2009年4月16日木曜日

BeFMの終焉は自身の体質改善が出来ないため

落語の巨匠、五代目古今亭 志ん生って人が得意な枕がある。昔へびってのには名前がなかった。皆でなんだこいつァ、のたのたはいずりまわってやがって、妙じゃねえか、まるで屁のようなやつだ、屁だ屁だっているうちにこいつがビーって……。どうした話じゃないが、語ると芸だから実に味があった。
 ビーエフエムの話だ。こいつらがボタンの掛け違いをして、広域で許可を取らず、目先の欲で八戸単独で許可をとった。この先棒を担いだ奴が塚原。その後棒が河村で米屋の社長だ。昨日、この河村に逢った。塚原は葬式で来ない。自分の葬式じゃこれるはずもないが、そうではなかろう。
 散々にビーエフエムのことを書いてくれたが、それを読んだ人が全国のミニFMの防災面の活躍を教示してくれた。知らないことが沢山あった。これらの防災情報を積極的に展開すれば、八戸圏域には福音になる。今回の水道企業団の断水は人災、これの広報活動で1741万円消費した。応分の負担を県に求めると言うが、これは県だけに見当違いだ。これはそのうち解説する。
 さて、ビーエフエムだが、一旦緩急あれば広報活動には巨額な金が動く。防災システムが八戸圏域で一番遅れているのが今回の断水で露呈した。これを補うには新規設備だと役所は張り切る。デジタル化して10億円を防災無線につぎ込むというが、もっと安価で市民のためになるのがFM放送だ。これを生かす手がないかと思案。「はちのへ今昔」が当初考えた広域情報を流すなら、毎年三千万円を集められる、この金でビーエフエムを再建できないかと河村にあった。塚原は広域放送はできない一点張りだからだ。
 自身の考えを捨て、市民のためを優先するべきだが、知恵の足りない奴は得てしてこんなもんだ。これしかできない、これが最善だと思い込む。誰が? 自身がだ。だから人の話が耳鼻に入らない。愚かだ。他人の意見、それも行政の支援を得ないと立たない鼎の足が一本欠けたような現在のビーエフエム。自身で立とうとするなら、手段方法があろう。できないを言い続ければ、消える以外には手がない。五年前に塚原に言ってくれた。ビーエフエムを面白い放送にするにはお前自身が変わらなければダメだと。人間は無限の可能性に満ちる。だから毎日が面白い。ところが、自身の周りに垣根を張れば、自身が穴に落ちるのサ。
 役所もビーエフエムの体質が変わらなければ毎年五百万の補助はしないという。ビーエフエムに言わせれば放送料だというが、実際は補助だ。補助金はそれなりの使途を明確にすべきだ。商工会議所のような妾の手当てのような手の出し方はするべきではない。
 河村は言う。年間六千万円の経費がかかる。三千万じゃ足りない。が、経費節減をしなければ存続はない。この景気だ。広告費は誰でも惜しむ。それでも立てるのかね。三千万はいらないとヨ。なら、滅亡の道をたどらないように、塚原と河村のポケットマネーを精精注ぎこむことだ。電波は個人のものではない。大衆のもの。どこか間違っていないのか。
 世の中は自分が変われば、実に楽しいところだ、尻の穴の小さいことを言い、目先の金に追われると見えるものも見えなくなる。携帯電話事業に窮し、FMの話に飛びついて、これで助かったと思ったが、さらに追い炊きで金に窮するも己が撒いた種。身から出た錆だ。世の中は一寸先は闇だ。
 ビーエフエム開局時に八日町の橋本ヤエモンと叫んだアナがいた。穴があったら入りたいと言うアナ。これが女性だけに……。橋本一族には八戸に電気をもたらしたはちえもん、八右衛門という美男子がいた。やえもんなんてのはいないのヨ。八戸にいて八右衛門を知らないは聞こえません。こうした放送局、従業員もそれなら、経営者もこれだ。関西弁でどもこもならん。ドコモがならんじゃないヨ。いかに昔は携帯電話屋だったビーエフエムといえども。
 時代は刻々と変化、変わる時代に変わらぬ体質じゃ、まさに時代遅れを絵に描いたようなものだ。