2008年7月3日木曜日

自分のしていることがわからない水道企業団 上の巻



連日水道企業団を監視しているが、単に水道企業をしているにもかかわらず、彼等は自分のしていることを理解できていない。
 昨日は早朝七時半に水道企業団に陣取った。白山小学校の児童が元気に通学、それを横目で眺めながら車を走らせたが、ここは山の上、バスも来ない。水道企業団の職員はいきおい(そのときのなりゆきで)自家用車を使用しなければならない。
 やはり、自家用車利用がほとんど、自転車、徒歩通勤の職員も散見(さんけん・あちらこちらにちらほらと見える)。好位置でカメラ片手に職員を監視。筆者の前を110人が通過、「おはようございます」と声をかけたのが7人。あとは仏頂面(ぶっちょうづら・仏頂尊の恐ろしい相にたとえた語で無愛想)。
 まあ、それでいい、誰も監視されるは好まないもの。警察が監視するときは必ずビルの上、見通しはいいが犯人逮捕には降りる時間がかかる。路上に逮捕班を準備すればいいが、「はちのへ今昔」は一人で行動。なかなか容易じゃない。しかし、この水道企業団ほど、たるんだ職員は見たことがない。
 七月二日の朝まだきに起床、ブログを開示し朝飯もそこそこに出かけるわけ、誰に頼まれたでもないが、外にすることもない一人もの。この語で思い出したが、川柳にこんなのがある。「屁をしても面白くもない一人もの」、実に歳を取ると知人、友人が鬼籍に入り、あの冗談、この笑い話が通じる者が減る寂しさ、侘しさ。
 そんな時は、若い衆に交わるがいい。年寄りが火葬場を賑わす分、若い人に近づかないと、話し相手がいないぞ。「あら、先生」と声かけられ、七十過ぎた婆さん先生が、着もしない服を押し付けられ、ローンで買った服の支払いこげついて、首縊ったのを八戸で見た。世の中は金と女は仇なり、どうぞ仇に巡り会いたい、これは蜀山人・太田南畝の狂歌。
 水道企業団の職員は筆者に逢いたくもないわけだが、どういうわけだか、会うハメになった。これも因縁のもたらすところだ。そんなことで、挨拶もしないが、もう効き目があった。それは、業務開始の八時十五分、その五分前に入れなかったのは、小太りのご婦人一人。気の毒に、このご婦人は筆者に気合をかけられた。「遅れるな、走れ!」楽しんでるなァ。
 このご婦人の前はスタイルの良い若い女性、これがつまりビリ2番、ビリ3が、なんと副管理者だ。管理者は市長の小林氏、彼は市役所にいるから、実質責任者がビリ3じゃ気合をかける立場にない。
 これだもの、職員がズルい訳だ。昔からこう言う。上司は部下を3年見ても分からない。部下は上司を3日見れば分かる、と。名言だな。部下が上司のダルイのを見て、あいつがそうなら、こっちもこっちだと勝手な理屈をつけるもんだ。
 副管理者、早く出てきて玄関前で職員に気合はいれなくてもいいが、挨拶励行だ。自分がお山の大将でいられるのも何日ある? 筆者のような爺になると、座る席からおっぽり出されるぞ。明日から来なくていいと、花束と札束抱かされてポイ。使い捨てカイロと同じだ。そうなってから、気合をかけてもダメ。気合のかけられる場所は早起きラジオ体操だけ。情けないもんだ。座る席、暖められる椅子があるうちに頑張れ。外に場所とてないのだ。この前、新聞川柳にこんなのがあった。「この俺にあたたかいのは便座だけ」
 温かいといえば、この水道企業団には便所の蛇口から湯が出た。市役所の本館は湯の蛇口からは出るのは溜息。空気しか出ない。さらに水道企業団の凄いのは、温風で手を乾かせる。サービス満点、勤労意欲50点。どうなるのかなァ、彼等は。自助努力で改善できない体質はどうしたらいいのか。筆者とてヨタヨタで心許(こころもと・おぼつか)ない。本気で改善する監視員が幹部だが、ここの幹部は患部で患っているゾ。
 水戸黄門には印籠と助さん、格さんがいたが、筆者にはそれもない。天下のご意見番、大久保彦左衛門には一心太助、孤立無援の筆者は自転車に乗って気合だ、気合、アニマル浜口だ、何? アニマルじゃない、お前がコマルだ? 八戸弁でお辞儀するってか? あれはこごまる? そうとも言う。今日も頑張る、水道企業団の監視だ。