2009年3月26日木曜日

藤川優里市議騒動でわかった議会事務局の不徹底4

サムライジャパンが帰国。世界の野球の頂点に立った。高校野球と異なりトーナメント制ではないため敗者復活で摑んだ栄冠だった。朝鮮人にマウンドに韓国旗を立てられた屈辱は歯噛みをした。勝者に許される行為ではあったが、ああしたことはするもんじゃない。これに対して全員が敵愾心(てきがいしん・相手に対する憤りや憎しみから発する、強い闘争心)を抱いた。それがバネになり宿敵韓国を打ち破った。が、日本人はマウンドに日の丸を立てることはしなかった。
 これは野球の世界、平和な時代でも自分を侮辱されれば、敵愾心をメラメラと燃やす。まして、侵略してきた日本、国を占有された人民はどれほど敵愾心を燃やしたことだろう。我々日本人は朝鮮人・中国人にしたことを忘れてはいけない。我々だけが良ければ、助かればいいでは人の道に反する。
 野球などスポーツでは強い者が勝つ。当然のことだ。それを金を使って勝とうと画策すれば、これは言語道断。しかし、こうしたことが現実問題としてある。だから、競輪の選手は開催日が迫ると合宿し、外部との交渉、折衝を閉ざされる。競馬は馬が走るが馬は隔離しない。人間の言葉を解しないからだ。ところがモンゴル人が競馬を見ると一番になる馬を当てる。馬の顔でわかるそうだ。
 さて、人間は目に考えていることが出る。「はちのへ今昔」は四年間毎日のように八戸市役所に出かけた。誰から役所の仕事を教えられた訳ではないが、決算書から数字を見て、それを情報開示をかけて調べた。いくらか判ったつもりになった。
 各課の対応が面白かった。松浦という秘書課長は激怒して「もう、小川とは口をきかないと」口走った。どうぞ、ご自由にだ。この男は今、市民病院の事務局長だ。こんなのが居る以上、病院は改善されない。松浦氏は「口をきかない」と明言し、「はちのへ今昔」が他の職員に質問すると、割ってクチバシを入れた。市長交際費の着服を調べた時だ。「松浦さん、アンタは口をきかないといったのではないのか」卑しく笑って、「へへ、そうですが、撤回します」根性があるのかと疑問に思った。その後、一度だけ顔を会わせたが嫌な奴だ。
 男は口走った以上、恥を知るべきだ。それがどんな咎めを招こうとも、一度、男が言った言葉は口に戻すことができない。
 八戸市職員は人を馬鹿にする。役所のことを知っているのは我々だ。議員はロクに勉強もしない。だから、何でも教えてもらいに来る。確かに議員の中には尻尾を振るのもいる。だが、議員は課の動きをしらずとも、人を知っている。議員にとって人を知るは米びつに米が詰まった状態をさす。
 職員は自分の失態を笑ってごまかす、つまり松浦氏のように。川井のように「はちのへ今昔」の姿を見るとひたすら走って逃げる。どのような方法も自由に取れる。それは勝手次第だ。が、それも自分が役所の椅子に座っておられたときだけだ。定年退職すれば、どれもこれも同じ土俵だ。肩書きを外せば同じ人間ヨ。
 さて、なんでこんなことを記しているか、それは職員ができないことを議員はするヨ。諸君等が侮っている議員が立派に米びつを利用することを教えたくて書いている。
 本論に入ろう。第一、議会事務局が議場での写真撮影を許可したのは市政クラブだけ。フォーカスに許可を与えていないと建前をいう。田舎議会を講談社が追いかけるは三浦哲郎が芥川賞を獲った以来、こんな椿事には議会事務局は特別許可を出すのが至当。それを突っ張って、出していないと言い張るからこじれる。特別許可を出したなら「はちのへ今昔」にも特別に出せと捻られるのが嫌さに突っ張った。
 第二は委員会での写真撮影・録取を議会運営委員会に諮ったことだ。この議会運営委員会が全ての委員会に先立つのか、上位に属するのかと、これも当然の質問をして、諸君等議会事務局は間違った結論を意図的に導いたと、その根拠である法律・条令の提示を求めたが、もとより、議会運営委員会は同列の存在。これに対しての明快な説明はできない。このことを第一を触れ、第二を詰問と繰り返した。議会事務局長と係りの職員と「はちのへ今昔」の三人で会話中だ。
 職員は威圧、恐喝するような目で「はちのへ今昔」を睨みつける。「オッ、いよいよ言うな」と身構えた。突然、「役人にも感情があるんだ。バカヤロウ」と怒鳴った。手の上に乗った。水道企業団に三浦という職員がいる。この男か、この職員のどちらが先に言うかなと楽しみにしていたら、この職員が口をきった。
 「言うだろうと思って待っていたヨ」「はちのへ今昔」は無頼漢だ。誰を頼みともしない、自分の稼ぎは自分で算段する。誰からも頭を抑えられないために、雑誌を持って役所の中を頭を低くして歩かない。横柄が服を着て歩いてる。議員と違って万人に笑顔を振りまかない。人から押して貰う必要がないからだ。だから無頼漢なわけだ。その無頼漢にまで、なんで役人が降りなければならないのか? 明日からは自分でゴミ箱を漁る真似をするのか。
 一時の感情に任せてそんな暴言を吐くことで気休めになるのか? 確かに「はちのへ今昔」は馬鹿野郎だ。そんなことは指摘してくださらなくとも十分に理解している。だが、「はちのへ今昔」のような馬鹿野郎が一人ぐらい居なければ、役所はだらけきっていないのか?
人に嫌がられても真実は一つ、それを探して歩いている。ことさら誉められようとも思っていないが、馬鹿野郎は「はちのへ今昔」にとって誉め言葉なのサ。ここまで腹を据えて世の中を見ているヨ。佐々木聡の野郎に刑事告訴をされ、民事もやられ、今年に入って裁判所と警察をウロウロしている。これも、自己顕示欲の強い奴に粘着されただけだ。ある議員を助けようの狭義心がそれを招いただけだ。我を捨ててかかっている。銭。金の前に頭は下げない。これが「はちのへ今昔」の精神だ。
 さて、この議会事務局の対応だ。当然、人事権を持つ議長が、ことを処理する以外に途はない。議長に手紙を送った。それがこれだ。
八戸市議会議長殿
八議第273号・平成21年2月25日付けの要望への対応文書を受理。
その際、内容の確認につき山内八戸市議会事務局長ならびに、八戸市議会事務局議事課職員●●氏と面談中、●●氏が「はちのへ今昔」小川真に「役人は人形じゃない、感情があるんだ、馬鹿野郎」と発言した。
かかる行為は市役所職員としてあるべき態度ではない。
議長には議会事務局職員の人事権を有することから、議長からの誠意ある対応を書面にて「はちのへ今昔」小川真に対して送付されることを要求する。
平成21年2月26日
    八戸市類家4の15の7
      「はちのへ今昔」 小川真
 この手紙を大館議長は無視した。「はちのへ今昔」は伏字を実名で暴露すると昨日、最後通告をした。すると、副議長の五戸市議が連絡をしてきた。彼等議員の米びつを開いたのだ。
 議長は議会事務局職員を見殺しにするつもりなのだ。が、五戸市議は頭を下げて、職員を助けろと懇願した。できないことだ。、「判った、が、議長からの説明がない以上、本件は覆りますよ」と念を押した。それで、今日の、このブログには伏字が載った。
 続