2008年7月4日金曜日

自分のしていることがわからない水道企業団 少し向上、下の巻



お山の大将の水道企業団は外界との接触が少ない分、どうしても社会常識が変貌しやすい。水道という特殊な世界しか知らず、他の部署への転勤もない、言わば金魚鉢、その中をゆらゆらしていると、世間の風もどこへ吹くで、倒産しない分、危機感もない。水道工事屋が三分の一になろうが、建設屋が半分になろうが、我関せずじゃ、風通しが悪い分、空気も金魚鉢の水も澱む。
 どんな綺麗な水も澱めば腐るは必定。それで、一部職員の綱紀がゆるんだ。それでも、流石は職員、昨日(三日)は全員が10分前に庁舎に入った。
 筆者の前を通過した職員51名が「おはようございます」と声をかけてきた。やる気になればできる。ただ、なんとなくしないことが当然との気分、気配となり、日常化したことだろう。
 市役所の近くに「藪春」というそば屋がある。ここの主人は東京神田の「藪そば」の出。ここは来客の度に、「いらっしゃーい」と帳場を始めとして、全員が声をかける。暖簾をくぐる度に、ここに来れた喜びを感じる。それが楽しくて足が向く。
 ところが、八戸の「藪春」はそれをしない。どうしての筆者の問いに、「恥ずかしくて」。これだ。声をかけるを恥ずかしいと思う文化がある。以心伝心で全てが解決するなら、戦争もケンカもない。
 筆者のように乱暴な言葉を使う者は人間の下。優しい言葉の使える者は人間の中。人の範となるため言葉を用いず、黙って行動するは人間の上。
 だから率先垂範の言葉がある。人は背中を見る。上司が必死に部下を庇う姿勢に部下は奮い立つ。この人のためなら死んでもと。
 水道企業団庁舎120名、そのうち51名が気付いた。それでいいじゃないか。全ての試験に全員が合格せずとも、一部でも動きが出ればいい。ある職員がこう筆者に声をかけてきた。「ご苦労様です、私達は変わります」と。男性職員だが、なかなか言えない言葉だ。こうした職員がたまたま隠れていただけなのだ。目立つ一部職員で全体を評価されてはたまらないの言葉が、これだったのだろう。
 三日間、庭に立っていた労苦が、この職員の言葉を戴いて、水道企業団にはきっかけが必要だったと知った。
 是非、これを端緒として、更に広域八戸のために努力を願いたい。これをもって、早朝奇襲は終りとする。あとは普通の開示を求めることにする。
 さて、何を持って自分のしていることがわからないと断じたか。それは市役所横の北奥羽広域水道総合サービスの入ってるビルと敷地だ。ここは水道企業団が八戸市役所から買い取ったと言う。
 その敷地内に職員互助会が建てた喫煙用簡易組み立て小屋がある。そこを無償で貸した。所有する敷地を無償で貸す馬鹿がどこにいる。高い安いは別として、市役所は他公共団体だ。民間に貸すよりは低額は理屈が通るが、タダはダメだ。市役所への給水は無料か? そんなことはあるまい、普通一般と同額を取っている筈。これが公平公正だ。官は公平公正を絶えず旨としてきた。そして、それはこれからも変わらない。
無料で敷地を貸す、さらにその敷地の状態がどうであるかを知ろうとしないは愚かだ。敷地争いで隣家ともめる者の数は多い。市役所と水道企業団は明確に敷地の所有権を異にしていながら、(これは水道企業団の物言いで筆者は謄本で確認をしていない)無断で市役所が水道企業団の空地を占有している。これはどうだ? 自分達がしなければならないことを、見過ごしていなかったのか? 
市長の車が入る車庫の屋根が水道企業団の敷地を侵犯している。また、立体駐車場に入る鉄製階段も無断占拠しているのだ。更に、市役所互助会に無料で貸した小屋の横に止まっているバイク、自転車に料金はかけているのか、そしてそれは誰の所有物か? 水道企業団はお山に上り、自己の所有する建物、敷地の管理すらできない。それは自己の庁舎が、昔はここにあり、今はそれを必要としない白山台に移転。だから、ここに目が向かない。つまりここは不要なのだ。不用ならば市役所に返せ。財産、債権債務を移管したが、不用なものは返還せよ。それが筋だ。2階、3階を借りている消防本部も間もなく此処を撤退する。それを好機として、規約を改正し、市役所に敷地と建物の返還を求める。