仏教語に業に沈むと言うのがある。これは、悪業(あくごう)のために苦しみを受け、輪廻りんねして浮ばれないことを指す。南郷区民、昔の南郷村は中野地区と市沢地区が合併して南郷村ができた。昔から犬猿の仲、これが団結して南郷村、南郷と言うと思い出すのが南郷力丸、これは歌舞伎だ、青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)と読むが、この第一場に登場する、百両の金を盗ろうとするのが駒平こと南郷力丸。盗人芝居の白波五人男の一人だ。河竹黙阿弥、文久二年の作。
この盗人ならぬ南郷村、この消防団との契約にいささかならぬ不思議があった。と、言うのは、八戸市役所は消防団との契約は、その屯所の土地の借り賃を支払う取り決め、市営バスの大赤字、こいつはどうにも尻ぬぐいもきかなくて、新新町なる市営バスの元操車場に、屯所の移転を誘致して、市役所さまから銭をくすねた。小僧の時は寺の賽銭網で掬ったのを手始めに、この話知らない? 弁天小僧だよ、知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ガ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児ヶ淵、江戸の百味講の蒔銭を、当てに小皿の一文字、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた祖父さんの、似ぬ声色で小ゆすりかたり、名せえ由縁の弁天小僧菊之助たあ、俺がことだ。
で、南郷村に21の屯所、その全部が村民が建てた。一つが村の土地に建つ。八戸市役所は屯所に借り賃を支払った。ところが南郷力丸のように屯所の地代を支払わせた。二十年の契約だ。金を返せ、八戸市役所になった、金太郎飴のように何処を切っても金太さんが出たヨで、同じ顔を見せるのサ。それが八戸市内はいいが南郷はダメじゃ、南郷に難あり。