さて、死人を生かせと書いたが、彼等、彼女をどう生かせと言うのか。それは、八戸人の誇りである先人・偉人を子々孫々まで伝えることだ。
八戸の宝は蕪島や、種差海岸だけではない。観光客は一度来れば二度足を運ぶことはなかろう。我々とてそうだ。あなたは今年何度、蕪島のうみねこを見に行かれましたか? 結句、それなのだ。三年前に行ったかしら程度でしかない。すると、これは訪問を反復させる要素ではないということだ。
毎年白浜海水浴場は若い人を中心として賑わう。明治18年、日本初の海水浴場が大磯に誕生してから、幾世代に渡り、若者を集めつづけている。爺・婆は海水浴には行かない。何故? 体が欲しないから。若者は冬でもアイスを食べる。体が要求する。たまに老人で食う人を見るが、大体肝炎患者だ。若者が集まる場、老人が集まる場、観光客を寄せられる場と役割は色々あるが、交流センターは何を狙っているのか。観光客にがらくたパネルで種差海岸の写真を見せるのか? 大方は見たあとだろう。
観光客はまっしぐらに目指す場所にでかけて、それから買い物でもしようかと中心街に出るもんだ。さいしょから街中散策なら、居住する地区の繁華街に出る。つまり、観光施設を街中にもってくる発想が間違い。すると地域交流センターなら、町の駅というヘンテコな場所があり、これに役所は金を出したが、これとて空き店舗の活用で、本気で役所が巨額な金を投入し、その大型版を創る必要性がない。
本来は年間42万人が利用する八戸図書館を上階に据えるのがいい。一日1150人は必ず来る。これを提案したら、国から金を引っ張りだすには図書館ではだめだという。
小林市長に問う、中心市街地の地価の歯止めに此処を買われたという。もし、人々を集めるだけの力がこの館になければ、空洞化を更に推し進めることになる。車社会の現今、30分も走れば隣町のイオンに行ける。そんな中、果たして今のような、国の金欲しさで、市民が欲していないような建物を作るのが正しいのか。
何かをしなければならない焦りは分かるが、本当に市民のためになるものなら、誰一人反対する者はなかろう。港の整備に64億、これは海から拓けた八戸の再生で、推進して頂きたい。また、この成功は筆者は確信した。稿を改めてこれは記す。しかし、担当課長が横目で市長を見る、市長は色目で国を見るじゃ、本当に八戸市民が欲する、市街地活性化の実現がなるのだろうか。
それには開館当日を想像せよ。何のためになるのかわからぬ会館に巨額な費用を投じて建てたが、開館記念の式に参加するのは市民のために働く市長はじめの市側、それと市民のために働かない商工会議所ぐらいだろう。この商工会議所の打つ手打つ手が悪手なのは見たことが無い。他都市の成功例をちょこちょこと修正し八戸でそれを実現というが、八戸のためになるもの以外は長続きしない。まして八戸人は新しい物、目新しい物好き、すぐあきる。商工会議所も自分のことしか考えない。市内の商工業者繁栄の道を探るには、ここも観光協会と同じで会員増強できる者が会頭をするべきだ。靴屋の親父だけに足を棒にしてでも頑張ればいいが、その発想もない気の毒な人物。
そんな八戸の重鎮が首を揃えた開館式とて、三日もすれば三日町だけに閑古鳥だ。そんなへんてこなものを作るな。八戸の偉人を顕彰する場を一階に設けろ。
羽仁もと子を崇拝する会員が全国に26万人いる。八戸の人口は二十四万。その八戸市民全員が羽仁もと子を知っているのか? どんな人かも知るまい。ところが全国には心の母とも、生き甲斐を教える師とも仰ぐ26万人がいる。この衆は今の日々を、亡くなった羽仁もと子と共に生きる。それも力強く生きる指針とされる。
そんな強烈な、輝きを失わない太陽のような人物が八戸から出た。小林市長のことは百年も経てば皆忘れる。羽仁もと子は百年経っても不滅の光を放つ。ここが偉大だ。婦人が社会で活き活きと働く、日々の行動のなかにこそ、自分を磨く道場があると、日々の大切さを説かれた。筆者は己が目で羽仁もと子に触れる機会はなかったが、この偉大な人間が長横町の戸部薬局付近で生まれ、その地を日々散策できることは、八戸人の大いなる幸いなのだ。
と言うのは、羽仁もと子の生誕の地を踏みたい。羽仁の故郷に触れたいと26万人が渇望する。まるで聖地エルサレムのように。この聖地礼拝の心を具現したのが、羽仁もと子記念館だ。熱心な八戸の羽仁もと子崇拝者が中心となり、全国の会員に八戸すき昆布を販売し、その利益を種銭とし、本部、友の会からの応援も得て、八戸沢里の地に羽仁もと子記念館を建てられた。
偉大な力だ。彼女等には消しても消えない、燃えても燃え尽きない力がある。それを培うのが学校教育の自由学園であり雑誌「婦人之友」だ。女子供とさげすむ言葉がある。女子供は男が身を挺しても守るべき存在だ。
ところがどうだ、八戸から、かくも偉大な人物が狭隘な八戸では力を発揮できないと東京に飛びだし、新聞記者になった。そして、必死の努力の中28歳で伴侶を得た。そして二人三脚の日々、その努力の結実が死して後も26万人の会員を誇る。
八戸の誰が出来た? 誰がなしえた? この努力の結実、羽仁の魂の故郷、八戸は聖地なのだ。その記念館に八戸市は固定資産税をかける愚行だ。タダにしろ、能のない水道企業団の建物を免税にするから馬鹿なまねをしでかす。八戸市民の、いや、日本人の誇りの羽仁もと子を粗末にすることは、たった一人しかいない母親を殴る行為にも等しい。幼くして母を亡くした子は、どんな母でもいい、生きていて欲しかったと希求する。立派な我等八戸市民の母とも思う人を厚遇せず、誰を処遇するというのか。
交流センターには羽仁もと子の部屋を設置せよ。彼女は八戸の偉大な母なのだ。それを八戸市民は満足にしらない。遠い日本各地に見たこともない、会ったこともない人々が羽仁もと子を慕う。その人物を八戸人に理解してもらうためにも必要だ。そして、この部屋には会員のかたに常駐願い、羽仁もと子を解説していただこう。
遇すれば(ぐうする・もてなす)必ず道は開ける。そして、その八戸人の好意に全国26万人を動員して、開館当日は聖地八戸に押しかけてこられよう。それも八戸市が会員の皆様にどうぞおこしくださいと呼びかけてこそ実現する。
宝は観光地だけではない、偉大な魂を持った人物なのだ。それを活かせるのか、それとも見落としたままにするのか、小林市長の判断を待つ。設計図面は書き直せばいい。そこで2、3千万円余計にかかっても先々の憂いがないことを考えれば安いものだ。金は必要なものには惜しむべきじゃない。
八戸の宝は蕪島や、種差海岸だけではない。観光客は一度来れば二度足を運ぶことはなかろう。我々とてそうだ。あなたは今年何度、蕪島のうみねこを見に行かれましたか? 結句、それなのだ。三年前に行ったかしら程度でしかない。すると、これは訪問を反復させる要素ではないということだ。
毎年白浜海水浴場は若い人を中心として賑わう。明治18年、日本初の海水浴場が大磯に誕生してから、幾世代に渡り、若者を集めつづけている。爺・婆は海水浴には行かない。何故? 体が欲しないから。若者は冬でもアイスを食べる。体が要求する。たまに老人で食う人を見るが、大体肝炎患者だ。若者が集まる場、老人が集まる場、観光客を寄せられる場と役割は色々あるが、交流センターは何を狙っているのか。観光客にがらくたパネルで種差海岸の写真を見せるのか? 大方は見たあとだろう。
観光客はまっしぐらに目指す場所にでかけて、それから買い物でもしようかと中心街に出るもんだ。さいしょから街中散策なら、居住する地区の繁華街に出る。つまり、観光施設を街中にもってくる発想が間違い。すると地域交流センターなら、町の駅というヘンテコな場所があり、これに役所は金を出したが、これとて空き店舗の活用で、本気で役所が巨額な金を投入し、その大型版を創る必要性がない。
本来は年間42万人が利用する八戸図書館を上階に据えるのがいい。一日1150人は必ず来る。これを提案したら、国から金を引っ張りだすには図書館ではだめだという。
小林市長に問う、中心市街地の地価の歯止めに此処を買われたという。もし、人々を集めるだけの力がこの館になければ、空洞化を更に推し進めることになる。車社会の現今、30分も走れば隣町のイオンに行ける。そんな中、果たして今のような、国の金欲しさで、市民が欲していないような建物を作るのが正しいのか。
何かをしなければならない焦りは分かるが、本当に市民のためになるものなら、誰一人反対する者はなかろう。港の整備に64億、これは海から拓けた八戸の再生で、推進して頂きたい。また、この成功は筆者は確信した。稿を改めてこれは記す。しかし、担当課長が横目で市長を見る、市長は色目で国を見るじゃ、本当に八戸市民が欲する、市街地活性化の実現がなるのだろうか。
それには開館当日を想像せよ。何のためになるのかわからぬ会館に巨額な費用を投じて建てたが、開館記念の式に参加するのは市民のために働く市長はじめの市側、それと市民のために働かない商工会議所ぐらいだろう。この商工会議所の打つ手打つ手が悪手なのは見たことが無い。他都市の成功例をちょこちょこと修正し八戸でそれを実現というが、八戸のためになるもの以外は長続きしない。まして八戸人は新しい物、目新しい物好き、すぐあきる。商工会議所も自分のことしか考えない。市内の商工業者繁栄の道を探るには、ここも観光協会と同じで会員増強できる者が会頭をするべきだ。靴屋の親父だけに足を棒にしてでも頑張ればいいが、その発想もない気の毒な人物。
そんな八戸の重鎮が首を揃えた開館式とて、三日もすれば三日町だけに閑古鳥だ。そんなへんてこなものを作るな。八戸の偉人を顕彰する場を一階に設けろ。
羽仁もと子を崇拝する会員が全国に26万人いる。八戸の人口は二十四万。その八戸市民全員が羽仁もと子を知っているのか? どんな人かも知るまい。ところが全国には心の母とも、生き甲斐を教える師とも仰ぐ26万人がいる。この衆は今の日々を、亡くなった羽仁もと子と共に生きる。それも力強く生きる指針とされる。
そんな強烈な、輝きを失わない太陽のような人物が八戸から出た。小林市長のことは百年も経てば皆忘れる。羽仁もと子は百年経っても不滅の光を放つ。ここが偉大だ。婦人が社会で活き活きと働く、日々の行動のなかにこそ、自分を磨く道場があると、日々の大切さを説かれた。筆者は己が目で羽仁もと子に触れる機会はなかったが、この偉大な人間が長横町の戸部薬局付近で生まれ、その地を日々散策できることは、八戸人の大いなる幸いなのだ。
と言うのは、羽仁もと子の生誕の地を踏みたい。羽仁の故郷に触れたいと26万人が渇望する。まるで聖地エルサレムのように。この聖地礼拝の心を具現したのが、羽仁もと子記念館だ。熱心な八戸の羽仁もと子崇拝者が中心となり、全国の会員に八戸すき昆布を販売し、その利益を種銭とし、本部、友の会からの応援も得て、八戸沢里の地に羽仁もと子記念館を建てられた。
偉大な力だ。彼女等には消しても消えない、燃えても燃え尽きない力がある。それを培うのが学校教育の自由学園であり雑誌「婦人之友」だ。女子供とさげすむ言葉がある。女子供は男が身を挺しても守るべき存在だ。
ところがどうだ、八戸から、かくも偉大な人物が狭隘な八戸では力を発揮できないと東京に飛びだし、新聞記者になった。そして、必死の努力の中28歳で伴侶を得た。そして二人三脚の日々、その努力の結実が死して後も26万人の会員を誇る。
八戸の誰が出来た? 誰がなしえた? この努力の結実、羽仁の魂の故郷、八戸は聖地なのだ。その記念館に八戸市は固定資産税をかける愚行だ。タダにしろ、能のない水道企業団の建物を免税にするから馬鹿なまねをしでかす。八戸市民の、いや、日本人の誇りの羽仁もと子を粗末にすることは、たった一人しかいない母親を殴る行為にも等しい。幼くして母を亡くした子は、どんな母でもいい、生きていて欲しかったと希求する。立派な我等八戸市民の母とも思う人を厚遇せず、誰を処遇するというのか。
交流センターには羽仁もと子の部屋を設置せよ。彼女は八戸の偉大な母なのだ。それを八戸市民は満足にしらない。遠い日本各地に見たこともない、会ったこともない人々が羽仁もと子を慕う。その人物を八戸人に理解してもらうためにも必要だ。そして、この部屋には会員のかたに常駐願い、羽仁もと子を解説していただこう。
遇すれば(ぐうする・もてなす)必ず道は開ける。そして、その八戸人の好意に全国26万人を動員して、開館当日は聖地八戸に押しかけてこられよう。それも八戸市が会員の皆様にどうぞおこしくださいと呼びかけてこそ実現する。
宝は観光地だけではない、偉大な魂を持った人物なのだ。それを活かせるのか、それとも見落としたままにするのか、小林市長の判断を待つ。設計図面は書き直せばいい。そこで2、3千万円余計にかかっても先々の憂いがないことを考えれば安いものだ。金は必要なものには惜しむべきじゃない。