2008年12月24日水曜日

学校評議員は役立っているのか

小中学校に評議員がいる。校長が適当に選任、五名以下と規定され、これらが不定期に集まり学校経営に助言を与えるとあるが、本当に役立っているのだろうか。
 これに年間三百九拾万円が投入されるが、メンバーを見ても似たりよったり。父兄は一名程度、他は近隣の安全協会や議員その他。これらが何をどのように伝えたかは報告書にはあるが個々の評議員の意見は明示されていない。
 まあ、ご近所付き合いを欠かさぬようにの代物(しろもの)程度、評議員は年間一万二千円の報酬、つまり月千円。それでいい知恵がでる訳がない。いかにも形式主義の役所の考えそうなことだ。
 これら評議員の意見を協働の町づくりに活かす方法がなかろうかと探ったが、公民館中心の町づくりより、肌理の細かい意見を聴取できるのが小学校中心。何故ならが公民館は中学校の学区単位に建設、これが22公民館の基本単位、小学校は47あるので細かいわけだ。
 市民のための八戸にするには役所まかせではいけない。まして教育委員会だのみは更に悪い。と、言うのは教育委員会には物知らず世故に疎い教員が幅をきかせる。これらの人物の最悪なるのは年末年始の酒酔い運転をみてもわかる。
 自分だけが偉い、自分だけが正しいと警察官が見ている前で同僚を殴った教師がいたそうだ。「はちのへ今昔」もこれを取材せよと唆されたが、これデーリー東北新聞が既報、そのため動かなかった。もっとも、週刊誌的に詳報を出す手もあったが、教師は物知らずで言葉を交わしたくもない。
 それが忠義面して役所に入り込む、市役所は政治の場、学校で威張るようなわけにはいかない。まして上司となり部下を持つようになると、このもの知らずが助長され、とんでもない発言が飛び出す。それがまた面白おかしい。
 物知らずが教育長を務める、それを茶坊主教員が後押し、だからここは慢性的な茶番劇が教育長が交代するごとに生じて、その混乱がまた腹を抱えさせる。ともかく教育委員会を調べれば調べるほど不可思議な場だ。