2009年4月12日日曜日

東奥日報に見る八戸及び八戸人 その一続

○ 北寄貝 過る六日、七日の両日は殊のほか降雪にてこれにつれて八戸北方の海岸にてホッキ貝山の如くに寄り盛岡地方よりも買込人ありて近来珍しきホッキ貝の大漁ありたり
○ 鯡船(にしんぶね) 北海道より生鰊を積みこみたる汽船は本日鮫港に入津(にゅうしん・船が港に入る)せり、其の値段はいまだ決定せざるという
● 八戸通信 四月十日発 (昨日の続き)看守押丁の処刑 かって報道せし八戸監獄を脱せし囚徒事件により去んぬる三月二十九日看守両名は免職となり、同三十日弘前始審裁判所八戸支庁に於いて公判の末、看守の内一名は罰金七円、其の外押丁一名は罰金五円の申し渡しを受けたり
○ 戸長役場 は昨冬より今以って午後十二時頃まで夜業せられたる甲斐ありて事務の整頓申すまでもなく新制施行に際し事務引継迄も出来居ることにて、今に町長新選になるも一切不都合なしという
○ 町長候補者は兼ねて私選せし通り元戸長を挙げることにて助役には町長にも譲らざる老練の人を選ぶべしと目下協議中なりとのこと
○ 八戸産馬組合長の選挙会は四月十日同事務所に於いて開札せられしが、其の様子を聞くに本年の選挙会は非常に競争ありて急に身元を造らんと十五頭の馬を借り入れ等随分発狂者の如き有様なり、而して其の競争者はどれも無給料にして当選を望み居りしものあれば他に香ばしき所ありてのことか、いずれにしろ株主中は一同心配し居るものなり
● 八戸小中野通信 自治制 町村分合自治制施行の件については小杉好效氏は旧戸長兼指命官の名義を以って新旧の事務を処弁し日夜●掌頗る繁劇(はんげき・非常に忙しいこと)の容子村会議員の員数は十二人となせり
○ 輸出 八戸及び本村近傍にて伐採せる桐五、六千本(凡そ六百石弱)を過日汽船に積み込ませ鮫港を経て東京へ輸送せり、なお数千本を買い求め続々輸送するの見込みなりと
○ 輸入 北海道より初ニシンを積み込み鮫へ風帆船四隻倭般三隻にして而して最初の買値は壱丸(二百尾)に付き八、九十銭より七、八十銭までに売買せしが、現今は大に下落し壱丸につき五、六十銭より四、五十銭までとなれり。
○ 定期船 函館八戸間の定期航海は本月より毎月二回即ち十日二十五日の両日を以って渡航を始めることとなりしか初度の航海即ち本月十日には錦城丸という汽船が午前に函館より入港し午後には直ちに帰港する予約にて既に取り扱い人本村回漕店大久保幸助氏は之を各地に広告し乗船切符も売り込みたる程なりしか、如何なる事情にや、当日に至るも汽船の入港せざるのみならず、予定の錦城丸は何か差し支えを生じたるとか、急に北島丸を代船となすべき旨にわかに広告せしが、その後五、六日を経過するも更に汽船の入港をみざるしに、然るに本月十五日の夜、北島丸は入港、翌朝午前函館へ向け帰港、また、兵庫丸は本月十七日東京解纜(かいらん・ロープを解く)同十九日鮫港着同二十日函館へ向け出帆すべしと広告を為せしも皆初期の不始末に懲りて乗船を見合わせて却(かえ)って路を青森に取る者多し
○ 教育 本村は頗る学事熱心なる所なり而して村民の子女概ね学校に入りて普通の教育を受け傍ら遊芸を伝習するを以って常とす、去る十九日湊尋常小学校二十日は簡易小学校に於いて春季の大試験を執行し父兄親族の参観を許したり
○ 宗教 村民は専ら仏教のみを信仰し、かって他教のこの地に入りたることを聞かず、其の宗旨は浄土宗、真宗、禅宗、日蓮宗にして中浄土、禅の両宗は之が過半を占むるものの如し
● 八戸通信 気候は暖和にして華氏の寒暖計四十度より五十度の間を昇降せり、長者山の桜並びに松館の臥龍梅も既に蕾を含みたりと
○ 潮干 本月十四日は潮干狩りとて例年浜通り鮫、白銀近傍へ出遊びするもの夥しく中には八戸学校の生徒同義塾の書生及び官吏、教師等の諸氏続々運動せりと
○ 川尻改良 は深く村民の希望を属する所にして、今其の目的を聞くに元来湊川(小中野村新町と湊村浜通りの間を流れる大河なり)は其の川尻浜通りなる舘鼻下にありて水頗る急激なりしか、去る十一年の秋大洪水の為、川口を変じ爾来俄かに流勢弛緩河水の減少を来たせしより従来の如く自在に舟棹を通するあたわざるにより村民合同の力を以って河底の土砂を掘取り更に河口を旧所に開通して船舶の出入りを自由にし以って大に河海運漕の便宜を起こさんとの趣意なりと
○ 八戸警察署 特務巡査たりし本県士族蛇口幡太郎氏は今回願いによりて其の職を免ぜられたるに付き在勤中の同僚諸氏が慰労のため北越亭に於いて宴会を開きたりと
明治二十二年五月五日
● 三戸郡八戸町会議員
去る一日同町第二級選挙会を開きし処左の通り十二名当選になりたりと
浅山正美 泉山吉平 福田祐記 石橋萬冶 村井幸七郎 山田文次郎 橋本文助 奈須川光宝 朝水礼次郎 加藤萬吉 橋本和吉 源晟
● 又去る二日、同町第一級選挙会を開きし処左の通り十二名当選になりたりと
宮原直衛 成田芳雄 富岡新十郎 永崎嘉八郎
石橋甚三郎 大久保平蔵 上野葆真 関野市十郎 西舘忠昶 伊藤七六 工藤新助 山本勝次郎
● 八戸通信 五月四日発 村長候補者 旧中居林村より分裂なりたる是川村の村長候補者は同村簡易小学校教員市川武雄氏にて助役はこれまで旧役場の給仕たりし滝沢潔なりという
○ 徴兵参事員 の事務は郡役所となし五戸、三戸は分会を設けたるより両地方においてはやや不満をいだき居る模様あり
○ 旧売市村外八ヶ村 村会議員は佐藤正弘外十一名にして村長は旧戸長なる某氏が椅子をしめんと奔走中なりとの評判なるが、同村はかつて分裂等までも騒ぎたてたる程なれば容易に候補者たるは如何のものにや
○ 衆議院議員候補者 当三戸地方においては医学士大田弘安氏を同議員の候補者たらしめんと或る部分の人々が尽力中なりという
●小中野村会議員 三戸郡なる同村会議員は去る五月一日の選挙会にて当選せられたるは(一級)佐野貫一 村山仁平 長畑徳十郎 藤田宇吉 
中村栄吉 石塚勝之助 (二級)亀徳鶴壽 大久保弥三郎 細越清五郎 大崎市太郎 小笠原藤平 中村浅吉当選せられしという
● 私立消防組 三戸郡八戸町大字二十八日町及び大工町に於いては百嶋鼎1氏初め石橋甚三郎、石岡吉十郎等の諸氏相図り計画せし私立消防隊組はかつて其の筋へ出願の処、去月六日認可になりしかは、この程其の組織上について協議中なりという
● 八戸通信 五月九日発 農業 三戸郡鮫村は戸数二百戸に近くして村民は耕地少なきところより常に漁業に従事して農業にはすこしも関せざる有様なりしが、同村の豪農島田幸助、松橋兵六の両氏は其の耕地の僅少にして農業の奮わざるを憂いかつて官有原野の内不用に属し居る分を開墾地に払い下げを受けて村民共の開墾地と定め熱心に尽力農業を勧誘したれば村民共も非常に奮起して盛んに耕耘に従事しおりしに、如何なる都合起こりしものか、惣代人は去る十五、六年の頃、該原野なる開墾地を禁伐林に編入したるよしにて今まで村民が耕耘に従事して幾多の村益を図り居りたると一朝の水泡に帰し開墾地として払い下げは勿論其の出入りさえ禁ぜらるる如くに立ち至れば同村農事篤志家は非常に落胆し居れり
○ 米相場の下落 八戸町の米相場は仙台米、越後米等各地より輸入あるためか一円につき白米一斗四升位にて値段は目下一斗八、九升に下落せり、この勢いにて行かば二斗位にも下落するならんと町民どもは取り取りの話
○ 八戸皇道学会 八戸にては神官教導職諸氏が申し合わせ会員およそ三十余名にて神道を拡張せんと同町某神社内に於いて毎月第二日曜日を以って同学を講究致し居りしか追々会員も増加しついては来る十九日には大会を長者山新羅神社社内に開くよしにて目下準備中なり
○ 浄土宗小教会の会議 去る六日より八戸来迎寺にて開会せし同会は去る八日閉会せり、尤も(もっとも)番外には同寺住職にして議長は浄安住職之をつとめ議員は各寺並びに檀家中より一寺につき二名の出席にて都合二十七名なり
●舘村村長候補者 佐藤正弘氏なりと又五戸村長候補者は小熊識三郎氏なりという
● 舘村会議員 第一級には西浅吉 小笠原茂助 伊東三太郎 三浦岩松 杉本亥之松 坂本独卯之助当選せられ、第二級には佐藤正弘 小向直次郎 木幡晴八郎 出町七郎 佐々木孫四郎 三浦福松当選せられたりしと
● 湊村会議員 第一級には吉田源五郎 吉田第吉 小平直吉 佐々木喜兵衛 神田次倫 高橋兵助当選せられ、第二級は佐々木源助 佐々木辰之助 荒川勘之助 清水太郎 鹿窪中字 笹本孫右衛門当選せられたりと
● 三戸郡鮫村会議員 第一級には高橋勝太郎 小清水由太郎 高橋新助 荒木田由蔵 長谷川権之助 松橋兵助当選 第二級 中常吉 磯島栄太郎 高橋初太郎 高橋勇次郎 高橋安兵衛 山田金蔵当選
● 八戸通信 塵捨て場 売市村の溜池は一昨年来おおよそ七、八百円を費やして築造せしに堅牢に出来して昨年の如き旱魃の際にも水十分にして耕耘に事欠かず誠に耕作上幸福なることにてありしか、今度八戸町にて右溜池の水門に塵芥を捨てることにて漸々堆積し且つ堤上に於いて塵芥を焼いて焼き肥やしを作るなど、為に堤防欠け崩れ水門も是が為に填塞(てんそく・ふさがりつまる)せられて水元も不自由かつ夏分に至れば臭気甚だしくして時疫の流行もこれなきを保うずべからず、自然衛生上に取りても大害を与うべければ、其の筋にては速やかに他に取りのけさするように致されたきものなりと村民共は一同に望みおれり尤も八戸町には塵捨て場という標木を建て設のあるにもかかわらず、当村の溜池に捨てるとは誠に不都合の至りならん、また、糠塚村道路中にある塵捨て場は人家に接近して其の不潔申すばかりでなく且つ去る五日のこととか焼き肥やしの火が強風のため岩泉氏、石橋氏の宅に飛散し一時困難を起こせしと人家接近の場所にては至りて危険の事と考えれば宜しく其の辺に取締をつけざれば異日不測の変事を醸すなきを保うずべからざるなり
● 是川村会議員 三戸郡なる同村会議員は去る一日の選挙会に於いて当選せられたるは(一、二級共)北城茂右衛門、上野太右衛門、是川佐次郎、下澤万次郎、阿部浅吉、田端伊勢次郎、田中倉吉、水野松五郎、中村小助、中山秀之助、下館吉次郎、上野孫助の十二氏なり、而して去る十四日より村会を開きたりという
● 市川村会議員 一級吉田喜平冶 吉田源八 木村孫太郎 木村栄太郎 鈴木栄次郎 川村弥衛 二級 吉田直吉 野口勇助 鈴木徳也 浜金八 鈴木与衛 鈴木佐太郎の十二氏なり
● 五戸村会議員 一級 菊池萬之丈 三浦重吉 川村平蔵 江渡惣衛 鳥谷部健之助 藤田善五郎 二級 三浦万平 江渡又次郎 櫛引慶太郎 金子利七 中市寛蔵 小熊織三郎の十二氏
● 町会議員の再選 三戸郡八戸町会議員は去る一日選挙せられたる内、宮原互衛氏が六十以上の高齢なるを以って事故を申し立て辞選したるにより去る十四日右補欠員選挙会を開きたるに高点者は稲城篤実、島守定正の二氏と決まりしも同点なるをもって更に年長を取り稲城氏は選挙せられたりという
● 八戸通信 五月十六日発 宴会 立岩三戸郡長を始、浅山、石橋の諸氏は過日長者村大字石手洗村総本家岩館善次郎宅にて宴会を開催なされたり
○ 分離願い 石手洗村は長者村より分離せんと過般願書を差出したるよと
○ 村会 是川村会は去る十四日開会せしか村長は有給に決せりという
○ 校舎処分会 八戸方面七十余ヵ村連合書籍館及び高等小学校舎処分会は近日中開催の予定にてこのほどそれぞれ委員を選挙せられたり
○ 商況 当時金融繁ならず閑ならず先ず通常の取引なり、利息は商業社会の取引高きもの日歩四銭二厘、低きもの三銭五厘なり、現今汽船入港頻繁なるが、積荷は多く大豆にして伊勢、四日市、並びに東京へ向け輸出せり而して当地主なる物産は鰛〆粕並びに干し粕並びに干し鮑割貝にして陸産物は大豆なり通常銀行なども上半期より下半期は金融よろし是は下半期には海産物多く輸出相成り諸国より商人入り込むにより随いて金融上大に影響を及ぼし諸商業者多少の利益を見る銀行の如きも上下両期に於いては金銀出納著しく差異の生ずるをみる当地の他国に対する金融は多く東京より借り青森函館に借りるを例とす、東京は商業の中心なれば諸仕入物は多く彼に仰げども当地よりの輸出物は之に平均せざるによる青森は商業の取引はまれなれども官金為替は当地よ支払うものは多く又函館は当地より出稼ぎ人あるによりて昨年下半期頃は小札銅貨払底にて取引上非常に困難を極めしか、近頃に至りては小札は勿論銅貨等いずれも不自由を感ずることなく、殊に銀貨もボツボツ見受けられる
● 五戸村通信 五月二十八日発 政治思想 を有する人民皆無と言うて可なり、全体この辺の人民は質朴にて万事官の命ずる所に随う
○ 旅人宿 を営業するもの五軒中尤も評判良きは浪岡喜六方(「はちのへ今昔」知恵袋・五戸安藤陽三氏曰く、これは八戸の浪岡旅館と縁戚)にて家の構造も中々立派にて其の体裁と又青森などの旅人宿に劣らざるの如し
○ 公立五戸病院 伊藤院長赴任以来非常の繁忙を極め院長以下諸員五名にて患者に接しおれり、院長始め患者を取り扱うに親疎の別なく親切なるにより頗るに人民の信用を得、当時来診患者日々三十人位なりという
○ 貸し座敷 二軒あり娼妓四、五名にて毎晩遊治郎(あそびにん)の舞い込み多く頗る繁昌せりという
○ 商況 一体上景況とも申すべく、金融も宜しき方なり、当時白米上等小売十銭に一升七合五夕同大豆三升一、二合同小豆二升五合同精栗二升ぐらいにて一俵の値段右に準じ定めおるという
○ 混堂(湯屋か?) 一軒あり、このへんにては頗る清潔という可なり浴客は戸数に比較して少なき方なり
○ 五戸警察署 にては巡査巡回の線路各所の押印箱を提げ置くが何者の悪戯か、右の箱を盗み取りたると両三回ありという
● 村長及び収入役 三戸郡下長苗代村長山内光氏は辞選せられ川勝隆邑氏が当選せられたりと小中野収入役は酒井大五郎氏、舘村収入役は木幡清八郎氏なりと、又小中野村書記は森貫一氏、舘村書記は井川元壽、沼館善五郎村上岩太郎の三氏なりと八戸通信 六月十八日発 金欄会 三戸郡三戸町の同会は毎土曜日三戸小学校その他近在学校教員諸氏の集会にて三戸小学校に開く其の趣旨たるや学校授業上の事並びに数理法教科書その他教育に関する新聞雑誌等も取り寄せおるという○三戸町近況 目下養蚕は概して三眠以上なりしが気候順なれば意外に捗り且つ桑葉も廉価なりという○田植え は目下非常の繁忙にて八分通りは植付けも終わりたり○病院 八戸町にては先年公立病院の廃せられたる以来今淵正苗氏が開設にかかる私立病院あるのみなるが二千戸に近き八戸町にてとかく手の廻り兼ねる有様なれば昨年有志協議の上、大病院を建築せんと相談、諸機械購入のため某氏に金を渡すも行方しらずとて