2008年12月11日木曜日

八戸信用金庫事件 続1

2000年9月号
話題沸騰! 驚愕の八戸信用事件は本当のことかと電話殺到
「はちのへ今昔」は嘘は書かない。見聞したことだけを書くだけ
 前号は大反響。こんなことがあったのか、ハラハラ、ドキドキして読んだ、これが真実なら八信との取引をやめるなどの声も頂いた。八戸信金もだが、大体において金貸しは紳士面はしているが、本質的には町金融と等しい。今回の事件も、営業の平社員が散々に悪態をついたそうだ。
 しかしながら、金を借りている方は弱いので、何も言えない。それを知っててやるのだから根性が悪い。その男の名も知っているが、ここでは伏せる。
 アア、自分のことを言われているナと反省しろ。さもないと、次号に、その名を記すぞ。たかが集金人のくせに、ソファーに寝そべる、自分の裁量で競売申請が出来るなど、脅し以外の何物でもない。
 理事長がそれだもの、下の者は皆、推して知るべしだ。
 さて、この事件だが、弁護士は八戸信金の横暴な態度に群易し、どうにもならないと匙を投げた。こうなると、弱者救済の信念に燃える筆者は俄然張り切った。弱い者が最後に頼るのは監督官庁への直訴以外にない。これは江戸の昔から続く、お代宮様にお願い、あるいは将軍様への直訴で、これをすると、した者の命はないが、ある程度の効果は期待できる。現今は水戸黄門がいないので、この印籠が眼に入らぬかは、テレビの世界の絵空事だが、窮鼠猫を噛むのたとえで、真剣になれば必ず道が開けるように世の中は出来ている。
生きている間を真剣に生きずに、後で、ああすれば、こうしたらとレバとタラを言っても何の役にも立ちません。
 生きている間は苦しいことばかりで、死んだら楽になる。何にも考える必要がないからだ。その苦しさを身一杯に受けて、そこから一歩も退かずに、難敵にぶち当たって行くのが人間だけに許された根性なのだ。全て苦しむのは地球上にいる生物で人間だけ。ここが面白くて、何やら哀しい。金で苦しんでいる時は、この広い地球上で、こんな悩みに浮身をやつせるのは有難いと思うべきなのだが、実際に借金地獄に陥ると、自分の周囲の空気が稀薄になって来るのを感ずる。つまり、金魚鉢の中の金魚が、酸素不足で水面に口を出してパクパクしているような気になる。この辺りは、経験者じゃないと判らない、実に、えぐい世界の話だ。こうなると親も無ければ子も無いという、実に非情な心持ちになり、一時間でも長く助かりたいと、我が身のことばかり考える。
 人間だけにある金の世界で、非情になるは金のせいだ。金がこの世になければ、どれ程心安らかだろうかとも思うが、金を賭けずに競輪、競馬、パチンコ、マージャンをやっても楽しい筈もない。学問・確立の研究のために賭け事をするなら、それはそれで、金を賭けずにやるのも楽しいかも知れぬが、おおよそ凡人はそれでは満足できない。
 だが、子供の頃は、賭け事などしなくても、毎日が楽しかった。大人になると金の世界で呻吟する。これも妙だ。鐘に怨みは数々ござるの安珍・清姫じゃないが、誰でも金には怨みがあるが、こんな言葉もあるので苦しくなった時に、思い出すとどんなに辛くても、思わず笑えるゾ。
 それは、『世の中は金と女は仇なり、どうぞ仇に巡り合いたい』というので、実に妙で上手い。一般市民は金が足りなくなると銀行に走るが、相手も、もともと自分の金じゃないのを貸す訳で、相当に審査も必要となるが、自分の眼が利かずに貸金がコゲつく。こうなると、他人の金を集めて貸している責任上、これは必死になって回収に走る。これは図式上そうなるのだが、大体は担保を取っているので、これを競売して決済する。
 これが問題と怨みが生ずる原因となる。担保と言うのは普通は自分の居住する家・屋敷を抵当に入れるから、競売による居住権の侵害で、いきなりホームレスになるので銀行に対するつらみは大きい。
 これも、自分の座っている座布団を質に入れるのと等しく、大方予想がつくものだが、誰でも自分だけは大丈夫だと、相当な面の皮を持った奴が多く、平気の平三で担保に入れるので、そのツケが廻ってくる。自分にとっては命から三番目に大事な家も、金融屋に言わせれば、ボロ屋でどうしようもないとなる。これも、その通りの話でしかない。住めば都だが、住まない人間にとっては、冷静な判断でしかないのだ。
 さて、弁護士もお手上げになった案件は、監督官庁に泣きつくのが物事の解決の糸口だ。それには、言葉だけでなく、十分の資料を作成し、それを持参し、相手の非を言わなければならない。大体、役人にとってはやりたくもない仕事なのだ。直訴などされない信用金庫の運営が当たり前で、事件だの事故が発生すれば、面倒な仕事が増えるだけだ。
 そんな役人根性の持主を説得し、重い腰を上げてもらうには十分な資料が必要となる。ケンカの仕方という本が三一書房から発行されたことがある。ケンカなんぞしないにこしたことはないが、いざとなれば、勝つ以外に方法はない。負けて元々なんぞの根性でケンカをしかければ、ロクな結果にはならない。八戸の酒蔵でそんなことをしかけた人もいたが、芳しくない結果しか待っていない。
 直訴する際に必要なものは、貸金の存在を示す資料、その返済がどうなっているかの証拠の外、暴言を吐いた証拠の録音テープなども重要だ。筆者は二十年も前だが、八戸信金の件で青森市にある東北財務局に行ったことがある。つまり、八戸信金としては、筆者は目の上のタンコブの存在。