八戸消防本部へ行った。大火はもう二度と発生しないのではないかと思ったからだ。その理由は①白銀大火は台風四号の通過時に重なった。②当時の家屋と現在では外壁に不燃材が用いられている。③白銀大火は停電で水道の水(消火栓)がポンプで送られなかった。④消防能力の向上。
ところが本部は発生しないと断言はできないという。古い家屋が密集している場がいまだにある。特に小中野地区、陸奥湊地区は注意を要するとのこと。言われてみると旧市内にも木造の外壁の家を見る。トタンで囲ったような家もあり、観点を変えるとまだまだ安心はできないのかも。
しかしながら、消防車の能力は格段に向上したそうだ。現場に到着してすぐ放水できる。前は、圧力を高める時間を要したそうだ。
技術の向上が火事を防ぐ役に立つ。
当時の消防車数は二十九台、現在は八十六台、広域になったので消防署、分遣所も増加。当然消火栓数も増えた。初期消火が重要で、昨今は家庭でも小型消火器を備える家も増えたがテンプラ鍋に火が入ると気が動転、あらぬことをしがちだが、あせらずあわてず消火せよ。火事と救急は一一九だが、先ず火の元用心が江戸の昔から大事なのは変わらない。消防本部の資料に海上自衛隊が給水車一両、化学消防車二両、消防車一両が出場したとある。水産高校付近には米軍の燃料基地があったそうだ。現在はないとのこと。思わぬところに危険なもの、鉄道貨物車にも危険物、爆発可燃物を運ぶものもあり、危険は変な形で増大しているのかも。さて、時系列で大火を検証。
白銀大火 前日に怪電話
デーリー東北新聞
今晩家を……て一家を皆殺しに
十七、八歳? キンキンした声で
約千世帯を焼き尽くした八戸市白銀町大火の原因について八戸署は当夜の状況と過去の一連の放火事件地域の中心が出火場所と推定されることなどから、放火の線も濃厚だとみて捜査を続けている。大火前日に出火場所から西側約百米にある煮干し販売業安保与作さん(五十)方へ「一家皆殺しにする…」と怪電話があった事実がわかり、この電話とこれまでの放火、そして今度の大火が関連あるのではないかと地元民たちは言っている。
「おぼえない」煮干し屋さん語る
怪電話のあったのは大火前日日曜日の二十八日午前九時ころ、このとき安保さんの長女よし子ちゃん(八歳)・湊小学校三年が電話をとった。(安保さん夫婦は陸奥湊駅前で早朝から煮干し販売しているので電話に出ることがこれまでも多かった)電話を聞いたよし子ちゃんが「おっかない」と丁度家にいた安保さんを呼び、安保さんが代わって電話口に出た。電話の主はキンキンとかん高い中学生かそれより少し上の十七、八らしい男とも女ともとれるような声で「今晩十二時に家を…て(よく聞きとれず)一家を皆殺しにしてやる」と言い電話を切った。この電話より約十五分前にも電話があり、安保さんが出ると相手はただ「あっ、間違った」と切った。二回の電話の声は似ていたが安保さんは長男(高校生)か次男(中学生)の友人がいたずらしたのだろうと思ったと言っている。
その後家族に聞いても知らないというので」、安保さん一家は恐ろしくなり、その夜九時すぎ一一○番に通報した。その夜は私服警官と白銀防犯協会員が警戒したがなにごともなかった。同夜は十時ごろから十二時ごろまでぱらぱら程度の雨が降った。
翌二十九日安保さん夫婦は商売を休んで家にたてこもった。そして同夜十一時五十分ころ近くでの出火となったわけだが安保さん一家は怪電話とこの火事と関連があるのではないかと言っている。安保さん一家は人に恨みを買うようなことは全然なく、電話の声にも聞き覚えがないという。安保さんの家は湊町大沢片平の道路南側で、大火で焼けた同町内の若狭建具店から湊町寄りに八軒目、①出火場所と推定されている大沢片平二六の漁船員清水留吉さん(六六)方物置小屋付近から約百米のところ②電話加入表示番号札のある玄関は道路から少し入って湊町側。安保さん方の事情を知った者のいたずらか、単に電話番号簿で調べ出したのか③二回の電話の声が似ており④今夜なになにしてというのが放火してを意味していたのではないか…などから、付近の人たちも大火と怪電話を結びつけて考え、もし放火によるものだとしたら一日も早く放火魔をとらえてくれるように捜査当局に強く望んでいる。
…は放火?
安保与作さんの話、幸い火事では焼けなかったが、人に恨まれるようなことはしていない。怪電話の声はキンキンしていた。電話があってから恐ろしくて仕事に出られず、女房と二人とも仕事を休んだ。「家をなんとかして…」というのは火をつけるとか焼くとかの意味ではないかと思っている。
火災保険加入ごく少数
きょうから支払う
八戸市白銀町大火被災者の火災保険金支払いはきょう一日から三日間白銀小学校で始まる。支払いに先立って三十一日八戸損害保険協和会長石沢清氏は同校を訪問、同地区の保険額その他について次のように語った。
白銀地区は火災保険加入率の低い地域で、こんど保険十八社から支払われるには約百世帯三千万程度だ。このうち同一人の重複加入もあり、実質的には被災者の一割にもみたないと思われ、世帯当たりでは三十万内外になる見込みだ。
支払い日程は一日午後一時から四時まで、二日午前九時から午後四時まで、三日は午前九時より正午まで。
こんどは小中野に放火男現れる
デーリー東北新聞昭和三十六年七月十五日
三人で追跡捕らえる
鮫の漁船員犯行見られ未遂に
放火と目されている八戸市白銀町の大火から半月。その前の一連の放火事件とともに八戸署は必死の捜査を続けているが、そうしたまっただなかで、また放火未遂事件が起こった。今度は河岸?が変わって小中野町の中心地。しかしこの犯人だけは悪運もなくあっさりつかまった。
マキに火つける
十四日午前一時半ころ八戸市小中野新丁、煙突掃除業野田真三美さん(三三)方裏が現場。その時刻野田さんは寝苦しさからフトンを抜け出て台所でお茶を飲んでいた。家の中は真っ暗だったが、
外は隣家の門灯で薄明るい。横の路地をはいいてくる足音がした。酔っぱらいなどが小用をたしにくるのはしょっちゅうなので別段気にもとめないでいたが、現れた男が目の前の軒下にしゃがんだので気取られないようにして見ていた。軒下には取り外したストーブの上にたきつけ用のマキを入れたバケツが置いてある。男はあたりをうかがいながら素早くポケットから小さなものを取り出した。マッチをする音が数回聞こえ、間もなくシューという音とともにメラメラとバケツが燃え上がった。これには野田さんもビックリした。「コラー」とどなって表へ飛び出すと男はあわてて一目散。逃げ足が早くあやうく逃げられるところだったが、ちょうど通りかかった二人の男たちといっしょに追いかけ、八戸署小中野巡査部長派出所近くの旅館の門の中に隠れているのをつかめた。そのまま同派出所へ突きだし、間もなく本署へ送られた。
男は八戸市鮫町字大久喜下柏木森、漁船員高橋文夫(二四)。調べに対して付近のバーで酒を飲んでいたこと、放火の動機はないこと、またこれ以外に放火をやったことがないことなどを自供しているが、犯行がきわめて大胆なことから、同署では同日午後本格的な調べを始めた。
高橋は少年時代に盗み、銃砲刀剣類等所持取り締まり令違反で二度の前歴がある。家族は父親が十数年前に死亡し、祖母、母と兄弟が五人。兄は北洋サケ・マス漁へ出漁中で、文夫はことし一月以来失業して家で畑仕事などを手伝っていた。家族の話では五月初めに家を出たまま帰らず、イカ釣りにでも出ているだろうと思っていたという。
嶋中八戸署長は同日午後記者会見し、①放火の動機やこれ以外の犯行についてはまだわからない②過去の一連の放火事件などについては頑強に否定している③一般市民の協力により未遂で逮捕できたのは幸いだった。こんごも捜査には市民の協力を強くお願いしたいと語った。
逃げ足早かった
野田さんの話
茶を飲んでいると窓越しに男の顔が見えたので、なにしにきたんだろうと思っていたところ、男はタバコをふかしながら周囲をキョロキョロ落ち着かない様子で見回していました。そのうち腰をかがめたので横のガラス戸からのぞくと右手に紙くずを持ち火をつけてバケツに押し込んだんです。びっくりしてあわてて丹前を着、いきなりガラスをあけてつかまえようとしたんですが、その逃げ足の早いこと……。とにかく応援してつかまえてもらってよかったですよ。
連続放火、強く否認
大胆な手口、八警、きびしく追求
十四日午後六時までの調べでわかったことは、高橋は去年十一月上旬から十二月末まで八戸市鮫町忍町佐藤留蔵さんのメヌケ刺し網チャーター船栄久丸(五○トン)に乗り組み北洋へ出漁、その後五月初めまで自宅で畑仕事の手伝いなどをしていたが、夜出歩くこともしばしばで、この間元の雇い主佐藤さん方の自転車を盗むなど素行はよくなかった。五月上旬からは家を出て再び漁船に乗り組むようになったが、同じ船に長く乗ることはなく転々と船をかえ、逮捕前も同市湊町下河原、榎本常太郎さん所有イカ釣り船「第八常丸」で二日間働いただけだった。
八戸署の追求に対し高橋は野田さん方の放火以外は強く否定しているが、同署では①野田さん方の放火未遂の動機がはっきりせず累犯の可能性が十分見られる②手口が初めてにしては大胆すぎるなど以前の犯行も数件あるのではないかと厳しく追及している。また白銀大火当時の行動もとくに重視して調べているが、いまのところはっきりしたアリバイは立っていない。
尚、同署では白銀連続放火の容疑者(現住所不明)として一人を割り出し指名手配をしている。
似た男が捜査線に浮かんだことがある
神刑事部長談
東北管区警察局での東北六県刑事課長・捜査課長会議に出席している県警本部神刑事部長は、十四日放火現行犯でつかまった漁船員高橋文夫と八戸大火の放火容疑について次のように語った。
事件報告を聞いたばかりで、高橋が八戸大火の放 火容疑者か、どうかはこれからの調べの結果を待たなければなんとも言えない。しかし今まで数回発生した八戸地区の放火事件捜査の際、高橋という名はわからなかったが、今度逮捕された高橋の人相、風体に非常に似ていた人間が浮かんだことがあり、捜査を続けていた。したがって今後の取り締まりはこの線に集中し大火の放火犯人割り出しに全力をあげる。
デーリー東北新聞六月十六日
大火と無関係
小中野放火の高橋
当夜は船にいた
十四日午前一時半ごろ八戸市小中野新丁、煙突掃除業野田真三美(三三)方裏手に放火したところを見つかりつかまった同市鮫町大久喜字下柏木森、漁船員高橋文夫(二五)について八戸署は白銀大火及び昨年三月からの連続十二回の放火、同未遂事件との関連を追及していたが、十五日午後になって大火当時のアリバイが成立、大火とは関係がないことがはっきりした。自供によると高橋は大火当日の朝、同市鮫町末広町、漁業安達末松さん所有の第八初栄丸(三九トン)に雇われ夕方まで同船で働いた後、白銀大火出火当時は船内で同僚四、五人とトランプなどしていたという。同署ではただちに当時の乗組員を参考人として呼び事情を聞いたがいずれも高橋の自供を裏づけた。なお、連続放火事件については一応現在有力容疑者として鮫町の漁船員某(二四)・北海道沖に出漁中を同署で割り出し別個に裏づけを行っているが、高橋の手口から今度がはじめてとはみられないのでなお余罪追及を行うとしている。
同僚も一緒にいたとしている
第八初栄丸船主安達さんの話
大火当夜うちの船に乗っていたと聞いたので乗組員を呼んで聞いたところ高橋は確かに一緒にいたと言っていた。高橋は二十九日から五月二日までしか働かずそれっきり船に姿をみせなかったので性格もよくわからない。
高橋連続放火を自供
デーリー東北新聞六月十七日
去年暮れから六件
白銀で
他の七件は否認
八戸市小中野町の放火未遂犯が、ついに白銀連続放火の一部を自供した。
八戸署はさる十四日午前一時半ごろ同市小中野 町新丁、煙突掃除業野田真三美さん(三三)方裏に放火した同市鮫町大久喜生まれ、漁船員高橋文夫(二四)を去年から同市でおきている連続放火に関係あるものとして鋭く追求していたが、高橋は十六日夜になってついに隠しきれず、ことし一月五日から二月二十日までに同市白銀町大沢片平、同三島下地区で五件、去年暮れ同町砂森で一件の放火働いたことを自供した。
去年からことしにかけて白銀町で起きた連続放火事件は大火を含め去年六件今年七件となっているが、去年の分と今年二月二十二日夜十一時十分ごろ同町三島下、漁業島下幸吉さん(七三)方の麦わらニオの放火については否認している。
この自供のうち一月九日の同三島下、とうふ製造業松尾与三郎さん(七九)方放火のさいは与三郎さんの孫中学二年生(一三)と裏手の佐々木与三郎さんの長女キクさん(三九)に姿を見られているが、去年四月五日早朝の放火のさい女魚行商二人が目撃した「犯人らしい男」の風体も高橋とひどく似ており、同署では手口が似ていることとともに去年の放火事件も高橋に間違いないものとみて引き続き調べている。
白銀大火は別人
白銀大火については高橋のアリバイがくずせず高橋の犯行でないことが決定的とみられるので、この容疑者割り出しには特捜班三十人を動員して聞き込みに全力を挙げている。高橋が自供した六件の放火、同未遂事件は次の通り。
◇ 一月五日夜九時ごろ同町大沢片平、海産物商藤井正次さん(五三)方の台所石油コンロのそばにかけてあったタオル五本をのせて放火。(自然消火)
◇ 同夜十時四十分ごろ藤井さん方裏手の農業清水モトさん(四九)方住居から約二十米離れた豚小屋に、そばにおいてあったワラぶとんを二つ折りにして投げ入れ紙切れを使って放火。
◇ 一月九日夜九時ころ、同町三島下、とうふ製造業松尾与三郎さん(七九)方裏十米の便所の前においた竹製背負いカゴにワラ束を置いて放火。(自然消火)
◇ 一月十七日夜七時四十分ごろ三島下、漁船員佐々木与三郎さん(六二)方の麦ワラニオに放火。
◇ 二月二十日夜同町大沢片平建具商佐々木藤吉郎さん(三八)方の便所前で紙くずに火をつけたが燃え上がらず自然消火。
◇ このほかメヌケ刺し網船栄久丸で北洋出漁帰港直後(十二月下旬)同町砂森、八戸水産高校裏手のワラニオに放火したと自供するが、届け出がなかったので未確認。
環境に恵まれずうっぷん晴らしの放火?
自供しただけで六件の放火のあと、白銀大火で市民が不安におののいているさなか、発見の危険をおかしてまで」またも放火した高橋文夫はどんな男だろうか。高橋は犯行の動機について「白銀町で地元の漁船員になぐられ、仕返しに家を焼いてやろうと思った」と言い「家庭的に恵まれずやけくそになっていた」とも言っているが、八戸署の係員は「恵まれぬ環境に育った者の劣等感、社会に対する反抗心、酒と映画にしか楽しみを見いだせぬ漁船員生活の味気なさ、これらが複雑にまじりあって放火にはけ口を見いだしたのが本当のところだろう」といい、大火当時同じ近海モーカ船第八初栄丸で働いた同僚は「あれが放火犯とは信じられない。まじめに働いたし、おとなしい男だ」と言う。しかしその反面、一つの船に長く働くことはなく転々と船を変えて歩いたり、金につまると盗みをしたりの行動も再三で、物事にあきっぽく、衝動性が強い一面もあり、これが孤独感をさらに強め放火に走らせたといえそうだ。
高橋は六人兄弟の二番目、父は終戦直前に病死、現在祖母(七六)母(五三)と妹、弟が家におり、兄(二八)は北洋サケ・マス漁へ出漁中だ。中学校は市立南浜中。成績は下位で、とくに目立つこともない生徒だったが、そのころから盗みぐせがあった。学校を出てから盗みなどで八戸署に補導されたこともある。
親類の某さんの話では家にいるときは別に変わったところもなく畑仕事など懸命に働いていたという。ただ精神年齢が幼稚な所があり、成人してからも時々普通人とはちょっと別な言動をしていたそうだ。家庭環境に恵まれなかったことは事実だが、それが原因でやけくそになったり、うっぷん晴らしに火をつけて歩いたなどとは思ってもいなかったと語っている。
白銀町大火は失火
デーリー東北新聞七月五日
二四歳の大工逮捕
強風さなか 小屋にマッチ捨てる
さる五月二十九日夜の八戸市白銀町大火の原因 を調べていた八戸署は、四日午前八時、重要参考人として同市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)に任意出頭を求め調べた結果、同夜九時過ぎ、当夜出火場所の白銀町大沢片平、水産加工業清水留吉さん(六八)方の物置小屋でタバコを吸ったさいマッチのもえさしを捨てたことを自供したので同十時三十五分重失火罪容疑で逮捕状を執行、身柄を同署に留置した。
自供によると、掛端は去年五月、出火場所から約十五米はなれた水産加工業荒川ツナさん(七二)方=類焼=にムコ入りし、ツナさんの孫経子さん(二四)と結婚したが、最初の一ヶ月に四千五百円入れただけであとは働いた金を全部自分の酒代にあてるなど素行がおさまらず、ツナさんや経子さんのおじ荒川小次郎さんのため別居させられた。その後掛端は東京へ出て働いたが経子さんと子供(一歳)が忘れられず、ヨリを戻すため五月二十三日帰八、二十七日夜同家をたずねて経子さんを連れ出そうと機をうかがううち、タバコを吸いたくなり、清水さん方物置小屋でマッチでタバコに火をつけたが、うっかりしてマッチの軸木が消えないまま炭俵近くに投げ捨てたという。掛端はすぐ小屋を出たが間もなく出火、自分の投げたマッチの燃えさしが原因と気づいたがおそろしくなり、その場から逃げたと言っている。
引き続き動機追及
放火も考えられる
同署は一応自供に基づき重過失罪容疑で掛端を逮捕したが復縁を断られた腹いせに放火したとも考えられるので、引き続き動機を追及している。
マークしていた
神刑事部長 苦しかった捜査
四日夜八時来八した県警本部神刑事部長は夜十一時半記者会見、次のように語った。掛端は大火直後から有力な参考人として捜査線上に浮かんだのでマークし続けていた。このほど更に確証を得たので自供には確信があった。とにかく苦しい捜査だった。
デーリー東北新聞七月七日
失火の線濃くなる
白銀大火 掛端、供述の不自然さ薄らぐ
八戸市白銀大火の重失火容疑者、同市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)を調べている八戸署は、五日に続いて六日もこれまでの自供の疑問点と大火当夜の掛端の行動の細部について追求した。
同署でいままで聞きこんでいる情報は①大火当夜八時から八時半まで火元から道路側に約五十米離れた雑貨商花生繁蔵さん方で焼酎を飲んだ(花生さんの証言)②同十時ごろ出火現場近くをうろついていた(付近の荒川ツナさんの証言)③同十一時五十分の出火時には現場近くにいて「火事だ」と大声で叫んでいた(三島上、漁業磯谷福松さんの証言)④延焼中の午前一時ころ風上二百米の湊町大沢、雑貨商柏商店でタバコを買った(柏さん証言)などで、掛端が午後八時ごろから午前一時ごろまで付近にいたことはほぼ間違いないと見ており、また掛端の自供もこれを裏書きしているが、かんじんの午後十時から出火の十一時五十分までの行動がアイマイだったので、この点に重点をおいて追求した結果、掛端は「出火直前まで清水留吉さん方物置小屋の中にいた」と自供、またこの間退屈しのぎにタバコを三本ほど吸ったことがはっきりした。
何故小屋の中に一時間数十分いたのかまだ判っていないが、当初の供述の不自然さはしだいになくなり、タバコの吸い殻による出火ではないかとみられるに至った。
デーリー東北新聞七月十三日
白銀大火掛端、放火自供
妻と会いたい一心で
追求された行動時間
五月二十九日夜の白銀大火の重失火容疑で七月四日八戸署に逮捕された八戸市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)は最初放火説を頑強に否認していたが、自供に不自然なところがあり、同署でその点を追求していたところ、十一日午後「火元の清水留吉さん方物置小屋の中にあった炭スゴに火をつけた」と放火を認めた。
犯行の動機は、別居中の妻経子さん(二四)と子供に会いたい一心さからで、別居させた経子させた経子さんの祖母荒川ツナさんやおじの荒川小次郎さんを恨んでのものではなかった。掛端は別居後東京で働いていたが経子さんと子供のことが忘れられず、三人そろって東京で暮らそうと決心、五月二十三日帰ってきた。しかし復縁の話が失敗に終わり掛端は東京行きの切符を二枚持って再び経子さんの家を訪ねた。ぜひ会うつもりだったが、経子さんは一歩も外へ出てこない。次第にムシャクシャしてきた掛端の頭にふと一つの考えが浮かんだ。だれもいない清水さん方の小屋に火をつけたら、その騒ぎで出てくるかもしれない。そのときに話をしよう。
真っ暗な小屋の中で手さぐりで炭スゴを引きちぎり、マッチで火をつけた。すぐ外へ飛び出し「火事だ、火事だ」と叫んだが、経子さんはおろか、 近所からも一人も出てこなかった。ものすごい風だけが音を立てていた。心配になった掛端は小屋の中をのぞいてみた。中はもう真っ赤に燃え上がり、手のつけようがなかった。急に恐ろしくなった掛端はそのまま湊町方面へ走ったが、経子さんたちが心配になりまた現場へ引き返した。
以上が放火の自供のあらましだが、捜査当局が初めの失火の自供のうち最も不自然な点として追求したのは、出火当時の掛端の行動時間のあいまいさだった。掛端は最初掛端は小屋の中にタバコの吸い殻を捨ててからそこを出て、約二百米ほど湊町方面へ歩いたうえ、さらに現場へ戻ったらもう火の手が上がっていたと言っていた。しかしタバコ火でわずか十分たらずの内に小屋が燃えあがるということはあまりにも不自然。この点を深く追求されてついに隠しきれず放火を自供した。
昭和三十六年七月二十七日
デーリー東北新聞
掛端起訴される
白銀大火事件
現住建造物放火で
自供と証拠など一致
八戸市白銀大火の放火容疑者が起訴された。青森地検八戸支部はさきに放火容疑で八戸署から追送検された同市小中野中道、大工掛端孝二を拘留期限満了の二十六日午後三時半「現住建造物放火」で起訴した。
白銀大火 放火か? 強制自白か?
デーリー東北新聞より
八戸市民の異常な関心の中で開かれた白銀大火の放火容疑者、同市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)の第一回公判で、掛端は放火はもちろん
火元とみられる物置小屋に一歩も足を踏み入れなかったと起訴事実を真っ向から否認、八戸署および地検八戸支部での取り調べのさいに示した「素直さ」「悔悟」の態度を百八十度転回させ、掛端の犯行と信じて疑わなかった人たちの憤りを買った。
どういう訳か?八戸拘置所では起訴から公判までの一ヶ月、心理的動揺をおそれて他の収容者とは全然接触させなかったが、その間あまりの罪の大きさにおそれをなしたのか?それとも掛端の言う通り捜査当局による文字通りの「強制自白」なのか?にわかにクローズ・アップされてきた大火当時のアリバイを中心に弁護、検察双方の主張とその矛盾点を探ってみよう。
夜十時過ぎは現場に居通し
検察側
五月二十九日午後八時~同十時
・掛端は二十七日に続いて、この日も別れた内妻荒川経子さん(二三)・白銀町大沢片平・とよりを戻そうと経子さんの実家に向かい、途中八時から八時半まで同町雑貨商花生繁蔵さん方で酒を飲んだ。その後荒川さん方前まで入る勇気がないままブラブラし、十時ごろ近くのAさん方に「お宅の便所が風で倒れた」と知らせた(実際は倒れていなかった。時刻は時計が鳴ったから正確とAさんは証言)
三十日午前二時まで
掛端は事情を知るAさん方で経子さんに掛端が来ていることを知らせるものと期待した(らしい)が、いくら待っても経子さんが外出する様子がないので、近くの清水留吉さん方物置小屋に入りタバコ三本ほどを吸ったのち同十一時五十分放火、湊町方面へ逃げた。しかしヤジ馬に怪しまれることを恐れ、引き返し午前零時ころ八戸線の線路をうろついていつところを知人の三島上、漁業Sさんに見られた(Sさんの証言)。さらに延焼中の午前一時ころには火元の風上二百米の湊大沢、雑貨商K商店に立ち寄りタバコを買った。
一方掛端の自宅(小中野中道)では二十九日午後八時ごろ父親三之助さんが焼酎を飲んで就寝、すぐあと母親も寝た。午前二時ころ隣家の人から「白銀が火事だ」と起こされた時、母親がカーテンを隔てた隣室をのぞいたところ掛端のフトンはたたんだままで掛端の姿はなかった(母親の証言)。
家で寝ていた
弁護側
二十九日午後八時~同十時
午後八時半まで花生商店で酒を飲んだあと荒川さん方前でしばらく経子さんの外出を待ったことは検察側の調べ通りだが、その後まっすぐ小中野の自宅へ帰った。帰宅時刻は十時ごろだった。掛端はこの点について最初強硬に言い張ったが相手にされず、問いつめられて失火を自供、さらに放火まで自供させられた。また両親とも最初磐城セメントの十時のサイレンを聞いたころ掛端が帰ってきた(姿を見たのか気配でわかったのかは不明)と供述したが、全市停電でサイレンが鳴るはずがない(磐城セメントは自家発電で鳴らしたという)と取り上げられなかった。
三十日午前六時まで
掛端は十時帰宅後、すぐに就寝、朝まで白銀大火を知らなかった(午前二時両親が隣家から白銀大火を教えられたとき掛端がいなかったという検察側調書についてはハッキリした反論はない)。
以上の双方の主張のなかでまず第一に「掛端が現場付近にいて放火できる状況にあったかなかったか」を決める最大の問題点は、二十九日午後十時~三十日午前二時の掛端の行動だが、一見してわかるようにその対立点は二十九日午後十時に集中的に現れている。一方は現場で「便所が倒れた」とAさんに話しかけ一方では「家に帰って寝た」ことになっており、同時刻に掛端が二㌔も離れた白銀町と小中野に現れている。錯覚でもないかぎりどちらかが嘘の証言をしていることは明らかだが、その信憑性はどうだろうか?
それについて八戸警察署須藤刑事一係長は「掛端の供述は問題外として、Aさんと掛端の両親の証言のどちらが信用できるかと言えば、当然Aさんだ。両親が子をかばうのはあたりまえだが、ウラミもないAさんがなにを好きこのんでウソの証言をするだろうか」と言う。
もとおも浅石弁護人(私撰・既報国選は誤り)のいうように「磐城セメントのサイレンを停電だから鳴るはずがないと取り上げず」両親の最初の供述を調書に書かない捜査当局に多少のミスがないとは言えず、これが弁護側の「両親の供述調書に信憑性なし」との主張の根拠になっている。
弁護側の言う通り、掛端が十時に帰宅し就寝、朝まで白銀大火を知らずにいたのが真実とすれば、三十日午前零時十分ごろ八戸線線路上をうろついていたというSさんの証言、午前一時タバコを買ったというK商店の証言、午前二時ごろ隣家の人から「白銀が火事だ」と起こされ隣室をのぞいたところ「孝二はまだ帰っていなかった」という母親の供述(検察側)はまったくウソなのか…という疑問が浮かぶ。
また掛端は清水留吉さん方の物置小屋の薪、炭俵などの位置について詳細に供述しているが、この供述は清水さんの説明に完全に一致、明らかに物置小屋に入らなければわからない状況だったという。しかもこの供述を取った取り調べ官は小屋のなかの物品配置状況を全く知らず、供述と実況見分調書とをつきあわせてみて初めて一致していることがわかったほどだという。「これだけの証言事実が我々の手で作りあげられるものではない。否認するにしても、これはいかにもまずい否認の仕方だ」(嶋中八戸署長の話)というように、弁護側の反論は客観的にかなり矛盾の多いものであることは否定できないようだ。
「強制自白」の反論を予期して八戸署は掛端の自供の一切を録音し送検しているが、今後の公判の過程で両者の言い分の矛盾点は徐々に明らかにされてゆくにちがいない。(T)
掛端有利証言えられず
サイレンは鳴ったデーリー東北新聞
白銀大火三回公判別れた妻ら証人に
八戸市白銀大火容疑者、同市小中野中道、大工掛端孝二(二五)の第三回公判は十六日午前十一時十五分から青森地裁八戸支部で川越裁判長係り、石川検事、浅石弁護人立ち会いで開かれ、弁護側申請の九証人、検事側一証人の証言が行われた。弁護人は①掛端の義母山本ハルさんが警察、検察での陳述をくつがえし、出火前の五月二十九日午後十時ごろに被告が帰宅し、そのとき磐城セメントのサイレンが停電中にもかかわらず自家発電で鳴らされたこと②内妻の荒川経子さんと離婚したさいケンカ、口論のゴタゴタはなく、復縁が放火の動機となりえないことなどの立証が目的だったが、磐城セメント八戸工場守衛古川勇造さん(三九)がサイレンが鳴ったことをほぼ裏付けたほかは決め手になるような証言は得られず、掛端のアリバイを証明する新しい証人申請も行われなかった。
公判は前回弁護側が申請した証人のうち検察側証人と重複した四人についてはすでに現場で事情聴取が終わっているので残りの浦内すみさん(二四)・白銀町浜崖▼寺戸悦子さん(三六)・同大沢片平▼田村ゆわさん(五六)同▼荒川ツナさん(七四)同三島上▼荒川経子さん(二三)同▼荒川小次郎さん(四八)同三島下▼清水モトさん(四八)同▼荒川キクさん(五○)同大沢片平▼古川勇造さん(三九)湊町ホロキ長根の九人について証人調べが行われた。おもな証言次の通り。◇古川証人(磐城セメント八戸工場守衛)
問い(浅石弁護人)白銀大火の五月二十九日夜十時にはふつうの日のようにセメントのサイレンは鳴ったか。
答 自家発電しているから鳴らしたはずです。
問い サイレンは一日何回鳴るか。
答 午前七時、八時、正午、午後一時、四時、十時の六回鳴ります。
問い その日午後十時に鳴ったのを自分で聞いたか
答 よく記憶していません
問 鳴らなかったらわかるか
答 上司から注意があるはずですが、その時はなかったので鳴ったのではないかと思います
◇ 浦内証人(無職)
問い 掛端被告を知っているか
答え 夫が大工なので五年くらい前から知っています
問い 掛端が去年上京したのを知っているか
答え 知っています
問い 東京へ行く前にゴタゴタがあったのを聞いているか
答え 聞いていません
問い 掛端が帰八後あなたの家をたずねたというが、五月二十九日朝十時ごろ掛端はなんと言っていたか
答え 「きょうあたり東京へ行きたい」と言っていました。
問い 東京から帰八後、荒川さん方に対してとくに変わった気持ちを抱いていたということは…
答え わかりません、しかし経子さんいは会いたいと言っていました。
問い また一緒になりたいというようなことは言っていなかったか
答え ただ会いたいと言っていただけです
◇ 荒川経子証人(無職)
問い 孝二君(被告)と別れることがはっきり決まったのはいつか
答え 去年十一月頃です
問い 孝二君が九月上京したあとか
答え そうです
問い どういう風に話し合いをつけたのか
答え 手紙のやりとりで決めました
問い ケンカ口論で別れたということは
答え ありません
問い なぜ別れたのか
答え 働きに出ても金を家に入れないからです
問い 大火の翌日避難先に孝二君が来たか
答え 来ました。朝二度来て二度目にパンを置いて行ったそうですが話はかわしませんでした
このあと弁護側から荒川経子さん方の避難先、狭間まつのほか一人の証人喚問、掛端の実家の検証を申請、検事側から掛端の実父三之助さんの供述調書提出の後、足取り確認のための実地検証、掛端とその両親の調べに立ち会った地検八戸支部の田中庄市検察事務官の証人申請があった。川越裁判長は双方申請の三人の証人調べを十一月六日に行うことを決め(検証は保留)最後に検察側工藤忠一郎証人(四七)八戸署鑑識係長の実況見分調書二通の確認証言があって午後四時閉廷 この事件は警察が短時間で犯人を挙げ能力の高さを示した。最近八戸の床屋の女主人殺しも解決。女子中学生殺しは時効が近づく。これも解決してもらいたいもの。
ところが本部は発生しないと断言はできないという。古い家屋が密集している場がいまだにある。特に小中野地区、陸奥湊地区は注意を要するとのこと。言われてみると旧市内にも木造の外壁の家を見る。トタンで囲ったような家もあり、観点を変えるとまだまだ安心はできないのかも。
しかしながら、消防車の能力は格段に向上したそうだ。現場に到着してすぐ放水できる。前は、圧力を高める時間を要したそうだ。
技術の向上が火事を防ぐ役に立つ。
当時の消防車数は二十九台、現在は八十六台、広域になったので消防署、分遣所も増加。当然消火栓数も増えた。初期消火が重要で、昨今は家庭でも小型消火器を備える家も増えたがテンプラ鍋に火が入ると気が動転、あらぬことをしがちだが、あせらずあわてず消火せよ。火事と救急は一一九だが、先ず火の元用心が江戸の昔から大事なのは変わらない。消防本部の資料に海上自衛隊が給水車一両、化学消防車二両、消防車一両が出場したとある。水産高校付近には米軍の燃料基地があったそうだ。現在はないとのこと。思わぬところに危険なもの、鉄道貨物車にも危険物、爆発可燃物を運ぶものもあり、危険は変な形で増大しているのかも。さて、時系列で大火を検証。
白銀大火 前日に怪電話
デーリー東北新聞
今晩家を……て一家を皆殺しに
十七、八歳? キンキンした声で
約千世帯を焼き尽くした八戸市白銀町大火の原因について八戸署は当夜の状況と過去の一連の放火事件地域の中心が出火場所と推定されることなどから、放火の線も濃厚だとみて捜査を続けている。大火前日に出火場所から西側約百米にある煮干し販売業安保与作さん(五十)方へ「一家皆殺しにする…」と怪電話があった事実がわかり、この電話とこれまでの放火、そして今度の大火が関連あるのではないかと地元民たちは言っている。
「おぼえない」煮干し屋さん語る
怪電話のあったのは大火前日日曜日の二十八日午前九時ころ、このとき安保さんの長女よし子ちゃん(八歳)・湊小学校三年が電話をとった。(安保さん夫婦は陸奥湊駅前で早朝から煮干し販売しているので電話に出ることがこれまでも多かった)電話を聞いたよし子ちゃんが「おっかない」と丁度家にいた安保さんを呼び、安保さんが代わって電話口に出た。電話の主はキンキンとかん高い中学生かそれより少し上の十七、八らしい男とも女ともとれるような声で「今晩十二時に家を…て(よく聞きとれず)一家を皆殺しにしてやる」と言い電話を切った。この電話より約十五分前にも電話があり、安保さんが出ると相手はただ「あっ、間違った」と切った。二回の電話の声は似ていたが安保さんは長男(高校生)か次男(中学生)の友人がいたずらしたのだろうと思ったと言っている。
その後家族に聞いても知らないというので」、安保さん一家は恐ろしくなり、その夜九時すぎ一一○番に通報した。その夜は私服警官と白銀防犯協会員が警戒したがなにごともなかった。同夜は十時ごろから十二時ごろまでぱらぱら程度の雨が降った。
翌二十九日安保さん夫婦は商売を休んで家にたてこもった。そして同夜十一時五十分ころ近くでの出火となったわけだが安保さん一家は怪電話とこの火事と関連があるのではないかと言っている。安保さん一家は人に恨みを買うようなことは全然なく、電話の声にも聞き覚えがないという。安保さんの家は湊町大沢片平の道路南側で、大火で焼けた同町内の若狭建具店から湊町寄りに八軒目、①出火場所と推定されている大沢片平二六の漁船員清水留吉さん(六六)方物置小屋付近から約百米のところ②電話加入表示番号札のある玄関は道路から少し入って湊町側。安保さん方の事情を知った者のいたずらか、単に電話番号簿で調べ出したのか③二回の電話の声が似ており④今夜なになにしてというのが放火してを意味していたのではないか…などから、付近の人たちも大火と怪電話を結びつけて考え、もし放火によるものだとしたら一日も早く放火魔をとらえてくれるように捜査当局に強く望んでいる。
…は放火?
安保与作さんの話、幸い火事では焼けなかったが、人に恨まれるようなことはしていない。怪電話の声はキンキンしていた。電話があってから恐ろしくて仕事に出られず、女房と二人とも仕事を休んだ。「家をなんとかして…」というのは火をつけるとか焼くとかの意味ではないかと思っている。
火災保険加入ごく少数
きょうから支払う
八戸市白銀町大火被災者の火災保険金支払いはきょう一日から三日間白銀小学校で始まる。支払いに先立って三十一日八戸損害保険協和会長石沢清氏は同校を訪問、同地区の保険額その他について次のように語った。
白銀地区は火災保険加入率の低い地域で、こんど保険十八社から支払われるには約百世帯三千万程度だ。このうち同一人の重複加入もあり、実質的には被災者の一割にもみたないと思われ、世帯当たりでは三十万内外になる見込みだ。
支払い日程は一日午後一時から四時まで、二日午前九時から午後四時まで、三日は午前九時より正午まで。
こんどは小中野に放火男現れる
デーリー東北新聞昭和三十六年七月十五日
三人で追跡捕らえる
鮫の漁船員犯行見られ未遂に
放火と目されている八戸市白銀町の大火から半月。その前の一連の放火事件とともに八戸署は必死の捜査を続けているが、そうしたまっただなかで、また放火未遂事件が起こった。今度は河岸?が変わって小中野町の中心地。しかしこの犯人だけは悪運もなくあっさりつかまった。
マキに火つける
十四日午前一時半ころ八戸市小中野新丁、煙突掃除業野田真三美さん(三三)方裏が現場。その時刻野田さんは寝苦しさからフトンを抜け出て台所でお茶を飲んでいた。家の中は真っ暗だったが、
外は隣家の門灯で薄明るい。横の路地をはいいてくる足音がした。酔っぱらいなどが小用をたしにくるのはしょっちゅうなので別段気にもとめないでいたが、現れた男が目の前の軒下にしゃがんだので気取られないようにして見ていた。軒下には取り外したストーブの上にたきつけ用のマキを入れたバケツが置いてある。男はあたりをうかがいながら素早くポケットから小さなものを取り出した。マッチをする音が数回聞こえ、間もなくシューという音とともにメラメラとバケツが燃え上がった。これには野田さんもビックリした。「コラー」とどなって表へ飛び出すと男はあわてて一目散。逃げ足が早くあやうく逃げられるところだったが、ちょうど通りかかった二人の男たちといっしょに追いかけ、八戸署小中野巡査部長派出所近くの旅館の門の中に隠れているのをつかめた。そのまま同派出所へ突きだし、間もなく本署へ送られた。
男は八戸市鮫町字大久喜下柏木森、漁船員高橋文夫(二四)。調べに対して付近のバーで酒を飲んでいたこと、放火の動機はないこと、またこれ以外に放火をやったことがないことなどを自供しているが、犯行がきわめて大胆なことから、同署では同日午後本格的な調べを始めた。
高橋は少年時代に盗み、銃砲刀剣類等所持取り締まり令違反で二度の前歴がある。家族は父親が十数年前に死亡し、祖母、母と兄弟が五人。兄は北洋サケ・マス漁へ出漁中で、文夫はことし一月以来失業して家で畑仕事などを手伝っていた。家族の話では五月初めに家を出たまま帰らず、イカ釣りにでも出ているだろうと思っていたという。
嶋中八戸署長は同日午後記者会見し、①放火の動機やこれ以外の犯行についてはまだわからない②過去の一連の放火事件などについては頑強に否定している③一般市民の協力により未遂で逮捕できたのは幸いだった。こんごも捜査には市民の協力を強くお願いしたいと語った。
逃げ足早かった
野田さんの話
茶を飲んでいると窓越しに男の顔が見えたので、なにしにきたんだろうと思っていたところ、男はタバコをふかしながら周囲をキョロキョロ落ち着かない様子で見回していました。そのうち腰をかがめたので横のガラス戸からのぞくと右手に紙くずを持ち火をつけてバケツに押し込んだんです。びっくりしてあわてて丹前を着、いきなりガラスをあけてつかまえようとしたんですが、その逃げ足の早いこと……。とにかく応援してつかまえてもらってよかったですよ。
連続放火、強く否認
大胆な手口、八警、きびしく追求
十四日午後六時までの調べでわかったことは、高橋は去年十一月上旬から十二月末まで八戸市鮫町忍町佐藤留蔵さんのメヌケ刺し網チャーター船栄久丸(五○トン)に乗り組み北洋へ出漁、その後五月初めまで自宅で畑仕事の手伝いなどをしていたが、夜出歩くこともしばしばで、この間元の雇い主佐藤さん方の自転車を盗むなど素行はよくなかった。五月上旬からは家を出て再び漁船に乗り組むようになったが、同じ船に長く乗ることはなく転々と船をかえ、逮捕前も同市湊町下河原、榎本常太郎さん所有イカ釣り船「第八常丸」で二日間働いただけだった。
八戸署の追求に対し高橋は野田さん方の放火以外は強く否定しているが、同署では①野田さん方の放火未遂の動機がはっきりせず累犯の可能性が十分見られる②手口が初めてにしては大胆すぎるなど以前の犯行も数件あるのではないかと厳しく追及している。また白銀大火当時の行動もとくに重視して調べているが、いまのところはっきりしたアリバイは立っていない。
尚、同署では白銀連続放火の容疑者(現住所不明)として一人を割り出し指名手配をしている。
似た男が捜査線に浮かんだことがある
神刑事部長談
東北管区警察局での東北六県刑事課長・捜査課長会議に出席している県警本部神刑事部長は、十四日放火現行犯でつかまった漁船員高橋文夫と八戸大火の放火容疑について次のように語った。
事件報告を聞いたばかりで、高橋が八戸大火の放 火容疑者か、どうかはこれからの調べの結果を待たなければなんとも言えない。しかし今まで数回発生した八戸地区の放火事件捜査の際、高橋という名はわからなかったが、今度逮捕された高橋の人相、風体に非常に似ていた人間が浮かんだことがあり、捜査を続けていた。したがって今後の取り締まりはこの線に集中し大火の放火犯人割り出しに全力をあげる。
デーリー東北新聞六月十六日
大火と無関係
小中野放火の高橋
当夜は船にいた
十四日午前一時半ごろ八戸市小中野新丁、煙突掃除業野田真三美(三三)方裏手に放火したところを見つかりつかまった同市鮫町大久喜字下柏木森、漁船員高橋文夫(二五)について八戸署は白銀大火及び昨年三月からの連続十二回の放火、同未遂事件との関連を追及していたが、十五日午後になって大火当時のアリバイが成立、大火とは関係がないことがはっきりした。自供によると高橋は大火当日の朝、同市鮫町末広町、漁業安達末松さん所有の第八初栄丸(三九トン)に雇われ夕方まで同船で働いた後、白銀大火出火当時は船内で同僚四、五人とトランプなどしていたという。同署ではただちに当時の乗組員を参考人として呼び事情を聞いたがいずれも高橋の自供を裏づけた。なお、連続放火事件については一応現在有力容疑者として鮫町の漁船員某(二四)・北海道沖に出漁中を同署で割り出し別個に裏づけを行っているが、高橋の手口から今度がはじめてとはみられないのでなお余罪追及を行うとしている。
同僚も一緒にいたとしている
第八初栄丸船主安達さんの話
大火当夜うちの船に乗っていたと聞いたので乗組員を呼んで聞いたところ高橋は確かに一緒にいたと言っていた。高橋は二十九日から五月二日までしか働かずそれっきり船に姿をみせなかったので性格もよくわからない。
高橋連続放火を自供
デーリー東北新聞六月十七日
去年暮れから六件
白銀で
他の七件は否認
八戸市小中野町の放火未遂犯が、ついに白銀連続放火の一部を自供した。
八戸署はさる十四日午前一時半ごろ同市小中野 町新丁、煙突掃除業野田真三美さん(三三)方裏に放火した同市鮫町大久喜生まれ、漁船員高橋文夫(二四)を去年から同市でおきている連続放火に関係あるものとして鋭く追求していたが、高橋は十六日夜になってついに隠しきれず、ことし一月五日から二月二十日までに同市白銀町大沢片平、同三島下地区で五件、去年暮れ同町砂森で一件の放火働いたことを自供した。
去年からことしにかけて白銀町で起きた連続放火事件は大火を含め去年六件今年七件となっているが、去年の分と今年二月二十二日夜十一時十分ごろ同町三島下、漁業島下幸吉さん(七三)方の麦わらニオの放火については否認している。
この自供のうち一月九日の同三島下、とうふ製造業松尾与三郎さん(七九)方放火のさいは与三郎さんの孫中学二年生(一三)と裏手の佐々木与三郎さんの長女キクさん(三九)に姿を見られているが、去年四月五日早朝の放火のさい女魚行商二人が目撃した「犯人らしい男」の風体も高橋とひどく似ており、同署では手口が似ていることとともに去年の放火事件も高橋に間違いないものとみて引き続き調べている。
白銀大火は別人
白銀大火については高橋のアリバイがくずせず高橋の犯行でないことが決定的とみられるので、この容疑者割り出しには特捜班三十人を動員して聞き込みに全力を挙げている。高橋が自供した六件の放火、同未遂事件は次の通り。
◇ 一月五日夜九時ごろ同町大沢片平、海産物商藤井正次さん(五三)方の台所石油コンロのそばにかけてあったタオル五本をのせて放火。(自然消火)
◇ 同夜十時四十分ごろ藤井さん方裏手の農業清水モトさん(四九)方住居から約二十米離れた豚小屋に、そばにおいてあったワラぶとんを二つ折りにして投げ入れ紙切れを使って放火。
◇ 一月九日夜九時ころ、同町三島下、とうふ製造業松尾与三郎さん(七九)方裏十米の便所の前においた竹製背負いカゴにワラ束を置いて放火。(自然消火)
◇ 一月十七日夜七時四十分ごろ三島下、漁船員佐々木与三郎さん(六二)方の麦ワラニオに放火。
◇ 二月二十日夜同町大沢片平建具商佐々木藤吉郎さん(三八)方の便所前で紙くずに火をつけたが燃え上がらず自然消火。
◇ このほかメヌケ刺し網船栄久丸で北洋出漁帰港直後(十二月下旬)同町砂森、八戸水産高校裏手のワラニオに放火したと自供するが、届け出がなかったので未確認。
環境に恵まれずうっぷん晴らしの放火?
自供しただけで六件の放火のあと、白銀大火で市民が不安におののいているさなか、発見の危険をおかしてまで」またも放火した高橋文夫はどんな男だろうか。高橋は犯行の動機について「白銀町で地元の漁船員になぐられ、仕返しに家を焼いてやろうと思った」と言い「家庭的に恵まれずやけくそになっていた」とも言っているが、八戸署の係員は「恵まれぬ環境に育った者の劣等感、社会に対する反抗心、酒と映画にしか楽しみを見いだせぬ漁船員生活の味気なさ、これらが複雑にまじりあって放火にはけ口を見いだしたのが本当のところだろう」といい、大火当時同じ近海モーカ船第八初栄丸で働いた同僚は「あれが放火犯とは信じられない。まじめに働いたし、おとなしい男だ」と言う。しかしその反面、一つの船に長く働くことはなく転々と船を変えて歩いたり、金につまると盗みをしたりの行動も再三で、物事にあきっぽく、衝動性が強い一面もあり、これが孤独感をさらに強め放火に走らせたといえそうだ。
高橋は六人兄弟の二番目、父は終戦直前に病死、現在祖母(七六)母(五三)と妹、弟が家におり、兄(二八)は北洋サケ・マス漁へ出漁中だ。中学校は市立南浜中。成績は下位で、とくに目立つこともない生徒だったが、そのころから盗みぐせがあった。学校を出てから盗みなどで八戸署に補導されたこともある。
親類の某さんの話では家にいるときは別に変わったところもなく畑仕事など懸命に働いていたという。ただ精神年齢が幼稚な所があり、成人してからも時々普通人とはちょっと別な言動をしていたそうだ。家庭環境に恵まれなかったことは事実だが、それが原因でやけくそになったり、うっぷん晴らしに火をつけて歩いたなどとは思ってもいなかったと語っている。
白銀町大火は失火
デーリー東北新聞七月五日
二四歳の大工逮捕
強風さなか 小屋にマッチ捨てる
さる五月二十九日夜の八戸市白銀町大火の原因 を調べていた八戸署は、四日午前八時、重要参考人として同市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)に任意出頭を求め調べた結果、同夜九時過ぎ、当夜出火場所の白銀町大沢片平、水産加工業清水留吉さん(六八)方の物置小屋でタバコを吸ったさいマッチのもえさしを捨てたことを自供したので同十時三十五分重失火罪容疑で逮捕状を執行、身柄を同署に留置した。
自供によると、掛端は去年五月、出火場所から約十五米はなれた水産加工業荒川ツナさん(七二)方=類焼=にムコ入りし、ツナさんの孫経子さん(二四)と結婚したが、最初の一ヶ月に四千五百円入れただけであとは働いた金を全部自分の酒代にあてるなど素行がおさまらず、ツナさんや経子さんのおじ荒川小次郎さんのため別居させられた。その後掛端は東京へ出て働いたが経子さんと子供(一歳)が忘れられず、ヨリを戻すため五月二十三日帰八、二十七日夜同家をたずねて経子さんを連れ出そうと機をうかがううち、タバコを吸いたくなり、清水さん方物置小屋でマッチでタバコに火をつけたが、うっかりしてマッチの軸木が消えないまま炭俵近くに投げ捨てたという。掛端はすぐ小屋を出たが間もなく出火、自分の投げたマッチの燃えさしが原因と気づいたがおそろしくなり、その場から逃げたと言っている。
引き続き動機追及
放火も考えられる
同署は一応自供に基づき重過失罪容疑で掛端を逮捕したが復縁を断られた腹いせに放火したとも考えられるので、引き続き動機を追及している。
マークしていた
神刑事部長 苦しかった捜査
四日夜八時来八した県警本部神刑事部長は夜十一時半記者会見、次のように語った。掛端は大火直後から有力な参考人として捜査線上に浮かんだのでマークし続けていた。このほど更に確証を得たので自供には確信があった。とにかく苦しい捜査だった。
デーリー東北新聞七月七日
失火の線濃くなる
白銀大火 掛端、供述の不自然さ薄らぐ
八戸市白銀大火の重失火容疑者、同市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)を調べている八戸署は、五日に続いて六日もこれまでの自供の疑問点と大火当夜の掛端の行動の細部について追求した。
同署でいままで聞きこんでいる情報は①大火当夜八時から八時半まで火元から道路側に約五十米離れた雑貨商花生繁蔵さん方で焼酎を飲んだ(花生さんの証言)②同十時ごろ出火現場近くをうろついていた(付近の荒川ツナさんの証言)③同十一時五十分の出火時には現場近くにいて「火事だ」と大声で叫んでいた(三島上、漁業磯谷福松さんの証言)④延焼中の午前一時ころ風上二百米の湊町大沢、雑貨商柏商店でタバコを買った(柏さん証言)などで、掛端が午後八時ごろから午前一時ごろまで付近にいたことはほぼ間違いないと見ており、また掛端の自供もこれを裏書きしているが、かんじんの午後十時から出火の十一時五十分までの行動がアイマイだったので、この点に重点をおいて追求した結果、掛端は「出火直前まで清水留吉さん方物置小屋の中にいた」と自供、またこの間退屈しのぎにタバコを三本ほど吸ったことがはっきりした。
何故小屋の中に一時間数十分いたのかまだ判っていないが、当初の供述の不自然さはしだいになくなり、タバコの吸い殻による出火ではないかとみられるに至った。
デーリー東北新聞七月十三日
白銀大火掛端、放火自供
妻と会いたい一心で
追求された行動時間
五月二十九日夜の白銀大火の重失火容疑で七月四日八戸署に逮捕された八戸市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)は最初放火説を頑強に否認していたが、自供に不自然なところがあり、同署でその点を追求していたところ、十一日午後「火元の清水留吉さん方物置小屋の中にあった炭スゴに火をつけた」と放火を認めた。
犯行の動機は、別居中の妻経子さん(二四)と子供に会いたい一心さからで、別居させた経子させた経子さんの祖母荒川ツナさんやおじの荒川小次郎さんを恨んでのものではなかった。掛端は別居後東京で働いていたが経子さんと子供のことが忘れられず、三人そろって東京で暮らそうと決心、五月二十三日帰ってきた。しかし復縁の話が失敗に終わり掛端は東京行きの切符を二枚持って再び経子さんの家を訪ねた。ぜひ会うつもりだったが、経子さんは一歩も外へ出てこない。次第にムシャクシャしてきた掛端の頭にふと一つの考えが浮かんだ。だれもいない清水さん方の小屋に火をつけたら、その騒ぎで出てくるかもしれない。そのときに話をしよう。
真っ暗な小屋の中で手さぐりで炭スゴを引きちぎり、マッチで火をつけた。すぐ外へ飛び出し「火事だ、火事だ」と叫んだが、経子さんはおろか、 近所からも一人も出てこなかった。ものすごい風だけが音を立てていた。心配になった掛端は小屋の中をのぞいてみた。中はもう真っ赤に燃え上がり、手のつけようがなかった。急に恐ろしくなった掛端はそのまま湊町方面へ走ったが、経子さんたちが心配になりまた現場へ引き返した。
以上が放火の自供のあらましだが、捜査当局が初めの失火の自供のうち最も不自然な点として追求したのは、出火当時の掛端の行動時間のあいまいさだった。掛端は最初掛端は小屋の中にタバコの吸い殻を捨ててからそこを出て、約二百米ほど湊町方面へ歩いたうえ、さらに現場へ戻ったらもう火の手が上がっていたと言っていた。しかしタバコ火でわずか十分たらずの内に小屋が燃えあがるということはあまりにも不自然。この点を深く追求されてついに隠しきれず放火を自供した。
昭和三十六年七月二十七日
デーリー東北新聞
掛端起訴される
白銀大火事件
現住建造物放火で
自供と証拠など一致
八戸市白銀大火の放火容疑者が起訴された。青森地検八戸支部はさきに放火容疑で八戸署から追送検された同市小中野中道、大工掛端孝二を拘留期限満了の二十六日午後三時半「現住建造物放火」で起訴した。
白銀大火 放火か? 強制自白か?
デーリー東北新聞より
八戸市民の異常な関心の中で開かれた白銀大火の放火容疑者、同市小中野町中道、大工掛端孝二(二四)の第一回公判で、掛端は放火はもちろん
火元とみられる物置小屋に一歩も足を踏み入れなかったと起訴事実を真っ向から否認、八戸署および地検八戸支部での取り調べのさいに示した「素直さ」「悔悟」の態度を百八十度転回させ、掛端の犯行と信じて疑わなかった人たちの憤りを買った。
どういう訳か?八戸拘置所では起訴から公判までの一ヶ月、心理的動揺をおそれて他の収容者とは全然接触させなかったが、その間あまりの罪の大きさにおそれをなしたのか?それとも掛端の言う通り捜査当局による文字通りの「強制自白」なのか?にわかにクローズ・アップされてきた大火当時のアリバイを中心に弁護、検察双方の主張とその矛盾点を探ってみよう。
夜十時過ぎは現場に居通し
検察側
五月二十九日午後八時~同十時
・掛端は二十七日に続いて、この日も別れた内妻荒川経子さん(二三)・白銀町大沢片平・とよりを戻そうと経子さんの実家に向かい、途中八時から八時半まで同町雑貨商花生繁蔵さん方で酒を飲んだ。その後荒川さん方前まで入る勇気がないままブラブラし、十時ごろ近くのAさん方に「お宅の便所が風で倒れた」と知らせた(実際は倒れていなかった。時刻は時計が鳴ったから正確とAさんは証言)
三十日午前二時まで
掛端は事情を知るAさん方で経子さんに掛端が来ていることを知らせるものと期待した(らしい)が、いくら待っても経子さんが外出する様子がないので、近くの清水留吉さん方物置小屋に入りタバコ三本ほどを吸ったのち同十一時五十分放火、湊町方面へ逃げた。しかしヤジ馬に怪しまれることを恐れ、引き返し午前零時ころ八戸線の線路をうろついていつところを知人の三島上、漁業Sさんに見られた(Sさんの証言)。さらに延焼中の午前一時ころには火元の風上二百米の湊大沢、雑貨商K商店に立ち寄りタバコを買った。
一方掛端の自宅(小中野中道)では二十九日午後八時ごろ父親三之助さんが焼酎を飲んで就寝、すぐあと母親も寝た。午前二時ころ隣家の人から「白銀が火事だ」と起こされた時、母親がカーテンを隔てた隣室をのぞいたところ掛端のフトンはたたんだままで掛端の姿はなかった(母親の証言)。
家で寝ていた
弁護側
二十九日午後八時~同十時
午後八時半まで花生商店で酒を飲んだあと荒川さん方前でしばらく経子さんの外出を待ったことは検察側の調べ通りだが、その後まっすぐ小中野の自宅へ帰った。帰宅時刻は十時ごろだった。掛端はこの点について最初強硬に言い張ったが相手にされず、問いつめられて失火を自供、さらに放火まで自供させられた。また両親とも最初磐城セメントの十時のサイレンを聞いたころ掛端が帰ってきた(姿を見たのか気配でわかったのかは不明)と供述したが、全市停電でサイレンが鳴るはずがない(磐城セメントは自家発電で鳴らしたという)と取り上げられなかった。
三十日午前六時まで
掛端は十時帰宅後、すぐに就寝、朝まで白銀大火を知らなかった(午前二時両親が隣家から白銀大火を教えられたとき掛端がいなかったという検察側調書についてはハッキリした反論はない)。
以上の双方の主張のなかでまず第一に「掛端が現場付近にいて放火できる状況にあったかなかったか」を決める最大の問題点は、二十九日午後十時~三十日午前二時の掛端の行動だが、一見してわかるようにその対立点は二十九日午後十時に集中的に現れている。一方は現場で「便所が倒れた」とAさんに話しかけ一方では「家に帰って寝た」ことになっており、同時刻に掛端が二㌔も離れた白銀町と小中野に現れている。錯覚でもないかぎりどちらかが嘘の証言をしていることは明らかだが、その信憑性はどうだろうか?
それについて八戸警察署須藤刑事一係長は「掛端の供述は問題外として、Aさんと掛端の両親の証言のどちらが信用できるかと言えば、当然Aさんだ。両親が子をかばうのはあたりまえだが、ウラミもないAさんがなにを好きこのんでウソの証言をするだろうか」と言う。
もとおも浅石弁護人(私撰・既報国選は誤り)のいうように「磐城セメントのサイレンを停電だから鳴るはずがないと取り上げず」両親の最初の供述を調書に書かない捜査当局に多少のミスがないとは言えず、これが弁護側の「両親の供述調書に信憑性なし」との主張の根拠になっている。
弁護側の言う通り、掛端が十時に帰宅し就寝、朝まで白銀大火を知らずにいたのが真実とすれば、三十日午前零時十分ごろ八戸線線路上をうろついていたというSさんの証言、午前一時タバコを買ったというK商店の証言、午前二時ごろ隣家の人から「白銀が火事だ」と起こされ隣室をのぞいたところ「孝二はまだ帰っていなかった」という母親の供述(検察側)はまったくウソなのか…という疑問が浮かぶ。
また掛端は清水留吉さん方の物置小屋の薪、炭俵などの位置について詳細に供述しているが、この供述は清水さんの説明に完全に一致、明らかに物置小屋に入らなければわからない状況だったという。しかもこの供述を取った取り調べ官は小屋のなかの物品配置状況を全く知らず、供述と実況見分調書とをつきあわせてみて初めて一致していることがわかったほどだという。「これだけの証言事実が我々の手で作りあげられるものではない。否認するにしても、これはいかにもまずい否認の仕方だ」(嶋中八戸署長の話)というように、弁護側の反論は客観的にかなり矛盾の多いものであることは否定できないようだ。
「強制自白」の反論を予期して八戸署は掛端の自供の一切を録音し送検しているが、今後の公判の過程で両者の言い分の矛盾点は徐々に明らかにされてゆくにちがいない。(T)
掛端有利証言えられず
サイレンは鳴ったデーリー東北新聞
白銀大火三回公判別れた妻ら証人に
八戸市白銀大火容疑者、同市小中野中道、大工掛端孝二(二五)の第三回公判は十六日午前十一時十五分から青森地裁八戸支部で川越裁判長係り、石川検事、浅石弁護人立ち会いで開かれ、弁護側申請の九証人、検事側一証人の証言が行われた。弁護人は①掛端の義母山本ハルさんが警察、検察での陳述をくつがえし、出火前の五月二十九日午後十時ごろに被告が帰宅し、そのとき磐城セメントのサイレンが停電中にもかかわらず自家発電で鳴らされたこと②内妻の荒川経子さんと離婚したさいケンカ、口論のゴタゴタはなく、復縁が放火の動機となりえないことなどの立証が目的だったが、磐城セメント八戸工場守衛古川勇造さん(三九)がサイレンが鳴ったことをほぼ裏付けたほかは決め手になるような証言は得られず、掛端のアリバイを証明する新しい証人申請も行われなかった。
公判は前回弁護側が申請した証人のうち検察側証人と重複した四人についてはすでに現場で事情聴取が終わっているので残りの浦内すみさん(二四)・白銀町浜崖▼寺戸悦子さん(三六)・同大沢片平▼田村ゆわさん(五六)同▼荒川ツナさん(七四)同三島上▼荒川経子さん(二三)同▼荒川小次郎さん(四八)同三島下▼清水モトさん(四八)同▼荒川キクさん(五○)同大沢片平▼古川勇造さん(三九)湊町ホロキ長根の九人について証人調べが行われた。おもな証言次の通り。◇古川証人(磐城セメント八戸工場守衛)
問い(浅石弁護人)白銀大火の五月二十九日夜十時にはふつうの日のようにセメントのサイレンは鳴ったか。
答 自家発電しているから鳴らしたはずです。
問い サイレンは一日何回鳴るか。
答 午前七時、八時、正午、午後一時、四時、十時の六回鳴ります。
問い その日午後十時に鳴ったのを自分で聞いたか
答 よく記憶していません
問 鳴らなかったらわかるか
答 上司から注意があるはずですが、その時はなかったので鳴ったのではないかと思います
◇ 浦内証人(無職)
問い 掛端被告を知っているか
答え 夫が大工なので五年くらい前から知っています
問い 掛端が去年上京したのを知っているか
答え 知っています
問い 東京へ行く前にゴタゴタがあったのを聞いているか
答え 聞いていません
問い 掛端が帰八後あなたの家をたずねたというが、五月二十九日朝十時ごろ掛端はなんと言っていたか
答え 「きょうあたり東京へ行きたい」と言っていました。
問い 東京から帰八後、荒川さん方に対してとくに変わった気持ちを抱いていたということは…
答え わかりません、しかし経子さんいは会いたいと言っていました。
問い また一緒になりたいというようなことは言っていなかったか
答え ただ会いたいと言っていただけです
◇ 荒川経子証人(無職)
問い 孝二君(被告)と別れることがはっきり決まったのはいつか
答え 去年十一月頃です
問い 孝二君が九月上京したあとか
答え そうです
問い どういう風に話し合いをつけたのか
答え 手紙のやりとりで決めました
問い ケンカ口論で別れたということは
答え ありません
問い なぜ別れたのか
答え 働きに出ても金を家に入れないからです
問い 大火の翌日避難先に孝二君が来たか
答え 来ました。朝二度来て二度目にパンを置いて行ったそうですが話はかわしませんでした
このあと弁護側から荒川経子さん方の避難先、狭間まつのほか一人の証人喚問、掛端の実家の検証を申請、検事側から掛端の実父三之助さんの供述調書提出の後、足取り確認のための実地検証、掛端とその両親の調べに立ち会った地検八戸支部の田中庄市検察事務官の証人申請があった。川越裁判長は双方申請の三人の証人調べを十一月六日に行うことを決め(検証は保留)最後に検察側工藤忠一郎証人(四七)八戸署鑑識係長の実況見分調書二通の確認証言があって午後四時閉廷 この事件は警察が短時間で犯人を挙げ能力の高さを示した。最近八戸の床屋の女主人殺しも解決。女子中学生殺しは時効が近づく。これも解決してもらいたいもの。