2009年4月5日日曜日

八戸商工会議所食った補助金一億二百万


判っているだけでも、これだけの補助金を八戸市から貰うにもかかわらず、市役所に非協力とはこれいかに?
 昭和五十一年から現在に至るだけで上記の金員を市役所から騙し取った。騙したと言い切ることのできる、その根拠はこれだ。
 普通、補助金に対してはこれに使いますので補助をお願いしますと申請書類を出す。その金が正当だと審査され、補助金支給となる。支給されたを勿怪(もっけ・思いがけない)の幸いと違うことに使えば返却を求められる。
 これを商工会議所がやった。領収書の添付で補助金の流れが判明するが、何の商工会議所はそんなものは出さず、正当に支出したと言い張る。こんなもの知らずの腐れ野郎共には一円の銭も呉れるは愚かだ。それを八戸市役所の商工労政課は出しも出したり一億二百万だ。返せ!北方領土、返せ補助金!八戸商工会議所!
 この商工会議所の会頭は靴屋の親父だ。会頭の癖に回答もできぬ。人の財布ばかりを狙わずに、自身の力で立て。そして八戸市民のために働け。何もしないから会員は減るばかりだ。ここも茶坊主のような奴らばかり。気の利いた優秀な職員は皆やめた。後に残るのは……で淡海節、船を引き上げ漁師は帰る、あとに残るのは櫓と櫂浪の音よいしょこしょ、浜の松風、これを全国的に当てたのが大正末から昭和初期にかけて活躍した大津市堅田出身の喜劇俳優・志賀廼家淡海。大正3年頃、喜劇一座八景を結成し、大正5年から劇中で自ら歌って大流行した。
 八戸商工会議所は後に残るのは、言わぬが花ダ。その残った奴ばらが明細書も領収書も出さず、適当博覧会で、貰うのがあたりまえだと、商工会議所の決算書を出してチョン。こんなのは許されない。銭貰いは銭貰いの仁義を尽くせ、それは領収書の添付だ。それが出来ない金なら銭貰いをおやめよ。仁義を欠いちゃあ生きちゃあいけない、港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ、でよこすか、銭を?だぜ。
 人の頭に立つのが商工会議所の会頭、それが靴屋の親父じゃあべこべダ。銭貰いに徹するなら方があろう。ルールにのって請求し、使用明細を明示するんだ。それなくして、ともかく呉れじゃ妾か、それとも押し借り、ゆすりかい。紳士は紳士らしくおやりよ、それができぬは「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」でお馴染みの、通称「堀川」または「お俊(しゅん)伝兵衛」の口説き台詞だ。銭もらいは八戸弁ならホイトだよ。ロクなことも出来ない奴らばかりだ。
 かつて八戸には偉人が出た。橋本八右衛門、明治44年に水力発電を興した。八戸銀行頭取も務め三日町から小中野・鮫に路面電車を敷設せんとした男だ。これが実に美男子だ。美少年という酒蔵がインチキをしたのが昨今報道されたが、この八右衛門はキムタクなんてチンケが十人束でもかなわない。それくらい水もしたたるようないい男だ。若くて金があっていい男、それも水もしたたるような、それもそのはず、酒屋だ。銘酒「八鶴」もこの男の作。この後、幾多の血が河内屋に流れ込み、どいつもこいつも不細工な面々だ。もっとも八戸市長も不細工会の会長のようなところもあるから知れたことヨ。
 商工会議所はもっと市役所に協力しろ。手前ばかりが尊いと思い込んでいる。利巧なのが抜け、今は抜け殻のような体勢、これらにものを考察する、あるいは創造する力が不足のため、人の意見に口を挟むことに喜びを感ずる、まるで姑婆ァのように糞意地が悪い。
 頭に力がないからフラフラする。そんなのを面倒みようとする市役所もだらしがない。ダメとだらしないが共に支え合おうとするから、定まりがないのヨ。八戸のため、市民のためより自分のためじゃダメなんだ。
 ともかく、何に金を使ったか、明細を出せ。それができなければ銭を貰うな。市民の税金は商工会議所をたすけるためにあるんじゃない。市民のためにこそあるのだ。