2008年9月14日日曜日

講談・安藤昌益を八戸天聖寺で開催


日本の三大話芸に落語・講談・浪曲がある。この中で一番古いのが講談、徳川家康に太平記を読んで聞かせたとある。語り手は赤松法印、だから講談は太平記読みとも呼ばれた。浪曲は浪花節とも呼ばれ幕末に浪花屋伊助が始め、祭文(さいもん・祭祀の際、神前で奏する祝詞、それに節をつけて歌祭文)が起源、三味線を合い方とする。落語も幕末に日本橋の櫛職人三笑亭可楽を始めとする。
 その講談には宝井、一柳斉、神田、田辺などの派がある。講談界に宝井馬琴あり。五代目の馬琴は声を張った口調で、それが実に緊迫感があり筆者が聞いた中では秀逸。愛知県の産、入門五年で真打、修羅場物(軍談・ぐんだん、合戦物)を得手とした。講談は講釈師、軍談師などとも呼ばれる。
 落語家は仲間の講釈師を「講釈師見てきたような嘘をつき」、「講釈師詰まった時に三つ打ち」と張扇を叩きながら話をすすめる態を言った。講釈師も負けない「落語家は世相のアラで飯を食い」と評した。
 その宝井の中に女流講談家の琴桜がいる。これが安藤昌益に着目し安藤昌益発見伝を演ずる。それが、写真のもの。安藤昌益がNHKテレビで放映されたことがある。八戸市史編纂に多大な功績を残した三浦忠司氏が、安藤昌益国際シンポジウムを八戸で開催。井上ひさし等を集めたビッグイベントで、こんなスケールの大きなコンベンション(大会)をかつて、八戸で見たことがなかった。
 人の力の偉大さを三浦氏が見せた。この人が昌益資料館をつくる会に尽力。そこで宝井を呼んだ。
 時・十月五日 十三時半より
 所・天聖寺ホール
 木戸賃・千円
天聖寺は延享元年(一七四四)、安藤昌益が初めて彼の思想を語った場所。安藤は秋田の産、医師、八戸十三日町、山口茶舗の所に居住したと言う。大思想家「自然真営道」を著す。