2008年7月31日木曜日

八戸圏域水道企業団は弱者の味方か? 2




水道企業団は〆日を決めて使用料を請求。それが検針から納入通知となる一連の作業。検針は北奥羽サービスが行い、その検針データーを水道企業団に携帯ターミナルで料金課に持ち込む。
 納入通知が発送され、43日後に入金がないと7日後に督促通知、さらに7日後には督促期限が切れ停水通知が送られ、とうとう止められる。
 人は水を7日飲まないと死ぬ。八戸の地震は比較的軽くすんだ。倒壊家屋に閉じ込められた人の生存率は三日後から急速に落ちる。これを中国の大地震で見た。急速に落ちる最大の原因は水の補給ができないことによる。体内の水の量は成人で65%と言われる。これが減少することは死を意味する。
 糅てて加えて(かててくわえて・その上に。更に。普通よくないことが重なる場合にいう)、昨今は下水道普及により糞便の処理も水が行う。すると安心して便所にもいけない。これが怒りとなり、思わずクソと叫ぶ。
 飲料水と糞便処理の水が一緒というのも妙なもの。飲料水だけなら給水停止期間はペットボトルでもこと足りるが、糞便処理は水を使わないと出来ない。
 すると、水道企業団は一年間にどの程度の給水停止をするかが問題になる。その数供給世帯の2・5%の3254世帯。
 おどろくなかれ、この中には生活保護世帯も入っている。彼らに対する減免は水道企業団条例46条に記されている。貧困のため料金の負担にたえられないと認めるときは料金を減免し…とある。
これらの生活保護世帯に対し水道企業団は市役所の担当部署にしおりを置き、減免申請をした者に対して、基本料金月額1836円の半分を引いている。918円と雀の涙。
八戸市内の生活保護世帯数は2644世帯、青森市は5204世帯、弘前市は2981世帯、人口比率でいうと、八戸を100とすると、青森市は158、弘前は150と八戸より生活保護世帯は圧倒的に多い。
水道企業団が減額している世帯は2000世帯弱の模様。具体的数字が判明次第報告する。しかし、基本料の千円弱をまけたからといって、その家庭の給水停止が免れることにはならない。
水道企業団の職員と北奥羽サービスの社員とが給水停止に出かける。第50条に給水を停止することができるとあるが、必ずしも停止しなければならないとは記していない。
電気の場合はわずかな光を灯すだけの電力を通電させるそうだ。入り口で転ばない程度なのだろう。無論、部屋の電気は使えない。ところが、水道企業団はビシャリと止める。糞便はどうするのか、野原でやれというのか、用便は野原や公園でたしても、ペットボトルで最低限の飲み水はくれてやれ。これが人の道だ。水道企業団は営利企業ではない。人道的見地に立ち、人々を救済する使命がある。それを放棄すれば人非人(にんぴにん・人間以下のもの。特に、人の道にはずれたことをする人間。ひとでなし)以外の何者でもない。
水道企業団は蟹沢の水を非常用飲料水として保持。これを配布すればいい。ただ置いてても腐るだけだ。さすれば、水を飲めずに死ぬことはない。
しかし、生活保護世帯の所で給水停止は考え物。困窮者には料金の減免が書かれている以上、基本料金のみならず使用料もまけろ。これが原理原則。というのは基本料金を減免するとは記されていないからだ。これは水道企業団の勝手な解釈によるのだ。ところが、水道企業団はそれをしない。しない仕組みは給水停止にでかける人間は、生活保護所帯かどうかを知らない仕組みだ。給水停止書にはそれが記されていない。だから、バタバタと給水栓を閉める。
これが分かる仕組みならば、水道企業団は水を止めないか? やはり止める。彼らには集金至上主義の風潮がある。払わない人間は不届きだとの信念がある。これは悪信念だが、利用者負担の原則でもある。が、人には生きている以上、都合もあるぞ。 

議会事務局の失態


八戸市には委員会があり、それが独立した形になっている。選挙管理委員会の失態を何度も取り上げたが、肝心な委員長がその責任を取ろうとしない。
 また、監査委員というのもあるが、この代表監査が一番高給を取る。大体市長のおぼえのめでたいのが就任。これが、また、無能のきわみで、監査といっても、あらかじめ課にいく日を教えて調査。これじゃ役立たずだが、そういう形式的立場だ。役所はことなかれ主義、秘密は漏らすな失敗は隠せが鉄則。
 消防が手当てを取りすぎたことがあったが、これを監査が見抜けない。青森で発覚し八戸にも飛び火だ。代表監査委員が消防の監査をすることになっているが、形式だから見たことにしよう程度だろう。
 土地整理組合の金を6億円食った親子がいた。当然逮捕。青森にもアニータで十五億円食った千田郁司、これは青森県住宅供給公社職員。公金横領は事件としては面白いものの一つ。自分が担当している金、大体は帳簿上の数字だが、引きおろして手のひらに乗ると金に変身。
 ここが金の金たる面白さで、金が問う人間性だ。持った人間を問うのは、その使い道、アニータに狂った千田は一回飲んだサバト(安息日)の味、一回が二回となりでとうとう15億。
 大体、長横町(飲み屋街)をウロウロする連中は誰も自分の話を聞いてもらえない。だから、大人の保育園で酒の勢いを借りてしゃべりまくる。その保母さんたる女は魂胆がある。千田は来ないかしらといい暮らして、溜まるのは金じゃなく疲労と皺。
 千田にはめぐり合えず、とんだ男に捕まって、こうした嘆きをかこつ(託つ・自分の境遇などを嘆く)もの、あそこでこの男に会わなければ、前の男といたならばと帰らぬ愚痴が出るようになるのは溜まった疲労か、皺の出る四十過ぎだゾ。
 役人が悪人に代るのは自分が保管する数字が銭に変わる瞬間。ここが金が問う人間性。悪事をするは欲望がそそのかすだけに直接的で面白い。
 さて、議会事務局も独立した部門、ここが司会議員をあやす場。議員のなかにはとんでもないのがいて、議場で喋るのはいいが、最初賛成で中ごろからぐにゃぐにゃしてきて、最後に反対するのがいる。どうなってるんだ頭の中、大体こういう連中は選挙で尻の方で入ってくる。誰とはいわないが、よくよく見てもやはりそうだ。
 議会の議事録、委員会記録を全部読んだが、まさにそうだ。これらの議員連中はどこに行っても同じ調子。よくこんなのを支持する市民がいたもんだと驚嘆。
 その委員会記録から漏れていたのが議会運営委員会記録。この委員会は常任委員会ではない。そのため「はちのへ今昔」もその存在に気づかなかった。ここが議会をどう運ぶかを決める重要なもの。委員会記録は永年保管だが、これを亡くした。昭和三十年から四十五年までの十六年分がまるまる無い。こんな記録を見せろというのは「はちのへ今昔」以外にはいない。だから事務局も気づかなかったのだろうが、それはまずい。
 紙で保存するから紛失、亡失するが、電子記録にしろ。わずかな金で変換できる。八戸図書館の古文書も原本見せずにコピー化しろ。紛失、盗難から免れる。
 無いものはない。無くなる前に対処せよ。 

2008年7月30日水曜日

鮫の三浦仲さん春の叙勲・旭日単光章





美容業一筋道の三浦仲さんが六十年の女の細腕繁盛記で、栄えある勲章を頂戴。そもそも勲章には旭日、瑞宝、宝冠の三種類があり、そのおのおのが六つに分かれる。
 旭日は国家または公共に対し功労がある者の内、功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者に対して授与される。瑞宝は公共、公務等に長年従事し、成績を挙げた者に授与する。宝冠は皇族女子及び外国人女性に対する叙勲など特別な場合に限り授与される。
 三浦仲さんは旭日単光章、美容業で青森県の組合理事長を務めたことが評価された。皇居の宮殿は七つから成る。正殿(せいでん)、豊明殿(ほうめいでん)、長和殿(ちょうわでん)が主なもの。この豊明殿で勲章を授与された。
 仲さんは天皇陛下の真ん前に立ち、お声を直接聞けたと感激。陛下が入殿された瞬間、周囲の空気が変わったそうだ。仲さんは八十二歳、これ以上叙勲が遅れれば自分の足で豊明殿に立てなかったといわれる。昨今は足腰が弱ったとおっしゃる。長い間、櫛一本、鋏一丁を友として美容道を歩んでこられた。
 信念の人、いつも燃える瞳が輝き、発する言葉に重みがあり、言う事とする事がいつも一致。有言実行だけに周囲は圧倒される。
 仲さんの母親は神さんで、周囲の人を明るく元気付けた。あるとき、家に皇居から馬車が来るから、紅い絨毯を用意しろと言ったそうだ。この母親は心臓病を患って亡くなられたが、仲さんを東京の美容学校に送りだした。
 花の都東京だもの、仲さんは帰りたくない。新宿伊勢丹のそばで免許を取って働く。今でも新宿は全国の若い人の憧れの場、この広大な東京で腕を磨き、店を開きたいと心を膨らませる。
 ところが、母親が若い娘一人でいるのを心配して、帰れ帰れと声を大。泣きながら東京と別れを告げ八戸の鮫に店を出す。ここらの話は「はちのへ今昔」に詳しい。ブログにも掲載しているので読んでくれ。
 母親が予言した通り、馬車で皇居から迎えは出なかったが、叙勲の運びとなった。母親にはそれが見えていたのに違いない。仲さんは家庭の事情で満足に学校へも行けなかったが、立派に自分の道を切り開き、美容業界のためにも貢献された。
 東京に店は出さなかったが、アパート経営で夢を果たした。美容の腕も確かでいくつもの賞を得たが、叙勲がそれを証明。そして、平成二十年七月二十八日、八戸プラザホテルで祝賀の宴が開かれ百三十余名が参加。それはそれは盛大でした。
 仲さんは滝沢もとめ県議を応援される。この人は神仏を大事にし、菩提寺、下田阿光坊聖福寺に真っ先に勲章を持ち込み、母親の墓前でその報告をされた。同様な心が仲さんを突き動かし、滝沢県議の初めての選挙では、鮫の蕪島神社にお百度を踏まれた。そして、見事に滝沢氏は当選。この恩を忘れないのが滝沢氏の偉いところで、仲さんを母と慕う。
 それが祝賀会で発揮され、森進一の「おふくろさん」を壇上で仲さんを傍らに歌われた。こんなおふくろさんの歌は初めて聞いた。プロの森進一も歌いながら涙した。それは、森の母親が押しかけで嫁になりたいと言う女の言葉を断れず、その問題がこじれて自殺。それを悲しんで森は落涙。
 滝沢県議も力強く応援、後援される仲さんの努力を身をもって体験されるだけに、仲さんを母とも姉とも慕うのだ。そして歌いながら落涙。仲さんの叙勲を心から喜ばれたのだ。
 美容業界で後輩が先を越し叙勲されたのを見ても、仲さんはしょうがない、実力が私に無かっただけだと笑っておられた。その念願が八十二歳でかなった。なに、逆さから読んでごらんヨ。二十八歳で貰えたんだ。まだまだこれから、これから。昨今耳が少々遠くなられたが、嫌な話を聞かずにすむ。これもまた有難いと思えばいい。世の中は楽しみ方、毎日が楽しい人間が最終の勝利者。有言実行の人には物足らなく見える世の中だが、仲さん、最後は「仏の仲」と呼ばれるように、鋭く見える眼を捨てて、言葉を発せず、いつもニコニコだよ。腹が立つことを見ても、堪忍の袋を常に胸にかけ、破れたら縫えの精神が大事。
 たまさか、この世でご一緒できたことが、これも有難い。仲さんの魂に触れられて、滝沢県議も「はちのへ今昔」も深く感謝しています。最後になりましたが、叙勲、本当におめでとうございます。

観光課の安原氏が飛ばした三塁打






観光課に優秀な職員がいることは前にも述べたが、この男が三社大祭公式ガイドブックを作成。これがいい味、まるで昆布かするめで、諸君はその味を知るめえ。写真といい色調といい、この男の感性が見事に出た。
 こうした味を隠し持つ男が市役所にはいるが、大体潰される。潰すのが巧い課長がいるんだなあ、これがまた、資産税課の課長が最たるものだが、他にもいるぞ。内部告発が来ているから、おいおい紹介することになる。
 こうした発表はいきなり出るから面白い。部下潰しなどと言われないように態度を改めろ。特に別館の課長だ。
 この安原氏が持ち味をどうして発揮できたと思う? それは観光協会への派遣で市役所から出たからだ。嫌な上司や他の課の人間からどうのこうのと言われない分、持ち味が出る。もっとも。持ち味がない人間じゃどうにもならんが。
 さて、このブックの良い点は神社中心に出来ているところ。もう一歩踏み込んで神社行列の謂れ(いわれ・来歴)を記すと良かった。四神旗や日月旗などの順を教えるなど。又、八戸のおとっさんの正部家種康氏も掲載され、安心感がいや増した。この人は人品骨柄まことに朴訥、我ら市民の父親だ。その場におられるだけで、何等言葉を交わさずとも温かさを感ずる。得がたい存在、ぜひとも長生きをしていただきたいもの。
 昨年も公式ガイドブックを安原氏はてがけたが、これが初手、今回はその経験をバネに改善し作成。やはり二年目になると良いものが出来る。課長クラスは部下を即、評価するのでなく、ゆったり遊ばす余裕が欲しいもの。
 従来はこの手の本が民間から出ていたが、役所をけなす事柄が多く、誰だ? それは「はちのへ今昔」が出したろうと言うのは。違う違う、他の人間が出したのだが、役所はどうのこうの、観光協会はダメだと書いたので、今回の公式ガイドブックの登場だ。
 土産に持って帰れる良いガイドブック。山車組と作品解説はブックが出るときはまだ山車が形になっていない。それを解説するは本当に意味があるの。ここらの工夫が必要。山車は仕掛けで大変身はもっと紙面を大きく使い、度迫力を見せたかったと、少々不満があるものの、来年は本塁打にすればいい。安原氏は観光協会から役所に戻るが、観光協会は知恵を受け継ぐ体勢を作るべき。居なくなった途端、ポシャルこともありうる。今の観光協会の体質では。
大体、八戸駅の観光プラザは三人体制で勤務だが、時折二人、三人いてもカウンターの陰に隠れて顔も見せない。いないないばーじゃない。積極的に顔を出し、いらっしゃいませ、何かお役に立てますか?と声がけしろ。どうもこうした所が観光協会の職員は自覚がない。銭ばかり欲しがるドラ息子と同じじゃ、市民や観光客の役には立たない。愛想よくしろとは言わぬが、お役に立とうや。岩手県水沢の産、東京都知事も勤めた後藤新平が言った。ひとのお世話にならぬよう、ひとのお世話をするように、そして報いを求めぬよう。観光プラザの職員はこれを標語として壁に貼れ。そして、カウンターの下に隠れぬようダ。
 この、ブック誕生で、役所の人材が豊富だぞを見せた場面。三社大祭は地震の風評でとりやめなの? と、観光課に問い合わせの電話もあるが、何の、八戸の町衆の夏祭り、今年も十分に、そして、存分に楽しませますゾ。

2008年7月29日火曜日

八戸圏域水道企業団は弱者の味方か? 1


水道企業団は使用料を払えない家庭の給水を停止する。物事はすべからく契約に基づく。神と契約をしたのがモーゼ、エジプトに捕らえられ奴隷となったイスラエルの民を救い、神との約束の地カナンを目指し40年の流浪の旅に出る。
これほど契約は大事。八戸市内の家庭は水道企業団と契約を結んだが、その契約がどんなものなのかをご存知だろうか。
 東北電力には供給規定があり、これは各営業所に置かれている。しかし、水道企業団にはそれすらもない。つまり、使用者にどのような条件で水を供給し、かかる事態に至ると停止するとの取り決めがない。これは水道企業団条例50条にあるが、料金を払わないと停止する旨を八戸市民は知らない。それは水道企業団が各戸に告げないからだ
 水道企業団は八戸市役所から分離独立し、条例を有している。そんな勝手なことが出来るのか?と疑問に思う人もいるだろうが、水道企業団は議員を持っている。その議員は誰?
 それは八戸市会議員が兼任している。すべての議員ではない。立花敬之、寺地則行、田名部和義、坂本美洋の各氏。これらが議決し条例が制定される。他の議員は奈良岡修一、久慈豊(三戸)、三浦正名(五戸)、浜谷豊美(階上)、工藤祐直(南部)、吉田豊(六戸)、三村正太郎(おいらせ)。
 これらの構成員で議会が条例を策定し、各戸の給水を停止する。だが、この水道企業団条例なるものが存在することすら誰も知らない。「はちのへ今昔」も知らなかった。ところが、それを知りうる原因があった。世の中は神との契約を重んじる人もあり、原因、結果の因果を大事とする人もある。
水道企業団を調べようとなった、その原因は大館市議の違法駐車だ。実に有難いなあと痛感。大館市議が違反をしなければ気づきはしなかった。と、言うのも大館市議の違反駐車場所から3㍍も離れていないところに、北奥羽サービスの車が駐車している。これらの車は駐車料金を支払っているのかと疑問に思ったのが調べるきっかけ。実に有難い話だ。
 水道企業団に条例があるが、彼らはそれを公開していない。「はちのへ今昔」が水道企業団を訪問した時には、この水道企業団条例すら開示していなかった。それは先月末の話だ。水道企業団は公営企業のため、情報公開で要求された文書は開示しなければならない。ところが、これを怠っていた。
条例は開示せず、己一人が知り公示公告もせず、誰がそれを知りえると言うのか。供給する側とされる側とが契約行為をなし、その上で契約違反であるから供給停止をする。これなら理由も理屈もわかるが、供給停止の条件がどのようなことであるかも知らされず、条例の存在すら知らないなかで供給停止が一方的になせるのか?
 水道企業団、供給家庭は13万1千世帯、これらの人々の何割が供給条件を知るというのか。水道企業団は契約各戸に「八戸圏域水道企業団給水条例」を配布せよ
 これが契約というものだ。その契約もなしに給水停止は違法、無法のなにものでもない。
 次号はこの偏見と独断の給水停止に至る流れを報告。

2008年7月28日月曜日

三日町交流センターは八戸市役所随一の知恵者に意見を聞け

役所の人事は時に首をひねる場面あり。やっとこ課長にお情け部長だが、時に知恵者にぶつかる。小滝氏もその一人だった。八戸港湾を語れば右に出る者なし。人無き荒野を行くが如しで、周りの人物が居ないに等しかった。
 この知恵者も定年で失った。さて、今いる部長でこれはと言う知恵者は妻神敬悦氏、八戸市の全体を見れる男が、妙な位地にいる。都市整備部という地味な部署。ところが、現在のような混迷時に全体を見通して適切な助言が出来るのは妻神氏以外にはいない。
 人品骨柄は言うまでもなく、総合企画力、温和な人柄から搾り出す知恵は余人の追随を許さない。中心商店街の活性化にも十分な知識と経験を有する。こうした人物が適材適所に配されないのが不思議。何か違う力が働いているのだろうが、肝心なのは能力。ナポレオンが言った。人は身形(みなり)で採用され、能力で解雇されると。今、交流センターは詳細設計が出て、今月中には着工予定。ところが延びている。それは何か、具体策が決定されていないからだ。これを調整し予定通りの完成に導くには、現体制では無理。
 八戸市全体の利益を考えれば、停滞、混迷を解きほぐすには妻神氏が側面から押す必要があろう。あたら有能な人材を隠し、前面に出さぬは大損失。
 今こそ小林市長を本気で助ける時、これに失敗すれば市長の再選はない。それほど力量を問われる一大事。それが滞っているでは、失敗は目に見える。一期で市長を代われば成果を手にすることもできない。
 自民党はこぞって市長を支える知恵を出せ。出なければ再選はない。また、自民党にはそれを叫び、時代を読む人材はいないのか。我が事ばかりで頭が一杯な人物ばかりではなかろう。
また、職員も市長と心中をする覚悟で取り組め。来年の十月に市長選がある。そのときには交流センターは完成している。つまり、成功か、失敗かは歴然としているのだ。今こそ、人材総出の時。その時では出し遅れの証文となる。
今が、八戸市百年の計の実現の時、ひるむな、臆するな。市役所職員二千人の英知を傾けろ、さもなければ民主の市長の登場となる。

八戸市健康福祉部の努力不足・高齢福祉課と障害福祉課は連動し市民のために汗を流せ




別館一階に多くのお年寄りが集合していた。高齢者バス乗車証の切り替えだ。八戸市営バスが不採算路線を切り離し南部バスにくれた。ところが南部バスとて利益の上がらない路線は不要。廃線となった。
もともと戦時中に企業合同で八戸市営バスはなくなった。戦後復興で南部バスがその路線を保持。ところが三浦代議士が八戸の票を欲しくて、時の八戸市長夏堀と相談、その見返りで八戸市営バスが誕生。いつの世もこうした裏取引があるもの。
その八戸市営バスが垂れ流しの赤字、その解消で市民の税金をつぎ込む。それが、この高齢者バス乗車証。年間四千円だかを支払うと一年間乗れる。勿論、それで採算があうわけはない。巨額な税金が補填され、空気を運んで走る市営バスを助けるわけだ。
その乗車証切り替えに来たお年よりになにやら妙な説明。「一度降りてください。次のバスに乗ってください」「そりゃ不便だ」
何の会話かと聞き耳。するとこれが分かった。パンフレット片手に説明する係員。
高齢者バス特別乗車証(これをはつらつ共通バス券と言う)について
○特別乗車証で南部バス(八戸市内に限る)にも乗れます。
  平成19年7月1日から、今回交付した特別乗車証で八戸市内に限り、市営バスと南部バスどちらにも乗車できます。
○次のことに注意してください。
 ※ 乗車できる南部バスの路線は、八戸市内間の路線に限ります。市外へ行く場合、市外から八戸へ戻る場合も、八戸市内の区間も乗車証はつかえない。
 このような場合には、八戸市内の区間の分も含めた全乗車区間分の運賃をお支払い頂きます。差額分を支払う方法での対応はできませんので、ご注意ください。また、いったん停留所で途中下車し再度同じバスに乗車することもできません

※ 南部バスが運行する臨時バスには乗車できません。
これは不便。杖を頼りに歩く高齢者、障害者はほほえみ乗車証と呼ぶが、ほほえみなんか出るはずもない。考えてみろ。三日町からバスに乗った。階上へ行くとすると、八戸市内の果ては工業大学前、ここで降りろという。
 ここまではタダ。よいこらしょで降りたら次のバスを待てという。次のバスはいつ来る? 1時間先か、2時間先か。東京都内のように頻繁にバスが来るなら降りもしようが、雨でも降っててみろ、泣きたくなろうが、今は夏だから蚊に刺されながらも待てるだろうが、雪はどうする、雪だよ。
 自分の都合しか考えないからこうした体たらく(非難の意をこめて用いる。 ざまと同じ)だ。健康福祉部には頭脳がないのかネ。
 高齢福祉課長に訊くと、南部バスがうんと言わないのでこうなった。「はちのへ今昔」が訊いたのは、工業大前に来たら、乗車証を見せ、整理券を取り、そこから乗車した料金を支払えばいいだろう。
 その回答がそれ。南部バスがうんと言わないなら、南部バスに金をくれるな。八戸市営バス救済のインチキ垂れ流し高齢者バス証で助かっていたが、そこに南郷村の合併だ。千七百人だかの人口が欲しくて合併するとツケが回った。八戸市営バスは南郷を回っていない。そのため市営バス救済のでたらめ補助が、その分、南部バスに回った。バス停で待っている婆ぁさん乗せずに類家のバス停を走りぬけたのを目撃。こんな程度の運転手しかいない。だから赤字なんだよ。犬猫乗せても運賃は取れないゾ。婆さんだから銭も払うんだ。手を挙げても止まりもしなかった。ナンバーも覚えているが今回は勘弁してやる。なる堪忍なら誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍。堪忍の袋を常に胸にかけ、破れたら縫え、破れたら縫え。
 どうして、こんな簡単な整理券を取り、そこから清算が何故できない。
 その交渉も南部バスとできないはやる気がない。もっと汗を出し、銭を出す側は強く出ろ。市民の利便を図らないなら銭は出さないと。南部バスは油代が払えずヒイヒイ。普通の会社なら倒産。それを燃料屋に待った、待ったで助けてもらっている。
 市民の利便図らず数千万円が貰えないとすりゃ、燃料屋も黙っていない。赤さびだかペンキだか分からない廃車寸前の車をだましだまし、あやしあやし動かすのも苦労だ。それから比べれば整理券で現金収入。南部バスが嫌だというはずもない。これは市営バスの横着か、それとも健康福祉部の怠慢か、そんなところだろう。もっと市民のために働け。水道企業団もダルイがここも同様だ。

2008年7月27日日曜日

八戸中心商店街の努力不足と金入一族






中心商店街が凋落(ちょうらく・おちぶれること)したのは商工会議所が会費だけ集めて市民のために働かない。また、商店主たちも他人任せにして、自分たちも努力を怠った。
 三日町のさくら野に店舗を貸しているのが、カネイリ、ここが伊吉書院に対抗して書籍を販売し物議をかもしたことがあった。今から三十年も前になるか。カネイリは金入勝子っていう、津軽だか黒石から婿に来た清吾のかみさん。これが女丈夫(じょじょうぶ・気が強くてしっかりしている女。女傑)で、カネイリの今日の繁栄の基礎を作った。カネイリは文吉の時代は魚粕、魚油を扱う海産物業、金貸しもして蓄財、ところが婿が商才乏しく家運を傾ける。戦後間もなく勝子はこれでならじと、背中に幼子を背負い、手に子を連れて関重商店を夕暮れ迫る頃に訪ねる。往時は八戸小学校はカネイリの前を通り、市役所横にあり、小学生は列をなして通学。これに勝子は着目し、雲霞の如く通りに溢れる小学生に文具を売ろうと決め関重を尋ねたのだ。三八地区から下北一帯の文具の卸商の権利を関重が握っていた。
 関重は勝子の話を聞き、快諾し商品を分ける。六尺のガラス陳列台一台を置いてカネイリ文具が旗揚げをした。それが功を奏して着々と地歩(ちほ・自己のいる地位。活動する上での立場。立脚地。位置)を占め丸光百貨店進出時には土地を提供し十三日町が八戸繁華街第一等地から三日町にその栄冠を移した。つい四十年前のことだ。
 勝子の息子に「はちのへ今昔」が敬愛する明義氏がおられた。この男は早稲田に進みホッケーで名を揚げるが、立教の田名部、明治の佐藤に技量面では落ちるものの、持ち前の誠実さで、市議から県議と着実に歩を進めた。自民党も彼を参議院に推すも届かず、市長選で中村に破れ体調を崩し落命。カネイリ一族は早稲田進学、中心商店街でも重鎮。
満ちれば欠ける世のならいで、このカネイリに暗雲が立ち込めたのは女丈夫勝子の死後。この人の存命中は爛漫の桜花の下の宴席に似て、カネイリの繁栄は頂点。
丸光はビヴレ、さくら野と経営者が代わり、このさくら野がカネイリに仇、借りている店舗の家賃を半額にしろと迫った。カネイリは店を百貨店とつなげているだけに、これを呑んだ。
固定資産税は半額にならないが、家賃収入が半額。これに困る。困るのは資産家、軒並み三日町の大家は店子が抜け、蛻の殻(もぬけのから・人が逃れ去った跡の家または寝床などのたとえ)で訪れる人もない閑寂。ところが固定資産税はかかる。これに困惑し商工会議所をつついて市役所に交渉。ところが。市役所は税収の七割を占める重要なものを下げる訳には行かないと突っぱねる。
ここで取れる策は税の不払いだ。全員が不払いをかければ、町全体を市役所が取ったとしても、市役所が魚屋、たばこ屋を営めるわけではない。結句、どこかで折り合い、手打ちとなる。これを指揮するのが商工会議所の仕事だが、ボンクラ、骨なしの彼らにはそんなことはできない。ネクタイぶら下げれば紳士だと本気で思う奴ばらには出来ない相談。だが、町が死ぬのと自分たちだけが生きるのとどちらが大事だ。
漫然と看過して、とうとう町が死んだ。壊疽を起こした。旧長崎屋がビニールシートでくるまれた。さくら野の地下、俗にデパ地下は食料品の魅力の富んだ所、ところが、さくら野の地下も壊疽、改装するとの声は聞こえるけど、姿が見えず、ホンにお前は屁のような……。
十三日町の三春屋のデパ地下は品揃え豊富で、年寄り中心に繁盛。どこに差が出た? 店を切り盛りする人間の技量と器量だ。三日町の繁栄も十三日町に取られるのは間違いない。小林市長はこれでならじと、三日町に交流センター構想だが、それで人が来るの? 
交流は拘留の間違いじゃないのか。これならしばらく留めることは可能。
さて、伊吉書院は青森銀行管理となり、三日町の店は撤退。この頃から青銀は中心街の没落、凋落を読んでいたのかも知れぬ。カネイリは中心街に人がこないという。下田のジャスコに出店、ここには本が充実、ところが三日町は買いたい本がない。それを指摘するとヘラヘラ。
今カネイリの店舗を切り盛りする人材に器量がない。かつて「はちのへ今昔」に連載を願った清川タヨさんの単行本をカネイリに出版するように願った。印刷製本費は著者にねだり、カネイリはその出版元の名を出し、他の書店に陳列を願うだけ。当初、これに快諾を示した男が、突然出来ないと断った。あわてて、木村書店に願い印刷販売。ところが、これが千部を完売。
デーリー東北新聞の書評もあり、ベストセラーだ。見る目がないのがカネイリ。何も損をする訳じゃない、そのまま進行すれば若干の利益も見込め、第一に伊吉が地元で果たした文化の灯、自費出版の種をカネイリも継承できると勧めたのだが、所詮器量のない奴を雇えばこうしたざまだ。
阿諛追従(あゆついしょう・おもねりへつらうこと。おべっか)は知っていても骨がない。だから、カネイリは転がる坂での歯止めを知らない。身を挺してでも止めるの気概の侍がカネイリにはいない。カネイリのみならず中心商店街には汗と知恵を出せる人材がいない。
幾らか知恵のある男が、空きビルを利用し、店を集めたところまではいいが、その売り上げ金を管理して使い込んだ。とんでもない奴。業務上横領にはならなかったようだが、これも事件性を含んでいる。不払いは詐欺罪で打てるが、店子はそれをしなかったようだ。
小林市長は拘留センター、おっと間違い交流センターを建てれば何とかなるような錯覚。立てばなんとかなるはインポ爺ィの寝言だ。人を集めるにはそれなりの理由がある。人に魅力があるから小中野に売春宿があった。物に力があるからヤマダ電機が電巧堂をブチ倒した。交流センターは何を魅力とするのか、中心街を歩くのは高校生と爺婆ばかり。ここで知恵を絞るのは至難。
四十六億円をかけての建物よりも駐車場の無料化をすべきだった。これも時宜(じぎ・事が適当であること) を逸した。
市民は税金投入のこの建物に真剣に意見を述べよ。建ってからでは遅い、七月末の着工が延びている今こそ、最後の知恵の出しどころ。金入勝子がいれば、明義氏がもう少し生きていればと繰言(くりごと・愚痴)をいうようじゃ「はちのへ今昔」もヤキが回ったナ。

2008年7月26日土曜日

郷土八戸に新聞誕生 奥南新報 明治四十二年 2

小中野新地の出火
去る二十三日午前三時四十分当郡小中野村新地貸座敷渡世(とせい)大喜楼事大久保キエ方より出火し全焼家屋十六軒戸数十八戸を焼失し同日午前五時鎮火したり
△ 出火の原因は大喜楼大久保キエ方に於いて二階客座敷のランプを過って取り落とし女一人にて之を消しとめんとせし
苫米地惨火の賠償
要求の必要については本紙は早くも主唱して村民の注意を促したる所なるが鉄道庁に於いても其の発火の原因について同情を表し調査の結果一戸に付き二百円宛て合計一万七千円を補償するに決し現金は早速県庁へ向け送致し夫々分配方を依頼するの外家屋建材料等は十分便宜を計り運賃を軽減する筈なりと機敏の処置と言うべし
近火お見舞い御礼
小中野村新地 一月二十三日
開進楼 大山トメ
    川守田周蔵
小中野村新地
浪打義也
浪打セン
小中野村新地
   柳本楼
小中野村新地
  新陸奥楼
小中野村新地
  魁春楼
  石橋タマ
小中野村新地
  万葉亭支店
小中野村新地
  曙楼
  音喜多サエ
小中野新地
さめや 桃太郎
   新陸奥 むつ子
   同   花吉
   柳本楼 もと
   万葉支店 ふく
小中野新地
小松楼 
音喜多駒吉
同  モト
同  コマツ
同  リセ
同  美代吉
下長苗代の出火
去る二十二日午前十時頃三戸郡下長苗代村大字河原木九番地士族阿部義勝方より出火し同所一軒を消失し十時二十分鎮火原因は塵芥を焼きたる火の取り扱い疎漏より起こる損害約三十六円位
売春婦の拘留
当町大字二十三日町当時堤町番戸不詳平民寅之助長女滝川ツ子(一九)は去る二十四日午後十一時半頃市川村の某を捉え密売淫最中査公に踏み込まれ拘留十日の処さる
田村活版所の好評
数年前当新新町に開業せる同活版所は熟練の聞こえある田村欣造氏の経営に係り印刷鮮明本精巧殊に廉価を主とし速調するより注文常に断ゆることなく外部は大渡福次郎氏担当し日々車輪的に勉強する等世間の好評を博しつつあり
非兼任について 八戸町長と消防組頭
前略 北村町長が名誉ある消防組頭を兼任し侠客肌を好むは去ることながら、新参政治屋として組頭を兼任するは、衆望と金の威光なるかを知らざるも、一般は甚だ面白からざる感情を以って解釈しつつあるは事実なり、消防組は軍隊と同じく、絶対的政治上に関係すべからざること敢えて多言をまたずと雖も、新参にも地方に於ける政界の一小星を以って任ずるが為、一波瀾を生ずる毎に、動もすれば世人をして其の間に疑惑を抱かしむる跡あるは、町長は兎に角、清浄無垢なる義勇的消防団の為、大に冤とし且つ惜しむ所なり、消防団固と其の人に乏しからず、又公私の別に明らかなるを以って仮令町長が組頭たる本務を笠にして誘惑するに意ありとするも、其の手に籠葢せらるるが如きは、萬有り得べからざる道理なり、然れども新参政治屋町長として兼任するが為、世人の疑惑を惹くに至れる次第なるを以って、町長として在任中は宜しく其の関係を明らかにし、其の襟度を示すの必要より、断然組頭を辞任し消防団をして不羈独立の体面を尊重し、倍々其の本領を発揮せしむべきなり、而して後任者の如き、何等政治上に関累を有せざる、予備将校の類より抜擢するを得ば、頗る適当なるのみならず、規律も亦随て厳正に庶幾かるべきは言を要せざるべし

2008年7月25日金曜日

市役所総務課庁舎管理の怠慢



庁舎管理がだるいからこのざま。何度言っても市役所は自分の家だと思い込んでいるのか、整理整頓、綺麗に使う精神が欠如。
 これを再三言うが、庁舎管理はヘイヘイだけ。写真は別館4階の管財契約課の横。通路は1㍍60㌢空けなければ避難ができない。昨日の地震が執務中に起きれば、ここを走って逃げる。それが、これじゃ逃げない内に転んで怪我だ。十勝沖地震の時は落下物で市役所女史職員が落命。他人事だと思っているから、このざま。
 市役所は市民の財産・生命を守るを義務とし、庁舎管理は職員の生命を守る義務があるがダルイ、汚く使う職員を督励し、避難路の確保をしなければならない。日ごろ恒ごろ筆者が警鐘をならす災害時に備えよを、庁舎管理は真剣に聞け。総務課長が病気で患っている。居ないのを幸いとしてズルけるな。人が見ていようがいまいが、真剣に取り組む姿勢を見せろ。それが市民の為になるんだ。諸君らは市役所を自分の物だと錯覚している。これは市民が諸君にお貸ししているのだ。借りている者は綺麗に使う義務があるぞ。
 前回、選挙管理委員会前が同様なのを指摘、その時、庁舎管理がなんと言い訳した? 「はい、各階を回って整理するように伝えます」よもや忘れてはいまい。今月の話だぞ。耄碌(もうろく)爺ィの「はちのへ今昔」でも、かろうじて(わずかに、やっと)覚えている。定年前の諸君が忘れるはずもあるまい。それとも年齢をごまかして採用されたのか? しっかり各階を巡回し汗を流せ、働くことを覚えよ。
 「はちのへ今昔」のような爺さんが昔いたそうだ。雨にも負けずで。市役所の入り口に立ち、遅刻者を追いかけ、所属部課名を告げろ、貴様はなんという姓名かと訊いたそうだ。雨の日は濡れるもいとわず、傘で指したそうだ。糠塚の人と伝える。いやいや、脱帽脱帽。
 今までは庁舎管理に伝えたが、やる気がないのでブログにどんどん掲載だ。

八戸市役所幹部職員はベンチの指示待つ球児

奈良岡なる人物を市長がどこからか連れてきたことが、球児を作った原因。副市長なんて妙な制度ができ、必死に努力し職員の最高峰、助役、収入役になろうと希望の灯火を掻き立てた昔が懐かしいと、やっとこ課長にお情け部長が寄ると触るとヒソヒソ。
 この奈良岡なる人物と市長がなんでも決断するため、部長連は憮然。今まで八戸市役所で長い下積みで、ようよう花が咲いたというのに、何の相談も連絡もなく蚊帳の外。指令、命令を待つのが仕事と、まるで高校野球の球児のように、バット片手にベンチを伺う。
 これじゃやる気も出ない。長年培ってきた伝統は職員をいきいき活躍させてこそ。もっとも、意地悪い課長が部下の手柄は取る、苛めて出勤できなくするも見るが。それとて、一部と思いたい。
 大体、希望に燃えて市役所に入る、三年もすると伝染するナ。無気力が。周りで張り切りすぎるとか、でしゃばるなと牽制球の危険球。そのうちやる気が失せる。課長になって部下を育てるかと思うと、部長におべっかで忙しい。
 中央市場長のように島流しになると、そっくり返って市場を歩く。腐ったキャベツ踏んづけてひっくり返るのが関の山。こうした手合いもいるが、全員が球児でベンチの指示待ちでいるのを、官僚あがりの市長は気づかないのかネ。
 中村市長時代も大鰐で大赤字を作ったのを引っ張り込んで失敗。大体、よさそうに思うことは失敗するもんだ。八戸市民のための采配が市長の仕事。小林市長はいきなり記者会見だと、議会軽視を叫ぶ、不平タラタラの市議も多い。
 これじゃ来年の市長選は一期でおしまいになりそうだ。民主が衆議院選挙で勝てば、市長選にも強力なライバル登場が予想されるだけに、今のままじゃ職員も敵に回るか。

児童館は必要ない、学童保育に切り替えよ

八戸市内に15の児童館がある。これに年間1億5千万円がかかっている。小学校3年生までが利用できる。4年生からはクラブ活動があるので、それに達しない子供を集めている。
 現今は児童数減少で空き部屋が目立つが、教育委員会は空いていないと言い張る。が、実際、学童保育を実施している小学校を見た。久慈の元校長が中学生をひっくり返して逮捕、どこにも愚かな助平爺ィがいるが、こんなのに狙われるのが登下校。児童館に行かせず、学校内で保育をするのが正しい。これに1億円を撒け。保護者は学校に児童を迎えに出ろ。
 こうすれば、社会福祉協議会に願わずとも、教員が指導、保育をしてくれる。どこに金を撒くのが正しいか、そしてそれにより安心・安全な社会を築けるのかに腐心しなければならない。現状が全てではない。変わる世の中、変わらぬ行政では安心も安全も空念仏。
 今居る椅子の上でしか物事は考えられない。急ぎすぎることはないが、遅きに失する(時機におくれて役に立たない。遅すぎて間に合わない)なかれだ。
 子どもたちは国の宝だ。それをつまらぬ事で失うは愚か。老幼婦女子は守るべき立場にある。ゆめゆめ忘れることなかれ。
 このような基本的なことを考えず、今年は指定管理者の入れ替え時、管理するだけで八戸市から1億5千万円が5年間貰える。景気が悪いと嘆くことなかれ、世の中こんなにいい話がころがっている。ただ、それに気づかないだけ。
 社会福祉協議会なんぞという訳のわかったようなわからない団体に仕事をさせず、その金を狙う団体が出てしかるべし。市役所の仕事は対岸の火事と見るから、おいしい話を他にもっていかれる。あとで気づいてベソかくな。今、子ども家庭課で募集要項を配布中だ。

2008年7月24日木曜日

全国の下水道は公団の食い物だ

現今はバイオ利用の水洗トイレの洗浄水を繰り返し使え、排水しない型のトイレや、水を全く使わないオガクズ利用のトイレなどが、人間の英知の結晶として実現している。
 水を使わないトイレは寒冷地特有の凍結の問題もない。また、循環式の水を下水に流さないトイレも下水道を必要としないため、これまた、多額な金を投入しないですむ画期的な発想。
 日本人はこうした発想をもてる世界でも優秀な民族なのだ。省エネの分野でも力を発揮しているのは日本人。世界的規模で日本人が海外の工場で洩れたエネルギーを捜して、それの対処を提案しているのをテレビが告げた。
 日本に初めて下水道ができたのは明治17年(1884)、東京神田。安土桃山の時代にも大阪には下水道があった。水洗トイレは1595年にイギリスで現在のような洋式水洗トイレが誕生し19世紀に一般に普及。
 多くの住民を抱える大都市では衛生的見地から下水道は不可欠。雨水、汚水の処理場も必要となり、大掛かりな仕掛けが必要となる。更に水洗トイレ普及で、不可欠となるが、地震災害で一番困るのが水洗トイレ。神戸の大地震ではマンホールの蓋を外し、その上に二本の板を渡して糞尿を下水道に垂れた。それとて、災害復旧が遅れれば山となる。
 人間は生きるために食うのか、食うために生きるのかと余計なことを考える人種がいて、それが哲学者。宗教家も哲学者で、考えるために座禅をするが、それも形式化して座ることに意味を見出す。それは働くことの放棄だ。余計なことを考えず額に汗することを喜びとするべき。お天道様と共に働き、共に休む生活こそ大事。夜中にモソモソパソコンやゲームをやって夜食を買いにコンビニに車を走らせるから、電気もガソリンも必要となる。小僧は早く糞して寝ろだ。
 さて、大規模な金を必要とする下水道事業に着目したのが公団。下水道普及のため施設すれば、国から補助がでる。それが分割されて出るのに着目し、それを全額立替しましょうと甘い言葉を地方公共団体にささやく。
 慢性的金欠病に陥らされているのが地方自治体。それは、国があれをやれ、「それにはこの金をやるから」、「ヘイ」、「それからこれを補助するから」、「こら有難い」で、へいこらと言う。どうしてもこの甘言に乗る。そのつけが八戸市でも年間金利だけで2億5千万円。
 白山台の大規模開発のツケが今、廻ってきている。公団は美味い汁を吸う仕組。金利の外に公団に毎年1億5千万円の委託料を支払っている。これは勿論随意契約。経費削減でこの金額を低減させる。また、金利が年利7%など法外なものがあるので、これの借り換えだ。
 これを下水道課に願い働いてもらった結果、年間1900万ほど削減となった。これも国が5%までは借り換えをしていいという。国策でこうした乱暴なことを地方に強いるは、何を考えているのか、国は地方住民を無視し、公団や銀行などを保護しようというのか。納得しないことが世の中多い。
 この下水道で光る職員がいた。それが早狩氏、こうした人材を見るのも楽しみなものだ。市役所二千三百人。たまには石の中に翡翠も混じる。

陸奥湊駅前再開発は出来るの? 5

青森県が時間と金をつぎ込んだ成果品がこれだ。

この図は市営魚菜市場を中心核とし、本町を温存する形だが、これはすでに本町が勢いを失したので役に立たない。これが第二案で、第一案はより消極的な現吉田歯科に魚菜市場と同等な建物を建築する案。
第三案が抜本改善案で、駐車場を下に持つ大掛かりなもの。これら県の具体案が埋もれたのは実に惜しい。往時は地権者も金をふんだんに持ち、この案に耳を貸せば、現在のような衰微した状態を嘆くこともなかった。
 人は今しか物を考えることはできない。過去を思い起こし、あの時ああすれば、こうしたらとレバとタラは死んだ子の年を数えると同じで、今の役には少しも立たない。公家が過去の栄光で食える話は聞いたことがない。筆者の友人で三菱銀行の創始者の末裔がいる。この人の家系図は凄い。大伴家持まで行く。大学の友人で柳生一族の総本家もいたが、その比じゃない。この友人は文京区の染井に東京都が第一号で造った都営霊園に墓地を持つ。染井は植木屋の多い所で、染井の桜で有名。その墓地が立派で大理石の家。そこに乞食がいて、墓参りするたびに「申し訳ありません、墓参りをします」と断りを入れる。その墓の借り賃が広いだけに年間二十万とも三十万ともいう。先祖が立派だと子孫が苦労すると、成城学園の土地を半分売ったゾ。昔は公家でも今が食えないじゃどうもこうもなりません。
 陸奥湊も儲かっている時は勢いで、人の勧告も注意も耳鼻に入らぬが、困ると尋ねる友の家で、何かいい方法がありましたら教えて頂戴だが、こういう時はえてして、どうにも身動きがとれないもの。
 そこで頼りにするのが行政の力、再開発をすれば金が出ると思っているが、存外間違いではないが、聞き違いだ。全額は出ない。設計費の三分の二がでる程度。そうするとこれに手を伸ばすのが設計屋。お客をそそのかして「やろうやろう」と男の風呂のようなことを言う。え? 野郎、野郎で男が二人ダヨ。
 そこで市役所の都市政策課も土曜日に借り出されるわけだが、もとより、昔の事跡も知らぬ同士が騒いでいるから、ただ、時間の損。もっと先人の知恵を学べだ。
 役所にそれを伝えたら、課にはそれがなく、どもこもならん、困った存在の商工会議所に借りに行ったと。役所が二百人体勢の無知、恥知らずの商工会議所に借りに行くはこれまたどうもならん。
 こんな人材しか居ない八戸市役所はもっと、腰を入れた人事をしろ。今の文化スポーツ振興課長は、一年前は別の場所、二年前は同じ所だ。こんな知恵足らずの人事をする奴ばらの面が見たいもんだ。一年タダ飯を食わせただけ。民間会社じゃ倒産だよ、倒産。
 陸奥湊の地権者が寺地議員と相談し、桃川の土地が青銀の抵当流れで外資系に流れた。それを市長に買えと談判。これも妙な話だ。自分が困れば市に泣きつくじゃ、まともな成人の考えることじゃない。当然蹴られた。
 ほっとけ、ほっとけ、桃川の土地はその内、外資が買ってくれというだろう。そのときまで待つことだ。この陸奥湊の凋落では、誰も買い手はいない。買い手がなければ、空き地で放置。そうすれば囲いの鉄条網をブチ切て使えばいい。どうせ相手は外資だ。アメリカから来るうちに逃げればいい。
 第三案は大きな卸市場、左手に小さな小売市場と棲み分けが図られている。こんな大構想は今となれば夢のまた夢、設計会社はでかくないと実入りが少ないからでかくしよう、でかくしようと言い立てるが、おっと、乗るな口車とモッコ。乗れば借財も圧し掛かる。払えないで土地は取られる、赤字は残る、残る赤字が癪(しゃく・腹が立つ)の種。
 よせ、よせ、行政だって手柄にしたいから適当なことをいうが、責任なんてないから言える。そそのかされた方が悪い。夢はばら色、現実は真っ暗で、格差が大きい。できるところからやるべき。駐車場がなくて来ないは三日町も同じ。駐車場は空いてる店を持つ市場を取り壊せ。そこを駐車場にしろ。それだからと言って、スーパーに流れた客を呼べるだろうか。そんな時間帯に店をあける人がいるのか、地権者は小売店ではない。大家だ。おおやはおお嫌で、額に汗せず儲かることを夢見る人種。
 これはなかなかまとまりませんゾ。

2008年7月23日水曜日

またも防衛省をだました八戸市教育委員会

公会堂と八戸公民館は同一建物だが、看板だけが二つ。これは繰り返すが建設当時、オイルショックで物資高騰し資金不足。そこで、当時の防衛庁から公会堂には金を出せないが、公民館ならと言われ、看板だけ公民館にした。このため、公民館費と公会堂費の二つが指定管理人に支払われているが、これをズルしているのが、公会堂館長の石橋氏、警備員が公民館と公会堂に配置されているが、それらを同時に発見できない。

 苦情を言うと居ませんかとボケをかます。この費用も看板二つのため、まったく無駄。この金は市民の税金を投入している。八戸市民は虚勢された犬で、尻尾を振るのは知っていても吠えるを知らない。

 苦情を言っても無駄だと思っているのだ。そんなことはない。堂々と言おう。諸君に役所はお貸ししていると。綺麗に使用するべく、清掃員も雇用。その額とて馬鹿になりませんぞ。何千万という金が投入されている。

さて、また気のいい防衛省を今年の三月またもだました。それは八戸公民館の石綿除去。これに二千六百八十万を出させた。国をだましてジャズ館を建てたと南郷村の職員が吠えていたが、それが八戸になったので、やはり八戸がだましたことになるナ。

これを詳細に見ていくと、公民館にはゴミ捨て場があるが、公会堂にはない。もともと一つの建物を名前だけ二つにしたので、壁や仕切りもない。国も八戸市が困っていたのを知って、だまされたふりをしたのだろう。

木下杢太郎だ。国は国とて、だまされたふりをするのを常とするだ。ゴミ捨て場は公会堂と共用なのだ。それを公民館だけのものとして、これも計算の中に入れて補助金をごまかした。悪いネ、それをしたのが教育委員会。児童を教える立場が人をだますじゃ、反面教師の教育委員会だ。

陸奥湊駅前再開発は出来るの? 4


この昭和51年の青森県の勧告文書の存在を地元地権者、八戸市当局(都市政策課)も知らない。先人の知恵をなんだと考えるのか。
 これでは猿と等しかろう。我々は識字を武器とし、様々な知識を修得したのではないのか。その存在も知らないのはぞんざいに物事を扱ってきたとがめだ。金を集めるはいい。だが金に支配されるようでは本末転倒。これは地権者に言う言葉。
儲かっていた昭和51年、ちょっと前だが30年も前だ。
 30年を一(ひと)世代という。地権者は親父の代だ。では役所はこの県の勧告書を何故知らないのか。第一は人事移動、慣れた頃に違う課に配属となる。下水道を担当して、子ども家庭課に行くようなもの。まるで過去の経験が役に立たない。
第二は役所は文書を基本的に保存しようとしない。保存期間が決められ永年はまれ。第三は資料を整理しようとしない。作れば作りっぱなしで棚 に置いたまま。これが高じて人が去り金を投じた資料も埃をかぶり、ついには捨てられた。
 ところが図書館はカビの生えたような資料を大切に保管する。三万の増床問題のガリ版刷りの文書も保存されている。市役所に保存機能がなければ図書館に保存を願え。意地糞悪い姑婆ァも本領発揮するぞ。市役所職員は小姑で。これらが根性が汚い。「はちのへ今昔」の言うことをヘイヘイと上辺だけ追従(ついしょう・おべっかをつかうこと)だ。腹の底ではあかんべえ。
 前にこういうことがあった。資料を持参しろと命じて市長室に行った。出口でその資料を取りに行った職員が連れの女職員に、「まったくやんなちゃう、大体態度がでかいんだよ、あの爺」と言った所で筆者と眼があったナ。ばつが悪いはこのこと。途端に小さくなった。筆者が黙って情報開示の部屋に行くと、彼等も後ろに従った。
 持参した資料に眼を通しながら、「世の中はこうしたもんだ。壁に耳あり障子に眼ありとナ」
「へい」と答えて小さくなったナ。
 こんな職員しかいないのが八戸市役所。大同小異。ときに光った職員も見るが小数小数。
 さて、肝心の県の勧告書類だ。
勧告
〔勧告第一〕立地環境の変化を適確に把握すること。
 現況の本町・駅前・柳町の3街区を含めた湊地区商業街区の立地環境は、前回の昭和47年の診断においてもすでに若干指摘したところであるが、4年後の今日すでに大きな変化の渦中にあり、しかもそれは悪化の一路をたどっていると判断される。
 今回の診断に際し、最も警告したい事項はこの一点に集約される。以下各街区についてその概要を述べるが、この認識の上にたって街区集団としてこれに対応した対策を早急に実施する段階にきていることを確認する必要がある。
1.本町商店街の存立基盤は既に失なわれている。
 本町商店街の形成の歴史は、八戸漁港における新井田川河口の船溜りの上陸地点を背にして立地し形成してきた街区であり、そのため漁船員対象の男性向作業衣より発生し紳士用品としての紳士服・紳士洋品・靴履物・メガネ・時計・漁船納入の食料品、菓子・飲食店・パチンコ等の業種で構成され、従として館鼻・小中野方面の一般消費者を対象として婦人衣料、呉服が立地した街区である。従って原則として駅前方面の生鮮品の消費者・小売業者とはほとんど関係なく立地してきたものと思われる。
 この存立基盤は、船溜りの舘鼻漁港への移動という大変化によって致命的な打撃を受けることは明らかである。
2.卸売市場と小売市場は明確に分離されるべきである。
 公設市場を中心とする市場群の発生の機能は、おそらく二次卸的な小分け機能と業務納入機能が主体であったと思われるが、戦後の食料危機を経て、消費者の期待する卸業者の小売機能の必然的な増大によって、昭和20~40年代にかけて、二次卸業者の小分け細分による高鮮度・安価な特性によって八戸全市のみならず、その全商圏からの一般消費者の集中となって繁栄を極めたが、衛生上の問題と小分け細分の面倒さと人手不足、さらには卸売りによって充分な利益を得、休憩すべき時間における販売のために、消費者に対して不愛想的になるという欠点が表面化してきた。
 最近、この欠点に加えて、周辺地のスーパーの進出も手伝って急速に遠隔地の消費者が滅少してきており、このままでは卸売・小売共に機能低下による売上不振に拍車がかかってくることは明白である。
 これを改善するには、二次卸と業務納入のウェイトの高い業者はこれを専業として、品揃えの強化・サービスの徹底につとめ、小売りのウェイトの高い業者は消費者に顔を向けた専業者として、消費者のニーズにこたえた商品の細分パッケージ化と、より専門的であり、ワンストップショッピング的な品揃えと機能分担を実行することが先決と思われる。
 当たっている部分が多い。勿論外れもある。
 次回は県が作った図面の紹介。

2008年7月22日火曜日

陸奥湊駅前再開発は出来るの? 3


青森県と八戸市、そして商工会議所が昭和51年に「八戸市港地区商店街報告書」には幾つもの提案がある。
1.診断の目的
 湊地区商店街は、昭和47年度に実施された商店街診断において、その立地条件の厳しさが指摘された。以降さらに、中心商店街の商業集積が進むと同時に周辺地区の商店街区化か進展中であり、湊地区をとりまく環境は一層厳しさを増してきている現状である。このため、湊地区商店街においては、前回診断時に比較し地盤沈下の兆候が見られる。
 そこで、今回診断はいかにして湊地区商店街の地盤沈下を防ぎ、かつ長期的な繁栄を築くかの基本的プランを提示することを目的としてなされたものである。
診断をしたのは県、市と商工会議所は協力とある。診断長は県経営指導課長蝦名博之、八戸市経済部長正部家種康氏の名も見える。
 診断並びに基本計画の前提となる制約条件
1.生鮮卸売市場と小売市場の今後
 生鮮品の流通機構については、中央卸売市場法による農林省のレイアウトにより、青果物については農林大臣許可にて、東北地方では八戸のみ青果中央卸売市場として昭和52年に開設することとなっている(目下建設中)。従って、魚加工品の付属店舗が一部出店されることはあっても、これに鮮魚の卸機能が付加される心配はないと思われ、従来通り鮮魚卸売市場として小中野・舘鼻・鮫の3市場が産地市場として認められるわけである。
 小売市場については、引揚者の救済対策の一環として立地した湊の小売業者の中から市公設市場条例により、小売機能をもって営業させ、これを核として隣接して駅前に十数ケ所の私設市場が経営され今日の姿となっている。
 今後の問題点として、二次卸としての市場入居者と、これが小売を兼業しているための業者マージンの面でのメリットよりも、消費者に対するサービス、小分け包装販売の人手不足等の面でのデメリットの方が強く出てきており、周辺地域のスーパーマーケットの清潔さと、プリパッケージの消費者習慣の定着により、消費者の市場離れが促進される心配があることである。
 今後、これらの2つの機能の明確な分離による専業化が問題となろう。
2.国鉄駅は現状維持とする
 「地域近代化計画」のプランにおいては駅舎の南側への移転を前提とし、市場の南側への移転を打出しているが、本町商店街の現状を考慮して、国鉄駅は現状のままとすることを前提として基本計画を考えることとする。
(県の考えは駅移転の大構想・権力は偉大)
3.本町と駅通りと柳町の一体化を前提とする
 本町商店街は、旧湊船溜りの機能を利用して、上陸船員を主対象として発生した超地域型買回り性男性向中心商店街として形成された街区である。駅通りは、市営市場を中心とした市場群を対象としてその小売機能に対して集中した消費者を対象とした、地域型準買回り性主婦向中心商店街として形成されたものである。柳町は、駅前の機能を補完し、地区型最寄り性主婦向近隣商店街として、より特化した街区であり、それぞれ異質の街区である。
 この異質の3街区が、歩車道の区分はほとんどなく頻繁な車両通行量にさえぎられ、ばらばらに機能しており、その力と機能を充分発揮することなく極めて不利な立地粂件のもとで、増加する後背地の新興商店街に安心して買えるという魅力のために、漸次その商圏を侵蝕されつつあるのが現状である。
 この対策としては、これらの異質ではあるが、これを一ケ所に集積することができれば巨大な力と魅力を持つに違いない3街区を、一体として機能せしめることが前提となる。
4、基本計画の作成の方式
 今回の基本計画にあたっては、地元経営者のニーズを極力とり入れるため、話し合いによる地元の意向を吸収するにつとめる考えであるが、提案のあり方として、抜本的に思い切った案を作成するのみでなく、現状の市区構成はそのままとしてその中で改善可能な点を考えて最善と思われる案と、さらには現状の街区はそのままとするが街路を通路として考え、駐車場・モールをやや架空的に思い切って配置する案を作成し、計画のウェイトはあくまで抜本案とするという作成方式で提案することとする。

2008年7月21日月曜日

陸奥湊駅前再開発は出来るの? 2


八戸図書館に新聞切り抜きがある。東奥日報が16年前に掲載した、昔今未来というシリーズ。
それに八戸・陸奥湊がある。庶民の台所、ヤミ商い中心に、戦後急速な発展と題され以下の文。
JR八戸線陸奥湊駅前。港八戸を象徴するように魚市場がずらりと並一び、夜が明け始めるころから、背負いかごを担いだ商店の人の仕入れの姿や鮮魚を積んだ小型トラックでにぎわう。道の両側に広げられた露店でも売り買いの声が上がる。戦後からこれまで変わらぬ光景だが、近年、かつてのにぎわいに幾分陰りも見えてきた。これまでの歩みや今後の活性化の道を探る。
 「戦前の陸奥湊はボッサリしていた」と湊町上中道の畑中末吉さん(八八)は当時を思い出すように静かに語った。畑中さんは、陸奥湊地区を含む第一久保町の町内会長を昭和二十三年から五十五年三月まで務めた町内の長老の一人。昭和三十四年から、駅前に千軒文化市場を開いている。
  「戦前は旅の人(八戸以外の人)が多かった。スルメや煮干し、ワカメなどを商いしていた。にぎわうようになったのは戦後。鉄道の駅員たちがにぎわいのきっかけをつくった」。宮城、秋田、岩手、新潟などから農産物やあめなどを持ったヤミ行商人たちが、駅に降り立ち、スルメや煮干し、鮮魚、塩辛などと交換した。その人たちは、鉄道の運賃がかからない駅員やその家族が多かったという。「あれよあれよという間に、自然発生的に家の軒先を借りた商い人が増え、開けていった」と畑中さん。スルメはドラム缶に詰めて出荷、当時の金で一日二万円稼ぐのは簡単だったという。
 そのうち、陸奥湊は安いと評判が立ち、旧市内の奥さん方も買いにくるようになった。「陸奥湊はおっかないと言われたのは、このころだな。これは仕方がなかったんだ。とにかく忙しかったし、大量出荷が多く出荷向けにこん包していたから家庭用に分けて売ることはできなかった。店の人たちも大きな声で『だめだ、売られない』と叫んでしまった」
  「仕入れの缶を背負ったがんがら部隊や各店が違法に線を引っ張ってつけていた裸電球の電気代で電力会社と交渉したのも懐かしい思い出だ。今は買い出しの人も少なくなったかな」と語った。
 この畑中さんは昨日の記事の父君。まだ、力が16年前にはあった。図書館職員が昭和五十一年に青森県と八戸市、それに商工会議所が作った再開発の書類を発見。それには完成予想図まで書かれてある。今から三十年前、陸奥湊には力が充満していた。次回はこの図を中心に考察。

2008年7月19日土曜日

陸奥湊駅前再開発は出来るの? 1


10年前に陸奥湊駅前の特集を「はちのへ今昔」で掲載。その頃と今では天と地の差。八戸の快男児、畑中徳寿さんが私財を投じて、光星高校野球部を甲子園に出すべく支援した話は筆者に落涙させた。昨今、寄る年波で涙もろくはなったが、この人の無私の精神には感動した。こんな人が八戸にもおられたと思った瞬間、滂沱。
 その快男児が再開発の首謀者、高齢者の部類に属しても活躍。この人は市議の寺地氏を推される。この寺地さんも泣く、人前はばからずに、これらの人を中心として再開発が可能かを模索中。ところが、魚類を売る側が高齢化で一人減り、二人欠けで、十年前とは異なり勢いが減少。売り手は減る、買手だった市内・近郊の食料品店が車社会に便乗し、大駐車場を備えたスーパーにやられてその数激減。
 売り手が減り、買い手が減る中での再開発だが、投資して元が取れるの? 地主高齢化、地主も3代目になろうとする時期、孫にあたる世代は儲からないことに金をぶち込むなと冷めた見方。これが正しい。
戦後混乱期に自然発生的に露店が出て、魚介類の販売。それに市側が戦争未亡人対策で診療所を取り払い、市場を作った。これが原点。この市場の物資を求め、ここが大爆発。石油缶を改良し、背中にしょって郡部に販売した俗称カラス部隊、行商のおばちゃんたちが列車を使って方々へ毎日、スーパーユニバースの代わりを果たした。勿論、その頃はユニバースの社長も紅顔の美青年、まだ、海の物とも山の物ともつかない。つまり物資を支えたのが名もない庶民たちだった。
 それらの人々も戦争の傷も癒え、次第に数を減らす。つまり、それらにとって代わったのが食料品店の出現だ。この人々は朝早く買出しに出て、夜遅くまで店を開けた。つまり町のコンビニの役割を果たした。
 ところが、馬の代わりの鉄の馬の出現で、うまくない事態が出現。ユニバースらの台頭だ。暗く吊るし電球の店から蛍光灯に照らされるスーパーの出現時、これらスーパーは長持ちしないと酷評、スーと出てパーと消えると嗤(わらう・この語はあざわらうの意)われた。これが、鉄の馬の出現で勢いを得た。昨今は30分も走れば下田のイオンに行く。だから、江戸の昔から続く三日町十三日町も日曜日は閑古鳥。
 商売繁栄は必ずかつての繁華街から派生的に外に広がる。人口の増に伴い、吸収しきれなくなるからだ。それが八戸では本八戸駅の新設(当時は八戸駅・明治二十六年だか七年)で新しい商店街が出来る。そして南に伸びたのが長横町、そして新長横町。
 滅びるときはこの逆で、新規に伸びたところからダメになる。すると陸奥湊は戦後間もなくの興隆で滅びる要素も充分。権利金・敷金が安い所はそれなりの理由がある。滅亡に向う町を建て直すは至難な技。
 社会構造が違ってきて、陸奥湊は早朝から開業し、食料品店に供給する要素が欠けた。つまり、食料品店の減少、それに供給側の高齢化。売り上げ増で、サラリマンは馬鹿らしいと思えるなら、誰が好んで人間関係の複雑な役所に勤める者がいる。売れない苦労より精神衛生には良くないが勤めの方が楽だと跡を継がない。そんな体質の陸奥湊に、観光客を呼び込める要素が残っているのか。 明日に続く。
 

2008年7月18日金曜日

八戸市役所部下潰し第2弾 資産税課長の巻

この男が資産税課に配属になり、課の雰囲気は一変。前の課長は穏当な人物で誠実を絵に描いたよう。ところが、この課長は部下は叱り飛ばす、市民が課税に対して相談に来るとケンカ腰で、てんから(あたまから)言いくるめようとする。これが市役所のやりかたか? 大体この男の体がでかい、態度もでかい、面もでかいと三拍子。
 市民に対しても、話を聞こうとする態度を見せないような奴だけに、部下をかばおうもしない。だから課員が萎縮して、絶えず眼を課長席に走らせる。小声で喋り課長に聞こえないように必死の努力。つまり、話した内容にまでいちいち、つべこべ言い立てるのだろう。
 資産税は市税の7割を占める大事な課だ。その要職に就いたトタン、思いあがったナ。自分がえらい、能力を認め要職を勤めるようになったと。自分が7割を作ったわけでもない。先人たちが築いてきたものの上に、たまたま座ることが出来ただけだ。人事課は配属間違えをした。
 役人は慇懃無礼(いんぎんぶれい・うわべはていねいなようで、実は尊大であること)と書いたが、この奴は慇懃抜きのタダの無礼だ。よくこんな奴が資産税課長になれたもんだ。こういう奴に限って上にはヘイコラして、下にはオイコラだ。
 「はちのへ今昔」が新税を検討したのが増えるものに着目の、携帯電話のアンテナ課税だ。6月18日に掲載。この問題を訊いたのは四月、今は七月。
消却資産となっているアンテナは15㍍をも越える。こんな物騒なものに、申告制の消却資産だと当然洩れ、つまり脱税もあるだろう。資産税課はどのように管理しているかを訊いた。
 係のH氏は資産税課は130本を把握していると言う。建築指導課はおよそ100。違いがあるがどうなっていると訊くと、資産税課は現場に行かず税務署に申告になったものが、当課に来るので間違いがないという。なら、その証拠を見せろと迫ると、出してきた書類には八戸市だけしか記載がない。これでは当該場所が確認できなかろうと追求すると、しどろもどろ。地方税法を見せろと、捜すが町村地番を書かなくとも良いの記述はない。
 課長も出てきてコンニチワ、申告書に八戸市しかないが、これでいいのか、確認が出来なかろう、すると、県に確認してみるとの返事、「よもや一年もかかると言うなよ」と筆者。そんなにかかりませんと述べたのが課長。ここを押さえてくれ。
 時折、係りのH氏に聞くと県に問い合わせているが返事がない。まだ待て、まだ待てで今は七月だ。しまいに係りがオロオロしているが、課長はその部下を助けようともしない。大体この課長の目つきが胡乱(うろん・うさんくさいこと)、先ず人を食った物言いをする、言ったことばを自分の都合の良いように置き換えて喋る。実に珍しい型の人間。
 こうした手合いを無頼漢という。「はちのへ今昔」がまさにそれ、筆者は雇われたことがない、長いようで短い人生を誰から金を貰うでもなく、なんとなく生きてこれた。人間なんてのは頭など下げなくとも生きていける。望外なことを夢みなければ。
 さて、昨17日に係りのH氏に電話をして、確認、まだ県が返答しない。課長に電話を代わってもらい、県が言ってこないというが、どうなっている? 「あんたは一年待つと言っただろう。もう少し待ったらどうだ」
ここで、先ほど押さえた言葉を並べる。
「よもや一年もかかると言うなよ」
「あんたは一年待つと言っただろう。もう少し待ったらどうだ」
これが無頼漢の手口だ。こうしたことは筆者の手の内にあるから、「H氏が県に口頭で伝えるから、こうなる。課長は県に文書で、内容証明で返答を迫れ」こう切り返すと大抵はカッとなり、次の文句が出る。これは仕組まれた罠だが、資産税課長は気付かない。自分の方が上手だと盲信しているから。
それが、これだ。1、2、3
「内容証明を出して欲しいなら、あんたも文書で市長あてに出せ」
「忘れるな、内容証明で出せよ、市長にはメールを送るから」
昨今はメールが来ないから彼はどうしたかしらと、プーパー娘が携帯電話を開いたり閉じたり、あんなメールを気にするから気がめーるんだ。
すぐさま、市長あてにメールだ。今度は資産税課長がめーる番。内容はこれだ。資産税課の怠慢資産税課に提出される消却資産には八戸市だけしか記載されていない。携帯電話のアンテナは資産税課が確認しているのは130本、建築指導課に建築申請が出たのは100本。消却資産のアンテナと確認申請がなされたものが同一かを確認したが、八戸市だけで充分で、町名番地の記載は必要ないと言う。申告申請用紙には記載する必要がないと言い張るが、地方税法には町名番地を省略していいとは記されていないその点を突くと県に聞くという。4月からその状態が継続し、時折係の橋場氏に聞くと、県が回答をよこさないの一点張り。本日、その対応のまずさを課長に指摘し、電話だけだと県も聞き流すので文書で申し入れろと伝達すると、お前が市長あてに先に文書で出せと言うそのため、本日7月17日付けで、課長のしかたないじゃないししない氏に県に文書、それも内容証明で出すように、市長命令を発するよう要請する「はちのへ今昔」 小川真交渉には手口がある。頭を低くするとこの課長のような奴には言いくるめられる。布団でくるむ発言者もいたナ。まあいいか、最初からケンカで行くのが「はちのへ今昔」。男65年やっていて、交渉で負けたことは一度もない。暴力では負けたことが何回かある。長横町で消防職員だか警察官で高校時代ボクシングの日本チャンピオンになったとかというのと殴り合いになり、右の眉を深く切ったことがある。39歳の時だった。 殴られて痛いのはその時、眉を切って今でもその傷が残っているが、これも勲章だよ。
さて、課長どうする、どうする。怒って部下をいじめるなよ。課長が悪い課は暗い妖気が漂う、来年の転勤を夢見る者の眼はうつろだ。

朝鮮人は凌虐に耐え、しかも矜恃を保つ民族

東洋文庫に「朝鮮独立運動の血史」がある。その中に次の文あり。中米新聞社『大陸報』は、つぎのように言っている。
 ある欧米の女性宣教師は、さいきん朝鮮を訪問し、日本人の朝鮮人待遇の実情を調査し、このほど上海に帰った。彼女の述べるところによると、朝鮮の女性たちに対する日本人の態度は、非常に残酷無惨である。現在の朝鮮は厳然たる暗黒時代で、道徳的にも学問的にもきわめて水準の高いすぐれた女性たちは、ほとんど牢獄に入れられて、筆舌につくしがたい虐待を加えられ、きわめて多数の人が、ひとしく心理上、生理上の深い傷痕をこうむっている。
 しかし、朝鮮人民の独立精神は、このうえなくすぐれ、かつ偉大で、百折不撓(ひゃくせつふとう・何度くじけても尚心がかたく、困難に屈しないこと)、たとえ死んでもなお後侮しないものがある。そのために、日本兵や警官に対しても、すでに畏怖するものはなにもない。日本人はつねに「外国の宣教師がそそのかした」とデマをとばすが、実はいささかの根拠もないのである。朝鮮人の独立要求は、すべて自発的である。
同女性宣教師は、種々の文献的証拠をつかんでいるが、その証拠のうちの一例は、ある日本官憲が一女学生の事件を審理した記録によるものである。そのなかで同女学生は、「教師の教えに従わないで、街路で、朝鮮の国旗をもち自由独立を高唱した。日本人はこの女学生を逮捕し、衣服を剥ぎ、木架に縛りつけ、顔面を竹刀でなぐりつけた」と述べている。その他多くの惨刑は、いちいち枚挙のいとまがないほどである。これらの女学生は、ひとしく愛国心に富み、学問にすぐれ、また英語をよく駆使できる者である。
彼女らが、旗を高く掲げ「万歳」を高唱するのは、一種の消極的愛国の行動にすぎない。それは、上海でストライキをする中国の女学生と、なんら異なる点はない。しかし、日本人は、この朝鮮人学生の行動をあたかも仇のように待遇しているのである。
マリアという名のある女学生を法廷で訊問したとき、日本官憲は、マリアに、「お前は朝鮮独立を考えてどれくらいになるか」と質問した。マリアは、「わたしは心の中で独立を考えない時はありません」と答えた。日本官憲は、「お前はなんで、男子と同じように独立運動をしようとするのか」と言った。マリアは、「世界のあらゆる成功者は、みな男女が協力して成功しています。よい家庭は、かならず、夫婦が協力してつくるものであります。よい国家もまた、かならず、男女協力してこれをつくるものです」と答えた。つぎに「お前はどういう料簡で独立がいちばん大切なものと信ずるのか」と問うと、「わたしは朝鮮人である以上、朝鮮の独立を望むのはあたりまえのことです」と言った。「お前は立派な教育をうけているが、別に特別の理由があればすべて申したてなさい」と言うと、「わたしは、わたしの考えをことごとくあなたに話したいとは思いません」と答えた。
日本官憲が「お前は日韓合併と日本政府の政策を、どのように考えているのか」と聞いた。マリアは、「朝鮮は、けっして日本の合併には応じません。あなたの政府の朝鮮支配にいたっては、すべて公道に反し、まさにドイツがその属国を処置したところとまったく異ならないものです」と言った。日本官憲が、「お前が朝鮮の独立を要求するのは、別に特別の理由があるか、どうか」と言うと、「わたしには、三つの理由があります。一つは、朝鮮の幸福を図るためであります。二つは、日本帝国の幸福を図るためであります。三つは、世界の平和を図るためであります。第一は、朝鮮と日本の歴史、風俗、言語はまったく異なっています。日本はけっして朝鮮を同化することはできません。わが国のさきの皇帝と人民は、けっして合併を願ってはいませんでした。さきの皇帝が合併条約に署名したのは、日本人が武力で強要したからです。ここ十年来、朝鮮人民は、独立を図り、前者が倒れれば後者がその意志を継ぎ、つぶさに、あらゆる痛苦をなめ、一命をうしなっても後悔せず、男女老幼全国民は一丸となり、一人として独立を切望しないものはありません。第二は、朝鮮人民はすでに日本の支配を拒否し、あなたがた日本のいかなる圧制をも問題としていません。ついに叛乱はまぬがれがたいでしょう。したがって、あなたがた日本がその安全を計るためには、朝鮮の独立を許すのがよい方法でありましょう。
第三は、朝日両国間が険悪で衝突をくり返せば、極東の平和はないし、またひいては全世界の平和もない。そのため、世界の平和をはかろうとすれば、先ず朝鮮を独立せしむべきです」と言った。日本官憲は、「お前の話には誤りがある。お前はなにを考えて独立を求めているのか。アメリカをたのんでか、武力をたのんでか、それとも平和会議か」と質問した。マリアは、「わたしは神を信じています。わたしはアメリカに期待などしていない。また武力をたのんでもいない。日本が朝鮮を併合したときは、武力的征服ではなく会議のかたちをとりました。そのため、わたしもまた、日本政府との情理のある談判で独立を恢復することを望むものです」と言った。
日本官憲は、「お前にはすでに、なにも手にいれられるものはない。なんであえてこのようにおろかな行動をするのか」と言った。
マリアは、「事は人によってなされるが、その成敗は、運命であります。わたし個人の力は弱く無能ですが、しかし、かならず国家のために力をだすべきであります」と言った。日本官憲は、「お前は教育をうけており、この料簡のせまい偏見をすてて、つとめて日本人と同化につとめよ」と言った。マリアは、「わたしは、そんなことはできません。わたしは朝鮮人です。かならず朝鮮の独立を希望します云々」と答えた。
この他にも、なお、ある村に一女性がいた。名を張雪といった。奥地のちいさな村に住んでいた彼女は、独立運動の風評を聞き、この風評をまちがいないものと信じた。そして、ついに、人にも知らせず、みずから葬衣一揃えをつくり、ある朝早くこの葬衣を着て警察署の前に行き、大声で「独立万歳」を叫んだ。日本警官はただちにこの奇女を逮捕し、「いったい誰に教えられてこのような奇態を演じたか」を聞いた。張雪は、「教えた人はいない」と答えた。日本の警察は、「教えた人がいないなら、なんでお前は『万歳』を叫ぶのを知っているのか」と言った。張雪は答えて、「鶏は、夜があけはじめると鳴くものですが、はたして誰が鳴くことを教えたのでしょう。わが国の独立の日は、すでに曙光が見えています。そのために、わたしが『万歳』を叫んだだけです」と言った。二日後、日本警官はその両手に拷問を加え投獄した。彼女はまた、縛られた手指を咬みやぶって、血をもって着物の襟の上に「独立」の二字を書いた。その家族がこのことを知り、獄中に食事を差し入れた。張雪は、このとくべつ良い食事をとろうとせず、獄中の人と苦楽をともにすることをねがった。また種々の苦役を志願して、少しもうらみごとを言わなかった。
朝鮮はすでに復活し、女子の英傑は男子に異ならない。種々奮闘につとめ、断固節操をたもち闘いつづけることこのようであったので、これを考える日本人をしてぞっとさせるものがあった。
 
 日本が戦争に負けたとき、この闘いが出来た人がいたか。負けても負けないのが朝鮮民族。いつも虐げられている人は、表面は温和だが、腹の底は煮えたぎっている。ベトナムでもこれを見た。同じ東洋人だが、日本人は直ぐ忘れる民族だ。自分が倒れても、その意思を次なる者が引き継ぐの精神は殴られ続けて体得したものだ。三つ児の魂百までもで、恥辱は雪(すす)ぐが彼等の基本なのだ。学ぶところが多い。

2008年7月17日木曜日

雀の嘆きを誰が知る、またたく命を誰が泣く

今、小雀が飛び立つ頃、道路を少し飛んでは休み、また飛ぶ小雀を見る。一年で今が一番良い気候だ。そんな時に雀が子育て。母雀が横で心配そうに見つめる。車の運転にはこの小雀に気を配ってくれ。潰れた小雀を母雀が車の往来を気にしながら、何度も傍に寄るが、小雀は次第に車輪の下でペチャンコになった。長横町だ。
 母雀の嘆きはチュン、やはりチュンでしかない。電線に止まって、下を見てチュン。寂しかったろう、悲しかったろう。それでもチュンだ。そのうち飛び去った。情けないもんだ。心が痛む。
 類家の二号公園で、一人の婦人がタバコを長い時間かけて吸う。いとおしそうに、一本のタバコをじっくり味わう。頬がこけ、眼窩は落ち、毛髪は帽子に隠れてはいるが、ほとんどない。抗癌剤の副作用だろう。少し離れたところにご主人らしい人。
 タバコを吸い終ると促されて車に乗り込む。車は新車だった。病院に戻るのか、車のウインカーが点滅し、そして消えた。たった一本のタバコ、命のまたたく人には重みがある。
 この一本のタバコのように、我々は今日、一日を生きたのだろうか。

投書・公共用地不法占有の情報提供について 回答

読者からの投書の結果が判明。道路維持課はその場は県と市有地が入り組んでいる。県が売却を決定するなら、市も売却、県が貸与なら同様と右向け右が現状。
 さて、指摘の部分は民有地が前面にあり、A、Bさん、一部Cさんは県に払い下げを求めているそうだ。××業者が県に売却を求めているかは判明しないが、市は××に貸与はしていないため、やはり不法占拠と断定。 今後、市は撤去の方向で進むとの由。

八戸中央卸売市場のこまった隠蔽体質


行政しか設置を許可されていない中央卸売市場は、業者側から見ると実に不明朗極まりない。それは電気代だ。
 電気の供給は普通は各戸ごと。そして支払いも各戸ごとに徴収。それを中央卸売市場は、一個のメーターしかない。それをもとにして業者側には個々の八戸市側が用意したメーターで料金徴収という面倒な方法を取る。
 マンションを考えよう、これは個々の部屋には電力のメーターが設置され、個々が電力会社と契約。これが基本。それでなければ、どのような計算方法で請求されているかが不透明。
 市側は適切に処理していると言うが、正しい処理をしているなら業者から不平と不満が出るはずもない。市側は本当に業者の言い分を聞いているのか、耳を貸しているのか? 
 市民にとって不利益な市場使用料徴収しかしない市側は、業者にとっても、はなはだ不明朗な料金徴収をして、市側が使用している分を業者に不当に押し付けている。この事実を資料として「はちのへ今昔」は握っている。それは巨額ではないが、長い期間これが続けられてきたことは、その蓄積もまた大きい。
 市側は公共部分の徴収はどうするのかと言うが、それは市が中央卸売市場の設置者だから、当然市場使用料から補填するべきもの。また、中央卸売市場に年間、相当数の小学生が市場見学に来る。これらの見学者のために水や電気も説明、解説のために使用するが、市側はそれを業者負担に任せている。
 中央卸売市場に見学者があれば、それを管理、解説する立場は行政にしかない。彼等は小学生ではあるものの、立派な市民なのだ。それらに接待、供応するは市側の仕事、市側だけで市場の仕組みを解説できるのか? 働く人々を見てこそ、正しい理解を深めることが出来る。すると、この部分の負担を業者にだけ押し付けず応分な支払いをしてやれ。
 昨、16日に公会堂を昼休み時間に監視に行った。警備員が業務を遂行しているかの確認。もともと、ここは公会堂だが、建築時に金が不足し、防衛省を騙して金を取った。それがとがめで、一つ屋根に住民二人の公民館の看板を掲示。このために同じ建物を二つの警備会社が二十四時間警備をすることになり、巨額な警備費用を支払うことになっている。これに不服を言うと、石橋元総務部長が天下りで、ここの責任者だ。この男も実に陰険で、言うことだけは立派だが、内容が乏しい。この男に言った。地下の警備員に聞いたところ、その男は公民館の警備をしている。では公会堂の警備員はどこにいるのか? それは公民館入り口、つまり一階だという。そこはカーテンが閉まっていて無人。
 どういうことだと、石橋元総務部長天下りに聞いた。「そうですか、それは、何か引継ぎでどうのこうの」
 これは最初からいないのだろう。つまり警備費用を二重に支払ったことにしたのか、支払って裏で割戻しを受けたのか、それともたまたま、警備員がいなかったのかの三点しか考えられないが、石橋氏の態度から見ると、明らかに警備員がいないことを知っているそぶりだ。ということは、警備員の配置記録、行動記録が録取されているはずだから、それを調べればいい。今年は大事な年、公会堂はこんないいかげんなことをしている。彼等に再度指定管理をさせる必要はない。三億円弱を毎年貰い、公演がある度に切符販売手数料が彼等の懐に入る勘定。それで足らずに、公会堂基金、これは八戸小唄の著作権を法師浜氏が八戸市に寄付。その印税が蓄積された。それを財団法人公会堂が食った。財団法人は八戸市ではない。どうしてこんな馬鹿げたことになったかを、問うと八戸市が文化事業を行なうためくれてやったとした。
 市役所職員は実に慇懃無礼。他の件で文化スポーツ振興課の課員が忠実義務違反だと筆者に噛まれたが、これは部長が陳謝したので、一応了承したが、再度やれば開陳(かいちん・意見を述べる)するぞ。「はちのへ今昔」は市場長が課長時代、部下潰しを見たが、それにはなるべく触れなかった。それは個人攻撃となるからだ。しかし、あまりにも無礼、横柄(おうへい・おごりたかぶって無礼なこと。そうした態度)を見ると我慢ができない。中央卸売市場を泳いでいる姿を見ろ、安国寺恵瓊(あんこくじえけい・武田一族、滅亡により出家し、いきながらえ、秀吉の天下取りに加担)が信長を評して信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候、という、市場長も上ばかり見て市場内を泳いでいると腐った玉ねぎ踏んでころぶぞ、注意、注意。
 さて、このインチキ警備業務が多額な出費を呼ぶ。これを中央卸売市場も利用。これも減額しろと言うと、市場長は得意の逃げの一手で、ああの、こうのと言う。河野一郎は死んで、息子の河野洋平の時代だ。市場長は洋平ならぬ横柄。
 東北電力に聞くと、お客様の要望があれば、各戸メーターに出来ますと言うが、市場長はどういうことか、東北電力は出来ないと言ったと頑張る。彼等はプロ、アンタは素人。どちらが正しいのかな。業者は本当にアンタが言うように個別で戸別なメーターを必要ないと言ってるの? どうも聞く所とアンタの言い分とは天と地ほどの差があるようだよ。
 市民のためになれ、そして業者抜きでアンタが中央卸売市場の運営できるの? それがアンタの使命で課題だ。過大な期待はしていないが、給料分は働け。汗を流せ。

2008年7月16日水曜日

八戸中央卸売市場長が市民病院課長時代の部下潰し


青果市場を中央市場と呼ぶ。この市場設置は行政でなければできない。ここのズサンを叫んだが、行政はそれに耳目を貸さず、空地使用料、行政目的外使用料、空地使用料と転じたが、それについては「はちのへ今昔」が勝手に騒いでいると断じて、経済常任委員会所管事項に係る説明会が7月15日十七時から八戸グランドホテルで開催。
 この記録を八戸市議会事務局は録取していない。そのためいかなることが説明されたかは不明だが、洩れ聞くところでは、その問題は不問。
 これを決定したのは市場長、それを承認したのは経済部長。これらはダルイ。問題を先送りにして延命を計るな。なら、市場が抱える問題を業者の側から解剖する。その手始めに、市場長が過去に何をしたかを「はちのへ今昔」が目撃したことから開始。
 かつて、彼は八戸市民病院の事務方にいた。「はちのへ今昔」が薬品を調べたことがある。市民病院の麻薬の数が合わないの投書があったから。薬品を調べるには、先ず最も高価な抗癌材を調べることからだと、これに着手。ところが、遅遅として進まない。四月に配属されたばかりのA氏が、慣れない仕事のためオロオロ、見かねた部下が手伝いをするが、要求する資料を作成するのに時間がかかる。五月だか六月かに開始したが、ラチが開かず冬を迎えた。担当課員が出来ないを見れば、課長がそれをするのが当然。そのための課長だ。ところが彼はそれをせずに、命令を持続させた。挙句がノイローゼだ。
人間の金銭的悩みは本当の悩みじゃない。踏み倒せばそれでいい。それが出来ないと思いこんでいるだけ。
 来もしないヤクザに追われる、子供達が学校に行けなくなる、家を取られると心配するが、現実はスーパーのレジに買い物かご下げて並んでいるようなもので、支払いは必ず来る。それを免れるは万引き以外にないが、これは刑法違反で逮捕。普通の生活は出来なくなるが三食は保障される別荘が待つ。
 本当の悩みは人間関係。これが身体を蝕(むしば)む。それにA氏はやられた。それを見殺しにしたのは市場長だった。彼が部下の代わりに資料を自らが作成し、開示する義務は課長である者がしなければならないことだ。
 そしてA氏は診断書を出し、長期病欠、これを知って「はちのへ今昔」は人事課長に申し入れ、これは市場長(元課長)に潰された。配置転換をしてやれないか、今のままでは助からない。役所は仲間を見ごろしか? 
その権限は私にあります。任せてください。この課長も侍で、言ったことは必ずやる。出来ないことは出来ないと明言する。この人は伸びると思うし、伸ばせないのは上司に見る眼がない。
 その言葉通りになり、嬉々としてA氏は実力を発揮中。こうしたもんだ。人間関係で悩むと必ず職場に出なくなる。その時は必ず上司が潰している。今まではそれで通っただろうが、「はちのへ今昔」の眼の黒いうちは、そうはいかない。いままではそんなことを書かずとも処理が出来ると思ったが、それを間違いと知った。それも市場長の態度で。なら、徹底抗戦だ。
 また、当時の八戸市民病院事務局長が十二月の二十八日だかに「はちのへ今昔」を呼びつけた。このA氏救済の話だろうと、こっちが勝手に思いこんで出向くと、何のことはない書類の話だ。その時、初めてドアを開けて、憮然たる表情で市場長が現れた。私も同席した方がいいですか。事務局長はその必要はないと断った。
 「書類の話で筆者を呼びましたか、その話はあなたが八戸市役所の情報開示の部屋で私に告げなさい。私はA氏の話だと思ったから来たんです」
 事務局長もこれ、課長もそれ、さあ、こんな市民病院じゃ患者だけじゃなく殺される。そもそも、投書もさることながら、幼児にインシュリンを間違えてぶちこんだことを委員会記録から発見して追及。その再発防止検討会の議事録を出せと告げた。ところが、それを出さないという。その理由は開示すれば意見が今後でなくなる可能性があると言う。
 開示拒否の場合は行政裁判にかける、不服を八戸市が設置する委員会に訴えるの二通り。そこで揉んだ。数回の委員会開催の後、開示決定。出てきた紙は一枚、たった、それだけで、意見が出るも出ないも関係ない。無意味な書類にあきれた。それをしたのも、市場長が課長の時。かくほど左様にこの男は信用が出来ない。これじゃ、市場関係者は難儀をしていることだろう。次回からは業者側に立って見ると、何が問題点なのかを解明する。

7月16日の八戸市役所の出勤状態報告

毎日、8時15分を狙って出勤する若い女性職員を見て、この人は永久に変わらないと結論。朝、業務開始5分前に入るは当然だが、前にも記したようにタイムカードも出勤簿もないのを逆手に取られ、遅れても当然の意識の人間を追い詰めてもどうもこうもならん。
 意識は能力じゃない。ダメ人間はどこにもいる。言うだけ空しい、これを見るのも精神衛生に悪い。八戸市役所には八戸市職員の勤務簿取扱規程があり、(勤務簿の記録整理)、第3条 勤務簿管理者は、職員の勤務状況を掌握するため、毎日勤務簿(別記第1号様式)に別表に定める区分によりその記録整理をしなければならない、とある。ところが水道企業団にはこれすらない。だから、彼等も平然と8時15分に庁舎に入ったわけだ。
 水道企業団はキチンと勤務できているのか? また、八戸市役所は、この勤務簿を作成しているのか、次はこの文書の開示だ。
 今、焦点は残業に移った。平成18年度残業予算4億二千万円、使ったのは3億9千万円、不要が三千万円。幾らかは返したが、こんなに残業が多いのは能力不足。出勤態度が改まらないは自覚。能力じゃない。残業が多いのは能力不足、すると、最低な能力の課は何処? この課を捜してみよう。人員が不足なら補充せよ。あるいは盲腸のような課を統廃合しろ。効率を考えろ、効率を。
これで八戸市役所の出勤状態報告はやめる。何の意味もない。早く来る人は言われずとも来る、ダメは何度言われても平気。これじゃ市民を愚弄している。あなたたちの市役所じゃない。市民が信頼して業務の処理を願っているからこそ、働いていただく。それができないじゃ辞めていただくべき。
 また、市役所は職員に八戸市民がお貸ししているもの。整理整頓に心がけろ。汚い使い方をするな。総務課の庁舎管理は機能してない。もっと整理整頓をさせろ。できない課には部屋を市民は貸さない。

役人は言われたことしかしないのを旨とする 2

伊豆伊東生まれの木下杢太郎(本名:太田正雄)は、独協中学、一高、東大医学部へと進み皮膚科を究めライ病の権威となり東大医学部教授を務めるかたわら、「明星」への参加を通して、北原白秋・石川啄木らの詩人と親交を深め、異国情緒と江戸趣味を融合した詩風は、日本近代詩に新風を吹き込んだ。その詩作に五月の頌歌(ほめうた)がある。
 役所を廻り役人根性をむき出しにされ、言われたことしかしないのを見せ付けられると、つい、この詩を思い出して、市役所別館の非常階段でニヤリ。
 それは次の言葉を思い出すから、われは静かに青きペパミントの酒を啜りて、頌歌(ほめうた)つくるを常とする。小さき給仕(ボーイ)は給仕とて居眠りするのを常とする。
 八戸市役所役人はいわれたことしかしないを常とすると置き換えるからニヤリだ。筆者を暴力団関係者と書いたネットを見たが、世上(せじょう・よのなか)はそんなものだ。まして八戸人はその典型、寄ると触るとピイピイとまるで蟻、彼等は触覚を触れ合いながら、互いに餌か砂糖のありかを伝達。蟻だけにありもしない情報を交換か? まさに八戸人がそれ。本人に会うこともせず、ピイピイじゃ、ありじゃないけどありもしない話しで盛り上がる。まあ、税金も罰金もかからないから、どうぞご随意に。丁度役所の各課が出す60億円の仕事の半分が随意契約のように、ご随意に。
 さて、こんなように筆者は非常階段でニヤリだ。世の中は困ることは少ないもの、金で困ったと本気で考える人がいる。これは上辺(うわべ)、本当に困るのは人間関係。これを今日は解説する。これは別稿、部下つぶしで示す。金では人間は困らない。筆者は今65歳、33歳で借金5億5千万円で倒産。ヤクザには追われる債権者には怒られるで、ヤクザに監禁されて一晩帰れないありさま。
 そんなときにも困らない。それは当然の帰結だから。そのおつりが来ていると思っていた。その時だ、口にピストル突っ込まれた。そのヤクザが突っ込んだピストルの引き金の指を筆者が押した。ヤクザがビックリした。
「馬鹿野郎、弾が入っているんだ」
ヤクザは相手が驚くことをするのが仕事、手品のマリックのように。引き金引いて弾が出れば死んで終り、それも仕方ない、死ねばそれ以上はないから、そこで楽になる。それでいい。それも自分のしたことの、当然の帰結なのだから。
 とうとう借金は1円も払わなかった。債権者会議だの云々かんぬんがあるが、それも通り道だ。逃げれば負け、逃げずに己が眼で己が結末を見届けるのが人の道。
 だから、どんなことにも逃げない。逃げれば追ってくる。逃げると追ってくることを妄想する。妄想は実体より必ず大きくなる。それが妄想の根源。ありもしないことを自分が想像する。それも悪い状態を作り上げる。だから、怖い。どうして? それは、自分がこうなると怖いと最悪な状態を想像して作り上げるからだ。
 だから逃げるな、逃げれば妄想に潰されるから。人の噂も七十五日(世間の評判・取沙汰は長くは続かない)とことわざの教えるように、二月半辛抱すれば事は解決するように出来ている。だから、人間は困らない。困ったと思うのはいっときだ。解決できない悩みは巡ってこないとも言う。どんな困難に見える悩みも必ず解決するもんだ。
 困った人がいれば相談しろ。相談料は無料だ。死んだ気になって相談しろ。必ず筆者が解決する。
 さて、八戸市役所を廻っていて、筆者はそんなように木下杢太郎の詩を思い出したり、落語の一節を思い浮かべたりしてニヤニヤ。独り暮らしだから、独り言でニヤニヤ、これも不気味だ。まあ、妙な爺が筆者。
 この気に入らない、言われたことだけしない課長を吊るし柿ならぬ吊るし上げだ。健康福祉部長の部屋に8時15分に入り、当該課長の非を詰(なじる・相手の過失や不満な点などを問いつめる)る。部長に課長会議が開始ですと呼び声あり、部長は担当課長を呼び、経緯を聞く。不徹底でと部長が侘び、それで落着。
 昨日、その課に違うことで訪問、課長は奥にいる。課員と話をし終わり、課長と声をかけると、何事かと出てくる。すかさず、「おはよう」、それだけ。う? 怪訝な顔つき。こちらは挨拶しただけだ。

2008年7月15日火曜日

7月15日八戸市役所の出勤状態報告

今日も遅れてきたのは5人。その内一人は客だか職員だか判明しないので除去。女で物腰がどうも市役所職員ではなさそうなので追尾すると、北奥羽水道サービスに入った。これを除くと3名だ。
 どうにもならん。堂々として小走りの仕草(仕種とも)もない。何言ってんだと思っているんだろう。これら職員はタイムカードも出勤簿もないが、残業代はしっかり貰う。予算で3億3千万円を要求。いくらか返す分もあるようだが、残業をしたかどうかの調べもないのだろう。タイムカードもないくらいだから。 役人は予算要求をしたものは消化しなければと思いこんでいる。だから、無理やり残業する。今度は残業のチェックだ。電気の点いている部屋に行って早く帰れと言って歩くか。今日も遅れた職員の写真をとったが、馬鹿臭くて掲載しない。若い女、いつもアンタ遅れてくるよ。本八戸方面から歩いて来る人、アンタだよ。

BeFmは倒産整理をなし、放送権を「はちのへ今昔」に返せ2


市役所の懐に手を突っ込んだBeは、それがなければ困るのか、その味を忘れられないのか、今度は広報調整課に泣きついた。それは市役所の放送時間を増やすから、金を4999992円くれ。500万だと目立つのか、妙な数字を出してきた。それが、これだ。
その前の年はいくらだと言えば。499968円。それが何と10倍に跳ね上がった。素晴らしい手腕だが、それは金銭的なものだけ。Beの電波は小中野でも届かない場所もあり。電界強度(電波がどれくらい届いているかというもの)の説明もなく、役所に泣きつくは手段が汚い。多くの聴取者がいてこそ、放送料が決まるが、自分の都合で料金を決めてはダメ。また、出す側の役所も役所だ。
市民のためにならない金は出すべきじゃない。電波が何処まで届いて、どの番組にどの程度の聴取者がいるなどの基礎的数字の上に、料金を設定するべき。八戸市内にはおなじくショボイケーブルテレビがある。これが八戸テレビだ。ここはBeと異なり2万3千世帯と契約。新築マンションはほとんどが契約、これからも増加が見込める。これに対する放送料は変わっていない。
正確な数字は手許に決算書がないので忘れたが、年間八十万程度。映像でそれ、音声だけのラジオなら安くて当然。しからば、Beはどのように擦り寄って行ったか。
毎月曜日、広報はちのへ5分、これは従前どおり。追加したのが、福祉情報5分、おんであんせ10分、市役所には関係ない話、公民館情報10分、未来への贈り物15分、これも市役所には関係ない話、防災一口メモ5分、これも直接市役所には関係ない話、むしろ広域消防。
つまりスポンサー料を取っただけ。と言うことは八戸テレビも同様に市役所から料金を徴収できるというわけだ。何だか訳のわからぬ番組に八戸市役所をスポンサーにつける。これで同様500万円が入る仕組みだ。
ところが八戸テレビはこんな手口がBeとなされていることを知らない。現在社長を務めているのが世情に疎く勉強もしない。頑迷固陋(がんめいころう・見聞が狭くかたくなで正しい判断ができない)で自分の話しかしない。それも手柄話だけ。前の社長の南谷氏も同様だったが、しまいにボケがきて、同じ話を繰返すようになり、とうとうありもしない機器がある、それをスタッフが使わないと言い出す有様。これはいよいよだなと思った三月後に死んだ。この人物が社長をしている以上八戸テレビはよくならないと吉田昌平氏に伝達したが、余計なことはいうなでチョン。
結句、経営的には苦労の連続だが、少しは市役所の方へ顔を向け、同様に市役所から金をねだれ。ラジオで500万ならテレビはその上だろう。面白い番組を作ることを心がければ、ケーブルといえども立派なメディアだ。誇りを持て。
Beは姑息な手をつかい、延命をひたすら願うな、市民から遊離したメディアは生き残れない。それにつけても、八戸のタウン誌も何処も青い気吐息だ。桃色吐息は歌の世界だけ。広告で食うといっても、飲食店の激減、どうにもなりませんぞ。「はちのへ今昔」は広告主もいないから平気だが、もっとも、出す人もいないが、何処吹く風だ。Beから電波を取り返し「はちのへ今昔」が放送を開始したら、今、Beが借りている市役所上のアンテナは貸さないだろうな。

2008年7月14日月曜日

7月14日八戸市役所の出勤状態報告


豪雨後の出勤のため、列車、バスも遅れたかもしれない。今日は15人が5分前に入れない。こんなもんだ。雨のせいもあろう、今日は写真掲載を猶予。賞与や月給貰うのは忘れないが、時間を守るを忘れる。他人のことは言える立場じゃない。筆者も本日10時の開示を忘れた。随意契約書10年分を全部コピーしてくれるように頼んだのは、給食センターの配送。これは昭和46年から毎年、約1億円で三八五流通と契約されている。これは明日詳細報告。これも奇怪。
 役所には総務課に庁舎管理の部署あり。これらの人間の動きが悪く、庁舎を綺麗に使えない課に注意をしない。役所は上階に行けば行くほど、部屋が汚いと巷間伝えるが、幾つかの課を注意し、清掃を促した。が、これも泥棒が泥棒をつかまえるようなもので、大体言いたくない話を庁舎管理がいやいや伝える。だから、適当に綺麗にするが、それはそれ、三日も経てば直ぐに忘れる、にわとり裸足でコケコッコ。三歩あるけば皆忘れる。役所は酉年ばかりが勤務しているのか? 
 汚いのは守衛小屋、これが、それだ。何だ? このメモ用紙だか絵葉書だかが挟まっているのは、見えないようにするのはやましいことでもあるのか? 三八五交通が駐車場管理をしているが、これらが又、怠慢で自動出庫機の前で長蛇の列もどこ吹く風。これにも噛んでやったので、いくらか良い人も管理しているが、今は自動機の時代。管理人も不要だろう。仕事がなくなるのも嫌だろう。なら、働け。守衛も敬礼するだけなら交通整理の旗振り人形でもいい。それが嫌なら、もっと自分の小屋を清掃しろ。
 守衛が八時十五分に小屋に立つのも理不尽。開門と同時に歩哨するのが当然。それでなけりゃ、早朝に爆弾しかけられる可能性もありだ。世の中不思議なことばかり、北朝鮮に拉致された人の解明もせず、制裁解除か? 北朝鮮と韓国が統一されれば、彼等は何と自分達を呼ぶだろうか? ソ連と米国のエゴで分断されたんだ。損をしたのは朝鮮民族、彼等は統一の時に朝鮮の語を使うだろう。もともとがその言葉に自負と矜恃(きょうじ・ほこり)を持っておられる。筆者が朝鮮人の言葉を使った時、蔑視だと思った人がコメントを書かれたが、それは戦後の話、朝鮮人は卑しめる言葉ではない。彼等の偉大さを認め、そして民族としての誇りを尊重しているからなのだ。アメリカは朝鮮に何をしたのか、という著書もある。米国人ジャーナリストが書いた本だ。近視でものを見ず、長い歴史のなかの虐げられた朝鮮民族、しかし、彼等は統一の希望も民俗の誇りも捨ててなどいない、頭は下げても根性は曲げない人種なのだ。

BeFMは倒産整理をなし、放送権を「はちのへ今昔」に返せ1


地域ラジオ放送のBeが出来て十年になる。「はちのへ今昔」が最初に、この地域放送に着目し開始に向け準備中、郵政省から八戸商工会議所の協力を得ろとのことで、相談に行くと適当な話で待たされ、挙句当時先走った地域携帯電話に手を伸ばし、携帯電話会社の攻勢に負け赤字でどうにもならない、米屋と車屋が作ったテレコム八戸という会社があり、それが郵政に泣きつき、広域八戸で免許をとるべきと主張の筆者をないがしろにして、自分達で開始。
 このとき嫌がらせで、同時に免許申請の手もあったが、これをやれば、両者で共同事業となるのだが、それを嫌った商工会議所が、調停役にK氏を使い、この場は米屋たちにやらせてくれ、経営がまずくなったら引き渡すからと口約束。
 嫌がらせも上策ではないが、この男も口先介入だと知りつつ、その話を呑んだ。Beのラジオ局長に手腕がなく、広告主などの目先に気が走り、肝心の番組内容に工夫がないから、誰も聞かない、電波も遠く届かないと、踏んだり蹴ったり。
 経営難で、とうとう役所の懐に首を突っ込んだ。それが、これだ。
八日町シャトルバス待合所管理業務委託の年間742万円だ。平成十四年から平成十七年まで続いた。そもそも、このBeの母体のテレコム八戸は市役所から出資金1000万円を出させ、それを100万にした。市民の税金を十分の一にした。それは経営悪化で減資をしたため。経営能力がない人間が考える智慧は浅智慧で、きゅうりの漬物の一夜漬けだ。
 最初から儲けるつもりで出るから損をする。地域のためになれるだろうか、から発想しないと、すぐにつまずく。上ばかり見てるからだ。経営的に行き詰ると、すぐに補助だの援助を受けたくなる。それが間違いのもとだ。このシャトルバス運行は新幹線対策。これに手を伸ばしたが、これとて恒久的な策ではない。この金が手に入らなくなったら手のひら返すの諺のとおり、BeFMは待合所ではありませんの貼り紙だ。これじゃ世間の人から物笑いの種。地域八戸に貢献する、繁栄のお手伝いをさせていただくの心を持て、それがないからへらへら役所に出かけて金の無心だ。経営手腕のなさを役所にぺこぺこして貰おうは押しが太い。
 誰でもが聞きたい、面白いものにこそ永続性がある。ところがラジオ局長にセンスもうちわもないから、ただおろおろ十年経過だ。ダメな者が下手な番組つくるから巧く行かない。約定どおり、放送を十年待たせた「はちのへ今昔」に無料で返せ。それが嫌なら倒産しろ。
このバス待合所の金が出なくなると、次にまた姑息な手を打った。それは次回に詳細報告。

2008年7月13日日曜日

役人は言われたことしかしないのを旨とする



知っていても、言われなければしないのを常とする役人とは、普通の神経じゃ事は一度では終わらない。
八戸シルバー人材センターは定年退職者を集めてピンはねをする所、ここは役所から年間二千万の補助を得て運営、最高報酬額が五百万円を超える定年退職者もいるそうだ。
若者の雇用促進が叫ばれているなか、これは解体して、若者に就職が決まるまでの僅かな期間でも、これらの仕事を廻すべきだと、数年前に吠えたが、犬の遠吠えで、また泣いているといわれる程度だった。当時は売れない月刊誌、今も売れないが、毎日ブログをのぞきに来る人が増えた。
役人の定年退職後の受け皿になっているため、どうしてもこれを放さない。そこで、シルバー人材センターの駐車場の料金はどうなっているか、金の面から調査を開始だ。担当課を呼び出して、シルバー人材センターとの契約はどうなっているかと聞いた。簡単には見せないから開示をかけろと言われたので、開示請求だ。担当課によっては、どうぞと見せる課もある。それは大したことでもないと課長が判断すれば可能。それ以外は正規の請求。でも、これには金はかからない。
そこで担当課に開示請求を出した。すると、これだ。
6台分を年間97695円で貸している。一台月に1365円、筆者は付近を一台5000円で借りている。明らかにシルバー人材センターは優遇されている。
この書類に着目、行政財産使用許可証には業務用車両6台76㎡とある。筆者が金額に目が行って、落ち度があった。それは使用許可場所の平面図。
添付書類には平面図があることを黒■で明記。ところが、ここが役人根性、筆者からは許可証を見せろと言われたので。言われない平面図は見せないつもりだったのだろう。筆者はそれを見ずに開示は終了。
次の日、待てよ? 平面図がないのは不思議だと、今一度許可証を見ると、これが判明。悧巧が足りない奴ばら、一度で済まずに二度足を役所に運んだ。
すると案の定、これですと、シャアシャア。課長に言ってくれた。役人は言われたことしかしないのがそれだが、あんたはその典型だと。
それにしてもこの手口は気にいらないので、部長と面談だ。納得せきなきゃ、市長に物申す。
さらに別表の許可条件書には使用目的の指定があり、第二、使用者は、業務用自動車保管の用に供するものとし、この目的以外に使用し、又は使用権を譲渡し、もしくは転貸してはならない
これに違反しているぞ、その証拠の写真がこれらだ。奥から6台分を市がシルバー人材センターに貸しているが、作業車は明確に1台、すると残りは約束違反。この契約は破棄すべきだが、いかが?

2008年7月12日土曜日

投書・公共用地不法占有の情報提供について

いつもはちのへ今昔の取材、編集たいへんご苦労様です。諸事情により匿名で情報提供させていただきますが、ご了承ください。
 不法占有されている地域は八戸市城下2丁目のJR高架線沿いにあり、青森県臨海鉄道跡地周辺です。確認できる場所は次の2ケ所ですが、もっとあるかもしれません。
  (1)地 番:八戸市城下2丁目20-1
    地 目:雑種地
    管理者:青森県(八戸港管理所)
  (2)地 番:八戸市城下2丁目102-52
    地 目:悪水路
    管理者:八戸市
 占有者は××で、自社が所有する社用車や出入業者の駐車場として無許可で使用しています。
 以前は、大きな溝が掘られたように自然の水路状であったものが、3~4年前に砕石などが運び込まれ敷き均されたものです。砕石や土とはいえ、目的外に運び込まれたものは、産業廃棄物の不法投棄という見方もできます。
 また、平らに均され使い勝手が向上したためか、駐車以外にも鉄板、庭石、物置、仮設トイレなど仮の資材置き場としても利用されています。
 法令遵守よりも自社の都合を優先させる利己主義なのか、黙認している青森県や八戸市の怠慢が原因なのかわかりませんが、無料で使える既得権だとすればあまりに不公平で納得できません。
 鋭い視点からの調査をお願いするとともに、早期に現場周辺が現状復旧されることを期待しています。
 この投書は手紙できたので、ブログ閲覧者ではなさそう。「はちのへ今昔」は何でも相談にのる。弁護士資格がないので民事は難しいが、対役所では絶大の力を発揮。即、雨の中を飛び出して調査を開始。市役所道路維持課で図面上の確認、この土地は二種類に別れ、一つは臨海鉄道用地で、廃線で不要になったところを県が売却中。もう一つは市の所有地、港湾河川課と道路維持課でどちらが解決をするかを相談。現場を確認し、いずれ16日の水曜日までには結論が出すとの弁。不法占拠なら当然改善命令、県の売却に伴うものなら、これは当然、土地の購入者の権利で何に使おうと自由だ。
この種の問題は日常目にするだけに腹立たしい。ずるい奴を野放しにする必要もない。どしどし投書されたい。筆者は若い頃からヤクザに絡まれて、脅されたり殴られたりしているので、一向に頓着しない。一瞬痛いだけで、後は平気だ。殴った証拠を提示して逮捕を願えばいい。一人で悶々とせずどんな相談にも乗ります。
日本困民党を自認しています。政治に乗り出す気はさらさらないが、貧困、貧乏、国保の十割負担者(資格証保持者)の救済が旗印。たった一人の党だが、死ぬまでこれらの人々のために戦う。今は水道企業団の給水停止を解明中。人は七日水を飲めないと死ぬ。

郷土八戸に新聞誕生 奥南新報 明治四十二年 1

余の見たるはちのへ子 のれん小僧
新年そうそう悪口を言うでもあるまいし、茲(ここ)に謹んではちのへ社人の健康と万福を祈り、併せて、本年も花花しく戦争されんことを希望するの挨拶までに左に。
△ 北村益氏 はちのへ新聞社長たる氏は、百雷と号し、なかなか筆まめの人にして論説に、雑報にからをやかずに書く、三段通しの雑報は、殊に氏の妙と頼む所、然しそれを読ませらるる読者は、少々迷惑の至り、本年よりは、要所要所に、見出しを附して貰いたし。
△ 女鹿氏 美髯(びぜん・美しいひげ)の紳士、昨年迄は東京に在りて、私立学校の英語教師たりき、昨春主筆としてはちのへに入る、記する所の論説は、多く世界的なことにして、眼中小八戸なし。曰く東洋の平和、曰く独帝の不謹慎、流石に欧州思想の大家たり。
△ 奈須川保光氏 邦画に巧みなる人なり、位置は記者としてよりも画家として目さる、准カイザル髯を弄して、従容迫らざるの態度は、正に代議士の息たる貫目あり、紫狂と呼ぶ。
△ 苫米地虎衛氏 薪太の洋杖(ステッキ)をついて往来しスタイル甚だ珍たり、社に行っては、帳場の内に鎮座し、さりとて事務の人らしくも非らず、世人相伝てゴロの頭取という。
△ 東條鉄太郎氏 工場の活動は氏の左右するところ、かつて石直に従い石直の知遇を受く、今また北村に仕えて北村の寵愛を受く、蓋し、如才なき処世児たるなり。
苫米地惨火の賠償に就いて 一月十六日
去る五日郡内苫米地全村の惨火に罹りし原因は、鉄道列車通過の際汽缶車の飛焔に出しは明確なる事実なりと伝う、汽缶車の飛焔に因りて、沿線民屋の惨火に罹りし例従来極めて多し、是不可抗力にあらずして全く不設備に出つ、就中(なかんずく)、同村に於ける全焼は惨中の至惨。被害中の最も大なるものなり、この際、罹災民は、其の原因を証明し其の損害を計上し、鉄道庁に向かって速やかに賠償を求めよ、鉄道庁は必ずや其の惨火の飛焔に原因せしに同情し、幾分の賠償に応することとなるべし、他の焼失とは同一視すべからざるものあるによる場合は、あくまで法理に訴えるも解決すべし、是れ当然の要求当然の権利なれば也、聞く、鉄道庁理事某、昨同村に出張し、罹災の実況を視察せりと、或るは賠償調査の為ならん乎、兎に角賠償を要求するは、刻下救惨の急案にして忽諸に付すべからざる問題なり、郡当事者もこの解決に対しては、充分の保護を与えざるべからず

2008年7月11日金曜日

7月11日八戸市役所の出勤状態報告

5分前に入れなかった人はとうとう、0、と書きたいところだが、早朝から北奥羽水道サービスの決算書に不審があって、水道企業団に出向いていたため分からない。
 まあ、焦ることはない、月曜日は報告できるはず。筆者はいつも4から5課の開示をしているため、予定は急変する場合あり。楽しみにしておられる人もいるだろうが勘弁してくれ。
 水道企業団と北奥羽サービスの癒着の構図も必ずお見せする。水道企業団の売り上げは87億円もあり、期限に支払えない人の水道を情け容赦なく供給停止をかける。ひとは水なしで生きられるのは7日。
 人道的見地から彼等の停止執行が正しいのかと、水道企業団で停止に至る経緯を聴聞している。まあ、こうした地道な努力があればこそ、あいつは間違ってる、こいつはダメだと断言できる。人の知らない努力にこそ、山道に咲く一輪の花も捜せるものだ。

八戸市役所各課が発注する草刈合計2300万円

放っておいても伸びるのが髪の毛と雑草、この処理代がこれだ。これを随意契約、又は競争入札で支払うのだが、これは植木の剪定と異なり、高い所には昇らない。
 平地や斜面だから、転んでずっこける年寄りでも、まあまあ出来よう。つまり、この金は町内会に分けて、草刈作業をお願いしよう。お年寄りはわずかな金をいただいても感謝の言葉がある。 夏の暑いときにしか草は生えない。そこに麦わら帽子に水筒をぶら下げて、年寄りが各々の顔を元気でいたか、達者に暮らしたかと声をかけながら、老人同士が安否を確かめ、老老介護ならぬ老老確認をする。そして、ゆっくり時間をかけながら、休み休み草刈をする。現今は50ccにも満たないエンジンをつけた草刈機でブーンで楽だ。業者に頼むも必要だろうが、こうした老人がわずかな金でも喜んでくれて、それを原資に酸ヶ湯温泉にでも出かけてくれれば、役所に感謝し、足を向けて寝ない。こんな事も考えられますよ。

2008年7月10日木曜日

7月10日八戸市役所の出勤状態報告


今朝は気合が入り殆どの職員が始業5分前に入庁。三人だけが少しその時間を過ぎた。二人は男、一人は女、が、決して遅刻ではない。でも、庁舎の入り口でそれだと、自分の課に着くのはもうすこし後。でも、まあ、いい課。
 出勤時間が早いか遅いかは意識の問題。能力ではない。ナポレオンがこう言う。人は身なりで採用され能力で解雇されると。けだし名言。
 さて、もう一息。明日待たるるこの宝船、これは赤穂浪士の大高源五が身を箒売りにやつし(目立たぬ姿に変える)、師走の両国橋で蕉門十哲の一人、宝井其角と出会い「年の瀬や水の流れも人の身も」と上の句を投げられた折に返したのがこれ。
 早く出勤する遅く来る、これは自由だ。しかし、当然だと思う職場も、失ってみれば有難みが分かる。定年退職者の実感のこもった言葉だ。座れる椅子のある間は勤めることのできる喜びを味わいつつ、今日も元気で出勤しよう。家をほんの少し早く出て。筆者も明日待たるるこの宝船。

三日町交流センターは本当に市民のためになるのか4


開館当日を想起し人を集める手段、方法を説いたが、これとても一過性。継続し永続する手口ではない。そもそも、官が貧困な智慧と毛細な根性で、誰からも非難、批判を受けないことを最良とし、横目、斜視で気配り、目配りに忙しく、本質を見落とす奴ばら。
 昨日は文化スポーツ振興課の職員の態度に八戸市役所の不誠実を痛感させられた。こんな者にまともに怒っていたのか、それも、こうすれば経費が削減できると、三年間決算書と首っ引きで調べたことが全て水泡に帰した。
 俗に砂を噛むの言葉があるが、今朝は非常に不機嫌だ。8時半に担当部長と面会するが、一市民の出来ることは情けないほど無力だ。彼等は筆者のように吠えないが、はらわたは汚い。真剣に業務にいそしむ者もたしかにおられる。下水道の職員は比較的誠実。これは別項で紹介。山ほど職員の抱える問題を掲載しなければならないのだが、毎日、白山台まで自転車で通い、水道企業団を徹底調査、いくつも不明が出る出る。それだけの金を投入し成果物は? ここに彼等の泣き所があることを発見、そのため連日90日間をかけて追及途上、まだ、始まったばかりだ。
 さて、この三日町の施設は出来る。だが、管理はどうする。最低でも管理費は2億2千万円かかろう。市民が寄らなくなるのは目に見える。牽き付ける魅力がないからだ。経済効果がまるで考慮されていない。人々が寄るには理由がある。品物が安い、居心地がいい、体が楽になる、心身が開放されるなど様々な要素があるが、ここにはそれらが毛程もない。
 乏しい官の智慧を振り回すな、さすれば、どの手段があるか、それは官設民営だ。能に足りない人材で官が運営するを放棄し、全国から智慧のある集団を求めろ、固定資産税はタダ、つまり家賃は不要。八戸の一等地で会館を運営してくれ、物品販売、レストラン、場外馬券、いかさまレースでも何でもあり的発想をもつ鋭い集団を探せ。場所がタダなら、火付けをされるドンキホーテなども面白い。さらに言えば、昔、この地を買ったことのあるイオンに運営を任せろ、タダなら出てくる。イオンが来れば人は寄る。
 そして、駐車場は長者まつりんぐ広場を道の駅にして、近隣駐車場経営者の不満をそらす。官が無料駐車場を作れば死活問題だが、道の駅ならぐうの音もない。しかし、これも考えようで、車漬けになった人は少しでも近い所を捜す病人で、繁華街に近い駐車場の利用も少々でよう。これが実現すれば大工町から櫓横町あたりが栄えるだろう。
 行政は大規模な改革の出来るところだ。だが、いつもちまちました姑息な手段しかとらない。死ぬ気で改革、改変をせよ。それができないは、しないだけなのだ。担当課しか本気でそれを考えることが出来ないのだ。市役所職員諸君は失敗しても職を失うことはない。だから発想が太平楽(たいへいらく・のんきにかまえていること)]で貧困だ。しかし、市長は失敗すれば登庁できない。選挙に負ければ花束抱かされてポイ。使い捨てカイロだ。市長が代わっても変わらないのは不誠実な職員。
それにつけても、ここまで腐っていたとは、ト、落胆し、顎に手を当て思案の風情よろしく(これは歌舞伎のト書き、トで場面構成を書き出す、最後のよろしくは役者に適当にやれの指示。鶴屋南北など芝居の台本屋がこれだ)。
 不誠実な職員が出たので、この稿はこれで終だ。もう一つ、二つ策があったが、もういい、披瀝しない。適当にやれ。

2008年7月9日水曜日

7月9日、八戸市役所の出勤状態報告


今日は全般に出足好調。昨日の遅れB課長も早く出勤。障害者の車が庁舎路面に駐車しているが、障害者マークが車に貼られていない。弱者は保護すべきだが、彼等は駐車料金を支払っているのか。障害者に給与が減額されているなら仕方ないが、そうでなければ応分に負担させるべき。弱者と支払い義務は別物。
 さて今日は12人が始業5分前にはいれなかった。今日の写真掲載は猶予する。人事課に今日遅れた人間の写真は開示予定だ。明日は遠慮なく掲載する。遅れるような人間がだるいのだ。恨むなら己が行為を恨め。遅れて来るのは女が多いぞ。
 少し早く家を出ればいい。出れない理由でもあるのか? 市役所に行きたくない理由があるのか? 定年前の職員が若い女性の写真を車に貼って行為を迫った事件もあった。そうした理由でもあるのか? 洩らせ、筆者が天に代わりて、そうした人間をどついてくれんず。自転車置き場も大分減ったぞ。自覚、自覚、お客さんのためなのか、職員のためなのかの見極めもない。
 ホテルなどは便所の利用も制限される。お客用、従業員用と区別されるのだ。客の隣で制服着たボーイが共に小便しているじゃ、これは困りもの。こうした規律が民間にはあるが官にはない。自分達の方が上との考えの現われだ。注意、注意。

三日町交流センターは本当に市民のためになるのか3


昨日は羽仁もと子の遺徳に触れたが、今日は西有穆山だ。この人は自分がつけた妙な名前で損をする。それは、宗門の長を決める選挙で、穆山の名前が書きにくいことで選挙からもれたそうだ。これは西有研究家の弁。
 さて、西有穆山(にしあり・ぼくざん)のことについて簡単に記す。文政4~明治43(1821~1910)
三戸郡湊村(八戸市湊町本町)の生まれ。俗姓笹本万吉、豆腐屋の倅。諱(いみな・忌み名に同じ、死後にいう生前の実名)は瑾英(きんえい)、号(ごう・学者・文人・画家などが、本名のほかに用いる雅名)を穆山。天保四年八戸市類家、曹洞宗長流寺で金竜和尚のもとで剃髪(ていはつ・髪を剃って仏門に入る)、十三歳。名久井法光寺、仙台松音寺で10余年の修行の後、禅門の巨匠小田原海蔵寺、月潭和尚のもとに弟子入り、前後12年修行。火災で焼け果てた能登、大本山総持寺の再建を誰に頼むかと、宗門が困難を打破できる人材を選挙で求めた折、万票を獲得したのが西有穆山、明治34年81歳。後、永平寺管長にも就任。
 西有穆山の素晴らしいのは、長年芽がでない。静岡の古刹(こさつ・古く由緒ある寺)で開祖道元が著した「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)の研究家として第一人者だが、宗門の長への声がかからない。ところが、81歳でお声がかかった。それが焼け跡に一本の杭もないという大惨事にだ。
 明治24年に東北線は開通するも、能登の本山は遠い。本山は永平寺と思う人もあるだろう。実は曹洞宗は一枚岩ではなく、永平寺と総持寺が両立している。共に本山で、西有穆山は両方の長となった。西有が八戸中学(八高)に来て講演。81歳の花婿が出たようなものだ、諸君は政治家になる人達だ。81になった私に白羽の矢がたったとき、面倒だから嫌だとも言える。しかし、いいか、南部の人間は火急存亡(かきゅうそんぼう・火が燃え広がり存在することが難しくなる)の折、後ろは見せない。これが南部人の魂だと教えた。
 八十一(やそひとつ)百にもならぬ小遣いで、能登へ行くとは気の強い旅。西有が詠んだ狂歌だ。杖を頼りに西有は能登へ再建のため足を運ぶ、81歳のご高齢だぞ。
 誰が喜び勇んで行くものか、しかし、困難に後ろを見せないのが八戸の衆だぞ、八戸人の魂だぞと西有は己が背中で見せた。そして90歳で亡くなった。
 西有が八戸に建てた寺が、小中野の常源寺、糠塚の光竜寺、そして横浜の西有寺だ。この横浜の寺は、商業都市横浜に、是非、西有に来て、教化して欲しいと檀家が建てたてた。
 その西有穆山の没後百年が来年だ。八戸市政80周年と重なる。さて、この西有穆山の部屋も欲しくないか、81歳で腰を上げる魂を戴きたくないか。筆者もデカイ口をきいて歩くが、81まで生きている保証もない。生きていてもこの巨大な魂を持てるのだろうか。誰も出来まい。その遺徳を偲ぶこともない我々は、大事なことを忘れてはいないか、粗末にしていないのか。
 この西有穆山の遺徳に感銘し、京都の産、無一文で八戸に来て、屈指の資産家になられた武輪水産会長、武輪武一氏は、西有穆山の記念館が建つ時は一肌脱ぐと言われる。先頭に1が来て、後ろに0が幾つあるかが問われるが、人情家の武輪会長だ、百万や一千万じゃない。巨額な金を惜しげもなくポンと投げられるだろう。八戸市はその恩顧に応えろ! 市長自らご高齢の武輪会長を訪問し、礼を述べるだけでなく、その好意に対して応分な処遇を考えろ。それが人の道だ。
 人は死んで冥土に金は持っていけない。金は有効に使うべきだ。まして、八戸市に寄付できるも、これもまた喜びだ。だが、貧乏人はできない。巨万の富を持つからこそ許される芸当なのだ。
 八戸にはこうした隠れた徳を持つ方が幾人もおられる。それを知らないだけなのだ。今こそ、小林市長の思い、八戸中心街を活性化したい、それにはシンボルタワーが欲しい、それが、交流センターだ。
 さすれば、西有穆山を顕彰する部屋が必要だ。景気後退で人心は疲労困憊の極みだ。だからこそ、先人の智慧を戴け。西有穆山の宗門から開館日に檀家を集めていただく、その数が三千人。さらに生きている宝がいる。それは三浦哲郎だ。林芙美子記念館が東京、新宿落合に建つ。彼女の住居だった所だ。昨年末から筆者が四ヶ月の放浪をした時、広島、尾道に行った。そこは林のゆかりの地だ。そこに林芙美子喫茶室があった。広島県人は林を大事にしている。死して後もこれだ。我々はどうだ、三浦氏の友人も沢山おられる。最近、三浦文学碑の建立がなされた。しかし、友人、知人は出席されたが、肝心要の三浦氏の姿はなかった。
 三浦氏も人間、寿命の尽きる日も来る。だが、生きておられる今こそ、彼の偉大な才能を、いまいちど評価する部屋があっていいだろう。林を愛する広島県人と同様に、我々も三浦氏を誇りに、そして敬愛するべきだ。
 開館当日は三浦氏を故人となられた偉人、先人の代表として、南部の魂を未来永劫消さない、絶やさない証として、彼から祝辞を貰おう。我等八戸人は、不屈の魂を持つ者の集合なのだとの、煮えたぎる熱い魂を更に掻き立てるような言葉を。
 八戸図書館はかつて、郷土の偉人を本にされた。今から三十年も前、小瀬川氏が館長だった頃だ。その本は西有穆山、羽仁もと子、北村益、江渡狄嶺(えとてきれい)等だ。三十年前、一世代前の八戸人は偉人を知っておられた。ところがどうだ、その後伝える努力を怠って、現今の若者は偉人の存在すら気付かない。
 それは若者の側に問題があるのではない。若者を指導できなかった筆者世代の怠慢のせいだ。勘弁してくれ。私達が間違っていた。前非を悔い、今こそ力を出し、交流センターでそれを伝えたい。
 羽仁もと子で動員二万六千人
 西有穆山で三千人
 三浦哲郎で千人
 合計四万人 筆者の大風呂敷の十分の一でも四千人。それが三日町の大通りを埋める瞬間を想起せよ、どうだ、見事だろう。ホラや大風呂敷はこうして拡げる。
 担当課長も前非を悔いろ。そして、設計図を書き直せ、予算が足らずば、筆者が各課を廻って、余分を削り四千万でも五千万でも捜してくる。決して見殺しにはしない。

2008年7月8日火曜日

7月8日の八戸市役所の出勤状態報告


昨7日に市役所に出向いた。開示請求を業務開始の8時15分にすませたかった。次に行く予定のため。ところがA部長が始業3分前に来た。号令をかける人間が3分前はなにごとだと筆者に号令をかけられた。
 西副市長に綱紀がゆるんでると伝達。綱はおおづな、紀はこづなで共に縛る意味。そこで明朝は怠慢者のチェックだと人事課に申し入れ。7時45分から三脚の上にカメラを構えて見張りだ。5分前に入れない職員が31名。だが、これは目視できた範囲。実は役所に入るには地下の職員会館、新館の裏口と見えない入り口がある。
 さて、問題になるのはどうして始業5分前に入ろうとしないのか。それには理由あり。タイムカードがない。出勤簿もない。どうしているかと言えば、所属の長が目視して来たのを確認だと。零細企業か? 市役所は。
 すると3分前に筆者の前を歩いて行ったB課長は当然自分の席につくのは始業時間。管理する側がそれじゃ管理されている側に廻るぞ。
 これが、それだ。1・2・3
 西副市長は時々とぼけるが、今回は各課にその旨が伝わった。が、この有様だ。まあ、いいかという数字でもあるが、市役所職員平均給料は年額626万円、水道企業団はもっと高く713万円。
 これが安いか高いかは個々人の感覚の問題。至当な金は貰え、ただし本当に八戸市民のために働くなら。働く人間はダラダラ、ノタノタ来るな。
 更に自転車置き場は職員が占拠、ここは市民のための駐輪場。職員は立体駐車場に置き場を求め、有料で自転車を停めよ。いつ来ても駐輪場に空いてる場がない。その理由がこれだ。庁舎管理部門はもたれあいをするな。泥棒が泥棒捕まえるような話だ。
 そうそう、A部長は十五分前に入った。早いですねと声をかけると、天を指差して、気持ちがいいもんですね。
あ?

三日町交流センターは本当に市民のためになるのか2



さて、死人を生かせと書いたが、彼等、彼女をどう生かせと言うのか。それは、八戸人の誇りである先人・偉人を子々孫々まで伝えることだ。
 八戸の宝は蕪島や、種差海岸だけではない。観光客は一度来れば二度足を運ぶことはなかろう。我々とてそうだ。あなたは今年何度、蕪島のうみねこを見に行かれましたか? 結句、それなのだ。三年前に行ったかしら程度でしかない。すると、これは訪問を反復させる要素ではないということだ。
 毎年白浜海水浴場は若い人を中心として賑わう。明治18年、日本初の海水浴場が大磯に誕生してから、幾世代に渡り、若者を集めつづけている。爺・婆は海水浴には行かない。何故? 体が欲しないから。若者は冬でもアイスを食べる。体が要求する。たまに老人で食う人を見るが、大体肝炎患者だ。若者が集まる場、老人が集まる場、観光客を寄せられる場と役割は色々あるが、交流センターは何を狙っているのか。観光客にがらくたパネルで種差海岸の写真を見せるのか? 大方は見たあとだろう。
 観光客はまっしぐらに目指す場所にでかけて、それから買い物でもしようかと中心街に出るもんだ。さいしょから街中散策なら、居住する地区の繁華街に出る。つまり、観光施設を街中にもってくる発想が間違い。すると地域交流センターなら、町の駅というヘンテコな場所があり、これに役所は金を出したが、これとて空き店舗の活用で、本気で役所が巨額な金を投入し、その大型版を創る必要性がない。
 本来は年間42万人が利用する八戸図書館を上階に据えるのがいい。一日1150人は必ず来る。これを提案したら、国から金を引っ張りだすには図書館ではだめだという。
 小林市長に問う、中心市街地の地価の歯止めに此処を買われたという。もし、人々を集めるだけの力がこの館になければ、空洞化を更に推し進めることになる。車社会の現今、30分も走れば隣町のイオンに行ける。そんな中、果たして今のような、国の金欲しさで、市民が欲していないような建物を作るのが正しいのか。
 何かをしなければならない焦りは分かるが、本当に市民のためになるものなら、誰一人反対する者はなかろう。港の整備に64億、これは海から拓けた八戸の再生で、推進して頂きたい。また、この成功は筆者は確信した。稿を改めてこれは記す。しかし、担当課長が横目で市長を見る、市長は色目で国を見るじゃ、本当に八戸市民が欲する、市街地活性化の実現がなるのだろうか。
 それには開館当日を想像せよ。何のためになるのかわからぬ会館に巨額な費用を投じて建てたが、開館記念の式に参加するのは市民のために働く市長はじめの市側、それと市民のために働かない商工会議所ぐらいだろう。この商工会議所の打つ手打つ手が悪手なのは見たことが無い。他都市の成功例をちょこちょこと修正し八戸でそれを実現というが、八戸のためになるもの以外は長続きしない。まして八戸人は新しい物、目新しい物好き、すぐあきる。商工会議所も自分のことしか考えない。市内の商工業者繁栄の道を探るには、ここも観光協会と同じで会員増強できる者が会頭をするべきだ。靴屋の親父だけに足を棒にしてでも頑張ればいいが、その発想もない気の毒な人物。
 そんな八戸の重鎮が首を揃えた開館式とて、三日もすれば三日町だけに閑古鳥だ。そんなへんてこなものを作るな。八戸の偉人を顕彰する場を一階に設けろ。
 羽仁もと子を崇拝する会員が全国に26万人いる。八戸の人口は二十四万。その八戸市民全員が羽仁もと子を知っているのか? どんな人かも知るまい。ところが全国には心の母とも、生き甲斐を教える師とも仰ぐ26万人がいる。この衆は今の日々を、亡くなった羽仁もと子と共に生きる。それも力強く生きる指針とされる。
 そんな強烈な、輝きを失わない太陽のような人物が八戸から出た。小林市長のことは百年も経てば皆忘れる。羽仁もと子は百年経っても不滅の光を放つ。ここが偉大だ。婦人が社会で活き活きと働く、日々の行動のなかにこそ、自分を磨く道場があると、日々の大切さを説かれた。筆者は己が目で羽仁もと子に触れる機会はなかったが、この偉大な人間が長横町の戸部薬局付近で生まれ、その地を日々散策できることは、八戸人の大いなる幸いなのだ。
と言うのは、羽仁もと子の生誕の地を踏みたい。羽仁の故郷に触れたいと26万人が渇望する。まるで聖地エルサレムのように。この聖地礼拝の心を具現したのが、羽仁もと子記念館だ。熱心な八戸の羽仁もと子崇拝者が中心となり、全国の会員に八戸すき昆布を販売し、その利益を種銭とし、本部、友の会からの応援も得て、八戸沢里の地に羽仁もと子記念館を建てられた。
 偉大な力だ。彼女等には消しても消えない、燃えても燃え尽きない力がある。それを培うのが学校教育の自由学園であり雑誌「婦人之友」だ。女子供とさげすむ言葉がある。女子供は男が身を挺しても守るべき存在だ。
 ところがどうだ、八戸から、かくも偉大な人物が狭隘な八戸では力を発揮できないと東京に飛びだし、新聞記者になった。そして、必死の努力の中28歳で伴侶を得た。そして二人三脚の日々、その努力の結実が死して後も26万人の会員を誇る。
八戸の誰が出来た? 誰がなしえた? この努力の結実、羽仁の魂の故郷、八戸は聖地なのだ。その記念館に八戸市は固定資産税をかける愚行だ。タダにしろ、能のない水道企業団の建物を免税にするから馬鹿なまねをしでかす。八戸市民の、いや、日本人の誇りの羽仁もと子を粗末にすることは、たった一人しかいない母親を殴る行為にも等しい。幼くして母を亡くした子は、どんな母でもいい、生きていて欲しかったと希求する。立派な我等八戸市民の母とも思う人を厚遇せず、誰を処遇するというのか。
 交流センターには羽仁もと子の部屋を設置せよ。彼女は八戸の偉大な母なのだ。それを八戸市民は満足にしらない。遠い日本各地に見たこともない、会ったこともない人々が羽仁もと子を慕う。その人物を八戸人に理解してもらうためにも必要だ。そして、この部屋には会員のかたに常駐願い、羽仁もと子を解説していただこう。
 遇すれば(ぐうする・もてなす)必ず道は開ける。そして、その八戸人の好意に全国26万人を動員して、開館当日は聖地八戸に押しかけてこられよう。それも八戸市が会員の皆様にどうぞおこしくださいと呼びかけてこそ実現する。
 宝は観光地だけではない、偉大な魂を持った人物なのだ。それを活かせるのか、それとも見落としたままにするのか、小林市長の判断を待つ。設計図面は書き直せばいい。そこで2、3千万円余計にかかっても先々の憂いがないことを考えれば安いものだ。金は必要なものには惜しむべきじゃない。

2008年7月7日月曜日

水道企業団、役所の常識、非常識


水道企業団が所有を宣言する内丸の市役所横の建物。ここに、消防本部と北奥羽広域水道サービスという民間会社が入っている。消防本部は官だから家賃が安くても仕方がない。ところが、この民間会社が優遇されている。それは役所に固定資産税がかからないことをもっけの幸い(意外な幸運)として、家屋の消却を考えて家賃を下げに下げた。
そのお値段、年間44万円だぞ。月額だと3万6千円。坪数は165坪。坪当たり221円。昭和4年の話か?違う。平成18年現在、今ならまだ下がっているかもしれん。
これに、腹が立たない人がいたら奇怪だ。馬鹿野郎の言葉はこのためにこそある。白山の山に向かって叫ぼう、返せ北方領土、こんな文句を聞いたことがあるナ。間違えた、最近歳のせいか、すぐ忘れる、すぐ間違える。聞き違いと間違いは世の常、年寄りのせいで勘弁、勘弁、大声で叫ぼう「馬鹿野郎」
 八戸市税の七割を占めるのが固定資産税、これはとりっぱぐれがない。いよいよになったら差し押さえの一手がある。取れないのは国保税、未収が29億ある。これは無い人からは鼻血もでないというやつで、絶対とれない。この話はいずれまとめて見せる。
 その固定資産税を免れていることを利用して、一私企業に利益を供与した。これは不届き、けしからん。けしからん罪があれば検察庁に告発だが、そうしたものはないから、けしからん!
 民法の規定で5年遡って求償させよ。観光協会は商工会議所内にあるが、これもよくよく見ると商工会館となっていて、固定資産税負担部分と減免部分がありそうだ。それでも、観光協会は年間220万円ほど支払っている。北奥羽とは5倍の金額差、面積でいえば猫の額と大仏の額ほどの差がある。これでも、利益を供与してないという水道企業団の頭脳はどうなっているのか、更に奇怪なのは、北奥羽の資本金の85%を水道企業団が握っているそうだ。つまり完全子会社だ。これは違法じゃないのか。これについては詳細調査の上報告。
三日町の戦後の焼け跡バラック建築を記した時、みろく横町の家賃が高いが、固定資産税は安いの? 疑問があったが、それに回答、安い。固定資産税は土地部分と上物に分かれるが、地価はそれほど大きな要素を含まず、上物、つまり建物に幾らかけたかが決め手。その建築費の七割に税率をかける仕組みだから、トタンと板塀しかなければ地価が高くとも大したことはない。家賃が高いのはふんだくられているだけ。
 長者まつりんぐ広場の夕ぐれ市も市は安く貸しているが中間業者が、ああだのこうだのと入会金はとる、高く貸すで、市側が狙っていることから大きく外れている。自分じゃソースも包丁も握らず、ピンハネで食おうとするところに間違いがある。業者よ反省しろ。
 さて、昨日記したように、インドの成功の哲学を披瀝。人生での成功を勝ち取るには、
1 思いを変えよ、今までと違って必ず成功するんだの気概を持てと教える
2 思いが変われば言葉が変わる。成功したいと強く思うと、相手の話にヒントがないかと積極的に聞き、謙虚な言葉が出る
3 言葉が変われば態度が変わる、丁寧な言葉使いになれば、おのずと態度も落ち着いたものになり、人に安心感を与える
4 態度が変わると人の見る目が変わる、同じ人間だが、言葉使い、態度物腰が変わると、あの人は素晴らしい人だと尊敬を集める
5 見る目が変われば、人生は変わる。人が仕事を運んでくるようになり成功を手にすることができる
先ず、今までの自分は間違っていたと思うことだが、これが出来ない。出来ないから変わらない。だから、変わった人間だけが成功を獲得できる。凡人は羨むだけだ。
水道企業団の諸君は先ず思いを変えることから始まる。誰だって成功できるが、きっかけを知らない。それだけだ。それは自分のなかに埋まっているのに。

三日町交流センターは本当に市民のためになるのか1


八戸とは? 根源的命題だ。青森県の南端、イカの町、新産都市だった所、地震が多いなど色々あるが、観光こそすべての総合力という小林市長の思い入れから、観光課長を抜擢したが、46億円を有効利用できるか、ムダ遣いで終わるかの瀬戸際。
 日曜日に集客できないのが、三日町の悩みだ。郊外型の店舗に出店するカネイリは、下田店の書籍は売れているものの、三日町は下降だそうだ。もっとも三日町店は書籍に注力しないせいか、今は三春屋の書籍部に読みたい本が並ぶ。カネイリの奮闘を期待。
 さて、自助努力を重ねる商店主を尻目に、官費で交流センターを建てるが、これが問題だ。すでに基本設計は出来た。6月末の詳細設計が遅れて、今日、7月7日に提出されなければ罰金だ。
 これが出れば全ては終了し、残るのはパネルなどのガラクタをどう並べるか程度の問題しか残らない。筆者が再三、詳細設計が出来上がれば全ては終了で、その前に人を集める仕掛けの偉人・先人顕彰館を検討せよの声を無視。
 観光を中心とする建物、市民の皆様のご意見を承って、それを具体的にしたい、と課長の弁。課長は卓球の愛ちゃんに似ている。人の良さそうな、物腰の穏やかな人だが、気迫、気力に欠ける。歴任の東京事務所長、観光課長は新規事業じゃない。適材適所で、そこでは充分な力を発揮されただろうが、今回は小林市長がすすめる車の両輪110億円の片方、46億円を使う旗頭だ。
 それが市民の皆様のご意見を承りじゃ、寝言は寝てから言え。旗頭は首長が決めた、これを実行したいとの念願を具現化する立場。それには強烈な個性と堅固な信念がなければならない。その信念すらなく、市民のご意見だと? 人を糾合するには信念の旗印が必要だ。その信念もなく、人を糾合できるのか? 集まって来たからこそ、意見が出る。信念は新年おめでとうと訳が違う。
 当然、日当が出る会議も開かれただろうが、論議の果てがこれか? そんな委員だか医院は必要としない。苦言を呈する気概のある人物を選べ。茶坊主を幾ら集めてもおだての言葉しか聞こえない。
 昔から言う、おだてとモッコには乗るなと。モッコは溜に捨てられる病気の人夫などを乗せる藁で編んだ網。溜は非人の溜、これは病気になって人間として役に立たないから非人とされ、捨てられる。それを非人が必死に看病し助かって非人と夫婦になるなんて話が平凡社の本にあった。だからモッコには乗るなと言う。
 口当たりのいい話に酔うな。道を誤るぞ。詳細設計が出来ても、本当に人を集める拠点となるのか。町の駅という伊吉書店救済策のような交流センターじゃどうにもならん。その利用者数などゴミの数でしかない。それを知りつつ同様な大規模な箱を作ってどうするのだ? それが本当に市民の為になるのか? 
 満鉄職員が絶えず胸に置いた言葉が、それが本当に日本国民のためになるのか?だ。全市役所職員に告げる、諸君の動きが本当に八戸市民の為になるのか?を絶えず想起せよ。
 さて、この課長に信念がないなら、補佐する人材を求めよ、若手ではこの課にいる前田氏、公報市民連携の茨島氏、さらに観光課の安原氏。若手に意見を述べさせよ。そして一つひとつに確証を得よ。それを集めて大規模な誰も見たことも無い物を作りあげる。
 筆者が小学生の頃、少年という月刊誌が出来た。それに鉄腕アトムが掲載された。衝撃だった。映画の構成画面と同様なダイナミックなコマ割、見たこともない未来の話、空中を走る道路、それは高速道路として現代にある。手塚治氏の突拍子もない話が具現された。そして漫画は今、世界中からマンガとして、共通語となった。誰が五十年前に、子供が貪って読んだ漫画が、世界語となるなど信じただろうか。人は突拍子もない話を一笑に付す(笑ってとりあげない)。「はちのへ今昔」の表紙には西有穆山が言った言葉を掲げている。世をわたるには馬鹿げたをはくべし。
 これを余人(筆者以外の人)は下駄だと思っている。ところがひらがなになっている所に味わいがある。馬鹿げた話と解すべし。世の中を渡るには先を見通し、人が馬鹿げた話と思えるような未来の話をせよが真意だ。
 八戸の偉人の一人、西有穆山は凄い言葉を吐いた。はくべしは吐くべし。げた、はくと来たので下駄、履くとなった、それは己が教養のなさだ。
 でかい仕事には有能な人材の発掘からだ。人間は目に意思が出る。これら若手の目は透徹する輝きがあるぞ。市長は知るまい。前田氏は前は秘書課にいたので、この人物だけはご存知だ。筆者は各課を横断している。攻め込まれてどう守るか、ここに人間性が出る。そこで誠実に応対できる人物は得難い。まだまだ若手で優秀な人材が市役所にはいる。
 若手を登用しこの難局を抜けるには、三浦哲郎(現存)、西有穆山、羽仁もと子、北村益、安藤昌益らの死人(しびと)の力を借りることだ。その秘策は明日。

2008年7月6日日曜日

八戸図書館は姑婆ァじゃなく虫だった。玉虫色の決着


6月23日掲載の図書館の応対の悪さを嘆いたが、これの結果が出たかと問うと、やはり、中学生のノートのコピーもさせない、積んでおくだけの著作権違反に対応する為の謄写(コピー)申し込み表は必要だ。図書館長はこう断言。
 それなら、教育長に面談すると談じ込んだ。図書館は筆者に感謝こそすれ、余計なことは言えない立場にある。それは空中俯瞰図の一人者、「吉田初三郎と八戸」の特別展覧会が2年前の平成18年7月15日に開催された。
 この特別展に間に合わせるべく、種差観光協会長が、吉田のアトリエが種差にあったことから、吉田が描いたと言われる明治天皇の肖像画を捜すが、発見できない。この話を筆者に持ち込んだのが、豊田みよ市議、それが特別展の開催5日前。もっと早く言えよと不平をもらしたいが、事情を聞いた。この話の詳細は「はちのへ今昔」2006年8月前半号に掲載したので、図書館の郷土資料室で見てくれ。
 市役所の傍に図書館があったころ、明治天皇の肖像画が二階に上がる階段踊り場にかざられていたと、八十過ぎの人々が証言、ところが戦争に負けて、明治天皇の肖像画が行方不明。
 これを捜せというわけだ。図書館職員は市議ごときが言っても動きません。ないの一点張りです。ここは小川さんに捜していただくより外なしとおだてられて吠え方を考えて、色々やったら出た! お化けじゃないが出た。13日の午後2時、噛まれた図書館副館長が捜しに捜した。徹夜してでも捜せと筆者精をつけられた(八戸弁で力をつける意味)からだ。
 14日の新聞にはデカく出た。当然間に合った。これを感謝して、筆者の言うことをきくように迫った? ちがう、図書館には筆者に書かれて困ることが三つある。それを書いてもいいのか? と迫られる訳だ。
 確証がないと書かない。確証があるから役人は近寄らない。いつ吠えられるか、噛まれるかと近寄らない、まるで狂犬だ。それでいい。
 図書館側から二度に渡って謄写(コピーを彼等の用語で謄写)できない説明を受けた。筆者は二度までは説明は聞く。仏の顔も三度とあるが、筆者には二度しかない。偉そうに言うな、お前は仏じゃない? ほっとけだ。その内筆者もお陀仏で仏だ。当然、あの件を忘れていないかと書かれたくない話を持ち出す。役所は筆者が死なない限り安眠できない。市民に役に立つから役所、役所に役に立たないやっかいな代物が筆者だ。それはそうと、昨今開示をかけると、これが噂の「はちのへ今昔」だと、まるでパンダを見るような目をする者がいる。筆者は上野動物園じゃない。ついでに記すが、筆者を恫喝とコメントをいれた人がいた。恫喝が吠える意味なら、間違いない。しかし、恐喝ではない。金品目当てに吠えたことは一度もない。さらに、基本的に筆者からは返事は書かない。何の物言いもOK。だが、女性の陰部の名前を連記するじゃ情けない。問いに対しての答えは必ず本文の中で見せる。それに関係した事柄を持つから、その時にまとめて答える。無視をしているわけではない、筆者の好奇心をくすぐるような書き込みを待つ。
さて、図書館だ。平成20年8月1日から、図書館のコピー機は図書館資料以外は申し込み用紙に記入しなくてもコピーできる。つまり、中学生は友人のノートのコピーは自由になった。料金10円は必要。
 しかし、図書館資料については従前どおりだ。結句、彼等は自分の主張を通しただけ。意地糞悪い姑婆ァが玉虫に変身だ。
変わる世の中、図書館だけは昭和46年の風が吹く。

2008年7月5日土曜日

水道企業団は大きく変われる、その好機こそ今


水道企業団を見てて、彼等はなんとなく、二十年(水道企業団創立以来)を過ごしてきた。それは幹部が意識改革できないまま、市役所から分離独立したことによる。
部下は上司が何を考えているかを直ぐに察知。自分の立場をわきまえて、イエスマンが出る。NGを食らわす奴は憎たらしいからだ。
当然、甘ったるい言葉が幹部の廻りに充満、それが、幹部の身体を蝕む。そして、正しい理解力を破壊。まるで甘いもの、酒の誘惑に勝てない糖尿病患者だ。
これくらいなら、この程度ならと、規律、規範を己が破る。こうなりゃ完全に病気だ。だが、糖尿病と同じで自覚症状がない。これが恐ろしい。
幹部がこれでも、水道企業団の部下職員に自覚が出たので、改善・改革は近い。改善・改革なしに、何の人生か。人生はタダの一度。色々な事象、様々な経験をする場なのだ。その時、右か左を問われる瞬間が来る。
その時が来たと知れば、卑怯未練に命乞いをする自分を見たくないと、昔の侍は腹を斬った。理屈は説いても屁理屈をつけ、延命を計らないのが男だ。これを恥の文化という。
時が移り、時代が変わり城勤めも様相が変わった。時折、鋭い侍を現代にも見る。
八戸市役所三大侍
管財にいた差波氏、この人にも散々に噛み付いたが、あることを知って、筆者もそれに落涙し、前非を侘び、そのことをなした課長に礼を述べた。
次が現図書館長の川村氏、これも侍、しかし、今回の図書館のコピー機利用は疑問あり。だが、性根が座っているので期待充分。
次が収納課長のつる頭の堺氏、八戸の市税の七割を占めるのが固定資産税。46億円が未納。それとがっぷり取り組む。資産のある固定資産税はとりやすい。いよいよなら不動産を競売すればいい。だが、生活困窮者の国保税は取れない。もともと無い、鼻血もでない人からどう取り立てる? それでも29億円に上るこれを、必死の夜討ち朝駆けで頑張る。それが仕事だから。不器用だが力がある。これらの人を八戸市役所三大課長と筆者は呼ぶ。立派な人材だ。さて、水道企業団だが、独立不羈(どくりつふき・ふきはしばりつけられないこと。束縛されないこと)の道を選んだ以上、市役所とは決別しなければならない。妙に尻尾を市役所に絡めるな。
それは市役所互助会に加入していることだ。こんなところからは脱却せよ。そして自分達のためになる互助会を自分達で形成するのだ。市役所互助会は市民の目が届かないことを幸いと税金を使って夏の祭り、八戸三社大祭に山車を出した。市民は乞食のように、戸別に頭を下げて山車制作の金を集める、これが伝統の町衆の祭りなのだ。そして、互助会の金があまったと市役所に3億5千万円を密かに3月末に返却。これは東奥日報に大きく掲載された。そんな馬鹿互助会に加入するべきではない。独立不羈を唱えた以上、もう後戻りはできない。裸足で霰の降る道を走りだしたと等しい難行苦行が不羈だ。泣くな嘆くな男じゃないか、だぞ。
市役所から分離独立し、財産を掠め、債権債務を継承したなら、己が財産を管理する責任がある。これについては明日掲載。
さて、なんとなく二十年を過ごした水道企業団の職員は自覚が不足していただけ。自覚し、自分達は八戸市役所とは違う独自路線を歩む以外に方法がないならば、それを継続していかなければならない。市役所にはもう、戻れない、戻らない以上、自分達の行動に責任をもて。 それを持続継続するには方法がある。
職員が声がけすることだ。キチンといえない「おはようございます」「ありがとうございます」「私が間違っていました」この最後の言葉はなかなか言えない。が、噛み付きを得意とする筆者も、差波氏には前非を侘びた。侘びることは恥ずかしいことではない。侘びない自分にこだわることこそ恥ずかしいのだ。
声がけは自分を変える。自分が好調なときは、運を自分で切り開いてきたような気になり、開運・幸運は自分で手に入れたように思うが、本当は運というのは運ばれているものなのだ。俗に運が悪いという時は諸事万事の歯車が噛み合わなくなっている。
 その原因の大半は運が悪いという本人の側にある。運は心がけ次第で良くも悪くもなる。知らず知らずに悪い方向に迷い込まないことだ。
運気確認表
該当するものに○をつける。
1 朝早く目がさめる
2 夜すぐに眠れる
3 疲れが朝まで残らない
4 朝御飯を食べている
5 朝家族と顔をあわせるとおはようと声をかける
6 職場に出かけるとき誰もいなくとも行ってきますという
6 職場に着く前から知人に声をかける
7 職場で大声で挨拶する
8 いつもご苦労様です、ありがとうと声を出せる
9 貴方のおかげです、ありがとうと何時も感謝する
10 すみませんとすぐにわびる
11 眠る前に今日も楽しかったと1 日を省みる
12 自分の体の疲れた所を頑張ってくれて有難うと自分で揉む
13 自分の家の便所をすすんで掃除する
○が8以上の人は開運条件が揃っている。
 衰運・下運に陥ると
1 なんとなく去年より今の方がうまくいかない
2 疲れがとれない
3 人の言うことがいちいち気に障る
4 煙草の量が増えた
5 よく眠れない
6 気になることが増えた
こんなことがあてはまる人は運気確認表の事柄をしていない。
ものごとを成就させるには方法がある。
成功の鉄則(インド人が教える哲学)だ。これも又明日掲載。

2008年7月4日金曜日

青森市民、乗れ新幹線、乗るな感心せんJRの口車



八戸に新幹線が来て、人皆うかれたが、そのどさくさに駅ビルが建った。筆者は建たないと踏んでいたが、中里市政にしてやられた。箱物市長のしでかしたイタチの最後屁が、このJR経営のホテルの入る駅ビル。そこに八戸市は図書館、市役所出張所、観光プラザを入居させる契約を結んだ。
 その年間使用料は4500万円。使用料の高さよりも、本当に、それらは効果を発揮しているかが問題。図書館は西高の勉強室。高々利用者は一日200人だ。「はちのへ今昔」のブログを見に来る人より少ない。最悪なのは観光プラザで部屋の四分の一程度しか機能していない。あとは空気を暖めたり冷やしたりしているだけ。
 これで痛感、首長がやると決めると部下は、馬鹿げた話でもやらざるをえないという事実だ。首長は辞める、落選するで代わるが、市役所職員は辞めれば生活に窮する。ハイハイ坊主が出るわけだ。だから役所の職員にはノイローゼが多い。「はちのへ今昔」に噛み付かれるから? いや違う、ある職員が筆者に耳打ち、「外敵「はちのへ今昔」には職員がアレルギーをもって対抗する。また、その免疫も次第に出来つつある。しかし、本当の敵は正面から来ません。後ろから飛んで来る弾に殺される」けだし(まさしく)名言。
 市役所出張所は幾らか機能している。だが、対投資効果は知れたものだ。
 まあ、この賃借料は仕方ないとして、青森市民よ、騙されるな、このJRの悪辣な手口に。
敷金に1億5千万円
保証金が3億5千万円
合計5億を無利子でムリして取った。
賃貸借期間は平成24年まで。ここで撤退すればいい。撤退するとどうなる?
保証金は10年据え置きで11年目から向こう15年間に渡り年度末に年賦均等払いだと。つまり、平成25年から平成40年まで均等払いをする。それも無利息だ。
馬鹿にするな。新幹線が来ると浮かれたらこのザマだ。
地方自治体が倒産するか、保証金、敷金はそれの保証だ。一般民間人と自治体が同じだとするJRの手口は汚い。中里市政は駅ビルやむなしとこれに応じたが、本当に払うべき金だったのか? 要不要をしっかり考えないから、観光プラザの体たらくだ。使用する観光課に智慧がないから相変わらず投資効果が発揮されない。
同じ手口を青森市でも使うぞ。注意、注意。