2008年8月13日水曜日

朔日町本間商店は下駄屋の卸、今は小売で頑張ってる


八戸の下駄屋の元祖は明治十年創業のマルタ、武内徳助、二十六日町、子が又八郎、その嫁が天聖寺横で衣類販売のマルタ、いまも健在、御歳九十にもおなりだろうか、その息子が水道屋、管工事業を根城で経営、日建設備という。その息子も元気で働いていると、筆者はなんと四代に渡り知っている。
 八戸に長く居ると妙な事を知るようになる。さて、ムービーを手にして動く八戸を紹介と意気込む。こうなると、TV局と肩を並べる。一人でも新聞・ラジオ・TVの真似ごとが出来る時代。
 金を目的としないと、世の中は面白い。時代の波先に立つ喜びを感ずる。動画で八戸をどう見せるか。いろいろと企画中。
 今回は下駄の鼻緒挿げ(はなおすげ・はなおは足を押さえる太いひも、それを穴に通して製品とする)。下駄は木の部分の製造と、鼻緒の布部分の製造とに分かれ販売される。それを一つにするのが卸店、もしくは小売店の仕事。
 昔は足が不自由な人が小売店で活躍。職人は二つに大別、一つは出歩く職人、大工や畳屋、屋根屋など、もう一つが居る職人、これが時計修理屋、飾り屋(宝石加工商)、それに下駄屋だ。今は自動車が普及し、体の不自由な人も出歩くようになった。法律も彼らの雇用を促すが、まだ不十分。能力はあれど、体が不自由な人を多く見るだけに企業は一人でも多く雇用してもらいたいもの。
 さて、八戸の二番に古い下駄屋は明治22年、八日町丸西履物、根城孝三、明治32年、十八日町中村履物、中村俊五郎、明治41年、八日町、市長履物、市川留吉、明治42年、六日町田福本店、田名部福太郎、大正元年、塩町阿部履物、阿部金次郎、大正八年、湊町越後屋、松山キサ、大正11年、小中野弥八屋、伊藤剛人、大正12年、鍛冶町田山履物、田山仁八、昭和元年、朔日町本間商店、田面木松助と、ここで本間商店が出てくる。
 八戸は桐材が豊富、これで富を築いた人もいた。地元にあるもの利用が基本、晩春、是川の山で桐の花を見る。これを育て桐材として出荷。それが高級下駄になった。時代を読むと儲け話はある。景気後退と言われるが、ないものねだりではタダ時間を空費、地元で儲けられる話が山ほどある。ただ、それに気づかないだけだ。
 さて、本間商店で下駄の鼻緒をすげた人は、六戸犬落瀬から嫁に来た。なかなか器用な人。下駄の修理や鼻緒の挿げ替えにどうぞ。下駄も塗り下駄、高下駄、庭下駄と豊富。種市一松堂のならび塩町側、電話0178・22・0339