金明花・著 在日本朝鮮青年同盟・編
貧農の家に生まれた著者は、幼い頃から馬の尾毛を材料とした冠りを夜おそくまで編んで家計のたしにする。母は水がめを頭にのせて村々を売り歩き、ために髪の毛もほとんど技ける。十六の時、咸鏡北道鏡城郡に越し、家内で機織りをやるが、貧ゆえに売られゆく友達の姿に憤りを抱く。やがて二十歳で十人家族の長男李容徳に嫁ぎ、
「朝鮮はなんとうるわしい国だろう…だがわれわれ朝鮮人は倭奴の鉄鎖にしばられ苦しみにあえいでいる…あいつらをわれわれの手で打ち倒すのだ」
との夫の言に著者は深くうなずく。税金は重く、家計の苦しさから故郷を捨て、一家は満州・北間島延吉県鳳林洞に移る.
しかし、「ここでも、地主の搾取は朝鮮とかわることなくひどかった」。夫はひそかに革命組織に入る。家には共産党支部の人達が出入りし、著者は同志達の話を聞きながら次第に社会矛盾の本質を理解するようになり、連絡、ビラ配布等の活動に参加してゆく。
やがて婦女会、反帝同盟などに入って他村への宣伝工作に携わるようになるが、一九三二年はじめ、夫は逮捕され、延吉監獄に収容される。同年夏、著者は共産党に入党。だが同時期、著者は夫の弟二人と、夫を失うことになる。一人の弟は秘密通信文所持で反動団体員に殺され、一人は捜索にきた「討伐隊」に殺された。夫は一旦釈放されるが、再び逮捕され、竜井の日本領事館で壮烈な最期を遂げる。
著者は同志に勧められて遊撃根拠地に入る。根拠地の住民たちは遊撃隊と一緒になって「討伐隊」と戦った。一九三三年四月、著者は延吉県遊撃隊に入隊し、武器をとって闘うことになる。しかし、最初は炊事班である。
一緒になった若い女性隊員たちの経歴も著者のそれと似ていて、三十一歳の著者は「明花オモニ(おっかさん)」と慕われる。
二十二歳の崔淑同志、彼女の夫は延吉監獄で拷問を受け、パルチザンの秘密を守るために舌をかみきって自決する。彼女の大胆な戦いぶりと崇高な同志愛。
金貞淑同志の諸種の革命任務への忠実性、類い稀な自己犠牲精神と敵に対する勇敢性。
崔煕淑同志の夫はソウルの西大門刑務所に投獄される。彼女は重傷を負って敵手におちた時、
「朝鮮はきっと解放されるだろう…おまえたちは祖国を裏切リ、侵略者日帝の走狗になりさがっているが、わたしたち共産党員と人民は日帝をうちくだき、どんなことがあっても祖国をとりもどすだろう」
と叫ぶ。敵は彼女の両眼をくりぬき、心臓までもえぐりとった。
著者は、敦化の大森林で、重傷を負った中国人同志の保護を受持ち、想像を絶する悪条件の中を超人的な献身性で七十七日間も持ちこたえ、任務を果した。日常はつつましやかで、万事に控え目な彼女たちの、鬼神をも哭かしむる戦いぶりは何に発しているのか。問うも愚かなことであろう。
本書は「金日成元帥とともに」という一章を立て、新しい時代の民族解放闘争の中核・抗日遊撃隊の創設者金日成将軍の、革命情勢の節目節目における卓越した指導力と、隊員や大衆との人間味あふれる応対の一端を紹介している。隊員の侵略者日本に対する燃えたぎる憎悪は、金日成将軍の適切な指導がなかったならば、散発的な個人テロに終わり、民族解放と新社会建設の大業とは効果的には結び付かなかったであろう。
著者は祖国解放後、延吉県鳳林洞を訪れ、息子と娘に再会する。十四年の歳月は娘をして容易には母の懐に飛び込ませない。真夜中、皆がひっそりと寝静まったフトンの中でそっとまさぐる娘の手をとらえ、母娘が抱擁する場面は実に感動的である。