまどっている。
 八戸「丸光」、八戸市の年間売り上げ(小売業)の六分の一に匹敵する年間四十億の売上が目標といわれるから、既存の小売り業者への影響は免れない、というのが一般的な見方である。「家族連れで楽しいお買い物を」と売り込んでいる。
 一方、緑屋も「東京センスの買い物を月賦で」と年間の皮算用は高い水準であり、買い物からレジャーまでというこれまでにないシステムのもの。
 大型店の進出に対処する地元業者はどうか…。まず、店舗の増改築が盛んだ。衣料品のM、呉服店のO、雑貨の数店など、店内の改装や増築で新しいイメージをつくり、客足の吸収に懸命。三日町かどに靴、カバンの専門店が進出するうごきや、Mデパートの売り場面積の拡張計画など目抜き通りの商店街は今後も変わりそうだという。一般消費者にとっては歓迎すべきことだが、大型店の進出に対抗したと見られる「割引セール」や大売出しが花盛りで、いかにも「戦国時代」を思わせる。
 「既存の小売店にも激しい商戦を生き抜く手段はあるはずだ」(八戸商工会議所)は忠告する。

昭和四十三年六月二十九日デーリー東北
まるでお祭りさわぎ
「丸光」「緑屋」開店
どっと五万人の客
八戸駅前まで人の波続く
八戸「丸光」と緑屋八戸店が二十八日そろって開店した。八戸初めての大型デパートの開店につめかけた買い物客はざっと五万人。時ならぬ人出に町はごった返し、交通がマヒするなど「お祭り」以上のにぎわいだった。「丸光」「緑屋」の営業開始は八戸商店界に転機をもたらし、異様な熱をおびて夏の商戦がスタートした。
交通マヒ、迷子も続出
 大型デパート、八戸「丸光」はこの日午前九時半開店したが、新装なった同店の三日町通り入り口でミス・ワールド代表の外山智香子さんも花を添えて「開会式」を行い、正面に張られた紅白のテープに佐々木正一社長、木幡市助役、武輪八戸商工会議所副会頭がハサミを入れ、クス玉が割られて花ふぶきのなかを待ちかねた買い物客がどっと店内に吸いこまれた。一方、前日、松和ビルの落成式と内覧会をやった月賦専門店緑屋も同九時半、打ち上げ花火を合図に開店した。両店の開店は、八戸商店界の夏の商戦のスタートでもあり、既存の小売店のほとんどが同時に「祝賀セール」と銘打つなどの大売出しを始めた。
県外からも多数 
 「丸光」「緑屋」の開店したこの日、八戸市の中心街は文字通りお祭り気分で地元八戸をはじめ三戸郡下、十和田、三沢を含む上北地方、岩手県北の久慈、種市、福岡、軽米などからおおよそ五万人の人出(八戸警察署調べ)だった。
 なかでも「丸光」デパートの盛況は大変なもので、開店二時間前から「一番乗り」を待つ人をはじめ午前中、長蛇の列が八戸駅前まで続いた。
業界に活気呼ぶ
 開店後一時間で同店内に吸いこまれた人はざっと六千人ということで、店内を一巡したあと緑屋、そして岩徳ビル、三萬、丸美屋などで買い物していた。丸光の買い物客は五万人を数えたという。
 大型店の開店を機に八戸商店界に「活気」を期待する声が多い。「地元小売店にとっては確かに脅威であろうが、八戸に客を引く魅力が増えたわけで、消費購買力の吸引力が倍加するだろう。商業圏内の人口三十五、六万でその三十五、六%を吸引していると見られるが、一、二年中には五十%になりうるだろう」(菅原商工観光課長の話)という。八戸商店界が飛躍、発展の第一歩を踏み出し、今後業界の近代化、体質改善が進むものと期待される。
人出の割りに平穏 
 この日八戸署ではまつりなみの警察官(四十二人)を繰り出し、交通整理と警備にあたった。同署の調べだと昼すぎまでに三万人の人出があり、さらにその後もふえて最終的には五万人を越える買い物客が押しかけたとみている。この人出につれて迷子が続出、同署保安課ではテンテコ舞いの忙しさ。「ここでは迷子の大安売り」とぼやいていた。しかし人出の割りには平穏無事なデパートのオープン・デーだった。
 昭和四十四年十一月十四日号 デーリー東北
さようなら丸美屋 十八年間親しまれ ついに閉店、明日解散
 県南地方では初めてのデパートとして十八年間八戸市民に親しまれてきた丸美屋デパートは、きのう十三日で閉店した。会社は十五日株主総会を開いて解散するという。
 株式会社丸美屋(資本金三千五百万円、大沼直社長、従業員約百七十人)は、地元経済界とデパート経営では東北地方でも屈指の川徳デパート(盛岡市)がタイアップして昭和二十六年にオープンした。消費経済の順調な伸びにささえられて業績も毎年伸びていたが、八戸経済界の再編が目立ってきた四十二年ごろから下降線をたどるようになった。特に「丸光」「緑屋」など県外資本の大型店が進出した四十三年夏から売上は更に悪化、四十四年二月決算では二千七百八十万円の赤字を出した。このほか巻き返しを狙って買収した拡張用地や運営資金の確保などで負債が約五億円にも上ったたため、会社側ではさらに多額の投資をして建て直しを図っても採算的には不可能と判断、十月十三日の株主懇談会で自主閉店をきめた。(後略)