2008年12月13日土曜日

八戸信用金庫事件 続3

つまり事件を闇から闇に葬ってしまうのだ。公になれば、同様に八信から痛い目にあった人々が立ち上がり、横暴を許さないことになるのだが、誰も自分が猫の首に鈴は付けたくない。
 八戸人の特性で、蔭に廻ってコソコソと言うが、表面に立って堂々と言う者はいない。だから、少しも八戸は良くならない。皆が廻りの人を眺めて、一歩踏み出すのを確認してからオタオタと歩く。いい子になろうとばかりしているのだ。
 いい子は親にとっては都合のいい子でしかない。聞き分けが良いのではない、睨まれたくないだけだ。
 真実は一つ、だが、事実はそれを見聞した人の数だけある。
 筆者にとって真実は一つ、それは、東北財務局に直訴することだ。
 だが、長寿の田中氏は当事者ではあるが、事実に酔ってしまった。更に、気がいいために自分から時効の四億四千万円も返すと言った。
 だが、時効の物は返す必要がない。殺人犯人でも十五年逃げきれば時効になる。まして、民事の事件だ、人殺しをした訳でも泥棒をした訳でもないのだ。
  『時効なんて話は一生に 一度ですヨ』と筆者は長寿の田中氏に言うのだが、
  『それはそうですが、勝田常務もああいうので……』
と、態度は軟化してしまった。
  『それに、八信がやらない時はお願いします』と言われ、これは駄目だと判断した。
 つまり、出し遅れの借金証文のようなもので、鉄は熱いうちに打てで、昨年の五月末に東北財務局に直訴すれば、八信側は何等の防備の策がない所に、東北財務局の査察が入り、事実が全て明るみに出るのだ。
 これを一週間、あるいは十日待てば、八信はそれなりの策を打ち、証拠は隠滅されるのは間違いない。
 つまり、撃ち破る瞬間はこの時をおいて外にないのだ。
 だが、常人にはその瞬間が見えない。
 筆者のように絶えず官憲と戦った者だけが持つ勘がその時を知らせる。年輩の方に違うと交通違反の裁判で警察を負かした小川さんですかと問われる。今から二十年以上も前の話だが、その通りで、速度違反をして裁判に持込み、検事を打ち負かして筆者は無罪になった。
当時のデーリー東北は三面記事で 『有罪か無罪か』と大見出しで書き上げた。当然、無罪になった訳だが、堂々の論陣を張った。簡易裁判所の場合は弁護士なしで、本人が検事と裁判官の前でやりあう。
 これも楽しかった。人生は男を磨く道場だ。退くは死ぬと同意語だ。官憲は法律を楯にしてくる。その法律の執行が間違っていれば、速度違反をしていても無罪になる。
 ここで、速度違反の話をする暇がないので先にすすめるが、法律は諸刃の剣で、相手にもこちらにも効く。十分に法律を読んで備えることだ。
 さて、第三者の筆者の立場がまずくなった。長寿の田中氏は行くなと言う。強硬手段が田中氏を助ける最大で有効な手段だと信じている筆者は、どうするかの判断に迷った。
 こんな時は、やめるに限るのだ。
 共同歩調をとっていた者の足並みが揃わぬ時は引くに限る。そこで、東北財務局に行くのはやめた。八信の言い分を認めた訳ではない。長寿の田中氏の言い分に従っただけだ。だが、いつでも、この原稿は書くつもりでいた。
 長寿の田中氏の頭を叩いていた手で、撫でただけなのだ。八信の非道な手口がなかった訳でも無くなった訳でもなんでもない。一時、台風が騒ぎ、それが過ぎ去っただけの認識しか八信は持っていないだろう。
 その後の八信の動きを静観していてつくづくそう思う。
 八信と弁護士、長寿の田中氏の間で、借金証文を書き換えた。八信の手口は筆者が予想していた通りだ。そして、八信は長寿の田中氏の競売申請を取り下げた。
 この時も筆者は憤慨した。と、言うのも、取下げにかかる費用を長寿の田中氏に支払わせたのだ。競売を勝手に申請したくせに、取下げに関わる費用を支払えは理不尽だ。こんな馬鹿な話が世の中に通るのかと筆者は慨嘆したが、気のいい長寿の田中氏はそれも呑んだ。
 そして、プレイピア白浜を売却するように、八信の総力を上げて努力するの話は全くの反故になった。
 最近、デーリー東北の『こだま』欄や八戸テレビに、プレイピア白浜には桜の樹が千本だか二千本あり、景観地だとか、野草の宝庫だ、紫陽花の名所だの話が載り、
この地を八戸の名所とすべく、市役所が買い上げて欲しいの話が載ったが、市役所は買わないと 『こだま』欄で明言した。
 だが、この地は貴重な場所だ。と言うのも、プレイピア白浜の地は駅を所有している。八久線が存続すればの話だが。駅のある土地は貴重で、この地を生かす方法はないかと筆者は墓地を造りたいという希望を持つ人にも話をしたが、結局、墓地にするには余りにも勿体ないとなった。
 八久線の利用者が増えないと、鉄道の存続は難しい。八戸には屋内スケート競技場がない。駅を利用し、このような建物が建てば、新幹線から乗り換えて、至極便利な物が出来るのではないだろうか。
 サッカー場や野球場を複合的に持つ場所に、プレイピア白浜の地が利用されれば、八戸市民のみならず近郷近在の人々の役に立つだろう。色々な議論がされ、この地が活用されることを望む。
 さて、それでは、何でこの古い話を今頃になって筆者が蒸し返したか。それは、八信には積年の恨みがある。そして、この事件をうやむやにしようと言う八信の態度に腹が立っているからだ。
 長寿の田中氏は約定どおり支払いを開始し、八信とは良好な関係になってはいる。だが、世の中は不景気で、その約定とおりに行くかどうかは、今後の展開次第だろう。
 五年だか、三年以内にプレイピア白浜を売却することが田中氏に課せられている。だが、この景気では動きがとれないだろう。
 八信が総力を挙げて売却に力を貸すと言いながら、何もせず、田中氏にだけ、それを押しつけている。最近は長寿の田中氏の所にも筆者は顔を出していないので、どうなったのかは全く知らない。
 良好な状態に立ち戻った田中氏は、筆者に八信事件を書かないで欲しいとの要請をした。が、筆者は田中氏にこう言った。
  『八信の理事長が書かないでくれというなら書かない。新幹線が間もなく来る、八戸を一つにまとめ、大きな旗振りが出来るのは、八信の理事長だと信じている。八信が市役所に真先に新幹線用の金を寄付することを期待している。その金が呼び水となり、八戸市民が金を拠出し、駅ビルを建てるのに役立てるのか、それとも、八戸新幹線で三社大祭を見にくるようにとの観光宣伝に使うのかは市役所が決めることだが、その口火を切ることを八信に期待している。そのため筆者も出来ることなら、この事件は書かないですませたい』
 そして、筆者は、その旨を総務部長に伝達した。
  『八戸市民は新幹線が来るのに燃えない。それは商工会議所に指導力が欠如しているからだ。その火付け役になることを八信に期待している。その為には、八信を叩く訳にはいかない。理事長の口から、書かないでくれと言うなら、書かない』と言ったが、総務部長は、その旨は伝達する。
だが、面会は何時になるか判らないと言う。
 筆者は九十日待った。八信は筆者が書かないとたかを括ったのだろう。九十日と言えば、太陽が東から西に九十回昇って沈んだ。九十日経つと人間の体質も変わる程の日数だ。
 筆者は全て九十日を区切りとしている。それで、今回の記事となった訳。
 最近になって知った話だが、八信は筆者が東北財務局に行くと宣言した時に、相当慌てたそうだ。そして、何とか借金証文を再び書かせようと総力を上げたとのことだ。
 あのまま、筆者に走られた時は負けだと痛感していたそうだ。
 筆者の読みの通りだった。
 が、過ぎ去った年月は二度と戻らない。長寿の田中氏の人が良いことが八信には幸いしたのだ。
 だが、根性の悪い筆者が控えていることを八信は忘れたのだろう。あるいは、絶対に筆者は書けないとでも踏んだのだろう。
 大企業病と言う言葉があり、食中毒事件を起こした雪印のように、八信も病んでいる。総務部長が筆者の言葉を理事長に伝えなかったかも知れない。が、そんなことはないだろう。もし、そうだとすれば、今回の記事で叱責は当然のことになる。サラリーマンはそんな危険なことはしない。だとすれば、川勝理事長の判断が狂ったのだ。丁度、雪印の社長のように。
 世の中は人が動かす。何もせずに、百まで生きても、ただ生きただけで、活き活き生きたことにはならない。筆者は畳の上では死ねないと覚悟している。暴力団に口の中にピストルを突っ込まれたこともある。が、死ぬのは一度だと思っているから、少しも恐ろしいとも、長生きしたいとも思わない。
 この記事が掲載されたことで、気のいい長寿の田中氏の不動産が、再び競売になるような事態が発生すれば、『八戸今昔』は廃刊した後でも、三日町の街角で、筆者はビラを撒いてでも市民に知らせる。それが、筆者の信条だ。
 筆者の眼の黒いうちは、理不尽な行為は誰にも許さない。
 筆者は新幹線が来るのに何もしない八戸人に飽き飽きし、八戸を去る覚悟だ。FMラジオは商工会議所にとられ、憤悳やるかたなく、八戸人に新幹線が来ることで観光都市として再出発せよと、警鐘を鳴らすために、この『八戸今昔』を発刊したが、何も出来ずに新幹線が来る。新幹線が来てからでも駅ビルを建ててどこが悪いの声も聞こえてきたが、来る前に建つから意味と意義がある。新幹線が来たからと言って駅ビルに入る業者が直ぐに利益を上げるとは考えにくい。まして、開業してからでは、誰が入るだろうか。
 FMラジオで毎日のように、新幹線が来たらを呼びかけ、市民こぞって金を拠出し、駅ビルを建てようと、構想を立てた。日々の呼びかけが出来るメディアを握るこ
とで、八戸が良くなると信じていた。
 筆者抜きで商工会議所の肝煎で出来たビーエフエムも、同様に市民への呼びかけの好機を逸した。残念なことだ。
 大事なのは先を読む眼だ。これのないのは金のない以上に恐ろしい。
 八戸市民よ、『八戸今昔』の読者よ、筆者もどれだけ元気でいられるか判らぬが、理不尽なことに憤慨した時は筆者を想起せよ、そして、筆者を呼べ。観音経は観世音と我が名を呼べ、そうすれば橋のない所には橋を掛け、路のない所には路を造ると教える。そこまでの力は筆者にはないが、それでも出来る限りの努力はする。直接
の折衝は弁護士がするが、筆者は何もない所から何かを必ず生み出す。誰も気づかないことに必ず気づく。時代は若者の為にある。その導きをするのが白髪頭の老人の仕事だ。筆者はその努力を死ぬまで惜しむ事はない。そして今、手元に集まった情報を分析し理不尽な八信の次なる事件を解明しようとしている。     続く

この文章は二千年の時のもの。八戸市内の本屋に並び、かなりの反響があった。八戸信金は預金者の解約があるかもと備えをしたそうだ。しかし、所詮タウン誌、大した影響もなかった。そこで幹部諸君は安堵したが、それは直ぐに青い顔に変わった。それは大蔵省に「はちのへ今昔」を送ったからだ。
 その結果任期を満了せず川勝理事長は退職となった。異例なことだった。川勝は「はちのへ今昔」に川負けにされた。世の中はこうしたもんだ。勝ったと思いうかうかしていると、こうしたザマに会うもんだ。
 2008年は佐々木泌尿器科の倅が藤川優里市議にちょっかいをかけて、それを「はちのへ今昔」に咎められ、逆上して名誉毀損の告訴、さらに民事で損害賠償を三百万円請求。
 それが気に入らないので「はちのへ今昔」が連日、告発ブタ野郎、佐々木聡を掲載。昔は月刊誌、月に一度しか意見を述べられない。が、時代が変わった。ブログというものが出来、放送局と同じレベルに伸し上がった。動画も音声も可能、そして連日OK。これは文明の進歩だ。
 八年前と少しも根性は変わっていない。死ぬまで理不尽と闘う。闘う白髪の爺、それが「はちのへ今昔」。