八戸市内に二十数社の測量屋あり。これらは専修学校で免状を取得、町が膨張する時期ならこれらの仕事もふんだんにあったが、景気後退で仕事は一つ減り、二つなくなると厳しい状況。
それに首縊(くびくくり・首吊り)の足を引っ張ったのが八戸市役所。それを八戸駅西の区画整理で見た。区画整理の第一号が東京、当時の都知事が岩手水沢出身の後藤新平、関東大震災の復興にこれを使った。
地権者から土地を提供させ、元の土地から道路を通す部分を減らさせ区画整理をすすめる。これは丁度、十五ゲームのようなもの、既定の大きさのなかを整理して1から15までの数字の札を並べる。Aの家をあっちにして、Bの家をこっちにしてと、まるで毎日ゲームをしているのが区画課。
ここが橋を作ることになった。そこで設計単価表に基づき、設計書を作った。落札価格もマアマア。なら文句を言うことはない? あせって聞くな、あせって泡食って死んだのがいるゾ、いいか、ところが、橋の設計と測量を一緒に出した。
どういうことか分かるか? 測量屋は設計屋と違って頭がよくない。だからノゾキだけで満足している。ノゾキって何? 測量屋を見ろ、なんだか知らないが三脚置いて覗いていないか? 女風呂をのぞくのか、女子寮をのぞくのかは知らねども、あいつらは毎日楽しそうにノゾキの道具を持ってウロウロフラフラ、今日は田んぼ、明日は山奥、崖登ってて、摑んだのが蛇、こんな困難な作業でおまんまを食っている。
それが、測量と設計を一緒に出されりゃ、頭の良くないノゾキ小僧にゃ歯が立たない。そこで、設計屋の下請けだよ。八戸市役所が出す三割五分引きの仕事も辛いが、設計屋の下請けじゃ、五割五部引きだ。
これじゃ食えない、借金地獄。それがためにノゾキ屋たちが干上がった。その嘆きを聞いて調べた調べた。するとあっちでも、こっちでもと続々。
頭が悪くても、国家がくれる免許証を取得した以上、なんとかこのノゾキ軍団にも仕事を廻せ。それは市役所が設計とノゾキの仕事に分けて発注すればいい。手間がかかると一緒に出した咎めがノゾキ屋の仕事を無くした。
「はちのへ今昔」よ、これが現状だと嘆いてきた読者の依頼で調べた。結果はその通りだった。市役所は手抜きをするところではない。市民の為に汗を流すところだ。市民の活力を高めず、市役所職員の存在もないと知れ。市役所の発注方には、区別して発注すると言った課もある。全部の課にこの話をするだけの時間もないが、担当課長が気づく、班長がそうだと自覚すると、二三年先からは改善されるだろう。
八戸市役所は改悪は急ぐが改善は放って置く。これじゃ市民はたまらない。生きていけないんです、「はちのへ今昔」さん。この言葉に尻押しされて、一日に二回も三回も市役所を尋ねて廻る。何があるのでもない、本が売れるのでもない、カネイリは本当の事を書かれた為、「はちのへ今昔」を置かないと拒絶、そんなことは屁でもない。何故ならもともと売れていない。商工会議所が不買運動で日干しにしろと叫んでも、こちとら元々日干しでも煮干でも大した痛痒を感じない。もともと売れないからだ。
が、「はちのへ今昔」なしで市役所が改善できるか、街中が活性化するのか、八戸市民はことなかれ主義で出るものを叩く、足を引っ張る手合いの集団だ。それで、蔭に廻ってゴモゴモ。百年生きても世の中良くならないゾ。人生は短い、されど改善しなければならないことは山ほどある。