2008年9月22日月曜日

地域住民と行政

私の日本地図 宮本常一 五島列島から
宮本常一は民俗学者。日本中を旅して歩いた。良い作品ばかりだ。著者の日本人に対する優しい眼を文章から感ずるため、いまでも人々の心を打つ。
 昭和四十年頃の話だがその中から八戸のハサップ(八戸港市場整備)の考え方のもとになるものを掲載。
六島 この島が共和制をしいていることを聞いて行った。港が小さいので困りはてて、島の南岸に防波堤をつくりはじめているが、経費が九四九万円で、そのうち、国が三二○万円、県が一〇八万円、町がニ一六万円負担してくれるけれども、地元負担が三二五万円で一戸平均一〇万円もかかる。これはまずしい島民としては実に重い負担であるが、工事費は一六〇〇万円もかかるであろう。そうなったとき、どうしたらよいか見当もつかないという。何とかして島民の負担を少なくすることを考えなければならないが妙案がうかばない。
島では経費を生み出すために、島の周囲にあった防風林の大半を伐って売ってしまった。台風などのときはどうすればいいのだろう。潮風があてて作物ができなくなってしまうはずである。そんなにしても港はほしいのである。いままで使用していた港は島の西南にある。よい港だがふところがせまく、漁船の型が大きくなると困ってしまう。
診療船はその港の方へついたけれども、波止の内へははいらなかった。動力船は波止の内側にならべてつないであったが、手押しの船は皆ひきあげてあった。漁獲をあげるためにはこの手押の船をすべて動力船にしなければならない,それ以外に島を発展させることはできないとのことである。
私はその話をいちいちもっともだと思ったが、港をつくるという一つの冒険が島を経済的な破綻にまでみちびくのではないかと思った。こういう経費は国家で見るべきではないのであろうか。
 それとも国はこういう島の人びとの引きあげをのぞんでいるのであろうか。生きてゆくためにどうしようもない島ならば引きあげるのもまたよいであろう。しかし何百年というほど住みついてきた島が、現在になって住めなくなるとしたら、その原因はどこにあるのであろうか、また責任は誰にあるのであろうか。いままで往むことのできた世界を住みにくいものにしていくということの中にほんとうの国の発展があるのであろうか。
 国を今日の上うにまで発展させ文化を高め得たものは土着の思想であったと思っている。その土を愛し、その土に人間の血をかよわせようとする努力が、この国を生き生きさせたのである。そのような愛情と努力は、すくなくも戦前までは国の隅々まで見られた。それが、いま国の隅々を住みにくいものにさせ、その人たちの気持をおちつかせなくしつつある。そしてその住む土地に対する愛着は急にひえはじめている。そしてその結果生ずる向都離村が、世の中の発展していく過程の中で、当然の現象なのか、あるいはヒズミなのか。そのことについて適切な解答を与えるものはない。
 八戸は漁港として繁栄したが、海外への漁業がしめだされ衰退の一途、二百海里がもたらした国家的危機が八戸をモロに襲った。しかし、八戸は加工業者が知恵と努力で水産都市八戸の名を高めている。そこへ国がハサップ型漁業推進の地として認定。宮本常一が言う土着の人の愛着が良い成果を上げている。国が半分負担し、県、市がその半分づつだ。
 地元は地元民以外に維持し改善することはできない。しかし、今回は国が積極的に推進する。この好機をものにできなければ未来の八戸は永遠に来ない。そのためには改良型漁業、食品衛生の徹底した漁港にするべき。改善すべきはして、遺漏のない状態で八戸の新漁業を推進しなければならない。