さて、水道企業団の親玉は誰? それは小林市長、水道企業団からの給料は月額4千円とのこと。すると実質的経営者は誰かの疑問が出る。それは副企業長の大久保勉氏。この人の給与は65万、年間賞与が3ヶ月半で二割増しとのこと。退職金は給料×在職月数×0.25、さらに手当て額は786万円、どういう計算か不明。人の貰う金だけに大して興味もないが巨額には間違いない。こんなに巨額な金を手にする責任者が、水道給水停止の戸数を知らない。なんたることか。嘆くのは早い。水道企業団職員の給料が市役所職員よりも百万円高いことは前にも告げた。
ところが、それだけではない。ヤミ手当てを支払っていた。それは企業・能率手当て。一人当たり年間18万円、さすがに気がとがめたのか今年度からは廃止したそうだ。確認はしていない。彼らがそれを見せないので、あくまで言葉だけの上辺の話だ。この全員に支払う手当ては違法で最高裁の判例もあり、返金しなければならない。
退職引当金が13億円、修理積立金が18億円、まだまだありそうだ。定年退職者は北奥羽サービスに送り込む。つまり天下りだ。腹下りなら正露丸だが、天下りには歯が立たない。うまい汁の吸いあいのようなもの。
こうした手先の企業に汚いことをさせ、自分の会計は透明性を保つのが手口。これは水道企業団に限ったことではない。全国的に同様。国の縮図が地方行政で、良いところは学ばず、悪いところを真似る。これが役人根性の最たるもの。汚い汚い。
水道企業団の経理が不透明でまだ全体がつかめない。糅てて加えて(かててくわえて・その上に。更に。普通よくないことが重なる場合にいう)北奥羽サービスの決算書だ。これを副企業長に言うと、北奥羽も開示しなければいけないかと言う。それすらの認識がない。これは必ず汚い決算をしているとにらみ、北奥羽サービスは決算が6期だけに、まだ成熟していない。いろいろ不都合もあるだろうから、開示要求は一年先送りする。だが、税理士を入れて複式簿記にのっとった会計を指導してもらえ、そうでないと、かなり拙い瞬間が出ると伝達。
しかし、北奥羽サービスには会計士がいてキチンと整理されているので小さな親切、大きなお世話だという。焦点は北奥羽サービスの会計と水道企業団の癒着。
もともと、北奥羽サービスの社長を努めていたのは小林市長、これが厄介な事態を引き起こすと辞任、そこで大久保氏が社長だ。これは八戸市長が八戸市役所職員互助会長を務めているのと同じで、背任行為にあたる可能性が大。つまり、互助会に一方的に利便を供与すれば、市民の為にならない。背任罪(はいにんざい・他人のためにその事務を処理する者が、自己もしくは第三者の利益をはかりまたは本人に損害を加える目的で背任行為をし、本人に財産上の損害を与える罪)が怖くて小林市長は互助会長を副市長に押し付けた。
同一人が相反する利害の代表者になるは自殺行為。つまり、不当な契約を北奥羽サービスと結ぶことは、水道企業団に不利益をこうむらせる。つまり、八戸市民のためにならないのだ。
当然、背任罪が成立すれば、5年以下の懲役だ。特別背任罪は10年、これは英会話学校の経営者がそれにあたる。かなりでかい事件に発展する。そして、その証拠を「はちのへ今昔」は入手した。
それ以前にも水道企業団と八戸市役所が発注した金額を北奥羽サービスは6円低く計上。売り上げを落としたことだ。高が6円、されど6円。こんな基礎的なことを見逃す計理士も計理士。よくよく聞くと実に低い金額で、俗に言うハンコ代で税務申告をしてくれる手合い。ところが、この計理士が八戸きっての人物というから恐れ入る。
これは計理士に実質事務は当方でするので、申告だけ願うよくある手口。「はちのへ今昔」がつかんだのは6円もさることながら、もう少しでかい。時期を待って公表。こうなると水道企業団の監査役は何をしていたのかと問われるナ。異常はないとハンコを押しているから。
2008年10月31日金曜日
2008年10月30日木曜日
ハサップが支えるようになる魚の町八戸2
ハサップ事業が実施されれば、魚運搬のトラックから曲がり角や道路に臭い水が流れだすことはない。魚は全て函に入れられフタがされる。車が横転しないかぎり、この心配は除去される。ノルウエー方式のような完全に人の手に触れないのではないが、かなり近くはなりそうだ。
宮本常一は全国を廻り各地の良い点、悪い点を指摘、その眼力は鋭かった。「はちのへ今昔」がハサップこそ再生八戸の原動力となると断言するのは、宮本のこの一文。
次に日本の西南端に眼を移そう。鹿児島県川辺郡坊津町は薩摩半島の西南隅にあって、東支那海に面する良港である。この港は鯵ケ沢よりはさらに古くさらにはなやかな歴史を持っている。遣唐使時代の大陸へ向う船はここから出たこともあるし、中世におけるシナ大陸との交通にあたっても、ここに北九州の博多とともに重要な門戸であったし、さらに琉球列島をつたって南に通ずる南方貿易の基地でもあった。江戸時代に入って鎖国がおこなわれてからはここが島津藩密貿易の基地であった。したがって多くの問屋があり、それらの商人の繁盛と活動は目ざましかったという。しかしそのおこなわれるものが密貿易であったから世人の目をくらますために、一般に廻船などを利用することは少なく、カツオ船を利用していたといわれる。カツオ船で冲へ漁業に出て行き、海上で密貿易船の来航をまちうけたり、あるいは屋久島の港など利用して取引きしたという。したがってここのカツオ船の行動半径は広く、他のカツオ漁村が基地から半径四〇キロ内外のところで操業していたのに対して、坊津のカツオ船は江戸時代の初めにすでに坊津の南方四〇〇キロ位のところまで出漁しているのである。そして密貿易とカツオ漁を併存させて明治に入って正式に海外貿易がおこなわれることになると開港場でない坊津の密貿易の体制はすたれてしまい、カツオ漁業一本の村になったのである。だが、広い漁場を持っていることによってなおあふれるような活気をもっていた。
それが今見るかげもないようにさびれて来ているのはいったいなぜであろうか。港はよいけれども土地のせまいためにカツオブシ製造の工場すら十分に持てなかったことから、土地の広い東方八キロの所にある枕崎にカツオブシ製造揚が密集してくることになる。そしてカツオ漁船も、それに乗り組む漁夫も上地の者でありながら、とって来た魚は坊津で水あげされることはない。しかも日頃はカツオ船も漁夫も漁場で働いているので、港も町もひっそりしている。町に居た問屋たちももっと取引きに便利なところへ出て行かざるを得なくなる。こうしてこの町がさびれ始めたのである。
その二つの町に見られるような現象はまだ全国いたるところに見られるものであるが、それにしても藩政時代の終りまでは国の端々まで一応活気のみちあふれた町があったのである。たとえば東支那海にうかぶ長崎県五島列島の西海岸にさえ、もとはあふれるような活気が見られた。いまは見るかげもなくなっている浜ノ浦というところを一〇年ほどまえに訪れたことがあるが、そこの寺の過去帳を見ると、東は和歌山あたりから、瀬戸内海各地の漁船がここに釣漁にやってきており、中にはこの浦におちついて問屋になったものもある。そのもっとも大きな問屋だった家を訪ねたことがある。家は大きな材木をつかってきわめてがっしりと造ってあり、間数も多く、二階の押入の中には長櫃がいくつもおかれていた。帳簿類を入れてあったとのことであけて見るとまだ四、五〇通の古文書がのこされていたが什器類はほとんどなくなっていた。
「昔は浜ノ浦の浜の砂がなくなってもこの家の財産はなくならいだろうといわれたものだが、浜の砂はなくならないけれど、私の家の財産はなくなりました」と若い主人は語ってくれた。目にあまるような贅沢をしたわけでもなく、自然につぶれていったのだという。魚がつれなくなったのではないが、遠方から漁船が次第に来なくなった。また手押しの船が動力船になると、魚を浜ノ浦へあげず、直接佐世保や博多へ持っていくようになって、取り扱う魚の量がずっと減ってしまった。しかしその家ではもとのままの規模で経営をつづけていた。それがやがて家を行きづまらせてしまうのだが、浜ノ浦自体も、五島では一番貧しい村になり下っていった。
八戸はこうはならない。ぎりぎりの所で小林市長を得た。しかし、彼の失敗を喜ぶ者も市役所内にもいる。これは信条、信念に基ずくところでいかんともしがたい。が、水産界はこの男の着想力を喜び、あとは業者の努力を味付けとするべき。何でも悪い悪い、ダメを並べることなく、ダメな現状でも何かを探し求めることだ。
輸出こそ最大の武器となろう。しかし、そこまで行き着く道には幾つもの障害がある。それを人智の限りを尽くしてまだ見ぬ未来を担う子どもたちのために我々が努力することだ。
八戸も危ういところまで来た、しかし、国の策を八戸にもってこれた市長の力を大したことがない、一部業者が喜ぶだけだの否定的な考えを持つな。近視眼で物を見るな。ハサップを活かすも殺すも浜の人々の考え方一つ。国の威信をかけた巨額の水産界への投資、これを活かすことは八戸を、否、日本の水産界浮上の好機。
武輪水産の会長は縁あって京都からこの地に来た。水産界の振興をこころから願っておられる。八戸にはサンマの加工場がないが、これをどのように解決するかを、長老の言に耳を傾けよう。金がないと怯えるな、金はなんとでもなる、人々の熱い思いと昼夜をわかたず体を動かす努力がそれを解消させるものだ。
浜値を上げろ。それはセリに二番をつけることだ。一番高い業者が魚を引き取る。二番目に高い業者に落札価格に応じて数%を手数料として払う。二番が欲しくて高値を呼ぶ。これも昔からあるセリ値を上げる手段方法。
大事なのは冷蔵庫を満杯にできる魚買取基金だ。これが50億円もあれば面白い商売ができる。国内に売ることばかり考えずに加工して手間賃を稼ぐことだ、幸いにも八戸は輸出港、海外へどしどし輸出できる。それも地元産品を中心に送れるのだ。
どうだ、諸君、頭を抱えるばかりではなかろう、市長の首が替わり、八戸に朝日がさしているのが筆者には見える。その原動力を活かすも殺すも市民ひとり一人の心次第。幸せは誰が決める? 皆、ひとり一人の心が決める。時代は変わった、税金を自分の生まれ故郷に納められるようになった。中央の八戸人が税金を八戸に納めるようにするには、生まれ故郷の八戸がどうなっているか、それを知らせなければならない。それには「はちのへ今昔」のように、八戸の町を映像で日本全国に散った八戸人たちに見せることだ。八戸に起居するものには当然なことも、それが国を捨て、あるいは離れなければならなかった者の心に訴える。
望郷……、この言葉こそ八戸を活性化する魚買取基金を得る元になる。
宮本常一は全国を廻り各地の良い点、悪い点を指摘、その眼力は鋭かった。「はちのへ今昔」がハサップこそ再生八戸の原動力となると断言するのは、宮本のこの一文。
次に日本の西南端に眼を移そう。鹿児島県川辺郡坊津町は薩摩半島の西南隅にあって、東支那海に面する良港である。この港は鯵ケ沢よりはさらに古くさらにはなやかな歴史を持っている。遣唐使時代の大陸へ向う船はここから出たこともあるし、中世におけるシナ大陸との交通にあたっても、ここに北九州の博多とともに重要な門戸であったし、さらに琉球列島をつたって南に通ずる南方貿易の基地でもあった。江戸時代に入って鎖国がおこなわれてからはここが島津藩密貿易の基地であった。したがって多くの問屋があり、それらの商人の繁盛と活動は目ざましかったという。しかしそのおこなわれるものが密貿易であったから世人の目をくらますために、一般に廻船などを利用することは少なく、カツオ船を利用していたといわれる。カツオ船で冲へ漁業に出て行き、海上で密貿易船の来航をまちうけたり、あるいは屋久島の港など利用して取引きしたという。したがってここのカツオ船の行動半径は広く、他のカツオ漁村が基地から半径四〇キロ内外のところで操業していたのに対して、坊津のカツオ船は江戸時代の初めにすでに坊津の南方四〇〇キロ位のところまで出漁しているのである。そして密貿易とカツオ漁を併存させて明治に入って正式に海外貿易がおこなわれることになると開港場でない坊津の密貿易の体制はすたれてしまい、カツオ漁業一本の村になったのである。だが、広い漁場を持っていることによってなおあふれるような活気をもっていた。
それが今見るかげもないようにさびれて来ているのはいったいなぜであろうか。港はよいけれども土地のせまいためにカツオブシ製造の工場すら十分に持てなかったことから、土地の広い東方八キロの所にある枕崎にカツオブシ製造揚が密集してくることになる。そしてカツオ漁船も、それに乗り組む漁夫も上地の者でありながら、とって来た魚は坊津で水あげされることはない。しかも日頃はカツオ船も漁夫も漁場で働いているので、港も町もひっそりしている。町に居た問屋たちももっと取引きに便利なところへ出て行かざるを得なくなる。こうしてこの町がさびれ始めたのである。
その二つの町に見られるような現象はまだ全国いたるところに見られるものであるが、それにしても藩政時代の終りまでは国の端々まで一応活気のみちあふれた町があったのである。たとえば東支那海にうかぶ長崎県五島列島の西海岸にさえ、もとはあふれるような活気が見られた。いまは見るかげもなくなっている浜ノ浦というところを一〇年ほどまえに訪れたことがあるが、そこの寺の過去帳を見ると、東は和歌山あたりから、瀬戸内海各地の漁船がここに釣漁にやってきており、中にはこの浦におちついて問屋になったものもある。そのもっとも大きな問屋だった家を訪ねたことがある。家は大きな材木をつかってきわめてがっしりと造ってあり、間数も多く、二階の押入の中には長櫃がいくつもおかれていた。帳簿類を入れてあったとのことであけて見るとまだ四、五〇通の古文書がのこされていたが什器類はほとんどなくなっていた。
「昔は浜ノ浦の浜の砂がなくなってもこの家の財産はなくならいだろうといわれたものだが、浜の砂はなくならないけれど、私の家の財産はなくなりました」と若い主人は語ってくれた。目にあまるような贅沢をしたわけでもなく、自然につぶれていったのだという。魚がつれなくなったのではないが、遠方から漁船が次第に来なくなった。また手押しの船が動力船になると、魚を浜ノ浦へあげず、直接佐世保や博多へ持っていくようになって、取り扱う魚の量がずっと減ってしまった。しかしその家ではもとのままの規模で経営をつづけていた。それがやがて家を行きづまらせてしまうのだが、浜ノ浦自体も、五島では一番貧しい村になり下っていった。
八戸はこうはならない。ぎりぎりの所で小林市長を得た。しかし、彼の失敗を喜ぶ者も市役所内にもいる。これは信条、信念に基ずくところでいかんともしがたい。が、水産界はこの男の着想力を喜び、あとは業者の努力を味付けとするべき。何でも悪い悪い、ダメを並べることなく、ダメな現状でも何かを探し求めることだ。
輸出こそ最大の武器となろう。しかし、そこまで行き着く道には幾つもの障害がある。それを人智の限りを尽くしてまだ見ぬ未来を担う子どもたちのために我々が努力することだ。
八戸も危ういところまで来た、しかし、国の策を八戸にもってこれた市長の力を大したことがない、一部業者が喜ぶだけだの否定的な考えを持つな。近視眼で物を見るな。ハサップを活かすも殺すも浜の人々の考え方一つ。国の威信をかけた巨額の水産界への投資、これを活かすことは八戸を、否、日本の水産界浮上の好機。
武輪水産の会長は縁あって京都からこの地に来た。水産界の振興をこころから願っておられる。八戸にはサンマの加工場がないが、これをどのように解決するかを、長老の言に耳を傾けよう。金がないと怯えるな、金はなんとでもなる、人々の熱い思いと昼夜をわかたず体を動かす努力がそれを解消させるものだ。
浜値を上げろ。それはセリに二番をつけることだ。一番高い業者が魚を引き取る。二番目に高い業者に落札価格に応じて数%を手数料として払う。二番が欲しくて高値を呼ぶ。これも昔からあるセリ値を上げる手段方法。
大事なのは冷蔵庫を満杯にできる魚買取基金だ。これが50億円もあれば面白い商売ができる。国内に売ることばかり考えずに加工して手間賃を稼ぐことだ、幸いにも八戸は輸出港、海外へどしどし輸出できる。それも地元産品を中心に送れるのだ。
どうだ、諸君、頭を抱えるばかりではなかろう、市長の首が替わり、八戸に朝日がさしているのが筆者には見える。その原動力を活かすも殺すも市民ひとり一人の心次第。幸せは誰が決める? 皆、ひとり一人の心が決める。時代は変わった、税金を自分の生まれ故郷に納められるようになった。中央の八戸人が税金を八戸に納めるようにするには、生まれ故郷の八戸がどうなっているか、それを知らせなければならない。それには「はちのへ今昔」のように、八戸の町を映像で日本全国に散った八戸人たちに見せることだ。八戸に起居するものには当然なことも、それが国を捨て、あるいは離れなければならなかった者の心に訴える。
望郷……、この言葉こそ八戸を活性化する魚買取基金を得る元になる。
2008年10月29日水曜日
藤川優里市議のよわった困った後援会2
佐々木聡は藤川優里市議の後援会長だと自称、ところが、この後援会は青森県選挙管理委員会に届け出がなく存在しないという虚偽、しかし自称後援会長は400人の後援会員がいるというが、それらから会費を徴収したのか?
①寝言の自称なら笑い種で、ファンクラブと勘違いし会費を徴収しないなら詐称のみ。
②会員から会費を徴収したなら、その金は政治資金規正法により届け出が必要、それを怠ると23条違反で5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金にあたる。
さらに、興味深いのはこれ、「はちのへ今昔」被害者の会のブログにこんなのがある。
08年8月29日付け、
被害者の会の書記です、しかし他の議員と組んで自分の後援会長を攻撃し藤川家のたった一つの支援企業である仁桂会グループとその理事長佐々木桂一先生を攻撃するとはバカですね。
そう、仁桂会グループの金で。いつでも明細が出てきます、事務所の費用は200万ってね。仁桂会グループは過ちに気付き今では情報提供を被害者の会に積極的にしてくれますから。また、仁桂会グループは犯罪者藤川友信容疑者と藤川優里市会議員様に対し近々正式に全面支援停止と今までの選挙で浪費させられた経費を請求するそうです。
これは政治資金規正法に完全に違反。
21条には会社、団体は政党及び政治資金団体以外の者に対しては、政治活動に関する寄附をしてはならない。これに違反すると第26条の1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に該当する。
③会員から金を集めず支出もしていなくとも、佐々木泌尿器科、仁桂会は違反な金を事務所経費として年間(?)二百万を藤川優里市議か、父親の友信に支援。と、ブログにあるので、支援した責任者は違反者で禁錮か罰金。そして、恐ろしいのは、これは受けた側も同様で、ブログにある通りなら、藤川優里市議か、藤川友信氏かはわからぬが同様の処罰を受ける。
これが藤川優里市議だとすると、違反者として禁固刑を受ければ議員は失職する。
こうなると喜ぶのは佐々木聡、藤川優里市議を告訴したいと力んでいるそうだ。あんまり喜んで力みグソを垂れるな。が、喜んでばかりもいられまい、何も関係のない第3者の佐々木氏の67歳の父を佐々木氏の留守中(貴君のブログから転用だ)に官憲に取調べを受けることになるからだ。
自分の父親を官憲に取り調べさせる、これはよっぽどの親不孝の所業、八戸の水道企業団もあくどい集団だが、佐々木の倅は意図しないことをもたらすだけに、驚きは大きかろう。それも仕方がない、世の中の定めとはそうしたものなのだ。個人の思惑とは異なった所で大きく動くもの。泣くな悔やむな自身のしたことだ。熱に浮かされ勝手なことを大声で叫ぶうちはいい。テレビに踊らされ後援会長の詐称もオマケで愛嬌があっていい。ところが、会員から金は集めなかったのか、集めなければ、それを官憲で申し述べれば通るだろう。
悪口を喋ったことは嘘と勘違いだとも言えよう、しかし書いたものは残る。あることないことを被害者の会で書けば、それは問われるのだ。政治資金規正法の存在も知らず、また同法は意外と厳しい刑罰を備えているのも認識せず、勝手に自称し喜ぶだけでいればよかったものを、いくらか、ブログを弄れるを奇貨(きか・利用すれば意外の利を得る見込みのある物事や機会)としたが、それが逆に奇禍(きか・思いがけない災難)に遭う。遭うは合いたくないことにあうを言う。
御身御大切に、では、”アンニョンハセヨ”貴君のブログから転用だ。
①寝言の自称なら笑い種で、ファンクラブと勘違いし会費を徴収しないなら詐称のみ。
②会員から会費を徴収したなら、その金は政治資金規正法により届け出が必要、それを怠ると23条違反で5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金にあたる。
さらに、興味深いのはこれ、「はちのへ今昔」被害者の会のブログにこんなのがある。
08年8月29日付け、
被害者の会の書記です、しかし他の議員と組んで自分の後援会長を攻撃し藤川家のたった一つの支援企業である仁桂会グループとその理事長佐々木桂一先生を攻撃するとはバカですね。
そう、仁桂会グループの金で。いつでも明細が出てきます、事務所の費用は200万ってね。仁桂会グループは過ちに気付き今では情報提供を被害者の会に積極的にしてくれますから。また、仁桂会グループは犯罪者藤川友信容疑者と藤川優里市会議員様に対し近々正式に全面支援停止と今までの選挙で浪費させられた経費を請求するそうです。
これは政治資金規正法に完全に違反。
21条には会社、団体は政党及び政治資金団体以外の者に対しては、政治活動に関する寄附をしてはならない。これに違反すると第26条の1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に該当する。
③会員から金を集めず支出もしていなくとも、佐々木泌尿器科、仁桂会は違反な金を事務所経費として年間(?)二百万を藤川優里市議か、父親の友信に支援。と、ブログにあるので、支援した責任者は違反者で禁錮か罰金。そして、恐ろしいのは、これは受けた側も同様で、ブログにある通りなら、藤川優里市議か、藤川友信氏かはわからぬが同様の処罰を受ける。
これが藤川優里市議だとすると、違反者として禁固刑を受ければ議員は失職する。
こうなると喜ぶのは佐々木聡、藤川優里市議を告訴したいと力んでいるそうだ。あんまり喜んで力みグソを垂れるな。が、喜んでばかりもいられまい、何も関係のない第3者の佐々木氏の67歳の父を佐々木氏の留守中(貴君のブログから転用だ)に官憲に取調べを受けることになるからだ。
自分の父親を官憲に取り調べさせる、これはよっぽどの親不孝の所業、八戸の水道企業団もあくどい集団だが、佐々木の倅は意図しないことをもたらすだけに、驚きは大きかろう。それも仕方がない、世の中の定めとはそうしたものなのだ。個人の思惑とは異なった所で大きく動くもの。泣くな悔やむな自身のしたことだ。熱に浮かされ勝手なことを大声で叫ぶうちはいい。テレビに踊らされ後援会長の詐称もオマケで愛嬌があっていい。ところが、会員から金は集めなかったのか、集めなければ、それを官憲で申し述べれば通るだろう。
悪口を喋ったことは嘘と勘違いだとも言えよう、しかし書いたものは残る。あることないことを被害者の会で書けば、それは問われるのだ。政治資金規正法の存在も知らず、また同法は意外と厳しい刑罰を備えているのも認識せず、勝手に自称し喜ぶだけでいればよかったものを、いくらか、ブログを弄れるを奇貨(きか・利用すれば意外の利を得る見込みのある物事や機会)としたが、それが逆に奇禍(きか・思いがけない災難)に遭う。遭うは合いたくないことにあうを言う。
御身御大切に、では、”アンニョンハセヨ”貴君のブログから転用だ。
ハサップが支えるようになる魚の町八戸1
かつて八戸港の船籍は千、だが、今は二百に減った。このままでは漁業は絶滅の危惧ありと、国はもうかる漁業を唱えた。船の構造、魚の貯蔵・運搬も改革し、衛生面でも世界に通じる八戸港構想がハサップ。
この推進も困難を数えれば幾つもあり、その困難さゆえに悲観的になる向きもいる。が、人類はそうした困難に直面するたびに克服策を講じた。今、アメリカ発の金融恐慌が叫ばれているが、こんなものは解決は容易だ。アメリカが自分の言い出したことに責任を持たないから解決策が見えないだけ。
もともと金は欲の皮のつっぱった連中が右往左往した結果、アメリカがこんがらがった証券化に厳しい監視をしなかったツケ。日本のバブルとは違う意味合いだ。民族学者の宮本常一が、八戸の将来を見通すような物言いをしている。昭和四十二年の著書から引用。
青森県西津軽郡鯵ケ沢の港は帆船の寄港地として明治末までは北国には珍らしいほど栄えた港である。津軽平野で産出せられる米はこの港と、岩木川の川口にある十三湊から帆船につまれて藩政時代には大阪に送られ、明治以降北海道開拓の進むにつれてその地方に送られた。
いまこの町を訪れると沿岸に沿って、町は帯のように長く、しかもその多くが、妻入りの大きな家で、明治時代の発展のさまを物言っている。しかしそれらの中で特に大きいもの、かつては問屋を営んでいたものの大半は没落しており、その家の間口を三つに仕切って小さい店三軒が利用しているもの、あるいは屋敷を屑物屋に貸して屑鉄が山のように積んであるものも見かけた。そして町はひっそりしていた。ただ職業安定所のまえは黒山のような人だかりであった。いずれも若くエネルギッシュな男たちであった。しかもそれは失業保険をもらう人びとてあった。かつてはこの港はこのように若いエネルギーを、ここに集合している人びとの何倍というほど必要とする活気があったに違いない。そのために長さ四キロにもおよぶ長い海岸通が発達したのであろう。しかし今はそのエネルギーのほとんどをこの土地は必要としなくなっている。そしてそこに往む人たちのもっともすぐれた生産エネルギーはその土地に投入せられることなく、他の土地、主として大都会に投ぜられており、そのことによって得た労賃や失業保険金によってこの町が大きく支えられていることが、この現象の中から読みとれるのである。
繁栄の礎を失えば町がその機能を失う。この鯵ケ沢、最近では倒産した北海道夕張市がある。繁栄を失えば住民をつなぎとめるすべを失い衰退の道を転げ落ちる。
八戸もこうなる瞬間に小林市長を得た。八戸は市制八十周年を迎えるが、この十年の間に3人の市長を見た。中村前市長は4年間市民のためには何もしなかった。したのは弔問だけ、無能の極みだった。国の役人あがりの小林市長が凋落する水産を機軸として八戸を立て直す策を打ち出した。
ところがこの男は不細工な面相と同じで腹に良い策を持ちながらも上手く伝えることができない。このハサップが再生八戸の原動力になるのは間違いない。しかし、小林市長を助ける面々がいない。無能無策な集団なのだ。監督に時代を見る名伯楽(はくらく・よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人)を得ても選手がやる気がない、言われることが分からないでは存分に力も発揮できない。気の毒千万。
が、彼のするハサップは正しい。鈴木継男氏は言う。八戸の水産品を蘭州交易会に持っていくことだと。筆者は前に武輪水産会長と鈴木継男氏の意見を聞けと断言したが、老人は大事な要点、要所、急所を押さえているものだ。
この鈴木継男氏は蘭州にガス事業を開発促進させる鍵を握った男だった。この意見は重要、市役所に貿易振興グループがある。何をしているかがさっぱりわからぬ課。ここにこの八戸水産品を売る努力を求める。中国蘭州に八戸の水産品を売り込め。大志民グループリーダーは中国語を勉強しろ。「はちのへ今昔」は65歳でも国際交流が開いた中国語講座を受講中。やる気があれば歳なんてのは関係ない。真剣に八戸の将来、未来を見据えろ。暖める席のあるうちに、小林市長も市役所職員各位も。
この推進も困難を数えれば幾つもあり、その困難さゆえに悲観的になる向きもいる。が、人類はそうした困難に直面するたびに克服策を講じた。今、アメリカ発の金融恐慌が叫ばれているが、こんなものは解決は容易だ。アメリカが自分の言い出したことに責任を持たないから解決策が見えないだけ。
もともと金は欲の皮のつっぱった連中が右往左往した結果、アメリカがこんがらがった証券化に厳しい監視をしなかったツケ。日本のバブルとは違う意味合いだ。民族学者の宮本常一が、八戸の将来を見通すような物言いをしている。昭和四十二年の著書から引用。
青森県西津軽郡鯵ケ沢の港は帆船の寄港地として明治末までは北国には珍らしいほど栄えた港である。津軽平野で産出せられる米はこの港と、岩木川の川口にある十三湊から帆船につまれて藩政時代には大阪に送られ、明治以降北海道開拓の進むにつれてその地方に送られた。
いまこの町を訪れると沿岸に沿って、町は帯のように長く、しかもその多くが、妻入りの大きな家で、明治時代の発展のさまを物言っている。しかしそれらの中で特に大きいもの、かつては問屋を営んでいたものの大半は没落しており、その家の間口を三つに仕切って小さい店三軒が利用しているもの、あるいは屋敷を屑物屋に貸して屑鉄が山のように積んであるものも見かけた。そして町はひっそりしていた。ただ職業安定所のまえは黒山のような人だかりであった。いずれも若くエネルギッシュな男たちであった。しかもそれは失業保険をもらう人びとてあった。かつてはこの港はこのように若いエネルギーを、ここに集合している人びとの何倍というほど必要とする活気があったに違いない。そのために長さ四キロにもおよぶ長い海岸通が発達したのであろう。しかし今はそのエネルギーのほとんどをこの土地は必要としなくなっている。そしてそこに往む人たちのもっともすぐれた生産エネルギーはその土地に投入せられることなく、他の土地、主として大都会に投ぜられており、そのことによって得た労賃や失業保険金によってこの町が大きく支えられていることが、この現象の中から読みとれるのである。
繁栄の礎を失えば町がその機能を失う。この鯵ケ沢、最近では倒産した北海道夕張市がある。繁栄を失えば住民をつなぎとめるすべを失い衰退の道を転げ落ちる。
八戸もこうなる瞬間に小林市長を得た。八戸は市制八十周年を迎えるが、この十年の間に3人の市長を見た。中村前市長は4年間市民のためには何もしなかった。したのは弔問だけ、無能の極みだった。国の役人あがりの小林市長が凋落する水産を機軸として八戸を立て直す策を打ち出した。
ところがこの男は不細工な面相と同じで腹に良い策を持ちながらも上手く伝えることができない。このハサップが再生八戸の原動力になるのは間違いない。しかし、小林市長を助ける面々がいない。無能無策な集団なのだ。監督に時代を見る名伯楽(はくらく・よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人)を得ても選手がやる気がない、言われることが分からないでは存分に力も発揮できない。気の毒千万。
が、彼のするハサップは正しい。鈴木継男氏は言う。八戸の水産品を蘭州交易会に持っていくことだと。筆者は前に武輪水産会長と鈴木継男氏の意見を聞けと断言したが、老人は大事な要点、要所、急所を押さえているものだ。
この鈴木継男氏は蘭州にガス事業を開発促進させる鍵を握った男だった。この意見は重要、市役所に貿易振興グループがある。何をしているかがさっぱりわからぬ課。ここにこの八戸水産品を売る努力を求める。中国蘭州に八戸の水産品を売り込め。大志民グループリーダーは中国語を勉強しろ。「はちのへ今昔」は65歳でも国際交流が開いた中国語講座を受講中。やる気があれば歳なんてのは関係ない。真剣に八戸の将来、未来を見据えろ。暖める席のあるうちに、小林市長も市役所職員各位も。
2008年10月28日火曜日
ハサップのアキレス腱はここ、鍵は水道企業団2
八戸は港から拓けた。港に活気が戻れば八戸は再び燃えるのは間違いない。サバの水揚げが低迷したころ、八戸に陰りが出た。イカだけでは盛り上がりに欠ける。サンマは安定しているが、八戸にはほとんど揚がらない。揚げる努力が欠けているからだ。
サンマ船は県外船、八戸に水揚げして貰いたければ奨励金を出す、高く買うの2点がある。高く買うためには基金を作れ、市民からも拠出をあおぎ八戸魚基金を創設し、サンマを買い、生で中国内陸に出す、あるいは八戸にないサンマの加工場を作る。幸い八戸には冷蔵庫がある。その冷蔵庫は空の状態。魚を持つ者が勝ちそうな雰囲気が現在。
株価下落で国際的に暗いムードだが、どんな不景気でも食わない人間はいない。中国蘭州は人口三百万、料理店の水槽にはなまず、鮒が活魚として泳いでいる。その中国人に生サンマを食ってもらう。脂が乗りジュっと音たて醤油をかけて食べれば、必ず虜(とりこ)になろう。蘭州と八戸はガス事業を教えた関係で緊密。中国に物を売ると金が貰えずに苦労、が、市が仲介に入れば問題は払拭。
生食から加工品の輸出と話は次第に拡大。出来るところから手を染めていけばいい。八戸のサバも銀サバの称号がついたそうだ。いいことだ、自分の足元にある物の価値を正しく見る、そして他よりも価値があると思えば積極的に声高に宣伝することだ。ある物しかないのだ。ある物に価値をつけて売る、それが加工の技術であり付加価値なのだ。
加工品は搬送が容易、中国人が好む味付けを工夫できれば、無限の売り先が確保できる。
さて、八戸に魚が揚がる、それをセリにかける。魚をトラックに積み込む時に、プラスチックの函にシャーベット氷と水、魚を入れる。その水が岸壁下の汚染水では不衛生で、八戸の名を落とす。
そこで魚市場のコンクリートに魚を落としても絶えず水道水が流れて、床が清潔に保たれていればいい。すると、その水道水に幾らぐらいの金がかかるかが問題。現在八戸市内で工業用水道水を最大使う企業は年間六千万円を消費する。同等の金を必要とすれば、魚市場に毎年一億六千万円を一般会計から赤字補填でつぎ込むが、さらに赤字が拡大し、奈良岡副市長がいうように水道は高くつくとなる。
ところが、これは物を一方的にしか見ていない。どういうことかと言うと、八戸市の一企業が水道企業団。ここは議会があり、その議決で全てのことは進行する。
水道企業団の小島事務局長に問うた。国家的事業、国が第一号に指定したハサップ、これにタダで水道を供給しないかと。
即座に否、が、議会で承認されれば仕方がない。理事者側が何と不服を唱えても、議会制民主主義では理事者は発言の機会もない。これが醍醐味。議員提案の最大の面白味がここにこそある。
つまり、議員が時限立法でハサップ漁港が出来、魚市場が機能を発揮したとき、水道料を向こう五年無料供与、さらにその後は協議するの一項を入れれば、水道はタダで使える。そんなことをすれば水道料金が上がるだろうと心配する向きもあろうが、漏水が二割近くもある。これは無料だ。上げる必要はさらさらない。
世の中が神経質になり、衛生管理至上主義、その衛生面を担うのは水道。それを無料でふんだんに使い、世界にもまれな衛生的な魚市場に変われ。それこそがハサップの狙いなのだから。
皆が各々の分野で持てる力を最大限発揮しろ、死ねば出したくとも出ない。生きてるうちが勝負の時、小林市長は貰った限りのある時間の中で最大限自分を売ることだ。副市長も水道企業団も広域事務組合も、市役所も貴方を推戴(すいたい・おしいただくこと。特に、団体などの長としてむかえること)のふりはしているが本気になって立ててはいない。もっとも貴方だけでなく、彼等の本質はそうした人を愚弄する、慇懃無礼なものなのだが、世の中は自分の意思をブチ通す所だ、まして、それなりの権限を付与されている、それにおじけることなく存分に猿臂(えんぴ・肘)を伸ばし、八戸市民のため、居て良かった市長の名を得ることだ。
行政の長とは市民活動の原点を作ること、これに尽きる。
サンマ船は県外船、八戸に水揚げして貰いたければ奨励金を出す、高く買うの2点がある。高く買うためには基金を作れ、市民からも拠出をあおぎ八戸魚基金を創設し、サンマを買い、生で中国内陸に出す、あるいは八戸にないサンマの加工場を作る。幸い八戸には冷蔵庫がある。その冷蔵庫は空の状態。魚を持つ者が勝ちそうな雰囲気が現在。
株価下落で国際的に暗いムードだが、どんな不景気でも食わない人間はいない。中国蘭州は人口三百万、料理店の水槽にはなまず、鮒が活魚として泳いでいる。その中国人に生サンマを食ってもらう。脂が乗りジュっと音たて醤油をかけて食べれば、必ず虜(とりこ)になろう。蘭州と八戸はガス事業を教えた関係で緊密。中国に物を売ると金が貰えずに苦労、が、市が仲介に入れば問題は払拭。
生食から加工品の輸出と話は次第に拡大。出来るところから手を染めていけばいい。八戸のサバも銀サバの称号がついたそうだ。いいことだ、自分の足元にある物の価値を正しく見る、そして他よりも価値があると思えば積極的に声高に宣伝することだ。ある物しかないのだ。ある物に価値をつけて売る、それが加工の技術であり付加価値なのだ。
加工品は搬送が容易、中国人が好む味付けを工夫できれば、無限の売り先が確保できる。
さて、八戸に魚が揚がる、それをセリにかける。魚をトラックに積み込む時に、プラスチックの函にシャーベット氷と水、魚を入れる。その水が岸壁下の汚染水では不衛生で、八戸の名を落とす。
そこで魚市場のコンクリートに魚を落としても絶えず水道水が流れて、床が清潔に保たれていればいい。すると、その水道水に幾らぐらいの金がかかるかが問題。現在八戸市内で工業用水道水を最大使う企業は年間六千万円を消費する。同等の金を必要とすれば、魚市場に毎年一億六千万円を一般会計から赤字補填でつぎ込むが、さらに赤字が拡大し、奈良岡副市長がいうように水道は高くつくとなる。
ところが、これは物を一方的にしか見ていない。どういうことかと言うと、八戸市の一企業が水道企業団。ここは議会があり、その議決で全てのことは進行する。
水道企業団の小島事務局長に問うた。国家的事業、国が第一号に指定したハサップ、これにタダで水道を供給しないかと。
即座に否、が、議会で承認されれば仕方がない。理事者側が何と不服を唱えても、議会制民主主義では理事者は発言の機会もない。これが醍醐味。議員提案の最大の面白味がここにこそある。
つまり、議員が時限立法でハサップ漁港が出来、魚市場が機能を発揮したとき、水道料を向こう五年無料供与、さらにその後は協議するの一項を入れれば、水道はタダで使える。そんなことをすれば水道料金が上がるだろうと心配する向きもあろうが、漏水が二割近くもある。これは無料だ。上げる必要はさらさらない。
世の中が神経質になり、衛生管理至上主義、その衛生面を担うのは水道。それを無料でふんだんに使い、世界にもまれな衛生的な魚市場に変われ。それこそがハサップの狙いなのだから。
皆が各々の分野で持てる力を最大限発揮しろ、死ねば出したくとも出ない。生きてるうちが勝負の時、小林市長は貰った限りのある時間の中で最大限自分を売ることだ。副市長も水道企業団も広域事務組合も、市役所も貴方を推戴(すいたい・おしいただくこと。特に、団体などの長としてむかえること)のふりはしているが本気になって立ててはいない。もっとも貴方だけでなく、彼等の本質はそうした人を愚弄する、慇懃無礼なものなのだが、世の中は自分の意思をブチ通す所だ、まして、それなりの権限を付与されている、それにおじけることなく存分に猿臂(えんぴ・肘)を伸ばし、八戸市民のため、居て良かった市長の名を得ることだ。
行政の長とは市民活動の原点を作ること、これに尽きる。
八戸盲人会館を追い出した八戸市、その結末は?
永洞清吉が八戸藩のアンマ、森の一坊を頼って岩手県宮古から來八、アンマ、針灸を学び明治二十四年二月四日、盲人生活改善を標榜し、多くの人々の賛助を得、八戸市朔日町に東奥盲人教訓会を造り、初代会長となる。京都上京区の盲唖院は明治十一年創立、永洞の噂を聞き、東北、北海道から集まった盲人は百二十名を超える。明治37年火災のため十一日町に移転、明治44年12月20日、私立学校令により知事認可を得、私立東奥盲人学校と改組、八戸人は永洞に助力、永洞は大正四年まで校長を勤めた。
伝統ある盲人の組織に南部氏は昭和二十四年に盲人会館を建てるべく、八戸市役所近く秋田材木隣の土地を提供。昭和三十三年10月、南部氏は同地を八戸市役所に寄贈、八戸市は昭和59年、南部会館を建てるので、通用門が必要だと、盲人会館取り壊しを求め、立退き料202万9千円を支払い追い出す。根城に福祉会館が建ち、部屋を提供されるも、遠くて不便と盲人会館跡地が約定通り通用門が建っていないので、金を返すから今一度盲人会館を建てたいの意向をもらす者あり。この意見ももっとも。
現在は空き地となり不審な軽自動車が占拠、「はちのへ今昔」は盲人を永い間騙したままにするなと噛み付いた。市役所は門はないが問題ないと返答。
不服に思う者がいる以上、納得してもらうのが市の仕事。盲人協会の総会に出向き、実情を説明し説得せよ。さもなくば202万を返してもらい、彼らの城、盲人たちの寄り所を作れ。当時の福祉事務所長は大岡と言ったそうだ。現、総務部長と関係があるのか?
伝統ある盲人の組織に南部氏は昭和二十四年に盲人会館を建てるべく、八戸市役所近く秋田材木隣の土地を提供。昭和三十三年10月、南部氏は同地を八戸市役所に寄贈、八戸市は昭和59年、南部会館を建てるので、通用門が必要だと、盲人会館取り壊しを求め、立退き料202万9千円を支払い追い出す。根城に福祉会館が建ち、部屋を提供されるも、遠くて不便と盲人会館跡地が約定通り通用門が建っていないので、金を返すから今一度盲人会館を建てたいの意向をもらす者あり。この意見ももっとも。
現在は空き地となり不審な軽自動車が占拠、「はちのへ今昔」は盲人を永い間騙したままにするなと噛み付いた。市役所は門はないが問題ないと返答。
不服に思う者がいる以上、納得してもらうのが市の仕事。盲人協会の総会に出向き、実情を説明し説得せよ。さもなくば202万を返してもらい、彼らの城、盲人たちの寄り所を作れ。当時の福祉事務所長は大岡と言ったそうだ。現、総務部長と関係があるのか?
2008年10月27日月曜日
ハサップのアキレス腱はここ、鍵は水道企業団1
国家が八戸を第一号として水産界の興亡を賭けたハサップ事業は着々と実施に向け進行中。が、これが失敗するのはここから。これを除去する必要があり、このことを二ケ月半調査。その結果を公表する。
八戸第3漁港を改修し64億円をかけて、ハサップ対応型の漁港を造る。国が半分。県、市がその半分づつ。もうかる漁業を作り出そう、それには衛生管理の徹底したノルウエー方式を採用しよう。
それは船を岸壁に横付けし、ポンプで魚を船倉から吸出しタンクローリーで加工場に運搬。これは人口が450万しかいないノルウエーだからできる。日本は船からおろした魚はセリにかける。だから、一度、魚を魚市場にならべる。ここで人手に触れる。魚を選別機にかけセリ、落札されたものは函に入れられ運搬。
写真の曲がったところに魚市場の建物が建設される。その下に四角の上が欠けた防波堤が見える。この右根元から汚濁水が流れ込んでいる。この写真はヤフーから転載、三年前のものと思われる。そもそも八戸の下水普及率は低く、この魚市場付近はゼロ。つまり生活雑排水の外、便所の浄化槽から溢れた水、魚の加工場からの汚水がどんどんと流れ込んでくる。その証拠写真がそれぞれ。八戸市の環境政策課もこの事実は承知。この上流には労災病院の浄化槽の水も流れ込む。この水路の近辺2工場には汚濁改良命令を出したそうだ。市内5ヶ所の改善命令のうち2工場がここに水を流している。
ここからハサップ魚市場は目と鼻の先。この海へと注ぎ込む開口部の水質検査をしていない。にもかかわらず、新魚市場棟の下から海水を汲み上げ、運搬用函に入れる。これではハサップとは言えない。
先ず、水質検査だ。それもせず棟の設計は進行、設計屋に安全な水を採取させるというが、それは無責任。どこに水が衛生的だの保障がある。
水産課は福島県相馬市松川原釜で岸壁下9㍍で新鮮な水を確保しているから、八戸も大丈夫だという。相馬市は人口3万8千、白銀地区は2万9千人。ここの人々の糞尿、生活雑排水がここに集結。相馬は港から離れた突端にあり、住民がいないところだ。比較する方がおかしい。これら資料を手に先月、奈良岡副市長と面談。事情を説明するが、取水は問題ないと返答。ポンプで揚げると目詰まりするとの弁にも、階上のあわびの種苗所で経験したと平然。
マリエント近くの水産高校のわかめ育苗所でも同様な目詰まりをすると言うのも、確かに目詰まりすると答えたのみ。
ハサップは衛生管理が大事、水道水で市場を洗浄しないと不審を抱かれる。今は食品衛生が問題視される時代、積極的に水道水を使用したらどうか。
○水道は高くつきます。だから、海水を汲み上げるんです。
● その海水が汚濁しているから水質検査を急ぐべき。
○検討する必要があります。
そして副市長は中国へ視察、それから一ヶ月たつが返事もない。役人はこうしたもんだ。「はちのへ今昔」の意見をガス抜きで聞いてやれば満足すると思っているのだろう。サンマを中国に生で輸出できないかと訊くと、今回の視察で蘭州の冷凍輸送能力があるか調べてみますと返答したが、その結果を「はちのへ今昔」に知らせなければ法律違反、とはならないから返事もない。
副市長がじきじきに調べられないだろうから、市役所の貿易担当の大志民氏を同行させよというのもフムフムでそれっきり。
「はちのへ今昔」もめっきり物忘れが激しくなったが、副市長のように意図的に物忘れはしない。どうする、ここがアキレス腱。攻められれば根底からハサップは崩れる。来年の選挙に勝ちたければ、小林市長を擁護せよ。市長が代れば副市長の存在理由はない。
今、居る席も仮の席、先なる席はないのやら、居たければ市長を擁護し、排撃される手段をひとつひとつ潰すことだ。座れる時間は限られて、先送りはもうできない。「はちのへ今昔」は自民でも民主でもない、八戸市民のためになる人物を探すだけ。
続
八戸選管駒田委員長県費不正使用、源泉徴収違反 2
青森県が国の金をダマシて使ったと報道された、こんな話は「はちのへ今昔」は一年前に伝えた。八戸も同様、県を騙していた。
親がめの背中に子がめを乗せて、子がめの背中に孫がめ乗せて、親がめこけたら皆こけた、07年の10月号にこの悪の構図の元の八戸市の悪ダマシの手口、選管の手口を載せた。これを再掲、肝心なところだけ、詳しくは駒田選管委員長県費不正使用を参照されたし。
選挙は四年ごとにある。市議、県議、市長選、国政である衆参議員は別の年次計算があるが、毎年選挙があると思って間違いはない。
この選挙費用は県から出る。その金の使い方を情報公開で調べた。
すると、いいかげんな金の使い方をしていた。この県からの金は返す必要がない。使いきりでよいことに着目し、本来の選挙以外に消費した。選管職員がつかいこみをしたのではないが、選挙の前に金が送られてくることを勿怪の幸い(もっけのさいわい・思いがけぬ好機)とばかり、選管が働きかけて、八戸市役所内をメガホン片手に、欲しいものはありませんか、選挙の費用がまたまた、青森県から参りました。日ごろ、予算がない、買いたくても金がないと、お困りの課がありましたら、わたくしが通りすがりましたら、お手を挙げてお知らせください。毎度、皆様おなじみの八戸選挙管理委員会、選挙の都度、各課の皆様に、県費、県費をもって、欲しい品々を、無料、無料にて提供させていただきます。中央公民館さまにはコピー用紙、コピー用紙を三年分、無料、無料にて進呈いたしました。
このお金は八戸市民から頂戴いたしました、税金、血税を以って購入し、各課に無料、無料にて進呈するものでは決してございません。全て、全てを県から送られてくるお金、これは返金する必要など、指の先ほどもございません、市民の税金の無駄をはぶき、県を騙して各課の利便をはかる、とても巧妙、かつ合理的なものでございます。メガホン片手に各課を廻っております、御用の方は手を挙げてお知らせください。とても便利、青森県を騙しての特別サービス。毎度おなじみ選挙ごとの椀飯振舞(おうばんぶるまい・(「大盤振舞」は当て字) 江戸時代、民間で、一家の主人が正月などに親類縁者を招き御馳走をふるまったこと)です。
こんなことは勿論言わないだろうが、選管が備品として購入したことにして、必要な課に差し上げたのがロッカー。そして、上の折りたたみ椅子・テーブル等々。出るわ、出るわ。
このロッカー・キャビネットの流れを解明。
これらは一旦、八戸選挙管理委員会が購入したことにする。実際はこの品物は要望した課に搬入される。購入した品物は備品台帳に記載しなければならないので、選挙管理委員会は備品台帳に当該の品物を記載し、備品管理シールを貼る。
この流れを解明するべく、情報公開の部屋(総務・旧館二階)から新館の五階、選挙管理委員会の部屋に行った。
備品台帳は? これです。
これにはテクノルから買ったと書いてあるが、この部屋の何処にあるのか、この備品台帳と照合できるのか
おかしいな、どこにあるのかな…、正直に申し上げます、これは資産税課にあります
すると、選挙管理委員会が県の金を騙して消費し、ロッカーを買った。それが、夜中にひとりでに資産税課に歩いて行ったのか?
……(無言)
そうではあるまい、県がこの選挙費の明細を求めないことをよいことにして、本来必要でないものまで買って、適当に分配したな
……(無言)
本当に資産税課にあるか確認する
ト、資産税課、同様の手口の財政課を廻り、本来選管になければいけないロッカー等を確認。この金は選管職員が私的に飲み食いしたものではないが、他の課の備品を代理購入した手口。
上の表では見難いが、テクノルの右に資産税課と書き込みが鉛筆でなされている。
当然、こうした不正を選管委員長駒場、事務局長玉田は知っている。知っていながら、それをさせるは公金不正消費で、この金は県に弁償しなければならない。
今回あばいている事件は平成十五年の青森県議会選挙においてだ。
こうした手口で県の金を騙し取っていたのだ。挙句、八戸市民の金でなく、県の金ですト。県の金でも国の金でも、国民の税金だ。悪いことは誰がみても悪い。極悪非道はこれをさす。
八戸市民の血税を使わず、県を騙して使ったんだから勘弁しろと言いたいのだろうが、そうはいかない。
こうした金の不正消費は八戸選管には沢山ある。読売新聞が報道した蛍光灯の問題。これも蛍光灯を多量に買い、公民館にくれたト。まだある、写真のフイルムを多量に買い、その現像料がメチャ少ないなど、金の流れを追えば、誰しも抗弁ができない不正が発覚するもんだ。
しかし、ある程度、経理感覚がないと、何を見てもノンシャランじゃ、不正を見つけることはできない。気に入らない人間がいたら、金の流れを追え。必ず不正が見つかるもんだ。どうも、八戸市役所は全てにおいていい加減な処理をしたがる。
親がめの背中に子がめを乗せて、子がめの背中に孫がめ乗せて、親がめこけたら皆こけた、07年の10月号にこの悪の構図の元の八戸市の悪ダマシの手口、選管の手口を載せた。これを再掲、肝心なところだけ、詳しくは駒田選管委員長県費不正使用を参照されたし。
選挙は四年ごとにある。市議、県議、市長選、国政である衆参議員は別の年次計算があるが、毎年選挙があると思って間違いはない。
この選挙費用は県から出る。その金の使い方を情報公開で調べた。
すると、いいかげんな金の使い方をしていた。この県からの金は返す必要がない。使いきりでよいことに着目し、本来の選挙以外に消費した。選管職員がつかいこみをしたのではないが、選挙の前に金が送られてくることを勿怪の幸い(もっけのさいわい・思いがけぬ好機)とばかり、選管が働きかけて、八戸市役所内をメガホン片手に、欲しいものはありませんか、選挙の費用がまたまた、青森県から参りました。日ごろ、予算がない、買いたくても金がないと、お困りの課がありましたら、わたくしが通りすがりましたら、お手を挙げてお知らせください。毎度、皆様おなじみの八戸選挙管理委員会、選挙の都度、各課の皆様に、県費、県費をもって、欲しい品々を、無料、無料にて提供させていただきます。中央公民館さまにはコピー用紙、コピー用紙を三年分、無料、無料にて進呈いたしました。
このお金は八戸市民から頂戴いたしました、税金、血税を以って購入し、各課に無料、無料にて進呈するものでは決してございません。全て、全てを県から送られてくるお金、これは返金する必要など、指の先ほどもございません、市民の税金の無駄をはぶき、県を騙して各課の利便をはかる、とても巧妙、かつ合理的なものでございます。メガホン片手に各課を廻っております、御用の方は手を挙げてお知らせください。とても便利、青森県を騙しての特別サービス。毎度おなじみ選挙ごとの椀飯振舞(おうばんぶるまい・(「大盤振舞」は当て字) 江戸時代、民間で、一家の主人が正月などに親類縁者を招き御馳走をふるまったこと)です。
こんなことは勿論言わないだろうが、選管が備品として購入したことにして、必要な課に差し上げたのがロッカー。そして、上の折りたたみ椅子・テーブル等々。出るわ、出るわ。
このロッカー・キャビネットの流れを解明。
これらは一旦、八戸選挙管理委員会が購入したことにする。実際はこの品物は要望した課に搬入される。購入した品物は備品台帳に記載しなければならないので、選挙管理委員会は備品台帳に当該の品物を記載し、備品管理シールを貼る。
この流れを解明するべく、情報公開の部屋(総務・旧館二階)から新館の五階、選挙管理委員会の部屋に行った。
備品台帳は? これです。
これにはテクノルから買ったと書いてあるが、この部屋の何処にあるのか、この備品台帳と照合できるのか
おかしいな、どこにあるのかな…、正直に申し上げます、これは資産税課にあります
すると、選挙管理委員会が県の金を騙して消費し、ロッカーを買った。それが、夜中にひとりでに資産税課に歩いて行ったのか?
……(無言)
そうではあるまい、県がこの選挙費の明細を求めないことをよいことにして、本来必要でないものまで買って、適当に分配したな
……(無言)
本当に資産税課にあるか確認する
ト、資産税課、同様の手口の財政課を廻り、本来選管になければいけないロッカー等を確認。この金は選管職員が私的に飲み食いしたものではないが、他の課の備品を代理購入した手口。
上の表では見難いが、テクノルの右に資産税課と書き込みが鉛筆でなされている。
当然、こうした不正を選管委員長駒場、事務局長玉田は知っている。知っていながら、それをさせるは公金不正消費で、この金は県に弁償しなければならない。
今回あばいている事件は平成十五年の青森県議会選挙においてだ。
こうした手口で県の金を騙し取っていたのだ。挙句、八戸市民の金でなく、県の金ですト。県の金でも国の金でも、国民の税金だ。悪いことは誰がみても悪い。極悪非道はこれをさす。
八戸市民の血税を使わず、県を騙して使ったんだから勘弁しろと言いたいのだろうが、そうはいかない。
こうした金の不正消費は八戸選管には沢山ある。読売新聞が報道した蛍光灯の問題。これも蛍光灯を多量に買い、公民館にくれたト。まだある、写真のフイルムを多量に買い、その現像料がメチャ少ないなど、金の流れを追えば、誰しも抗弁ができない不正が発覚するもんだ。
しかし、ある程度、経理感覚がないと、何を見てもノンシャランじゃ、不正を見つけることはできない。気に入らない人間がいたら、金の流れを追え。必ず不正が見つかるもんだ。どうも、八戸市役所は全てにおいていい加減な処理をしたがる。
2008年10月25日土曜日
固定資産税は適法な課税なのか 1
既報・05年6月号から 「はちのへ今昔」が騒いで中村市長落選
中村八戸市長地方税法第408条違反
日本は法治国家、何人も法を遵守しなければならない、と警察官や検察官からくどいように言われた。また、他の役所も筆者に押し付けた法律を、自分たち官吏は守らなくともいいのか?
八戸市役所資産税課課員は地方公務員法第三十二条違反
この二つの法を守らなくとも懲役三年、または三十万円の罰金を払えとは規定していない。だが、刑務所に行かなくともすむ、罰金を払わないですむから法を守らないはふとどきだ。
筆者が「はちのへ今昔」を再刊し、二号目でデカイ山をお見せできるのもゴンボホリの面目躍如。しびれるような快感のなかで、どうしてこうなったかを紹介。
毎年四月になると市役所から固定資産税を支払えと納付書がくる。役所はこれを切符と呼んでいた。納付書は切符だったのか。交通違反も切符と呼んだな。駅も切符だ。映画館も同様、切符は銭をむしる券なんだ。
筆者の住む類家も地価が下落しているが、三年続けて固定資産税は増額。なんで?
そこで市役所に行った。どうして上がっているのか、その法の根拠はと尋ねた。固定資産税は国税ではない。市町村が賦課する税金だ。この固定資産税がどの程度市税の割合を占めているか、総務課の情報公開場で過去五十年にわたり調べた。コピー代五百円支払って調べると、現在は市税の五十五%が固定資産税。
昭和三十年から昭和六十三年までの固定資産税が占める市税割合平均は四十五%。
平成平均は五十一%。
あきらかに平成は多くなっている。五十年間の平均は四十七%。今の五十五%は異常値だ。なんでこんなに固定資産税に依存しなければならないのか。
市税収入は景気の悪化から低くなっている、が、固定資産税はそれほど減っていない。そのため比率は増加している。
そもそも、固定資産税はどのように課されるのか。固定資産課税台帳に記載されたもの。つまり登記された土地・家屋ならびに十万円以上だかのパソコンなどの償却資産を含む。
登記を免れるはまず出来ない。市内のものは全部役所に掌握されている。これらを把握するために航空写真をとって調べているそうだ。
税額がどのように決定されるかは建物の場合、木造は償却を二十年、それを経過するとゼロではなく、二十%が課せられる。これは家を壊して更地にしない限り永遠に取られる。
この理屈は二十年経っても、建て直したら かかる金額を算定して課す。
誰も古い家を古い状態で建て直す人はいない。にもかかわらず建て直したらと計算するんだそうだ。なに言ってるんだか分からない。役人は自分の都合のいいことしかいわない。
人間八十歳も過ぎれば古くなっていたみがでる。誰がその古いのを再び生んだら、この計算になると言う人間がいる?
パソコンも捨てないかぎり償却後は五%課せられる。同じ償却資産なら両方とも五%にするべき。一物二価はまずい。イの人には20円、ロの人には五円と言うに等しい。法は同じ値を定めるべき。
NTTが家庭電話は三分十円、公衆電話は三分三十円を取るのがまさにこれ。一物二価だ。国会議員に常識がないからこれが認められた。これは絶対偽造できないからとテレホンカードを認可させ、それが偽造され国際電話をタダで使われ大損こいたのを、不正使用もしない庶民に負担させた。
コピー機も同様、自分が購入した機械でコピーをとると、一枚十円支払え、これも国会で論議されたが、献金が出てグズグズ。所有権を持つものが、何に使用しても文句はないはず。それを無理やりとったキャノン、リコーなどは利益を上げた? 一流企業だとは片腹痛い。
さて、土地を購入する、登記所に登記する。公図に記載される。市役所は当該土地を実測しない。公図の写しに物差しを当てて採寸する。その縦・横から面積を計算する。
ここで、登記された土地との面積に差が生ずる場合がでる。それを蔭地と呼ぶそうだ。
前ページは八戸市役所にある課税台帳の写し。ここで妙なのは間口十三・奥行き二十七、この単位が記載されていない。間口というから間(けん)かと訊いたらメートルだと。
すると、蔭地割合は0.9とあるので九割かと訊くと%だという。単位がない場合は0.9=九割=%では九十%だ。小学校五年生なら知ってる。
百歩譲って市役所が言うようにここは%だとしても、前に述べた計算だと2.2%になる。ここはどうして計算が違うのかと尋ねると右往左往して答えが出ない。夕方の五時近くなったので、前任者が間違えたと言う方法があると言い残して翌日、また行った。このこと調べるために三月末から四月末まで毎日のように市役所に通った。
日本が法治国家なら、どの法律に規定され納税の義務が発生するのか徹底的に調べた。うるさくて嫌だったろうが、国民の義務が納税なら徴収方法に違反があれば、納税する義務も生じない。
さて、この台帳に記載間違いがあった。収税する基の台帳だ、よもや前任者が間違えたので我々は知らないとは言わないだろうと、期待に胸をふくらませて市役所に到着。
「前任者の間違いでした」だとヨ。
「そうか、間違いなら官報にその旨を掲載しろ、八戸全所帯に計算間違いがあるから、全戸再計算をせよ」
ここで疑問が生じた、この官吏の仕事はどのように規定されているのか。
地方税法第四百三条 2固定資産の評価に関する事務に従事する市町村の職員は、総務大臣及び道府県知事の助言によって、且つ、納税者とともにする実地調査、納税者に対する質問、納税者の申告書の調査等のあらゆる方法によって、公正な評価をするように努めなければならない。
すると、この法律にも違反している。公正な評価ができずに間違いを生じ、かつ単位も記載しないことが公正と言えるか。
四百四条 市町村長の指揮を受けて固定資産を適正に評価し、且つ、市町村長が行う価格の決定を補助するため、市町村に固定資産評価員を設置する。
これになるには議会の承認が必要、資産税課長が議会から平成十五年三月二十日、前任者の辞任にともない、後任者を選定と記されてある。
四百五条は課員がその評価補助員となる旨、記載。
四百八条 市町村長は、固定資産評価員又は固定資産評価補助員に当該市町村所在の固定資産の状況を毎年少なくとも一回実地に調査させなければならない。
現場に毎年行ったのか、その行動履歴を見せろと職員に告げるとオタオタした。件数が多いからご理解くださいだと。つまり、職員は現場に行こうなどの気はさらさらなく、四○八条で規定されているにもかかわらず、航空写真で調査した? どこにそんなことが記されているの? 自分たちの足で一軒一軒巡って、額に汗して陽に焼かれ、道路工事の旗振りのような黒顔の職員は一人もいない。皆、白Yシャツで暖房と冷房のきいたところでノホホンとしている。それが規定された仕事をこなしたことになるのか。寝言は寝てから言え。市民には法を楯にとり課税、納税を強要し、遅れると年利十四・六%の懲罰金を課す。この金利の下がった時代に錯誤もはなはだしい。もともと支払えないから滞納している。それから過大な懲罰金をとる、いや、むしりとるは、俗に「首くくりの足をひっぱる」という、人間なら、血の通うものなら、してはならない行為をしでかす。それが八戸市役所だ。自分の意思でする、間違い、聞き違いじゃない、自分が法の番人だの意識でやる。気の毒だろ、景気が悪く払えない、まして公定歩合が0・1%、これは日銀が決めた。八戸市役所には温情はないのか。払えないのは気の毒だ。政府がきめた年率は十四・六%です、でも八戸市民は、漁業も商業も思わしくない、それでも納税は国民の義務、だども、十四・六はひどい。よそはどうでもいい、八戸だけは年率五%に下げます。条例で制定しますというのが人間の勤めだ。払えないのはお前が悪いじゃ、住んでてよかった八戸?
市長に面会した。職員同様ご理解くださいだと。行政用語のご理解くださいは「黙れ」。相撲の呼び出しが「東西、東西」の意味は静かにしろ。
ぬかせ。どの面さげて、そったらことがいえる。あんたのおかげで皆が苦しんでる。年一回の実地調査は建物に傷みがないか、傷んでいれば評価額を下げます、税金を軽減しますが四○八条の精神。それを励行させるが市長の仕事、それを市長は知っててさせなかったのか。いや、中村市長が調査に行かないようにさせたのじゃない。歴代の市長のもとで、いかないとずるく行動したのは職員だ。むしろ被害者は市長かもしれない。この法律を知らなかったから、明確な指示、命令ができなかったのだろう。だが、そんな無知な市長を選んだ側にも責任はある。今年は市長選、もっと市民のためを思い、ずるく、さぼることしか知らない市役所職員を督励し、手足のごとくうごかし、市民の窮状を救えるような人にお願いするべきだ。市長は四年間、葬式めぐりは熱心だった。死人は一票持っていない。持っているのは景気が悪く、明日をも知れない八戸市民なのだ。その市民の付託に応えず、二選を狙うは図々しい。真剣に八戸市民のためを思って行動したかは市民が見ている。
市役所職員は地方公務員法、第三十二条、職員は、その職務を遂行するにあたって、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関のさだめる規定に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
我々市民は真実の叫びをあげる場がない。市会議員は市役所職員を取り締まる権限がある。しかし、仲良しクラブじゃ問題は解決しない。世の中は是々非々、悪いは改める。改めないのは、その者の資質、そんな者は市役所の職員たる資格がない。さっさと去れ。役所は役人のための場じゃない。市民のための仕事をする場だ。本末転倒していないか。それらを監視できない市会議員は総辞職せよ。市民の声なき声に耳を貸すのが市会議員。忘れていないか己が仕事を。「はちのへ今昔」は更に過激になって続編を刊行。筆者が死ぬまで不正を暴く。血の最後の一滴まで、市民の生活向上に注ぐ。
(つづく・来月号は固定資産税の不服申し立て)
日本は法治国家、何人も法を遵守しなければならない、と警察官や検察官からくどいように言われた。また、他の役所も筆者に押し付けた法律を、自分たち官吏は守らなくともいいのか?
八戸市役所資産税課課員は地方公務員法第三十二条違反
この二つの法を守らなくとも懲役三年、または三十万円の罰金を払えとは規定していない。だが、刑務所に行かなくともすむ、罰金を払わないですむから法を守らないはふとどきだ。
筆者が「はちのへ今昔」を再刊し、二号目でデカイ山をお見せできるのもゴンボホリの面目躍如。しびれるような快感のなかで、どうしてこうなったかを紹介。
毎年四月になると市役所から固定資産税を支払えと納付書がくる。役所はこれを切符と呼んでいた。納付書は切符だったのか。交通違反も切符と呼んだな。駅も切符だ。映画館も同様、切符は銭をむしる券なんだ。
筆者の住む類家も地価が下落しているが、三年続けて固定資産税は増額。なんで?
そこで市役所に行った。どうして上がっているのか、その法の根拠はと尋ねた。固定資産税は国税ではない。市町村が賦課する税金だ。この固定資産税がどの程度市税の割合を占めているか、総務課の情報公開場で過去五十年にわたり調べた。コピー代五百円支払って調べると、現在は市税の五十五%が固定資産税。
昭和三十年から昭和六十三年までの固定資産税が占める市税割合平均は四十五%。
平成平均は五十一%。
あきらかに平成は多くなっている。五十年間の平均は四十七%。今の五十五%は異常値だ。なんでこんなに固定資産税に依存しなければならないのか。
市税収入は景気の悪化から低くなっている、が、固定資産税はそれほど減っていない。そのため比率は増加している。
そもそも、固定資産税はどのように課されるのか。固定資産課税台帳に記載されたもの。つまり登記された土地・家屋ならびに十万円以上だかのパソコンなどの償却資産を含む。
登記を免れるはまず出来ない。市内のものは全部役所に掌握されている。これらを把握するために航空写真をとって調べているそうだ。
税額がどのように決定されるかは建物の場合、木造は償却を二十年、それを経過するとゼロではなく、二十%が課せられる。これは家を壊して更地にしない限り永遠に取られる。
この理屈は二十年経っても、建て直したら かかる金額を算定して課す。
誰も古い家を古い状態で建て直す人はいない。にもかかわらず建て直したらと計算するんだそうだ。なに言ってるんだか分からない。役人は自分の都合のいいことしかいわない。
人間八十歳も過ぎれば古くなっていたみがでる。誰がその古いのを再び生んだら、この計算になると言う人間がいる?
パソコンも捨てないかぎり償却後は五%課せられる。同じ償却資産なら両方とも五%にするべき。一物二価はまずい。イの人には20円、ロの人には五円と言うに等しい。法は同じ値を定めるべき。
NTTが家庭電話は三分十円、公衆電話は三分三十円を取るのがまさにこれ。一物二価だ。国会議員に常識がないからこれが認められた。これは絶対偽造できないからとテレホンカードを認可させ、それが偽造され国際電話をタダで使われ大損こいたのを、不正使用もしない庶民に負担させた。
コピー機も同様、自分が購入した機械でコピーをとると、一枚十円支払え、これも国会で論議されたが、献金が出てグズグズ。所有権を持つものが、何に使用しても文句はないはず。それを無理やりとったキャノン、リコーなどは利益を上げた? 一流企業だとは片腹痛い。
さて、土地を購入する、登記所に登記する。公図に記載される。市役所は当該土地を実測しない。公図の写しに物差しを当てて採寸する。その縦・横から面積を計算する。
ここで、登記された土地との面積に差が生ずる場合がでる。それを蔭地と呼ぶそうだ。
前ページは八戸市役所にある課税台帳の写し。ここで妙なのは間口十三・奥行き二十七、この単位が記載されていない。間口というから間(けん)かと訊いたらメートルだと。
すると、蔭地割合は0.9とあるので九割かと訊くと%だという。単位がない場合は0.9=九割=%では九十%だ。小学校五年生なら知ってる。
百歩譲って市役所が言うようにここは%だとしても、前に述べた計算だと2.2%になる。ここはどうして計算が違うのかと尋ねると右往左往して答えが出ない。夕方の五時近くなったので、前任者が間違えたと言う方法があると言い残して翌日、また行った。このこと調べるために三月末から四月末まで毎日のように市役所に通った。
日本が法治国家なら、どの法律に規定され納税の義務が発生するのか徹底的に調べた。うるさくて嫌だったろうが、国民の義務が納税なら徴収方法に違反があれば、納税する義務も生じない。
さて、この台帳に記載間違いがあった。収税する基の台帳だ、よもや前任者が間違えたので我々は知らないとは言わないだろうと、期待に胸をふくらませて市役所に到着。
「前任者の間違いでした」だとヨ。
「そうか、間違いなら官報にその旨を掲載しろ、八戸全所帯に計算間違いがあるから、全戸再計算をせよ」
ここで疑問が生じた、この官吏の仕事はどのように規定されているのか。
地方税法第四百三条 2固定資産の評価に関する事務に従事する市町村の職員は、総務大臣及び道府県知事の助言によって、且つ、納税者とともにする実地調査、納税者に対する質問、納税者の申告書の調査等のあらゆる方法によって、公正な評価をするように努めなければならない。
すると、この法律にも違反している。公正な評価ができずに間違いを生じ、かつ単位も記載しないことが公正と言えるか。
四百四条 市町村長の指揮を受けて固定資産を適正に評価し、且つ、市町村長が行う価格の決定を補助するため、市町村に固定資産評価員を設置する。
これになるには議会の承認が必要、資産税課長が議会から平成十五年三月二十日、前任者の辞任にともない、後任者を選定と記されてある。
四百五条は課員がその評価補助員となる旨、記載。
四百八条 市町村長は、固定資産評価員又は固定資産評価補助員に当該市町村所在の固定資産の状況を毎年少なくとも一回実地に調査させなければならない。
現場に毎年行ったのか、その行動履歴を見せろと職員に告げるとオタオタした。件数が多いからご理解くださいだと。つまり、職員は現場に行こうなどの気はさらさらなく、四○八条で規定されているにもかかわらず、航空写真で調査した? どこにそんなことが記されているの? 自分たちの足で一軒一軒巡って、額に汗して陽に焼かれ、道路工事の旗振りのような黒顔の職員は一人もいない。皆、白Yシャツで暖房と冷房のきいたところでノホホンとしている。それが規定された仕事をこなしたことになるのか。寝言は寝てから言え。市民には法を楯にとり課税、納税を強要し、遅れると年利十四・六%の懲罰金を課す。この金利の下がった時代に錯誤もはなはだしい。もともと支払えないから滞納している。それから過大な懲罰金をとる、いや、むしりとるは、俗に「首くくりの足をひっぱる」という、人間なら、血の通うものなら、してはならない行為をしでかす。それが八戸市役所だ。自分の意思でする、間違い、聞き違いじゃない、自分が法の番人だの意識でやる。気の毒だろ、景気が悪く払えない、まして公定歩合が0・1%、これは日銀が決めた。八戸市役所には温情はないのか。払えないのは気の毒だ。政府がきめた年率は十四・六%です、でも八戸市民は、漁業も商業も思わしくない、それでも納税は国民の義務、だども、十四・六はひどい。よそはどうでもいい、八戸だけは年率五%に下げます。条例で制定しますというのが人間の勤めだ。払えないのはお前が悪いじゃ、住んでてよかった八戸?
市長に面会した。職員同様ご理解くださいだと。行政用語のご理解くださいは「黙れ」。相撲の呼び出しが「東西、東西」の意味は静かにしろ。
ぬかせ。どの面さげて、そったらことがいえる。あんたのおかげで皆が苦しんでる。年一回の実地調査は建物に傷みがないか、傷んでいれば評価額を下げます、税金を軽減しますが四○八条の精神。それを励行させるが市長の仕事、それを市長は知っててさせなかったのか。いや、中村市長が調査に行かないようにさせたのじゃない。歴代の市長のもとで、いかないとずるく行動したのは職員だ。むしろ被害者は市長かもしれない。この法律を知らなかったから、明確な指示、命令ができなかったのだろう。だが、そんな無知な市長を選んだ側にも責任はある。今年は市長選、もっと市民のためを思い、ずるく、さぼることしか知らない市役所職員を督励し、手足のごとくうごかし、市民の窮状を救えるような人にお願いするべきだ。市長は四年間、葬式めぐりは熱心だった。死人は一票持っていない。持っているのは景気が悪く、明日をも知れない八戸市民なのだ。その市民の付託に応えず、二選を狙うは図々しい。真剣に八戸市民のためを思って行動したかは市民が見ている。
市役所職員は地方公務員法、第三十二条、職員は、その職務を遂行するにあたって、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関のさだめる規定に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
我々市民は真実の叫びをあげる場がない。市会議員は市役所職員を取り締まる権限がある。しかし、仲良しクラブじゃ問題は解決しない。世の中は是々非々、悪いは改める。改めないのは、その者の資質、そんな者は市役所の職員たる資格がない。さっさと去れ。役所は役人のための場じゃない。市民のための仕事をする場だ。本末転倒していないか。それらを監視できない市会議員は総辞職せよ。市民の声なき声に耳を貸すのが市会議員。忘れていないか己が仕事を。「はちのへ今昔」は更に過激になって続編を刊行。筆者が死ぬまで不正を暴く。血の最後の一滴まで、市民の生活向上に注ぐ。
(つづく・来月号は固定資産税の不服申し立て)
八戸町並みシリーズ19
2008年10月24日金曜日
市長交際費の怪 誰が食った二万円、ポケット入れて一年半、筆者の指摘で返却 公金横領の主犯は川井前秘書課長?それとも誰?
これは既報・2005年に月刊「はちのへ今昔」に掲載
どうもおかしいと平成十五年の決算書をもとに調べた調べた。議会事務局、資産税課、図書館、人事課、議長交際費、市長交際費。この市長交際費の香典に着目し一年間を一枚づつ検査。すると平成十五年二月に島守勝彦一万円、三月にも島守勝彦一万円とある。二月は一枚の紙に羅列、三月も別の紙に列記されていて、二月と三月の紙は綴られていて並べて比較ができない。ここがミソ。一年間の交際費が一覧になっていれば、同一人に香典を二度支払う怪はありえない。
ところが、時系列で綴られているため、一覧検査を免れるしくみ。つまり前の月に何があったかを記憶していないと問題を見逃す可能性大。ところが、香典が二回同一人に支払われていた。秘書 課の下村氏がこの伝票を記載したという。この島守勝彦氏は海難事故で亡くなった方だそうだ。亡くなった方の実名を記載しなければならぬ非礼をお詫びしご冥福を祈る。しかし亡くなった人の名を二度も使った秘書課はどういう気持ちなのだろう。
「二月と三月の二回葬式があったのか」
下村「そんなことはないと思います」
「なら、何故二回香典が出ている?」
下村「調べてみます」
その後返事がないので催促すると、
班長と下村が同席し、
「あれは間違いでした、船主の島守幸一さんに見舞金で支払っています。支払いの科目と相手方を間違って書きました」
「待て、支払いはどのようになされる?香典を支払う都度支払い命令書を出納室に持参し現金を受け取ってくるのか、それなら支払い命令書に誰に支払う香典かが明確になるだろう」
「いえ、そういう形ではありません。市長交際費は一度五十万円の支払い命令書を作成し、出納室に持参し現金引き出し券を貰い、銀行から現金を引き出し、そこから必要な分を使用します」
「すると、下村は自分で勝手に香典と書いて金を引き下ろし着服したのか」
「そんなことはしません、現金を用意するのは課長からの指示があって用意します。私は着服などしていません。まして市長交際費という目立つお金を着服などしません」
「すると、島守勝彦氏に二度香典を出せと言ったのは秘書課長だな、それがどうして船主にすり変わった」
「当時の秘書課長の川井と水産課長との協議で多くの方が亡くなり船主もお気の毒だというので見舞金を支払いました」
「だが、下村、あんたが書いたのは香典が二回だ、その支払いを認めたのは班長であり、課長であり、総務部長に助役だ、まして課長の川井は下村が作成した二月の一覧票、並びに三月の一覧票に印鑑を押している。つまり、二月に島守勝彦氏に香典を出せ、そして三月にも出せと命令し、それが間違いがないと印鑑を押した川井は、支払い相手が船主の島守幸一氏なら、これは間違っていると、下村、あんたに指摘したはず。ところが香典で二度払い、まして三月に見舞金で支払ったなら、香典じゃない見舞金だと指摘しただろう、つまり、この香典は支払われていない、班長、下村、課長の川井の三人で三千三百円づつ分けたのか」
「そんなことはしていません、見舞金で船主に支払いました」
「いいか、これは公金横領だと調べているんだ、同一人に二回香典が支払われたことになっているが、二回葬式をする人間はいない、どうなっているんだと言うと、見舞金だという。誰が支払いに行ったんだ。市長の行動には秘書が同行しているはず、市長の行動票を見ろ、課長が支払い命令を出し、課員が封筒に金を入れ秘書課長に手渡す、それが市長に渡り、市長が見舞金として支払ったなら行動履歴があるはず、それに記載されているなら、課員が公金を横領はしていない、香典も見舞金の間違いだと認める」
それからしばらく日数を置き、
「これを見てください、運転手の日報です」
それには青葉町、売市など町名が書かれているだけ。
「こんなものが証拠になるか、他に出す、見せる書類があるだろう」
「…」
「市長の行動票か、同席している秘書の日誌だよ」
「それらには記載がありません」
「なに? 行ってない? するとその金はどうなったんだ、秘書課長は市長に渡したんだろう?」
「はい、見舞金ということで渡しました」
「それが市長が船主の所に行った形跡、痕跡がない? なら船主に貰ったかを訊け」
「そんなことはできません」
「だが、見舞金というのも納得できない金の使い方だな、そんな交際費の支出は平成十五年度にはなかったぞ。本当に見舞金で支払ったのか、課長の川井が印鑑を押し、下村に支出をさせ、香典の二重払いが暴露されると見舞金、まして、命令した本人が香典で印鑑を押し認めたのを、今度は見舞金だと言い逃れる、本当にそうなのか、水産課の課長と秘書課長が協議して見舞金として出したか出さなかったのかを訊いてみよう」
秘書課から後日電話で、「前の秘書課長の都合がつきましたので八月十七日の十一時に総務の情報公開の窓口でお会いします」
水産課長、川井前課長、班長、課員の下村同席。
「下村が香典を二度川井課長に命令され支払ったが、見舞金に直したが、本当に見舞金なのか」
川井「見舞金だ、香典は下村さんの間違いだった」
「間違いを命令した川井課長が気づかないはいいかげんじゃないのか」
「そういわれればそうかもしれない」
「頻繁に香典が支払われる状況ではない、下村は交際費の管理人だ、それが作成した文書に川井さんが印鑑を押している。メクラ判じゃないのか」
川井「見落とした、気づかなければならなかった」
「香典がお直り、見舞金だというが、船主に見舞金は先例がなかろう」
川井「水産課長もここに同席しているが、協議し気の毒な海難事故だからと見舞金を支払うことを決めた」
「見舞金の先例はなかろう」
川井「先例がないことは出来ないと決まっていない。先例がなくても支払った、どこが悪い」
「だが、市長は島守幸一氏のところを訪問している形跡がない」
川井「小川さんが納得していないから、君たちももっと調査して納得していただきなさい」
「ちょっと待って欲しい。他人事の言い方をしているが、秘書課の班長、下村、そしてあんたに公金横領の嫌疑をかけて調べているんだ。あんたも同罪だと見ている。そんな他人事の表現はしないほうがいい。課長が市長に手渡した見舞金が島守幸一氏に渡って居る証拠が必要なのだ」
川井「そういうことだから調べなさい」
「恐ろしい人だね、あんたも」
川井「恐ろしいとはどういうことです」
「二月に島守勝彦氏に香典を出し、三月にも命令し、それが見舞金であれば、下村が作成した文書を見たとき、違うと指摘したはず、まして、ここに同席した水産課長と協議までしたのが、香典と記載されていれば、当然気づくはず」
川井「下村君は二月の文書をコピーして三月にもってきたんだよね、だから、そこが香典になっていた」
「そんな馬鹿なことを課員はしない、ましてじぶんがその担当者、そんなやりかたはしないはずだ」
下村「ええ、都度入力しています」
この場面は文字以外に、人物が実在している。
この時の川井前課長、今は市役所のどこだかの部長をしているらしい。水産課長の左隣が川井氏、右隣が班長、その右端に下村氏。
このとき苦々しい顔を川井氏が作る。筆者は妙な顔をしたな程度の印象だったが実は、これが後になって大きな作用。
「ともかく、納得していただくように調査します」
八月二十九日秘書課に電話、
「船主に電話して訊いたらいいじゃないか。行動履歴が判明しないのだから、ところで船主はだれだっけ。幸一は幸いに横一ネ」
どうも筆者一人の知恵に余り、読売新聞八戸支局の敏腕記者に資料を見せて相談。行動を起こし市長交際費が支払われたという、船主島守幸一氏に訊くと「そんな金は貰っていない、勝彦に香典が出たかはわからない」
読売の記者は筆者が気づかぬ点を指摘。
「これ、香典だけじゃありませんよ、同じ項目が三つありますよ」
さすがに鋭い。
八戸市森林組合第五三回通常総会終了後の懇親会
舘功氏八戸市卓越技能者表彰受賞祝賀会
島守勝彦氏葬儀香典の三件。
読売は独自に取材、九月九日の朝刊に
市長交際費二重払い
八戸市2万円、秘書課がプール
八戸市の中村寿文市長の交際費で、2004年2月に市の会計から支出された3項目計2万円が翌3月にも二重に支出され、その金が年度をまたいで約1年半の間、秘書課で「準備金」と称するプール金に加算される不適正経理があったことが8日、わかった。
市民の指摘で返納
二重に支出されたのは八戸市森林組合第53回通常総会への祝い金五千円、市卓越技能者表彰祝賀会への祝い金五千円、海難事故の葬儀の香典一万円。
秘書課によると、同課内には、市長交際費を緊急に支出する場合に備え、同課職員が自腹で「準備金」として数万円を用意。市長交際費の銀行口座からおろせない時などに一時的に立て替えて、後日、口座から引き出すやり方を取っていた。
今回の二重支払いでは、2月に3項目計2万円をこの準備金で立て替えた。同月中に口座から引き出したにもかかわらず、交際費の出納簿にチェック漏れがあったために、職員が勘違いして3月にもまた2万円を余分に口座から引き出した。
秘書課は準備金の出納記録をつけておらず、約1年半気づかなかったが、市民からの指摘で二重払いが発覚し、今月6日に準備金から2万円を市へ返納、05年度の会計に過年度収入として繰り入れた。
秘書課は、公金を一時的に職員個人がプールしていた形になることを認めた上で、「今後は市長交際費が必要な行事はすべてチェック漏れがないようにして、交際費の出し入れはその都度行って再発防止を図りたい」としている。
これは現秘書課長松浦氏が書いた筋書き。つまり、否定をしなければ、誰かが公金横領の捕縛を受ける。これを何としても避けるためにでっち上げた嘘。
市長に香典が渡ったが、二度同一人に香典の支払いは使えないと指摘され、香典じゃなかった見舞金だと言い逃れた。その嘘を正当化するために水産課と協議の上、気の毒な船主に見舞金を支払った。つまり、ここまでは部分否定。否定には部分否定と全体否定の二つよりない。まずは部分否定で逃げにかかった。十分言い逃れが出来ると踏んだ。秘書課の下村氏は香典じゃないことにしろ、科目間違いで見舞金で納得させろと命令され、第一の部分否定行動。新聞の切り抜きを持参し、船主に見舞金として支払ったと抜かした。
見舞金は前例がない、そんな物に支出はできないと否定されると、でも確かに見舞金として支払いました。
北海道は香典に領収書を出す。此処は八戸、香典の領収書は出ない。公金で香典とするのだから、領収書は貰ってこい。市民の税金だ。必死で払っている。それをポケットに入れたはまずい。
誰がポケットに入れて一年半、食わなかった、バレたらごめん、ここに入っていたとポケットから出した。この筋書きは一番まずい。まずい筋書きに仕立てたのは松浦課長。
下村氏は見舞金の支出はないと否定されたため、水産課長と秘書課長が協議して出したと食い下がった。この嘘を正当化するために、前秘書課長と水産課長が登場し、前例、先例のない見舞金支払いが正当だと述べた。まして、先例がないのに支払ってどこが悪いとまでタンカがきれるか。前秘書課長は、この金は市長に渡したと明言している。
だから市長が船主の所に行った形跡がないと筆者が斬り込むと、「そう言われるのだから、もっと納得していただけるように説明しなさい」などと暢気な表現が出る。
ここまで言ったので納得したと踏んだ。部分否定は成功したかに思えた。どうも納得いかないので読売の記者に市長交際費の二月、三月分を見せた。だから記者は自分の眼で耳で確かめたことを記事にした。
「はちのへ今昔」が問題にしているのは、川井前課長の言う、市長に香典、おなおり見舞金が渡り、それを市長が渡さなかったことだ。
松浦課長は誰でも告訴したらいいじゃないかと言い放った。そして、この件では筆者と口をきかないと捨てぜりふ。筆者も松浦秘書課長と友人でも知人でもない、それは結構毛だらけ、猫灰だらけ。だが担当課長たるもの、逃げ隠れしても事態の解決にはならぬ。
船主が見舞金を貰っていない。その金はどこに消えたのか。まして、香典以外の金が同様に消えたは大問題。川井氏が面談したときに作った苦々しい顔は、いよいよとなれば、全否定が出来る下地を作りたかった。ところが下村氏が否定。そのための苦々しい顔だったのだ。
そこで松浦筋書きは、今までのことを全てうち消す全面否定の手に出た。川井前課長のタンカ、どこが悪いは、
松浦「マアマア、そんなことを言って、ハハ、小川さん、それは、小川さんが疑ってかかっているから、秘書課の職員が懸命に、当時のことを思い出して、こうではなかったか、ああではなかったかと推測して、たぶん船主に支払ったのではなかろうかと、それで川井課長が支払ったのではなかろうかと○×▼□」
「先例のないのを支払ってどこが悪いと言ったゾ」
松浦「それは、小川さんに納得していただこうと思って言った言葉で、だから間違いだったんです。誰かのポケットだか机の引き出しに金が入っていたんです。着服でも横領でもありません。間違いだったって言ってるんです。」
「話が二転三転しているが」
松浦「間違いですから。小川さんのお陰で、これからはしないようになりましたヨ」
「変な言い方だな、お陰とはどういうことだ」
松浦「だから、間違いを訂正してこれからはやりかたを改めるんです。公金横領だとか着服はしていません」
「いいかげんな現金の取り扱いをしていたことになる」
松浦「いいかげん?、いいかげんじゃないんですが間違いだったんです」
ゴメンで済むなら交番は要らないの言葉あり。金を返せば済むはずのものでもなかろう。ところが松浦課長は悪い筋書きを取った。川井課長の立場はどうなる。このことを九月十四日の市議会で共産党の畑中氏が追求、総花的質問で時間切れになったが、川井前課長、水産課長が協議し香典をとりやめて見舞金を出したがこの事実はあるか、それを八月二十六日(この日にちは筆者が間違って畑中さんに告げた・本当は十七日)に説明したかと斬り込んだ。が、望月総務部長はないと証言。今まで記載した事実を全否定するのかと、議会終了後に面会。
望月「水産課長と川井前課長が小川さんと会ったことを否定したのではない。見舞金が支払われた事実はないと言いました」危ういところで言い逃れた。ここで爆弾発言となり、議場紛糾となる筋書きを予想していただけに、不発でイライラ。ところが九月二十一日には総務常任委員会がある。市民は傍聴不可。メンバーは次の通り。委員長上条幸哉、副委員長元沢正治、委員石橋充志、畠山敬一、畑中哲雄、犾守弥千代、石屋俊夫、犾舘博史、五戸定博、大島一男、菊池敏明、山口広道、小笠原要七の十三名。さて、どんな事態が生ずるやら。一万円札に足が生えて、トコトコ秘書課に来るはずもない。誰が返したの?
どうもおかしいと平成十五年の決算書をもとに調べた調べた。議会事務局、資産税課、図書館、人事課、議長交際費、市長交際費。この市長交際費の香典に着目し一年間を一枚づつ検査。すると平成十五年二月に島守勝彦一万円、三月にも島守勝彦一万円とある。二月は一枚の紙に羅列、三月も別の紙に列記されていて、二月と三月の紙は綴られていて並べて比較ができない。ここがミソ。一年間の交際費が一覧になっていれば、同一人に香典を二度支払う怪はありえない。
ところが、時系列で綴られているため、一覧検査を免れるしくみ。つまり前の月に何があったかを記憶していないと問題を見逃す可能性大。ところが、香典が二回同一人に支払われていた。秘書 課の下村氏がこの伝票を記載したという。この島守勝彦氏は海難事故で亡くなった方だそうだ。亡くなった方の実名を記載しなければならぬ非礼をお詫びしご冥福を祈る。しかし亡くなった人の名を二度も使った秘書課はどういう気持ちなのだろう。
「二月と三月の二回葬式があったのか」
下村「そんなことはないと思います」
「なら、何故二回香典が出ている?」
下村「調べてみます」
その後返事がないので催促すると、
班長と下村が同席し、
「あれは間違いでした、船主の島守幸一さんに見舞金で支払っています。支払いの科目と相手方を間違って書きました」
「待て、支払いはどのようになされる?香典を支払う都度支払い命令書を出納室に持参し現金を受け取ってくるのか、それなら支払い命令書に誰に支払う香典かが明確になるだろう」
「いえ、そういう形ではありません。市長交際費は一度五十万円の支払い命令書を作成し、出納室に持参し現金引き出し券を貰い、銀行から現金を引き出し、そこから必要な分を使用します」
「すると、下村は自分で勝手に香典と書いて金を引き下ろし着服したのか」
「そんなことはしません、現金を用意するのは課長からの指示があって用意します。私は着服などしていません。まして市長交際費という目立つお金を着服などしません」
「すると、島守勝彦氏に二度香典を出せと言ったのは秘書課長だな、それがどうして船主にすり変わった」
「当時の秘書課長の川井と水産課長との協議で多くの方が亡くなり船主もお気の毒だというので見舞金を支払いました」
「だが、下村、あんたが書いたのは香典が二回だ、その支払いを認めたのは班長であり、課長であり、総務部長に助役だ、まして課長の川井は下村が作成した二月の一覧票、並びに三月の一覧票に印鑑を押している。つまり、二月に島守勝彦氏に香典を出せ、そして三月にも出せと命令し、それが間違いがないと印鑑を押した川井は、支払い相手が船主の島守幸一氏なら、これは間違っていると、下村、あんたに指摘したはず。ところが香典で二度払い、まして三月に見舞金で支払ったなら、香典じゃない見舞金だと指摘しただろう、つまり、この香典は支払われていない、班長、下村、課長の川井の三人で三千三百円づつ分けたのか」
「そんなことはしていません、見舞金で船主に支払いました」
「いいか、これは公金横領だと調べているんだ、同一人に二回香典が支払われたことになっているが、二回葬式をする人間はいない、どうなっているんだと言うと、見舞金だという。誰が支払いに行ったんだ。市長の行動には秘書が同行しているはず、市長の行動票を見ろ、課長が支払い命令を出し、課員が封筒に金を入れ秘書課長に手渡す、それが市長に渡り、市長が見舞金として支払ったなら行動履歴があるはず、それに記載されているなら、課員が公金を横領はしていない、香典も見舞金の間違いだと認める」
それからしばらく日数を置き、
「これを見てください、運転手の日報です」
それには青葉町、売市など町名が書かれているだけ。
「こんなものが証拠になるか、他に出す、見せる書類があるだろう」
「…」
「市長の行動票か、同席している秘書の日誌だよ」
「それらには記載がありません」
「なに? 行ってない? するとその金はどうなったんだ、秘書課長は市長に渡したんだろう?」
「はい、見舞金ということで渡しました」
「それが市長が船主の所に行った形跡、痕跡がない? なら船主に貰ったかを訊け」
「そんなことはできません」
「だが、見舞金というのも納得できない金の使い方だな、そんな交際費の支出は平成十五年度にはなかったぞ。本当に見舞金で支払ったのか、課長の川井が印鑑を押し、下村に支出をさせ、香典の二重払いが暴露されると見舞金、まして、命令した本人が香典で印鑑を押し認めたのを、今度は見舞金だと言い逃れる、本当にそうなのか、水産課の課長と秘書課長が協議して見舞金として出したか出さなかったのかを訊いてみよう」
秘書課から後日電話で、「前の秘書課長の都合がつきましたので八月十七日の十一時に総務の情報公開の窓口でお会いします」
水産課長、川井前課長、班長、課員の下村同席。
「下村が香典を二度川井課長に命令され支払ったが、見舞金に直したが、本当に見舞金なのか」
川井「見舞金だ、香典は下村さんの間違いだった」
「間違いを命令した川井課長が気づかないはいいかげんじゃないのか」
「そういわれればそうかもしれない」
「頻繁に香典が支払われる状況ではない、下村は交際費の管理人だ、それが作成した文書に川井さんが印鑑を押している。メクラ判じゃないのか」
川井「見落とした、気づかなければならなかった」
「香典がお直り、見舞金だというが、船主に見舞金は先例がなかろう」
川井「水産課長もここに同席しているが、協議し気の毒な海難事故だからと見舞金を支払うことを決めた」
「見舞金の先例はなかろう」
川井「先例がないことは出来ないと決まっていない。先例がなくても支払った、どこが悪い」
「だが、市長は島守幸一氏のところを訪問している形跡がない」
川井「小川さんが納得していないから、君たちももっと調査して納得していただきなさい」
「ちょっと待って欲しい。他人事の言い方をしているが、秘書課の班長、下村、そしてあんたに公金横領の嫌疑をかけて調べているんだ。あんたも同罪だと見ている。そんな他人事の表現はしないほうがいい。課長が市長に手渡した見舞金が島守幸一氏に渡って居る証拠が必要なのだ」
川井「そういうことだから調べなさい」
「恐ろしい人だね、あんたも」
川井「恐ろしいとはどういうことです」
「二月に島守勝彦氏に香典を出し、三月にも命令し、それが見舞金であれば、下村が作成した文書を見たとき、違うと指摘したはず、まして、ここに同席した水産課長と協議までしたのが、香典と記載されていれば、当然気づくはず」
川井「下村君は二月の文書をコピーして三月にもってきたんだよね、だから、そこが香典になっていた」
「そんな馬鹿なことを課員はしない、ましてじぶんがその担当者、そんなやりかたはしないはずだ」
下村「ええ、都度入力しています」
この場面は文字以外に、人物が実在している。
この時の川井前課長、今は市役所のどこだかの部長をしているらしい。水産課長の左隣が川井氏、右隣が班長、その右端に下村氏。
このとき苦々しい顔を川井氏が作る。筆者は妙な顔をしたな程度の印象だったが実は、これが後になって大きな作用。
「ともかく、納得していただくように調査します」
八月二十九日秘書課に電話、
「船主に電話して訊いたらいいじゃないか。行動履歴が判明しないのだから、ところで船主はだれだっけ。幸一は幸いに横一ネ」
どうも筆者一人の知恵に余り、読売新聞八戸支局の敏腕記者に資料を見せて相談。行動を起こし市長交際費が支払われたという、船主島守幸一氏に訊くと「そんな金は貰っていない、勝彦に香典が出たかはわからない」
読売の記者は筆者が気づかぬ点を指摘。
「これ、香典だけじゃありませんよ、同じ項目が三つありますよ」
さすがに鋭い。
八戸市森林組合第五三回通常総会終了後の懇親会
舘功氏八戸市卓越技能者表彰受賞祝賀会
島守勝彦氏葬儀香典の三件。
読売は独自に取材、九月九日の朝刊に
市長交際費二重払い
八戸市2万円、秘書課がプール
八戸市の中村寿文市長の交際費で、2004年2月に市の会計から支出された3項目計2万円が翌3月にも二重に支出され、その金が年度をまたいで約1年半の間、秘書課で「準備金」と称するプール金に加算される不適正経理があったことが8日、わかった。
市民の指摘で返納
二重に支出されたのは八戸市森林組合第53回通常総会への祝い金五千円、市卓越技能者表彰祝賀会への祝い金五千円、海難事故の葬儀の香典一万円。
秘書課によると、同課内には、市長交際費を緊急に支出する場合に備え、同課職員が自腹で「準備金」として数万円を用意。市長交際費の銀行口座からおろせない時などに一時的に立て替えて、後日、口座から引き出すやり方を取っていた。
今回の二重支払いでは、2月に3項目計2万円をこの準備金で立て替えた。同月中に口座から引き出したにもかかわらず、交際費の出納簿にチェック漏れがあったために、職員が勘違いして3月にもまた2万円を余分に口座から引き出した。
秘書課は準備金の出納記録をつけておらず、約1年半気づかなかったが、市民からの指摘で二重払いが発覚し、今月6日に準備金から2万円を市へ返納、05年度の会計に過年度収入として繰り入れた。
秘書課は、公金を一時的に職員個人がプールしていた形になることを認めた上で、「今後は市長交際費が必要な行事はすべてチェック漏れがないようにして、交際費の出し入れはその都度行って再発防止を図りたい」としている。
これは現秘書課長松浦氏が書いた筋書き。つまり、否定をしなければ、誰かが公金横領の捕縛を受ける。これを何としても避けるためにでっち上げた嘘。
市長に香典が渡ったが、二度同一人に香典の支払いは使えないと指摘され、香典じゃなかった見舞金だと言い逃れた。その嘘を正当化するために水産課と協議の上、気の毒な船主に見舞金を支払った。つまり、ここまでは部分否定。否定には部分否定と全体否定の二つよりない。まずは部分否定で逃げにかかった。十分言い逃れが出来ると踏んだ。秘書課の下村氏は香典じゃないことにしろ、科目間違いで見舞金で納得させろと命令され、第一の部分否定行動。新聞の切り抜きを持参し、船主に見舞金として支払ったと抜かした。
見舞金は前例がない、そんな物に支出はできないと否定されると、でも確かに見舞金として支払いました。
北海道は香典に領収書を出す。此処は八戸、香典の領収書は出ない。公金で香典とするのだから、領収書は貰ってこい。市民の税金だ。必死で払っている。それをポケットに入れたはまずい。
誰がポケットに入れて一年半、食わなかった、バレたらごめん、ここに入っていたとポケットから出した。この筋書きは一番まずい。まずい筋書きに仕立てたのは松浦課長。
下村氏は見舞金の支出はないと否定されたため、水産課長と秘書課長が協議して出したと食い下がった。この嘘を正当化するために、前秘書課長と水産課長が登場し、前例、先例のない見舞金支払いが正当だと述べた。まして、先例がないのに支払ってどこが悪いとまでタンカがきれるか。前秘書課長は、この金は市長に渡したと明言している。
だから市長が船主の所に行った形跡がないと筆者が斬り込むと、「そう言われるのだから、もっと納得していただけるように説明しなさい」などと暢気な表現が出る。
ここまで言ったので納得したと踏んだ。部分否定は成功したかに思えた。どうも納得いかないので読売の記者に市長交際費の二月、三月分を見せた。だから記者は自分の眼で耳で確かめたことを記事にした。
「はちのへ今昔」が問題にしているのは、川井前課長の言う、市長に香典、おなおり見舞金が渡り、それを市長が渡さなかったことだ。
松浦課長は誰でも告訴したらいいじゃないかと言い放った。そして、この件では筆者と口をきかないと捨てぜりふ。筆者も松浦秘書課長と友人でも知人でもない、それは結構毛だらけ、猫灰だらけ。だが担当課長たるもの、逃げ隠れしても事態の解決にはならぬ。
船主が見舞金を貰っていない。その金はどこに消えたのか。まして、香典以外の金が同様に消えたは大問題。川井氏が面談したときに作った苦々しい顔は、いよいよとなれば、全否定が出来る下地を作りたかった。ところが下村氏が否定。そのための苦々しい顔だったのだ。
そこで松浦筋書きは、今までのことを全てうち消す全面否定の手に出た。川井前課長のタンカ、どこが悪いは、
松浦「マアマア、そんなことを言って、ハハ、小川さん、それは、小川さんが疑ってかかっているから、秘書課の職員が懸命に、当時のことを思い出して、こうではなかったか、ああではなかったかと推測して、たぶん船主に支払ったのではなかろうかと、それで川井課長が支払ったのではなかろうかと○×▼□」
「先例のないのを支払ってどこが悪いと言ったゾ」
松浦「それは、小川さんに納得していただこうと思って言った言葉で、だから間違いだったんです。誰かのポケットだか机の引き出しに金が入っていたんです。着服でも横領でもありません。間違いだったって言ってるんです。」
「話が二転三転しているが」
松浦「間違いですから。小川さんのお陰で、これからはしないようになりましたヨ」
「変な言い方だな、お陰とはどういうことだ」
松浦「だから、間違いを訂正してこれからはやりかたを改めるんです。公金横領だとか着服はしていません」
「いいかげんな現金の取り扱いをしていたことになる」
松浦「いいかげん?、いいかげんじゃないんですが間違いだったんです」
ゴメンで済むなら交番は要らないの言葉あり。金を返せば済むはずのものでもなかろう。ところが松浦課長は悪い筋書きを取った。川井課長の立場はどうなる。このことを九月十四日の市議会で共産党の畑中氏が追求、総花的質問で時間切れになったが、川井前課長、水産課長が協議し香典をとりやめて見舞金を出したがこの事実はあるか、それを八月二十六日(この日にちは筆者が間違って畑中さんに告げた・本当は十七日)に説明したかと斬り込んだ。が、望月総務部長はないと証言。今まで記載した事実を全否定するのかと、議会終了後に面会。
望月「水産課長と川井前課長が小川さんと会ったことを否定したのではない。見舞金が支払われた事実はないと言いました」危ういところで言い逃れた。ここで爆弾発言となり、議場紛糾となる筋書きを予想していただけに、不発でイライラ。ところが九月二十一日には総務常任委員会がある。市民は傍聴不可。メンバーは次の通り。委員長上条幸哉、副委員長元沢正治、委員石橋充志、畠山敬一、畑中哲雄、犾守弥千代、石屋俊夫、犾舘博史、五戸定博、大島一男、菊池敏明、山口広道、小笠原要七の十三名。さて、どんな事態が生ずるやら。一万円札に足が生えて、トコトコ秘書課に来るはずもない。誰が返したの?
市制八十周年記念事業
十年ごとに八戸市を見直すのが記念事業、八戸市も八十歳を迎える。最初の十年は草創期、次の十年は戦争期、次は復興期、新産都市指定上昇期、絶頂期、停滞から後退期と潜ってきた。
これからは人口減少、老人死亡拡大で次第に凋落していく。これに歯止めをかける最大の要素は小林市長が賭けに出たハサップ。これ次第で八戸の命運は決まる。大げさに言えば日本の水産の浮沈興亡が決まる。
読者諸君はまたも「はちのへ今昔」が狼少年を演じていると嗤う(馬鹿にして笑う)だろうが、諸君には見えないが筆者には見える。諸君らは人相が観れるか、手相を読み解けるか? 筆者はそれをいとも簡単に読み取ることができる。そしてそれは恐ろしいほどにあたる。一年以内に死ぬのを八戸でも何人、何十人も当てた。それは理屈じゃない、観相に出るから、そう伝えるまでだ。
さて、この水産興亡の鍵は失敗する要素を除去すればいい。来週はこれを中心に据えて掲載。この八十周年記念事業は十年を振り返る好機。その部会が何を討議したかを伝える。
市民提案が8件。
1花火大会・提案者・花火大会運営委員会
2郷土八戸の宝80選事業 メディアネット
3西有穆山没後100年展 西有穆山顕彰会
4歌謡ステージ 阿部のり子ビクター歌謡スタジオ
5八戸から遠野まで、八戸・遠野間ウオークリレーによる歴史文化交流事業 八戸から遠野まで歩こう会
6豊山千蔭記念森林園 豊山くに
7八戸小唄関連事業 八戸文化協会
8第10回馬淵川フォークジャンボリー 実行委員会
西有穆山の件は一宗教家ということで蹴られた。この提案は規定点数に届いたのは一案のみ。どれが採用されたかは馬鹿馬鹿しいので見なかった。
部会員の提案も採用される模様、西塚提案、はちのへクラフト市、ふるさとはちのへぬくもりの味、中野案、市民とともに作る「八戸公園」等、下村案、南部の歴史を漫画で等、中島案、八戸の匠による○○教室、藤村案、80年の八戸を知る学びのツアー、柳沢案、未来へのメッセージ、三浦案、郷土料理の伝承等、柾谷案、はちのへ郷土芸能体験、高森案、八戸の魅力発見プロジェクト、木村案、小林伸一郎八戸プロジェクト、大森案、市内80箇所巡り等、蛯名案、イベントに市民参加を促し市民自ら参加したいと感ずる事業を創造したい。
どうでもいいが思いつきばかりが目立つ。大体こんなもんだろう、八戸の職員が寄り集まって16回も協議したが、大して役に立たない。もともと立つわけがない。広報に掲載し、市民に参加を呼びかけず、二名のインターネット応募者で部会を組織したとがめが出た。現在の委員は政策推進課大村武史、企画総務課柳沢裕、商工会議所原信一、青年会議所中野正信、商工労政課中島義昭、観光課下村晃一、健康福祉政策課三浦隆亨、都市政策課蛯名敦、文化課高森大輔、観光協会沼田昌敏、物産協会西塚覚、八戸女性まちづくり塾生の会藤村幸子、民間二名。
西有穆山をただの一宗教家などと抜かした座長が悪い。物知らずを集めるとこうした結果になるもんだ。同様なことは教育委員会の「文化賞」でも見た。
やはり市長も認める伝達手段の広報に掲載し、一から出直して記念事業にそなえよ。まだ半年もある。役所の中にも知恵者がいる。そうした人選もせよ。妻神部長あたりをひっぱり出せ。そして論議を尽くせ。場当たり策では何にもならない。
これからは人口減少、老人死亡拡大で次第に凋落していく。これに歯止めをかける最大の要素は小林市長が賭けに出たハサップ。これ次第で八戸の命運は決まる。大げさに言えば日本の水産の浮沈興亡が決まる。
読者諸君はまたも「はちのへ今昔」が狼少年を演じていると嗤う(馬鹿にして笑う)だろうが、諸君には見えないが筆者には見える。諸君らは人相が観れるか、手相を読み解けるか? 筆者はそれをいとも簡単に読み取ることができる。そしてそれは恐ろしいほどにあたる。一年以内に死ぬのを八戸でも何人、何十人も当てた。それは理屈じゃない、観相に出るから、そう伝えるまでだ。
さて、この水産興亡の鍵は失敗する要素を除去すればいい。来週はこれを中心に据えて掲載。この八十周年記念事業は十年を振り返る好機。その部会が何を討議したかを伝える。
市民提案が8件。
1花火大会・提案者・花火大会運営委員会
2郷土八戸の宝80選事業 メディアネット
3西有穆山没後100年展 西有穆山顕彰会
4歌謡ステージ 阿部のり子ビクター歌謡スタジオ
5八戸から遠野まで、八戸・遠野間ウオークリレーによる歴史文化交流事業 八戸から遠野まで歩こう会
6豊山千蔭記念森林園 豊山くに
7八戸小唄関連事業 八戸文化協会
8第10回馬淵川フォークジャンボリー 実行委員会
西有穆山の件は一宗教家ということで蹴られた。この提案は規定点数に届いたのは一案のみ。どれが採用されたかは馬鹿馬鹿しいので見なかった。
部会員の提案も採用される模様、西塚提案、はちのへクラフト市、ふるさとはちのへぬくもりの味、中野案、市民とともに作る「八戸公園」等、下村案、南部の歴史を漫画で等、中島案、八戸の匠による○○教室、藤村案、80年の八戸を知る学びのツアー、柳沢案、未来へのメッセージ、三浦案、郷土料理の伝承等、柾谷案、はちのへ郷土芸能体験、高森案、八戸の魅力発見プロジェクト、木村案、小林伸一郎八戸プロジェクト、大森案、市内80箇所巡り等、蛯名案、イベントに市民参加を促し市民自ら参加したいと感ずる事業を創造したい。
どうでもいいが思いつきばかりが目立つ。大体こんなもんだろう、八戸の職員が寄り集まって16回も協議したが、大して役に立たない。もともと立つわけがない。広報に掲載し、市民に参加を呼びかけず、二名のインターネット応募者で部会を組織したとがめが出た。現在の委員は政策推進課大村武史、企画総務課柳沢裕、商工会議所原信一、青年会議所中野正信、商工労政課中島義昭、観光課下村晃一、健康福祉政策課三浦隆亨、都市政策課蛯名敦、文化課高森大輔、観光協会沼田昌敏、物産協会西塚覚、八戸女性まちづくり塾生の会藤村幸子、民間二名。
西有穆山をただの一宗教家などと抜かした座長が悪い。物知らずを集めるとこうした結果になるもんだ。同様なことは教育委員会の「文化賞」でも見た。
やはり市長も認める伝達手段の広報に掲載し、一から出直して記念事業にそなえよ。まだ半年もある。役所の中にも知恵者がいる。そうした人選もせよ。妻神部長あたりをひっぱり出せ。そして論議を尽くせ。場当たり策では何にもならない。
2008年10月23日木曜日
南郷区職員の給与は差別されているのか
メールで投書が来た。
八戸市と旧南郷村が合併した際に、旧南郷村職員の給与水準が八戸市職員の給与水準に達していなかったため協議されたようですが、「住民の理解が得られないため」という理由から旧南郷村職員の給与は据え置かれ、現在では、同じ職種の同じ経歴、同じ役職でも旧南郷村職員の給与は40歳代で5~7万円ほど(月当たり)違 うそうです。「住民の理解が得られない」とする理由であれば、八戸市職員の給与体系は県職員よりも高い=県内でトップクラスなので、合併を機に旧南郷村の給与水準に引き下げたなら、もっと「住民の理解」が得られるように思います。
また、同じ職場環境において、給与差別ともいうべきものが存在しているとするなら、労働基準監督署の定める「労働環境・動労条件の平等」というものに抵触している可能性が高い。
この投書で調べ残した事を思い出した。合併して得をするのは職員だけ、村会議員の給与はそのままに据え置かれたことは、以前取り上げたが、職員の給与のことは失念していた。そこで合併協定書を見た。
報告第9号 合併協定書の9に次のようにある。
一般職の職員の身分の取り扱いについて
南郷村の一般職の職員は、すべて八戸市の職員として引継ぎ、合併時の給料月額を保障する。
職員の任免、給与その他の身分の取り扱いについては、八戸市の職員と不均衡が生じないよう公正に取り扱うものとし、その細目は八戸市長と南郷村長が別に協議して定める。
八戸市人事課の説明は、合併前の課長職の給与は八戸は8級、南郷は課長でも7級、給料表は人事院勧告で定まるもので級が同じなら同じ額だ。南郷は合併前から一級下の額に決定していた。協定書でそれを保障すると定めたので、同じ課長でも給与に差が出た。八戸市は協定書を守っている。問題はないと思う。南郷の職員で本庁に異動になった人もいる。昇進すれば級があがり、南郷では定めていない級にも昇進ができる。南郷職員にとっては改善された。
ところが、それは協定書の前段、給与その他の身分の取り扱いについては、八戸市の職員と不均衡が生じないよう公正に取り扱うの文言は、どうなったのか、この部分に関しては投書が正しい。
細目を中村前市長と南郷村長が意図的に協議しなかったのか、それとも、人事課がとぼけたのか不明。そこで更に追求し、当時の南郷職員の給料分布をみた。
10級・部長、理事 南郷・なし
9級・次長、副理事、南郷・なし
8級・課長、参事 南郷・参事6名
7級・課長補佐、副参事 南郷・課長、副参事11名
6級・班長、主幹 南郷・課長補佐、統括主幹7名
5級・主任主査 南郷・主幹、統括主任主査20名
4級・主査、技査 南郷・係長、主任主査19名
3級・特に高度な知識を要する主事 南郷主査19名
2級・相当高度な知識を要する主事 南郷主事19名
1級・定型的な業務を行う主事 南郷主事 2名
ここで判明は投書の通りの事実、中村前市長、古館村長の合併協定は守られなかった。呑みこまれる方は黙っているしか能はない。だが、強者の論理だけが通用する世の中には社会正義はない。
八戸市は南郷職員を潰した。わずかな人数(98)も救うことなく、自分たちだけの物差しを振り回すなら、合併に従う町村はなかろう。八戸市は合併を繰り返して肥大化してきた。
先人はこうした汚い手口を使ったのか、時代は我々を問うている。
弱者を助けたのか、弱い物の味方をしたのか、声なき声に耳を傾けたのかと。
投書の力を知った。「はちのへ今昔」が合併に伴う議員報酬ばかりに眼が行って、職員給料を見落としていた。反省。
八戸市と旧南郷村が合併した際に、旧南郷村職員の給与水準が八戸市職員の給与水準に達していなかったため協議されたようですが、「住民の理解が得られないため」という理由から旧南郷村職員の給与は据え置かれ、現在では、同じ職種の同じ経歴、同じ役職でも旧南郷村職員の給与は40歳代で5~7万円ほど(月当たり)違 うそうです。「住民の理解が得られない」とする理由であれば、八戸市職員の給与体系は県職員よりも高い=県内でトップクラスなので、合併を機に旧南郷村の給与水準に引き下げたなら、もっと「住民の理解」が得られるように思います。
また、同じ職場環境において、給与差別ともいうべきものが存在しているとするなら、労働基準監督署の定める「労働環境・動労条件の平等」というものに抵触している可能性が高い。
この投書で調べ残した事を思い出した。合併して得をするのは職員だけ、村会議員の給与はそのままに据え置かれたことは、以前取り上げたが、職員の給与のことは失念していた。そこで合併協定書を見た。
報告第9号 合併協定書の9に次のようにある。
一般職の職員の身分の取り扱いについて
南郷村の一般職の職員は、すべて八戸市の職員として引継ぎ、合併時の給料月額を保障する。
職員の任免、給与その他の身分の取り扱いについては、八戸市の職員と不均衡が生じないよう公正に取り扱うものとし、その細目は八戸市長と南郷村長が別に協議して定める。
八戸市人事課の説明は、合併前の課長職の給与は八戸は8級、南郷は課長でも7級、給料表は人事院勧告で定まるもので級が同じなら同じ額だ。南郷は合併前から一級下の額に決定していた。協定書でそれを保障すると定めたので、同じ課長でも給与に差が出た。八戸市は協定書を守っている。問題はないと思う。南郷の職員で本庁に異動になった人もいる。昇進すれば級があがり、南郷では定めていない級にも昇進ができる。南郷職員にとっては改善された。
ところが、それは協定書の前段、給与その他の身分の取り扱いについては、八戸市の職員と不均衡が生じないよう公正に取り扱うの文言は、どうなったのか、この部分に関しては投書が正しい。
細目を中村前市長と南郷村長が意図的に協議しなかったのか、それとも、人事課がとぼけたのか不明。そこで更に追求し、当時の南郷職員の給料分布をみた。
10級・部長、理事 南郷・なし
9級・次長、副理事、南郷・なし
8級・課長、参事 南郷・参事6名
7級・課長補佐、副参事 南郷・課長、副参事11名
6級・班長、主幹 南郷・課長補佐、統括主幹7名
5級・主任主査 南郷・主幹、統括主任主査20名
4級・主査、技査 南郷・係長、主任主査19名
3級・特に高度な知識を要する主事 南郷主査19名
2級・相当高度な知識を要する主事 南郷主事19名
1級・定型的な業務を行う主事 南郷主事 2名
ここで判明は投書の通りの事実、中村前市長、古館村長の合併協定は守られなかった。呑みこまれる方は黙っているしか能はない。だが、強者の論理だけが通用する世の中には社会正義はない。
八戸市は南郷職員を潰した。わずかな人数(98)も救うことなく、自分たちだけの物差しを振り回すなら、合併に従う町村はなかろう。八戸市は合併を繰り返して肥大化してきた。
先人はこうした汚い手口を使ったのか、時代は我々を問うている。
弱者を助けたのか、弱い物の味方をしたのか、声なき声に耳を傾けたのかと。
投書の力を知った。「はちのへ今昔」が合併に伴う議員報酬ばかりに眼が行って、職員給料を見落としていた。反省。
2008年10月22日水曜日
本会議で市長答弁、それを無視する腹黒職員たち
八戸市広報とホームページはどちらが上か?
平成19年9月10日、市議会で坂本みちのぶ議員が市長に質問、
○市民への周知・広報について、その中にあってのインターネットによる広報の位置づけについてお尋ねいたします。50代以降についてはネットを使用できないとする人の割合が全体の50%を超えるという調査報告もあります。そのような中で、ネットができる人にだけ伝える、ネットが使えない人は知ることができないということが、この八戸市の行政の中で、決してあってはならないと考えます。市民への周知・広報についての手段として、インターネットは現在どのように位置づけられているのか、インターネットによる伝達のみとなっていたものは過去にないか。インターネットによる広報はあくまで補助的手段であるべきと考えますが、市長の御所見はどうか、御答弁をお願いいたします。
●市長答弁
私からインターネットによる広報の位置づけについてからお答え申し上げます。 市民への周知、広報に当たりましては、広報はちのへ、新聞、テレビなどのマスコミのほか、インターネットのホームページを主に利用しております。このうちホームページは、情報掲載に時間を要せず紙面や経費の制限もないという特徴を持ち、行政としては活用しやすいメディアである一方、県内のインターネット人口普及率が27%にとどまっているため、市民全体への広報という面では、まだその効果が限定的であると理解しております。 このことから、現在の当市の広報活動は、広報はちのへを基本としており、ホームページによる広報は補完的な役割を担うものと位置づけております。
ここをしっかり踏まえていただきたい。ところがこの市長答弁は実施されていない。市長は飾りで役人は市長に答弁させるメモは作成するが、反する行動を取る。
それは市制八十周年記念事業で判明。来年五月初頭に記念事業を実施。この歳の十月末に市長選がある。この事業は最近十年を振り返り未来の十年への覚悟を決める大事な一里塚。
記念事業の実行委員会が結成され、その下部組織のワーキンググループが組織された。その募集がインターネット。広報には記載されない。
その結果応募者は二名。その二名が任命された。一回の出席に千円が支給される。一人は鮫、一人は多賀台。千円でいい知恵が出せるのか、人から知恵を出させるにはそれなりの遇し方があろう。自分たち職員はしっかりと給料を取る、取らなくてもいい特殊手当てまで取る、それも実際したのか、しなかったのかも分からない手当てまで市民病院で取っている。これも判明次第報告。
さて、市長が約束したことをせず、インターネットだけで公募したのが総務課長、この人物の前職は広報課長、それが、職場が代った途端、広報に載せずにインターネットだけで処理。これはどういうことだ。職務に忠実といえるのか、この課長は長期病欠で総務課長は今月一日から違う人物が登用された。
この件につき総務部長に厳重抗議、もういちどメンバーの人選をしなおせ、再度記念事業を練り直せ、こうした記念事業に知恵を持つのは老人、その老人の知りえないところで募集するは市民を愚弄している、と、総務部長は時間がもうないと言う、ないような事態にしたのは「はちのへ今昔」ではない、市役所理事者側だ。
老人は怒っている、市役所職員はあさってを見て市民を馬鹿にしている。
平成19年9月10日、市議会で坂本みちのぶ議員が市長に質問、
○市民への周知・広報について、その中にあってのインターネットによる広報の位置づけについてお尋ねいたします。50代以降についてはネットを使用できないとする人の割合が全体の50%を超えるという調査報告もあります。そのような中で、ネットができる人にだけ伝える、ネットが使えない人は知ることができないということが、この八戸市の行政の中で、決してあってはならないと考えます。市民への周知・広報についての手段として、インターネットは現在どのように位置づけられているのか、インターネットによる伝達のみとなっていたものは過去にないか。インターネットによる広報はあくまで補助的手段であるべきと考えますが、市長の御所見はどうか、御答弁をお願いいたします。
●市長答弁
私からインターネットによる広報の位置づけについてからお答え申し上げます。 市民への周知、広報に当たりましては、広報はちのへ、新聞、テレビなどのマスコミのほか、インターネットのホームページを主に利用しております。このうちホームページは、情報掲載に時間を要せず紙面や経費の制限もないという特徴を持ち、行政としては活用しやすいメディアである一方、県内のインターネット人口普及率が27%にとどまっているため、市民全体への広報という面では、まだその効果が限定的であると理解しております。 このことから、現在の当市の広報活動は、広報はちのへを基本としており、ホームページによる広報は補完的な役割を担うものと位置づけております。
ここをしっかり踏まえていただきたい。ところがこの市長答弁は実施されていない。市長は飾りで役人は市長に答弁させるメモは作成するが、反する行動を取る。
それは市制八十周年記念事業で判明。来年五月初頭に記念事業を実施。この歳の十月末に市長選がある。この事業は最近十年を振り返り未来の十年への覚悟を決める大事な一里塚。
記念事業の実行委員会が結成され、その下部組織のワーキンググループが組織された。その募集がインターネット。広報には記載されない。
その結果応募者は二名。その二名が任命された。一回の出席に千円が支給される。一人は鮫、一人は多賀台。千円でいい知恵が出せるのか、人から知恵を出させるにはそれなりの遇し方があろう。自分たち職員はしっかりと給料を取る、取らなくてもいい特殊手当てまで取る、それも実際したのか、しなかったのかも分からない手当てまで市民病院で取っている。これも判明次第報告。
さて、市長が約束したことをせず、インターネットだけで公募したのが総務課長、この人物の前職は広報課長、それが、職場が代った途端、広報に載せずにインターネットだけで処理。これはどういうことだ。職務に忠実といえるのか、この課長は長期病欠で総務課長は今月一日から違う人物が登用された。
この件につき総務部長に厳重抗議、もういちどメンバーの人選をしなおせ、再度記念事業を練り直せ、こうした記念事業に知恵を持つのは老人、その老人の知りえないところで募集するは市民を愚弄している、と、総務部長は時間がもうないと言う、ないような事態にしたのは「はちのへ今昔」ではない、市役所理事者側だ。
老人は怒っている、市役所職員はあさってを見て市民を馬鹿にしている。
2008年10月21日火曜日
翁の八戸よもやま話
四〇数年前の番町付近の地図を見た。私の店「おきな」が其処にあった。忘れ欠けていたことが、つむじ風のように脳裏を駆け巡った。
母は半ば諦めるように云った。「小中野ではもう無理よ」母は旧市内進出を望み私に話しかけた。この言葉が馬場町に「おきな」の店を創ることになる。
母、加藤きち、昭和四十四年十一月二十二日死去、享年六十六。蕎麦屋の営業を続けるには二代にわたった小中野の地をあきらめなければならない時がきていた。母の読みは正しかった。縁があって番町で経営している写真館主の一部を借り八戸支店として蕎麦屋を開業した。その時はまだ小中野の店は料理店として活気を呈し芸者衆の出入りで賑わっていた。小中野の店は妹にゆだね、私は支店で妻と夢中で働いた。
蕎麦屋にとって番町の店は魅力的であった。前は市役所、同じ通りに、警察署、幼稚園、隣は料理屋、医院が二つ。左の四つ角には県税事務所、少し離れて税務署、昼客には困ることはなかった。そして夜は忙しい妹の店に駆けつける。その間、私は趣味の8ミリ映画作りと縁を切り、小中野の店と番町の店を自転車で行き来した。
店の後ろに遠山家があり、その二階の一室を借り、妻と住み込みの従業員(妻の友人)三人の住居とした。苛酷な営業は優先され禁欲の生活は続いた。遠山家は若い御夫婦と小学生のお子がいて、その子とキャッチボールで楽しんだりした。名は影久君。過日、劇的な再会をした。束奥日報社の八戸支社長として赴任してきたのだ。彼が入社して間もなく記者として私を訪れたことがある。当時私は県の麺類環境衛生組合の理事長だったため彼の取材に応じたときだった。蕎麦の価格を値上げした理由の取材だった。お子のときと今も小柄だが南部藩筆頭家老の血を受け継ぎ、今尚、確たる風格を保っている。
番町の店は殆ど昼のみ営業し、夜は本店となった小中野の店への応援を続けた。時は流れ小中野から灯が消え、まるで八戸の孤島のような存在となった。番町の店は連日昼席は満員、苦し紛れに夏は「ざるそば」だけを販売した。
数年が経ち大家が代わった。店子付きで買った新しい大家はわが店を除き、屋根を壊しシートで覆い、それを跨ぐように二階建ての食堂として新築し華々しく開店した。壊れた惨めな裸になったような店を八戸の週刊紙が写真入りで「これでも動かぬ店子」として報じた。著しくプライドが傷つけられた記憶は今でも心の隅に残っている。ところが、この大家の食堂は静かに衰退し、私の気付かぬまま蕎麦屋つきで土地と共に極秘裡に売りに出した。
8ミリ映画の趣味を忘れ欠けたとき、三八五貨物の社長泉山信一氏が訪ねてきた。用件は八戸東京間の貨物自動車を追って一本の映画を作って欲しいと云うことだった。その時の彼の言葉は不思議な程、記憶に残っている。
「その代わりと云っては何だが、近くにバスセンターを建てる、其処に株主として、あんたを入れてあげる」
場所も魅力的だし、今の借家よりは、と考え好きな道でもあるし店を休んでもと思い、撮影を引き受けた。結果的には想像をこえた撮影行脚となった。貨物自動車を追うカメラマンの車はルノーという小型の外車、運転手はたしか荒木田と云う人。眠くなるとウイスキーーをなめるように呑んだ。これが私の居眠り運転防止策ですと彼は云う、社長には内密にと付け加えた
八戸東京間の道路は半分以上は未舗装だった。A車を追って仙台で一泊、B車を追って東京と記憶しているが東京まで四、五日かかったような気がする。なにしろ途中名所旧跡などを撮りながらなのだから……。
東京では、私は皇居と議事堂をバックに半ば強引に貨物自動車を走らせた。映画が完成し試写の際、そのカットが映し出されたとき、泉山社長の嗚咽の声が聴こえた。スクリーンから反射された明かりで社長の顔が見えた。涙で目が光っていた。
母は半ば諦めるように云った。「小中野ではもう無理よ」母は旧市内進出を望み私に話しかけた。この言葉が馬場町に「おきな」の店を創ることになる。
母、加藤きち、昭和四十四年十一月二十二日死去、享年六十六。蕎麦屋の営業を続けるには二代にわたった小中野の地をあきらめなければならない時がきていた。母の読みは正しかった。縁があって番町で経営している写真館主の一部を借り八戸支店として蕎麦屋を開業した。その時はまだ小中野の店は料理店として活気を呈し芸者衆の出入りで賑わっていた。小中野の店は妹にゆだね、私は支店で妻と夢中で働いた。
蕎麦屋にとって番町の店は魅力的であった。前は市役所、同じ通りに、警察署、幼稚園、隣は料理屋、医院が二つ。左の四つ角には県税事務所、少し離れて税務署、昼客には困ることはなかった。そして夜は忙しい妹の店に駆けつける。その間、私は趣味の8ミリ映画作りと縁を切り、小中野の店と番町の店を自転車で行き来した。
店の後ろに遠山家があり、その二階の一室を借り、妻と住み込みの従業員(妻の友人)三人の住居とした。苛酷な営業は優先され禁欲の生活は続いた。遠山家は若い御夫婦と小学生のお子がいて、その子とキャッチボールで楽しんだりした。名は影久君。過日、劇的な再会をした。束奥日報社の八戸支社長として赴任してきたのだ。彼が入社して間もなく記者として私を訪れたことがある。当時私は県の麺類環境衛生組合の理事長だったため彼の取材に応じたときだった。蕎麦の価格を値上げした理由の取材だった。お子のときと今も小柄だが南部藩筆頭家老の血を受け継ぎ、今尚、確たる風格を保っている。
番町の店は殆ど昼のみ営業し、夜は本店となった小中野の店への応援を続けた。時は流れ小中野から灯が消え、まるで八戸の孤島のような存在となった。番町の店は連日昼席は満員、苦し紛れに夏は「ざるそば」だけを販売した。
数年が経ち大家が代わった。店子付きで買った新しい大家はわが店を除き、屋根を壊しシートで覆い、それを跨ぐように二階建ての食堂として新築し華々しく開店した。壊れた惨めな裸になったような店を八戸の週刊紙が写真入りで「これでも動かぬ店子」として報じた。著しくプライドが傷つけられた記憶は今でも心の隅に残っている。ところが、この大家の食堂は静かに衰退し、私の気付かぬまま蕎麦屋つきで土地と共に極秘裡に売りに出した。
8ミリ映画の趣味を忘れ欠けたとき、三八五貨物の社長泉山信一氏が訪ねてきた。用件は八戸東京間の貨物自動車を追って一本の映画を作って欲しいと云うことだった。その時の彼の言葉は不思議な程、記憶に残っている。
「その代わりと云っては何だが、近くにバスセンターを建てる、其処に株主として、あんたを入れてあげる」
場所も魅力的だし、今の借家よりは、と考え好きな道でもあるし店を休んでもと思い、撮影を引き受けた。結果的には想像をこえた撮影行脚となった。貨物自動車を追うカメラマンの車はルノーという小型の外車、運転手はたしか荒木田と云う人。眠くなるとウイスキーーをなめるように呑んだ。これが私の居眠り運転防止策ですと彼は云う、社長には内密にと付け加えた
八戸東京間の道路は半分以上は未舗装だった。A車を追って仙台で一泊、B車を追って東京と記憶しているが東京まで四、五日かかったような気がする。なにしろ途中名所旧跡などを撮りながらなのだから……。
東京では、私は皇居と議事堂をバックに半ば強引に貨物自動車を走らせた。映画が完成し試写の際、そのカットが映し出されたとき、泉山社長の嗚咽の声が聴こえた。スクリーンから反射された明かりで社長の顔が見えた。涙で目が光っていた。
2008年10月20日月曜日
藤川優里市議のよわった困った後援会
選挙で必要なのが七つ道具と三バン、七つ道具とはポスター、選挙宣伝用ハガキ、拡声器のシール、タスキ、腕章のようなもの、三バンは地盤、看板、かばんとも言われるが、藤川さんの場合、準備期間もなく父親落選で、どうにかしなければの土壇場選挙、地盤は父親を支えてくれた地域、かばんに詰める金の準備などもさらさら無く、選挙で本人が立てられる看板は三本、同様に後援会名義で三本。都合六本でオバQより三本多い。
ところが、藤川さんの場合は咄嗟だけに、あらかじめ知名度を上げるための街頭看板すらもない。選挙となれば選挙事務所を登録、これは公職選挙法で届け出が定められている。
後援会などの政治団体を設立した場合には、政治資金規正法の規定により、設立日から7日以内に県選挙管理委員会へ届出することとされている。また、既に設立届出提出した政治団体において、届け出た事項に変更があった場合には7日以内、解散した場合は30日以内に県選挙管理委員会へ届出することとされている。
ところが、藤川さんはこの後援会を県に届けていない。届けていないから後援会が立てられる三本の看板の申請書、許可のシールの交付もされていない。当然、本人が立てられる看板申請もない。
すると、県に届け出なければならない後援会が存在し、その会長が佐々木聡、副会長が山日誠一というのは何処から来るのか。
存在しない藤川優里後援会がどうして解散できるのか、TVに出てあることないこと喋ったそうだ。「はちのへ今昔」はそれを見ていないので何とも分からぬが、過日、アサヒ芸能の記者が佐々木と面談した後来訪。
そこでこの後援会の話となり、アサヒ芸能は県に問い合わせた。筆者も同様に確認すると、後援会の存在がないことが判明。存在しない会を名乗るは不届きで詐称だが、刑法には触れない。その会長も副会長も存在しないが、世間一般をだましたことになる。しかし、これとてもおもしろおかしい話に加担しただけで笑い話。
マスコミにいいように乗せられて、チリか落ち葉のように舞い上がっただけ。ところが、誹謗中傷されて面白くない人もいる。その人物が八戸警察署に相談に出向いたのを彼らは知るまい。
さてさて、事態はどのような展開をするのか、興味津々。
ところが、藤川さんの場合は咄嗟だけに、あらかじめ知名度を上げるための街頭看板すらもない。選挙となれば選挙事務所を登録、これは公職選挙法で届け出が定められている。
後援会などの政治団体を設立した場合には、政治資金規正法の規定により、設立日から7日以内に県選挙管理委員会へ届出することとされている。また、既に設立届出提出した政治団体において、届け出た事項に変更があった場合には7日以内、解散した場合は30日以内に県選挙管理委員会へ届出することとされている。
ところが、藤川さんはこの後援会を県に届けていない。届けていないから後援会が立てられる三本の看板の申請書、許可のシールの交付もされていない。当然、本人が立てられる看板申請もない。
すると、県に届け出なければならない後援会が存在し、その会長が佐々木聡、副会長が山日誠一というのは何処から来るのか。
存在しない藤川優里後援会がどうして解散できるのか、TVに出てあることないこと喋ったそうだ。「はちのへ今昔」はそれを見ていないので何とも分からぬが、過日、アサヒ芸能の記者が佐々木と面談した後来訪。
そこでこの後援会の話となり、アサヒ芸能は県に問い合わせた。筆者も同様に確認すると、後援会の存在がないことが判明。存在しない会を名乗るは不届きで詐称だが、刑法には触れない。その会長も副会長も存在しないが、世間一般をだましたことになる。しかし、これとてもおもしろおかしい話に加担しただけで笑い話。
マスコミにいいように乗せられて、チリか落ち葉のように舞い上がっただけ。ところが、誹謗中傷されて面白くない人もいる。その人物が八戸警察署に相談に出向いたのを彼らは知るまい。
さてさて、事態はどのような展開をするのか、興味津々。
もう返せない2千7億円・八戸市の借金・累積赤字
八戸市の借金は1864億円、これは毎月返済に追われる。借り換えをしながらしのぐ自転車操業。
さらに、公営企業として八戸市の会計から分離し、あたかも別企業とした八戸市民病院の赤字が133億円、同様のバス事業は10億円、総計で2千7億円。
夕張市が倒産、八戸市も昭和31年に倒産した。この時は資金繰りが成り立たなかった。当時のデーリー東北新聞は危機感がなく、記載がほとんど見られないが東奥日報の年鑑記録から、要点を転載。
二九年度の財政は赤字一億五千万円を抱え全く苦難の一ヵ年であった。二五年の赤字3700万円から年々ふえだし、29年三月には赤字が1億4300万円に達した。これは人口15万未満の都市では全国で三番目、東北六県では一番目という有難くない成績となった。このような現状から大蔵省でも財政の建て直しが出来ないうちは起債、融資を全面的にストップすることになり市としては重大な危機に直面した。このため市では建て直し決意の必要に迫られ石橋収入役、田村総務部長、大久保財政課長らが協議した結果、30、31年の両年を超緊縮財政年度にしようときめ12月13日岩岡市長に住宅、水産倉庫建築などの公約を二年延長してもらいたいと申し出で(云々)、原因の主なものは市の単独事業が予算の裏づけがないのに過大支出、各種委員会制度が多く事務量増加で人件費過大、自治体警察の出費が赤字の主な一つ(当時は国警と市警があった)。市警と消防で1億2千万円の過大支出、教育委員会は事務員10名で処理できるのに30名で400万円の過大と累積合計で1億4000万円。
もっとも困ったのは29年の年末支払い、1500万がどうしても足りず首脳部は八方金策に走り、12月23日大蔵省の一時貸出し金千三百万が認められ28日ぎりぎりで職員の年末資金800万を支払った。
冗費節約として職員の県内旅費を三等旅費にし、特殊勤務手当ては全廃、(後略)。
ここで記された特殊手当ては今も支給されていることは「はちのへ今昔」も二回に渡って記載。途中休んでいたのは、その明細を調べるため、情報公開を迫っていたため。それが開示されたのは先週金曜日、その特殊勤務総額3億8千2百万円。
市役所職員の改善の槍玉に挙げられたのがこれ。今から50年も前になる。これが復活したのがいつかは知らぬが、赤字133億円を作った市民病院は、毎年3億4千768万円の特殊勤務手当てを支給し続ける。
八戸市全体の特殊手当ての91%を占める。ここを改善しないかぎり市民病院の収支は改善しない。
八戸市役所財政部はこれらの数字を市民に開示しない。あたかも健全と言い張る。確かに単年度では40億の黒字となっているが、これで2000億円の赤字を消すには50年かかる。
さらに、公営企業として八戸市の会計から分離し、あたかも別企業とした八戸市民病院の赤字が133億円、同様のバス事業は10億円、総計で2千7億円。
夕張市が倒産、八戸市も昭和31年に倒産した。この時は資金繰りが成り立たなかった。当時のデーリー東北新聞は危機感がなく、記載がほとんど見られないが東奥日報の年鑑記録から、要点を転載。
二九年度の財政は赤字一億五千万円を抱え全く苦難の一ヵ年であった。二五年の赤字3700万円から年々ふえだし、29年三月には赤字が1億4300万円に達した。これは人口15万未満の都市では全国で三番目、東北六県では一番目という有難くない成績となった。このような現状から大蔵省でも財政の建て直しが出来ないうちは起債、融資を全面的にストップすることになり市としては重大な危機に直面した。このため市では建て直し決意の必要に迫られ石橋収入役、田村総務部長、大久保財政課長らが協議した結果、30、31年の両年を超緊縮財政年度にしようときめ12月13日岩岡市長に住宅、水産倉庫建築などの公約を二年延長してもらいたいと申し出で(云々)、原因の主なものは市の単独事業が予算の裏づけがないのに過大支出、各種委員会制度が多く事務量増加で人件費過大、自治体警察の出費が赤字の主な一つ(当時は国警と市警があった)。市警と消防で1億2千万円の過大支出、教育委員会は事務員10名で処理できるのに30名で400万円の過大と累積合計で1億4000万円。
もっとも困ったのは29年の年末支払い、1500万がどうしても足りず首脳部は八方金策に走り、12月23日大蔵省の一時貸出し金千三百万が認められ28日ぎりぎりで職員の年末資金800万を支払った。
冗費節約として職員の県内旅費を三等旅費にし、特殊勤務手当ては全廃、(後略)。
ここで記された特殊手当ては今も支給されていることは「はちのへ今昔」も二回に渡って記載。途中休んでいたのは、その明細を調べるため、情報公開を迫っていたため。それが開示されたのは先週金曜日、その特殊勤務総額3億8千2百万円。
市役所職員の改善の槍玉に挙げられたのがこれ。今から50年も前になる。これが復活したのがいつかは知らぬが、赤字133億円を作った市民病院は、毎年3億4千768万円の特殊勤務手当てを支給し続ける。
八戸市全体の特殊手当ての91%を占める。ここを改善しないかぎり市民病院の収支は改善しない。
八戸市役所財政部はこれらの数字を市民に開示しない。あたかも健全と言い張る。確かに単年度では40億の黒字となっているが、これで2000億円の赤字を消すには50年かかる。
2008年10月19日日曜日
八戸の町並みシリーズ18
2008年10月18日土曜日
小林市長の市内漫遊 2
八戸市役所職員の二割が町内会に入らないかいは、これは本庁の数。市民病院や交通部、広域事務組合、消防、水道は数えられていない。
小林市長は市民病院の管理者を降りたが、それ以外は長を兼務。すると、この数も当然入れるべきだが、市役所職員はそんなことはしない。彼らは他団体だからという。他団体でも八戸市から金が出ている。金を貰っているなら、それなりの責任もあろう。
何故、この市役所職員の町内会未加入を問題視するかというと、未加入者が増加、戸建ての加入は多いがアパートが問題。渡り鳥のように暫く居るが、また辞令の紙一枚、あるいは職探しのため飛び立つと、居住者には特有の理由があり、地域との結びつきなどは眼中にない。
町内会も運動会などへの参加を呼びかけ連携を深める努力をしているところもあるが、多くは会費徴収だけが目的、集めた会費が適正に処理されたかの報告書すらなく、ただ、金出せじゃ強盗、追いはぎと何処が違うのか。
運営する側、管理する側の理屈、屁理屈もあるだろうが、徴収される側に会費を払うだけの見返りをしているのか。
タダで動くのは地震と風、町内会役員も動けばそれなりに活動費も必要、が、その徴収した金で、徴収する側に同じ町内に住んで良かったを実感させることができなければ、永遠にこの未加入問題は解決できない。
これは同様なことが市役所にもいえる。八戸市に住んで良かった、働いて良かったを実感させる取り組みを市役所はしているのか? 寡聞(かぶん・見聞の狭いこと)にしてそれを知らない。
変質者のように週に四回から三回は市役所に行く「はちのへ今昔」でも、そうした取り組みをしている課に巡り遇わない。
ただひたすら税を徴収するだけでなく、それを返す仕組みは八十歳になると祝い金を出す。あるいは、70歳になるとバス乗車証を出す。これすら無料ではない。利用者負担が市役所の原理、原則。
日本はこうした銭集めだけを至上主義としてきたのだろうか、けっしてそうではなかろう。
人は生まれてから死ぬまでの間、世間にさらされる。世間とは貴方でしょと言ったのが津軽の大作家太宰治だった。世間は遠い存在ではなく、自分の身を置く周りでしかない。つまり、地域的存在。
生まれると七日目に名づけの祝い、三十日か五十日で宮参り、百日目をももかの祝い、ここを過ぎると生き残れる、昔は医療体制もなく、百日を幽明境とした。一年目が誕生祝、三歳で髪おきの祝い、五歳で袴の祝い、七歳で裃の祝い、女十三歳で腰巻祝い、十五歳で元服の祝い、女三十三歳で厄除け祝い、男四十二歳で初老の祝い、六十歳で還暦の祝い、七十は古稀の祝い、七十七、八十、八十八、九十九、百と続く。
これらは地域が祝った。何、金を出さずとも共に喜べばいい。町内会は率先してこれを実践する、これら通過儀礼の他にも町内会がしなければならないのは、新しく住民となったところへでかけて、住民祝いをする。新規に縁があって越してきていただき誠に喜ばしい、ついては、町内会でのゴミの出す日にちはこれこれで、分別、識別、鑑別はお宝探偵団でと、チラシを置きながら、困ったときには町内会長に相談してくれと、ここまでを説明解説し、めでためでたの高松様よじゃないが、えんぶり口上のひとつも鳴り物入りで奏でりゃ、これは妙な土地に来たと、新参の者は驚嘆して生涯忘れない。
これは当然、市役所にも言える。筆者が東京から住民票を異動したのが五年前、このとき広報が配られてこなかった。苦情を言ったら配達された。
住民課は転入者になにやらチラシをよこしたが、広報のことは説明しなかった。このとき、広報調整課に行き、住民課と連動し、転入者宅へ広報を配達する仕組みに改めよと建言。
プライバシー保護で住民課は広報調整課には知らせないと言う。役所の中でプライバシー保護もなかろうと言ったが、ダメの一点張り。転入者は税金を取れる新規客、それを冷遇するはまずい。市長が出てきて礼を言えとは言わぬが、担当課の工夫は大事。
つまり、市役所が新生児の受付をする、そのときにおめでとうございます、丈夫に育ちますようにと命名された子どもの名を祝う色紙をくれる、市長が○○さん、八戸市民として丈夫に育つよう祈ってます、との手紙を出し、親を喜ばせる、祖父母を感激させるを仕事と考えることだ。
通過儀礼は幾つもある、新入学ともなれば、二年生は新入生に手紙を書く、それも近所の子が書く、その子の顔を知らずとも、二年生には親しみを感ずる。こうした地域のつながりを一つひとつ着実にせず、ただ、税金を払え、町内会費を納めろで誰がうなずく。
する側八戸がされる側になって考えなおすと幾つもの手段方法が見えるもの。
小林市長は市民病院の管理者を降りたが、それ以外は長を兼務。すると、この数も当然入れるべきだが、市役所職員はそんなことはしない。彼らは他団体だからという。他団体でも八戸市から金が出ている。金を貰っているなら、それなりの責任もあろう。
何故、この市役所職員の町内会未加入を問題視するかというと、未加入者が増加、戸建ての加入は多いがアパートが問題。渡り鳥のように暫く居るが、また辞令の紙一枚、あるいは職探しのため飛び立つと、居住者には特有の理由があり、地域との結びつきなどは眼中にない。
町内会も運動会などへの参加を呼びかけ連携を深める努力をしているところもあるが、多くは会費徴収だけが目的、集めた会費が適正に処理されたかの報告書すらなく、ただ、金出せじゃ強盗、追いはぎと何処が違うのか。
運営する側、管理する側の理屈、屁理屈もあるだろうが、徴収される側に会費を払うだけの見返りをしているのか。
タダで動くのは地震と風、町内会役員も動けばそれなりに活動費も必要、が、その徴収した金で、徴収する側に同じ町内に住んで良かったを実感させることができなければ、永遠にこの未加入問題は解決できない。
これは同様なことが市役所にもいえる。八戸市に住んで良かった、働いて良かったを実感させる取り組みを市役所はしているのか? 寡聞(かぶん・見聞の狭いこと)にしてそれを知らない。
変質者のように週に四回から三回は市役所に行く「はちのへ今昔」でも、そうした取り組みをしている課に巡り遇わない。
ただひたすら税を徴収するだけでなく、それを返す仕組みは八十歳になると祝い金を出す。あるいは、70歳になるとバス乗車証を出す。これすら無料ではない。利用者負担が市役所の原理、原則。
日本はこうした銭集めだけを至上主義としてきたのだろうか、けっしてそうではなかろう。
人は生まれてから死ぬまでの間、世間にさらされる。世間とは貴方でしょと言ったのが津軽の大作家太宰治だった。世間は遠い存在ではなく、自分の身を置く周りでしかない。つまり、地域的存在。
生まれると七日目に名づけの祝い、三十日か五十日で宮参り、百日目をももかの祝い、ここを過ぎると生き残れる、昔は医療体制もなく、百日を幽明境とした。一年目が誕生祝、三歳で髪おきの祝い、五歳で袴の祝い、七歳で裃の祝い、女十三歳で腰巻祝い、十五歳で元服の祝い、女三十三歳で厄除け祝い、男四十二歳で初老の祝い、六十歳で還暦の祝い、七十は古稀の祝い、七十七、八十、八十八、九十九、百と続く。
これらは地域が祝った。何、金を出さずとも共に喜べばいい。町内会は率先してこれを実践する、これら通過儀礼の他にも町内会がしなければならないのは、新しく住民となったところへでかけて、住民祝いをする。新規に縁があって越してきていただき誠に喜ばしい、ついては、町内会でのゴミの出す日にちはこれこれで、分別、識別、鑑別はお宝探偵団でと、チラシを置きながら、困ったときには町内会長に相談してくれと、ここまでを説明解説し、めでためでたの高松様よじゃないが、えんぶり口上のひとつも鳴り物入りで奏でりゃ、これは妙な土地に来たと、新参の者は驚嘆して生涯忘れない。
これは当然、市役所にも言える。筆者が東京から住民票を異動したのが五年前、このとき広報が配られてこなかった。苦情を言ったら配達された。
住民課は転入者になにやらチラシをよこしたが、広報のことは説明しなかった。このとき、広報調整課に行き、住民課と連動し、転入者宅へ広報を配達する仕組みに改めよと建言。
プライバシー保護で住民課は広報調整課には知らせないと言う。役所の中でプライバシー保護もなかろうと言ったが、ダメの一点張り。転入者は税金を取れる新規客、それを冷遇するはまずい。市長が出てきて礼を言えとは言わぬが、担当課の工夫は大事。
つまり、市役所が新生児の受付をする、そのときにおめでとうございます、丈夫に育ちますようにと命名された子どもの名を祝う色紙をくれる、市長が○○さん、八戸市民として丈夫に育つよう祈ってます、との手紙を出し、親を喜ばせる、祖父母を感激させるを仕事と考えることだ。
通過儀礼は幾つもある、新入学ともなれば、二年生は新入生に手紙を書く、それも近所の子が書く、その子の顔を知らずとも、二年生には親しみを感ずる。こうした地域のつながりを一つひとつ着実にせず、ただ、税金を払え、町内会費を納めろで誰がうなずく。
する側八戸がされる側になって考えなおすと幾つもの手段方法が見えるもの。
2008年10月17日金曜日
小林市長の市内漫遊
水戸黄門が諸国漫遊した話を日本人は大好き。芝居、講談、落語にも登場、TVでは東野栄治郎が14年好演し、悪役、頑固役を払拭し、黄門は東野にとられた。
黄門てのは中納言の唐名、他にも沢山中納言はいたが、黄門は水戸光圀にとられた。祖師は日蓮にとられ、大師は弘法にとられ、奉行は大岡にとられ、庶民は市役所に税金をとられる。
小林市長は八戸を離れ東京で役人、それが前回の市長選で、八戸高校の学友、故工藤市議の引きで当選、八戸のファーストレディーにかあちゃんがなった。将棋の歩が成金になったようなもの。夫婦で八戸を知ろうと行脚を重ねる。この夫人の明るく癖のない態度を好感する声が多く聞こえる。
八戸を長く離れ実情を知ろうと初年度は22の公民館を中心に実情の見聞、二年目は同所を重ね見分、三年目の選挙の年は検分と、行政が地域とどう連携できるかを探る作戦。
日本が戦争に負け、海外から軍人、軍属350万人が帰国、食糧不足で八戸では木造漁船を二つに切り、間に材木を入れこみ、再度接合し船を巨大化して漁獲高向上作戦。勿論、違法だが国がこれを認めた。
国家は国民の餓死を防ぐためなら法をも枉(ま)げる。多くの医師が従軍し戦死、医師不足を補うため衛生兵に一定の教育をし、医師免許を与えた。歯科医も同様、技工士に免許。
国も国民もなりふりかまわず必死に生きた。そして、もはや戦後ではないといわれる活況をみた。ここから役人が汚くなった。国民を守るから、国民を餌にした。天下りという食いすぎの腹下りにも似たズルい手段方法で国民の税金を我が物とした。
近代国家は聞いてあきれる。法治国家は役人がうまく立ち回るために法を作り、自分たちの利権を守る。昔ヤクザは無宿人が食えないために、通り者(名が通っている人)のところで食う。地域を縄張りとして、そこからカスリを取る。役人は法をつくり堂々とやる。政治家も時代を超えた通り者、ここで食えない、あるいは自分も政界で身を立てたいと秘書をやり、企業から献金を取り縄張りとする。何のことない、日本は江戸の頃とそんなに変っていない。
カスリはカスミともいう。仙人はかすみを食うというが、仙人が食うのはこのカスミ、かすみは縄張りのことだ。
さて、小林市長の漫遊は22中学校区に一つ設置された公民館の巡回、協同の町つくりの美名が冠だ。協同の町つくりは市民の力を活かし町の活性化が主眼。
ところが町内会への入会者が減っている。地域との結びつきが弱くなっている。昨16日は柏崎公民館で18時半から漫遊が開催され、六十名近くが集まったが、半数は公民館、町内会から動員された人々。
そこで市民から爆弾発言「市役所の職員で町内会に入っていない人がいる」「それについて調査しました、八割しか入っていないので、積極的に加入するように社長の私も折に触れて言います」と小林市長。
協同の町つくりにそっぽを向いているのが市役所職員では、カラ念仏。こうしたもんだ。市長が誰だろうが職員は気にすることじゃない。市長も伊調姉妹にも会わなければならない、議会で答弁しなければならない、水道企業団、広域事務組合の議会にも出ると公務がこうまで忙しいとは思わなかったが本音だろう。
それに新規事業の港と中心商店街への箱物と、頭の中はグルグル廻るメリーゴランド。終いにパンクだ。職員を味方だと思うな、彼らの中には折りあらば一泡食わせようと虎視眈々、赤い眼をした奴ばらも、確かに居るのを見る。
八戸を深堀する、これは戦後の農林省が米の収穫高を上げるために鍬を大きくし、深く土を掘り起こすことを奨励し、根が深くはり、収量を五割増しとした。
小林市長はこの深堀を知らないだろうが、今していることは公民館を中心としての人の深堀。これが功を奏して再選があるのか。右腕、工藤市議を失った今、小林市長の正念場が選挙までの残り一年。
黄門てのは中納言の唐名、他にも沢山中納言はいたが、黄門は水戸光圀にとられた。祖師は日蓮にとられ、大師は弘法にとられ、奉行は大岡にとられ、庶民は市役所に税金をとられる。
小林市長は八戸を離れ東京で役人、それが前回の市長選で、八戸高校の学友、故工藤市議の引きで当選、八戸のファーストレディーにかあちゃんがなった。将棋の歩が成金になったようなもの。夫婦で八戸を知ろうと行脚を重ねる。この夫人の明るく癖のない態度を好感する声が多く聞こえる。
八戸を長く離れ実情を知ろうと初年度は22の公民館を中心に実情の見聞、二年目は同所を重ね見分、三年目の選挙の年は検分と、行政が地域とどう連携できるかを探る作戦。
日本が戦争に負け、海外から軍人、軍属350万人が帰国、食糧不足で八戸では木造漁船を二つに切り、間に材木を入れこみ、再度接合し船を巨大化して漁獲高向上作戦。勿論、違法だが国がこれを認めた。
国家は国民の餓死を防ぐためなら法をも枉(ま)げる。多くの医師が従軍し戦死、医師不足を補うため衛生兵に一定の教育をし、医師免許を与えた。歯科医も同様、技工士に免許。
国も国民もなりふりかまわず必死に生きた。そして、もはや戦後ではないといわれる活況をみた。ここから役人が汚くなった。国民を守るから、国民を餌にした。天下りという食いすぎの腹下りにも似たズルい手段方法で国民の税金を我が物とした。
近代国家は聞いてあきれる。法治国家は役人がうまく立ち回るために法を作り、自分たちの利権を守る。昔ヤクザは無宿人が食えないために、通り者(名が通っている人)のところで食う。地域を縄張りとして、そこからカスリを取る。役人は法をつくり堂々とやる。政治家も時代を超えた通り者、ここで食えない、あるいは自分も政界で身を立てたいと秘書をやり、企業から献金を取り縄張りとする。何のことない、日本は江戸の頃とそんなに変っていない。
カスリはカスミともいう。仙人はかすみを食うというが、仙人が食うのはこのカスミ、かすみは縄張りのことだ。
さて、小林市長の漫遊は22中学校区に一つ設置された公民館の巡回、協同の町つくりの美名が冠だ。協同の町つくりは市民の力を活かし町の活性化が主眼。
ところが町内会への入会者が減っている。地域との結びつきが弱くなっている。昨16日は柏崎公民館で18時半から漫遊が開催され、六十名近くが集まったが、半数は公民館、町内会から動員された人々。
そこで市民から爆弾発言「市役所の職員で町内会に入っていない人がいる」「それについて調査しました、八割しか入っていないので、積極的に加入するように社長の私も折に触れて言います」と小林市長。
協同の町つくりにそっぽを向いているのが市役所職員では、カラ念仏。こうしたもんだ。市長が誰だろうが職員は気にすることじゃない。市長も伊調姉妹にも会わなければならない、議会で答弁しなければならない、水道企業団、広域事務組合の議会にも出ると公務がこうまで忙しいとは思わなかったが本音だろう。
それに新規事業の港と中心商店街への箱物と、頭の中はグルグル廻るメリーゴランド。終いにパンクだ。職員を味方だと思うな、彼らの中には折りあらば一泡食わせようと虎視眈々、赤い眼をした奴ばらも、確かに居るのを見る。
八戸を深堀する、これは戦後の農林省が米の収穫高を上げるために鍬を大きくし、深く土を掘り起こすことを奨励し、根が深くはり、収量を五割増しとした。
小林市長はこの深堀を知らないだろうが、今していることは公民館を中心としての人の深堀。これが功を奏して再選があるのか。右腕、工藤市議を失った今、小林市長の正念場が選挙までの残り一年。
2008年10月16日木曜日
八戸市役所中央(立体)・別館前駐車場の収支
都市政策課で資料を入手。
①時間貸し 3233万
②定期駐車 1466万
③共通駐車権券 182万
合計 4881万
公用車 837万
総務課扱い 4961万
これは役所が役所に払うタコ配当のようなもの、が、財布が別の特別会計だけに、これも妙だが正当。総務課扱いは一時間無料の来朝者用のサービスを市役所がかぶっていると説明。
総計で1億679万円が駐車場収入になっている。特別会計をやめないのは、今回7月の地震で老朽化した駐車場の修理も、一般会計にすれば出し難くなると説明。そういう理由もないわけではないが、必要なものに税金投入は至当。担当課の言い分はそう簡単には呑めない呑めない。
役所が役所に払うタコ配当を除いても、三八五に指定管理を願っても①②③でも千五百万ほど余りあり。指定管理制度が奏功(そうこう・うまくいった)。槍玉に挙げた八戸駅の東西駐車場の管理にユートリーは今回の入れ替えには手を上げなかったそうだ。
都市政策課の言い分は八戸駅前の駐車場は30分無料、駅前の不法駐車根絶が目的で市民に利便を計っている。駐車料金収入は減少傾向にあるが、それだけ市民が有効活用している証拠だと担当課は言う。すると30分利用者の数を示せと言いたくなるのが「はちのへ今昔」の長所で欠点。
今回は都市政策課にマケたことにして、これ以上駐車場問題は追求しない。この課に風穴氏が居る。この人と喋っていると、いつの間にか誤魔化される。悪意があるのじゃない、淡々と説明するんだが、実に人の心に訴えるものがある。人間の持ち味なのだろう。庶民のなかにこうした喋りをする人がいて、その強い南部弁の持つ優しさが半分伝わる。半分は訛りがひどくて判らない。が、一生懸命に伝えたいという心が伝わる。
東京生まれの筆者が風に追われた落ち葉のように、八戸の町に転がりこんで、行政とは何かに興味を持ち4年目に入り込んだ。
八戸市役所は決して悪事は働いていない、が、手段方法に幾つも間違いがある。たとえれば市役所互助会の三社大祭の山車に税金を投入、八戸公民館と言うあるけどない存在、金が不足すれば防衛庁まで騙す教育委員会、市長交際費を使い込んだ形で決着させたが、真実は何?青物市場の業者癒着で使用料減額等々。
前任者がしたことを踏襲する姿勢を変えない限り根源的問題は解決しない。決算書を毎日眺めている。その中で駐車場の問題に気づいた。三八五の一連の指定管理もあり、これを調べた。決算書だけでは判らぬ収入の細目を風穴リーダーに貰い納得。前回の数字といくらか違うがご寛容のほど。決算書の数字に風穴開けてやろうと、仔細に見ても、数字自体の間違いはなさそうだ。ここは財政が胸を張る。が、その使い方は各課が決める。ともかく随意契約に問題あり。八戸駅、JRがらみに風穴氏に解決して貰わなければならぬ物あり。徐々に改善の言葉を信ずる。市役所にも貴重な人間味溢れる人物あり。
①時間貸し 3233万
②定期駐車 1466万
③共通駐車権券 182万
合計 4881万
公用車 837万
総務課扱い 4961万
これは役所が役所に払うタコ配当のようなもの、が、財布が別の特別会計だけに、これも妙だが正当。総務課扱いは一時間無料の来朝者用のサービスを市役所がかぶっていると説明。
総計で1億679万円が駐車場収入になっている。特別会計をやめないのは、今回7月の地震で老朽化した駐車場の修理も、一般会計にすれば出し難くなると説明。そういう理由もないわけではないが、必要なものに税金投入は至当。担当課の言い分はそう簡単には呑めない呑めない。
役所が役所に払うタコ配当を除いても、三八五に指定管理を願っても①②③でも千五百万ほど余りあり。指定管理制度が奏功(そうこう・うまくいった)。槍玉に挙げた八戸駅の東西駐車場の管理にユートリーは今回の入れ替えには手を上げなかったそうだ。
都市政策課の言い分は八戸駅前の駐車場は30分無料、駅前の不法駐車根絶が目的で市民に利便を計っている。駐車料金収入は減少傾向にあるが、それだけ市民が有効活用している証拠だと担当課は言う。すると30分利用者の数を示せと言いたくなるのが「はちのへ今昔」の長所で欠点。
今回は都市政策課にマケたことにして、これ以上駐車場問題は追求しない。この課に風穴氏が居る。この人と喋っていると、いつの間にか誤魔化される。悪意があるのじゃない、淡々と説明するんだが、実に人の心に訴えるものがある。人間の持ち味なのだろう。庶民のなかにこうした喋りをする人がいて、その強い南部弁の持つ優しさが半分伝わる。半分は訛りがひどくて判らない。が、一生懸命に伝えたいという心が伝わる。
東京生まれの筆者が風に追われた落ち葉のように、八戸の町に転がりこんで、行政とは何かに興味を持ち4年目に入り込んだ。
八戸市役所は決して悪事は働いていない、が、手段方法に幾つも間違いがある。たとえれば市役所互助会の三社大祭の山車に税金を投入、八戸公民館と言うあるけどない存在、金が不足すれば防衛庁まで騙す教育委員会、市長交際費を使い込んだ形で決着させたが、真実は何?青物市場の業者癒着で使用料減額等々。
前任者がしたことを踏襲する姿勢を変えない限り根源的問題は解決しない。決算書を毎日眺めている。その中で駐車場の問題に気づいた。三八五の一連の指定管理もあり、これを調べた。決算書だけでは判らぬ収入の細目を風穴リーダーに貰い納得。前回の数字といくらか違うがご寛容のほど。決算書の数字に風穴開けてやろうと、仔細に見ても、数字自体の間違いはなさそうだ。ここは財政が胸を張る。が、その使い方は各課が決める。ともかく随意契約に問題あり。八戸駅、JRがらみに風穴氏に解決して貰わなければならぬ物あり。徐々に改善の言葉を信ずる。市役所にも貴重な人間味溢れる人物あり。
2008年10月15日水曜日
三八五が管理したこどもの国の結果
平成18年度からこどもの国の管理を三八五が受けた。これについても市議からは不平不満たらたら。何で三八五がやらなければならない、あんな巨額な指定管理料なら、三八五は儲かるばかり。
屁理屈は難とでも言える。理屈と口紅は後からつけるだ。今年は、その三八五の指定管理の入れ替えをする歳。説明会に来たのは三八五と二社、申請手続きをしたのは三八五だけ。
巷間ではそんな指定管理があるの? いい話だ、検討したいと口では良さそうなことを言うが、説明会には行かない、申請書も出さないでは買わない宝くじの当選だけをうらやむようなもの。
当てたい、大金を手にしたいなら、せめてくじは買え。市議会議員に頭がないから、景気後退の昨今、ともかく倒産しないように時をしのぐために、大して儲からないかもしれないが、確実に金の入る指定管理を支持者の企業に説いて廻ることだ。それもせず、八戸市は終いには三八五市になってしまうなどの寝言は寝てから言え。
本当に八戸市を改革、改変するなら、景気後退の根源を探ることだ。アメリカは日本がバブルの処理が悪い、ただ見過ごした、我々は日本を反面教師として、迅速に経済悪化に手を打つと豪語。ところが株価急落、これはアメリカが何でも証券化に適切な手立てを講じなかった咎め。
株価急落は人間の弱さが出た。これは避けられない。しかし、どんなに景気が悪くても八戸市の税収は変らない。つまり役人は庶民を食い物にしている。どんなに、その課税が苛税(かぜい・いじめる税金)であっても下げることはしない。人間は近視的に物を見る。損をするのが恐怖、そのため一方通行の動きをするから株価は下げに下げる。それにはどんなに不景気でも税収はあるから国の金を投入すると決断すると止まる。それを日本はしたがアメリカ大統領は理解できなかった。大体、英語が満足に喋れないのが大統領をしている。言語障害なのだ。
さて、三八五をうらやむ前に、若者が就労できる手立て、つまりシルバー人材センターの若者版をつくり、これで指定管理を受ける仕組みが必要。それには国が定年退職者の受け皿のシルバー人材センターを廃止して、そっくりそれを若者用にすればいいが、天下りしている連中が放さない。
八戸市民版で若者連合のようなものをつくり、それに若者を登録させ、指定管理を受けさせる。その中心に若手市議を置く。このような抜本的な改革をしない限り、若者に夢がない。子どもが生まれない状態は、長い日本の歴史のなかでも悪政下では必ずそうなっている。第二次世界大戦で日本は特攻隊で多くの若者を失った。それの補給策として生めよ、増やせよと政策をかかげた。ところが実際に人口が急増したのは戦後、空襲がなくなって、戦争が終わったとホッとした頃から、団塊の世代が生まれた。
若者に夢のない時代は不毛(土地がやせていて穀物その他の作物ができないこと)だ。若者の未来を開拓するべく人々は努力する。ところが我のみ考えた結果、若者の就労が止まった。高校を卒業しても就職ができない。青森県は特にひどい。それを八戸市議たちは何の手立ても講じず見過ごした。
藤川優里騒動も落着、若手の市議を中心として、シルバー人材センターならぬグリーン人材で若者の雇用をはかるべきだ。
官営の時と三八五に代ってこどもの国の利用はどうなったか。利用者数と売り上げを記す。
平成16年 49万人・5300万円
17年 51万人・5100万円
ここから三八五
18年 48万人・5100万円
19年 53万人・5700万円
三八五に渡るのは指定管理料年間9300万円、それに前記の売り上げの5700万円。合計1億5千万円。これを若者に分配するべきだ。八戸市は遊具も新設してくれる。6千万円の大型遊具が昨年は設置された。若者の感覚でこどもの国が楽しく、家族連れでたのしめる場に改変できないのだろうか。その中心で藤川優里、三浦博司等の若手市議が活躍できないものか。世の中は若者のためにこそある。老人はそれの具現化に踏み台の役をする。
屁理屈は難とでも言える。理屈と口紅は後からつけるだ。今年は、その三八五の指定管理の入れ替えをする歳。説明会に来たのは三八五と二社、申請手続きをしたのは三八五だけ。
巷間ではそんな指定管理があるの? いい話だ、検討したいと口では良さそうなことを言うが、説明会には行かない、申請書も出さないでは買わない宝くじの当選だけをうらやむようなもの。
当てたい、大金を手にしたいなら、せめてくじは買え。市議会議員に頭がないから、景気後退の昨今、ともかく倒産しないように時をしのぐために、大して儲からないかもしれないが、確実に金の入る指定管理を支持者の企業に説いて廻ることだ。それもせず、八戸市は終いには三八五市になってしまうなどの寝言は寝てから言え。
本当に八戸市を改革、改変するなら、景気後退の根源を探ることだ。アメリカは日本がバブルの処理が悪い、ただ見過ごした、我々は日本を反面教師として、迅速に経済悪化に手を打つと豪語。ところが株価急落、これはアメリカが何でも証券化に適切な手立てを講じなかった咎め。
株価急落は人間の弱さが出た。これは避けられない。しかし、どんなに景気が悪くても八戸市の税収は変らない。つまり役人は庶民を食い物にしている。どんなに、その課税が苛税(かぜい・いじめる税金)であっても下げることはしない。人間は近視的に物を見る。損をするのが恐怖、そのため一方通行の動きをするから株価は下げに下げる。それにはどんなに不景気でも税収はあるから国の金を投入すると決断すると止まる。それを日本はしたがアメリカ大統領は理解できなかった。大体、英語が満足に喋れないのが大統領をしている。言語障害なのだ。
さて、三八五をうらやむ前に、若者が就労できる手立て、つまりシルバー人材センターの若者版をつくり、これで指定管理を受ける仕組みが必要。それには国が定年退職者の受け皿のシルバー人材センターを廃止して、そっくりそれを若者用にすればいいが、天下りしている連中が放さない。
八戸市民版で若者連合のようなものをつくり、それに若者を登録させ、指定管理を受けさせる。その中心に若手市議を置く。このような抜本的な改革をしない限り、若者に夢がない。子どもが生まれない状態は、長い日本の歴史のなかでも悪政下では必ずそうなっている。第二次世界大戦で日本は特攻隊で多くの若者を失った。それの補給策として生めよ、増やせよと政策をかかげた。ところが実際に人口が急増したのは戦後、空襲がなくなって、戦争が終わったとホッとした頃から、団塊の世代が生まれた。
若者に夢のない時代は不毛(土地がやせていて穀物その他の作物ができないこと)だ。若者の未来を開拓するべく人々は努力する。ところが我のみ考えた結果、若者の就労が止まった。高校を卒業しても就職ができない。青森県は特にひどい。それを八戸市議たちは何の手立ても講じず見過ごした。
藤川優里騒動も落着、若手の市議を中心として、シルバー人材センターならぬグリーン人材で若者の雇用をはかるべきだ。
官営の時と三八五に代ってこどもの国の利用はどうなったか。利用者数と売り上げを記す。
平成16年 49万人・5300万円
17年 51万人・5100万円
ここから三八五
18年 48万人・5100万円
19年 53万人・5700万円
三八五に渡るのは指定管理料年間9300万円、それに前記の売り上げの5700万円。合計1億5千万円。これを若者に分配するべきだ。八戸市は遊具も新設してくれる。6千万円の大型遊具が昨年は設置された。若者の感覚でこどもの国が楽しく、家族連れでたのしめる場に改変できないのだろうか。その中心で藤川優里、三浦博司等の若手市議が活躍できないものか。世の中は若者のためにこそある。老人はそれの具現化に踏み台の役をする。
2008年10月14日火曜日
三八五交通の市役所駐車場管理とユートリーの問題
八戸市役所に立体駐車所と平面駐車場の二ヶ所。立体駐車場の借金も終わり、これは特別会計を必要としない。特別会計は巨額な借金をするため、一般会計と区別して別な財布を持つ。
その借金が終われば財布も必要としない。この会計は現在は黒字で、それゆえに市民の眼の届かないところで八戸駅のユートリーへの便宜供与がなされている。これは癒着。
その理由は駐車場の総収入は1億2千万円、経費は三八五交通が管理する立体、別館前駐車場の3千3百万、これの駐車料金は1億6百万、差し引き7千3百万の利益。
これに対してユートリーに随意契約で出した管理料は千7百万円、収入は千七百万円で利益ゼロ。挙句、全自動清算機借り上げ料と備品購入費で280万の出費で損が立つ。
すると、このユートリーに出す委託料は下げる必要あり。ユートリーに出すゆとりはない。この管理は臨海鉄道会社に出し、駅前清掃料をタダにしろ。544万が浮く。ユートリーから随意契約を変えるだけでこれだけ節約になる。この駅前清掃も臨海鉄道救済策、この連中が清掃をしている姿を見たことが無い。もっと業務に忠実にいそしめ。これをタダにするか、ユートリーの業務委託料を下げるべきだ。
中里が無理やり建てた箱物を維持するために、市民の血税をつぎ込む必要がどこにある。委託するならするの理由と理屈が必要。
さて、稼ぎのいい立体駐車場と市役所別館前の駐車場だが、別館前の駐車場管理小屋にテレビのアンテナが見えるのを諸君はご存知か。三八五交通がここを管理、こんな狭い小屋でTVを見ている暇があれば外へ出て駐車場の整理をしろ。
それをせずに車が出るために列を連ねるのを眺めるだけ。出る車が混雑するから入る車も列。ところが、こんなことも我関せずで小屋の中で腕組み。
これに噛み付いた。
● 見えないのか、車が並んでいるぞ、
○こんなのは並んでいるうちに入らない
●並んでいるんだから、小屋から出て整理券を機械に入れて早く駐車場から出るようにしろ
○お前に言われなくとも臨機応変にやっている、文句を言うような奴は駐車場を利用させない
そこで三八五交通に言って苦情。利用させないと言ったが駐車場は三八五の物ではない。どういう指導をしているのかと糾すと、自衛隊上がりの職員だそうだ。更上閣も三八五交通が管理、ここへ、その男は廻された模様。その後、駐車場が混雑すると職員が外に出るようになった。
三八五の指定管理、大丈夫なのか?
その借金が終われば財布も必要としない。この会計は現在は黒字で、それゆえに市民の眼の届かないところで八戸駅のユートリーへの便宜供与がなされている。これは癒着。
その理由は駐車場の総収入は1億2千万円、経費は三八五交通が管理する立体、別館前駐車場の3千3百万、これの駐車料金は1億6百万、差し引き7千3百万の利益。
これに対してユートリーに随意契約で出した管理料は千7百万円、収入は千七百万円で利益ゼロ。挙句、全自動清算機借り上げ料と備品購入費で280万の出費で損が立つ。
すると、このユートリーに出す委託料は下げる必要あり。ユートリーに出すゆとりはない。この管理は臨海鉄道会社に出し、駅前清掃料をタダにしろ。544万が浮く。ユートリーから随意契約を変えるだけでこれだけ節約になる。この駅前清掃も臨海鉄道救済策、この連中が清掃をしている姿を見たことが無い。もっと業務に忠実にいそしめ。これをタダにするか、ユートリーの業務委託料を下げるべきだ。
中里が無理やり建てた箱物を維持するために、市民の血税をつぎ込む必要がどこにある。委託するならするの理由と理屈が必要。
さて、稼ぎのいい立体駐車場と市役所別館前の駐車場だが、別館前の駐車場管理小屋にテレビのアンテナが見えるのを諸君はご存知か。三八五交通がここを管理、こんな狭い小屋でTVを見ている暇があれば外へ出て駐車場の整理をしろ。
それをせずに車が出るために列を連ねるのを眺めるだけ。出る車が混雑するから入る車も列。ところが、こんなことも我関せずで小屋の中で腕組み。
これに噛み付いた。
● 見えないのか、車が並んでいるぞ、
○こんなのは並んでいるうちに入らない
●並んでいるんだから、小屋から出て整理券を機械に入れて早く駐車場から出るようにしろ
○お前に言われなくとも臨機応変にやっている、文句を言うような奴は駐車場を利用させない
そこで三八五交通に言って苦情。利用させないと言ったが駐車場は三八五の物ではない。どういう指導をしているのかと糾すと、自衛隊上がりの職員だそうだ。更上閣も三八五交通が管理、ここへ、その男は廻された模様。その後、駐車場が混雑すると職員が外に出るようになった。
三八五の指定管理、大丈夫なのか?
時効せまる・若花菜さん殺し 5
◆犯行現場
殺害場所の寝室以外で、血痕があったのは玄関付近の廊下一か 所だけ。玄関のガラスの割れる音は午後六時十二分から二十分の間に、隣人ら十六人が聞いている。そのうち一人は外に出て確認したが、人影をみなかったほか、若花菜さんのひざの切り傷はガラスによる可能性が高く、捜査本部は若花菜さんが逃げようとして割ったとの見方を強めている。これらの状況から、両手を縛られた若花菜さんが、もう一歩で外に逃げる直前に犯人に取り押さえられ、玄関付近で胸を刺された後、寝室まで連れ戻された可能性が有力となっている。
犯人の侵入、逃走経路は玄関か無施錠だった居間の掃き出し窓のいずれかだが、人通りの多い玄関は考えにくく、捜査本部も掃きだし窓との見方を強めている。
◆鑑識資料
現場家屋周辺から複数の種類の足跡と、室内から華族と異なる数個の指紋を採取。関係者との照合作業を続けているが、現段階では合致せず解明しなければならない指紋、足跡が残されている。捜査本部では若花菜さん宅に出入りしたことのある関係者の協力で、一つ一つ消去しているが、「解明できない指紋、足跡は犯人の可能性が高い」とみている。また、現場で採取した毛髪や繊維品の鑑定を急いでいる。
一方、犯人の遺留品とみられるたばこの吸いがらから、若花菜さんと異なる血液型を特定したが、灰皿代わりに使った缶コーヒーの空き缶からは指紋が検出されず、捜査本部は犯人が手袋をはめていたか、ふき取ったとの見方を強めている。
長期化の見通し
山田県警刑事部長が会見
八戸署で二十六日会見した山田寿夫県警刑事部長は、若花菜さん刺殺事件について、「事件から一ヵ月を迎えたが、今事件は筋が読みにくい難事件」と改めて捜査は長期化する見通しであることをほのめかした。
山田刑事部長は会見で事件の概要を説明し、捜査体制や不審者の洗い出し、聞き込み、遺留品の捜索など、これまでの捜査状況を報告。その中で「侵入、逃走経路は断言できないが、無施錠の居間の掃き出し窓からは血の痕跡は全く発見されなかった。犯人は返り血を浴びていない可能性もある」などと話した。また、缶コーヒーやたばこの吸いがらなどの遺留品については言明を避けた。
一方、今後の捜査方針については、「いたずら目的、怨恨かまだ動機が絞りきれない状況。これまで通り、現場周辺の聞き込みを中心に基本捜査を続けていくしかない」とした上で、「一般からの情報が少なくなってきている。一日も早く解決して若花菜さんの霊を慰めるべく我々も全力を挙げているのでご協力をお願いする」と犯人逮捕へ向けた決意を新たにするとともに、一般への一層の情報提供を求めた。・は八戸署0178・43・4141、捜査本部直通は0178・41・1551
「はちのへ今昔」推理
重要なのは共犯がいた可能性がある。警察の発表では単独犯であるように見えるが、存外二人組ではなかろうか。
今一度犯行の日時の時系列を見てみよう。
7時25分・若花菜さん、家を出て登校
7時30分・二男登校、母親も施錠し乗用車で出勤
14時25分・若花菜さん授業終了し清掃
15時30分・陸上競技部活、河原を走る
17時40~45分・友達三人で下校、「今日は早く帰らなくては」とよく立ち寄る食料品店に寄らず
17時53分・本八戸駅前で友達と別れ一人で自宅へ
17時58分・若花菜さん宅の明かりがついていないのを通行人が確認
18時頃若花菜さん帰宅
18時15分~20分・近所の複数の人が若花菜さん宅玄関のガラスが割れる音を聞く
18時23分ごろ・母親が帰宅、惨劇を発見
18時25分・助けを求められた近所の人が110番通報
18時27分・119番受理18時38分・救急隊員が死亡確認
二本のたばこ
たばこの一本目
集金人が来た時に犯人はたばこを吸って時間を潰したと思う。これが一本目。
二本目は凶行に及ぶ前、つまり六時十五分前に喫煙。
タバコの吸いがらから血液型が判明している筈だが、一つだけだったのか、それとも複数だったのか不明。
複数なら共犯がいた筈。
・缶コーヒーは犯人が持参したものか、若花菜さん宅にあったものかは報道されていない。犯人が持参した物ならば、若花菜さんにもすすめる為に二本以上があった筈。一本だとすると若花菜さんが犯人にすすめたものか。あるいは吸いがら代わりに若花菜さんが自宅にあった物を出してきたのか。
若花菜さんを後ろ手に縛るには相当な膂力がなくてはならぬ。犯人は腕っぷしの強い男だったのだろう。中学生を言いくるめたとしても、後ろ手に縛られることを容認する筈がない。しかし、複数犯なら、一人が包丁で脅せば可能。粘着テープは紙製ではなく布製で少々値段が張る。これを犯人が持参したので、普段これを使用している家庭、あるいは会社なのだろう。そこから盗むか、無断で持参したものだろう。紙製より強いテープを使用しなければならない会社や商店は何を扱う店なのだろう。
推測
集金人が戻り、若花菜さんは居間に戻った。当然犯人の靴は玄関にあった筈だ。玄関の右に台所があり、母親の寝室のタンス前にある包丁は若花菜さん宅の包丁のため、犯人は台所からそれを寝室に持ち運んだことになる。集金人が来た時に犯人に脅かされているなどすれば、若花菜さんは集金人に助けを求めた筈。何等異常を感じなかったことから、この時はまだ驚愕するような事態はなかった。
ガラスの割れた音が聞こえたのが十五分頃のため、集金人が帰った後の十八分程度の時間内に何が起こっていたのか。ガラスは中から外に向かって飛散しているので、足で蹴り、その時、若花菜さんは腿に傷を受けている。犯人はその若花菜さんを押し戻し、六畳居間を通り、母親の寝室に倒した。この時に台所から包丁を取り出すことは不可能で、包丁はこのガラスが割れる前の段階で、犯人が持ってきたと思える。
しかし、凶器となった包丁は若花菜さん宅の物ではなく、犯人が粘着テープと共に持参したもので、犯人は二刀流ではないので、包丁は二本は必要がない。
若花菜さんが包丁を持ち出す必要性はない。集金人が来たときに不審を抱き、集金人が帰った後に、こっそり包丁を持ち居間に向かうとは考えられない。犯人に見せずに包丁を居間から母親の寝室に持ち込むのは不可能だ。それに、それだけ恐怖心があれば、中学二年の女子が犯人と格闘をし包丁で防戦するなどは考えられない。
つまり、犯人は既に凶器となった包丁を一本持参しているので、共犯の男がこの包丁を台所から持ち込んだのだろう。二本の包丁で若花菜さんは脅かされていた。
粘着テープは何時、若花菜さんに張られたのか、ガラスが割れる音の聞こえた時、「助けて」の声もあったと報道されていることから、十五分の時には粘着テープは張られていなかった。若花菜さんを居間まで連れ戻し、口に粘着テープを張り、下着を脱がしたのだろう。抵抗が厳しく脅すつもりだった包丁できりつけた。馬乗りになって刺したとすると返り血を浴びた筈だが、廊下から玄関に向かって血痕がない所を見ると、心臓を刺した時には多量な血が噴出する筈。返り血を浴びなかったとすると背後から刺した場合が考えられる。刺創の角度で背後からか、前面からかが判明する筈だが、このことも新聞には出ていない。
犯人の逃走経路だが、若者の場合なら自転車が考えられる。二人の若者が一台の自転車に二人乗りしていれば、返り血を浴びた犯人が後ろならば、自転車を走らせる者の背中で返り血は見られることがない。十月末のため、あたりは相当に薄暗い。バッグか紙袋のような物に凶器の包丁と粘着テープの残りと手袋を持って逃走。自転車を走らせた男は殺人を犯した男の手下のような関係にあり、気が弱い男かも知れぬ。共犯共に若花菜さんと顔見知りか、一人だけなのかは判らぬ。この後、犯人は高飛びし、共犯は高校を卒業し、今も八戸に居ると思える。共犯が高校を卒業したと推定するのは、若花菜さんと顔見知りになり、家に上がり込むまでになるには、単に見たことがある程度ではなく会話があったことを物語るため、若花菜さんが中学一年の時に三年生だったとすると、犯行時は高校一年だと思える。若花菜さんが小学校時代の知人とは考えにくい。共犯と犯人との関係は同年代でない可能性もあるが、それほど年の差はないだろう。
推測が無理な点
この共犯ありの推測に無理があるのは、居間の座布団の位置。座布団は二枚しかない。犯人が二人連れだとすると、座布団は若花菜さんの物を含めると三枚必要。たばこの吸いがらが二本で同一の血液型だとすると犯人の一人は喫煙しない男となる。今後の八戸警察署の徹底捜査で一日も早く犯人が検挙されることを望む。それでなくては若花菜さんは浮かばれない。
殺害場所の寝室以外で、血痕があったのは玄関付近の廊下一か 所だけ。玄関のガラスの割れる音は午後六時十二分から二十分の間に、隣人ら十六人が聞いている。そのうち一人は外に出て確認したが、人影をみなかったほか、若花菜さんのひざの切り傷はガラスによる可能性が高く、捜査本部は若花菜さんが逃げようとして割ったとの見方を強めている。これらの状況から、両手を縛られた若花菜さんが、もう一歩で外に逃げる直前に犯人に取り押さえられ、玄関付近で胸を刺された後、寝室まで連れ戻された可能性が有力となっている。
犯人の侵入、逃走経路は玄関か無施錠だった居間の掃き出し窓のいずれかだが、人通りの多い玄関は考えにくく、捜査本部も掃きだし窓との見方を強めている。
◆鑑識資料
現場家屋周辺から複数の種類の足跡と、室内から華族と異なる数個の指紋を採取。関係者との照合作業を続けているが、現段階では合致せず解明しなければならない指紋、足跡が残されている。捜査本部では若花菜さん宅に出入りしたことのある関係者の協力で、一つ一つ消去しているが、「解明できない指紋、足跡は犯人の可能性が高い」とみている。また、現場で採取した毛髪や繊維品の鑑定を急いでいる。
一方、犯人の遺留品とみられるたばこの吸いがらから、若花菜さんと異なる血液型を特定したが、灰皿代わりに使った缶コーヒーの空き缶からは指紋が検出されず、捜査本部は犯人が手袋をはめていたか、ふき取ったとの見方を強めている。
長期化の見通し
山田県警刑事部長が会見
八戸署で二十六日会見した山田寿夫県警刑事部長は、若花菜さん刺殺事件について、「事件から一ヵ月を迎えたが、今事件は筋が読みにくい難事件」と改めて捜査は長期化する見通しであることをほのめかした。
山田刑事部長は会見で事件の概要を説明し、捜査体制や不審者の洗い出し、聞き込み、遺留品の捜索など、これまでの捜査状況を報告。その中で「侵入、逃走経路は断言できないが、無施錠の居間の掃き出し窓からは血の痕跡は全く発見されなかった。犯人は返り血を浴びていない可能性もある」などと話した。また、缶コーヒーやたばこの吸いがらなどの遺留品については言明を避けた。
一方、今後の捜査方針については、「いたずら目的、怨恨かまだ動機が絞りきれない状況。これまで通り、現場周辺の聞き込みを中心に基本捜査を続けていくしかない」とした上で、「一般からの情報が少なくなってきている。一日も早く解決して若花菜さんの霊を慰めるべく我々も全力を挙げているのでご協力をお願いする」と犯人逮捕へ向けた決意を新たにするとともに、一般への一層の情報提供を求めた。・は八戸署0178・43・4141、捜査本部直通は0178・41・1551
「はちのへ今昔」推理
重要なのは共犯がいた可能性がある。警察の発表では単独犯であるように見えるが、存外二人組ではなかろうか。
今一度犯行の日時の時系列を見てみよう。
7時25分・若花菜さん、家を出て登校
7時30分・二男登校、母親も施錠し乗用車で出勤
14時25分・若花菜さん授業終了し清掃
15時30分・陸上競技部活、河原を走る
17時40~45分・友達三人で下校、「今日は早く帰らなくては」とよく立ち寄る食料品店に寄らず
17時53分・本八戸駅前で友達と別れ一人で自宅へ
17時58分・若花菜さん宅の明かりがついていないのを通行人が確認
18時頃若花菜さん帰宅
18時15分~20分・近所の複数の人が若花菜さん宅玄関のガラスが割れる音を聞く
18時23分ごろ・母親が帰宅、惨劇を発見
18時25分・助けを求められた近所の人が110番通報
18時27分・119番受理18時38分・救急隊員が死亡確認
二本のたばこ
たばこの一本目
集金人が来た時に犯人はたばこを吸って時間を潰したと思う。これが一本目。
二本目は凶行に及ぶ前、つまり六時十五分前に喫煙。
タバコの吸いがらから血液型が判明している筈だが、一つだけだったのか、それとも複数だったのか不明。
複数なら共犯がいた筈。
・缶コーヒーは犯人が持参したものか、若花菜さん宅にあったものかは報道されていない。犯人が持参した物ならば、若花菜さんにもすすめる為に二本以上があった筈。一本だとすると若花菜さんが犯人にすすめたものか。あるいは吸いがら代わりに若花菜さんが自宅にあった物を出してきたのか。
若花菜さんを後ろ手に縛るには相当な膂力がなくてはならぬ。犯人は腕っぷしの強い男だったのだろう。中学生を言いくるめたとしても、後ろ手に縛られることを容認する筈がない。しかし、複数犯なら、一人が包丁で脅せば可能。粘着テープは紙製ではなく布製で少々値段が張る。これを犯人が持参したので、普段これを使用している家庭、あるいは会社なのだろう。そこから盗むか、無断で持参したものだろう。紙製より強いテープを使用しなければならない会社や商店は何を扱う店なのだろう。
推測
集金人が戻り、若花菜さんは居間に戻った。当然犯人の靴は玄関にあった筈だ。玄関の右に台所があり、母親の寝室のタンス前にある包丁は若花菜さん宅の包丁のため、犯人は台所からそれを寝室に持ち運んだことになる。集金人が来た時に犯人に脅かされているなどすれば、若花菜さんは集金人に助けを求めた筈。何等異常を感じなかったことから、この時はまだ驚愕するような事態はなかった。
ガラスの割れた音が聞こえたのが十五分頃のため、集金人が帰った後の十八分程度の時間内に何が起こっていたのか。ガラスは中から外に向かって飛散しているので、足で蹴り、その時、若花菜さんは腿に傷を受けている。犯人はその若花菜さんを押し戻し、六畳居間を通り、母親の寝室に倒した。この時に台所から包丁を取り出すことは不可能で、包丁はこのガラスが割れる前の段階で、犯人が持ってきたと思える。
しかし、凶器となった包丁は若花菜さん宅の物ではなく、犯人が粘着テープと共に持参したもので、犯人は二刀流ではないので、包丁は二本は必要がない。
若花菜さんが包丁を持ち出す必要性はない。集金人が来たときに不審を抱き、集金人が帰った後に、こっそり包丁を持ち居間に向かうとは考えられない。犯人に見せずに包丁を居間から母親の寝室に持ち込むのは不可能だ。それに、それだけ恐怖心があれば、中学二年の女子が犯人と格闘をし包丁で防戦するなどは考えられない。
つまり、犯人は既に凶器となった包丁を一本持参しているので、共犯の男がこの包丁を台所から持ち込んだのだろう。二本の包丁で若花菜さんは脅かされていた。
粘着テープは何時、若花菜さんに張られたのか、ガラスが割れる音の聞こえた時、「助けて」の声もあったと報道されていることから、十五分の時には粘着テープは張られていなかった。若花菜さんを居間まで連れ戻し、口に粘着テープを張り、下着を脱がしたのだろう。抵抗が厳しく脅すつもりだった包丁できりつけた。馬乗りになって刺したとすると返り血を浴びた筈だが、廊下から玄関に向かって血痕がない所を見ると、心臓を刺した時には多量な血が噴出する筈。返り血を浴びなかったとすると背後から刺した場合が考えられる。刺創の角度で背後からか、前面からかが判明する筈だが、このことも新聞には出ていない。
犯人の逃走経路だが、若者の場合なら自転車が考えられる。二人の若者が一台の自転車に二人乗りしていれば、返り血を浴びた犯人が後ろならば、自転車を走らせる者の背中で返り血は見られることがない。十月末のため、あたりは相当に薄暗い。バッグか紙袋のような物に凶器の包丁と粘着テープの残りと手袋を持って逃走。自転車を走らせた男は殺人を犯した男の手下のような関係にあり、気が弱い男かも知れぬ。共犯共に若花菜さんと顔見知りか、一人だけなのかは判らぬ。この後、犯人は高飛びし、共犯は高校を卒業し、今も八戸に居ると思える。共犯が高校を卒業したと推定するのは、若花菜さんと顔見知りになり、家に上がり込むまでになるには、単に見たことがある程度ではなく会話があったことを物語るため、若花菜さんが中学一年の時に三年生だったとすると、犯行時は高校一年だと思える。若花菜さんが小学校時代の知人とは考えにくい。共犯と犯人との関係は同年代でない可能性もあるが、それほど年の差はないだろう。
推測が無理な点
この共犯ありの推測に無理があるのは、居間の座布団の位置。座布団は二枚しかない。犯人が二人連れだとすると、座布団は若花菜さんの物を含めると三枚必要。たばこの吸いがらが二本で同一の血液型だとすると犯人の一人は喫煙しない男となる。今後の八戸警察署の徹底捜査で一日も早く犯人が検挙されることを望む。それでなくては若花菜さんは浮かばれない。
2008年10月13日月曜日
八戸の町並みシリーズ17
郷土史家の中里進さんが亡くなられた。南郷図書館に資料集がある。NHKが十年前に中里さんを放送した。氏の郷土愛がうまく出された傑作だった。
高専の本田教授が尽力し氏の資料の散逸を防いだ。未整理の氏の八戸の町並みの写真集には様々な商家、庶民の家が写っている。整理解明が望まれる。
さて、今回は八日町の夕日側、ビニールシートが貼られた旧長崎屋から始まる。向かいの造り酒屋の八右衛門はビジネスホテル建築の真っ最中。
長崎屋のところには大丸屋、明治薬局(明治36年創業、最上光男)、河内屋金物(昭和10年、橋本八右衛門)、青和銀行八戸支店、幾久屋金物店、立熊菓子店(嘉永3年、八戸で一番古い、今は柏崎小そばに移転)岩織時計店(明治43年創業、岩織又吉)、東ミシン商会、小笠原商店、渡辺理容、みくに、東北電力八戸営業所、福井商店(大正10年、バナナの福井で有名、福井常治)、のうでん社、南部食堂、杉若商店、戸田商店、甘太郎焼き、四戸商店とあった。ここは今は東北銀行になり金融街の様相。
高専の本田教授が尽力し氏の資料の散逸を防いだ。未整理の氏の八戸の町並みの写真集には様々な商家、庶民の家が写っている。整理解明が望まれる。
さて、今回は八日町の夕日側、ビニールシートが貼られた旧長崎屋から始まる。向かいの造り酒屋の八右衛門はビジネスホテル建築の真っ最中。
長崎屋のところには大丸屋、明治薬局(明治36年創業、最上光男)、河内屋金物(昭和10年、橋本八右衛門)、青和銀行八戸支店、幾久屋金物店、立熊菓子店(嘉永3年、八戸で一番古い、今は柏崎小そばに移転)岩織時計店(明治43年創業、岩織又吉)、東ミシン商会、小笠原商店、渡辺理容、みくに、東北電力八戸営業所、福井商店(大正10年、バナナの福井で有名、福井常治)、のうでん社、南部食堂、杉若商店、戸田商店、甘太郎焼き、四戸商店とあった。ここは今は東北銀行になり金融街の様相。
2008年10月12日日曜日
時効せまる・若花菜さん殺し 4
若花菜さんの家族はだれもたばこを吸わないことから、捜査本部は犯人が吸った可能性が強いとみて、同市内のスーパーなどから犯行当日かそれ以前に同じたばこを買った不審人物を目撃しなかったかなど、聞き込み捜査を進めている。
捜査長期化の見通し
松尾県警本部長が会見、犯行動機特定できず
若花菜さん刺殺事件について、松尾好将警本部長は八日、県警本部で開かれた定例記者会見の席上、「容疑者に結びつく有力な物証が少ないうえ、物取り、怨恨、いたずら目的の犯行か、動機を特定できず、直ちに解決できる状況ではない」などと述べ、捜査が長期化する見通しを示した。
捜査本部はこれまでに、五人以上の付近住民の証言から若花菜さん宅玄関のガラスが割れた時間を午後六時十分から同二十分の間としている。
事件発生当時、若花菜さん宅で無施錠だったのは玄関など二カ所。帰宅した母親が、玄関のかぎが掛かっていなかったことを確認している。しかし、もう一カ所について、山田寿夫県警刑事部長は具体的な場所などを明らかにしていない。また、凶器についても「鋭利な刃物」と述べるにとどまった。
かぎは若花菜さんと母親(46) 、兄(16)の三人がそれぞれ持っていた。二年ほど前では、合かぎを小屋においていた時期もあった。
松尾本部長は「県警の力が試されている。こんなに筋が読めない事件はないが、腰を据えて基礎調査を重ねている。やや長期化しそうだが、必ず解決できると思っている」と話した。
依然犯人像に迫れず
八戸の女子中生刺殺事件から三週間
吸いがらから血液型特定
絞りきれぬ接点、動機
逃走経路、手段もナゾ
十七日で発生から三週間を迎える。八戸署の捜査本部は十六日までに延べ三千三百人余りの捜査員を投入、現場に残された遺留品や複数の足跡、指紋などを基に懸命の捜査を進めているが、直接犯人に結びつく有力な手掛かりは得られず、捜査は長期化を余儀なくされている。街中でしかも夕食時と目撃される可能性が高い時間帯での犯行。捜査本部や関係者の証言を基にこの不可解な事件を振り返ってみる。
市内から寄せられた不審人物、過去の性犯罪の前歴者など捜査
本部が十六日までにリストアップした不審者は二百四十五人。このうち百七十四人の調べを終えたが事件に関連する人物はいなかった。残り七十一人についても調べを進めている。
鑑識捜査も進み、たばこの吸いがらから血液型を特定したほか、家族以外の複数の足跡、指紋を検出、不審者との照合を急いでいる。灰皿代わりに使った缶コーヒーからは指紋が検出されず、捜査本部は犯人が手袋をはめていたか、ふき取った可能性もあるとみている。
犯人像
犯人と若花菜さんの接点は何なのか、殺害の動機は何なのか。捜査本部でもいまだに絞り切れないでいる。現場や遺体の状況から、当初は乱暴を目的とした変質者か顔見知りによる計画的犯行との見方が強かった。しかし、解剖の結果、いたずらされた形跡はなかった。通電していたこたつの上にあった飲み干した缶コーヒーにたばこの吸いがら二本という現場の状況から、面識のある人物で会話もあったとも考えられる。ところが、遺留品が偽装のために置かれたとすれば、流しの線も捨てきれない。
さらに、殺害方法も異常なほど残忍なことも犯人像を複雑なものにしている。
犯行時間
捜査本部は、若花菜さん宅の玄関のガラスが割れた時間を、近所の複数の証言から午後六時十五分~二十分の間と絞りこんだ。また、若花菜さんの左ひざの傷は、鋭利な刃物で切られた首やふくらはぎの傷とは異なる浅い傷のため、捜査本部では「ガラスで切った可能性もある」とし、若花菜さんが犯人から逃げるためガラスを割ったとの見方を強めている。
母親が帰宅し遺体を発見したのは同六時二十二、三分ごろ。犯人はこのわずかな数分間で若花菜さんを殺害、逃走したことになる。
事件当時、若花菜さん宅の玄関と居間の掃き出し窓は無施錠だった。玄関側に面した道路は、比較的明るく人通りもあるため、犯人は掃きだし窓から出て、若花菜さん宅西側の小窓から逃走したとも考えられるが、目撃証言が乏しく明確な犯人の逃走経路、手段は依然ナゾのままだ。
十一月二十七日土曜日
「筋読みできぬ」捜査難航
八戸の女子中生刺殺から一ヵ月
捜査本部は二十六日までに延べ四千九百人余の捜査員を投入、若花菜さんの家族や親類、学校関係者ら六百九十四人から事情を聴くなど事件の全容解明に全力を挙げているが、依然として直接犯人に結びつく有力な手掛かりは得られておらず捜査は難航を極めている。粘着テープで口をふさぎ、両手を後ろでに縛るなど異常なほど残忍な手口、わずか十分余りでの凶行と、捜査本部でも「筋読みのできない難事件」というこれまでの捜査の流れを追った。
有力手掛かり依然ナシ
不審者三百七人が浮上も
玄関付近で刺された?
毛髪・繊維品の鑑定急ぐ
◆捜査
捜査本部はこれまで、城下地区を中心に七百六十七世帯、千七百八十五人から聞き込みを行った。市民から寄せられた情報などを基に、捜査線上に浮上した不審者百五十四人のうち、百十人について身辺捜査をしたが、事件と直接結びつく人物はいなかった。
また、八戸署管内における性的犯罪の前歴者や八戸二中、JR本八戸駅付近に出没している性的変質者ら、同本部がリストアップした素行不良者は三百七人。このうち百五人について調べを終え、市内の女子高生に対しわいせつな行為をした飲食店従業員(二八)を逮捕、車で女子中高生を追い回す中年男ら十数人に厳重警告を与えたが、事件にかかわる人物は出ていない。
捜査長期化の見通し
松尾県警本部長が会見、犯行動機特定できず
若花菜さん刺殺事件について、松尾好将警本部長は八日、県警本部で開かれた定例記者会見の席上、「容疑者に結びつく有力な物証が少ないうえ、物取り、怨恨、いたずら目的の犯行か、動機を特定できず、直ちに解決できる状況ではない」などと述べ、捜査が長期化する見通しを示した。
捜査本部はこれまでに、五人以上の付近住民の証言から若花菜さん宅玄関のガラスが割れた時間を午後六時十分から同二十分の間としている。
事件発生当時、若花菜さん宅で無施錠だったのは玄関など二カ所。帰宅した母親が、玄関のかぎが掛かっていなかったことを確認している。しかし、もう一カ所について、山田寿夫県警刑事部長は具体的な場所などを明らかにしていない。また、凶器についても「鋭利な刃物」と述べるにとどまった。
かぎは若花菜さんと母親(46) 、兄(16)の三人がそれぞれ持っていた。二年ほど前では、合かぎを小屋においていた時期もあった。
松尾本部長は「県警の力が試されている。こんなに筋が読めない事件はないが、腰を据えて基礎調査を重ねている。やや長期化しそうだが、必ず解決できると思っている」と話した。
依然犯人像に迫れず
八戸の女子中生刺殺事件から三週間
吸いがらから血液型特定
絞りきれぬ接点、動機
逃走経路、手段もナゾ
十七日で発生から三週間を迎える。八戸署の捜査本部は十六日までに延べ三千三百人余りの捜査員を投入、現場に残された遺留品や複数の足跡、指紋などを基に懸命の捜査を進めているが、直接犯人に結びつく有力な手掛かりは得られず、捜査は長期化を余儀なくされている。街中でしかも夕食時と目撃される可能性が高い時間帯での犯行。捜査本部や関係者の証言を基にこの不可解な事件を振り返ってみる。
市内から寄せられた不審人物、過去の性犯罪の前歴者など捜査
本部が十六日までにリストアップした不審者は二百四十五人。このうち百七十四人の調べを終えたが事件に関連する人物はいなかった。残り七十一人についても調べを進めている。
鑑識捜査も進み、たばこの吸いがらから血液型を特定したほか、家族以外の複数の足跡、指紋を検出、不審者との照合を急いでいる。灰皿代わりに使った缶コーヒーからは指紋が検出されず、捜査本部は犯人が手袋をはめていたか、ふき取った可能性もあるとみている。
犯人像
犯人と若花菜さんの接点は何なのか、殺害の動機は何なのか。捜査本部でもいまだに絞り切れないでいる。現場や遺体の状況から、当初は乱暴を目的とした変質者か顔見知りによる計画的犯行との見方が強かった。しかし、解剖の結果、いたずらされた形跡はなかった。通電していたこたつの上にあった飲み干した缶コーヒーにたばこの吸いがら二本という現場の状況から、面識のある人物で会話もあったとも考えられる。ところが、遺留品が偽装のために置かれたとすれば、流しの線も捨てきれない。
さらに、殺害方法も異常なほど残忍なことも犯人像を複雑なものにしている。
犯行時間
捜査本部は、若花菜さん宅の玄関のガラスが割れた時間を、近所の複数の証言から午後六時十五分~二十分の間と絞りこんだ。また、若花菜さんの左ひざの傷は、鋭利な刃物で切られた首やふくらはぎの傷とは異なる浅い傷のため、捜査本部では「ガラスで切った可能性もある」とし、若花菜さんが犯人から逃げるためガラスを割ったとの見方を強めている。
母親が帰宅し遺体を発見したのは同六時二十二、三分ごろ。犯人はこのわずかな数分間で若花菜さんを殺害、逃走したことになる。
事件当時、若花菜さん宅の玄関と居間の掃き出し窓は無施錠だった。玄関側に面した道路は、比較的明るく人通りもあるため、犯人は掃きだし窓から出て、若花菜さん宅西側の小窓から逃走したとも考えられるが、目撃証言が乏しく明確な犯人の逃走経路、手段は依然ナゾのままだ。
十一月二十七日土曜日
「筋読みできぬ」捜査難航
八戸の女子中生刺殺から一ヵ月
捜査本部は二十六日までに延べ四千九百人余の捜査員を投入、若花菜さんの家族や親類、学校関係者ら六百九十四人から事情を聴くなど事件の全容解明に全力を挙げているが、依然として直接犯人に結びつく有力な手掛かりは得られておらず捜査は難航を極めている。粘着テープで口をふさぎ、両手を後ろでに縛るなど異常なほど残忍な手口、わずか十分余りでの凶行と、捜査本部でも「筋読みのできない難事件」というこれまでの捜査の流れを追った。
有力手掛かり依然ナシ
不審者三百七人が浮上も
玄関付近で刺された?
毛髪・繊維品の鑑定急ぐ
◆捜査
捜査本部はこれまで、城下地区を中心に七百六十七世帯、千七百八十五人から聞き込みを行った。市民から寄せられた情報などを基に、捜査線上に浮上した不審者百五十四人のうち、百十人について身辺捜査をしたが、事件と直接結びつく人物はいなかった。
また、八戸署管内における性的犯罪の前歴者や八戸二中、JR本八戸駅付近に出没している性的変質者ら、同本部がリストアップした素行不良者は三百七人。このうち百五人について調べを終え、市内の女子高生に対しわいせつな行為をした飲食店従業員(二八)を逮捕、車で女子中高生を追い回す中年男ら十数人に厳重警告を与えたが、事件にかかわる人物は出ていない。
2008年10月11日土曜日
時効せまる・若花菜さん殺し 3
現場状況
凶器なく遺留品わずか
若花菜さんの遺体は、六畳寝室で見つかった。傍らには、ジャージーのズボンなどが置かれ、台所にあるはずの包丁が放置されていた。これまでの捜査本部の調べで、この包丁には血痕はなく、家族以外の指紋は検出されず、凶器の可能性は考えにくいことが分かっている。
隣り合う六畳居間にあるこたつにはスィッチが入っており、室内灯がついていた。帰宅した若花菜さんがつけたとも考えられるが、こたつの上には犯行に使われたとみられる粘着テープの残りとたばこの吸いがら、缶コーヒーが残っていた。
殺害現場には凶器はなく、遺留品とみられるのは若花菜さんの口に張られた粘着テープのほか、こたつの上に置いてあった使い残しの粘着テープ、缶コーヒーの空き缶、二本のたばこの吸いがらだけと少ない。
侵入時間
帰宅直後待ち伏せか
捜査本部は侵入時間について、若花菜さんの帰宅直後か、あるいは待ち伏せしていた可能性もあるとみて両面から捜査している。
犯行当日の朝、若花菜さんの後に母親と兄がほぼ同時に家を出た。玄関にはいつもカギをかけており、捜査本部に対して「この日もカギをかけたはず」と証言しているが、窓の一カ所はカギがかかっていなかった。
鑑識の結果などから捜査本部は「この窓から侵入した形跡は認められない」としている。が、遺留品の状況などから、犯人は若花菜さんの帰宅前に何らかの手段で侵入、待ち伏せしていた可能性も捨てきれない。
犯人像
解剖状況から怨恨も
若花菜さんの遺体には争った際に生じた傷とは考えにくい不自然な切り傷があった。さらに、現場には血が飛び散った形跡は見られず、他の血痕も廊下に一カ所しかなかった。このような状況から、最初から殺害の意図を持った犯行の可能性も考えられる。
解剖の結果、致命傷となった心臓の刺し傷のほかにも首やひざなどに不自然な切り傷が何カ所も確認されていることからいたずら目的以外に怨恨の線も否定できない。
十一月七日日曜日
捜査線上の60人シロ
若花菜さん事件
有力物証乏しく難航
捜査本部は六日も凶器の捜査や聞き込み捜査に全力ををげたが、直接事件に結びつく有力な手掛かりは得られなかった。
捜査本部のこれまでの調べで、若花菜さんの帰宅時間は午後六時前後とみられるが、帰宅直後に若花菜さん宅を訪れた集金人の証言などからいくつかの疑問点も浮上している。集金人は若花菜さんの顔を知っており、訪れた時の若花菜さんの着衣は紺のジャージーだった。しかし、遺体で発見された時の着衣は、紺のジャージーの上に白っぽいヨットパーカーを着ていた。帰宅途中はそのヨットパーカーの上にジャンバーを着ている。犯行時間帯は窓ガラスの割れた音を近所の人が聞いた午後六時十五分ごろまでの間の可能性が高いだけに、若花菜さんがなぜ一度脱いだヨットパーカーを着たのか。
捜査本部はこれまでに、付近住民の目撃情報から犯行時間帯に現場付近を通った複数の人物をはじめ不審者、前歴者など捜査線上に浮上した九十人近くの身辺捜査を行い、このうち約六十人の調べを終えたが、事件に関連する人物はなかった。六日午前、記者会見した山田寿男県警刑事部長が「今のところズバリこれだというものは出ていない」と述べる通り、決め手となる有力な物証だ乏しく捜査は難航している。
十一月八日月曜日
女子中生刺殺事件
わずか数分間の犯行か
捜査本部はこれまでの調べで、若花菜さんの左ひざの切り傷は、逃げようとして玄関のガラスで切った可能性も考えられないことではない、とみている。
捜査本部によると若花菜さんのひざの傷は、首やふくらはぎにあった傷とは違い、あまり深くなく、鋭利な刃物によって生じた傷とは考えにくいという。このため、若花菜さんが犯人から逃げようとした際にガラスで切った傷との見方も捨て切れない。
一方、捜査本部では「テレビのニュースを見ていた時にガラスの割れる音がした」という近所の人の証言を基に、若花菜さん宅玄関のガラスが割れた時間の特定を急いでいるが、午後六時二十分すぎとの見方を強め、捜査を進めている。この時刻ごろに、若花菜さんによって割られたとすれば、犯行時間は母親が帰宅するまでのわずかな数分間となってくる。
十一月九日火曜日
女子中生刺殺事件
遺留品のたばこはパック販売
マイルドセブンライト有力
一般小売店で買えず
血液型も特定、入手経路の解明急ぐ
捜査本部は八日までに、現場のこたつの上にあったたばこの吸いがらから血液型を特定したほか、パックで販売されているマイルドセブンライトとの見方を強め入手経路の解明を急いでいる。
捜査本部のこれまでの調べによると、犯行現場に残された遺留品は、若花菜さんの口に張られていた布製の粘着テープのほか、こたつの上に置いてあった灰皿代わりに使った青色の缶コーヒーの空き缶、たばこの吸いがら二本、使い残しの粘着テープなど。これら遺留品の鑑識結果から既に粘着テープと缶コーヒーのメーカーが判明。さらに八日までにたばこの吸いがらから、吸った人物の血液型を特定した。二本とも同じ血液型だった。
また、たばこのナンバーから日本たばこ産業盛岡工場で製造されたパックのマイルドセブンライトとみられる。同製品は全国に流通している。
同社などの関係者によると、パックは一般小売店では買えず、スーパーやコンビニエンスストアなどでしか扱っていないが、バラして自動販売機で販売されていることもある。マイルドセブンライトは昭和六十年七月から発売され、八戸市内では販売量がベスト3に入る人気銘柄だという。
凶器なく遺留品わずか
若花菜さんの遺体は、六畳寝室で見つかった。傍らには、ジャージーのズボンなどが置かれ、台所にあるはずの包丁が放置されていた。これまでの捜査本部の調べで、この包丁には血痕はなく、家族以外の指紋は検出されず、凶器の可能性は考えにくいことが分かっている。
隣り合う六畳居間にあるこたつにはスィッチが入っており、室内灯がついていた。帰宅した若花菜さんがつけたとも考えられるが、こたつの上には犯行に使われたとみられる粘着テープの残りとたばこの吸いがら、缶コーヒーが残っていた。
殺害現場には凶器はなく、遺留品とみられるのは若花菜さんの口に張られた粘着テープのほか、こたつの上に置いてあった使い残しの粘着テープ、缶コーヒーの空き缶、二本のたばこの吸いがらだけと少ない。
侵入時間
帰宅直後待ち伏せか
捜査本部は侵入時間について、若花菜さんの帰宅直後か、あるいは待ち伏せしていた可能性もあるとみて両面から捜査している。
犯行当日の朝、若花菜さんの後に母親と兄がほぼ同時に家を出た。玄関にはいつもカギをかけており、捜査本部に対して「この日もカギをかけたはず」と証言しているが、窓の一カ所はカギがかかっていなかった。
鑑識の結果などから捜査本部は「この窓から侵入した形跡は認められない」としている。が、遺留品の状況などから、犯人は若花菜さんの帰宅前に何らかの手段で侵入、待ち伏せしていた可能性も捨てきれない。
犯人像
解剖状況から怨恨も
若花菜さんの遺体には争った際に生じた傷とは考えにくい不自然な切り傷があった。さらに、現場には血が飛び散った形跡は見られず、他の血痕も廊下に一カ所しかなかった。このような状況から、最初から殺害の意図を持った犯行の可能性も考えられる。
解剖の結果、致命傷となった心臓の刺し傷のほかにも首やひざなどに不自然な切り傷が何カ所も確認されていることからいたずら目的以外に怨恨の線も否定できない。
十一月七日日曜日
捜査線上の60人シロ
若花菜さん事件
有力物証乏しく難航
捜査本部は六日も凶器の捜査や聞き込み捜査に全力ををげたが、直接事件に結びつく有力な手掛かりは得られなかった。
捜査本部のこれまでの調べで、若花菜さんの帰宅時間は午後六時前後とみられるが、帰宅直後に若花菜さん宅を訪れた集金人の証言などからいくつかの疑問点も浮上している。集金人は若花菜さんの顔を知っており、訪れた時の若花菜さんの着衣は紺のジャージーだった。しかし、遺体で発見された時の着衣は、紺のジャージーの上に白っぽいヨットパーカーを着ていた。帰宅途中はそのヨットパーカーの上にジャンバーを着ている。犯行時間帯は窓ガラスの割れた音を近所の人が聞いた午後六時十五分ごろまでの間の可能性が高いだけに、若花菜さんがなぜ一度脱いだヨットパーカーを着たのか。
捜査本部はこれまでに、付近住民の目撃情報から犯行時間帯に現場付近を通った複数の人物をはじめ不審者、前歴者など捜査線上に浮上した九十人近くの身辺捜査を行い、このうち約六十人の調べを終えたが、事件に関連する人物はなかった。六日午前、記者会見した山田寿男県警刑事部長が「今のところズバリこれだというものは出ていない」と述べる通り、決め手となる有力な物証だ乏しく捜査は難航している。
十一月八日月曜日
女子中生刺殺事件
わずか数分間の犯行か
捜査本部はこれまでの調べで、若花菜さんの左ひざの切り傷は、逃げようとして玄関のガラスで切った可能性も考えられないことではない、とみている。
捜査本部によると若花菜さんのひざの傷は、首やふくらはぎにあった傷とは違い、あまり深くなく、鋭利な刃物によって生じた傷とは考えにくいという。このため、若花菜さんが犯人から逃げようとした際にガラスで切った傷との見方も捨て切れない。
一方、捜査本部では「テレビのニュースを見ていた時にガラスの割れる音がした」という近所の人の証言を基に、若花菜さん宅玄関のガラスが割れた時間の特定を急いでいるが、午後六時二十分すぎとの見方を強め、捜査を進めている。この時刻ごろに、若花菜さんによって割られたとすれば、犯行時間は母親が帰宅するまでのわずかな数分間となってくる。
十一月九日火曜日
女子中生刺殺事件
遺留品のたばこはパック販売
マイルドセブンライト有力
一般小売店で買えず
血液型も特定、入手経路の解明急ぐ
捜査本部は八日までに、現場のこたつの上にあったたばこの吸いがらから血液型を特定したほか、パックで販売されているマイルドセブンライトとの見方を強め入手経路の解明を急いでいる。
捜査本部のこれまでの調べによると、犯行現場に残された遺留品は、若花菜さんの口に張られていた布製の粘着テープのほか、こたつの上に置いてあった灰皿代わりに使った青色の缶コーヒーの空き缶、たばこの吸いがら二本、使い残しの粘着テープなど。これら遺留品の鑑識結果から既に粘着テープと缶コーヒーのメーカーが判明。さらに八日までにたばこの吸いがらから、吸った人物の血液型を特定した。二本とも同じ血液型だった。
また、たばこのナンバーから日本たばこ産業盛岡工場で製造されたパックのマイルドセブンライトとみられる。同製品は全国に流通している。
同社などの関係者によると、パックは一般小売店では買えず、スーパーやコンビニエンスストアなどでしか扱っていないが、バラして自動販売機で販売されていることもある。マイルドセブンライトは昭和六十年七月から発売され、八戸市内では販売量がベスト3に入る人気銘柄だという。
三八五流通、火葬場指定管理料を上げてくれと泣き3
三八五に火葬場の指定管理を教えたのが「はちのへ今昔」。八戸市民の半分を50歳以上が占める。
これらの人々は三十年以内に滅びる。八戸市は国保から死人が出ると3万円出る。市町村によっては5万円。前回記したように日本は香典葬。葬儀が豪勢か質素かは別として、それなりの葬儀を出すように知人友人が金を持ち寄る。
すると焼き場の金は役所がくれる3万円を充当できる。八戸市民24万、半分の12万が30年内に滅び、3万円の焼き場料は36億円となる。
この焼き料を使用料とするか利用料とするかが大きな鍵。一見同じように見えるが、使用料は市役所に、利用料は三八五に入る。これが八戸市の制度。
最初から三八五に36億円が入るようにはならない。物には段階があるが、この36億円を深謀遠慮で三八五に教えた。
今、東京では火葬場がセレモニーホールをかねている。霊柩車が死体を火葬場に運ぶ手間がない。そもそも霊柩車の誕生は大隈重信が死んだ時に、トラックを改良したことに始まる。ここから色々な形式の霊柩車の誕生となるが、大した問題でもない、死体運搬車を格調高くしただけの話。もとはお神輿のように担ぎ寺まで運んだ。土葬ならこれで済むが焼き場まで担いでは行けないので、車に乗せた。
現在は病院と葬儀屋が結託し、死人が出ると葬儀屋が取り仕切るようになった。毎日死人が出る家はない。何十年に一度だ、だから葬儀屋さんにおまかせ、葬儀も年々変化し、葬儀屋が儲かるような仕組みに改変。
葬儀屋がセレモニーホールを持つようになったのが最近二十五年の傾向。菩提寺があればそこで葬儀、なければ葬儀屋が適当に見繕(みつくろ)う。宗旨が何でも構わない家もある。妙な話だと思うだろうが、集団就職で金の卵と言われた団塊の世代が故郷を離れ都会で所帯を持った。
故郷に墓はあれど次男、三男では墓にも入れない。この事情があって東京近郊に墓地を沢山作ったのが西武。墓地は作れば売れた。次、三男たちがローンで買わされた。この人たちは自分たち夫婦が初代となるため、宗旨は何でもいい。そこで葬儀屋が適当に見繕うわけだ。
こうした事情で葬儀屋が次第に鼻息が荒くなり、仏壇から墓地まで手を伸ばした。八戸では真照堂などがその手合い。しかし、こうした葬儀屋も火葬場が葬儀にまで手を伸ばす合理性にはかなわない。
セレモニーホールに集まり葬儀をして火葬場に行くより、火葬場に集合したほうが便利。そこで東京の火葬場がホテル並みの豪華さに変った。これが大衆の支持を得て、セレモニーホールの倒産も出始めた。
真照堂の天下も間もなく終わるだろう。それは三八五がホテルの接客術を火葬場に生かすとき。マクベスの森が攻めてくる時に滅びる話のように、真照堂、八田等の饗宴も終わる。
ところが、三八五はそれが出来る立場にいながら、市営の頃と同じことを一年半繰り返した。結句、燃油代を余計くれと泣いた。泣く前に己が技術を売れ。火葬場の接客術を向上させ、収益を改善する。ここにこそ、市役所のボンクラに出来ない民営、民間の知恵と技術がある。それを忘れて金をくれ?
三八五はそこまで落ちたか。三八五にはそれなりの自負と根性があったはず。それだからこそ八戸に三八五王国を築いたのではないか、他人を泣かせてまで。ところが、簡単に泣くのはどうしたことか。往年の泉山信一を支えた優秀な根性の持ち主が続々と滅びて、三八五魂も失せたのか。
使用料を利用料として1億7千万円も稼いでいるのが体育公社。指定管理料は年間5億円もある。ウハウハで笑いがとまらない。三八五も夢ではない。それはサービスの改善による。
ここまで読んで教えたが、存外人脈の幅がない。往年の三八五と今の三八五は同じようだが全く違う。世の宝は人材を指す。人は石垣、人は城だ。まだ三八五に改善の余地はある。足元を鋭く見て改善、改変を急ぐときが来た。
これらの人々は三十年以内に滅びる。八戸市は国保から死人が出ると3万円出る。市町村によっては5万円。前回記したように日本は香典葬。葬儀が豪勢か質素かは別として、それなりの葬儀を出すように知人友人が金を持ち寄る。
すると焼き場の金は役所がくれる3万円を充当できる。八戸市民24万、半分の12万が30年内に滅び、3万円の焼き場料は36億円となる。
この焼き料を使用料とするか利用料とするかが大きな鍵。一見同じように見えるが、使用料は市役所に、利用料は三八五に入る。これが八戸市の制度。
最初から三八五に36億円が入るようにはならない。物には段階があるが、この36億円を深謀遠慮で三八五に教えた。
今、東京では火葬場がセレモニーホールをかねている。霊柩車が死体を火葬場に運ぶ手間がない。そもそも霊柩車の誕生は大隈重信が死んだ時に、トラックを改良したことに始まる。ここから色々な形式の霊柩車の誕生となるが、大した問題でもない、死体運搬車を格調高くしただけの話。もとはお神輿のように担ぎ寺まで運んだ。土葬ならこれで済むが焼き場まで担いでは行けないので、車に乗せた。
現在は病院と葬儀屋が結託し、死人が出ると葬儀屋が取り仕切るようになった。毎日死人が出る家はない。何十年に一度だ、だから葬儀屋さんにおまかせ、葬儀も年々変化し、葬儀屋が儲かるような仕組みに改変。
葬儀屋がセレモニーホールを持つようになったのが最近二十五年の傾向。菩提寺があればそこで葬儀、なければ葬儀屋が適当に見繕(みつくろ)う。宗旨が何でも構わない家もある。妙な話だと思うだろうが、集団就職で金の卵と言われた団塊の世代が故郷を離れ都会で所帯を持った。
故郷に墓はあれど次男、三男では墓にも入れない。この事情があって東京近郊に墓地を沢山作ったのが西武。墓地は作れば売れた。次、三男たちがローンで買わされた。この人たちは自分たち夫婦が初代となるため、宗旨は何でもいい。そこで葬儀屋が適当に見繕うわけだ。
こうした事情で葬儀屋が次第に鼻息が荒くなり、仏壇から墓地まで手を伸ばした。八戸では真照堂などがその手合い。しかし、こうした葬儀屋も火葬場が葬儀にまで手を伸ばす合理性にはかなわない。
セレモニーホールに集まり葬儀をして火葬場に行くより、火葬場に集合したほうが便利。そこで東京の火葬場がホテル並みの豪華さに変った。これが大衆の支持を得て、セレモニーホールの倒産も出始めた。
真照堂の天下も間もなく終わるだろう。それは三八五がホテルの接客術を火葬場に生かすとき。マクベスの森が攻めてくる時に滅びる話のように、真照堂、八田等の饗宴も終わる。
ところが、三八五はそれが出来る立場にいながら、市営の頃と同じことを一年半繰り返した。結句、燃油代を余計くれと泣いた。泣く前に己が技術を売れ。火葬場の接客術を向上させ、収益を改善する。ここにこそ、市役所のボンクラに出来ない民営、民間の知恵と技術がある。それを忘れて金をくれ?
三八五はそこまで落ちたか。三八五にはそれなりの自負と根性があったはず。それだからこそ八戸に三八五王国を築いたのではないか、他人を泣かせてまで。ところが、簡単に泣くのはどうしたことか。往年の泉山信一を支えた優秀な根性の持ち主が続々と滅びて、三八五魂も失せたのか。
使用料を利用料として1億7千万円も稼いでいるのが体育公社。指定管理料は年間5億円もある。ウハウハで笑いがとまらない。三八五も夢ではない。それはサービスの改善による。
ここまで読んで教えたが、存外人脈の幅がない。往年の三八五と今の三八五は同じようだが全く違う。世の宝は人材を指す。人は石垣、人は城だ。まだ三八五に改善の余地はある。足元を鋭く見て改善、改変を急ぐときが来た。
2008年10月10日金曜日
時効せまる・若花菜さん殺し 2
捜査本部のこれまでの調べによると、若花菜さんは自宅寝室で両手を後ろで縛られたうえ、口に粘着テープを張られて刺殺されていた。若花菜さんは当日、午後六時ごろには帰宅しており、母親に発見された同二十五分ごろまでの間に殺害されたと推定される。
若花菜さんはモダンバレーを習っており、毎週水曜日がけいこ日で、事件があった二十七日も母親と行く約束をしていた。けいこは午後七時からで、いつもは六時五十分ごろ家を出ていたという。家政婦の母親は、ふだん午後七時半ごろに帰宅するが、水曜日だけは一緒にけいこに行くため午後六時半前後だった。
このため若花菜さんは午後六時半までに帰宅すればいいことになる。ところが、「きょうは六時までに帰宅し、二十分ごろまでは家に居なければならない」と友人に話していたことが、関係者の証言で分かった。
友人が「どうして」と聞いても、けいこのことも言わず理由を濁していたという。
この時間帯は母親がまだ帰宅しておらず、若花菜さんが一人だけになる数十分間に、だれかと会う約束をしていた可能性が出ている。その人物は誰なのか。家族と会う確率も高く、居合わせても疑われない人物とも考えられる。
一方、居間のこたつの上にたばこの吸いがら二本と口の開いた缶コーヒーがあった。父親は出稼ぎ中で、自宅には灰皿がなく家族はたばこを吸わないようだ。けいこ日だったことに加え、夕食時でいつ家族が帰宅しても不思議ではない状況で、たばこを二本も吸う余裕があった人物が犯行時間帯にいた可能性も考えられる。
室内は物色された形跡がなく、物取りの線は薄い。遺留品は犯人のものとみられ、捜査本部は顔見知りによる計画的な犯行との見方を含め、若花菜さんの交遊関係を中心に捜査を進めている。
十一月一日月曜日
粘着テープは近くのスーパーの希少品
買った中年男目撃
捜査本部は三十一日までに、若花菜さんの口に張られていた粘着テープを販売する店は限定されており、現場付近ではJR本八戸駅前のスーパーだけ。事件当日、その粘着テープを買い求めた中年男性が目撃されており、捜査本部も事件解明の有力な手掛かりとみて、人物の特定を急いでいる。
捜査本部のこれまでの調べによると、犯行現場に残された遺留品は、若花菜さんの口に張られた粘着テープのほか、こたつの上に置いてあった使い残しの粘着テープと茶色の缶コーヒーの空き缶、マイルドセブンライトとみられるたばこの吸いがら二本と少ない。凶器は依然として発見されていない。捜査本部はこれら数少ない遺留品の指紋の検出、商号などの鑑識活動、入手経路などの捜査に全力を挙げ、これまでに粘着テープのメーカーを特定したもようだ。
同テープは、日東電工社製の布製の粘着テープとみられている。750ナンバーの段ボール色でサイズは幅五㎝。同社製の粘着テープを扱う卸業者によると、主な取引先は本八戸駅前のスーパー系列という。文具店などは同社製以外のメーカー商品を扱っており、現場周辺では同スーパーだけ。
事件当日の二十七日、同スーパーで中年男性がこの粘着テープを購入したのが確認されている。レジのレシートなどから購入時間は午前十時五十分ごろ。中年男性のレジを担当した店員によると、年齢は四十歳前後で中肉中背、地味な色の服を着ていた。粘着テープは一日に一本出るか出ないかの商品で、紙製より値段の高い布製を買う人は少ないという。この中年男性は粘着テープと干しガレイの二品を購入。レジでは顔を向けずそわそわしていたような感じがした、とも証言する。
犯行時間ごろ現場付近を走り去った不審な人物として、似顔絵を作成した男と年代が近いことから、捜査本部は事件に関与した可能性もあるとみて、人物の特定を急いでいる。
一方この日、若花菜さんの火葬が親類や同級生ら約百人が参列して営まれた。火葬一時間前の午前一時の出棺には、二中生ら五十人が駆けつけ、若花菜さんを見送った。
十一月二日火曜日
不審者の特定急ぐ
若花菜さん刺殺事件
凶器は依然未発見
捜査本部は一日も、犯行時刻ごろ現場付近で目撃された中年男性の割り出しに全力を挙げる一方、市民情報による不審者や前歴者など数十人をリストアップし、事件との関連を調べている。
捜査本部のこれまでの調べで、犯行時刻ごろに現場付近で目撃された不審者、不審車両をはじめ、事件後に首や手、顔などに引っ掻き傷がある複数の人物が目撃されている。同本部ではそれら不審者の特定を急ぐ一方、特定された人物数人から事情を聴き事件との関連を調べているが、今のところ直接事件に結びつく有力な手掛かりは得られておらず、凶器も依然発見されていない。 また、犯行に使われた布製粘着テープはJR本八戸駅前のスーパーで購入されたとの見方を強め、犯行当日購入した中年男性の特定を急いでいる。
十一月三日水曜日
八戸の女子中生刺殺事件から一週間
依然有力な手掛かりなし
捜査員百六十人に増員
捜査本部はこれまでに延べ九百六十四人の捜査員を投入したが、「直接事件に結びつく有力な手掛かりは得られておらず苦しい捜査」(山田寿夫刑事部長)を強いられている。
二日からは捜査員三十一人を増員、百六十人態勢で望み、これまでに犯行時刻ごろ若花菜さん宅に男性の訪問者があったことが分かった。捜査本部では、この男性から当時の状況などについて事情を聴いた。この男性は「集金で立ち寄り、若花菜さんと玄関先で一、二分立ち話をし、『母親が早くとも午後六時半でないと帰らない』というので帰った。特別変わった様子はなかった」と話している。
捜査本部のこれまでの調べで、若花菜さんの帰宅時間は午後六時ごろと推定されている。
しかし、この男性は「訪れたのは午後五時半から五時五十分ごろ」と話しているため、捜査本部では時間帯の特定などについて確認を急いでいる。
粘着テープ購入の男性は無関係
JR本八戸駅前のスーパーで事件当日の午前中、犯行に使われた物と同型の粘着テープを購入した男性が目撃されていたが、捜査本部によるとこの男性は市内の会社員(49)で、二日までに名乗り出て事件とは無関係であることが分かった。
若花菜さんはモダンバレーを習っており、毎週水曜日がけいこ日で、事件があった二十七日も母親と行く約束をしていた。けいこは午後七時からで、いつもは六時五十分ごろ家を出ていたという。家政婦の母親は、ふだん午後七時半ごろに帰宅するが、水曜日だけは一緒にけいこに行くため午後六時半前後だった。
このため若花菜さんは午後六時半までに帰宅すればいいことになる。ところが、「きょうは六時までに帰宅し、二十分ごろまでは家に居なければならない」と友人に話していたことが、関係者の証言で分かった。
友人が「どうして」と聞いても、けいこのことも言わず理由を濁していたという。
この時間帯は母親がまだ帰宅しておらず、若花菜さんが一人だけになる数十分間に、だれかと会う約束をしていた可能性が出ている。その人物は誰なのか。家族と会う確率も高く、居合わせても疑われない人物とも考えられる。
一方、居間のこたつの上にたばこの吸いがら二本と口の開いた缶コーヒーがあった。父親は出稼ぎ中で、自宅には灰皿がなく家族はたばこを吸わないようだ。けいこ日だったことに加え、夕食時でいつ家族が帰宅しても不思議ではない状況で、たばこを二本も吸う余裕があった人物が犯行時間帯にいた可能性も考えられる。
室内は物色された形跡がなく、物取りの線は薄い。遺留品は犯人のものとみられ、捜査本部は顔見知りによる計画的な犯行との見方を含め、若花菜さんの交遊関係を中心に捜査を進めている。
十一月一日月曜日
粘着テープは近くのスーパーの希少品
買った中年男目撃
捜査本部は三十一日までに、若花菜さんの口に張られていた粘着テープを販売する店は限定されており、現場付近ではJR本八戸駅前のスーパーだけ。事件当日、その粘着テープを買い求めた中年男性が目撃されており、捜査本部も事件解明の有力な手掛かりとみて、人物の特定を急いでいる。
捜査本部のこれまでの調べによると、犯行現場に残された遺留品は、若花菜さんの口に張られた粘着テープのほか、こたつの上に置いてあった使い残しの粘着テープと茶色の缶コーヒーの空き缶、マイルドセブンライトとみられるたばこの吸いがら二本と少ない。凶器は依然として発見されていない。捜査本部はこれら数少ない遺留品の指紋の検出、商号などの鑑識活動、入手経路などの捜査に全力を挙げ、これまでに粘着テープのメーカーを特定したもようだ。
同テープは、日東電工社製の布製の粘着テープとみられている。750ナンバーの段ボール色でサイズは幅五㎝。同社製の粘着テープを扱う卸業者によると、主な取引先は本八戸駅前のスーパー系列という。文具店などは同社製以外のメーカー商品を扱っており、現場周辺では同スーパーだけ。
事件当日の二十七日、同スーパーで中年男性がこの粘着テープを購入したのが確認されている。レジのレシートなどから購入時間は午前十時五十分ごろ。中年男性のレジを担当した店員によると、年齢は四十歳前後で中肉中背、地味な色の服を着ていた。粘着テープは一日に一本出るか出ないかの商品で、紙製より値段の高い布製を買う人は少ないという。この中年男性は粘着テープと干しガレイの二品を購入。レジでは顔を向けずそわそわしていたような感じがした、とも証言する。
犯行時間ごろ現場付近を走り去った不審な人物として、似顔絵を作成した男と年代が近いことから、捜査本部は事件に関与した可能性もあるとみて、人物の特定を急いでいる。
一方この日、若花菜さんの火葬が親類や同級生ら約百人が参列して営まれた。火葬一時間前の午前一時の出棺には、二中生ら五十人が駆けつけ、若花菜さんを見送った。
十一月二日火曜日
不審者の特定急ぐ
若花菜さん刺殺事件
凶器は依然未発見
捜査本部は一日も、犯行時刻ごろ現場付近で目撃された中年男性の割り出しに全力を挙げる一方、市民情報による不審者や前歴者など数十人をリストアップし、事件との関連を調べている。
捜査本部のこれまでの調べで、犯行時刻ごろに現場付近で目撃された不審者、不審車両をはじめ、事件後に首や手、顔などに引っ掻き傷がある複数の人物が目撃されている。同本部ではそれら不審者の特定を急ぐ一方、特定された人物数人から事情を聴き事件との関連を調べているが、今のところ直接事件に結びつく有力な手掛かりは得られておらず、凶器も依然発見されていない。 また、犯行に使われた布製粘着テープはJR本八戸駅前のスーパーで購入されたとの見方を強め、犯行当日購入した中年男性の特定を急いでいる。
十一月三日水曜日
八戸の女子中生刺殺事件から一週間
依然有力な手掛かりなし
捜査員百六十人に増員
捜査本部はこれまでに延べ九百六十四人の捜査員を投入したが、「直接事件に結びつく有力な手掛かりは得られておらず苦しい捜査」(山田寿夫刑事部長)を強いられている。
二日からは捜査員三十一人を増員、百六十人態勢で望み、これまでに犯行時刻ごろ若花菜さん宅に男性の訪問者があったことが分かった。捜査本部では、この男性から当時の状況などについて事情を聴いた。この男性は「集金で立ち寄り、若花菜さんと玄関先で一、二分立ち話をし、『母親が早くとも午後六時半でないと帰らない』というので帰った。特別変わった様子はなかった」と話している。
捜査本部のこれまでの調べで、若花菜さんの帰宅時間は午後六時ごろと推定されている。
しかし、この男性は「訪れたのは午後五時半から五時五十分ごろ」と話しているため、捜査本部では時間帯の特定などについて確認を急いでいる。
粘着テープ購入の男性は無関係
JR本八戸駅前のスーパーで事件当日の午前中、犯行に使われた物と同型の粘着テープを購入した男性が目撃されていたが、捜査本部によるとこの男性は市内の会社員(49)で、二日までに名乗り出て事件とは無関係であることが分かった。
三八五流通、火葬場指定管理料を上げてくれと泣き2
焼き場の使用料がタダに問題がある。遺体を焼くには燃油代がかかり、この高騰で三八五が泣きをいれた。そもそも、焼き場使用料がタダに問題がある。
村八分の言葉がある。仲間に入れないことだが、二分が残る、それは火事と葬式だ。仲間はずれにした村人の家に火事がでれば類焼のおそれもある。だから手伝う。葬式も同様、疫病にかかって放置すれば村人達にも被害あり。だから手伝う。
疫病にかかれば焼かなければならない。焼き場に運ぶと隠坊(おんぼう・火葬、埋葬の作業をする者)に焼き賃を現金で支払う。そのため葬式に集まる人は香典を持ち寄る。香典は勿論現金。日本はこれを香典葬と呼ぶ風習。
つまり焼き場の使用料は現金で支払うのが慣わし。ところが八戸市が小中野にあった焼き場を現在地に移し無料とした。この焼き場の使用料をとろうとの動きも市役所の市民課にあった。それが次の文書。
八戸市斎場使用料について
○ 昭和57年の建築時、八戸市民の斎場使用料は政策的に無料とされ今日に至っている。
○ 合併協議会加入町村のうち、三戸斎場、五戸斎場を使用している町村は負担金を支出しており、新郷村の一部負担1,000円を除いて無料である。
○ 地域経済が停滞し、市民所得が伸び悩んでいる現状の中、市民に新たな負担を求めることは、理解が得られ難いと思われる。
○ 当分改築等の予定もなく、有料化によるサービスの向上を回る理由を見つけにくい。
○ 青森県内では弘前市のみ6,000円と有料であるが、東北地方の主要都市が概ね無料である。
○ 今後の斎場運営について、委託料の見直し等経費節減に努めるとともに、将来的には民間委託等も視野に入れ、自助努力に努める。
○ 将来、斎場の増改築により、市民サービスの向上が図られる場合に検討することとしたい。
この文書には日付の記載がない。次の文書が最新のものと思われる。
平成15年10月30日
財政健全化計画の中の「事務事業の見直し」で斎場使用料のうち、無料としている市内居住者に対し、応分の負担を取るよう検討できないかとの財政課からの要請があった。
部内で検討した結果、現行どおりという結論に至ったが、財政課は納得せず三役の判断を仰ぐことになった。
15・10・23 収入役へ説明・一部事務組合の動向を調べよ。受益者負担は必要。
10・28 助役へ説明・新築、増改築がないのに有料とするわけにはいかない。
10・30 市長へ説明・現時点では有料化は無理。いずれ検討しよう。
上記のとおり有料化は見送りの方向で結論が出た。
説明はいずれも石橋市民生活部長、野坂次長、古里が行った。石橋市民生活部長から大野財政部長にこの旨伝え財政課の了解を得た。(財政課としては無料という現状を三役に知ってもらうほか、応分の負担が必要ということもわかってもらいたいという意図があったようだ)
石橋充志市議会議員が12月定例議会において斎場使用料について一般質問をするという話を聞いているが今回の結論を踏まえて答弁資料を作成することとなる。15・10・30 市民課 古里
現在の市民課長も同様な意見であるが、燃油高騰が過去にはなかった。この点への備えとしても、使用料の徴収は必要になろう。指定管理への支払いの原資なくして交渉にものれない。
すると、この使用料を利用料にする手もある。これを遠謀し三八五に焼き場の管理をするように「はちのへ今昔」がすすめた。
ところが彼らがだるくて今回の燃油代の負担を願う事態となったが、泣きを入れるにはそれ相応の手立てもあろう。なりふり構わず泣けば、買い物について歩くガキが道路にひっくりかえってダダをこねると同じだ。
交渉事には作法もあろう。次回は交渉と遠謀を記す。
村八分の言葉がある。仲間に入れないことだが、二分が残る、それは火事と葬式だ。仲間はずれにした村人の家に火事がでれば類焼のおそれもある。だから手伝う。葬式も同様、疫病にかかって放置すれば村人達にも被害あり。だから手伝う。
疫病にかかれば焼かなければならない。焼き場に運ぶと隠坊(おんぼう・火葬、埋葬の作業をする者)に焼き賃を現金で支払う。そのため葬式に集まる人は香典を持ち寄る。香典は勿論現金。日本はこれを香典葬と呼ぶ風習。
つまり焼き場の使用料は現金で支払うのが慣わし。ところが八戸市が小中野にあった焼き場を現在地に移し無料とした。この焼き場の使用料をとろうとの動きも市役所の市民課にあった。それが次の文書。
八戸市斎場使用料について
○ 昭和57年の建築時、八戸市民の斎場使用料は政策的に無料とされ今日に至っている。
○ 合併協議会加入町村のうち、三戸斎場、五戸斎場を使用している町村は負担金を支出しており、新郷村の一部負担1,000円を除いて無料である。
○ 地域経済が停滞し、市民所得が伸び悩んでいる現状の中、市民に新たな負担を求めることは、理解が得られ難いと思われる。
○ 当分改築等の予定もなく、有料化によるサービスの向上を回る理由を見つけにくい。
○ 青森県内では弘前市のみ6,000円と有料であるが、東北地方の主要都市が概ね無料である。
○ 今後の斎場運営について、委託料の見直し等経費節減に努めるとともに、将来的には民間委託等も視野に入れ、自助努力に努める。
○ 将来、斎場の増改築により、市民サービスの向上が図られる場合に検討することとしたい。
この文書には日付の記載がない。次の文書が最新のものと思われる。
平成15年10月30日
財政健全化計画の中の「事務事業の見直し」で斎場使用料のうち、無料としている市内居住者に対し、応分の負担を取るよう検討できないかとの財政課からの要請があった。
部内で検討した結果、現行どおりという結論に至ったが、財政課は納得せず三役の判断を仰ぐことになった。
15・10・23 収入役へ説明・一部事務組合の動向を調べよ。受益者負担は必要。
10・28 助役へ説明・新築、増改築がないのに有料とするわけにはいかない。
10・30 市長へ説明・現時点では有料化は無理。いずれ検討しよう。
上記のとおり有料化は見送りの方向で結論が出た。
説明はいずれも石橋市民生活部長、野坂次長、古里が行った。石橋市民生活部長から大野財政部長にこの旨伝え財政課の了解を得た。(財政課としては無料という現状を三役に知ってもらうほか、応分の負担が必要ということもわかってもらいたいという意図があったようだ)
石橋充志市議会議員が12月定例議会において斎場使用料について一般質問をするという話を聞いているが今回の結論を踏まえて答弁資料を作成することとなる。15・10・30 市民課 古里
現在の市民課長も同様な意見であるが、燃油高騰が過去にはなかった。この点への備えとしても、使用料の徴収は必要になろう。指定管理への支払いの原資なくして交渉にものれない。
すると、この使用料を利用料にする手もある。これを遠謀し三八五に焼き場の管理をするように「はちのへ今昔」がすすめた。
ところが彼らがだるくて今回の燃油代の負担を願う事態となったが、泣きを入れるにはそれ相応の手立てもあろう。なりふり構わず泣けば、買い物について歩くガキが道路にひっくりかえってダダをこねると同じだ。
交渉事には作法もあろう。次回は交渉と遠謀を記す。
2008年10月9日木曜日
時効せまる・若花菜さん殺し 1
「はちのへ今昔」が過去に掲載した事件を再掲する。
憎むべきは殺人犯、自分の欲望を遂げるために一直線に目標に向かって突っ走る。そして、何の罪咎のない中学二年生の生命を奪った行為はどのように弁解してもしきれるものではない。その犯人が、この八戸の空の下にいると思うと腹立たしいを通り越して憤りを感ずる。この中学生も生きていれば二十歳を迎える。どんなにか無念だったろう。悔しかっただろう。新聞記事からも活発で利発な子だったことは判る。
この子の無念を晴らすために今一度市民の皆さんに当時を思い出してもらうために、平成五年の十月二十七日はどんな日だったかを記してみる。
平成五年の十月は野村監督率いるヤクルトと西武が日本シリーズの覇権をかけての試合をしていた。二十五日の月曜日は西武球場でヤクルトが西武を5-2で破り二連勝。秋季国体が徳島市で開催され本県選手は入場式に二番目に登場。同日、八戸市では中里市長と畑中哲雄共産党新人が市長選の第一声を上げた。中里市長は五十万都市実現へ続投を呼びかけた。青森放送テレビは『世界まる見え!テレビ特捜部』『関口宏のびっくりトーク・ハトがでますよ!』、青森テレビは『水戸黄門』『月曜ドラマスペシャル森繁ドラマシリーズ「おやじのヒゲ15」』を放映。
十月二十六日火曜日は日本、宿敵韓国破る、夢のW杯出場へ大きく前進、カズ千金ゴール、後半14分とサッカーの試合が大きく報じられている。神宮球場では西武が7-2でヤクルトを撃破。国体ではレスリングのフリースタイルで工大一高の小笠原選手が三位に輝いた。
こんな日々が続いた中での凶行だ。十月三十日土曜日のデーリー東北は次のように伝えている。走り去った中年男、犯行直後、付近住民が目撃、捜査本部似顔絵作り聞き込みの大きな活字が並ぶ。
捜査本部は二十九日も凶器や遺留品の発見を急ぐ一方、若花菜さんの下校コースや現場周辺の聞き込み捜査に全力を挙げた。凶器などは依然発見されていないが、犯行当時「現場付近で不審な男を見かけた」との複数の情報もあり、捜査本部は似顔絵を作成し事件との関連を調べている。捜査本部に市民から寄せられた目撃証言で、これまでに複数の『ナゾ』の人物も浮上。この中で、犯行直後に現場付近から走り去った中年の男性が住民に目撃されている。捜査本部は有力な手掛かりとみて、似顔絵を作成し、人物の特定を急いでいる。また,若花菜さんの通学路コースを中心に新たな目撃情報の収集に全力を挙げている。
三つのナゾを探る
なぜ「きょうは早く帰る」
犯行時間、若花菜さんは犯行当日、午後六時ごろ帰宅。母親は同二十五分ごろに帰宅している。このわずか二十数分の間の犯行だった。
若花菜さんは通常、午後五時半に部活動を終え途中の食料品店に立ち寄るため、帰宅するのは午後六時半ごろ。一方、母親の帰る時間は子供たちの帰宅時間に合わせるよう職場で調整しているが、午後五時から七時と幅がある状態。しかし、ほとんど子供たちと一緒にいる日が多かったという。このような状況の中で母親に目撃されずに犯行・逃走したのは偶然だろうか。
また、普通であれば一人で母親の帰りを待つことのない若花菜さんだが、犯行当日は「きょうは早く帰らなければ…」と友人に漏らしており、早い帰宅の理由が事件の一つのポイントだ。
包丁持ち出したのはだれ
現場状況
若花菜さんが遺体で見つかった自宅六畳間には、台所にあるはずの小型出刃包丁が放置されていた。血痕が全く付着しておらず、凶器として使われた可能性はない。犯人は、凶器をあらかじめ準備していたとみられ、だれが、何の目的でこの包丁を台所から持ち出したのかナゾのままだ。
若花菜さんは、帰宅した後、六畳居間の室内灯をつけ、コタツのスイッチも入れたとみられている。この際、犯人に襲われたと仮定すれば、若花菜さんが包丁を持ち出すことはほとんど無理と考えられる。犯人を振り切って台所に行ったとしても、血痕がそこでひとつも見つかっていないのは不自然なうえ、玄関がすぐ近くにあり外へ逃げるのが可能だったと思われる。
また犯人が持ち出し、凶行に及ぶ際にあらかじめ準備していた凶器に取り替えたとは考えにくい。台所に血痕がない点から、負傷する前に若花菜さんが威嚇などの目的で持ち出した可能性も捨てきれない。最初、警戒感を抱かない顔見知りか、そのほかの訪問者を玄関に迎えた後、身の危険を感じ持ち出したが奪われ放置された-との線も否定できない状況だ。
心臓に致命傷、顔見知りか
心理
遺体にはふくらはぎ、ひざ、首に切り傷があったほか、致命傷は心臓を貫通する刺し傷だった。明確な殺意を示す部位だけに事件当時の犯人の心理が、事件を解く一つのカギとなっている。
心臓を貫通させる刺し傷について心理学に詳しい大学教授の推理によると、「犯人は顔見知りの可能性が強いと考えられる。事件後に被害者から証言されれば、自分の犯行が明らかになってしまうことを恐れ、徹底的に攻撃を加える場合が多い」と分析する。
犯行当時、室内の物色もなく、争った形跡もない点などを推論の補強材料として挙げる。一方顔見知り以外の可能性については、「顔を目撃されても自分の立場が危うくならない人物にすれば、殺すまでには至らないと思われる。犯行後に逃走すれば事件との関連がわからなくなるからだ」と指摘する。
現時点で犯人像が絞り込まれていない中で、残忍な犯行が何を示しているのか。傷の部位をめぐり、顔見知りによる犯行説も一つの可能性として浮かびあがってきた。
十月三十一日日曜日
現場に吸いがら、缶コーヒー
女子中学生刺殺顔見しりの線濃く
自宅で会う約束していた?
八戸署に設けられた捜査本部は三十日も凶器や遺留品の捜索や現場周辺の聞き込み捜査に全力を挙げた。これまでの関係者らの証言で、若花菜さんが学校で「六時までに帰り二十分ごろまでは家に居なければならない」と友人に漏らしていたことが判明。さらに、自宅居間のこたつ上に家族以外のものとみられるたばこの吸いがらなどがあったことから、顔見知りによる計画的な犯行との見方が浮かび上がっている。
憎むべきは殺人犯、自分の欲望を遂げるために一直線に目標に向かって突っ走る。そして、何の罪咎のない中学二年生の生命を奪った行為はどのように弁解してもしきれるものではない。その犯人が、この八戸の空の下にいると思うと腹立たしいを通り越して憤りを感ずる。この中学生も生きていれば二十歳を迎える。どんなにか無念だったろう。悔しかっただろう。新聞記事からも活発で利発な子だったことは判る。
この子の無念を晴らすために今一度市民の皆さんに当時を思い出してもらうために、平成五年の十月二十七日はどんな日だったかを記してみる。
平成五年の十月は野村監督率いるヤクルトと西武が日本シリーズの覇権をかけての試合をしていた。二十五日の月曜日は西武球場でヤクルトが西武を5-2で破り二連勝。秋季国体が徳島市で開催され本県選手は入場式に二番目に登場。同日、八戸市では中里市長と畑中哲雄共産党新人が市長選の第一声を上げた。中里市長は五十万都市実現へ続投を呼びかけた。青森放送テレビは『世界まる見え!テレビ特捜部』『関口宏のびっくりトーク・ハトがでますよ!』、青森テレビは『水戸黄門』『月曜ドラマスペシャル森繁ドラマシリーズ「おやじのヒゲ15」』を放映。
十月二十六日火曜日は日本、宿敵韓国破る、夢のW杯出場へ大きく前進、カズ千金ゴール、後半14分とサッカーの試合が大きく報じられている。神宮球場では西武が7-2でヤクルトを撃破。国体ではレスリングのフリースタイルで工大一高の小笠原選手が三位に輝いた。
こんな日々が続いた中での凶行だ。十月三十日土曜日のデーリー東北は次のように伝えている。走り去った中年男、犯行直後、付近住民が目撃、捜査本部似顔絵作り聞き込みの大きな活字が並ぶ。
捜査本部は二十九日も凶器や遺留品の発見を急ぐ一方、若花菜さんの下校コースや現場周辺の聞き込み捜査に全力を挙げた。凶器などは依然発見されていないが、犯行当時「現場付近で不審な男を見かけた」との複数の情報もあり、捜査本部は似顔絵を作成し事件との関連を調べている。捜査本部に市民から寄せられた目撃証言で、これまでに複数の『ナゾ』の人物も浮上。この中で、犯行直後に現場付近から走り去った中年の男性が住民に目撃されている。捜査本部は有力な手掛かりとみて、似顔絵を作成し、人物の特定を急いでいる。また,若花菜さんの通学路コースを中心に新たな目撃情報の収集に全力を挙げている。
三つのナゾを探る
なぜ「きょうは早く帰る」
犯行時間、若花菜さんは犯行当日、午後六時ごろ帰宅。母親は同二十五分ごろに帰宅している。このわずか二十数分の間の犯行だった。
若花菜さんは通常、午後五時半に部活動を終え途中の食料品店に立ち寄るため、帰宅するのは午後六時半ごろ。一方、母親の帰る時間は子供たちの帰宅時間に合わせるよう職場で調整しているが、午後五時から七時と幅がある状態。しかし、ほとんど子供たちと一緒にいる日が多かったという。このような状況の中で母親に目撃されずに犯行・逃走したのは偶然だろうか。
また、普通であれば一人で母親の帰りを待つことのない若花菜さんだが、犯行当日は「きょうは早く帰らなければ…」と友人に漏らしており、早い帰宅の理由が事件の一つのポイントだ。
包丁持ち出したのはだれ
現場状況
若花菜さんが遺体で見つかった自宅六畳間には、台所にあるはずの小型出刃包丁が放置されていた。血痕が全く付着しておらず、凶器として使われた可能性はない。犯人は、凶器をあらかじめ準備していたとみられ、だれが、何の目的でこの包丁を台所から持ち出したのかナゾのままだ。
若花菜さんは、帰宅した後、六畳居間の室内灯をつけ、コタツのスイッチも入れたとみられている。この際、犯人に襲われたと仮定すれば、若花菜さんが包丁を持ち出すことはほとんど無理と考えられる。犯人を振り切って台所に行ったとしても、血痕がそこでひとつも見つかっていないのは不自然なうえ、玄関がすぐ近くにあり外へ逃げるのが可能だったと思われる。
また犯人が持ち出し、凶行に及ぶ際にあらかじめ準備していた凶器に取り替えたとは考えにくい。台所に血痕がない点から、負傷する前に若花菜さんが威嚇などの目的で持ち出した可能性も捨てきれない。最初、警戒感を抱かない顔見知りか、そのほかの訪問者を玄関に迎えた後、身の危険を感じ持ち出したが奪われ放置された-との線も否定できない状況だ。
心臓に致命傷、顔見知りか
心理
遺体にはふくらはぎ、ひざ、首に切り傷があったほか、致命傷は心臓を貫通する刺し傷だった。明確な殺意を示す部位だけに事件当時の犯人の心理が、事件を解く一つのカギとなっている。
心臓を貫通させる刺し傷について心理学に詳しい大学教授の推理によると、「犯人は顔見知りの可能性が強いと考えられる。事件後に被害者から証言されれば、自分の犯行が明らかになってしまうことを恐れ、徹底的に攻撃を加える場合が多い」と分析する。
犯行当時、室内の物色もなく、争った形跡もない点などを推論の補強材料として挙げる。一方顔見知り以外の可能性については、「顔を目撃されても自分の立場が危うくならない人物にすれば、殺すまでには至らないと思われる。犯行後に逃走すれば事件との関連がわからなくなるからだ」と指摘する。
現時点で犯人像が絞り込まれていない中で、残忍な犯行が何を示しているのか。傷の部位をめぐり、顔見知りによる犯行説も一つの可能性として浮かびあがってきた。
十月三十一日日曜日
現場に吸いがら、缶コーヒー
女子中学生刺殺顔見しりの線濃く
自宅で会う約束していた?
八戸署に設けられた捜査本部は三十日も凶器や遺留品の捜索や現場周辺の聞き込み捜査に全力を挙げた。これまでの関係者らの証言で、若花菜さんが学校で「六時までに帰り二十分ごろまでは家に居なければならない」と友人に漏らしていたことが判明。さらに、自宅居間のこたつ上に家族以外のものとみられるたばこの吸いがらなどがあったことから、顔見知りによる計画的な犯行との見方が浮かび上がっている。
三八五流通、火葬場指定管理料を上げてくれと泣き1
八戸市が民間の知恵で自分たちが管理すると金がかかりすぎると、指定管理者制度を導入し、それが成功している部門と、さほど効果を上げていないものとに分かれた。
水産科学館のマリエントは管理者が変わって来館者が増えた。火葬場の焼かれる人間は間違いなく、これからの三十年は最大ピークを迎える。八戸市の55歳以上の人口は50%以上、これらが順番は分からぬが必ず死ぬ。吉田兼好が鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつる習ひならばと嘆いたように、八戸の火葬場も煙の数は次第に増加。
焼き場の炉も増設しなければならない。施設も老朽化していると、焼き場の費用は確実に増大。ところが建設当時の市長秋山皐二郎が焼き場の使用料を無料とした。焼くには油を使用、ところが燃油の大幅な値上がり。これで三八五が困った。
そこで市役所と交渉開始、こうなると市側も指定管理料は三年間、五年間で契約する、あるいはしたのだから、そんなことを言われても困る。と困ると困るが集まって協議だから大丸、小丸だ。
市側は指定管理全体に影響を及ぼすため、そう簡単に三八五の言い分を認めるわけにはいかないと強硬な態度。このままでは三八五の言い分はポシャる。さらに燃油が八月をピークとして下落していることも、言い分に迫力を欠いている。
三八五のこうした泣きは当然予想できた。だからこそ、毎週土曜日に火葬場を監視していた。四月から七月までの三ヶ月、十二回に渡り、利用者側、指定管理側、市役所側からの問題点を分析。
そして、そこで見えたのは三八五の努力不足。焼き場のカマで一日十体を焼く。この焼き場に滞留する遺族、および親族知人は一体あたり二十人として、一日200人が最低でも焼きあがるまでの一時間は待機。
そこで故人の思い出話をするのが供養、死ねば物体を失い、各人の心の中にしか存在しなくなる。その故人を偲ぶために仏壇だの墓石がある。
それは心は形を求め、形は心をすすめるからだ。仏教をみろ、仏教がこれですと見せられる人はいない。見えない仏教をいかに見せるかに苦心、それが仏教の歴史でもある。
人は何か拠り所を求める、それがないと偲ぶよすがを無くすことにもなる。そのため形が欲しくなる。それで仏壇屋が食っていける訳。
焼き場の場長は市の職員だったが、三八五に雇われた。この人に焼きあがる一時間をどう処理すべきかが分からない。待機する200人に飲食をすすめ一人あたり五十円の利益を上げる。一日1万の利益、一月で30万、一年で360万円。これが燃油代に向けられると教えたが聞く耳を持たない。
挙句、それをしたいと市役所に申し入れたが断られたという。確かにこれを市役所に確認したところ、担当の市民課は飲食は火葬場になじまないと断言。そうした態度では必ず運営に困難を生ずると「はちのへ今昔」が断言したのは三八五が指定管理をとった年。
そしてこれが今年顕在化(けんざいか・隠れたものが出てきた)した。すると市民課は態度を一変、企業努力を認めると言い出した。役所なんてのは猫の眼、何を言い出すかさっぱりわからぬ、こんな者に頭を下げなければならぬ三八五も気の毒ともいえるが、三八五はホテル部門を持つ、これらが焼き場の職員を指導し、心のこもったもてなしを導入するのかと見ていたが、さっぱりしない。
職員が変らずに焼き場の体質が変るわけもない。焼けた骨を炉から引き出す、この折、作業服で引き出したのを見て、焼き場は工場じゃないと市役所に噛んでやった。そういう事実は無く、黒服の職員が引き出していると強調。「はちのへ今昔」の目玉はそれをしかと捉えた、それから毎回カメラを持って出た。画像を見せないと言い逃れをするから。
三八五としては管理料が目当てで、焼き場の改変などを考えていない。だからこそ職員の再教育もしない。燃油が上がれば貰えばいいとの判断で市側と交渉。その前に自助努力はないのか。
滞留する客に心のこもった接客をする。飲食をすすめ燃油の足しとする。役所は態度を豹変し、三八五も努力をして欲しいと言い出す。さて、本質は見えないところに隠れている、まるで仏教のように、焼き場が抱える根源的な問題は明日掲載。
続
水産科学館のマリエントは管理者が変わって来館者が増えた。火葬場の焼かれる人間は間違いなく、これからの三十年は最大ピークを迎える。八戸市の55歳以上の人口は50%以上、これらが順番は分からぬが必ず死ぬ。吉田兼好が鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつる習ひならばと嘆いたように、八戸の火葬場も煙の数は次第に増加。
焼き場の炉も増設しなければならない。施設も老朽化していると、焼き場の費用は確実に増大。ところが建設当時の市長秋山皐二郎が焼き場の使用料を無料とした。焼くには油を使用、ところが燃油の大幅な値上がり。これで三八五が困った。
そこで市役所と交渉開始、こうなると市側も指定管理料は三年間、五年間で契約する、あるいはしたのだから、そんなことを言われても困る。と困ると困るが集まって協議だから大丸、小丸だ。
市側は指定管理全体に影響を及ぼすため、そう簡単に三八五の言い分を認めるわけにはいかないと強硬な態度。このままでは三八五の言い分はポシャる。さらに燃油が八月をピークとして下落していることも、言い分に迫力を欠いている。
三八五のこうした泣きは当然予想できた。だからこそ、毎週土曜日に火葬場を監視していた。四月から七月までの三ヶ月、十二回に渡り、利用者側、指定管理側、市役所側からの問題点を分析。
そして、そこで見えたのは三八五の努力不足。焼き場のカマで一日十体を焼く。この焼き場に滞留する遺族、および親族知人は一体あたり二十人として、一日200人が最低でも焼きあがるまでの一時間は待機。
そこで故人の思い出話をするのが供養、死ねば物体を失い、各人の心の中にしか存在しなくなる。その故人を偲ぶために仏壇だの墓石がある。
それは心は形を求め、形は心をすすめるからだ。仏教をみろ、仏教がこれですと見せられる人はいない。見えない仏教をいかに見せるかに苦心、それが仏教の歴史でもある。
人は何か拠り所を求める、それがないと偲ぶよすがを無くすことにもなる。そのため形が欲しくなる。それで仏壇屋が食っていける訳。
焼き場の場長は市の職員だったが、三八五に雇われた。この人に焼きあがる一時間をどう処理すべきかが分からない。待機する200人に飲食をすすめ一人あたり五十円の利益を上げる。一日1万の利益、一月で30万、一年で360万円。これが燃油代に向けられると教えたが聞く耳を持たない。
挙句、それをしたいと市役所に申し入れたが断られたという。確かにこれを市役所に確認したところ、担当の市民課は飲食は火葬場になじまないと断言。そうした態度では必ず運営に困難を生ずると「はちのへ今昔」が断言したのは三八五が指定管理をとった年。
そしてこれが今年顕在化(けんざいか・隠れたものが出てきた)した。すると市民課は態度を一変、企業努力を認めると言い出した。役所なんてのは猫の眼、何を言い出すかさっぱりわからぬ、こんな者に頭を下げなければならぬ三八五も気の毒ともいえるが、三八五はホテル部門を持つ、これらが焼き場の職員を指導し、心のこもったもてなしを導入するのかと見ていたが、さっぱりしない。
職員が変らずに焼き場の体質が変るわけもない。焼けた骨を炉から引き出す、この折、作業服で引き出したのを見て、焼き場は工場じゃないと市役所に噛んでやった。そういう事実は無く、黒服の職員が引き出していると強調。「はちのへ今昔」の目玉はそれをしかと捉えた、それから毎回カメラを持って出た。画像を見せないと言い逃れをするから。
三八五としては管理料が目当てで、焼き場の改変などを考えていない。だからこそ職員の再教育もしない。燃油が上がれば貰えばいいとの判断で市側と交渉。その前に自助努力はないのか。
滞留する客に心のこもった接客をする。飲食をすすめ燃油の足しとする。役所は態度を豹変し、三八五も努力をして欲しいと言い出す。さて、本質は見えないところに隠れている、まるで仏教のように、焼き場が抱える根源的な問題は明日掲載。
続
2008年10月8日水曜日
水道企業団の利益隠し、水道料、本当は下がる 2
水道加入金の積算額は平成9年から34億5千万円にのぼる。これは収益的収入から資本的収入に移され、市民の眼からこの巨額な利益が隠された。
すると、この水道加入金を別な計算に入れたことを議員に知らせたかが問題になる。議会を傍聴した人もいるだろうから、察することができよう、議員諸君は市側、水道企業団側から出た審議項目に「異議なし」を唱えるのを常とする。
議長もいかに議事を遅滞なくすすめるかを旨とする。ここにアウンの呼吸がある。そこで水道企業団側に聞いた。この加入金を移すことを議員団に問うたか?
○議事録からは明確にこれを移すとはない。だが、当時の職員が議会開催前に議員には、このようにしたいとレクチュアをしているはずです。
●その記録はあるか
○ない。
●するとしたのかもしれない、しなかったのかもしれない。議員団に知らせずそうしたかもしれない。
○そういうことはない。かならず議員団には告げているはず。
平成8年から9年に移るときに、この問題が生じた。水道企業団の議事録にはない。議員団はそれを知らされたかは不明。しかし、確実に市民の眼から、この34億5千万円は消えて、いかにも毎年の収益が八億円程度に圧縮された。これを加算すれば10億円以上の利益となり、水道料引き下げを視野に入れなければならない。
これを意図的に避けたのだ。
当時の議員団の諸氏
8年・須藤昭雄、藤川友信、神田洋一、坂本美洋、田名部定男、山本憲昭、谷内政美、正部家佑介、夏堀市太郎、壬生末吉、三村正太郎、吉田豊、袴田健義。
9年・須藤昭雄、藤川友信、神田洋一、坂本美洋、田名部定男、杉沢四郎、三浦雄一、山本憲昭、正部家佑介、夏堀市太郎、壬生末吉、吉田豊、袴田健義。
これらの人々が記録にはない記憶をされているのか、記憶があれど、今になっては水道企業団にうまくやられただけ。しかし、水道企業団の職員だけの思惑で水道事業が進められる訳ではない。議員側からの提案、つまり議員提案でも事業は執行される。まさか、このことを水道企業団は忘れてはおるまい。
この議員提案による水道企業団の運営を読者諸兄は記憶していただきたい。これが次の展開を呼ぶことになるから。この件は稿を改めて記載。
すると、この水道加入金を別な計算に入れたことを議員に知らせたかが問題になる。議会を傍聴した人もいるだろうから、察することができよう、議員諸君は市側、水道企業団側から出た審議項目に「異議なし」を唱えるのを常とする。
議長もいかに議事を遅滞なくすすめるかを旨とする。ここにアウンの呼吸がある。そこで水道企業団側に聞いた。この加入金を移すことを議員団に問うたか?
○議事録からは明確にこれを移すとはない。だが、当時の職員が議会開催前に議員には、このようにしたいとレクチュアをしているはずです。
●その記録はあるか
○ない。
●するとしたのかもしれない、しなかったのかもしれない。議員団に知らせずそうしたかもしれない。
○そういうことはない。かならず議員団には告げているはず。
平成8年から9年に移るときに、この問題が生じた。水道企業団の議事録にはない。議員団はそれを知らされたかは不明。しかし、確実に市民の眼から、この34億5千万円は消えて、いかにも毎年の収益が八億円程度に圧縮された。これを加算すれば10億円以上の利益となり、水道料引き下げを視野に入れなければならない。
これを意図的に避けたのだ。
当時の議員団の諸氏
8年・須藤昭雄、藤川友信、神田洋一、坂本美洋、田名部定男、山本憲昭、谷内政美、正部家佑介、夏堀市太郎、壬生末吉、三村正太郎、吉田豊、袴田健義。
9年・須藤昭雄、藤川友信、神田洋一、坂本美洋、田名部定男、杉沢四郎、三浦雄一、山本憲昭、正部家佑介、夏堀市太郎、壬生末吉、吉田豊、袴田健義。
これらの人々が記録にはない記憶をされているのか、記憶があれど、今になっては水道企業団にうまくやられただけ。しかし、水道企業団の職員だけの思惑で水道事業が進められる訳ではない。議員側からの提案、つまり議員提案でも事業は執行される。まさか、このことを水道企業団は忘れてはおるまい。
この議員提案による水道企業団の運営を読者諸兄は記憶していただきたい。これが次の展開を呼ぶことになるから。この件は稿を改めて記載。
2008年10月7日火曜日
水道企業団の利益隠し、水道料、本当は下がる 1
水道企業団の19年度決算が出た。売り上げが82億円、費用が75億円、差し引き7億円の利益。だが、これは目くらまし。水道加入金2億4千万円が抜けている。
この水道加入金は家を建てる際に支払い、これは返されることはなく、水道企業団のタダ取り。つまり、これは売り上げと同様の収益収入。これを彼らは資本的収入に加算。
ここが水道企業団の変な計算方法。と、言うのは決算が収益的収入と資本的収入との二つあり。複式簿記が発明されたのはルネッサンスの頃ともローマ帝国の頃とも言われる歴史あるもの。ところが、日本では大福帳(売掛金元帳)で、複式簿記の紹介は明治六年の福沢諭吉の『帳合之法』を待たねばならなかった。
ところが市役所も水道企業団も変な帳簿を作成しているため、不思議な数字、変な分類を見る。水道企業団は建物の減価償却をするが、市役所はそれをしない。
あるようでないもの、空。あるようでないもの、市役所の建物。普通、一般の住宅、工場などは固定資産税が賦課される。ところが市役所には課税されない。自分が自分に課税するでは漫画。
ところが水道企業団は建物を減価償却する。なら、この建物にも課税しろ。ところが市役所と同じで、この建物は登記されていない。
あるようでないもの、空、あるようでないもの、水道企業団と市役所の建物。確かに見えるが、あれらは登記されていない。登記されないものは減価償却は必要ない。市役所はそれをするが水道企業団は別。これ変じゃないの?
それを悪用して、二度と返さない加入金を収益の欄に入れずに資本に入れ込む。その悪徳商法にも似た、収益隠しの原点はこれ。水道企業団からの文書。
水道加入金を収益的収入から資本的収入に組み入れる理由について。
水道加入金制度を昭和54年から実施。当時水道事業は拡張事業に費用をつぎ込んだため収支が悪化。これを補うため水道加入金制度を導入。これを老朽施設改良に向けるため収益から資本に組み入れる。
何を言っているのか分からない。当初、収益の悪化で加入金制度を導入。それを収益が改善されたため、利益が上がった。これを隠すには収益からこれを分離して資本に組み込んだ。
それでは、これが何時から開始されたのか。これを追求しなければならない。
続
この水道加入金は家を建てる際に支払い、これは返されることはなく、水道企業団のタダ取り。つまり、これは売り上げと同様の収益収入。これを彼らは資本的収入に加算。
ここが水道企業団の変な計算方法。と、言うのは決算が収益的収入と資本的収入との二つあり。複式簿記が発明されたのはルネッサンスの頃ともローマ帝国の頃とも言われる歴史あるもの。ところが、日本では大福帳(売掛金元帳)で、複式簿記の紹介は明治六年の福沢諭吉の『帳合之法』を待たねばならなかった。
ところが市役所も水道企業団も変な帳簿を作成しているため、不思議な数字、変な分類を見る。水道企業団は建物の減価償却をするが、市役所はそれをしない。
あるようでないもの、空。あるようでないもの、市役所の建物。普通、一般の住宅、工場などは固定資産税が賦課される。ところが市役所には課税されない。自分が自分に課税するでは漫画。
ところが水道企業団は建物を減価償却する。なら、この建物にも課税しろ。ところが市役所と同じで、この建物は登記されていない。
あるようでないもの、空、あるようでないもの、水道企業団と市役所の建物。確かに見えるが、あれらは登記されていない。登記されないものは減価償却は必要ない。市役所はそれをするが水道企業団は別。これ変じゃないの?
それを悪用して、二度と返さない加入金を収益の欄に入れずに資本に入れ込む。その悪徳商法にも似た、収益隠しの原点はこれ。水道企業団からの文書。
水道加入金を収益的収入から資本的収入に組み入れる理由について。
水道加入金制度を昭和54年から実施。当時水道事業は拡張事業に費用をつぎ込んだため収支が悪化。これを補うため水道加入金制度を導入。これを老朽施設改良に向けるため収益から資本に組み入れる。
何を言っているのか分からない。当初、収益の悪化で加入金制度を導入。それを収益が改善されたため、利益が上がった。これを隠すには収益からこれを分離して資本に組み込んだ。
それでは、これが何時から開始されたのか。これを追求しなければならない。
続
2008年10月6日月曜日
講談 安藤昌益発見伝
昨、十月五日、八戸市天聖寺で宝井琴桜の講談安藤昌益があった。会場には七十名ほどの観客。
開口一番、琴桜が寺が用意した経机(仏前で読経の時、経文をのせておく机)を釈台の代わりとして、張り扇を叩いて調子をみて、「八戸市には講釈師の使う釈台がありませんでしょうから、この机を借りました」と一発かました。
これは俗に言う、胸倉を摑む喋り、こうして軽く相手を牽制し、自分のペースに引き込み話をつなぐわけだが、八戸市をナメてはいけない。二十四万市民の中には東京上野の講釈のメッカ、本牧亭の釈台の寸法通りの本格的な物を持っている人がいて、その言葉に刺激され、会場を後にタクシーでそれを取りに帰った。
それで演じていただいたが、それを貸したのが「はちのへ今昔」。何故そんな物を持っていたか、それを語ると長くなるので一部省略、女流講釈師の一番が、この琴桜、一龍斉貞水(人間国宝・これになると国から毎月五十万のお手当て)の弟子に春水てのがいて、これは声優、アニメのお姫様役で当たりをとって、講釈の門を叩いた。これがそこそこ上手く、真打にさせたいが、前がつかえていた。講釈、浪曲、落語なんてのは伝統芸だが、しきたりの中でしか生きられない。そこから飛び出れば岡に上がった魚であがったり。
伝統、しきたりでは前が真打にならないと幾ら上手くても、飛び越えられない。そこで下手、いやあまり上手くない田辺一鶴の弟子、田辺鶴英に番が廻った。これは実力より先に名を挙げた。他がしないことをいかにするかが成功の元、介護が問題になり始めたのを教えたのがいて、介護講談で全国からひっぱり凧、ところが講談が上手くない。
開口一番、張り扇を叩くが、自分の声柄(こえがら、こえにも柄がある)に合わせて張り扇を作る、白扇を半分にして西の内ってゴワゴワした和紙を撒く、その厚みで張り扇を叩いた音に高低がでる。それの合わせが上手くない、叩く場が違う、講釈師詰まった時に三つ打ちで、暗記して喋るからどうしても詰まるときもある、ウ、とかウーンというと雪隠の糞詰まりで、講釈師も同様に詰まる。ところが、この田辺鶴英は真打昇進が決まり「はちのへ今昔」のもとへ相談に来た。丁度五年前、筆者が「はちのへ今昔」を三年出して、三年坊主になった、三日坊主じゃない三年坊主、港区三田の慶応大学近くの寺にいて、麻布十番の商店街で手相の鑑定を大道でやっていた。
そこに鶴英が訪ねてきて、路上で講釈を筆者が教えた。真打になると五席だったかを真打でトリをとる。トリったって鳥を獲るのとは訳が違う。鶴英はその五話の喋り分けができない。軍談、世話物、人情物と様々に喋りを分けるところに腕がある。
大道で手相の客の合間でそこで張り扇を打て、一つ、そこは二つ、声は弱くとか緩急をつけろとか教えた。上野の本牧亭が講釈場を失い、湯島に小さな小料理屋を造り名をつないだ。そこに田辺鶴英の幟を立てて、真打の披露、後ろの幕を筆者が贈った。
「どうして急に上手くなったの」と、国宝の貞水に言われたと鶴英が嬉しそうに筆者に告げた。琴桜も田辺一鶴に斯道(しどう・この道)に導かれた。鶴英もそう、筆者も同じく一鶴が開催した修羅場塾に通った。そのときの同期が鶴英、この人の娘がこむぎちゃんで昨日、琴桜が演じた秋色桜を小学生で必死に演じた。母親の鶴英より上手かった。筆者は素人、斯界に誘われたが足を踏み込まなかった。
一鶴には不思議な魅力があり、芸はそこそこだが、人に講談の面白さを語らせると水木しげるの妖怪ねずみ小僧のような説得性が出る。これに人が引き込まれてプロになるが、見ると聞くとでは大違いで、芽の出ない芸人は山といる。
そこで芸人も色々と手を変え品を代えて演目作りに精を出す。そこで琴桜が着目したのが安藤昌益。ところが、この安藤の思想は難解で何回考えてもうまく喋れない。そこでこの安藤の思想の発見に着目、それが発見伝、南総里見八犬伝は滝沢馬琴、発見伝は琴桜、謎の多い安藤、八戸に十五年在住し秋田に戻った。何、理由は簡単、八戸にアキタだけ。
千住で安藤の本が発見された、そこで千住が燃えている、八戸も燃えろよと言葉を継いだ。八戸には三浦忠司氏がいる。この人は立派な人、八戸で十五年前に「安藤昌益国際シンポジュウム」を開催。安藤を再認識させた立役者。
あれから十五年も経ったのかと感慨深く琴桜を聴いた。講談、講釈は歴史を分かりやすく語るのが第一義、これを琴桜は見事に伝えたなァと思った途端に落涙。お後がいない独演会、二時間の長丁場、秋色桜、講談の歴史と様々に話を盛り込み、最後は八戸人に安藤をもう少し知れと啓蒙。啓蒙講談安藤昌益の一席、お見事。
開口一番、琴桜が寺が用意した経机(仏前で読経の時、経文をのせておく机)を釈台の代わりとして、張り扇を叩いて調子をみて、「八戸市には講釈師の使う釈台がありませんでしょうから、この机を借りました」と一発かました。
これは俗に言う、胸倉を摑む喋り、こうして軽く相手を牽制し、自分のペースに引き込み話をつなぐわけだが、八戸市をナメてはいけない。二十四万市民の中には東京上野の講釈のメッカ、本牧亭の釈台の寸法通りの本格的な物を持っている人がいて、その言葉に刺激され、会場を後にタクシーでそれを取りに帰った。
それで演じていただいたが、それを貸したのが「はちのへ今昔」。何故そんな物を持っていたか、それを語ると長くなるので一部省略、女流講釈師の一番が、この琴桜、一龍斉貞水(人間国宝・これになると国から毎月五十万のお手当て)の弟子に春水てのがいて、これは声優、アニメのお姫様役で当たりをとって、講釈の門を叩いた。これがそこそこ上手く、真打にさせたいが、前がつかえていた。講釈、浪曲、落語なんてのは伝統芸だが、しきたりの中でしか生きられない。そこから飛び出れば岡に上がった魚であがったり。
伝統、しきたりでは前が真打にならないと幾ら上手くても、飛び越えられない。そこで下手、いやあまり上手くない田辺一鶴の弟子、田辺鶴英に番が廻った。これは実力より先に名を挙げた。他がしないことをいかにするかが成功の元、介護が問題になり始めたのを教えたのがいて、介護講談で全国からひっぱり凧、ところが講談が上手くない。
開口一番、張り扇を叩くが、自分の声柄(こえがら、こえにも柄がある)に合わせて張り扇を作る、白扇を半分にして西の内ってゴワゴワした和紙を撒く、その厚みで張り扇を叩いた音に高低がでる。それの合わせが上手くない、叩く場が違う、講釈師詰まった時に三つ打ちで、暗記して喋るからどうしても詰まるときもある、ウ、とかウーンというと雪隠の糞詰まりで、講釈師も同様に詰まる。ところが、この田辺鶴英は真打昇進が決まり「はちのへ今昔」のもとへ相談に来た。丁度五年前、筆者が「はちのへ今昔」を三年出して、三年坊主になった、三日坊主じゃない三年坊主、港区三田の慶応大学近くの寺にいて、麻布十番の商店街で手相の鑑定を大道でやっていた。
そこに鶴英が訪ねてきて、路上で講釈を筆者が教えた。真打になると五席だったかを真打でトリをとる。トリったって鳥を獲るのとは訳が違う。鶴英はその五話の喋り分けができない。軍談、世話物、人情物と様々に喋りを分けるところに腕がある。
大道で手相の客の合間でそこで張り扇を打て、一つ、そこは二つ、声は弱くとか緩急をつけろとか教えた。上野の本牧亭が講釈場を失い、湯島に小さな小料理屋を造り名をつないだ。そこに田辺鶴英の幟を立てて、真打の披露、後ろの幕を筆者が贈った。
「どうして急に上手くなったの」と、国宝の貞水に言われたと鶴英が嬉しそうに筆者に告げた。琴桜も田辺一鶴に斯道(しどう・この道)に導かれた。鶴英もそう、筆者も同じく一鶴が開催した修羅場塾に通った。そのときの同期が鶴英、この人の娘がこむぎちゃんで昨日、琴桜が演じた秋色桜を小学生で必死に演じた。母親の鶴英より上手かった。筆者は素人、斯界に誘われたが足を踏み込まなかった。
一鶴には不思議な魅力があり、芸はそこそこだが、人に講談の面白さを語らせると水木しげるの妖怪ねずみ小僧のような説得性が出る。これに人が引き込まれてプロになるが、見ると聞くとでは大違いで、芽の出ない芸人は山といる。
そこで芸人も色々と手を変え品を代えて演目作りに精を出す。そこで琴桜が着目したのが安藤昌益。ところが、この安藤の思想は難解で何回考えてもうまく喋れない。そこでこの安藤の思想の発見に着目、それが発見伝、南総里見八犬伝は滝沢馬琴、発見伝は琴桜、謎の多い安藤、八戸に十五年在住し秋田に戻った。何、理由は簡単、八戸にアキタだけ。
千住で安藤の本が発見された、そこで千住が燃えている、八戸も燃えろよと言葉を継いだ。八戸には三浦忠司氏がいる。この人は立派な人、八戸で十五年前に「安藤昌益国際シンポジュウム」を開催。安藤を再認識させた立役者。
あれから十五年も経ったのかと感慨深く琴桜を聴いた。講談、講釈は歴史を分かりやすく語るのが第一義、これを琴桜は見事に伝えたなァと思った途端に落涙。お後がいない独演会、二時間の長丁場、秋色桜、講談の歴史と様々に話を盛り込み、最後は八戸人に安藤をもう少し知れと啓蒙。啓蒙講談安藤昌益の一席、お見事。
2008年10月5日日曜日
八戸の町並みシリーズ16
三日町の夕日側、槻門商店(明治10年4月創業、槻館門次郎だか、門三郎だかが主人だった、昭和12年の八戸商工会編纂の案内には新八郎の名がある、食料品を営んだ)、接待洋品店、接待時計店、ハシトク(明治35年5月創業、橋本徳五郎、既成、仕立て服、ハシトク裁縫店、橋本光吉、昭和11年11月の名もあり)、丸正洋装店、つきや洋装店(月舘弥七、大正11年12月創業)、富士電機商会、つきう洋装店(大正7年10月創業、月舘宇右衛門、小中野が本店)、石岡金物店、クドウキチ(洋装、工藤吉太郎、大正4年7月創業、若い女性のあこがれの店だったが婿がカマドを返した)、橋源呉服店(明治27年8月創業、橋本源蔵、造り酒屋の八右衛門の一族、現存する貴重な店)、松和食堂(味噌、しょうゆ製造の橋本)、マルマツ、岩城時計店(地図名の間違いで岩織ではなかろうか)、太平薬局(大久保平蔵、戦後の創業)、つるや洋品店、コンドルパチンコ、弘前相互支店とある。
2008年10月4日土曜日
八戸の町並みシリーズ15
今回は十三日町の反対側(夕日側)、イトーヨーカドーが沼館の新開地に出て行った時、八戸商工会議所は行くな行くなの大合唱、イトーヨーカドーが十三日町に出店する時、来るな来るなの大連呼、どういう神経なのか頭の中を見たいのが八戸商工会議所。こいつらも腐っている。節操がない。
さて、イトーヨーカドーが立つ前は町金融(当時はマチキンの名はなかった)の一族が所有、そこに昭栄、モナミ、田名部商店(釣具・小間物、田名部徳太郎、大正14年4月創業)、リッカーミシン、武藤金物(明治19年創業、武藤三五郎)があった、花亀商店(嘉永元(1848)年創業)、先川原商店、かまざわ洋品店、古亦(ふるまた)商店、八田神仏具(文化三年(1806)創業)、大橋金物(大兼商店、大橋兼八、明治元年六月創業、見る人は来るな、買う人だけ来いと言ったので有名)、福士文具、高久計器(高橋久三郎、明治30年創業、元は二十三日町)、大友陶器(大友善平商店、大正十年六月創業)、花真商店、牛島靴屋(牛島源五郎、大正15年1月創業)が角。
2008年10月3日金曜日
三八五と八戸市教育委員会の癒着
何が悪いと言って行政と私企業の癒着ほど最低なものはない。37年間、随意契約、その金額は毎年1億円。
八戸市教育委員会が三八五流通(グループ40余社の総元締)に毎年一億円の随意契約を37年間繰り返してきた。佐々木泌尿器科の倅、佐々木聡が「はちのへ今昔」が某観光会社を恐喝したとブログに記載したのがこれを指すのだろう。
何でこの最悪な癒着が判明したか、それは八戸市役所に行政改革推進室がある。そこに重要な資料があった。各課が随意で契約した資料集。そのなかに三八五のこれがあった。
それは何? 学校給食の配送。ハイ、そうです。昭和46年から開始され、今日も継続されている。ところが、これに南郷村が八戸市に合併したから、話がややこしくなった。行革から出た資料を調べると、南郷村も給食を配送、この単価が三八五との契約より安い。
そこで三八五に出かけて、社長と面談、同じ八戸市で単価計算が違うのはおかしい。南郷並みに下げることはできないか?
それに対して、寝言は言うなと脅かされた。私企業は営利追及、ガソリン代が上昇しているのに下げれる訳がない。お引取り下さいだ。
息をお引取りじゃ死ななきゃならない。へいへいと下がったナ。南郷と単価をあわせると9千万でも可能なのだ。ところが、お引取りで仕方がないが、かかる行為を37年間も結んだ教育委員会はどういう体質だ。
行政改革は競争入札が原則、これにメスもいれられない改革じゃ屁のつっぱりにもならなかろう。八戸市の指定管理は三八五にもっていかれると嘆く声が聞こえるが、三八五じゃなくても出来ることは市民の側も手を挙げるべき。それもせずに、ただ、ああだのこうだの叫ぶだけじゃ糞の役にも立たない。
わが町は我々が守るの気概なくして進歩も改革もない。泉山信一が作った大三八五帝国、それを倅の泉山元が守った。両者とも市会議員を務めた。こうしたことが八戸市に食い込む要素となったのだろう。
しかし、37年は長い。これを教育委員会に追求したら、平成21年度からは競争入札にすると回答。
ここに問題あり。ただし、運搬車両を確保せよ。だれが、新規参入で落札できるかできないものに、この景気の後退した時期に車を購入するものがあろうか。
こうした糞意地の悪いことを画策するが行政。ほんとうにこいつらは腐っている。
三八五が参入してきたのは随意契約、だから新規参入ができた。同様に三年なら三年を新規参入者にも猶予を与えろ。その間、給食センターは三ケ所あるから、三八五には一ケ所、残りの二ケ所を他の新規参入者に分けてやれ。そうすれば新車を購入し三年間は減価償却にあてられる。
三八五ばかりが運送屋じゃない。額に汗して働くトラック屋にも門戸開放するべきだ。行政と癒着して37年間も甘い汁を吸った三八五は反省するべき。
さらに言えば、競争入札を来年から実施してもいい。三ケ所の給食センターを一つひとつ入札させる。三八五が一つも取れなければ、車両は必要ない。それを落札会社に簿価で払い下げろ。
こうすれば、新規参入者も車の購入に頭を悩ますことはない。八戸は三八五のものではない。飛ぶ鳥を落とす勢いで三八五が急速に伸してきた。
その裏でどれほどの人が泣いたか。「はちのへ今昔」はこの眼でそれを見てきた。三八五がどうやってパークホテルを自分の物としたのか、それをどれほど苦々しく思っている人物がいたか、三八五諸君はそれを忘れてはいるまい。
八戸にも見えない部分、忘れさられた部分が山ほどある。佐々木泌尿器科の親子で女の尻を追ったことによる咎め、そして親父の方は前田勇氏を騙して是川の土地を取った。これは間違いない事実だ。それに加担したのが八戸を悪くした元市長の中里信夫だった。
37年前は「はちのへ今昔」が町中シリーズで住宅地図を載せているが、その頃の話で、影も形もない家がたくさんある。それほど前の話だ。
次回の三八五の話は同じ三八五流通が指定管理する火葬場の話、佐々木の倅が筆者を寄る年波、火葬場の火が恋しいと言った場所、ここの管理状態が正しいかを調べていたのだが、人の噂だけをつまみ食いすれば愚かさをさらけだすだけ。
八戸市教育委員会が三八五流通(グループ40余社の総元締)に毎年一億円の随意契約を37年間繰り返してきた。佐々木泌尿器科の倅、佐々木聡が「はちのへ今昔」が某観光会社を恐喝したとブログに記載したのがこれを指すのだろう。
何でこの最悪な癒着が判明したか、それは八戸市役所に行政改革推進室がある。そこに重要な資料があった。各課が随意で契約した資料集。そのなかに三八五のこれがあった。
それは何? 学校給食の配送。ハイ、そうです。昭和46年から開始され、今日も継続されている。ところが、これに南郷村が八戸市に合併したから、話がややこしくなった。行革から出た資料を調べると、南郷村も給食を配送、この単価が三八五との契約より安い。
そこで三八五に出かけて、社長と面談、同じ八戸市で単価計算が違うのはおかしい。南郷並みに下げることはできないか?
それに対して、寝言は言うなと脅かされた。私企業は営利追及、ガソリン代が上昇しているのに下げれる訳がない。お引取り下さいだ。
息をお引取りじゃ死ななきゃならない。へいへいと下がったナ。南郷と単価をあわせると9千万でも可能なのだ。ところが、お引取りで仕方がないが、かかる行為を37年間も結んだ教育委員会はどういう体質だ。
行政改革は競争入札が原則、これにメスもいれられない改革じゃ屁のつっぱりにもならなかろう。八戸市の指定管理は三八五にもっていかれると嘆く声が聞こえるが、三八五じゃなくても出来ることは市民の側も手を挙げるべき。それもせずに、ただ、ああだのこうだの叫ぶだけじゃ糞の役にも立たない。
わが町は我々が守るの気概なくして進歩も改革もない。泉山信一が作った大三八五帝国、それを倅の泉山元が守った。両者とも市会議員を務めた。こうしたことが八戸市に食い込む要素となったのだろう。
しかし、37年は長い。これを教育委員会に追求したら、平成21年度からは競争入札にすると回答。
ここに問題あり。ただし、運搬車両を確保せよ。だれが、新規参入で落札できるかできないものに、この景気の後退した時期に車を購入するものがあろうか。
こうした糞意地の悪いことを画策するが行政。ほんとうにこいつらは腐っている。
三八五が参入してきたのは随意契約、だから新規参入ができた。同様に三年なら三年を新規参入者にも猶予を与えろ。その間、給食センターは三ケ所あるから、三八五には一ケ所、残りの二ケ所を他の新規参入者に分けてやれ。そうすれば新車を購入し三年間は減価償却にあてられる。
三八五ばかりが運送屋じゃない。額に汗して働くトラック屋にも門戸開放するべきだ。行政と癒着して37年間も甘い汁を吸った三八五は反省するべき。
さらに言えば、競争入札を来年から実施してもいい。三ケ所の給食センターを一つひとつ入札させる。三八五が一つも取れなければ、車両は必要ない。それを落札会社に簿価で払い下げろ。
こうすれば、新規参入者も車の購入に頭を悩ますことはない。八戸は三八五のものではない。飛ぶ鳥を落とす勢いで三八五が急速に伸してきた。
その裏でどれほどの人が泣いたか。「はちのへ今昔」はこの眼でそれを見てきた。三八五がどうやってパークホテルを自分の物としたのか、それをどれほど苦々しく思っている人物がいたか、三八五諸君はそれを忘れてはいるまい。
八戸にも見えない部分、忘れさられた部分が山ほどある。佐々木泌尿器科の親子で女の尻を追ったことによる咎め、そして親父の方は前田勇氏を騙して是川の土地を取った。これは間違いない事実だ。それに加担したのが八戸を悪くした元市長の中里信夫だった。
37年前は「はちのへ今昔」が町中シリーズで住宅地図を載せているが、その頃の話で、影も形もない家がたくさんある。それほど前の話だ。
次回の三八五の話は同じ三八五流通が指定管理する火葬場の話、佐々木の倅が筆者を寄る年波、火葬場の火が恋しいと言った場所、ここの管理状態が正しいかを調べていたのだが、人の噂だけをつまみ食いすれば愚かさをさらけだすだけ。
2008年10月2日木曜日
サンデー根城店安いけど変?
バッテリーが上がった。サンデーに買いに行った。一万円しか持っていないので銀行に降ろしに行った。沼館のサンデーをついでに見た。
同じバッテリーが15700円。変だと気づいてジェームスも見た。16700円、ついでにホーマックも調査、14700円、それで根城のサンデーに戻って買った。12700円。
同じサンデーで値段がどうして違うの? サンデーはポスレジでも店単独レジなのだろう。全体を一括管理していない。たまたまバッテリーがそうだったのか? 他の商品も同じかは知らない。が、購入する前に、時間があれば廻ることをすすめる。
同じバッテリーが15700円。変だと気づいてジェームスも見た。16700円、ついでにホーマックも調査、14700円、それで根城のサンデーに戻って買った。12700円。
同じサンデーで値段がどうして違うの? サンデーはポスレジでも店単独レジなのだろう。全体を一括管理していない。たまたまバッテリーがそうだったのか? 他の商品も同じかは知らない。が、購入する前に、時間があれば廻ることをすすめる。
八戸市役所骨惜しみで測量屋絶滅の危機2
縄文の里八戸は遺跡の調査が時折ある。これに八戸市役所教育委員会が発掘業者に測量を委託。
この作業にはキュービックというパソコンソフトを使い測量を開始、これが高く、三百五十万もするという。八戸の測量屋はそれを持たない。いつでるか分からない仕事に、そんな高価な投資はできない。が、世の中で成功するには法則がある。
それは他との差別化、つまり、誰でもできるような仕事なら安い方に仕事は流れる。スーパーユニバースの生き残りは、決して安売りやポイントカード、チラシ広告ではない。同じ食品で1円安い、高いは大した問題ではない。他にない食材、食品の取り揃えに妙味がある。このユニバースの必勝法を真剣に考えたことがあった、それは広告抜き、ポイントなしで成功する方法。そして、それには結論が出たがユニバースに教えには行かなかった。
さて、測量屋の差別化は他が出来ない仕事、つまり、昨日にも述べたようにノゾキだけでは差別化にはならない。だから、もともと仕事の量が少ない所に首を突っ込んでいれば餌の奪い合い。
これの解消は他にない技術、日本は資源の乏しい国、技術立国以外に生き残れない。ノゾキも同じだ。同じものをノゾカナイことだ。それが遺跡の調査発掘測量。
教育委員会で分かったのは、この手の測量に参加できるのは東京の業者。それも、八戸を上からノゾク航空写真屋、パスコたちだ。
これらのノゾキ屋は現場を与えられると、上記したキュービックソフトを使い現場の平面測量を整理、成果品として八戸市に提出。平面測量だけなら八戸のノゾキ屋でも十分。ないのはソフトだけ。ところが、このソフトは八戸市が所有。その使用方法をノゾキ協会に教えろというと、そんなことをしなくても東京の業者は黙ってても着々と進める。そんな手間ひまをかけていられない。
馬鹿野郎と叫んだ、今、八戸は仕事がなくて皆が困っている。そんな状態で東京のノゾキ屋に仕事を廻すのか、そんなことだから八戸人が食えない、冬になれば遺跡の調査はなかろう、その期を利して業者に指導し東京から宿泊代まで負担して遺跡の調査をすることはない。地元の業者に知恵がなければ知恵をつければいい。それを放棄して八戸の繁栄はなかろう。それが市役所職員の仕事と違うのか。
いつでもこれだ。市役所職員は自分のことしか考えていない。忙しいから東京の業者に仕事を廻す、それも悪くはない、ただし、地元ができないような大掛かりな仕事ならばだ。
教育委員会はこの調査には資格がいるような話だった。すると、大学で学芸員の資格を取得した人物が、その会社に居るのだな、その履歴書を出せと迫った。
物事には順序がある。石黒次長が「はちのへ今昔」に会議を開いた結果が交流センターに市民活動サポートセンターは不要だったと述べた、普通の人間だと、会議を開いた、不要の結論、仕方ないと石黒ならぬ腹黒にやられるが、ハイ、待ってました、その議事録を出せ!
順序通りに攻めればいい。これで困った腹黒次長、課内をウロウロ、まるで檻の中の熊。無い物はない。
教育委員会が出してきた委託先の会社の資料には、そんな学歴はない。ただ、遺跡調査に参加したという本当か嘘かわからない記述の羅列。
これは市役所が都合のいいところだけをつまみ食い。自分たちの仕事を楽にしたいという御都合主義がこうした東京の業者偏重(へんちょう・一方ばかりを重んずること)となった。市役所は市民を育てろ、足りない部分は補え、業者にソフトを買う金がなければソフトをつけて業務委託をさせろ。
また、遺跡の航空写真が必要なら、このときこそ市役所の学芸員がラジコンのヘリを買い、それを操縦し写真を撮れ、そうすれば東京の業者を頼みとする必要はない。
またノゾキ屋も頭を使え、八戸市がノゾキの仕事を誰に出しているかを調べることだ。酒くらって景気が悪いとオダ上げてる暇があれば市役所内を隈なく歩け、仕事は転がっているはず。それに気づかぬだけ。道に千円札が落ちてたら、後ろに車が来ていてもハザードランプを点けて停車だ。この位の根性無しに世の中は生き残れないゾ。世の中は知恵だ。
この作業にはキュービックというパソコンソフトを使い測量を開始、これが高く、三百五十万もするという。八戸の測量屋はそれを持たない。いつでるか分からない仕事に、そんな高価な投資はできない。が、世の中で成功するには法則がある。
それは他との差別化、つまり、誰でもできるような仕事なら安い方に仕事は流れる。スーパーユニバースの生き残りは、決して安売りやポイントカード、チラシ広告ではない。同じ食品で1円安い、高いは大した問題ではない。他にない食材、食品の取り揃えに妙味がある。このユニバースの必勝法を真剣に考えたことがあった、それは広告抜き、ポイントなしで成功する方法。そして、それには結論が出たがユニバースに教えには行かなかった。
さて、測量屋の差別化は他が出来ない仕事、つまり、昨日にも述べたようにノゾキだけでは差別化にはならない。だから、もともと仕事の量が少ない所に首を突っ込んでいれば餌の奪い合い。
これの解消は他にない技術、日本は資源の乏しい国、技術立国以外に生き残れない。ノゾキも同じだ。同じものをノゾカナイことだ。それが遺跡の調査発掘測量。
教育委員会で分かったのは、この手の測量に参加できるのは東京の業者。それも、八戸を上からノゾク航空写真屋、パスコたちだ。
これらのノゾキ屋は現場を与えられると、上記したキュービックソフトを使い現場の平面測量を整理、成果品として八戸市に提出。平面測量だけなら八戸のノゾキ屋でも十分。ないのはソフトだけ。ところが、このソフトは八戸市が所有。その使用方法をノゾキ協会に教えろというと、そんなことをしなくても東京の業者は黙ってても着々と進める。そんな手間ひまをかけていられない。
馬鹿野郎と叫んだ、今、八戸は仕事がなくて皆が困っている。そんな状態で東京のノゾキ屋に仕事を廻すのか、そんなことだから八戸人が食えない、冬になれば遺跡の調査はなかろう、その期を利して業者に指導し東京から宿泊代まで負担して遺跡の調査をすることはない。地元の業者に知恵がなければ知恵をつければいい。それを放棄して八戸の繁栄はなかろう。それが市役所職員の仕事と違うのか。
いつでもこれだ。市役所職員は自分のことしか考えていない。忙しいから東京の業者に仕事を廻す、それも悪くはない、ただし、地元ができないような大掛かりな仕事ならばだ。
教育委員会はこの調査には資格がいるような話だった。すると、大学で学芸員の資格を取得した人物が、その会社に居るのだな、その履歴書を出せと迫った。
物事には順序がある。石黒次長が「はちのへ今昔」に会議を開いた結果が交流センターに市民活動サポートセンターは不要だったと述べた、普通の人間だと、会議を開いた、不要の結論、仕方ないと石黒ならぬ腹黒にやられるが、ハイ、待ってました、その議事録を出せ!
順序通りに攻めればいい。これで困った腹黒次長、課内をウロウロ、まるで檻の中の熊。無い物はない。
教育委員会が出してきた委託先の会社の資料には、そんな学歴はない。ただ、遺跡調査に参加したという本当か嘘かわからない記述の羅列。
これは市役所が都合のいいところだけをつまみ食い。自分たちの仕事を楽にしたいという御都合主義がこうした東京の業者偏重(へんちょう・一方ばかりを重んずること)となった。市役所は市民を育てろ、足りない部分は補え、業者にソフトを買う金がなければソフトをつけて業務委託をさせろ。
また、遺跡の航空写真が必要なら、このときこそ市役所の学芸員がラジコンのヘリを買い、それを操縦し写真を撮れ、そうすれば東京の業者を頼みとする必要はない。
またノゾキ屋も頭を使え、八戸市がノゾキの仕事を誰に出しているかを調べることだ。酒くらって景気が悪いとオダ上げてる暇があれば市役所内を隈なく歩け、仕事は転がっているはず。それに気づかぬだけ。道に千円札が落ちてたら、後ろに車が来ていてもハザードランプを点けて停車だ。この位の根性無しに世の中は生き残れないゾ。世の中は知恵だ。
2008年10月1日水曜日
八戸市役所骨惜しみで測量屋絶滅の危機
八戸市内に二十数社の測量屋あり。これらは専修学校で免状を取得、町が膨張する時期ならこれらの仕事もふんだんにあったが、景気後退で仕事は一つ減り、二つなくなると厳しい状況。
それに首縊(くびくくり・首吊り)の足を引っ張ったのが八戸市役所。それを八戸駅西の区画整理で見た。区画整理の第一号が東京、当時の都知事が岩手水沢出身の後藤新平、関東大震災の復興にこれを使った。
地権者から土地を提供させ、元の土地から道路を通す部分を減らさせ区画整理をすすめる。これは丁度、十五ゲームのようなもの、既定の大きさのなかを整理して1から15までの数字の札を並べる。Aの家をあっちにして、Bの家をこっちにしてと、まるで毎日ゲームをしているのが区画課。
ここが橋を作ることになった。そこで設計単価表に基づき、設計書を作った。落札価格もマアマア。なら文句を言うことはない? あせって聞くな、あせって泡食って死んだのがいるゾ、いいか、ところが、橋の設計と測量を一緒に出した。
どういうことか分かるか? 測量屋は設計屋と違って頭がよくない。だからノゾキだけで満足している。ノゾキって何? 測量屋を見ろ、なんだか知らないが三脚置いて覗いていないか? 女風呂をのぞくのか、女子寮をのぞくのかは知らねども、あいつらは毎日楽しそうにノゾキの道具を持ってウロウロフラフラ、今日は田んぼ、明日は山奥、崖登ってて、摑んだのが蛇、こんな困難な作業でおまんまを食っている。
それが、測量と設計を一緒に出されりゃ、頭の良くないノゾキ小僧にゃ歯が立たない。そこで、設計屋の下請けだよ。八戸市役所が出す三割五分引きの仕事も辛いが、設計屋の下請けじゃ、五割五部引きだ。
これじゃ食えない、借金地獄。それがためにノゾキ屋たちが干上がった。その嘆きを聞いて調べた調べた。するとあっちでも、こっちでもと続々。
頭が悪くても、国家がくれる免許証を取得した以上、なんとかこのノゾキ軍団にも仕事を廻せ。それは市役所が設計とノゾキの仕事に分けて発注すればいい。手間がかかると一緒に出した咎めがノゾキ屋の仕事を無くした。
「はちのへ今昔」よ、これが現状だと嘆いてきた読者の依頼で調べた。結果はその通りだった。市役所は手抜きをするところではない。市民の為に汗を流すところだ。市民の活力を高めず、市役所職員の存在もないと知れ。市役所の発注方には、区別して発注すると言った課もある。全部の課にこの話をするだけの時間もないが、担当課長が気づく、班長がそうだと自覚すると、二三年先からは改善されるだろう。
八戸市役所は改悪は急ぐが改善は放って置く。これじゃ市民はたまらない。生きていけないんです、「はちのへ今昔」さん。この言葉に尻押しされて、一日に二回も三回も市役所を尋ねて廻る。何があるのでもない、本が売れるのでもない、カネイリは本当の事を書かれた為、「はちのへ今昔」を置かないと拒絶、そんなことは屁でもない。何故ならもともと売れていない。商工会議所が不買運動で日干しにしろと叫んでも、こちとら元々日干しでも煮干でも大した痛痒を感じない。もともと売れないからだ。
が、「はちのへ今昔」なしで市役所が改善できるか、街中が活性化するのか、八戸市民はことなかれ主義で出るものを叩く、足を引っ張る手合いの集団だ。それで、蔭に廻ってゴモゴモ。百年生きても世の中良くならないゾ。人生は短い、されど改善しなければならないことは山ほどある。
それに首縊(くびくくり・首吊り)の足を引っ張ったのが八戸市役所。それを八戸駅西の区画整理で見た。区画整理の第一号が東京、当時の都知事が岩手水沢出身の後藤新平、関東大震災の復興にこれを使った。
地権者から土地を提供させ、元の土地から道路を通す部分を減らさせ区画整理をすすめる。これは丁度、十五ゲームのようなもの、既定の大きさのなかを整理して1から15までの数字の札を並べる。Aの家をあっちにして、Bの家をこっちにしてと、まるで毎日ゲームをしているのが区画課。
ここが橋を作ることになった。そこで設計単価表に基づき、設計書を作った。落札価格もマアマア。なら文句を言うことはない? あせって聞くな、あせって泡食って死んだのがいるゾ、いいか、ところが、橋の設計と測量を一緒に出した。
どういうことか分かるか? 測量屋は設計屋と違って頭がよくない。だからノゾキだけで満足している。ノゾキって何? 測量屋を見ろ、なんだか知らないが三脚置いて覗いていないか? 女風呂をのぞくのか、女子寮をのぞくのかは知らねども、あいつらは毎日楽しそうにノゾキの道具を持ってウロウロフラフラ、今日は田んぼ、明日は山奥、崖登ってて、摑んだのが蛇、こんな困難な作業でおまんまを食っている。
それが、測量と設計を一緒に出されりゃ、頭の良くないノゾキ小僧にゃ歯が立たない。そこで、設計屋の下請けだよ。八戸市役所が出す三割五分引きの仕事も辛いが、設計屋の下請けじゃ、五割五部引きだ。
これじゃ食えない、借金地獄。それがためにノゾキ屋たちが干上がった。その嘆きを聞いて調べた調べた。するとあっちでも、こっちでもと続々。
頭が悪くても、国家がくれる免許証を取得した以上、なんとかこのノゾキ軍団にも仕事を廻せ。それは市役所が設計とノゾキの仕事に分けて発注すればいい。手間がかかると一緒に出した咎めがノゾキ屋の仕事を無くした。
「はちのへ今昔」よ、これが現状だと嘆いてきた読者の依頼で調べた。結果はその通りだった。市役所は手抜きをするところではない。市民の為に汗を流すところだ。市民の活力を高めず、市役所職員の存在もないと知れ。市役所の発注方には、区別して発注すると言った課もある。全部の課にこの話をするだけの時間もないが、担当課長が気づく、班長がそうだと自覚すると、二三年先からは改善されるだろう。
八戸市役所は改悪は急ぐが改善は放って置く。これじゃ市民はたまらない。生きていけないんです、「はちのへ今昔」さん。この言葉に尻押しされて、一日に二回も三回も市役所を尋ねて廻る。何があるのでもない、本が売れるのでもない、カネイリは本当の事を書かれた為、「はちのへ今昔」を置かないと拒絶、そんなことは屁でもない。何故ならもともと売れていない。商工会議所が不買運動で日干しにしろと叫んでも、こちとら元々日干しでも煮干でも大した痛痒を感じない。もともと売れないからだ。
が、「はちのへ今昔」なしで市役所が改善できるか、街中が活性化するのか、八戸市民はことなかれ主義で出るものを叩く、足を引っ張る手合いの集団だ。それで、蔭に廻ってゴモゴモ。百年生きても世の中良くならないゾ。人生は短い、されど改善しなければならないことは山ほどある。
八戸市建設業者らが金ない、食えない倒産必至の理由4
これじゃ食えない委託契約、最低入札価格三割五分引きで最後はクジ
教育委員会が発注した耐震度検査、これは小中学校が地震が来た時に耐えられるかを調べるもの。中国では工事業者の手抜きで、校舎が倒壊、一人っ子政策で多くの親が嘆きをかこつ(自分の境遇などを嘆く。恨んで言う、)愚痴をこぼす)た。
八戸市は平成十八年度これを実施、そこで多賀台小、轟小の二校が危ないと指摘されるも、そこに、今年(平成二十年七月二十四日未明)の地震。倒壊はしなかったが立て直すか、壊すべき。
この検査に七社業者が札を入れ、四社が同一価格を入れた。いずれも三割五分引き。そこでクジ引きとなったが、三割五分じゃ食えない。それを知りながら、業者をいじめるはどういう魂胆だ。
県の設計単価表が役立っていない。この悪しき要綱を改善せず、このまま放置していれば景気はますます後退する。改善するのは役人が市長に一枚の紙をだせば、ハンコが押されてその日から改善される。
こんな簡単なことが何故できない。担当の管財課長が作成すればそれで済むが、委員会での答弁も前向きに検討する程度。人間と言うのは誰でも前向き、後ろ向きで歩く人間はアスレチッククラブで汗と銭を出すデブ婆ァだけだ。
市民を苦しめているのは、八戸市役所なのだ。税はむしる、自分たちで出来ない仕事は業者をいじめつくして、とうとう八戸の建設屋は半分になった。シャッター店を増やしたのはスーパーユニバース、国が米屋、酒屋の免許をなくしたことで町は崩壊。
市民も車に依存しすぎて石油が上がって大迷惑、それは歩くこと忘れて便利を追い求めた結果。車に乗ってユニバースでまとめ買い、これがアメリカ流だってヨ、アメリカは町まで何十キロも走る。日本は五分も走ればスーパーがある。そこでまとめ買い? 自転車で行け、自転車で。タダで痩せるようにできている。
それを忘れて八戸市役所職員のように後ろ向きで歩くのか、銭、カネまで出して?
八戸市役所は即刻、この悪要綱を改変せよ。市民なくして市役所の存在もない。己が給与の減るのは困る、困るようなことをするな、自分たちが相応の所得を得られるのは市民のおかげだ。それを忘れれば市役所の建物も必要ない。
ところで、この市役所の建物が登記されていないのを知っている? 減価償却もしていない。する必要もないんだ。もともと市民から出させた金だから。
市民を元気にさせるもとは市役所の要綱変更から、管財課が発注するのは八十億円、各課が出すのが六十億円、合わせて百四十億円。これが不当に安い、これじゃ官製踏み殺し。
これに八戸の建設業者が談合をした。確かに官にみつかるような談合は愚かだが、自分たちが生き残るための最低不可欠が談合なのだ。一度落札して、よくよく計算すると合わないと落札をやめてペナルティーを受けた建築屋もいた。
それは設計書を市側が十分に検討しなかった。そしてああでもない、こうでもないと注文を後からつけた。それが南郷の文化ホール。自分たちのいい加減を業者に押し付けた。
こうした入札を市側に任せず入札監視委員会を設置すべき。防衛省も国土交通省など国の機関にはこれがある。市町村でも増加してきた。役人は適切に金を使え、それも市民に還流する形で。なんでも値切る、安けりゃ安いほどいいじゃ、大阪のガメツイ婆ァと同じだ。節操が必要だ、安いと言っても原価がある、盗んだ品でも懲役の原価があるんだ。
三割五分引きを強要する姿勢を八戸市は今日から改めよ。我々市民は行政悪を監視続ける。
教育委員会が発注した耐震度検査、これは小中学校が地震が来た時に耐えられるかを調べるもの。中国では工事業者の手抜きで、校舎が倒壊、一人っ子政策で多くの親が嘆きをかこつ(自分の境遇などを嘆く。恨んで言う、)愚痴をこぼす)た。
八戸市は平成十八年度これを実施、そこで多賀台小、轟小の二校が危ないと指摘されるも、そこに、今年(平成二十年七月二十四日未明)の地震。倒壊はしなかったが立て直すか、壊すべき。
この検査に七社業者が札を入れ、四社が同一価格を入れた。いずれも三割五分引き。そこでクジ引きとなったが、三割五分じゃ食えない。それを知りながら、業者をいじめるはどういう魂胆だ。
県の設計単価表が役立っていない。この悪しき要綱を改善せず、このまま放置していれば景気はますます後退する。改善するのは役人が市長に一枚の紙をだせば、ハンコが押されてその日から改善される。
こんな簡単なことが何故できない。担当の管財課長が作成すればそれで済むが、委員会での答弁も前向きに検討する程度。人間と言うのは誰でも前向き、後ろ向きで歩く人間はアスレチッククラブで汗と銭を出すデブ婆ァだけだ。
市民を苦しめているのは、八戸市役所なのだ。税はむしる、自分たちで出来ない仕事は業者をいじめつくして、とうとう八戸の建設屋は半分になった。シャッター店を増やしたのはスーパーユニバース、国が米屋、酒屋の免許をなくしたことで町は崩壊。
市民も車に依存しすぎて石油が上がって大迷惑、それは歩くこと忘れて便利を追い求めた結果。車に乗ってユニバースでまとめ買い、これがアメリカ流だってヨ、アメリカは町まで何十キロも走る。日本は五分も走ればスーパーがある。そこでまとめ買い? 自転車で行け、自転車で。タダで痩せるようにできている。
それを忘れて八戸市役所職員のように後ろ向きで歩くのか、銭、カネまで出して?
八戸市役所は即刻、この悪要綱を改変せよ。市民なくして市役所の存在もない。己が給与の減るのは困る、困るようなことをするな、自分たちが相応の所得を得られるのは市民のおかげだ。それを忘れれば市役所の建物も必要ない。
ところで、この市役所の建物が登記されていないのを知っている? 減価償却もしていない。する必要もないんだ。もともと市民から出させた金だから。
市民を元気にさせるもとは市役所の要綱変更から、管財課が発注するのは八十億円、各課が出すのが六十億円、合わせて百四十億円。これが不当に安い、これじゃ官製踏み殺し。
これに八戸の建設業者が談合をした。確かに官にみつかるような談合は愚かだが、自分たちが生き残るための最低不可欠が談合なのだ。一度落札して、よくよく計算すると合わないと落札をやめてペナルティーを受けた建築屋もいた。
それは設計書を市側が十分に検討しなかった。そしてああでもない、こうでもないと注文を後からつけた。それが南郷の文化ホール。自分たちのいい加減を業者に押し付けた。
こうした入札を市側に任せず入札監視委員会を設置すべき。防衛省も国土交通省など国の機関にはこれがある。市町村でも増加してきた。役人は適切に金を使え、それも市民に還流する形で。なんでも値切る、安けりゃ安いほどいいじゃ、大阪のガメツイ婆ァと同じだ。節操が必要だ、安いと言っても原価がある、盗んだ品でも懲役の原価があるんだ。
三割五分引きを強要する姿勢を八戸市は今日から改めよ。我々市民は行政悪を監視続ける。
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