三戸の昨今
松十旅館の改良
昨今諸事改良加え勉強と誠実を旨とするより投客の気受け頗る良好なりと
八戸町会議員名寄帳
今淵正苗氏
今淵さんは医者だと言い、高利貸しだと言い、湯屋の亭主になったとまで言う、それもそのはずか、何時先生の前を通ってみても看板が真っ黒になってしまっていて医院とも診療所とも読まれぬ、それは患者も薬収も見えたことがない、一方には大分お金を貸し出し召される、高利の事とて貸す方にも借りる方にもそれ相応の無理も魂胆もあるものと見えて始終刑事沙汰が絶えぬ、我々も其の手練手管を聞いてはいないが滅多には明かさぬ、この事実からして今淵さんが医者から高利屋に転業したと思うのは全く以って無理もないけれど僕が名寄帳を作るについて調べた所によれば正に金貸しを営んではござるが医者も其のまましてござる、昔から医は仁術と言う、その仁術の看板揚げた表には日がな一日人っ子一人寄りつかないで、血を吸い肉を殺ぐような裏手の高利屋が爪も立たぬ程な繁盛とはそもそも浮世は不思議なもの、裏と表とは元より反対に相違なけれどこれほど違った両面を一っ胸で使い分けるとは到底事実が合点せぬゆえ気に叶った一方のみ発達するのは当たり前のことならずや、ヨシヨシ分かった、そもそも湯屋の亭主とは如何、それにも曰く因縁があれど(以下不明)
を以って推されたる一人なりしが廃校後上京して医科大学中の別科生となり業卒って郷に帰り開業以って今日まで経るが先生は斯道における学術経歴共に奥南医界の牛耳をとるに足るのみか其の豪儀の気性と不屈の意思とに至っては更に歓称すべきものあり、僕が初手からして先生と崇めるのも単に医者だからばかりでない所が思いきや、それが高利貸しの方へ発展しようとはだ、併し其の所が先生のことだから大に貯めるは大に散ぜんが為かも知れぬ未だにわかに非難するべきでないと思う
(以下略)
○三本木通信
当村において最も信用ある各種を挙げれば益川呉服店を首めとし酒造家は三浦由竹、小間物屋は川崎新兵衛、請負師は南専松、金貸し業は大竹久八、医院は佐竹左門、菓子店は中島曙庵、貸し座敷は福遊楼の島田某、料理屋は三輪兵太郎、写真師は○原某、侠客は中村倉松、米やは三浦友次郎、豆腐屋は菊池茂、湯屋は佐々木クラ(以下不明)
八戸町会議員名寄帳
石橋源三郎
同じ石でも玉につく石もあれば瓦にも劣る石もある、石橋叩いて渡ると言えば至って堅いはずなるに其の実は焼け石ボロボロ箸にも棒にもかからぬ代物ありとぞ、同じ石族の中にも石橋源三郎と呼ぶ軽石みたような浮かれ男はあれは全体とうの昔、小中野へ男妾に住み込んだと聞いていたに驚いた、驚いた、町会議員とは驚いた、初めてそう聞いた時は定めし何かの間違いであろう、小中野廓内に日曜会とか呼ぶ四角張った名前の売女団体があるそうだからその役員でも為ったと思うたに、これは案外千万なるご出世、去るにても刷新凄まじくかかる名議員達を吹き集めて何事の誤相談召さるにや、八戸も段々道化てきていずれ其のうちには役場からエンブリでも出るように刷新するであろう、その時はこれらの人も満更役に立たぬでもあるまい、源ちゃんは第一背器量がいい、さしづめ藤九郎という役目だ、老後の思い出に一踊り踊るもこの上のご名誉であろう、ただしこれは未来のことだ、何かさし当たっての仕事があるまいか、あるある、好いのがある、写真を撮ることを知っている、先ず町会議員を一人一人撮影させて芸者なみに技術の標本とてもして「はちのへ新聞」に掲げることは当人も議場で口を叩くよりかお易い御用であって掲げられた仲間が嬉しがっておまけに新聞が一段と器量を上げるに極まったり、唐にも天竺にもこんな妙案が又あるべきやは、傍聴席の我々も大いに頗る賛成申す、右の次第でこの先生八戸には滅多にいないが、それでも何時の間にか、男の子を三人までも拵えた長男は或る料理屋が蝶よ花よと育て上げたる娘を孕ませた、さすがにおれの子だと喜ぶかと思いの外の大立腹で手を切らせた、己目の前に実行を見せ置きながら親の真似をしたとて怒るとは甚だ聞こえぬ理屈だが次男も三男も家の金銭を持ち出して女と賭博に使い捨てたことはいくら 「はちのへ新聞」に頼んで奥南を虚報呼ばわりしても打ち消し難き事実である、結構でござらぬか、親に似ぬ子は鬼っことさえいう「お前によう似たやや生んだ」カカアからして誉めねばなるまい、豪傑の子多くは豪傑にならざるに反して放蕩者の息子を立派な放蕩者に仕立てるとはなかなか人の及ばぬ所、ハハア議員になる値打ちはこの辺にてもあるのか畢竟実物教育の効験恐ろしや恐ろしや
○愛国婦人会当町有志の義捐金募集
金一円柏崎新町正部家キヨ、金五十銭二十三日町金子キク、八日町藤田ミ子、金三十銭番町武藤ナホ、二十三日町藤井ミ子、同藤井カク、長横町西舘ノブ、山伏小路柳川テル、八日町大岡リヨ、金二十銭十三日町中村サイ、同中村カク、同村井トミ、同大橋トメ、荒町西川トメ、同下斗米トラ、同吉田コト、同滝沢リチ、同滝沢スエ、糠塚大原ヤエ、六日町岩岡フジノ、同小野寺ツキ、長横町西舘マス、同高木リキ、朔日町古内フク、同松館ミナ、十一日町広田トク、同田村キヨ、同西舘エキ、下大工町羽生ミドリ、同石橋カシ、柏崎新町接待ナツ、類家白井シゲ、同吉川ソノ、二十六日町大久保コト、三日町橋本トク、大工町杉村キン、田代村小野寺イシ、八日町米川フジ、二十八日町石橋トヨ、金十五銭六日町岩岡コノ、同岩岡アサ、金十銭八幡町井上マス、同植村ミワ、鳥谷部町佐藤ツユ、同岩崎カナ、十三日町加藤ハマ、同三上トキ、同高橋ムラ、同高橋トク、同大橋ヤス、同加藤カ子、同林タキ、同林ミセ、同安藤アヤ、同大橋トヨ、同八田ユミ、荒町福井カ子、同更沢カ子、同下斗米ハツ、同大島ミチ、同川口トク、金十銭荒町島守ツル、同船場トラ、新荒町八田セン、同大久保マツ、同北村イツ、同大野ソノ、同斉藤イワ、同斉藤ミヨ、同三井ヒサ、徒士町鈴木セイ、稲荷町山崎ウタ、同稲城タカ、同稲城ヨノ、上組町大久保トミ、長横町木村クラ、同江刺リエ、朔日町大山ヨシ、同宮本サト、十一日町石橋まさ、下大工町高橋ナヨ、柏崎新町玉内チャウ、同久水リエ、岩泉町楢舘 ナカ、番町小野寺スカ、同大村スエ、山伏小路寺井ミ子、同折壁トウ、鍛冶町岩崎イツ、同扇藤スエ、同上野トク、大工町高橋イシ、同松宮トミ、同安藤キイウ、同松村キヨ、類家工藤リセ、同工藤キサ、糠塚河合トヨ、六日町工藤ハル、二十三日町大久保イシ、下組町名久井チヨ、同安藤キク、同牧野ヨシ、同下斗米スエ、同河原木サダ、八日町小笠原タ子、同稲田スエ、同荒木田フク、三日町村井ヤヨ、十八日町桑原ヒデ、番町楢舘ツナ、上徒士町都築テル、町組町西久保ナカ、金五銭十三日町村井カヨ、新荒町根城サヨ、本徒士町稲葉ミチ、下大工町杉山ハル、長横町滝沢チヨ、山伏小路神山ヤエ、三日町中里ナカ、下組町千葉キン、同千葉スエ、鍛冶町久慈トク、
○前浜遭難溺死者弔慰金寄付人名簿
佐々木馬吉、猪内孝三郎、久保沢三郎、熊野石太郎、林岩松、清水三郎、荒川三郎、佐々木市三郎、軒申松、松田成松、富田忠次郎、磯谷熊吉、富田長治郎、株五郎、荒川岩松、清水松三郎、富田丑松、富田由松、柾谷宇之松、伊保内寅之助、佐々木金蔵、佐々木寅之助、佐々木熊太郎、浜田弁吉、佐々木孫三郎、佐々木元太郎、浜浦八太郎、沼田岩松、佐々木孫市、寺戸直太郎、新町三太郎、佐々木石松、佐々木ふく、山内丑松、小林藤松、佐々木寅吉、荒川吉五郎、佐々木三郎、南五郎、磯谷甚太郎、磯谷仁蔵、佐々木千之助、磯谷由松、山内與吉、高橋初太郎、清水八十八、佐々木末吉、清水丑松、清水菊冶、清水兼松、清水三郎、鍋島五郎、清水三之助
○八戸町会議員名寄帳
石橋万冶
石橋家は八戸町の旧家たると同時に名族である、したがって人物も輩出したが近代に於いては先ず万冶氏を推さねばならぬ、宗家の寿備翁は飄逸高雅の人であったが常に「我が一門中幸いに万冶のあるを以って我徒を代表せしむるに足る」と人に語られた翁の明鑑宏量も又称すべきである
石橋万冶氏は町会議員中最も長く勤続しつつある且つ郡会議員もしたり県会議員ともなられた人である、実業方面に於いてはこれまた長年の間階上銀行の重役をも兼ねられた事がある、そうしてこの節は家政をば令嗣直三郎氏に任ぜられて自分は徒士町の別邸に専ら養蚕を事としておられる、氏は斯業を以って地方開発上重要なる事業の一として身をもって之に当たらるので、氏が出るにも入るにも常に地方公益の為に心を致さるるのは今更の事ではないが他にあっては安逸を貪るべき位地を以っては事業の為に老いの将に至らんとするを忘れらるるとは宜しく多とするべき所である、氏の如きは実に政治方面に対しては八戸町の元老と称すべきである
氏は性質沈重温厚しかも内に毅然として侵すべからざるの精神気魄を蔵せらる、他に対して任せらる限り任せる、譲られるだけ譲る、しかも其の限度を超えるに至っては断じて許さぬ、氏の政派を起こせる乃至選挙を争えるもの詮なしこれはみなこの精神の実現に外ならぬ、かつて土曜会の企てあるや氏実に発起者の一人にてありき、しかるに創立総会において気に食わぬ会員を名簿から除きおきて退場を迫るの狂態を演じせしよりさすが温厚の氏も別に公民会なるものを設けて一旗幟を立てるのやむべからざるには至れりき、しかして氏は該会領袖の一人として概会の益々隆盛に赴くと共に氏の名声も亦愈々重きを内外に加えたりき、氏は元より自ら陳頭に立って華々しく剣戚を振るう所の戦士ではない、しかしながら枢機に参して大体を案じ作戦の計画をめぐらすについては頗る大切なる名将である
○六ヶ所村通信
山役人の休職
野辺地小林区署当平沼保護区詰なる森林主事菅英氏は昨年六月中より隣村甲地村長者久保保護区を兼任することなり爾来両村を受け持ちおりしが先般青森地方裁判所において官印盗用森林窃盗の罪名の許に重禁固一年半の処罰を受けたる天間林村榎林千葉三郎との間に該事件に付如何わしき風説ありしが、それかあらぬか本月中旬に文官文限令により休職を命ぜられたり