2009年3月24日火曜日

藤川優里市議騒動でわかった議会事務局の不徹底2

市議会の本会議は表舞台。実は全てのことは裏で決まる。裏舞台が各常任委員会。ここで了承された事項が表舞台で一括審議され承認されるだけ。だから本会議だけを見てても何が何だかわからない。
議長が朗読する。「●項から△までを一括審議いたします、賛成の方の起立を求めます」ではなんたるこった。それが次々に進行。だから、本会議など有線テレビで見ても要領を得ない。
 委員会にテレビは入らない。ここで写真を撮る必要が出る。新聞記者が数名入る委員会もある。これは市政記者クラブの連中。どうして、こうした人選がされたかも議会事務局は知らない。そうなっているからだという。この市政記者クラブに入らない、地方記者クラブというのがある。日刊新聞ではない面々。人々の袖にすがって購読をすすめる新聞だ。これらの人々を役所の連中は馬鹿にしている。彼等は必死になり腰を低くして購読を請う。
 市会議員に似て、誰からも愛されようと努力し、自分の仕事可愛さに蔑まれても頭を低くして役所の中を歩く。課内に入り課長の机に新聞を置き、年の購読料を乞うのだ。こうした連中は議会での写真撮影はできない。市政記者クラブではないという議会事務局の認識だ。
 つまり、役所は日刊紙に都合のいいことは書いて貰いたい。都合の悪いことは書かれたくないの腹。だから定例記者会見、臨時と時宜に合わせて役所からの一方通行の情報を流す。昨今の記者は記者魂を置き去りにしたような連中で、自分の足で探すことをしない。現場を百回廻れの理が通じないようでは真実を見つけることは困難だ。
 「はちのへ今昔」は議会でも委員会でもただ傍聴しているだけだが、議員の発言には注目するも、聞きなおしができない。こうしたときに録音が役に立つが、密かに録取するは精神に反するのでしない。こうした録取は議会事務局はしている。何故ならば委員会記録は三ヶ月先にはインターネットで公開するからだ。
 すると、現今のような時代で、「はちのへ今昔」のように市政に対して金儲けを念頭におかない情報伝達手段の者は正しく報道できるのかの疑問が残る。書く以上、正確を期すべき。しかし、真意の伝わりにくい表現を議員がしたとき、発言の内容が明確でないときに録音テープは有効な確認手段。
 議場で写真を秘密で撮影し、居眠りをしていた議員の姿を暴露したインターネットもあった。時代が変わったのだ。誰でもが気楽に世界各国の出来事を見られる時代だ。にもかかわらず、百年一日の如く、議会運営は変わらないは愚かだ。
 大館議長は人事権を持つ。議会事務局職員の対応がまずければ、それなりの手立てをこうずる権限を持つ。議会事務局職員の求めに応じて「はちのへ今昔」は要望書を書いた。当然、それに対して議長は変事をよこした。