伊豆伊東生まれの木下杢太郎(本名:太田正雄)は、独協中学、一高、東大医学部へと進み皮膚科を究めライ病の権威となり東大医学部教授を務めるかたわら、「明星」への参加を通して、北原白秋・石川啄木らの詩人と親交を深め、異国情緒と江戸趣味を融合した詩風は、日本近代詩に新風を吹き込んだ。その詩作に五月の頌歌(ほめうた)がある。
役所を廻り役人根性をむき出しにされ、言われたことしかしないのを見せ付けられると、つい、この詩を思い出して、市役所別館の非常階段でニヤリ。
それは次の言葉を思い出すから、われは静かに青きペパミントの酒を啜りて、頌歌(ほめうた)つくるを常とする。小さき給仕(ボーイ)は給仕とて居眠りするのを常とする。
八戸市役所役人はいわれたことしかしないを常とすると置き換えるからニヤリだ。筆者を暴力団関係者と書いたネットを見たが、世上(せじょう・よのなか)はそんなものだ。まして八戸人はその典型、寄ると触るとピイピイとまるで蟻、彼等は触覚を触れ合いながら、互いに餌か砂糖のありかを伝達。蟻だけにありもしない情報を交換か? まさに八戸人がそれ。本人に会うこともせず、ピイピイじゃ、ありじゃないけどありもしない話しで盛り上がる。まあ、税金も罰金もかからないから、どうぞご随意に。丁度役所の各課が出す60億円の仕事の半分が随意契約のように、ご随意に。
さて、こんなように筆者は非常階段でニヤリだ。世の中は困ることは少ないもの、金で困ったと本気で考える人がいる。これは上辺(うわべ)、本当に困るのは人間関係。これを今日は解説する。これは別稿、部下つぶしで示す。金では人間は困らない。筆者は今65歳、33歳で借金5億5千万円で倒産。ヤクザには追われる債権者には怒られるで、ヤクザに監禁されて一晩帰れないありさま。
そんなときにも困らない。それは当然の帰結だから。そのおつりが来ていると思っていた。その時だ、口にピストル突っ込まれた。そのヤクザが突っ込んだピストルの引き金の指を筆者が押した。ヤクザがビックリした。
「馬鹿野郎、弾が入っているんだ」
ヤクザは相手が驚くことをするのが仕事、手品のマリックのように。引き金引いて弾が出れば死んで終り、それも仕方ない、死ねばそれ以上はないから、そこで楽になる。それでいい。それも自分のしたことの、当然の帰結なのだから。
とうとう借金は1円も払わなかった。債権者会議だの云々かんぬんがあるが、それも通り道だ。逃げれば負け、逃げずに己が眼で己が結末を見届けるのが人の道。
だから、どんなことにも逃げない。逃げれば追ってくる。逃げると追ってくることを妄想する。妄想は実体より必ず大きくなる。それが妄想の根源。ありもしないことを自分が想像する。それも悪い状態を作り上げる。だから、怖い。どうして? それは、自分がこうなると怖いと最悪な状態を想像して作り上げるからだ。
だから逃げるな、逃げれば妄想に潰されるから。人の噂も七十五日(世間の評判・取沙汰は長くは続かない)とことわざの教えるように、二月半辛抱すれば事は解決するように出来ている。だから、人間は困らない。困ったと思うのはいっときだ。解決できない悩みは巡ってこないとも言う。どんな困難に見える悩みも必ず解決するもんだ。
困った人がいれば相談しろ。相談料は無料だ。死んだ気になって相談しろ。必ず筆者が解決する。
さて、八戸市役所を廻っていて、筆者はそんなように木下杢太郎の詩を思い出したり、落語の一節を思い浮かべたりしてニヤニヤ。独り暮らしだから、独り言でニヤニヤ、これも不気味だ。まあ、妙な爺が筆者。
この気に入らない、言われたことだけしない課長を吊るし柿ならぬ吊るし上げだ。健康福祉部長の部屋に8時15分に入り、当該課長の非を詰(なじる・相手の過失や不満な点などを問いつめる)る。部長に課長会議が開始ですと呼び声あり、部長は担当課長を呼び、経緯を聞く。不徹底でと部長が侘び、それで落着。
昨日、その課に違うことで訪問、課長は奥にいる。課員と話をし終わり、課長と声をかけると、何事かと出てくる。すかさず、「おはよう」、それだけ。う? 怪訝な顔つき。こちらは挨拶しただけだ。