東洋文庫に「朝鮮独立運動の血史」がある。その中に次の文あり。中米新聞社『大陸報』は、つぎのように言っている。
ある欧米の女性宣教師は、さいきん朝鮮を訪問し、日本人の朝鮮人待遇の実情を調査し、このほど上海に帰った。彼女の述べるところによると、朝鮮の女性たちに対する日本人の態度は、非常に残酷無惨である。現在の朝鮮は厳然たる暗黒時代で、道徳的にも学問的にもきわめて水準の高いすぐれた女性たちは、ほとんど牢獄に入れられて、筆舌につくしがたい虐待を加えられ、きわめて多数の人が、ひとしく心理上、生理上の深い傷痕をこうむっている。
しかし、朝鮮人民の独立精神は、このうえなくすぐれ、かつ偉大で、百折不撓(ひゃくせつふとう・何度くじけても尚心がかたく、困難に屈しないこと)、たとえ死んでもなお後侮しないものがある。そのために、日本兵や警官に対しても、すでに畏怖するものはなにもない。日本人はつねに「外国の宣教師がそそのかした」とデマをとばすが、実はいささかの根拠もないのである。朝鮮人の独立要求は、すべて自発的である。
同女性宣教師は、種々の文献的証拠をつかんでいるが、その証拠のうちの一例は、ある日本官憲が一女学生の事件を審理した記録によるものである。そのなかで同女学生は、「教師の教えに従わないで、街路で、朝鮮の国旗をもち自由独立を高唱した。日本人はこの女学生を逮捕し、衣服を剥ぎ、木架に縛りつけ、顔面を竹刀でなぐりつけた」と述べている。その他多くの惨刑は、いちいち枚挙のいとまがないほどである。これらの女学生は、ひとしく愛国心に富み、学問にすぐれ、また英語をよく駆使できる者である。
彼女らが、旗を高く掲げ「万歳」を高唱するのは、一種の消極的愛国の行動にすぎない。それは、上海でストライキをする中国の女学生と、なんら異なる点はない。しかし、日本人は、この朝鮮人学生の行動をあたかも仇のように待遇しているのである。
マリアという名のある女学生を法廷で訊問したとき、日本官憲は、マリアに、「お前は朝鮮独立を考えてどれくらいになるか」と質問した。マリアは、「わたしは心の中で独立を考えない時はありません」と答えた。日本官憲は、「お前はなんで、男子と同じように独立運動をしようとするのか」と言った。マリアは、「世界のあらゆる成功者は、みな男女が協力して成功しています。よい家庭は、かならず、夫婦が協力してつくるものであります。よい国家もまた、かならず、男女協力してこれをつくるものです」と答えた。つぎに「お前はどういう料簡で独立がいちばん大切なものと信ずるのか」と問うと、「わたしは朝鮮人である以上、朝鮮の独立を望むのはあたりまえのことです」と言った。「お前は立派な教育をうけているが、別に特別の理由があればすべて申したてなさい」と言うと、「わたしは、わたしの考えをことごとくあなたに話したいとは思いません」と答えた。
日本官憲が「お前は日韓合併と日本政府の政策を、どのように考えているのか」と聞いた。マリアは、「朝鮮は、けっして日本の合併には応じません。あなたの政府の朝鮮支配にいたっては、すべて公道に反し、まさにドイツがその属国を処置したところとまったく異ならないものです」と言った。日本官憲が、「お前が朝鮮の独立を要求するのは、別に特別の理由があるか、どうか」と言うと、「わたしには、三つの理由があります。一つは、朝鮮の幸福を図るためであります。二つは、日本帝国の幸福を図るためであります。三つは、世界の平和を図るためであります。第一は、朝鮮と日本の歴史、風俗、言語はまったく異なっています。日本はけっして朝鮮を同化することはできません。わが国のさきの皇帝と人民は、けっして合併を願ってはいませんでした。さきの皇帝が合併条約に署名したのは、日本人が武力で強要したからです。ここ十年来、朝鮮人民は、独立を図り、前者が倒れれば後者がその意志を継ぎ、つぶさに、あらゆる痛苦をなめ、一命をうしなっても後悔せず、男女老幼全国民は一丸となり、一人として独立を切望しないものはありません。第二は、朝鮮人民はすでに日本の支配を拒否し、あなたがた日本のいかなる圧制をも問題としていません。ついに叛乱はまぬがれがたいでしょう。したがって、あなたがた日本がその安全を計るためには、朝鮮の独立を許すのがよい方法でありましょう。
第三は、朝日両国間が険悪で衝突をくり返せば、極東の平和はないし、またひいては全世界の平和もない。そのため、世界の平和をはかろうとすれば、先ず朝鮮を独立せしむべきです」と言った。日本官憲は、「お前の話には誤りがある。お前はなにを考えて独立を求めているのか。アメリカをたのんでか、武力をたのんでか、それとも平和会議か」と質問した。マリアは、「わたしは神を信じています。わたしはアメリカに期待などしていない。また武力をたのんでもいない。日本が朝鮮を併合したときは、武力的征服ではなく会議のかたちをとりました。そのため、わたしもまた、日本政府との情理のある談判で独立を恢復することを望むものです」と言った。
日本官憲は、「お前にはすでに、なにも手にいれられるものはない。なんであえてこのようにおろかな行動をするのか」と言った。
マリアは、「事は人によってなされるが、その成敗は、運命であります。わたし個人の力は弱く無能ですが、しかし、かならず国家のために力をだすべきであります」と言った。日本官憲は、「お前は教育をうけており、この料簡のせまい偏見をすてて、つとめて日本人と同化につとめよ」と言った。マリアは、「わたしは、そんなことはできません。わたしは朝鮮人です。かならず朝鮮の独立を希望します云々」と答えた。
この他にも、なお、ある村に一女性がいた。名を張雪といった。奥地のちいさな村に住んでいた彼女は、独立運動の風評を聞き、この風評をまちがいないものと信じた。そして、ついに、人にも知らせず、みずから葬衣一揃えをつくり、ある朝早くこの葬衣を着て警察署の前に行き、大声で「独立万歳」を叫んだ。日本警官はただちにこの奇女を逮捕し、「いったい誰に教えられてこのような奇態を演じたか」を聞いた。張雪は、「教えた人はいない」と答えた。日本の警察は、「教えた人がいないなら、なんでお前は『万歳』を叫ぶのを知っているのか」と言った。張雪は答えて、「鶏は、夜があけはじめると鳴くものですが、はたして誰が鳴くことを教えたのでしょう。わが国の独立の日は、すでに曙光が見えています。そのために、わたしが『万歳』を叫んだだけです」と言った。二日後、日本警官はその両手に拷問を加え投獄した。彼女はまた、縛られた手指を咬みやぶって、血をもって着物の襟の上に「独立」の二字を書いた。その家族がこのことを知り、獄中に食事を差し入れた。張雪は、このとくべつ良い食事をとろうとせず、獄中の人と苦楽をともにすることをねがった。また種々の苦役を志願して、少しもうらみごとを言わなかった。
朝鮮はすでに復活し、女子の英傑は男子に異ならない。種々奮闘につとめ、断固節操をたもち闘いつづけることこのようであったので、これを考える日本人をしてぞっとさせるものがあった。
日本が戦争に負けたとき、この闘いが出来た人がいたか。負けても負けないのが朝鮮民族。いつも虐げられている人は、表面は温和だが、腹の底は煮えたぎっている。ベトナムでもこれを見た。同じ東洋人だが、日本人は直ぐ忘れる民族だ。自分が倒れても、その意思を次なる者が引き継ぐの精神は殴られ続けて体得したものだ。三つ児の魂百までもで、恥辱は雪(すす)ぐが彼等の基本なのだ。学ぶところが多い。