世の中は絶えず変化しているのは、方丈記の鴨長明じゃないけれど、ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらずで、長生きしたいと言っても千年生きた婆ァを見たことない。
変化していくのが世の中で、変わらないものが一つある。それは人民から税を搾り取る体制。館が城になり、それが市役所になっただけ。ところが、この変わらない人民苛めの市役所も、舵取りが絶えず変化する悩みがあり、それに翻弄(ほんろう・思うままにもてあそぶこと)される。現今、指定管理者制度が導入されたことが、八戸市役所の瓦解(がかい・一部の崩れから全体が崩れること)を示しているが、存外、役所側はそれに気づいていない。
この瓦解現象は歴代の市長が良かれと思ってした事が悪しかれとなって出た。それは、公会堂であり、騙して防衛庁から食った金で出来た八戸公民館であり、体育公社が管理する5つの体育施設などなど。
これらを管理する名目で市役所職員を増加させたが、経費がかかることで音を上げ、民間に管理してもらおうと、自分たちの給料を棚に上げ、安い価格で公募した。
今年は、その指定管理者の入れ替えの時、これを連載して、景気の最悪と言われる八戸でも、考え方を変えれば存外生き残れる八戸であることに気づいていただこうの狙い。
今回は図書館が管理する指定管理者を解説する。
南郷図書館と八戸駅の図書情報センター、ここは八戸図書館と連動していないと、「はちのへ今昔」が噛んだことを覚えている諸君もいるだろう。これが、指定管理となる。初手のため、管理期間は三年、問題がなければ、次の五年と契約期間が定まる。
さて、その年間管理費、つまり市が受託業者に支払う年額は4422万円。この図書館に本を納入する業者、これを一手に取り仕切る者がいる。図書館の本はすべてバーコードが付いている。これを利用して、その東京の管理業者が全国の図書館の指定管理を狙う仕組みだ。
三沢の図書館はすでにこれが導入された。今度は八戸の図書館が狙われると、八戸図書組合が騒いだそうだが、結局、なんら手を打てずに傍観。指定管理を取るには、八戸図書館から手続きの書類を手にいれ、計画書を作成し、十月の提出期限までに出さなければならない。
かかる有様では八戸市内から東京の業者に金が流れる。固定資産税賦課には、地方税法に規定した各戸を訪問し、実情を調べよを無視し、東京の業者に願い、飛行機を飛ばし空から監視したとぬかした。
これも市民のアルバイトを使い、市民の懐に税金を返せと叫んだが、獅子内資産税課長は無視。空から監視して十分市民の家を監視していると豪語。ところが、それがそれが嘘。これもおいおい追求。
かくの如く、市役所側には基本的に市民に税を返そうの意識が欠如。それに加えて、八戸の書籍組合も指を咥えてながめるは愚かだ。根性なし、臆した(おくする・気おくれして恐れる。おじける。おどおどする)のか。わが町は誰が守る、わが業界は誰が育てるの意識すらないのが書籍組合。そんなことで出版文化が守れるのか。町々の書店の存在が全国統一の情報発信源、それが、書籍からラジオ、テレビと主役を奪われ、また、インターネットの出現で押されに押された。
昨今は本を見ずにメールを見る時代。でも、本屋は文化の担い手なのだ。本が売れない時代、本を売る努力もさることながら、同業組合、協同組合で、辛い風をしのぐということも出来る。
こうなるとダメ、ああなると困ると、先ず、ダメを数えろ、だが、そのダメを良いに変える努力には時間が必要だ。書籍組合員は寄り合い、この指定管理を手にし、組合で管理をすることで、新たな本屋としての市民への奉仕、利益の追求が見えないのか。
南郷図書館で一番借りての多いのが児童書、これらは本が新しいから母親が幼い子どもに借りる。何故? 本に手垢が付いていないからだ。すると、貸し出し上位の本は売れ筋。これらをそろえて書店で売るなどの手が取れる。それには、なんと言っても情報を収集することだ。三日町のカネイリは自分の努力を怠り、売れないを嘆く。実情を見ろ、自分の下田イオンの売れ筋本の分析を怠っていないのか? そのことは八戸市内の全書店にもいえる。
人は誰も手伝ってはくれない。日々の業務に首まで漬かり、周囲が見えていないのだ。先を読め、時代は確実に変化、中里市長時代の箱物行政が、八戸市役所の崩壊を早めている。早く気づけ、少しでも手を打て、行政側も、そして市民の側も同じことだ。
変化していくのが世の中で、変わらないものが一つある。それは人民から税を搾り取る体制。館が城になり、それが市役所になっただけ。ところが、この変わらない人民苛めの市役所も、舵取りが絶えず変化する悩みがあり、それに翻弄(ほんろう・思うままにもてあそぶこと)される。現今、指定管理者制度が導入されたことが、八戸市役所の瓦解(がかい・一部の崩れから全体が崩れること)を示しているが、存外、役所側はそれに気づいていない。
この瓦解現象は歴代の市長が良かれと思ってした事が悪しかれとなって出た。それは、公会堂であり、騙して防衛庁から食った金で出来た八戸公民館であり、体育公社が管理する5つの体育施設などなど。
これらを管理する名目で市役所職員を増加させたが、経費がかかることで音を上げ、民間に管理してもらおうと、自分たちの給料を棚に上げ、安い価格で公募した。
今年は、その指定管理者の入れ替えの時、これを連載して、景気の最悪と言われる八戸でも、考え方を変えれば存外生き残れる八戸であることに気づいていただこうの狙い。
今回は図書館が管理する指定管理者を解説する。
南郷図書館と八戸駅の図書情報センター、ここは八戸図書館と連動していないと、「はちのへ今昔」が噛んだことを覚えている諸君もいるだろう。これが、指定管理となる。初手のため、管理期間は三年、問題がなければ、次の五年と契約期間が定まる。
さて、その年間管理費、つまり市が受託業者に支払う年額は4422万円。この図書館に本を納入する業者、これを一手に取り仕切る者がいる。図書館の本はすべてバーコードが付いている。これを利用して、その東京の管理業者が全国の図書館の指定管理を狙う仕組みだ。
三沢の図書館はすでにこれが導入された。今度は八戸の図書館が狙われると、八戸図書組合が騒いだそうだが、結局、なんら手を打てずに傍観。指定管理を取るには、八戸図書館から手続きの書類を手にいれ、計画書を作成し、十月の提出期限までに出さなければならない。
かかる有様では八戸市内から東京の業者に金が流れる。固定資産税賦課には、地方税法に規定した各戸を訪問し、実情を調べよを無視し、東京の業者に願い、飛行機を飛ばし空から監視したとぬかした。
これも市民のアルバイトを使い、市民の懐に税金を返せと叫んだが、獅子内資産税課長は無視。空から監視して十分市民の家を監視していると豪語。ところが、それがそれが嘘。これもおいおい追求。
かくの如く、市役所側には基本的に市民に税を返そうの意識が欠如。それに加えて、八戸の書籍組合も指を咥えてながめるは愚かだ。根性なし、臆した(おくする・気おくれして恐れる。おじける。おどおどする)のか。わが町は誰が守る、わが業界は誰が育てるの意識すらないのが書籍組合。そんなことで出版文化が守れるのか。町々の書店の存在が全国統一の情報発信源、それが、書籍からラジオ、テレビと主役を奪われ、また、インターネットの出現で押されに押された。
昨今は本を見ずにメールを見る時代。でも、本屋は文化の担い手なのだ。本が売れない時代、本を売る努力もさることながら、同業組合、協同組合で、辛い風をしのぐということも出来る。
こうなるとダメ、ああなると困ると、先ず、ダメを数えろ、だが、そのダメを良いに変える努力には時間が必要だ。書籍組合員は寄り合い、この指定管理を手にし、組合で管理をすることで、新たな本屋としての市民への奉仕、利益の追求が見えないのか。
南郷図書館で一番借りての多いのが児童書、これらは本が新しいから母親が幼い子どもに借りる。何故? 本に手垢が付いていないからだ。すると、貸し出し上位の本は売れ筋。これらをそろえて書店で売るなどの手が取れる。それには、なんと言っても情報を収集することだ。三日町のカネイリは自分の努力を怠り、売れないを嘆く。実情を見ろ、自分の下田イオンの売れ筋本の分析を怠っていないのか? そのことは八戸市内の全書店にもいえる。
人は誰も手伝ってはくれない。日々の業務に首まで漬かり、周囲が見えていないのだ。先を読め、時代は確実に変化、中里市長時代の箱物行政が、八戸市役所の崩壊を早めている。早く気づけ、少しでも手を打て、行政側も、そして市民の側も同じことだ。