2008年12月2日火曜日

日本人爽やかなり、本多雅俊准教授人物爽然

爽然(そうぜん・心身のさわやかなさま)を言う。八戸市役所報酬3億7千万円の削減方法を探るなかで、この人物、本多准教授の名を見つけた。この人は政策研究大学院大学に籍を置く。
 小林八戸市長が市長政策参与として招聘(しょうへい・礼を尽くして人を招く)。ところがこの人物は一度来る度に8800円を貰うだけ、さらに頭の下がるのは、その金を全て協働の町づくりに寄付した。
 そして、就任の平成18年1月1日から平成19年の4月23日までに23回の助言を市長に託し、これにて我が事成れりと参与職を辞された。
 人物の評価は出処進退、日露戦争の折、乃木は拙劣な攻めで多くの将兵を失った。乃木更迭の御前会議で明治天皇は更迭すれば乃木は死ぬ、このまま続けさせよと言う。海軍の協力で巨大砲を据え付け、203高地を陥落せしめた。日露戦争で乃木は二人の子全てが戦死。
 戦争終結後、乃木は学習院の名物校長となり、白馬にまたがり勤務。明治天皇崩御の際に妻と共々おいばらを斬った。
 人はこうしたものだ。自分を採ってくれた恩顧を忘れぬ、生涯を通して忘れぬ。こうした気概が日本には多かった。これが日本人なのだ。
 八戸市民はそうした人物がまだ日本にいたこと。そして、八戸市の政策参与として活躍してくれたことを誇りに持ち、深く胸に刻もう。 日本人爽やかなり、本多准教授爽爽(さわさわ、あるいはさわさ)たり。見がたいものを見せていただけた。深謝