2009年4月6日月曜日

奥南新報に見る明治四一年の八戸 その二

八戸における謡曲界
去る二日、小森栄吉宅にて本年の謡初めとして素謡会を開き、左の番組役割もって各自、興を極め夜に至りて散会せり
弱法師 シテ佐藤伊惣冶
    ワキ小森老人
鉢の木 シテ織壁賛
    ツレ女鹿左織
    ワキ奈良恒三
井筒  シテ女鹿左織
    ワキ佐藤伊惣冶
この日参会考は佐藤伊惣冶、白井清左衛門両氏を冶始とし数名の会合ありし由
● 漁業権開放請願
八戸六日町奈良弟助氏外二三人より旧臘(きゅうろう・新年から見て昨年の十二月)本県知事に対し漁業権開放の誓願をなしたる由なるが今其の内容を聞くに北海道釧路沿岸に於ける漁業権は従来同地に於ける漁業者の外他府県人に許可せざるより内地人にして漁業に従事せとするときは是非共該地方の漁業者より其の権利を借り受けざるを得ざるより縦し多額の漁収ありとすも使用料として其の過半を払うため殆ど収支相償はざるに至り出漁者の困難少なからざるを以って我地方漁民に対し特に漁業権を開放せらるるよう道庁へ交渉せられたしと言うに在りと
● 関重商店の繁昌
八戸三日町の同商店は小間物雑貨等を開業せしより数十年斯業界に於いて最も信用を得来たれるは世の知る所なれが其の取引先の卸店は福岡、一戸、浄法寺、沼宮内、葛巻、伊保内、軽米、久慈より三戸、五戸、三本木、七戸、犬落瀬、下田等外数箇所に亘り年々得意を増し注文も切れず目下旧歳末に際し居ることとて一層取引小売共頻繁を極め居れり因に同店主は仕入れの為め年々各地を巡回し一々其の品質を精査し比較的価格の低廉なる方に就いて仕入るるより売れ行き頗る速やかにして好評と信用を博し居るものなりと言う
● 野市呉服店の大売出し
客足頻繁にして日々の売り高頗る多額なりと
● 若松ホテルの好評
従来懇切と誠実を以って営業し来たれる同旅館は近来大いに業務を発展し室内の装飾器物の新調膳の原料をも精選且つ女中をも増員し専ら来客の便宜を図り待遇の改善に力むるより頓に来客を増加せる由
● 三浦商店の勉強
三日町の同呉服店にては昨年中引き続き三回売り出しを為し頗る熱心に勉強したる結果非常の好評を博せしより益々奮励して各地の産地と特約を結び新柄流行品を仕入れ盛んに旧年末の売出しを為さんって目下其の準備中なちと
● 煙草の暴騰と離縁沙汰
八戸鍛冶町の某煙草小売店主は毎日近村へ行商に出かけ留守は其の妻が引き受け販売するが例なりしが旧臘店主の留守中非常な売れ行きにて仕入れ品の全部は挙げて売り払い済みとなりしより店主が帰宅せば喜ばせんものと待ちうけたり一方は留守中価格の暴騰せしとを聞き伝え店の在庫品のみにても約十八円の利益にありつくべしと心に言われぬ程の喜びをたたえつつ帰宅してみると案に相違一点もなきより定めし妻の機敏な売り方にて暴騰価格の牽引にて利益をしめならんと思いの外別に一文の利益にもならざりしより残念と欲とが込み上がり気絶せんばかりに驚き且つ怒り竟に摑み合いの結果離縁沙汰となりしが煙にするのも気の毒な次第と仲裁者ありてその後元の鞘に収まりたりと以って煙草暴騰の激変を知らるべし
今は煙草は専売、こんなこともあったんだァ
情報手段のない明治期、今なら携帯電話でチョイも大変な進歩な訳だ
● 前原時計店の大勉強
番町なる同店にては各種時計の大安売り並びに修繕に敏なるより顧客の気受け極めて良好なりと
● 八戸製綿工場はこの頃事業休止中なるが是までの組織を改め更に業務の発展を図る由にて目下組合員協議中
● 橋源糸店の拡張 三日町の同店にては業務拡張の為近隣若松ホテルの上隣に支店を設け専ら小売を為し本店にては卸売り一方に従事する由にて支店は本日より開業せり
● 村福菓子店 十三日町の同店は従来斯界の老舗として好評を得つつあるは人の知る処なるが店主雄太郎氏は先年製造法研究の為出京し種々得る所あり就中菊羊羹餅菓子の製法に意匠を凝らし上等の美品を出し甘党の歓迎を得来れるが本年より猶一層原料を精選し勉めて廉価に販売する由
● 橋本和吉氏の母儀逝く 三日町油商橋本和吉氏の母儀は平静さしたる病気もなく和吉氏を助けて一家の経営に任じ内外の世話をしきたれしが客秋親戚たる石橋源右衛門氏の病気後落胆しその後感冒に罹り老体の事とて日に衰弱を増すの模様なるより種々医療を尽くしたるも経過宜しからず終に不帰の客となり十二月二十一日天聖寺に於いて荘厳なる埋葬式を挙行せられたりこの日会葬者数百人皆其の死を悼まざるはなし享年六八
●阿部商店  上番町の店主阿部宗蔵氏は若手商法敏腕家にして富岡新太郎氏と共に当地斯界の双璧と称せらるるが先年来重にも染料なる柏木皮の輸出に従事し年々巨額に上りつつあるは世間の知る所なるが其の剥ぎとりし残木がむなしく廃物に帰するを惜しみ之を木炭に焼き立てしに品質佳良にして改良焼きにも匹敵せるより多数の炭窯を築造し近年来盛んに焚き出し毎俵正味五貫入りと為し各地に輸出するの外市中需要者のもとめにも応じ売り出し居れるが炭質堅く砕け少なく値廉価なるより売れ行き頗る敏速にて供給し能はざる程なりと
八戸
八戸旭床勉強歌
益々進む理髪業、場所は八戸三日町
職員揃って大勉強
決しておくれをとらぬよう注意の上に注意して
貴重な時間を費やさず、御来床(ごらいどこ)ありて御試(おため)しを
体裁ほかに比類なく、早く来たりて剃りたまえ
これぞ名高き旭床
中に名高き旭床、旭側なる理髪店、刈込みなどは流行に
衛生消毒必ずに、主人は熱心大勉強、各位の方も続々と、鼻や口をばなおさねど、早く来たりて刈りたまえ
旭の額を店前に、実に盛んな旭床
各位萬々歳
陸奥八戸三日町
理髪師
旭床勉強の親玉 岩崎久五郎
● 関氏の婚儀
代議士関春茂氏三男三郎氏は二十三日町松本萬吉氏令嬢との婚約なり去る十日夜華燭の典を挙げらる因に同氏は外国語学校に学び露語に精通し居るより三十七、八年戦役の当時は捕虜の通訳として従軍せられたりことありしと
● 高沢写真館の好況
八戸鷹匠小路の同館は先年開業以来技術巧価格低廉なるより頗る好評を博し毎日客足を絶ちしことなき程の盛況にて撮影者の八分は同館の手に帰すべしとの評判なり客年上郷村有志者が日露戦役の際陣没せし者の為め資をなげうち盛大なる忠魂碑を建設しが其の篆額(てんがく・碑などの上部に篆文で書いた題字)は立見大将贈られたるものなるが其の伸写は同館主が引き受け種々考案を凝らして撮影せし丈頗る精巧を極め字々真をやぶらず活動の趣きありと
● 石田亭主人の勘違い
事旧聞に属すれど、奥南の一角太平洋の波打ちしところ、前に黄金花さくかぶ島をひかえ、白砂青松、十里の長汀曲浦を一望に収むる鮫ヶ浦の名勝に、四季折々の杖引く客を一手に負へる旅館と言えば、ハーァ、あの石田亭なるかと直ちに読者のうなづかるる所なるべし、時は去年の秋の始めの事なりとか、法学博士菊地武夫氏は東北巡遊の折り、兼ねて聞くさめヶ浦の名勝に、ささやく波を手枕に、旅の労(つかれ)を洗はばやと、同行土方博士を伴いて同旅館を訪れたり。石田亭の主人は菊地博士の来らると聞くよりも、当時日本法学界に錚々たる名士の来宿は我が館の栄誉、夢な不取り扱いなどあるなと、歓待到らざる所なかりし、然るに主人が座敷へ至り見れば、従者らしきカーキ色背広を着たる痩せ身の小男が上座を占め、金縁眼鏡に八字美髯を蓄えし立派なる紳士は傍らに座り居るこそ、主人はイクラ無頓着なる学者社会なりとて、書生か従者の癖に上座に座るとは無頓着至極な奴なるかなと、心に半ば憤れば自ずと言葉もないがしろに「そこは上座なれば、ドーゾこちらへ」と遥か末座へ招きけり、背広はウン、ソーかとばかり快く座を譲り、美髯はまた辞する色もなく、床の間背に負い髯を撫でつつシガー(煙草)を吹かしいたれば、あるじも別に怪しむまでもなく凡(すべ)て主従の取り扱いをなしおけり、翌朝に至り、あるじ自らご機嫌伺いに出で見しに、再び以前の背広が上座を占め居るにぞ、何だかヘンテコなりと段々様子を窺えば、こはそも如何に、先に従者と思いし背広は菊地博士その人にて、主人と思いし美髯は後進の土方博士と知れたれば、流石のあるじも策の出る所を知らず、さりとて今更面と向かって詫びるもキマリ悪るしと、有耶無耶の中に葬り去らんとせしが、帰るに臨みて、同亭に備えある記念帳に、ドーカ一筆と揮毫を懇請せしに、両人とも破顔一笑、先ず菊地博士は「永年の辛苦を積みし旦那様、ひげと眼鏡に横取られけり」と記すれば、土方氏も続いて「右旦那土方寧」となぐりつけたりあるじは「へー恐れ入りました」と畳にすりつけし頭の先から湯気がポーッポ
明治三六年一月創業の明治薬館、最上光男経営の広告、売薬行商者を募集、年十七より五十迄で身体健康普通学有者百人募集す、行商場は青森県、岩手県、秋田県、宮城県、福島県、北海道望みの方至急来談乞う
明治薬館の場所は広告は十三日町とあるが、昭和十二年には八日町に移っている。昔は十三日町にあったようだ。オイッチニの薬売り、富山の薬売りは戦後間もなくまで活躍、それに負けじと行商を考えたのか、昔は消化支払いの置き薬だったが。
上の理髪組合の広告は値上げ、大人十二銭、惣剃り八銭、ヒゲのみ五銭、子供は八銭、婦人顔毛剃りは四銭。
●金四円を拾う
去る九日午後四時ころ、三日町二二番戸橋本源蔵方雇い人名久井ハナは二十八日町の道路に於いて金四円を拾得したる旨警察署に届け出あり
● 違警罪処分一件
岩手県九戸郡種市村ヘルケイ四百二十六番戸平民戸主荷馬車挽き満徳松太郎(二六)は去る八日無灯火にて馬車を進行せしめたりて馬車を進行せしめたりとて科料金百円に処せられたる。
旅人宿とある。旅人以外の宿は牛馬宿、これは天聖寺近辺に多くあり。大野村あたりから、八戸に物資を運んだ馬車挽きが馬と共に泊まった。
三社大祭 十月一、二、三日
 旧暦  九月七日、八日、九日
四月十三日
● 鮫港の大火
全焼八十九戸馬一頭焼死
去る九日夜半十二時当郡鮫村大字浜通り島脇甚右衛門方より出火し折柄東南風強烈を極め家屋八十九戸及び馬壱頭を焼きその他半焼十戸並びに漁船までも焼き尽くし十日午前三時鎮火したり
▲ 出火原因は佐川仁太郎なる者味噌豆を煮んとして島脇甚右衛門方の釜場を借り同日午後より炊火をなして盛んに使用したるがその後就寝に際し火の消し方を粗漏にしたるよりかかる椿事を惹起したりと見ゆ
▲ 猛火天を焦がす 当時夜既に静まり絃歌も打ち絶えて人々眠りにつきたる頃なれば警鐘を聞きて始めて目を醒ましソラ火事よと騒ぎ立ち右往左往に馳せ廻り消防に尽力すれども火焔は益々怒りて燃え移り見る見る内に凄まじき大火になり猛火天を焦がして鮫港全体に広がり尚も海上の漁船まで及ぼし中々に鎮火するの模様なし
▲ 消防夫の駆けつけ 消防組は昨今の火災の頻々なるより警戒厳重に市中を廻り居りしに火焔の天に上るを認め直に現場に駈けつけて消防に尽力し漸くにして之を消し止めたり
▲ 焼失家屋は石田屋及び橋本旅館を始めその他貸し座敷等八十九戸土蔵四棟を焼き棄てたり
▲ 郡長及び警官の出張 船越郡長は豊山、山本、接待の各書記を従い和泉署長は斎藤、熊谷両部長並びに多数の巡査を引率して現場に出張し本県警察本部よりは急報に接し成田警部出張し救助手当て並びに調査等に従事したり
▲ 損害の概算 今回の火災に関する損害は未だ確報に接せざるも多分十二、三萬円に上るべしと噂し合へり
▲ 鮫役場の応急手段 久保村長は吏員を督励し下田初太郎、木村利平の両人に焚き出しを命じ罹災者及び消防等に之を分ちたり尚ほ翌日より炊き出しを為して一般の罹災者に対し給与しあり
▲ 罹災者の避難所 罹災者は一時学校寺院等に非難したるもその後親戚或は小屋等に移り丸焼けの姿にて一同悲嘆にくれ居り
▲ 焼失漁船の個数 未だ詳細判明せざるも多分五、六隻くらいなるべしとの評判なり特に気の毒にたえざりしは改良船の焼損なり
火事の記事には必ず近火見舞いの御礼が広告掲載され、市民の名が判明する
鮫港 橋本なを 橋本旅館 肥料商 高嶋庄次 郎 石田家主人 石田多吉 木村利兵衛
鮫村大字浜通り 早川陸奥太郎
々 海産物・肥料商 荒井八十八
々 佐川石太郎
々 松琴楼 越後もと
々 宮崎旅店 佐川留之助
々 浮木いし 
々 浮木寺

八戸町会議員名寄帳
滝沢冶兵衛
水清き沢里の岡は八戸町と相対して僅かに惣門堤を隔てた斗り、何かのときにも便利なるのみか、酒屋も豆腐屋も直く其の下にあり春は鶯軒端に来鳴き夏は寝ながら時鳥を聞く、月にはおもいを千里の天に馳せ雪に簾を巻いて階上の連峰を望む、四時の風物時折の眺め、境幽にして景佳亦是八戸の仙窟たり、去れは八戸の紳士にしてこの地を卜して別荘を設くる者前後相尋ね来泉吉氏の如き亦その一人にして建築の壮大庭園の広潤を以って(中略)氏は先代冶兵衛氏の長男にして父没後家督と共に襲名せられたるが、唯に其の名のみならずよく其の性情をも継がれたり、質実は其の性にして素直は其の情なり、上通り一流の富豪なれども誇らず高ぶらず、言語は其の服装と共に修飾することなけれど天真爛漫として無邪気なる所稚気頗る愛すべきものあり、氏或時四、五人に誘われて新地某楼に会飲す、綿服して小倉帯を締む、風采宛然たる田舎爺たり、娼妓滝冶の名を聞かざるなきも、しかも目前其の人あるを知るあたわざれば待遇粗末を極めたれど氏少しも頓着せず、傍人心つきて娼妓らに告ぐる旨あり彼らにわかに丁重を致したれど氏は相変わらず頓着せず飲みもせず歌いもしてさも愉快にその場を切り上げたりという
氏の家業は従来穀物屋にして穀物商組合にても設けなば其の地位資格さしずめ会長たるべきと無論なるが、氏は家業の外更に一程の天職ともいうべき事業を担えり産馬改良の事即ち是なり、由来八戸組に於ける畜産業は大いに振るうべくして未だ振るわざるは何故なりや、組長なる者委員なる者多くは当業者に非ずして一時資格を仮装せる雇い人を以って之に宛て其の名は産馬組合なるも其の実は党派の機関として村方瞞着の具に供するに過ぎさるは既に世人の洽(あまね)く認識する所の如くしたがいて弊害百出殆ど救うべからざるに至れり氏夙に斯業に熱心にして深く茲に慨する所あり、地方重要の事業を放つて党派の犠牲に供するの弊を矯め以って斯業を発達助長せしめんと務むるの状は真正実業者の感賞する所や頽波滔々の勢いありと雖も世人の改革を希うや既に熟せり、氏等にして努めて撓まずんば其の目的を達する蓋し遠きにあらざるべし
(後略)
浦山政吉氏
青霞堂といえば世間に知られた本屋の老舗で、其の主人が即ち浦山政吉氏である、八戸で目貫の三日町、殊に其の真ん中に店を開いて新刊の書籍を山の如く積み上げ、文房具を林の如く列ねたその奥に白髪を撫でながら座っているのが即ち日曜老人である。さては主人が二人あるのか、日曜老人とは全体何者ぞとなるに、やはり同じ浦山政吉氏の雅号せある、氏元来風流を好み茶の湯活花なかんずく俳諧を嗜み、俳名を北曜といい又梅霞ともいう、八戸俳諧壇の仲間にして例の月並み連中一種の可笑しみあり、折々奇矯の句を吐いて同人に哄笑を発せしむ、一杯々々又一杯、酒が過ぎればぶうぶう言う癖あり、こればかりは誉めたことにはあらねど、醒めての上の御分別には何の罪もないと、頭からゴンボウ掘ったと卑下するのは少々酷であろう。ほると言えば彫刻が上手だ、鮫の松月楼の欄間は氏の彫ったのであるとのことだが、この間の火災で焼けてしまったは惜しいものだ、新築の際にはまたまたお願い申します、外にも掘ったものがあるか、風流の余韻か、お年に免じて言わぬが花としておこう
氏の後継ぎを十五郎と称し現に八戸印刷株式会社社長である、当該会社は資本金一万円、払込五千五百円という大会社で、業務の一部として「はちのへ新聞」をも発行して居る、会社全体を代表する社長の下に、特に業務の一部たる新聞の主幹なりものがあった、ところが彼の名門好きの北村氏が新聞に乗り込んでから、主幹という名義ではどうしても社長の下役としか見えぬ故、己も社長と改名つけた、イヤイヤ縁起が悪い、こういう場合は名改というのだ、そんなことはどうでもいいとして、こうなって見た日には一社の中に社長が二人できた訳だ、天に二日無く家に二長なし、さても不思議な会社もあればあるものかな、察するに北村氏は名聞を飾るまでに内緒で付けた社長で、登記をした真実の社長はたしかに浦山十五郎氏であろう、氏の監督の下に、印刷の方では相応の利益を挙げうれども新聞の方は余程の食い込み故印刷行はあくせくして新聞に入れ揚げおる仕合せ、去りとて行き掛かり上、止める訳にも行くまじ、何はしかれ、八戸には旧藩主さえ子爵なのに侯爵を以ってならす北村氏の上にも立ち恐れいったる男ぶり、さて、是非見せてやりたい人がある、かほどな器量人を嗣子として養われた老人の幸福は他の羨む所であろう、
● 廻し部屋で中風
名久井の博労工藤某というハイカラは平素頗る付きの放蕩にてあっちこっちを浮かれ歩く自称艶福家として其の名も高かりしが、去る十三、四日の頃、福島の共進会へ馬匹を売る積もりにて家を出かけはしたものの湊の馴染みを見ざればなにやら気がすまじ遂に小中野に立ち寄りてふだん買い馴染みの某楼へ上り散々飲食したる末、例の如く博労相当の部屋に入れられ敵娼は来るか来るかと寝返りの百度もして待てど暮らせど来ざるより一人無闇に気をもんだ為中風病に罹り、目下同楼の二階に親戚妻子残らず付き添いてかいほう中の由、あきれきったお客様だと同楼では小言を言え居れりと投書のまま

広告から
急告
予てご案内申し上げ候中古自転車競売会相開催そうろう、左記をお含みの上、当日にぎにぎしくご来会くださりたく願いあげ奉りそうろう、十月二日、午前八時より三社大祭の中日に当たる、競売の金は自転車と引き換えのこと
八戸二十八日町
石甚自転車部

開業広告
今般永嶋酒造支店閉店につき拙者同所に於いて酒造業を開店仕りそうろう、同店同様御厚情お引き立て下さりたく願いあげそうろう。
八戸二十三日町
福井醸造店
● ここで判るのは、永嶋って酒屋の支店があり、そこを福井さんが買ったか、借りたかした。それが現在に至る訳だ。二十年程前は酒屋を営業していた。
牛豚鶏肉売り出し
卸小売とも精々割引し大勉強で販売つかまつりそうろう、相変わらずお引き立て願いあげたてまつりそうろう
八戸三日町
鶏卵問屋 千葉商店
尚、生きてる豚、子豚、並びに鶏の卵は精々高値で買い取ります、支払いは相談にのる
● これを見ると、農家から直接仕入れ、その支払いは都度現金ではなく、期日で〆(締め)てから支払いのようだ。当時の広告は漢文で文字数少なく漢字の電報のようだ。時代だナと思って笑うが、なんのことない筆者も〆なる文字を使用し、人間、古い古い。古いといえば顔も古い、この前、類家のハッピードラッグに目薬を買いに行った。年寄りになると眼が乾く、眼だけじゃない体全体が萎(しな)びてくる。このしなびるもひらがなで書きたくないのも年寄りのこだわり。
目薬を買ったら、表示価格より百円安い。今日は売り出しで特別なのだろうか、と思いながら、帰ろうとして出口で張るカイロを見て、そうそう、我が家の在庫も残り少ないと買ったな。すると又百円安い。レジで金を支払いながら、間違いかなとキョロキョロ、するとレジの横にシルバーサービスだとヨ。六十歳から上の人は百円割り引いてくれるト。
別に免許証を見せるわけでなし、レジのお姉さんの判断なわけ、顔は履歴書、フムフム、筆者も相応な年と納得、このハッピードラッグは偶数月の中、つまり十五日あたりに三日間の百円引き、あるいは一日もあるそうだが、偶数月の中日はハッピーが安い、年寄りに優しい店だナ。

大人二銭
子供一銭
まとめて七枚買うと十銭
三枚買いは五銭
月契約大人三十銭
但し二人までは約束(?)
月契約二十五銭大人
九人まで約束(?)
月契約大人二十銭 但し十人以上約束
これはつまり二人のペアで契約が十分条件というのか? 判読不能だナ
女の髪を洗うのは一回三銭
右改正そうろうなり
八戸湯屋組合
今般組合一同にて旧来の年留を全廃し特に月入りをもって勉強つかまつりそうろう、料金は前金に限りご相談つかまつるべくそうろう
● 年契約ってのがあったんだナ。銭湯の名称はまだ使用していない。湯屋ってのは江戸から使っている。
小生従来東京医科大学医院及び日本赤十字社病院勤務の処、今般辞職をし左記の地にて開業専門診療に従事す
八戸八日町四十一番戸
内科・小児科 音喜多医院
宅診午前八時より正午まで
往診午後一時より
医学得業士 音喜多政治
記念写真の大大割引
東宮殿下今回の行啓は千載の御盛事にそうろう、弊所の斯る御盛事に際して各位御肖像を写し置くは家庭における永久の好記念と存じ来二十八日より十月五日迄左記の通り割引撮影つかまつりそうろう。この期を逸することなく陸続御来写のほど希望そうろう
一定価の一割引
一定価の二割引き 白金アリスト、ピオーマット、ぴ音喜多ピー不変色ブロマイド
八戸鷹匠小路(ロー丁)
写真所 高沢春香館
● 高沢写真館は今はない。大分前、五、六年前、小中野の常現寺で「小中野サこないかい」ってのをやった。その時観客で、この高沢写真館の末裔の女性がいた。高沢氏は大変な芸達者な人だったそうだ。春が香る館、春香館はいい名だ。
萬履物・卸専業
八戸二十三日町
根城慶助商店

豚肉・鶏肉・卸小売
十六日町
松林慶蔵
東京各新聞取次所
十八日町
中居新聞店

米・雑穀麦粉・製造販売
新荒町
田村定吉

停車場前
小田牛乳店

綿製造業・夜具布団・萬仕立物・古着・卸問屋
うどん・そば・お料理
二十八日町
曙亭

塩小売所
二十三日町
工藤ふじ
三日町
杉本旅館

会席・即席・お料理・牛なべ・ぶたなべ・とりなべ 牛豚肉卸小売
窪町一番戸
晴山松太郎

最新流行・洋服仕立て所
二十三日町
浅沼裁縫店

番町一番地
白水館

陸奥八戸駅停車場前
日本逓業株式会社代理店
明治運送同盟店
原鉄運送取引店
近江屋運送店

三日町
日本同盟大旅館若松ホテル

東京村松合名会社及び岡野商店製造
鼻緒爪皮類地方特約店
食塩・荒物卸小売
履物卸商
橋本文蔵
十三日町

二十八日町
醸造元山田醤油部

専心法律事務の依頼に応ず
弁護士 今泉秀雄(続)
● 旭床の繁昌
三日町の理髪店旭床は其の位置といい店の広さといい、先ず八戸町で一と言って二と下がらぬのみか、店主夫妻の外数名の職人を使用して長時間客にあくびをさせるようなことなく、しかも丁寧至極を旨とし一同車輪になって勉強する故、其の名の旭の昇る如く日増しに繁昌するという因みに主人岩崎久五郎氏は理髪業組合の頭取なりという
同業「はちのへ新聞」社にては今回主筆に女鹿左織編集員に前田利貞の両氏を招聘せりと