上水道と下水道は兄弟のようなもの。似たもの同士だが手口は汚い。下水道の料金徴収は水道の使用量を元にしている。
つまり、水道の使用量検針に行くのは北奥羽サービス、つまり民間会社、ここは水道企業団が80%以上を出資。子会社にしている訳だが、この株式会社は経営内容を公開しなければならない。これは八戸市条例にもある。
ところが、彼らはそんなことはないと高を括って(見くびる。あなどる)いた。情報を公開しなければならないと知った北奥羽サービスの専務はうろたえた。そこで八戸市役所に水道企業団の職員と共に相談に出た。「我々は開示の義務があるのか?」と。にべもなく(愛敬もない。思いやりもない。とりつきようがない)当然ですとやられた。法律、条令で規定されている。
しなければ法律違反。その北奥羽サービスは機器を水道企業団から借りて検針に行く。ここに問題あり。この機器は水道企業団のもの。これがなければ水道料を算出できない。通常、北奥羽サービスの人間は、水道企業団に出向き、それぞれの担当地区に検針機器を借りてから移動。この機器がなければ仕事にならない。
この機器の購入代金を水道企業団は下水道に負担をさせ、さらに、その保守料まで負担させている。これが違法請求だという認識すら下水道にはない。
さらに、下水道の愚か極まる体質は、通常、役所が委託契約をなす場合は、幾らかかるかを自分の部署で計算する。これを設計書と呼ぶ。自分たちがあらかじめ計算した金額を、財政部に持ち込み、この程度の金額を見込んでいるが、予算として考えていいかどうかの指示を仰ぐ。
良かろうとなると、それが入札最低価格となる。複数社が札を入れる。一回目で最低価格に満たない、つまり高い札を業者が入れると、二回目の札入れ、さらに三回となる。それでも予想した最低価格に至らないとなると、役所と業者の協議となる。これは官製談合。業者が談合すると問題になり、懲罰を科すが、役所が計算した最低価格にならないときの協議が談合にならないのは不思議。
設計書に間違いがあるのだ。それをごり押しするのは間違い。だが、業者はこれを言えない。長いものには巻かれろだからだ。
こうした官の横暴に非を鳴らすのは「はちのへ今昔」だけだ。ダメなものはダメ、ところがこれを言えない。言うと次の仕事に影響すると、己が仕事が可愛いから黙る。「はちのへ今昔」は仕事が欲しくて情報開示をしているのじゃない。雑誌を売りたくて街をうろついているのじゃない。無頼漢だからだ。世の中が全く面白くない。面白くないから方々で吠える。面白くない世の中をダメにしているのは役所なのだ。
人民から税を搾り取って、それを人民のために使う知恵を持たない。それが面白くない。税は富の再分配。ところが本当にそうなっているのか?国民保険の資格証、この救済すらままならぬ。「はちのへ今昔」が吠えても、事態は少しも変化しない。その己が無力が面白くない。
体制の側にいない無頼漢がやたら騒いでも、カラ騒ぎだ。己が無力を知ってもやめないのは、無頼漢の無頼漢たるところ。世間の馬鹿野郎とせいぜい地面に唾を吐くだけだ。
青森県が産んだ偉人、太宰治がこう言った。「世間とはあなたでしょ」太宰は偉大だった。世間とは何? 生きるとは何? 根源的な悩みに文学の世界で立ち向かった。だから没後六十年の今も、命日の桜桃忌には多くの若者を集める。この世は若者の悩みを解消する所なのだ。そのために年寄りは喜んで一命を投げる。投げ打つことこそ、老人の仕事なのだ。頭に霜を積んで、イジイジと死の迫り来るのを肉体の老いに怯えながら生きるより、ここが死場だ、若者のために死ねるなら、誰が命を惜しいと命乞いをする? 死ぬということはそういうことだ。ただただ、焼き場の煙になる前にすべきことがあろう。それが、人間の使命なのだ、犬と人間はここが違う。
さて、下水道はその委託の根源となる設計書、つまり、幾らでこの仕事を発注するべきかの計算ができない。自分の人生を自分で決められない犬と等しいのが下水道だ。
他団体に仕事を依頼する根源の計算もせず、水道企業団が要求する金額を、なんのためらいもなく支払う行為は市民を愚弄している。市民は役所の人間は適法に、合法に仕事をしていると信じている。
ところがこうした愚かな人間たちがいる。自分たちのしていることに間違いはないと盲信しているのだ。前任者がしたことで、と、平然と言うが、なら前任者を連れて来い。前任者がしても、後任者のアンタが正せ。無頼漢の「はちのへ今昔」は平然と、傲然(ごうぜん・おごりたかぶるさま)と言う。その悪事を解明したのは「はちのへ今昔」だの自負がそうさせる。
下水道料金の徴収を水道料金をもとにしているから、薄汚い水道企業団の言うままになる。こんな方法によらなければいい。平均的家庭の下水道料金を出し、それより少ない額を均一に賦課すればいい。毎月の水道料を問題にするのは水道企業団だけ。糞便を流す下水道は独自の算式を持て。それも水道企業団の悪徳に加担するような方法でなく。
これが水道企業団となした契約書だ。契約金額は1623万円。この契約書には機器の購入代金、その保守料を支払うとは記載されていない。契約にないものは支払う必要がない。
ところがどうだ。下水道のボケ集団はそんなことにも気づかない。どうして? それは特別会計になっているからだ。市役所から島流しになるとボケが始まる。財政に相談せず、勝手な判断で処理できるからだ。
下水道と水道企業団の契約の積算根拠、つまり、これは水道企業団から請求のもとになる書類を出させた。それが、この黒塗りの人件費明細。個人情報に関わるというのが下水道の言い分。人件費の計算が正しいのかの疑問すら下水道は持っていない。それは手当てに企業団というのがある。これは八戸市役所にはない特殊なもの。こんなものまで八戸市民は汚い水道企業団に支払わなければならないのか。馬鹿野郎だ。自分が支払うべきものかどうかの判断も措置もなく、唯々諾々と払う馬鹿が何処にいる?
このことを噛み付いてやった時に八戸オンブズが来ていた。訳もわからずに寝言を書いているが、情報公開は知恵の戦いだ。情報公開を求めて、何を改善できるかが問われる。八戸オンブズは自分たちの事務所の入り口を示す看板を届け出もせず道路に立てた。50万円の罰金だ。それを担当課に指摘され慌てて撤去。他人の非を鳴らす前に自分たちのことも処理しろ。その程度の知恵で役所の悪を暴露できるのか?
下水道は不当に払った分を水道企業団から取り返せ。民法で決まる五年にさかのぼって。
つまり、水道の使用量検針に行くのは北奥羽サービス、つまり民間会社、ここは水道企業団が80%以上を出資。子会社にしている訳だが、この株式会社は経営内容を公開しなければならない。これは八戸市条例にもある。
ところが、彼らはそんなことはないと高を括って(見くびる。あなどる)いた。情報を公開しなければならないと知った北奥羽サービスの専務はうろたえた。そこで八戸市役所に水道企業団の職員と共に相談に出た。「我々は開示の義務があるのか?」と。にべもなく(愛敬もない。思いやりもない。とりつきようがない)当然ですとやられた。法律、条令で規定されている。
しなければ法律違反。その北奥羽サービスは機器を水道企業団から借りて検針に行く。ここに問題あり。この機器は水道企業団のもの。これがなければ水道料を算出できない。通常、北奥羽サービスの人間は、水道企業団に出向き、それぞれの担当地区に検針機器を借りてから移動。この機器がなければ仕事にならない。
この機器の購入代金を水道企業団は下水道に負担をさせ、さらに、その保守料まで負担させている。これが違法請求だという認識すら下水道にはない。
さらに、下水道の愚か極まる体質は、通常、役所が委託契約をなす場合は、幾らかかるかを自分の部署で計算する。これを設計書と呼ぶ。自分たちがあらかじめ計算した金額を、財政部に持ち込み、この程度の金額を見込んでいるが、予算として考えていいかどうかの指示を仰ぐ。
良かろうとなると、それが入札最低価格となる。複数社が札を入れる。一回目で最低価格に満たない、つまり高い札を業者が入れると、二回目の札入れ、さらに三回となる。それでも予想した最低価格に至らないとなると、役所と業者の協議となる。これは官製談合。業者が談合すると問題になり、懲罰を科すが、役所が計算した最低価格にならないときの協議が談合にならないのは不思議。
設計書に間違いがあるのだ。それをごり押しするのは間違い。だが、業者はこれを言えない。長いものには巻かれろだからだ。
こうした官の横暴に非を鳴らすのは「はちのへ今昔」だけだ。ダメなものはダメ、ところがこれを言えない。言うと次の仕事に影響すると、己が仕事が可愛いから黙る。「はちのへ今昔」は仕事が欲しくて情報開示をしているのじゃない。雑誌を売りたくて街をうろついているのじゃない。無頼漢だからだ。世の中が全く面白くない。面白くないから方々で吠える。面白くない世の中をダメにしているのは役所なのだ。
人民から税を搾り取って、それを人民のために使う知恵を持たない。それが面白くない。税は富の再分配。ところが本当にそうなっているのか?国民保険の資格証、この救済すらままならぬ。「はちのへ今昔」が吠えても、事態は少しも変化しない。その己が無力が面白くない。
体制の側にいない無頼漢がやたら騒いでも、カラ騒ぎだ。己が無力を知ってもやめないのは、無頼漢の無頼漢たるところ。世間の馬鹿野郎とせいぜい地面に唾を吐くだけだ。
青森県が産んだ偉人、太宰治がこう言った。「世間とはあなたでしょ」太宰は偉大だった。世間とは何? 生きるとは何? 根源的な悩みに文学の世界で立ち向かった。だから没後六十年の今も、命日の桜桃忌には多くの若者を集める。この世は若者の悩みを解消する所なのだ。そのために年寄りは喜んで一命を投げる。投げ打つことこそ、老人の仕事なのだ。頭に霜を積んで、イジイジと死の迫り来るのを肉体の老いに怯えながら生きるより、ここが死場だ、若者のために死ねるなら、誰が命を惜しいと命乞いをする? 死ぬということはそういうことだ。ただただ、焼き場の煙になる前にすべきことがあろう。それが、人間の使命なのだ、犬と人間はここが違う。
さて、下水道はその委託の根源となる設計書、つまり、幾らでこの仕事を発注するべきかの計算ができない。自分の人生を自分で決められない犬と等しいのが下水道だ。
他団体に仕事を依頼する根源の計算もせず、水道企業団が要求する金額を、なんのためらいもなく支払う行為は市民を愚弄している。市民は役所の人間は適法に、合法に仕事をしていると信じている。
ところがこうした愚かな人間たちがいる。自分たちのしていることに間違いはないと盲信しているのだ。前任者がしたことで、と、平然と言うが、なら前任者を連れて来い。前任者がしても、後任者のアンタが正せ。無頼漢の「はちのへ今昔」は平然と、傲然(ごうぜん・おごりたかぶるさま)と言う。その悪事を解明したのは「はちのへ今昔」だの自負がそうさせる。
下水道料金の徴収を水道料金をもとにしているから、薄汚い水道企業団の言うままになる。こんな方法によらなければいい。平均的家庭の下水道料金を出し、それより少ない額を均一に賦課すればいい。毎月の水道料を問題にするのは水道企業団だけ。糞便を流す下水道は独自の算式を持て。それも水道企業団の悪徳に加担するような方法でなく。
これが水道企業団となした契約書だ。契約金額は1623万円。この契約書には機器の購入代金、その保守料を支払うとは記載されていない。契約にないものは支払う必要がない。
ところがどうだ。下水道のボケ集団はそんなことにも気づかない。どうして? それは特別会計になっているからだ。市役所から島流しになるとボケが始まる。財政に相談せず、勝手な判断で処理できるからだ。
下水道と水道企業団の契約の積算根拠、つまり、これは水道企業団から請求のもとになる書類を出させた。それが、この黒塗りの人件費明細。個人情報に関わるというのが下水道の言い分。人件費の計算が正しいのかの疑問すら下水道は持っていない。それは手当てに企業団というのがある。これは八戸市役所にはない特殊なもの。こんなものまで八戸市民は汚い水道企業団に支払わなければならないのか。馬鹿野郎だ。自分が支払うべきものかどうかの判断も措置もなく、唯々諾々と払う馬鹿が何処にいる?
このことを噛み付いてやった時に八戸オンブズが来ていた。訳もわからずに寝言を書いているが、情報公開は知恵の戦いだ。情報公開を求めて、何を改善できるかが問われる。八戸オンブズは自分たちの事務所の入り口を示す看板を届け出もせず道路に立てた。50万円の罰金だ。それを担当課に指摘され慌てて撤去。他人の非を鳴らす前に自分たちのことも処理しろ。その程度の知恵で役所の悪を暴露できるのか?
下水道は不当に払った分を水道企業団から取り返せ。民法で決まる五年にさかのぼって。