平成 5年 9月 定例会-09月14日
三十四番(岩織政美 君)一九九三年九月定例議会に当たり、日本共産党議員団を代表して質問を行います。(中略)
最後に、ひばりの里等問題について質問します。 さきの六月定例議会において右翼団体の街宣行動と議会妨害が大きく注目されたのでありますが、そのとき問題とされたのが、ひばりの里問題であったのであります。これに関連して、私は中里市長に対して、ひばりの里の元理事としての「中里信男個人ならいざ知らず」と述べ、公職である市長と個人の立場の違いについて触れたところであり、今回は、改めて元理事としての経緯について質問いたします。 御承知のごとく、ひばりの里は、元来、前田勇氏が、みずから福祉施設をつくり、老人福祉事業の一環として社会に寄与したいとの発起により、計画を進めたものであり、善光会という社会福祉法人組織も内定し、メンバーも確定して県の内示も受けてあり、その一員としては、元八戸市民生部長であった故品田裕教氏も加わっておったのであります。ところが、佐々木泌尿器科院長の理事長就任が内定するに伴い、愛桂会なる名称に変更され、理事メンバーもほとんどかえられ、前田勇氏が副施設長・理事という実権の伴わない役職につけられ、その後、解職、解任させられたのであります。 この新たな法人組織、愛桂会の理事として、中里市長あなたも当初から一定期間、就任していたのでありますが、その就任に至る経過及び市長当選後に辞任するまでの経過について、まず明らかにしていただきたい。 第二点、是川ケアハウス問題での市の対応であります。これに関しては、平成二年十二月定例議会と同決算特別委員会で取り上げてきたのでありますが、改めて触れてまいります。 ひばりの里が実現しながら、みずから実権の伴わない一理事としての立場に置かれ、悩みながらも当初から描いていた福祉総合施設構想の一つである軽費老人ホーム、これには薬草園、農園、花壇、ゲートボール場なども付随して考えられていたものの、具体化に着手し、是川ケアハウスとして申請手続を進め、厚生省の補助対象として決定され、市の補助金四千百十万円も平成三年九月補正で議決されるという状況にまで進んでおったところ、巷間に政治家、企業などの疑惑を指摘する文書が配布されたのであります。そして私の調査により、ケアハウス設立予定地に仮差し押さえが設定されていること、過少面積に分割登記されていることが判明、これによりケアハウス建設が不可能となったことは既に各位御承知のとおりであります。 このケアハウス建設をめぐる一連の経過の中で、市が直接かかわったのは県への書類手続等でありますが、それ以上に大きい動きであったのは、平成二年八月二十七日と二十八日に、須藤助役が市担当課長を連れて、当時の津島雄二厚生大臣を訪ね、是川ケアハウスの計画承認を直接要請し、内諾を得てきたこと。さらにその結果を持って、是川ケアハウスの立地に渋っていた県当局に対して、強く採択を迫ってきたという事実であります。そのとき、市内の他団体から同様にケアハウス建設の要望と陳情が出され、競合していたことは御承知のとおりであります。 そこで質問ですが、市長が須藤助役らを出張させて直接国に働きかけをさせるに至った、その理由と経過はいかなるものであったのか。そのときの厚生大臣の対応も含めて明確に示していただきたい。 また、地元小幡建設の仮差し押さえが判明し、ケアハウス計画が挫折することが明白となった時点で、佐々木泌尿器科院長とも親しいと言われている小幡建設に対して、打開のための努力を市として行ったのかどうか。それとも全く打開の努力をしなかったのかどうか、これも明確に示していただきたい。 第三点、右翼問題と市長の対応であります。 六月定例議会の折、不当な行政介入を行い、議会審議の妨害行為を行った右翼団体天聲連合会は秋にも来ると言っていたのでありますが、目下のところ、その動きは見えないままであります。 当時、中里市長は議会傍聴席にいた右翼集団から、背任横領罪だという言葉を投げつけられ、これに関する私の質問に対して、背任横領──「これは名誉にもかかわる問題でございます。したがいまして、このことについては当局ともいろいろ詰めてまいりたい。その上で対応してまいりたい、こう考えております」と答弁しておりました。 十月市長選を前にして、この九月定例議会は中里市長にとり、最も重要な議会の一つであろうと思われますが、目下、右翼団体が見えていないということは、何らかの和解、妥協の交渉でもあったのかと推測されるところであります。そして、これは中里市長が御存じかどうか。私に聞こえていることは、ひばりの里問題に関して、攻撃の対象とされてきた当事者と右翼集団の間で、金銭を介在させての和解のための話し合いがなされているということ、その金額も二億円程度から三億円と言われ、その間に某政治家も関与しているということであります。このことが事実かどうか確定できませんが、私なりの複数の情報では一致しておりますので、根拠のない話ではなかろうし、現に右翼団体の行動が静まっていることは、そのことを裏書きしているのであろうとも推察されます。 さて、その当事者間の話し合いはそれとして、中里市長みずから右翼のビラに名を挙げられ、背任横領罪と公の場で叫ばれたことに対するみずからの対応については、その後どのようなものであったのか、改めて示していただきたい。 続