かつて八戸港の船籍は千、だが、今は二百に減った。このままでは漁業は絶滅の危惧ありと、国はもうかる漁業を唱えた。船の構造、魚の貯蔵・運搬も改革し、衛生面でも世界に通じる八戸港構想がハサップ。
この推進も困難を数えれば幾つもあり、その困難さゆえに悲観的になる向きもいる。が、人類はそうした困難に直面するたびに克服策を講じた。今、アメリカ発の金融恐慌が叫ばれているが、こんなものは解決は容易だ。アメリカが自分の言い出したことに責任を持たないから解決策が見えないだけ。
もともと金は欲の皮のつっぱった連中が右往左往した結果、アメリカがこんがらがった証券化に厳しい監視をしなかったツケ。日本のバブルとは違う意味合いだ。民族学者の宮本常一が、八戸の将来を見通すような物言いをしている。昭和四十二年の著書から引用。
青森県西津軽郡鯵ケ沢の港は帆船の寄港地として明治末までは北国には珍らしいほど栄えた港である。津軽平野で産出せられる米はこの港と、岩木川の川口にある十三湊から帆船につまれて藩政時代には大阪に送られ、明治以降北海道開拓の進むにつれてその地方に送られた。
いまこの町を訪れると沿岸に沿って、町は帯のように長く、しかもその多くが、妻入りの大きな家で、明治時代の発展のさまを物言っている。しかしそれらの中で特に大きいもの、かつては問屋を営んでいたものの大半は没落しており、その家の間口を三つに仕切って小さい店三軒が利用しているもの、あるいは屋敷を屑物屋に貸して屑鉄が山のように積んであるものも見かけた。そして町はひっそりしていた。ただ職業安定所のまえは黒山のような人だかりであった。いずれも若くエネルギッシュな男たちであった。しかもそれは失業保険をもらう人びとてあった。かつてはこの港はこのように若いエネルギーを、ここに集合している人びとの何倍というほど必要とする活気があったに違いない。そのために長さ四キロにもおよぶ長い海岸通が発達したのであろう。しかし今はそのエネルギーのほとんどをこの土地は必要としなくなっている。そしてそこに往む人たちのもっともすぐれた生産エネルギーはその土地に投入せられることなく、他の土地、主として大都会に投ぜられており、そのことによって得た労賃や失業保険金によってこの町が大きく支えられていることが、この現象の中から読みとれるのである。
繁栄の礎を失えば町がその機能を失う。この鯵ケ沢、最近では倒産した北海道夕張市がある。繁栄を失えば住民をつなぎとめるすべを失い衰退の道を転げ落ちる。
八戸もこうなる瞬間に小林市長を得た。八戸は市制八十周年を迎えるが、この十年の間に3人の市長を見た。中村前市長は4年間市民のためには何もしなかった。したのは弔問だけ、無能の極みだった。国の役人あがりの小林市長が凋落する水産を機軸として八戸を立て直す策を打ち出した。
ところがこの男は不細工な面相と同じで腹に良い策を持ちながらも上手く伝えることができない。このハサップが再生八戸の原動力になるのは間違いない。しかし、小林市長を助ける面々がいない。無能無策な集団なのだ。監督に時代を見る名伯楽(はくらく・よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人)を得ても選手がやる気がない、言われることが分からないでは存分に力も発揮できない。気の毒千万。
が、彼のするハサップは正しい。鈴木継男氏は言う。八戸の水産品を蘭州交易会に持っていくことだと。筆者は前に武輪水産会長と鈴木継男氏の意見を聞けと断言したが、老人は大事な要点、要所、急所を押さえているものだ。
この鈴木継男氏は蘭州にガス事業を開発促進させる鍵を握った男だった。この意見は重要、市役所に貿易振興グループがある。何をしているかがさっぱりわからぬ課。ここにこの八戸水産品を売る努力を求める。中国蘭州に八戸の水産品を売り込め。大志民グループリーダーは中国語を勉強しろ。「はちのへ今昔」は65歳でも国際交流が開いた中国語講座を受講中。やる気があれば歳なんてのは関係ない。真剣に八戸の将来、未来を見据えろ。暖める席のあるうちに、小林市長も市役所職員各位も。