風に吹かれて旅にでた。
思い立ち「風の盆」に向かった。二年前に、友人から誘われて行ったのが、「越中八尾おわら風の盆」だ。
「風の盆」と呼ばれていて、全国に名を馳せている。テレビや書物でご存知の方も多くいらっしゃるが、私なりの旅の印象を述べてみよう。
最近、此処は富山市に合併されてしまったが以前の呼び方は富山県婦負郡八尾町(ねいぐんやつおまち)である。富山市から山中に向かい、間もなく岐阜県といった場所だ。
此処を訪ね、あのときの情緒ある雰囲気が忘れられないのだった。八月も残り少ない、暑さのなか車で向かった。本祭は毎年九月一日から三日間ときまっているが前夜祭はその十日も前から始まる。その前夜祭がまた見もので、それにすっかり魅了されたのだった。
この祭りの起源は不明だが三百年の歴史と伝統があるのだそうだ。案内には、「叙情豊かで気品高く、綿々としてつきぬ誌的な唄と踊り」と述べている。私は「まったく、そのとおりである」とおもっている。
現代では開催日が盂蘭盆の三日間に変わり、二百十日の風の厄日に風神鎮魂を願う、すなわち豊穣を祈る「風の盆」になったといわれているが、台風シーズンには変わりなく、前夜祭を含めて一週間逗留している間にも二日ほどは雨に見舞われる。今回も半日ずつ二度雨がきた。
だが、町の石畳の道や累々と河原の石また石を積んだ町の壁面。 古い風情の家並みの美しさには、この雨もまた、相応しく、しっとりとした情緒が味わえ楽しめる。
坂の町、通りの両側には雪流しの側溝エンナカと呼ばれる用水がながれ心地よい音を聞かせる。
おわらの里、坂の町に、風が唄い,水音がはやす。水の音、風の旋律、胡弓の調べこんなにも心ふるわす、風の盆 などと述べている。
前夜祭は八月二十日から三十日まで。毎年この日に決まっていて各町内で会場の持ち回りをしている。全部で十一箇所となる。運がよければ町内のお稽古の場や町流しに出逢えるときがある。ただ、三十一日だけは「お休み」になる。これがまたお見事としか言いようがない。
町中のお稽古は一切無し、あの哀愁ある唄も調べもなにもない。テープの音さえない。商店も日暮れとともに閉めてしまう。明日から三日間のための鋭気を養うためか?「本祭の準備」と言ってるのだが、それは済んでいる様子なのだ。夜の町並みの格子窓からはそれぞれの家庭でのんびりと酒を交わしている風景だけが見てとれる。
「ああ、これは、内なるエネルギーを貯めにためこんで一気に爆発させるのだ」演出にしたところでなんと小憎らしいほどのものであろうか。惜しいほどにパタリとである。それに対して観光客は気まま勝手だ。
「折角、高いお金を払ってここまで来たのに、見れないとは、どうしたものか、なんとかならないのか?」と町の人にねじ込んでいた客がいた。意地悪でも何でもない、古くからそのように決まっているだけなのだ。
JR八尾駅から百円バスが運行され近隣からは列車利用で十分に楽しんでいる。駅ホームでは列車到着のたびに踊りで客を迎える。近年、この祭りが有名になり過ぎて全国から観光客がどっと押し寄せるようになった。観光バスの乗り入れ申し込みが五〇〇〇台もあるが、いま1500台に制限しているらしい。小さな町なので宿の収容人数も少なく近隣の宇奈月温泉や富山の温泉地あるいは金沢市内のホテルが主なところとなる。
本祭が始まるのは夜八時から十時まで。雨が降ったら中止となる。観光客が大勢であっても「それじゃサービスで」などとは間違っても行わない。その辺のところは理解して行かねば、期待はずれになろうか。祭りの主催はその土地の人なのであるから「郷に入ったら郷に従え」は、ここでも当 てはまるのだ。町のあちこちで目にした、自分本位の苦情を述べている観光客ほど見苦しいものはない。
一般的な盆踊りは最近では現代のいわゆる流行歌的なお囃子や曲で踊るものだが、現代では、本人が楽しむことを主体に変わったのだろう。
盆踊りは、本当のところ年に一度の亡者をお迎えするお盆の習わしのひとつとして行って来たものだろうが、世の中は自己中心主義が横行して亡者を敬い、感謝する心が失われてしまった感がある。それを此処の地、八尾 の聞名寺(もんみょうじ)で教えられた。寺の奥では奉納の囃子と踊りはかなり長い時間の読経法要のあとに行われた。それが終わると正面に出てきて町内毎の踊りのお披露目がある。境内の観光客はそれに痺れを切らして勝手気ままに大きな声で話をしだす。もっとひどいのは、酔っ払ってか「早くはじめろー」と怒鳴ったりする輩がいたり、関西弁で捲くし立てながら、墓石におおきなお尻をのっけて鱒寿司を喰っている罰当たりのおばちゃんがいたりする。
お盆には当然、亡者の発ち日や月命日には、魚をはじめ動物質のものは、一切食事から絶った。魚釣りや殺生もしなかった。その風習は親の生存している間は続いたものだった。ほかならない、これが先祖を忘れない、敬うことなのだ。
「人間は二度死ぬ」此処、聞名寺の住職はこう申した。「一度目は心臓と呼吸が停止した時」「二度目はその人がみなさんから忘れ去られた時」だそうな。「みなさん、どうか亡者をいつまでも生かしておけるようににご命日にはお参りをして下さい」たったこれだけのことだが、心に染み渡る法話であった。本祭のなか日、九月二日の夜のことであった。唄、お囃子は三味線、太鼓、そして、胡弓、これらを地方(じかた)と呼ぶ。寺の舞台での女踊りと男踊り。おんなは、なんと艶やかであろうか、そしてなんと、しなやかであろうか、磨きにみがき抜かれて指の先まで表情豊かなのだ。女の色香は整った顔立ちに形容されるのだが、編み笠の中の顔は通常の髪を染めた。若いネイチャンであっても、それはそれは美人のネイチャンを期待させる魔術ともいえるものだ。「ただ、うっとり」とさせてしまうのだ。手練手管の手法はここからきているのだろうか?
各町内、踊りも囃子もそれぞれに少し異なる。艶やかで魅力があったのは、鏡町。ここは、昔、色町であったそうな。やはりそうな。納得である。女姓は、未婚で二十五歳まで、あとは参加できない決まりになっている。
女性は最後の年の踊りは涙、なみだで明け方まで踊り通すもので、地方もこれに付き合って囃すのだ、見物の方も貰い泣きする。これがまた、なんとも言えない風情なのだ。胡弓の囃しが追い討ちをかけるのだろうか、それとも地方の喉から搾り出すような恋歌が心ふるわすのだろうか。たった二十五歳で、一期を終る心情を味わうことは、その女性の一生に本当の優しい心が根付き暮らせることとなる。此処の女性は、家庭を築いても、さぞ幸せに過ごせることになりましょう。町の人はみな優しさに溢れていて一週間の逗留も心地よかったのは「こんな訳であったのか」といまに思っている。風の盆の通はこれを見るために寝ないで、町なかの道端に座り、この一団が来るまでじーっと待っている。いつ来るか決まっていない。待っても来ないこともある。夜明けまででも待つ。
それにくらべ男の踊りは荒っぽいのを、想像するかも知れぬがそうではない。男の凛とした身体のしぐさ、手先、足の先までが男の色香に包まれる。男の色香とは気色が悪く感じるのだが、おっとっと、断っておくが私は、アッチの方(男色)の趣味はまったくないので申し添える。振り付けは農作業のしぐさやトンビの姿、そして案山子の表現まである。すばやく、そして、ゆったりと、メリハリが魅力と言う人もいる。簡単には真似のできない名人芸のひとつであろうか。残念ながら私 は、文筆家では
ないので、お囃子も踊りも説明だけですべてを伝える文才はなく、芸当もできないのでお許し願いたい。 またも車中泊。井田川の河原で約一週間の逗留だ。たいへんだが楽しさは極致だろうか?言い過ぎか? 「なーんだ。ホームレスの生活か?」そう、そうなんです。此処の川沿いには何百台というキャンピングカーや乗用車、それぞれに工夫を凝らした軽自動車もある。「どちらから?」「何回目?」などと会話と話題が尽きぬ。急いで走ったら旅の楽しみはマイナスになってしまうから努めて有料の自動車道は使わない。ジーゼルの貨物車なので快適な走りではない。軽自動車にも簡単に追い抜かれるほどだが、居住空間があるのでこれに限る。かといってキャンピングカーなどと言う贅沢なものには、財布と相談しても現れて来ないのだ。装備?は家にいるときも不便な生活(これを貧乏生活と呼ぶのらしい)をしているのでさして困らないのだ。まあ、困るのは、風呂とトイレぐらいかな?鍋、ガスの類、コーヒーは不可欠だ、水タンク、調理道具、食器類はまともなテーブルウエアーも(これは紙やぺらぺらのプラスチックばかりでは惨めだ)
私は若いころから、いつの日か、風のような旅をしたいものだと、時折考えていたものである。懐は当時から、今のいままで空っぽの状態は変わりないのだが、別に豪 華なお金の沢山必要とする旅をしたいなどと思ってなかった。旅に限らず物事はお金を沢山かけたら楽しさも面白味も反比例する。お金持ちの趣味は、沢山の費用をかけて誰も真似のできないような行状をするものだが、それはそれで大名行列のごときものであって、難儀をする者は御付きの者だけである。
風の旅とは、それ自体漠然とした表現なのであるが、まあ言ってみれば風の吹くまま気の向くままのことである。世間一般に言う風来坊とか風天のたぐいで老人の徘徊やホッツキ歩きとなんら変わりない。行き当たりバッ旅とも言われている。
私の心情は、「知らぬ土地を訪ね、人との出会いを楽しんで、ただそれだけのために」「風にふかれて旅にでよう、足の向くまま、気の向くまま綿胞子のように」である。季節のうつろいは、思いのほかはやい、さくらの満開も瞬時に終わり新緑も駆け足、そして、夏の暑さもあっと言う間に終る。これを幾度か、繰り返し積み重ねると子供の計算でもできる回数をすぎると、もう一期の終着にきてしまうのだ。
人の一生なんてとてもたわいのないものだ、とつくづくと思ってしまう。
生きることとは?人生とは?などと口に泡を飛ばして論ずるほどの物識りでもないがー「まあ、出かけてみなっせーおもしれいけっー」と言ったところか。
思い立ち「風の盆」に向かった。二年前に、友人から誘われて行ったのが、「越中八尾おわら風の盆」だ。
「風の盆」と呼ばれていて、全国に名を馳せている。テレビや書物でご存知の方も多くいらっしゃるが、私なりの旅の印象を述べてみよう。
最近、此処は富山市に合併されてしまったが以前の呼び方は富山県婦負郡八尾町(ねいぐんやつおまち)である。富山市から山中に向かい、間もなく岐阜県といった場所だ。
此処を訪ね、あのときの情緒ある雰囲気が忘れられないのだった。八月も残り少ない、暑さのなか車で向かった。本祭は毎年九月一日から三日間ときまっているが前夜祭はその十日も前から始まる。その前夜祭がまた見もので、それにすっかり魅了されたのだった。
この祭りの起源は不明だが三百年の歴史と伝統があるのだそうだ。案内には、「叙情豊かで気品高く、綿々としてつきぬ誌的な唄と踊り」と述べている。私は「まったく、そのとおりである」とおもっている。
現代では開催日が盂蘭盆の三日間に変わり、二百十日の風の厄日に風神鎮魂を願う、すなわち豊穣を祈る「風の盆」になったといわれているが、台風シーズンには変わりなく、前夜祭を含めて一週間逗留している間にも二日ほどは雨に見舞われる。今回も半日ずつ二度雨がきた。
だが、町の石畳の道や累々と河原の石また石を積んだ町の壁面。 古い風情の家並みの美しさには、この雨もまた、相応しく、しっとりとした情緒が味わえ楽しめる。
坂の町、通りの両側には雪流しの側溝エンナカと呼ばれる用水がながれ心地よい音を聞かせる。
おわらの里、坂の町に、風が唄い,水音がはやす。水の音、風の旋律、胡弓の調べこんなにも心ふるわす、風の盆 などと述べている。
前夜祭は八月二十日から三十日まで。毎年この日に決まっていて各町内で会場の持ち回りをしている。全部で十一箇所となる。運がよければ町内のお稽古の場や町流しに出逢えるときがある。ただ、三十一日だけは「お休み」になる。これがまたお見事としか言いようがない。
町中のお稽古は一切無し、あの哀愁ある唄も調べもなにもない。テープの音さえない。商店も日暮れとともに閉めてしまう。明日から三日間のための鋭気を養うためか?「本祭の準備」と言ってるのだが、それは済んでいる様子なのだ。夜の町並みの格子窓からはそれぞれの家庭でのんびりと酒を交わしている風景だけが見てとれる。
「ああ、これは、内なるエネルギーを貯めにためこんで一気に爆発させるのだ」演出にしたところでなんと小憎らしいほどのものであろうか。惜しいほどにパタリとである。それに対して観光客は気まま勝手だ。
「折角、高いお金を払ってここまで来たのに、見れないとは、どうしたものか、なんとかならないのか?」と町の人にねじ込んでいた客がいた。意地悪でも何でもない、古くからそのように決まっているだけなのだ。
JR八尾駅から百円バスが運行され近隣からは列車利用で十分に楽しんでいる。駅ホームでは列車到着のたびに踊りで客を迎える。近年、この祭りが有名になり過ぎて全国から観光客がどっと押し寄せるようになった。観光バスの乗り入れ申し込みが五〇〇〇台もあるが、いま1500台に制限しているらしい。小さな町なので宿の収容人数も少なく近隣の宇奈月温泉や富山の温泉地あるいは金沢市内のホテルが主なところとなる。
本祭が始まるのは夜八時から十時まで。雨が降ったら中止となる。観光客が大勢であっても「それじゃサービスで」などとは間違っても行わない。その辺のところは理解して行かねば、期待はずれになろうか。祭りの主催はその土地の人なのであるから「郷に入ったら郷に従え」は、ここでも当 てはまるのだ。町のあちこちで目にした、自分本位の苦情を述べている観光客ほど見苦しいものはない。
一般的な盆踊りは最近では現代のいわゆる流行歌的なお囃子や曲で踊るものだが、現代では、本人が楽しむことを主体に変わったのだろう。
盆踊りは、本当のところ年に一度の亡者をお迎えするお盆の習わしのひとつとして行って来たものだろうが、世の中は自己中心主義が横行して亡者を敬い、感謝する心が失われてしまった感がある。それを此処の地、八尾 の聞名寺(もんみょうじ)で教えられた。寺の奥では奉納の囃子と踊りはかなり長い時間の読経法要のあとに行われた。それが終わると正面に出てきて町内毎の踊りのお披露目がある。境内の観光客はそれに痺れを切らして勝手気ままに大きな声で話をしだす。もっとひどいのは、酔っ払ってか「早くはじめろー」と怒鳴ったりする輩がいたり、関西弁で捲くし立てながら、墓石におおきなお尻をのっけて鱒寿司を喰っている罰当たりのおばちゃんがいたりする。
お盆には当然、亡者の発ち日や月命日には、魚をはじめ動物質のものは、一切食事から絶った。魚釣りや殺生もしなかった。その風習は親の生存している間は続いたものだった。ほかならない、これが先祖を忘れない、敬うことなのだ。
「人間は二度死ぬ」此処、聞名寺の住職はこう申した。「一度目は心臓と呼吸が停止した時」「二度目はその人がみなさんから忘れ去られた時」だそうな。「みなさん、どうか亡者をいつまでも生かしておけるようににご命日にはお参りをして下さい」たったこれだけのことだが、心に染み渡る法話であった。本祭のなか日、九月二日の夜のことであった。唄、お囃子は三味線、太鼓、そして、胡弓、これらを地方(じかた)と呼ぶ。寺の舞台での女踊りと男踊り。おんなは、なんと艶やかであろうか、そしてなんと、しなやかであろうか、磨きにみがき抜かれて指の先まで表情豊かなのだ。女の色香は整った顔立ちに形容されるのだが、編み笠の中の顔は通常の髪を染めた。若いネイチャンであっても、それはそれは美人のネイチャンを期待させる魔術ともいえるものだ。「ただ、うっとり」とさせてしまうのだ。手練手管の手法はここからきているのだろうか?
各町内、踊りも囃子もそれぞれに少し異なる。艶やかで魅力があったのは、鏡町。ここは、昔、色町であったそうな。やはりそうな。納得である。女姓は、未婚で二十五歳まで、あとは参加できない決まりになっている。
女性は最後の年の踊りは涙、なみだで明け方まで踊り通すもので、地方もこれに付き合って囃すのだ、見物の方も貰い泣きする。これがまた、なんとも言えない風情なのだ。胡弓の囃しが追い討ちをかけるのだろうか、それとも地方の喉から搾り出すような恋歌が心ふるわすのだろうか。たった二十五歳で、一期を終る心情を味わうことは、その女性の一生に本当の優しい心が根付き暮らせることとなる。此処の女性は、家庭を築いても、さぞ幸せに過ごせることになりましょう。町の人はみな優しさに溢れていて一週間の逗留も心地よかったのは「こんな訳であったのか」といまに思っている。風の盆の通はこれを見るために寝ないで、町なかの道端に座り、この一団が来るまでじーっと待っている。いつ来るか決まっていない。待っても来ないこともある。夜明けまででも待つ。
それにくらべ男の踊りは荒っぽいのを、想像するかも知れぬがそうではない。男の凛とした身体のしぐさ、手先、足の先までが男の色香に包まれる。男の色香とは気色が悪く感じるのだが、おっとっと、断っておくが私は、アッチの方(男色)の趣味はまったくないので申し添える。振り付けは農作業のしぐさやトンビの姿、そして案山子の表現まである。すばやく、そして、ゆったりと、メリハリが魅力と言う人もいる。簡単には真似のできない名人芸のひとつであろうか。残念ながら私 は、文筆家では
ないので、お囃子も踊りも説明だけですべてを伝える文才はなく、芸当もできないのでお許し願いたい。 またも車中泊。井田川の河原で約一週間の逗留だ。たいへんだが楽しさは極致だろうか?言い過ぎか? 「なーんだ。ホームレスの生活か?」そう、そうなんです。此処の川沿いには何百台というキャンピングカーや乗用車、それぞれに工夫を凝らした軽自動車もある。「どちらから?」「何回目?」などと会話と話題が尽きぬ。急いで走ったら旅の楽しみはマイナスになってしまうから努めて有料の自動車道は使わない。ジーゼルの貨物車なので快適な走りではない。軽自動車にも簡単に追い抜かれるほどだが、居住空間があるのでこれに限る。かといってキャンピングカーなどと言う贅沢なものには、財布と相談しても現れて来ないのだ。装備?は家にいるときも不便な生活(これを貧乏生活と呼ぶのらしい)をしているのでさして困らないのだ。まあ、困るのは、風呂とトイレぐらいかな?鍋、ガスの類、コーヒーは不可欠だ、水タンク、調理道具、食器類はまともなテーブルウエアーも(これは紙やぺらぺらのプラスチックばかりでは惨めだ)
私は若いころから、いつの日か、風のような旅をしたいものだと、時折考えていたものである。懐は当時から、今のいままで空っぽの状態は変わりないのだが、別に豪 華なお金の沢山必要とする旅をしたいなどと思ってなかった。旅に限らず物事はお金を沢山かけたら楽しさも面白味も反比例する。お金持ちの趣味は、沢山の費用をかけて誰も真似のできないような行状をするものだが、それはそれで大名行列のごときものであって、難儀をする者は御付きの者だけである。
風の旅とは、それ自体漠然とした表現なのであるが、まあ言ってみれば風の吹くまま気の向くままのことである。世間一般に言う風来坊とか風天のたぐいで老人の徘徊やホッツキ歩きとなんら変わりない。行き当たりバッ旅とも言われている。
私の心情は、「知らぬ土地を訪ね、人との出会いを楽しんで、ただそれだけのために」「風にふかれて旅にでよう、足の向くまま、気の向くまま綿胞子のように」である。季節のうつろいは、思いのほかはやい、さくらの満開も瞬時に終わり新緑も駆け足、そして、夏の暑さもあっと言う間に終る。これを幾度か、繰り返し積み重ねると子供の計算でもできる回数をすぎると、もう一期の終着にきてしまうのだ。
人の一生なんてとてもたわいのないものだ、とつくづくと思ってしまう。
生きることとは?人生とは?などと口に泡を飛ばして論ずるほどの物識りでもないがー「まあ、出かけてみなっせーおもしれいけっー」と言ったところか。