2008年10月20日月曜日

もう返せない2千7億円・八戸市の借金・累積赤字

八戸市の借金は1864億円、これは毎月返済に追われる。借り換えをしながらしのぐ自転車操業。
 さらに、公営企業として八戸市の会計から分離し、あたかも別企業とした八戸市民病院の赤字が133億円、同様のバス事業は10億円、総計で2千7億円
 夕張市が倒産、八戸市も昭和31年に倒産した。この時は資金繰りが成り立たなかった。当時のデーリー東北新聞は危機感がなく、記載がほとんど見られないが東奥日報の年鑑記録から、要点を転載。
 二九年度の財政は赤字一億五千万円を抱え全く苦難の一ヵ年であった。二五年の赤字3700万円から年々ふえだし、29年三月には赤字が1億4300万円に達した。これは人口15万未満の都市では全国で三番目、東北六県では一番目という有難くない成績となった。このような現状から大蔵省でも財政の建て直しが出来ないうちは起債、融資を全面的にストップすることになり市としては重大な危機に直面した。このため市では建て直し決意の必要に迫られ石橋収入役、田村総務部長、大久保財政課長らが協議した結果、30、31年の両年を超緊縮財政年度にしようときめ12月13日岩岡市長に住宅、水産倉庫建築などの公約を二年延長してもらいたいと申し出で(云々)、原因の主なものは市の単独事業が予算の裏づけがないのに過大支出、各種委員会制度が多く事務量増加で人件費過大、自治体警察の出費が赤字の主な一つ(当時は国警と市警があった)。市警と消防で1億2千万円の過大支出、教育委員会は事務員10名で処理できるのに30名で400万円の過大と累積合計で1億4000万円。
 もっとも困ったのは29年の年末支払い、1500万がどうしても足りず首脳部は八方金策に走り、12月23日大蔵省の一時貸出し金千三百万が認められ28日ぎりぎりで職員の年末資金800万を支払った。
 冗費節約として職員の県内旅費を三等旅費にし、特殊勤務手当ては全廃、(後略)。
 ここで記された特殊手当ては今も支給されていることは「はちのへ今昔」も二回に渡って記載。途中休んでいたのは、その明細を調べるため、情報公開を迫っていたため。それが開示されたのは先週金曜日、その特殊勤務総額3億8千2百万円。
市役所職員の改善の槍玉に挙げられたのがこれ。今から50年も前になる。これが復活したのがいつかは知らぬが、赤字133億円を作った市民病院は、毎年3億4千768万円の特殊勤務手当てを支給し続ける。
 八戸市全体の特殊手当ての91%を占める。ここを改善しないかぎり市民病院の収支は改善しない。
 八戸市役所財政部はこれらの数字を市民に開示しない。あたかも健全と言い張る。確かに単年度では40億の黒字となっているが、これで2000億円の赤字を消すには50年かかる。