国民皆保険が叫ばれたのは戦前、ところがこれは衆議院を審議未了で通過せず、日の目を見なかった。実現したのは昭和三十六年。
この国民健康保険は税とする行政、料とするところと二つに分かれているが、どちらを取るかは行政に任かされている。八戸市は税を取っている。税の時効は5年、料は3年と異なる。ここに問題が生ずる。
八戸市の場合は市民からの国保税は、総収入の32%で後は国と県からの補助等。この32%の税賦課を決めるのが国保年金課。市民の収入により税額を決定。
この税を払えない人が538件ある。これらの人の前に、保険料が納入されないことを楯に、短期保険証を発給、これは三ヶ月間しか有効しない。税を納入するとまた伸びるが、払えなくなると、市は見放して、十割、つまり全額を自分で払えという資格証を出す。
これを貰うと医者にかかっても全額負担となり、医者にかかりたくてもかかれない。これを目撃。ある医院で看護婦が婆ァに診療する前に金を出せという。婆ァは窓口で泣いた。
「腹が痛くてやっとここまで来た。診てほしい」
「お金を先払いしないと診ない。医は仁術じゃない」
「そんなこと言わないで診てくれ」
情けないことだ。言い知れない怒りを感じた。行政は市民の生命と財産を守るところだ。それが守れないは情けない。
明治、大正、昭和の時代なら、こうした悩みもあったかもしれない。しかし、国民皆保険が叫ばれて47年。成熟する期間だ。しかしながら、この風潮はどうしたことだ。NHKでも同様な話が放映された。
路上で昏倒した患者を救急車が搬送、病室で気づいた患者が点滴のチューブを引き抜いて逃走。三日後に路上で死亡。十割負担の人だった。病院での医療行為に支払いができないと逃走したのだ。金が払えずに命を払った。
筆者も若い頃、結核で入院、医療費が払えず昼逃げをした。投薬は一切飲まず寝ていた。飲んだ患者は耳が聞こえなくなった。薬害だ。ストマイつんぼと呼ばれた。医者にかかっていても、こうした嘆きはある。
医者にかかっていての嘆きの大きいのはフィブリノゲン製剤。これを投与されると肝炎を発症。1987年3月に三沢市の産婦人科医院で8人が集団感染した。十年後、三沢市の同医院が当時のフィブリノゲン製剤を保管していることで分析、これらの製剤は製造後15年経過したにも関わらず、いずれにも未だに活力を持った肝炎ウィルスが存在していた。
この患者が八戸にもいる。八戸市議会、平成20年4月21日民生協議会記録から。投与件数は126件、実患者数は123人となっております。 次に、今回判明した21件の今後の対応ですが、基本的には3月の対応と同じで、投与患者には、住所等を確認後に検査、治療を受けていただくために使用した事実を文書で通知する。しかし投与患者の住所等が確認できない患者分については、市民病院ホームページに公開し、問い合わせに対応する。最後になりましたが、3月に報告した102人のその後の対応状況ですが、文書による通知ができたものが33名、所在調査中でとりあえず4月18日にホームページに公開したものが44名、死亡確認が25名となっております。
このように医療機関にかかっていても危ない時代ではあるが、金がなくて保険制度が使えないは情けない。
国保課が課税を決定し、短期保険証。資格証発行までは責任があるが、税を納入できなかった人は収納課に回される。この収納の文字が気になる。収は予定したものが入ってくる。納はおさめるで、予定したものを納めるという意味。予定した通りにならないから問題で、予定したとおりになれば悩みも困惑もない。
そこで出たのは医院の窓口での嘆きだ。困惑者538人をどうやったら解消できるか。収納課ではこれら538人の徹底追跡調査を6月の一ヶ月間を費やして調査。その結果、8割と面会できなかった。残り2割は支払い方法などを相談中。うち一人は生活保護に回ったという。
国保税も支払えない人は生活困窮者なのだろう。これらの人々が生活保護を受けることが肝要。八戸市内の生活保護世帯数は2644世帯、青森市は5204世帯、弘前市は2981世帯、人口比率でいうと、八戸を100とすると、青森市は158、弘前は150と八戸より生活保護世帯は圧倒的に多い。
この数字から八戸市役所は意図的に生活保護を認めないようにしているのか。困民を苛めている。数字は嘘をつかない。これが意味するのは、職員の意図、あるいは怠慢だ。本来受給できるものをさせないのは、国民が受けるべき制度を生かしきれていない。