2008年7月6日日曜日

八戸図書館は姑婆ァじゃなく虫だった。玉虫色の決着


6月23日掲載の図書館の応対の悪さを嘆いたが、これの結果が出たかと問うと、やはり、中学生のノートのコピーもさせない、積んでおくだけの著作権違反に対応する為の謄写(コピー)申し込み表は必要だ。図書館長はこう断言。
 それなら、教育長に面談すると談じ込んだ。図書館は筆者に感謝こそすれ、余計なことは言えない立場にある。それは空中俯瞰図の一人者、「吉田初三郎と八戸」の特別展覧会が2年前の平成18年7月15日に開催された。
 この特別展に間に合わせるべく、種差観光協会長が、吉田のアトリエが種差にあったことから、吉田が描いたと言われる明治天皇の肖像画を捜すが、発見できない。この話を筆者に持ち込んだのが、豊田みよ市議、それが特別展の開催5日前。もっと早く言えよと不平をもらしたいが、事情を聞いた。この話の詳細は「はちのへ今昔」2006年8月前半号に掲載したので、図書館の郷土資料室で見てくれ。
 市役所の傍に図書館があったころ、明治天皇の肖像画が二階に上がる階段踊り場にかざられていたと、八十過ぎの人々が証言、ところが戦争に負けて、明治天皇の肖像画が行方不明。
 これを捜せというわけだ。図書館職員は市議ごときが言っても動きません。ないの一点張りです。ここは小川さんに捜していただくより外なしとおだてられて吠え方を考えて、色々やったら出た! お化けじゃないが出た。13日の午後2時、噛まれた図書館副館長が捜しに捜した。徹夜してでも捜せと筆者精をつけられた(八戸弁で力をつける意味)からだ。
 14日の新聞にはデカく出た。当然間に合った。これを感謝して、筆者の言うことをきくように迫った? ちがう、図書館には筆者に書かれて困ることが三つある。それを書いてもいいのか? と迫られる訳だ。
 確証がないと書かない。確証があるから役人は近寄らない。いつ吠えられるか、噛まれるかと近寄らない、まるで狂犬だ。それでいい。
 図書館側から二度に渡って謄写(コピーを彼等の用語で謄写)できない説明を受けた。筆者は二度までは説明は聞く。仏の顔も三度とあるが、筆者には二度しかない。偉そうに言うな、お前は仏じゃない? ほっとけだ。その内筆者もお陀仏で仏だ。当然、あの件を忘れていないかと書かれたくない話を持ち出す。役所は筆者が死なない限り安眠できない。市民に役に立つから役所、役所に役に立たないやっかいな代物が筆者だ。それはそうと、昨今開示をかけると、これが噂の「はちのへ今昔」だと、まるでパンダを見るような目をする者がいる。筆者は上野動物園じゃない。ついでに記すが、筆者を恫喝とコメントをいれた人がいた。恫喝が吠える意味なら、間違いない。しかし、恐喝ではない。金品目当てに吠えたことは一度もない。さらに、基本的に筆者からは返事は書かない。何の物言いもOK。だが、女性の陰部の名前を連記するじゃ情けない。問いに対しての答えは必ず本文の中で見せる。それに関係した事柄を持つから、その時にまとめて答える。無視をしているわけではない、筆者の好奇心をくすぐるような書き込みを待つ。
さて、図書館だ。平成20年8月1日から、図書館のコピー機は図書館資料以外は申し込み用紙に記入しなくてもコピーできる。つまり、中学生は友人のノートのコピーは自由になった。料金10円は必要。
 しかし、図書館資料については従前どおりだ。結句、彼等は自分の主張を通しただけ。意地糞悪い姑婆ァが玉虫に変身だ。
変わる世の中、図書館だけは昭和46年の風が吹く。