この昭和51年の青森県の勧告文書の存在を地元地権者、八戸市当局(都市政策課)も知らない。先人の知恵をなんだと考えるのか。
これでは猿と等しかろう。我々は識字を武器とし、様々な知識を修得したのではないのか。その存在も知らないのはぞんざいに物事を扱ってきたとがめだ。金を集めるはいい。だが金に支配されるようでは本末転倒。これは地権者に言う言葉。
儲かっていた昭和51年、ちょっと前だが30年も前だ。
30年を一(ひと)世代という。地権者は親父の代だ。では役所はこの県の勧告書を何故知らないのか。第一は人事移動、慣れた頃に違う課に配属となる。下水道を担当して、子ども家庭課に行くようなもの。まるで過去の経験が役に立たない。
第二は役所は文書を基本的に保存しようとしない。保存期間が決められ永年はまれ。第三は資料を整理しようとしない。作れば作りっぱなしで棚 に置いたまま。これが高じて人が去り金を投じた資料も埃をかぶり、ついには捨てられた。
ところが図書館はカビの生えたような資料を大切に保管する。三万の増床問題のガリ版刷りの文書も保存されている。市役所に保存機能がなければ図書館に保存を願え。意地糞悪い姑婆ァも本領発揮するぞ。市役所職員は小姑で。これらが根性が汚い。「はちのへ今昔」の言うことをヘイヘイと上辺だけ追従(ついしょう・おべっかをつかうこと)だ。腹の底ではあかんべえ。
前にこういうことがあった。資料を持参しろと命じて市長室に行った。出口でその資料を取りに行った職員が連れの女職員に、「まったくやんなちゃう、大体態度がでかいんだよ、あの爺」と言った所で筆者と眼があったナ。ばつが悪いはこのこと。途端に小さくなった。筆者が黙って情報開示の部屋に行くと、彼等も後ろに従った。
持参した資料に眼を通しながら、「世の中はこうしたもんだ。壁に耳あり障子に眼ありとナ」
「へい」と答えて小さくなったナ。
こんな職員しかいないのが八戸市役所。大同小異。ときに光った職員も見るが小数小数。
さて、肝心の県の勧告書類だ。
勧告
〔勧告第一〕立地環境の変化を適確に把握すること。
現況の本町・駅前・柳町の3街区を含めた湊地区商業街区の立地環境は、前回の昭和47年の診断においてもすでに若干指摘したところであるが、4年後の今日すでに大きな変化の渦中にあり、しかもそれは悪化の一路をたどっていると判断される。
今回の診断に際し、最も警告したい事項はこの一点に集約される。以下各街区についてその概要を述べるが、この認識の上にたって街区集団としてこれに対応した対策を早急に実施する段階にきていることを確認する必要がある。
1.本町商店街の存立基盤は既に失なわれている。
本町商店街の形成の歴史は、八戸漁港における新井田川河口の船溜りの上陸地点を背にして立地し形成してきた街区であり、そのため漁船員対象の男性向作業衣より発生し紳士用品としての紳士服・紳士洋品・靴履物・メガネ・時計・漁船納入の食料品、菓子・飲食店・パチンコ等の業種で構成され、従として館鼻・小中野方面の一般消費者を対象として婦人衣料、呉服が立地した街区である。従って原則として駅前方面の生鮮品の消費者・小売業者とはほとんど関係なく立地してきたものと思われる。
この存立基盤は、船溜りの舘鼻漁港への移動という大変化によって致命的な打撃を受けることは明らかである。
2.卸売市場と小売市場は明確に分離されるべきである。
公設市場を中心とする市場群の発生の機能は、おそらく二次卸的な小分け機能と業務納入機能が主体であったと思われるが、戦後の食料危機を経て、消費者の期待する卸業者の小売機能の必然的な増大によって、昭和20~40年代にかけて、二次卸業者の小分け細分による高鮮度・安価な特性によって八戸全市のみならず、その全商圏からの一般消費者の集中となって繁栄を極めたが、衛生上の問題と小分け細分の面倒さと人手不足、さらには卸売りによって充分な利益を得、休憩すべき時間における販売のために、消費者に対して不愛想的になるという欠点が表面化してきた。
最近、この欠点に加えて、周辺地のスーパーの進出も手伝って急速に遠隔地の消費者が滅少してきており、このままでは卸売・小売共に機能低下による売上不振に拍車がかかってくることは明白である。
これを改善するには、二次卸と業務納入のウェイトの高い業者はこれを専業として、品揃えの強化・サービスの徹底につとめ、小売りのウェイトの高い業者は消費者に顔を向けた専業者として、消費者のニーズにこたえた商品の細分パッケージ化と、より専門的であり、ワンストップショッピング的な品揃えと機能分担を実行することが先決と思われる。
当たっている部分が多い。勿論外れもある。
次回は県が作った図面の紹介。
これでは猿と等しかろう。我々は識字を武器とし、様々な知識を修得したのではないのか。その存在も知らないのはぞんざいに物事を扱ってきたとがめだ。金を集めるはいい。だが金に支配されるようでは本末転倒。これは地権者に言う言葉。
儲かっていた昭和51年、ちょっと前だが30年も前だ。
30年を一(ひと)世代という。地権者は親父の代だ。では役所はこの県の勧告書を何故知らないのか。第一は人事移動、慣れた頃に違う課に配属となる。下水道を担当して、子ども家庭課に行くようなもの。まるで過去の経験が役に立たない。
第二は役所は文書を基本的に保存しようとしない。保存期間が決められ永年はまれ。第三は資料を整理しようとしない。作れば作りっぱなしで棚 に置いたまま。これが高じて人が去り金を投じた資料も埃をかぶり、ついには捨てられた。
ところが図書館はカビの生えたような資料を大切に保管する。三万の増床問題のガリ版刷りの文書も保存されている。市役所に保存機能がなければ図書館に保存を願え。意地糞悪い姑婆ァも本領発揮するぞ。市役所職員は小姑で。これらが根性が汚い。「はちのへ今昔」の言うことをヘイヘイと上辺だけ追従(ついしょう・おべっかをつかうこと)だ。腹の底ではあかんべえ。
前にこういうことがあった。資料を持参しろと命じて市長室に行った。出口でその資料を取りに行った職員が連れの女職員に、「まったくやんなちゃう、大体態度がでかいんだよ、あの爺」と言った所で筆者と眼があったナ。ばつが悪いはこのこと。途端に小さくなった。筆者が黙って情報開示の部屋に行くと、彼等も後ろに従った。
持参した資料に眼を通しながら、「世の中はこうしたもんだ。壁に耳あり障子に眼ありとナ」
「へい」と答えて小さくなったナ。
こんな職員しかいないのが八戸市役所。大同小異。ときに光った職員も見るが小数小数。
さて、肝心の県の勧告書類だ。
勧告
〔勧告第一〕立地環境の変化を適確に把握すること。
現況の本町・駅前・柳町の3街区を含めた湊地区商業街区の立地環境は、前回の昭和47年の診断においてもすでに若干指摘したところであるが、4年後の今日すでに大きな変化の渦中にあり、しかもそれは悪化の一路をたどっていると判断される。
今回の診断に際し、最も警告したい事項はこの一点に集約される。以下各街区についてその概要を述べるが、この認識の上にたって街区集団としてこれに対応した対策を早急に実施する段階にきていることを確認する必要がある。
1.本町商店街の存立基盤は既に失なわれている。
本町商店街の形成の歴史は、八戸漁港における新井田川河口の船溜りの上陸地点を背にして立地し形成してきた街区であり、そのため漁船員対象の男性向作業衣より発生し紳士用品としての紳士服・紳士洋品・靴履物・メガネ・時計・漁船納入の食料品、菓子・飲食店・パチンコ等の業種で構成され、従として館鼻・小中野方面の一般消費者を対象として婦人衣料、呉服が立地した街区である。従って原則として駅前方面の生鮮品の消費者・小売業者とはほとんど関係なく立地してきたものと思われる。
この存立基盤は、船溜りの舘鼻漁港への移動という大変化によって致命的な打撃を受けることは明らかである。
2.卸売市場と小売市場は明確に分離されるべきである。
公設市場を中心とする市場群の発生の機能は、おそらく二次卸的な小分け機能と業務納入機能が主体であったと思われるが、戦後の食料危機を経て、消費者の期待する卸業者の小売機能の必然的な増大によって、昭和20~40年代にかけて、二次卸業者の小分け細分による高鮮度・安価な特性によって八戸全市のみならず、その全商圏からの一般消費者の集中となって繁栄を極めたが、衛生上の問題と小分け細分の面倒さと人手不足、さらには卸売りによって充分な利益を得、休憩すべき時間における販売のために、消費者に対して不愛想的になるという欠点が表面化してきた。
最近、この欠点に加えて、周辺地のスーパーの進出も手伝って急速に遠隔地の消費者が滅少してきており、このままでは卸売・小売共に機能低下による売上不振に拍車がかかってくることは明白である。
これを改善するには、二次卸と業務納入のウェイトの高い業者はこれを専業として、品揃えの強化・サービスの徹底につとめ、小売りのウェイトの高い業者は消費者に顔を向けた専業者として、消費者のニーズにこたえた商品の細分パッケージ化と、より専門的であり、ワンストップショッピング的な品揃えと機能分担を実行することが先決と思われる。
当たっている部分が多い。勿論外れもある。
次回は県が作った図面の紹介。