2008年10月9日木曜日

三八五流通、火葬場指定管理料を上げてくれと泣き1

八戸市が民間の知恵で自分たちが管理すると金がかかりすぎると、指定管理者制度を導入し、それが成功している部門と、さほど効果を上げていないものとに分かれた。
 水産科学館のマリエントは管理者が変わって来館者が増えた。火葬場の焼かれる人間は間違いなく、これからの三十年は最大ピークを迎える。八戸市の55歳以上の人口は50%以上、これらが順番は分からぬが必ず死ぬ。吉田兼好が鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつる習ひならばと嘆いたように、八戸の火葬場も煙の数は次第に増加。
 焼き場の炉も増設しなければならない。施設も老朽化していると、焼き場の費用は確実に増大。ところが建設当時の市長秋山皐二郎が焼き場の使用料を無料とした。焼くには油を使用、ところが燃油の大幅な値上がり。これで三八五が困った。
 そこで市役所と交渉開始、こうなると市側も指定管理料は三年間、五年間で契約する、あるいはしたのだから、そんなことを言われても困る。と困ると困るが集まって協議だから大丸、小丸だ。
 市側は指定管理全体に影響を及ぼすため、そう簡単に三八五の言い分を認めるわけにはいかないと強硬な態度。このままでは三八五の言い分はポシャる。さらに燃油が八月をピークとして下落していることも、言い分に迫力を欠いている。
 三八五のこうした泣きは当然予想できた。だからこそ、毎週土曜日に火葬場を監視していた。四月から七月までの三ヶ月、十二回に渡り、利用者側、指定管理側、市役所側からの問題点を分析。
 そして、そこで見えたのは三八五の努力不足。焼き場のカマで一日十体を焼く。この焼き場に滞留する遺族、および親族知人は一体あたり二十人として、一日200人が最低でも焼きあがるまでの一時間は待機。
 そこで故人の思い出話をするのが供養、死ねば物体を失い、各人の心の中にしか存在しなくなる。その故人を偲ぶために仏壇だの墓石がある。
 それは心は形を求め、形は心をすすめるからだ。仏教をみろ、仏教がこれですと見せられる人はいない。見えない仏教をいかに見せるかに苦心、それが仏教の歴史でもある。
 人は何か拠り所を求める、それがないと偲ぶよすがを無くすことにもなる。そのため形が欲しくなる。それで仏壇屋が食っていける訳。
 焼き場の場長は市の職員だったが、三八五に雇われた。この人に焼きあがる一時間をどう処理すべきかが分からない。待機する200人に飲食をすすめ一人あたり五十円の利益を上げる。一日1万の利益、一月で30万、一年で360万円。これが燃油代に向けられると教えたが聞く耳を持たない。
 挙句、それをしたいと市役所に申し入れたが断られたという。確かにこれを市役所に確認したところ、担当の市民課は飲食は火葬場になじまないと断言。そうした態度では必ず運営に困難を生ずると「はちのへ今昔」が断言したのは三八五が指定管理をとった年。
 そしてこれが今年顕在化(けんざいか・隠れたものが出てきた)した。すると市民課は態度を一変、企業努力を認めると言い出した。役所なんてのは猫の眼、何を言い出すかさっぱりわからぬ、こんな者に頭を下げなければならぬ三八五も気の毒ともいえるが、三八五はホテル部門を持つ、これらが焼き場の職員を指導し、心のこもったもてなしを導入するのかと見ていたが、さっぱりしない。
 職員が変らずに焼き場の体質が変るわけもない。焼けた骨を炉から引き出す、この折、作業服で引き出したのを見て、焼き場は工場じゃないと市役所に噛んでやった。そういう事実は無く、黒服の職員が引き出していると強調。「はちのへ今昔」の目玉はそれをしかと捉えた、それから毎回カメラを持って出た。画像を見せないと言い逃れをするから。
 三八五としては管理料が目当てで、焼き場の改変などを考えていない。だからこそ職員の再教育もしない。燃油が上がれば貰えばいいとの判断で市側と交渉。その前に自助努力はないのか。
 滞留する客に心のこもった接客をする。飲食をすすめ燃油の足しとする。役所は態度を豹変し、三八五も努力をして欲しいと言い出す。さて、本質は見えないところに隠れている、まるで仏教のように、焼き場が抱える根源的な問題は明日掲載。
 続