2008年11月4日火曜日

羽仁もと子、西有穆山を訪ね取材3

九月一日付
 穆山和尚の生立(二)
さても両親はさぞや祖父母の愛孫の見えぬに驚き居ることと賺(すか)して連れ往かんとなしたるに、「赤坊が出来たから私は帰らない方が宜んだ」といひて子供ながらもその決心の動かすべくもあらず、両親もほとほと困り、殊に母は実家にゆきてありし通りを話せばとて、誰れも六つの子の言い分とは思ふまじと途方にくれけるが、さて詮様(せんよう・道理をあきらかにする方法)もあらざれば万吉は是よりその儘(まま)家にとどまることになりぬ、闇といはるる親心には愚かに醜き子を持ちてさへさかしくも可愛くも見ゆるものを、万吉の両親のその子を手の中の王と愛しむも道理や、万吉は温かき情の中に益々さとく生い立ちぬ
万吉は子供ながらも母の辛苦を思やり、腕白の中にも孝心深く鈍物なる兄に対しても決して侮り凌ぐといふことなく、日々の商ひには何より肝心なればと算盤を習ひても、兄はなかなか覚えぬに弟は教えぬさきにも呑みこむといふ風なれば間にあはぬままに、兄は自と両親に叱らるることの多きに、我母親の近所よリ継子いぢりと思にれんも辛く、智恵なき兄も可愛相なれば、毎度の粗忽をその身にひきうけ兄をかばうこと度々なりき、三つ子の魂百までとは実にこれ等をや云ふなるべし
母は信仏の心あつく忙がはしきなかにも万吉を伴なひて菩提寺に詣づることあり、万吉はその度に地獄極楽の掛図に目を注ぎて母に向かい「私が死んだら極楽に行きましょうかそれとも地獄に行きましょうか」と問うに、母は笑みつつ「両親の言うことを聞かずに悪戯をするから大方地獄に行くでしょうよ」「では母上は」「母も汝と同じに地獄へ行くでしょう」といわれて万吉はあまりのことに打驚き、「母上は何ゆえに極楽にいくことはできませんか」と押し返すに「妾は汝らの養育に種々の罪業をつくったので極楽往生は思いもよらず。この世の人は大抵地獄へ落ちるとやら極楽へいく人は滅多に無いと申すこと、眷属の中で御出家になると九族天に生ると云ふけれど」と何気なく打語らう母の言の深くも幼子の心にしみて愛する母と衆生に対する惻隠の心やみがたく、ここにはじめて出家の心を起こしたりとぞ、この時万吉年僅かに九歳なり、家に帰りて早速父母に出家のことをいひ出るに両親もその殊勝さを喜びながら恩愛の情も去り難く、かつは賢しき様にても頑是なき幼子が一時の出来心と果ては深くも心に留めず望みは遂に許されざりけり、されど万吉は一度かくと思ひ定めてより片時も忘るることなく寺子屋に行きては読書を勉め励み、よそ目には釣よ泳ぎと心なく遊び廻る中にも種々と工夫を凝らし居れり