2008年10月11日土曜日

三八五流通、火葬場指定管理料を上げてくれと泣き3

三八五に火葬場の指定管理を教えたのが「はちのへ今昔」。八戸市民の半分を50歳以上が占める。
 これらの人々は三十年以内に滅びる。八戸市は国保から死人が出ると3万円出る。市町村によっては5万円。前回記したように日本は香典葬。葬儀が豪勢か質素かは別として、それなりの葬儀を出すように知人友人が金を持ち寄る。
 すると焼き場の金は役所がくれる3万円を充当できる。八戸市民24万、半分の12万が30年内に滅び、3万円の焼き場料は36億円となる
 この焼き料を使用料とするか利用料とするかが大きな鍵。一見同じように見えるが、使用料は市役所に、利用料は三八五に入る。これが八戸市の制度
 最初から三八五に36億円が入るようにはならない。物には段階があるが、この36億円を深謀遠慮で三八五に教えた。
 今、東京では火葬場がセレモニーホールをかねている。霊柩車が死体を火葬場に運ぶ手間がない。そもそも霊柩車の誕生は大隈重信が死んだ時に、トラックを改良したことに始まる。ここから色々な形式の霊柩車の誕生となるが、大した問題でもない、死体運搬車を格調高くしただけの話。もとはお神輿のように担ぎ寺まで運んだ。土葬ならこれで済むが焼き場まで担いでは行けないので、車に乗せた。
 現在は病院と葬儀屋が結託し、死人が出ると葬儀屋が取り仕切るようになった。毎日死人が出る家はない。何十年に一度だ、だから葬儀屋さんにおまかせ、葬儀も年々変化し、葬儀屋が儲かるような仕組みに改変。
 葬儀屋がセレモニーホールを持つようになったのが最近二十五年の傾向。菩提寺があればそこで葬儀、なければ葬儀屋が適当に見繕(みつくろ)う。宗旨が何でも構わない家もある。妙な話だと思うだろうが、集団就職で金の卵と言われた団塊の世代が故郷を離れ都会で所帯を持った。
 故郷に墓はあれど次男、三男では墓にも入れない。この事情があって東京近郊に墓地を沢山作ったのが西武。墓地は作れば売れた。次、三男たちがローンで買わされた。この人たちは自分たち夫婦が初代となるため、宗旨は何でもいい。そこで葬儀屋が適当に見繕うわけだ。
 こうした事情で葬儀屋が次第に鼻息が荒くなり、仏壇から墓地まで手を伸ばした。八戸では真照堂などがその手合い。しかし、こうした葬儀屋も火葬場が葬儀にまで手を伸ばす合理性にはかなわない。
 セレモニーホールに集まり葬儀をして火葬場に行くより、火葬場に集合したほうが便利。そこで東京の火葬場がホテル並みの豪華さに変った。これが大衆の支持を得て、セレモニーホールの倒産も出始めた。
 真照堂の天下も間もなく終わるだろう。それは三八五がホテルの接客術を火葬場に生かすとき。マクベスの森が攻めてくる時に滅びる話のように、真照堂、八田等の饗宴も終わる。
 ところが、三八五はそれが出来る立場にいながら、市営の頃と同じことを一年半繰り返した。結句、燃油代を余計くれと泣いた。泣く前に己が技術を売れ。火葬場の接客術を向上させ、収益を改善する。ここにこそ、市役所のボンクラに出来ない民営、民間の知恵と技術がある。それを忘れて金をくれ?
 三八五はそこまで落ちたか。三八五にはそれなりの自負と根性があったはず。それだからこそ八戸に三八五王国を築いたのではないか、他人を泣かせてまで。ところが、簡単に泣くのはどうしたことか。往年の泉山信一を支えた優秀な根性の持ち主が続々と滅びて、三八五魂も失せたのか。
 使用料を利用料として1億7千万円も稼いでいるのが体育公社。指定管理料は年間5億円もある。ウハウハで笑いがとまらない。三八五も夢ではない。それはサービスの改善による。
 ここまで読んで教えたが、存外人脈の幅がない。往年の三八五と今の三八五は同じようだが全く違う。世の宝は人材を指す。人は石垣、人は城だ。まだ三八五に改善の余地はある。足元を鋭く見て改善、改変を急ぐときが来た。