2008年8月20日水曜日

人情を知り無一物から屈指の成功者となる武輪武一氏 最終回


武輪水産五十周年記念誌「零からの出発」で八戸の水産界を勉強させていただいた。無一文でもひたむきに働く姿が浜の人の心を打ち、武一氏は成功者の道を歩んできた。
 彼の努力も勿論あったろう。しかし、世の中を読み解く緻密な頭脳なくして今日の栄光はなかった。多くの水産者が倒産し浜から消えた。漁師、加工屋の区別はなかった。浜の船の姿は消え、町は寂れに寂れた。
 平成に入ってから、浜は厳しい嵐が吹き荒れた。武輪水産はイカ、サバの加工を得手とする。ところが漁不漁の波が容赦なく押し寄せる。武輪水産がノルウエーからのサバを輸入するのを見れば、他の商社も同様に輸入。平成二年は商社が輸入したサバが不漁在庫となり安値で放出。そんな国内事情もあったが、イカ、サバの手配が順調にすすみ、〆鯖の新製品「昆布締め」が当たり好調。製品はライフサイクルがあり、三十年もすれば売れなくなる。そのため新製品の完成が待たれるが、これにもリスクがある。
 それは製造ラインの設備投資だ。売れれば売れたで金がかかる。売れなければ売れないで新製品の開発の先行投資が必要と、加工業者は原材料の確保と市場を絶えずにらむ必要がある。
 馬鹿じゃできない、利口はしない、中途半端じゃ、なお出来ないのが水産加工。武輪氏は商社勤務で八戸を知り、そのまま居ついた。水産加工をしたくてしたのではない。生きていくために仕方なく水産加工に手を染めた。
 ところが息子は東大卒の優秀な頭脳。この賢い人材が面倒極まる水産加工に乗り出した。この人の知恵が世界を見た。そして輸入を始めた。親父は生業(なりわい・世わたりの仕事。すぎわい。よすぎ)として始めた水産加工を息子は事業として伸ばして行く。
 当然、衝突がある。平成三年はサバの水揚げが皆無に等しい。ここでノルウエーとの取引が活躍、他の加工業者が頭を抱える時に、武輪水産は確実に業績を伸ばした。魚の選別機、原料解凍機なども装備、自動真空包装機など他社に先駆けて揃えるなど、設備投資も果敢にすすめなければならない。
 従来は水揚げされた原料を加工しさえすればいい程度の認識でも経営は出来た。しかし、世の中は大きく曲がった。
 八戸の魚市場は三十年遅れていると言われる。ユニバースやよこまちストアは八戸魚市場に入りたくもないし、買いたくもないと言う。これは「はちのへ今昔」の思惑がすっかり外れた。八戸の魚市場の活性化は彼ら小売店に仲買の資格を与えて、魚を積極的に購入してもらうことだと信じていた。
 ところが、仙台や築地の仲買商は、未明にFAXを小売店に送付し、注文を取る。それが三時間から半日で八戸に到着。荷姿が悪いものは返品可能、それが次の便で到着。
 こうなれば、誰が八戸魚市場の、魚の選別もしない混載物を買いますか? また、それには目利きが必要となります。夜中に動く職員をわざわざ配備しなくとも、他の市場で十分に仕入れが出来るんです。八戸の魚市場は完全に三十年遅れたんです。
 この言葉で水産事務所長の工藤氏が言っていた、サンマが八戸の命運を担っていますの意味が判明。ところが、八戸にはこのサンマの加工場がない。過去には6万㌧を水揚げした実績がある。
 八戸市内では2万㌧が生食として消費されるが、4万㌧は気仙沼などに陸送される。武輪水産はサバ、イカの加工技術は優れているが、サンマの加工はされない。原材料が安定的に入れば、この加工も可能となろう。
 平成四年は九州からサバを購入し、ノルウエーとの二本立てにした。平成五年、六年と景気は思わしくなかったが、新社屋を完成させた。生産部門に投入してきた設備投資を、ようよう新社屋に向ける時がとうとう来たのだ。
 平成七年はイカの塩辛、一夜干しが検討しフィレーがダメとなかなか製造屋の難しさを味わう。単品の製造だけだと、景気の波をモロに食らう。どの製品が伸び、どれが鈍ってきたかを察知する能力も必要と、この業種の難しさをしみじみ知らされる。
 相場は動き、浜値の乱高下もある、と、実に複雑な要素がからむ水産加工業、そこから一歩も退くことなく、平成九年に創業五十周年を迎えた。そして社長に息子さんが就任。それから、今日で十一年が経過した。イカとサバの加工一筋で日本でも屈指の製造業となられた。
 現今は小林市長が掲げるハサップ漁港への変身。これが功を奏すれば八戸の水産界は再生する。ところが難問もある。ノルウエーは仲買人がいない。人口も四百七十三万人でしかない。人間が手を触れずにサバを漁港まで運んでくる。
 仲買がいないから船からポンプで魚を水と共に押し出し、タンクローリーで加工場まで運ぶ。加工場には魚の選別機がある。
 ところが八戸では魚を選別機にかけて仲買が競る。それをまた加工場で選別すると二度手間になる。武輪水産はすでにノルウエーからの輸入実績の中で対処しているが、初めての経験となる業者ばかりだ。
 まき網でサバを獲る、人の手を触れずに八戸魚市場に入る。選別した魚は鉄製のケースに入れられ運搬車に搭載され、加工場、あるいは他の市場に運ばれる。これで完全なノルウエー方式なのだろうか。ケースにはフタがされるそうだが、外気に触れるのは間違いない。他の市場に出てハサップ型のサバで通るのだろうか。
 武輪水産は加工技術に長けているので、十分その良さを発揮するだろうが、八戸サバがハサップ対応で高値を持続できるのだろうか。
 運搬用の海水は岸壁下から取水するそうだが、あそこは労災病院から下水が流れて来る。それが汚くて防御フェンスを延ばし、係留している船にその汚物が付着しないようにしている。そんな海水を汲み上げるは自殺行為。基本設計を見直す必要がある。
八戸魚市場は小売店が見向きもしない特殊な遅れた所、これを脱却するにはプロ志向しかない。つまり他の市場に輸送するだけの港。サンマの水揚げは十月、十一月の二カ月。
昨今は重油が五年で三倍に上がり、漁業家は青息吐息。サンマの出漁を一斉休業するなど必死。ところが、このサンマは大型船が出漁すると値段が下がる。キロ三百円していたのが、大型船が出ると四十円にまで暴落。
これじゃたまらない。八戸近辺の漁期頃は四十円程度。これをもう少し高く買う。武輪水産の会長は魚を高く買えば、全国何処からでも魚は集まると言われた。「はちのへ今昔」はこの言葉にしびれた。まさしく名言。
このサンマが八戸の宝となるには、加工業がこぞって技術をこれに向ける。そして新製品を生み出せるか。それなくしては、水揚げ日本一になれない。
八戸がサンマを高値で買う、サンマ船は八戸には二隻しかない。県外船を呼び込む以外に方法はない。重油が高値だけに近い港に水揚げしたい。燃油の節約が八戸に風向きを変えた。
この好機をいかにものに出来るかだ。八戸水産界は武輪水産会長の知恵を借りろ。サンマにどの程度の高値をつけたらいいかを。
セリ値段を上げるには二番をつけるといい。二番は高値をつけて競落した次の人。これにセリ協力歩合を払う。すると二番が欲しくて値段は上がる。
これはセリの技術、この二番をつける人をハタ師と呼ぶ、二番で生活が出来るからだ。だが、もっと根本的に高値をつける方法を編み出すべき。それには八戸市が燃油の補助を出す。あるいはセリ値の最低保証。これをすれば県外船の眼を向けることができよう。
問題はその価格だ。浜値は毎日動く、ここらの感覚は実地で経験している武輪水産会長を最高顧問として八戸市は迎えるべき。サンマの浜値次第だが6万㌧をキロ50円なら30億円、100円なら60億円だ。
海の中を札束が泳いでいる。この図がピンと来ない人は金儲けに縁がない。
サバもかつては鰹節の代用でしかなかった。ところが、これに商品価値をつけたのが八戸人たち。勿論、その先頭をきったのが武輪水産会長。この人を八戸市の頭脳として、水産基金を作り、この金を呼び水としてサンマを揚げよう。サンマが6万㌧揚がれば日本二番の水揚げとなろう。
工藤水産事務所長はロシアへの輸出を目論んでいるようだが、冷凍のまま中国へ輸出できないか。中国の何処? それは鈴木継男氏が名誉市民となられた人口三百万の蘭州市だ。ここへは九月に八戸から使節団が行く。これを活かしてサンマの輸出の話を固めることだ。サンマをミールとして安値にしないことだ。価値あるものに高値をいかにつけるかだ。ここにこそ武輪水産会長の知恵を活かす時。
八戸市は浜に活気がなければ右腕をもがれたに等しい。中心市街地活性化の交流センターも、決め手にはなりにくい。
揚がった魚は高値で八戸市が買う、そのための基金を十二億円集める。その金で続々と荷揚げされる魚が安値になったら買い支える。八戸は安値で漁業家を買い叩かない印象を与えるべき。八戸魚市場は他の市場と異なる特殊性の市場なのだ。大量水揚げ、大量他市場への転送しか生き残る道はないのだ。
八戸には幸いなことに、その道のプロ中のプロがおられる。これら先人の英知を戴こう。
武輪水産会長も鈴木継男氏も元気でおられる。最後の最後に、もうひとつ活躍していただこう。知恵を借りて、実際には若手が汗を出せばよい。
他の市場に転送している内に、八戸の加工業界がサンマの新たな食べ方を考案する。これに期待しながらの時間稼ぎだ。何をするにつけても金が必要となる。それが八戸水産振興基金の創設だ。企業も個人もこぞって、これに金を投げよう。そしてオマケを期待しよう。従来のようなやらずぶったくりの基金ではなく、見返りのある基金、つまりサンマが貰える、サバの昆布締めが貰えるなどの年二回、つまり盆と正月にはオマケが貰える基金なら、全国から資金があつまる。
まして、八戸出身の人々なら猶(なお)の事だ。
京都の産、縁あって八戸に来られ、水産に手を染め、加工一筋に精を出し、業界屈指、日本でも有数な企業にまで業績を伸ばした武輪武一氏、この人を得た八戸は幸いだ。いまこそ、この卓越した知識と経験、果断な攻めの精神を戴き、八戸を名誉ある水産王国へと導いてもらえるのは武輪武一氏以外になし。八戸人よ、頭を抱える前に、まだ残されている道を模索しよう。
武輪武一氏と共に。