2009年4月30日木曜日

デーリー東北新聞起原 2


昭和二十年十二月十日、穂積義孝により創業さる。この新聞の起原さぐるシリーズ。紙面から広告を主体として解説。
死亡広告起原
吉田昌平、祖母フチ、葬儀は来迎寺にて、昭和二十一年四月二十一日
死亡広告はデーリー東北新聞の重要な資金源。また、この広告費が高い。これを値切る人もいないので大事なドル箱。 この死亡広告はデーリー東北新聞が始めたのではなく、奥南新報なども盛んに掲載。この奥南も戦後は命脈を絶ち、新聞不在の状態が八戸に出現、そこに穂積が政界進出の足がかりとしてデーリー東北新聞を発行。これほどまでに充実したのは、執筆陣もさることながら、専売所の支援があった。これを忘れてはいけない。